剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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神の伝令使

「やあやあ」

 

 数日前と同じようにリューさんの朝稽古に付き合った後、豊穣の女主人で朝食を食べていた時のこと。店員が未だに用意を始めてもいない店内に来客があった。

 カランカランとドアを開ける音と共にその男は一人の女性を連れてやってきた。両人ともにマントを着ていて正体が分からなかったが、どうやらリューさんや他の店員は誰か分かっているようだった。

 

「すいませんお客様、まだお店は準備中でして」

「硬いこと言わないでくれよルノアちゃん」

 

 羽根つきの鍔広帽子をキザっぽく外すその姿は旅人のようだった。橙黄色の髪は太陽を思わせるほど鮮やかで、整ったその顔と優しそうな笑みはどこか人間離れしていた。少し注意して見ればその原因が分かった。

 その旅人のような男は、旅人のような神だったというだけだ。人間じゃないのだから人間離れしていて当たり前だ。その後ろに付いて歩く女性を一瞥すると目が合った。

 一房だけが白く染まった水色の髪に透き通った水のような碧眼。銀のフレームの眼鏡は知的な女性の印象を与えた。付き従っている神に負けない程整った顔立ちは、若干の鋭さも相まって神秘的なほどに美しかった。目が合った私に小さく頭を下げた彼女はどこか申し訳無さそうだった。

 

「硬いも何も、まだ営業時間前ですので」

「まあまあ、俺が用があるのはここの店員じゃなくて彼なんだ」

 

 その神はリューさんと戦い方を変えたということを話していた私をじっと見つめていた。フレイヤと変わらない無遠慮までの視線はしかし、フレイヤのように興味の視線ではなく喜びの念を含んでいた。

 

――この神は私の事を知っている

 

 その目はまるで旧知の友人の子供でも見ているような視線だ。直接知っているわけではなく、又聞きした情報が本当かどうか確かめたいという目だ。

 

「ふむ、聞いていたより男前じゃないか。まあ、あのお方の基準はなかなか厳しいからなあ。そうは思わないかいアスフィ?」

「どうでもいいです」

「おいおい、どうでもいいってのは彼にちょっと失礼なんじゃないかい?」

「良く見てくださいヘルメス様――彼もどうでもよさそうな目でこちらを見てます」

「おっと、それはまずい。君には俺に興味を持ってもらわないと困るんだ」

 

 そう言ってルノアさんの横を軽い足取りで通り過ぎたヘルメスと呼ばれた神は私に手を伸ばしてきた。座っていては失礼だろうと立ち上がる。

 

「お初にお目にかかる。私の名はヘルメス、神々の伝令使にして旅と娯楽をこよなく愛する神だ」

「こちらこそ初めまして。アゼル・バーナム、しがない剣士兼冒険者です」

 

 差し出された手を握って握手を交わす。同じように後ろからアスフィと呼ばれていた女性も手を差し伸べてきたので同じように握手をする。

 

「私はアスフィ・アル・アンドロメダ。ヘルメス・ファミリアの団長です」

「おいおいおい、君がしがない剣士だって!? 冗談は止した方が良い」

 

 顔を手で覆い芝居がかった様子で嘆くヘルメス様は驚くべき台詞を口にした。

 

「あのお方の一番弟子がしがないわけがないだろう!」

 

 私が師と仰ぐ存在は二人しかいない。一人はつい最近できた第二の師であるタケミカヅチ様。そして、もう一人は今は亡くなってしまったベルの祖父である老師だ。

 そして、私は確実にタケミカヅチ様の一番弟子ではない。

 

「貴方は老師の知り合いですか?」

「ああ、君の言う老師とはかなり長い付き合いだ」

「そうですか……」

 

 老師に神の知り合いがいたことは聞いたことはなかったが、私が知らないだけの可能性は大きい。目の前の神を観察するように見る。

 貼り付けた笑みはどこか軽薄な雰囲気がある。あちらも同じように私を観察しているその視線はフレイヤを思い出させ少し不快に感じられ、どうしても好きになれなさそうな神であると思った。ヘルメス様はどちらかというとフレイヤ寄りの神だ。善良では決して無いが、かと言って邪悪というわけでもない。良くも悪くも『神』というものを体現したような神。

 

「そんな疑われてもね……そうだ、アスフィ彼にあれを」

「はい」

 

 アスフィさんに視線で何かを私に渡すように指示したヘルメス様は何かを期待するような視線を私に向けていた。子供のように無邪気で、無遠慮で鬱陶しい視線だ。

 

「こちらをどうぞ」

「これは……?」

 

 渡されたのは一通の便箋だった。紙は比較的新しく、『アゼルへ』と達筆な字で書かれていた。その字に見覚えがあった。しかし、その字を書く人物は既にこの世にはいない。

 それを理解した瞬間、目の前にいる男が神などという事実はどうでもよくなっていた。私は全身から明確な殺意を剥き出しにした。

 

「――ッ」

 

 リューさんを含める店員たちが息を呑んだのが分かった。私が怒りを露わにした瞬間アスフィさんはヘルメス様を庇うように前に出た。

 

「まあまあ、アスフィ落ち着け」

「相手次第です」

 

 アスフィさんはいつでも武器を取り出せように懐に手を忍ばせ私を警戒した。そんな彼女を一度睨んだが、動じることなく彼女もその鋭い瞳で私を睨み返した。

 

「ヘルメス様、貴方が老師とどのような関係なのかは知らない。しかし、敬愛する老師の死をいたずらに汚すことは、例え相手が神であっても私は許しません」

 

 隣に座るリューさんの非難するような視線を受け、私は露わにしていた感情を抑えた。するとアスフィさんは一度深く息をして警戒を解いた。

 

「いや、すまない。君がそう反応することは教えてもらっていたんだが、本当かどうか試したくてね」

「は、い?」

 

 ヘルメス様の台詞を聞いてまず反応したのは私ではなくアスフィさんだった。一瞬彼女から表情がなくなり、次に蟀谷に青筋をたて、最後に爆発した。

 静かに、しかし気迫を込めて彼女は主神であるはずのヘルメス様の襟元を掴んだ。

 

「アゼル・バーナムから敵意どころか殺意を向けられることが想定済みだったと?」

「え、ちょっと、アスフィ?」

「私は言ったはずですよね? 私では近接戦闘で彼の足元にも及ばないと」

「た、確かに言ったが……ちょっと待てアスフィ、怒ると君の美しい顔が台無しだ」

「んなことはどうでもいいです」

「ひぃっ!」

 

 アスフィさんはヘルメス様を前後に激しく揺らしながら纏っていた知的な雰囲気をぶち壊すような口調になっていた。対するヘルメス様は顔を青くしながら店員に助けを求めるような視線を送り無視され、私にも送ってきたが無視した。

 

「大体、想定通り彼が攻撃してこなかったからいいものの! なんでこういつもいつも事を面倒くさくするのですか!?」

「それは愚問だなアスフィ」

 

 ヘルメス様は一度アスフィさんに揺さぶるのを止めさせ、いい笑顔でこういった。

 

「そっちの方が面白いからに決まっているだろう!」

「こんの神はあああああああ!!」

 

 一層力強く、キレを増してヘルメス様を前後に揺さぶるアスフィさん。冒険者としての【ステイタス】もフル活用しているのか、最初こそ声をだして抗議していたヘルメス様も次第に静かになっていった。

 

「はあっ、はあっ……あ」

 

 自分が何をしていたのか気付きこちらを見てアスフィさんは固まった。数秒間誰も身動きすらしない痛々しい空気が流れた。

 

「おほん、アゼル・バーナム。少しだけ時間をもらってもいいですか?」

「え、ああ……はい、お構い無く」

 

 すべてをやり直すかのように一度咳払いをしたアスフィさんは、頬を少し染めていていたし隣には床に倒れる男神がいて、朝の豊穣の女主人は混沌と化していた。

 私もすっかり毒気が抜かれてしまい、アスフィさんの頼みを素直に聞くことにした。

 

「はあ……もう、帰りたい」

 

 小声でそう言ったアスフィさんには哀愁が漂っていた。なんとなく、彼女がどういった星の下に産まれたのか理解してしまった瞬間だった。

 

 

 

「はははは! 神に殺意を向けるアゼル君もなかなかだが、神に襟首を掴んで気絶させるうちのアスフィも負けてないな!」

「ヘルメス様、また気絶したいですか?」

「あ、はい、すみませんでした」

 

 漫才をしている目の前の二人を放って、私は渡された手紙を読み進めた。できればリューさん達が店の準備をしている慌ただしい店内ではなく、もっと落ち着いた場所で読みたいのだが、この後はダンジョンに行く予定なのでここが一番落ち着ける場所だろう。

 

『これを読んでいる時は、目の前にキザったらしい優男の神がいるだろうがそやつのことは気にしなくていい。どうせ構えば構うほど調子に乗る奴なので、適度に放置しておくことを強く推す』

 

 その文章を読んで、私は未だにアスフィさんに文句を言われているヘルメス様を見る。彼女の苦言は慣れたことなのか、笑顔を絶やさず、むしろ文句を言われる度に輝きが増しているようにすら見えた。

 老師の教えは正しかった。

 

『お前のことだ、私が生きていると言われてそう簡単に信じるとは思えないがどうか信じてくれ。訳は言えないが、訳あって死んだふりをして身を隠す必要があった。このことはベルには言わないでおいてくれ。心優しいあやつの事だ、私のことを探そうとするやもしれない』

 

 ただ書いてある内容を理解していく。老師が生きているか生きていないかという事実の真偽は定かではないが、確かに祖父が実は生きているとベルに教えたら故郷に戻って探すくらいはするだろう。唯一の肉親だったのだ。

 

『さて、何故このような事をお前に明かすのかというと、最近ヘルメスが色々忙しく困っているようなのでそやつの力になって欲しくこの手紙を書いた。聞く所によるとお前は以前に比べて遥かに強くなっているらしいし、ヘルメスに貸しを作っておくと何かと便利だ。見て分かる通り軽薄でお気楽そうな神ではあるが、そやつは神々へ大きな影響力を持っている。今後、このまま強くなるのならお前のためになるだろう』

 

 一通り文句を言い終わったのかすっきりした顔のアスフィさんと、変わらず笑顔のヘルメス様が手紙を読んでいる私を見ていた。

 アスフィさんは先程と打って変わって大人しい私を観察するような視線を送り、ヘルメス様は手紙に何が書かれているのか気になっているようだ。

 

『この手紙は読み終わったら念のため燃やして処分してくれ。最後に、いくら強くなろうとも忘れてはいけないことがある。それを、決して忘れるでないぞ』

 

 手紙の最後には老師が昔からよく使っていた雷を象った判が押されていた。決して長くはない手紙を読み終えた私は、それを再び便箋に戻す。

 

「もう、手遅れですよ、老師」

 

 私は結局老師の忠告通りの剣士になってしまった。周りの人間をすべて傷付ける、ただ己のために世界を斬り裂く剣を目指す道を歩み始めてしまった。心は少し痛んだ。老師と共に振るってきた剣は確かに自分の中にあり、記憶もあり、交わした言葉の数々、重ねた剣閃の数々は鮮明に思い出せる。

 しかし、私は今それすらも斬り裂こうとするのだ。この足はもう前にしか進まない、もう振り返らない。それがホトトギスを斬ってしまった私の償いであり、その存在を懸けて私を生かしてくれた彼女への最大の感謝だ。そして、想いを伝えてくれた鈴音に対する私の答えでもある。

 何があろうとも、私は登りつめる。

 

「で、どんな内容だったんだい?」

「どうぞ、読まれても困る内容はないので読んでください」

「ふむふむ、ご老体は私の説明が雑過ぎないか?」

「いえ、その通りだと思います」

 

 アスフィさんも横から手紙を覗き込んで感想を述べた。短い手紙だったので、二人はすぐ読み終えて返してくれた。

 

「なるほど……確かに君が噂の通りの強さならこれほど心強い味方はいないな」

「因みにその噂はどの噂ですか?」

「もちろん、君がオッタルにかなりの手傷を負わせたという噂だ。ゴライアス単独撃破もまあすごいが【剣姫】はもっとすごいのを倒している。しかし、彼女をもってしても彼の【猛者(おうじゃ)】に傷をつけることは叶わないだろうね」

「そうですかね……アイズさんなら、なんとかできると思いますけど」

「君は自分のしたことの凄さを分かっていないなあ」

 

 それは置いておいて、と言いヘルメス様は真剣な顔になった。

 

「協力はしてくれるのかい?」

「老師の頼みともなれば、無下にはできません。しかし、私も今は冒険者ですから、自分の都合というものがあります」

「分かった……そうだな、じゃあ君には探索のついでの調査等の依頼をしよう。報酬は弾もう、それだけ危険な仕事と思ってくれ」

「構いませんよ。むしろ危険は大好きですので」

「はは、だろうね」

 

 ヘルメス様はポケットから一枚の羽を取り出すと私に渡した。何でも仲間である証らしい。

 

「では、さっそく依頼といこうか。この後ダンジョンに行くんだろう? どこまで行くかは分からないが、今回の依頼はあるモンスターの捜索と観察だ。できるなら討伐もしてくれると助かるけど、そこまでは望んじゃいない」

「あるモンスター?」

「ああ、ギルドでは公表されていないがここ最近下層に行ったパーティーがいくつか帰ってきていない」

「死んだんでしょうね」

「そう、そしてそれをやったのがそのモンスターだ。命からがら帰ってきた冒険者によると、そのモンスターは人型で床に届くほど長い灰色の髪が特徴らしい。恐ろしく速く、恐ろしく力強く、恐ろしく頑丈だそうだ」

 

 言われる特徴を頭の中に記憶する。と言っても人型のモンスターは限られている上、髪の毛が生えているものは更に限られるだろう。

 そもそも私が行く階層で出会えるかも分からない。ヘルメス様もそのことは承知なのか、無理に探さなくてもいいと言われた。

 

「そして、最大の特徴だ」

 

 耳を近付けるように指で私に指示してきたので身を乗り出して近付く。手で口を隠しながらヘルメス様はその最後の特徴を言った。

 

「そのモンスターはなんと、喋ったらしい。『コロス、アカガミ、ケンシ』と」

「……何かの怪談ですか?」

「いいや、大真面目な話さ。だから、君に行ってもらうってわけだ。俺の予想だとそのモンスターは君を探してる」

 

 モンスターが喋るという信じられない話をされた後に、更に信じられないことにそのモンスターは私を探していると告げられた。信じられない話ではあるが、目の前の神が嘘を吐いているようにも見えないし、アスフィさんも大真面目な顔をしている。

 

「遭遇したらかなり危険なことになるだろう。何か欲しいものがあったら言ってくれ。今すぐ用意しよう」

「欲しい物……そうですね、じゃあ、中身の劣化を防ぐ容器ってありますか?」

「お安い御用だ。アスフィ」

「それなら今持っているので、どうぞ」

 

 そう言ってアスフィさんは試験管を三本取り出した。表面には巻き付くように蔦の装飾がされていて、鑑賞物としても楽しめそうなほど精巧な作りをしていた。

 

「『停滞の檻(ヴリエールヴィ)』と呼ばれるアイテムです。中身の劣化を防ぎます。丈夫に作ってあるのでちょっとの衝撃では壊れません」

「凄いですね……買えるんですか?」

「おいおいアゼル君、うちのアスフィの二つ名を知らないのかい? 彼女は【万能者(ペルセウス)】、オラリオが誇る最高の魔道具作成者(アイテムメーカー)だぞ」

「自作ということですか」

「まあ、そうです」

 

 褒められて少し照れながらアスフィさんは『停滞の檻』の使い方を教えてくれた。効果は一度だけ、開けて中身を入れて閉めるだけで劣化防止が始まり、効果は半年ほど続く。

 

「中身はどうしますか? 回復薬(ポーション)類なら良い店を紹介しますが」

「いえ、中身は自分で調達します」

「了解しました」

「じゃあ、話はこれで終わりだ。何か質問はあるかい?」

「ないです」

 

 そう言って私は席を立ち、出口ではなくリューさんに向かって歩いた。近付いてくる私を怪訝に思いながらもリューさんは動かず待ってくれた。

 

「リューさん、お願いがあるんですけど」

「嫌な予感しかしませんが、聞くだけなら」

「血を」

「嫌です」

 

 即答されてしまった。その後、土下座をする勢いで彼女に頼み込み、どうやっても私が引かないと分かった彼女は渋々了承してくれた。あの凄まじい回復力を目の当たりにした彼女は、血液が私の生存力を上げるという事実を理解していた。直接ではなく『停滞の檻』に血を入れて欲しいだけだと言うと幾分か表情は和らいだ。

 リューさんは仕事を私に押し付けて、部屋へと行き血を入れてきてくれた。少しふらついていたのは貧血だろう。謝罪を込めて今度来た時は盛大に飲み食いすると伝え、私は豊穣の女主人亭を後にした。

 

 

■■■■

 

 

「アイシャ、【剣鬼(クリュサオル)】の奴がダンジョンに行ったっていう情報が入ってきた」

 

 夜と違い静かになった歓楽街の朝、異国風の娼館でアイシャと呼ばれたアマゾネスは待ちに待っていた機会が来たのだと歓喜した。

 

「お前ら、用意しな」

 

 姿を隠すフード付きのマントを羽織り、普段使っている大朴刀では目立ってしまうので一般的な長さの朴刀を腰に携えた彼女の形相は鬼のようだった。

 

「あの糞野郎を、殺しに行く」

 

 その相手が人間でないと知らずに、殺戮者は歩みを進める。彼女にあるのは、唯一人の妹を傷付けた存在への怒りだった。

 

 

■■■■

 

 

「よかったのですか?」

「何がだい?」

「あの男にモンスターの正体を話さなかったことです」

「問題あるわけないだろう。アスフィ、お前は何も分かっちゃいない」

 

 アゼルより早く豊穣の女主人亭を後にしたヘルメスとアスフィはホームへと戻るため大通りを歩いていた。

 

「アゼル君にとっちゃ相手がなんだろうと変わらないさ。彼は良くも悪くも自分本位な人間だからね」

「そうでしょうか……快く協力してくれましたけど」

「彼にそのつもりがあるかは、分からないだろう。探索のついでくらいにしか思ってないと俺は思っているよ。まあ、それで問題ないんだがね」

 

 それにな、とヘルメス様は続けた。

 

「敬愛していると自分で言った師の生存を知った彼の反応はあまりにも薄かった。しかし、彼の殺意は本物だった。つまりはそういうことだ。彼にとっちゃあ師の生死はそこまで気にすることでもなかったということ。心から敬愛する老師の生死だぞ? なら、彼が気にすることとは何か」

「……何でしょう?」

「俺も知らないさ」

 

 ヘルメスは一度だけ背後に聳えるバベルを見た。その地下に続く迷宮へと足を運ぶ冒険者達のことを考え、そして最後にアゼルのことを考えた。

 

「だから、知りたいのさ。ゼウスに認められた剣士という存在を」

 

 その声は騒がしくなりはじめたオラリオの街にかき消された。

 

 

■■■■

 

 

『ヴァ……ウウゥ』

 

 数多くの冒険者が探索をする階層より遥か下層にその化物はいた。

 人の範疇を脱しない身体の大きさにダンジョンの暗さで分かりにくい灰色の肌と長髪。髪の間から覗く瞳は血のように赤く、何かに飢えていた。

 

「マ、ズイ」

『ヴゥ、ヴアァァァァアアア!!』

 

 底冷えするような低い声が化物の口から発せられる。

 その足元には今しがた倒したばかりのモンスターが転がっている。手足はすべて化物にもぎ取られ、ただ地面にのたうち回るだけのそのモンスターは冒険者達に恐れられている存在とは到底思えない。

 もぎ取った足を齧った化物はその味が気に入らなかったのか、無造作にそれを投げ捨てた。

 

「ココ、カ」

 

 そう言って化物は地面をのたうち回るモンスターの胸に腕を差し込んで、肉を引きちぎって魔石を取り出した。核をなくしたことでモンスターは灰になる。化物は取り出した魔石を口へと運び、その硬さなどお構いなしに咀嚼していった。

 

「ッ!」

 

 食べ終わると何かに反応して化物は天井、そしてその向こうを見るように見上げた。

 化物は知らないが、彼を含めた彼の同族は総じて迷宮の外への強い憧憬がある。ある者は太陽を見たいと思い、ある者は青空に羽ばたきたいと思い、ある者は外の空気を吸いたいと思う。

 ならば、この化物は?

 

「ミ、ヅゲダ」

 

 口が裂けたと言わんばかりに口角を上げて化物は笑った。化物は遂に潤うことのなかった飢えが満たされていく感覚を覚えた。

 

「ミヅゲダ! ミヅゲダゾ! ゴロス、アカガミ!」

 

 地獄に響くような恐ろしい声で、化物は吠えた。

 

「オオオオオオオオオォォォォォォアアアアアアアアアァァァァァッッッ!!!!!!!」

 

 化物の持つ憧憬はただ一つ――――ある一人の剣士に対しての殺意だった。

 

 

■■■■

 

 

「さて、では行きますか」

 

 剣士はダンジョンへと足を踏み入れる。

 渦巻く思惑、付け狙う悪意、そしてその身に向けられた殺意など知らずに歩みを進める。しかし、知っていたとしても彼には関係ないだろう。

 そのすべてを斬り裂く、ただそれだけのことなのだから。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

かなり爆弾を投下した。
まあ、もうこれで5巻がどうなるか分かったかな……荒れるぜ、大荒れだ。

これからは忙しくなるので次の投稿はたぶん3月中旬くらいになると思います。
思うだけで、実際どうなるかは分かりません。

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