剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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沈まぬ太陽

 朝起きるとそこには本来いるはずのない神が、いつもはベルがやっているヘスティア様の髪のブラッシングをしながら笑っていた。赤い髪に顔の半分を隠すほど大きな眼帯をしたその女神と、幼い容姿のヘスティア様が親子のように見えた。

 

「……何をしてるんですかヘファイストス様?」

「あら、漸く起きたのね」

 

 起き上がりながら疑問を投げかけるも答えは返ってこなかった。どうやらベルはもう出掛けたらしく部屋にはいなかった。ヘファイストス様は最後にヘスティア様の髪を両側で縛りツインテールを完成させると髪留めに付いた鈴を指で弾いて鳴らした。

 

「アゼル君、次は何をやらかしたんだい?」

「私は起きたばかりなんですけど……」

「ヘファイストスが君に用があるって言ってるんだ。まさか彼女のとこの子と喧嘩なんてしてないだろうね?」

「喧嘩したくらいで主神が文句を言いに来るわけないじゃないですか」

「……まさか再起不能になるまで叩きのめしたのかい!?」

「なんでそっち方向に解釈するんですか……」

 

 夢の中でもタケミカヅチ様との稽古をイメージしていてあまり休まった気がしない固まった身体を伸ばしてほぐす。相手の流れを読み取るという行為は【未来視(フトゥルム)】を使えば簡単なことではある。しかし、目指すべきはそれではない。

 二度だけ見せてもらったタケミカヅチ様の剣を見ていた時私は【未来視】を使っていなかったが僅かに動きの流れを感じ取った。魔法に頼らずにできることは確かで、この身一つでできてこそ確かな武技と言える。

 

「で、用事とは?」

「貴方の刀が出来上がったから呼びに来たのよ」

「……ヘファイストス様がですか?」

 

 基本的に主神と眷属の関係は親と子のようなものだ。冒険者と鍛冶師の関係に主神が首をつっこむというのは、言うなれば子どもの事情に親が入ってくるようなものだ。特にヘファイストス・ファミリアは大所帯で、一人だけを特別扱いすることは憚られるはずだ。

 

「鈴音はちょっと体調を崩してしまってね。今部屋で寝込んでるの」

「私は後日でも大丈夫ですよ?」

「私もそう言ったんだけど、どうしても早く渡したいって聞かなくて……無理して外に出ようとするから、しょうがなく私が呼びに来たってわけ」

 

 ヘファイストス様は呆れながらも嬉しそうに鈴音の状態を話す。どのような鍛冶をすれば体調を崩すのかは一瞬疑問に感じたが、考えてみれば長時間剣を振るって体調を崩した経験がないわけでもなかった。体調を崩しながらも剣の稽古に励んでいた私を見て老師が怒ったことを覚えている。

 

「なら早く行ってあげた方がいいね、アゼル君」

「そうですね……朝食は抜いて昼食を多めに摂ることにします」

「そう、なら行きましょうか。髪の毛、なかなか楽しかったわ、またやらせてねヘスティア」

「次はヘファイストスのを僕にやらせてくれよ」

「私のなんて縛っても楽しくないでしょう?」

「その言葉をそのまま返すよ」

 

 今日は昼からバイトなのか、ヘファイストス様から解放されたヘスティア様は本を取り出して寝っ転がりながら読み始めた。私は出かける準備をしながら一体どのような刀が出来上がったのかと柄にもなく心躍らせた。

 

「じゃあ、ちょっとアゼル借りてくわねヘスティア」

「では、行ってきます」

「気を付けるんだぞー」

 

 気の抜けた返事をするヘスティア様を置いて私とヘファイストス様は地下室を出た。何故彼女がこの地下室を知っているのか疑問だったが、驚くことにこの地下室をヘスティア様に与えたのはヘファイストス様だったらしい。

 

「貴方とベル・クラネルが眷属になる前は私のところで穀潰しをしていたのよ、ヘスティアは」

「そうだったんですか……随分仲が良いんですね」

「そう? まあ、天界にいた頃からの神友だからかしら、つい世話を焼いてしまうのよね」

「今日もまるで親子か姉妹のようでしたよ」

「親子って、あの子に言っちゃだめよ? ヘスティアって割りと小さいことを気にしているみたいだから」

 

 一部だけ大きいけど、と付け加えたヘファイストス様に並んで大通りを歩く。すれ違う男性はこぞって振り向いてヘファイストス様を見ているが、慣れたことなのか彼女は気にしていなかった。むしろその視線の何割かが私の方に向いて気になっていたのは私だった。

 

「ごめんなさいね、鬱陶しくて」

「いえ、ヘファイストス様のせいじゃないですから」

「それはそうだけど……そうだわ、今回鈴音がした鍛冶について教えとくわ」

「えっと、何か特別なことをしたんですか?」

 

 それからヘファイストス様は今回鈴音が体調を崩すに至った経緯を話した。

 鈴音は特別な技法でしか加工できない金属を用いた鍛冶をした。魔力を使い続けなければいけないその技法は冒険者として未熟な鈴音の【ステイタス】ではかなり危険な行為だったらしい。鍛冶自体は昨日終わったらしいが、それから半日以上倒れ今も疲労困憊の状態だという。

 何故そこまで詳しく知っているのかと聞くと、その金属の加工をする際は主神であるヘファイストス様かヘファイストス・ファミリアの団長である椿さんという人の監督下だけという話だ。現在椿さんはダンジョンに行っているためヘファイストス様が監督した。

 

「あの子に、なんでそんな無茶をしたのかなんて聞いちゃだめよ?」

「……分かってますよ」

 

 彼女が無茶をしてそんな技法を使った理由など明らかだ。自惚れではなく、彼女の私に向ける感情は親愛を遥かに越えている。

 

『私、頑張るから』

 

 あの時言った鈴音の言葉が頭の中を木霊した。彼女は私を見て無茶をした。それが彼女の選択であり、決断であり、それは私がとやかく言うことではない。そして、最初からとやかく言うつもりもない。

 私の中では鈴音を心配する心よりも、彼女に対する敬意や感謝の方が勝っていた。自分の背中を追いかけてくれるその少女に、私はどんな言葉をかければ良いのか分かっていた。それは無茶をするなという注意でもなく、体調を心配する言葉でもない。

 

「大人しい子だと思ってたんだけど、鈴音も女だったってことね」

「ヘファイストス様も立派な女性じゃないですか」

「あの子に比べればまだまだよ。あの時の顔、貴方に見せてあげたいわ」

 

 微笑みながらヘファイストス様は私を見た。

 

「貴方うちのファミリアに入る? 鈴音も喜ぶわよ?」

「冗談はよしてくださいよ。そんなことしたらヘスティア様との仲を引き裂くことになるかもしれないじゃないですか。それに私は鍛冶師じゃないですし」

「それもそうよねー……言ってみただけだから安心して」

「一応言っておきますけど、あまり私を勧誘しないほうがいいらしいですよ」

 

 タケミカヅチ様から聞いたことを思い出し忠告をしておく。男神達は手紙を受け取っていたので知っていることだが、女神であるヘファイストス様は知らない可能性もある。軽い冗談で勧誘した結果フレイヤに目を付けられては堪ったものじゃないだろう。

 

「貴方も難儀よね、あのフレイヤに見初められるなんて」

「知ってたんですか?」

神会(デナトゥス)でのあいつの顔を見てれば嫌でも分かるわ。フレイヤって色々隠さない女神だから」

 

 今までに起きたフレイヤに関わる事件を色々聞かされ、げんなりしていると鈴音の住んでいる共同住宅に辿り着いた。ヘファイストス様は私を部屋の前まで送ると邪魔になるからと言って帰っていった。

 ドアの前で私は数秒心の準備をした。前回ホトトギスを受け取った時は抑えることができずそのままゴライアスと戦う事態に陥ってしまっただけに気をつけなければならない。

 

「鈴音、入っていいですか?」

「うん」

 

 静かに、しかし良く通る声で彼女は返事をした。いつも通り刀がたくさん並んでいる部屋だ。いつもと違うのは部屋の主である鈴音がベッドに寝ていることだろう。ゆっくりと身を起こした鈴音は桜色の寝間着を身につけていた。

 私と目が合うと優しく、まるで花のような笑顔を浮かべた。

 

「ご、ごめんね、こんな格好で」

「気にしないでください。寝たままでもいいですよ?」

「ううん……アゼルのこと見てたいから」

 

 椅子をベッドの横に動かして座った。寝巻き姿で恥ずかしいのか鈴音は少し頬を赤く染めて私を見た。数秒間見つめ合うと鈴音が恥ずかしさに負け、顔を手で覆ってしまった。

 

「そ、そうだ! 刀、できたんだ」

「はい、ヘファイストス様から聞きました。あれですか?」

「うん」

 

 テーブルの上に置いてある長い袋を指差す。彼女が肯定したので私はそれを手にとって中身を取り出す。外見はホトトギスと変わらない黒塗りの鞘と白と藍色の柄に鈴音特注の鈴を象った目貫。慣れ親しんだその外見に私は何かが帰ってきたような感覚を覚えた。

 

「抜いても?」

「うん、お願い」

 

 彼女の了承を得て私は立ち上がってゆっくりと刀を抜いた。

 重心の位置も刃の重量も殆どホトトギスと変わらず、構えは自然と取れた。ホトトギスのような禍々しさはなかったが、その刃の輝きは鋭かった。

 波打つ波紋は時折赤く光を放っていた。刃も鈍色の中に微かな赤色を潜めていた。

 

「どう?」

 

 刃を優しく指で撫でる。そこには熱が込められていた。決して冷めることのない、燃え続ける想いが宿っていた。じんわりとその熱が指から手に浸透していく。鈴音の感情が、一人の刀鍛冶としての、一人の女性としての激情が流れ込んでくる。

 その真っ直ぐで一途な感情を私は受け取った。

 

「素晴らしいです……本当に。名前は?」

「えっとね」

 

 名前を言うのが恥ずかしかったのか俯きながら彼女は言った。

 

(ぎょく)のように美しい音を奏でる刃。冷めない熱、尽きない炎、永遠に沈むことのない太陽――」

 

 それはきっと彼女の願いだ。迷いのない、一人の少女が願いが形を持って私の手に渡った。

 

「――その子の名前は白夜、玲刀(レイトウ)白夜」

「白夜」

 

 その名前を噛みしめるように口に出す。名前を呼ぶと一層熱を発し赤く光沢する刃は喜んでいるように見えた。意志のないはずの刃に、私は鈴音という少女の心を見た。

 静かに納刀して袋に戻す。そして椅子に座るのではなくベッドの端、鈴音の真横に座る。何故そんなことをしたのか困惑している鈴音を私は抱き寄せた。

 

「ふぇ」

「鈴音」

 

 背中に手を回しきつく抱きしめる。静かに、名前を優しく呼んだ。

 私はなにを思ったのだろう。ただどうしても彼女を抱きしめたくなった。自分の手が握るのは剣で、腕は剣を振るうためにあるのに、私は彼女をその両腕で抱きしめ、手で彼女を撫でた。

 

「ぁ、アゼル」

 

 小さな声で呻く彼女は、抵抗などせず私に身を任せていた。肩に顔を埋め、目を閉じてじっとしている。手は心臓の音を愛くしむように私の胸を撫でる。

 

「貴方は、本当に良い女性(ひと)だ」

「んぅ」

 

 薄い寝巻き越しに彼女の体温を、白夜に宿った熱を確かに感じた。違いがあるとすれば、彼女の身体には熱とともに血も通っていることだろう。一瞬その首筋を見てしまったが、唇で撫でるだけにしておいた。

 彼女が全身全霊を懸けて刀を打ってくれたことに感動したのだ。私と対等であろうとしてくれたことが、一緒にいようと思ってくれたことが嬉しかったのだ。

 何故なら彼女は私を知っている。私の奥底に眠る願いを、彼女は知っている。彼女は確かに私を完全に理解はしていないだろう。それでも、私の願いの行き着く先を知っている。すべてを斬り裂くという私の未来を知って尚、彼女は私といようとしてくれている。

 ああ、私はきっと彼女のそんな生き様を愛おしいと思ったのだ。

 

――だからもっと私を追いかけてください

 

「良く頑張りましたね」

「……本当?」

 

 上目遣いで私を見上げながら、彼女は不安げに聞いてきた。

 

「本当です。思わず抱きしめてしまうくらい、鈴音は頑張りました」

「そっか」

 

 胸から少し離れて、彼女は腕を私の首に回した。少し背を丸めて彼女が抱き着きやすいようにする。頬と頬が触れるほど彼女は密着した。

 

「っく……うぅぅ……よかった……」

「鈴音」

 

 彼女は泣いていた。静かに、嬉しそうに彼女は涙を流した。そんな彼女を私は抱きしめた。流れる涙はきっと尊いものだ。しかし、私に分かるのは首筋に落ちて肌に伝わるその熱だけだ。

 私にはその涙の本当の価値は分からない。他人のために刀を打った彼女のその心を私は理解できない。私にとっての剣が彼女にとっての鍛冶であるならば、私と彼女はどこか決定的に違うのだ。しかし自分と違うからこそ、彼女の熱は私に響くのかもしれない。

 

「あのね、アゼル」

「はい」

 

 数分間、私は彼女の静かな泣き声を聞いていた。泣き止むと彼女は私の耳元で囁くように語りかけてきた。微かな声が耳をくすぐるように撫でる。

 

「私、今とっても幸せだよ」

「はい」

「だから、今言うね」

 

 一層力を入れて彼女は私に抱き着く。もう私を離さないと言わんばかりである。そんな彼女の背中を私は優しく撫でた。私も、彼女を手放す気などなかった。

 

 

「大好きだよ」

「――はい」

 

 

 彼女は返事を待っていない。彼女は私が剣以外に求めないことを知っているから。それがどれほど悲しく、報われない恋だとしても、彼女はそれを選んだ。

 

「えへへ、言っちゃった」

 

 そう言って照れくさそうにしながら彼女は私から離れた。桜色に頬を染め、私から隠れるように布団に包まった。それでも時折顔を出して私の様子を伺っていた。そんな仕草が可愛らしく、私は彼女の頭を撫でた。

 

「その想い、受け取っておきます」

「うん……ありがとう」

 

 まだ疲れが抜け切れていなかったのだろう、数分もすると彼女は眠りについていた。その寝顔は安らかだった。

 新たな愛刀を持って、私は彼女の部屋を後にした。その想いを胸に仕舞いこみ、一歩踏み出す。彼女の想いが私の背中を押している気がして、足取りは軽かった。

 

 

 

 

 

 

「おお、なんだかやけに気合が入っているじゃないか」

「私は剣に関してはいつもやる気に満ちていますよ」

 

 ダンジョンに行って暴れたい衝動を抑えながら、私はタケミカヅチ・ファミリアのホームへとやってきた。タケミカヅチ様との稽古があるということもあったが、昨日命さんと手合わせをするという約束もしていた。

 

「原因はあれだな?」

「まあ、そうですけども」

 

 タケミカヅチ様が指で差した方向では白夜と短刀として拵えられたホトトギスに感嘆の声をあげている命さんと桜花さんがいる。ホトトギスは黒塗りの長さ三〇C(セルチ)の護身用の短刀に生まれ変わった。

 もうそこにはなんの特別な力もない刃しかないが、それでも私にとっては大切な物であることには変わらない。護身用ということで、お守りのようなものだ。実用もできると言われたが、よほど切羽詰った状況でもない限り使うつもりはない。

 

「思うに、大切にしたい刀があるならもう一本適当な刀を使えばいいんじゃないか? いざというときに使えば摩耗も減るだろう」

「確かにそうかもしれませんが……何だかそれは浮気しているような気がしなくもないですし」

「浮気って、お前はその鍛冶師にそいつの以外は使わないとでも言ったのか?」

「言いましたけど、何か」

「そ、そうか。でも、やはり優先順位というものはあっていいだろう? その鍛冶師にもう何本か打ってもらえばいいじゃないか」

 

 タケミカヅチ様の言っていることも一理ある。確かに予備の武器を持ち歩いていない私は愚か者だったかもしれない。オッタルと戦った時のように武器を破壊されてしまうこともあるかもしれないし、何が起こるか分からないダンジョンで武器を一つしか持っていないのは不用心とも言えた。

 しかし、剣を一つしか持たないというのは一つの志でもあった。身一つ剣一振りですべてを斬り裂いていくというのが私の人生である。

 

 それに鈴音に打ってもらうにしても適当な物を打ってくれと頼むわけにはいかない。適当などという半端な要求はなんだか失礼なように思えた。

 しかし、事実として下層に降りれば降りるほどモンスターとの戦闘は回数を増し苛烈さも極まる。武器の摩耗はより早くなることは目に見えている。できれば玲刀白夜は生涯使い続けたい一振りだ。

 

「ううん……」

「そこまで悩むことか?」

「いえ、確かに実利を考えるともう一本持っていたほうがいいのですが……あああ、どうしましょうか」

 

 結局私はバベルのテナントに置いてある鈴音の打った刀を買おうという結論に至った。新しく打ってもらうのは嫌だったので、現存している物を活用していく方針だ。鈴音の悪い噂のせいでテナントに置いてある物は売れていないので好都合だ。

 

「アゼル殿ー! 準備はよろしいですか?」

「はい、大丈夫ですよ」

 

 昨日から予定していた命さんとの手合わせを始める。

 桜花さんより小さく非力な命さんの戦闘方法は桜花さんやオッタルのようにどっしり構えて力と技術でねじ伏せるというスタンスではない。むしろ彼女はリューさんのような身軽さを活かしたヒットアンドアウェイ、パーティで言う相手の撹乱や遊撃を担う冒険者らしい。

 

「お互い大きな怪我のないようにな。うちは金がないから回復薬(ポーション)は買ってやれんぞ」

 

 気の抜けるようなタケミカヅチ様の台詞を聞きながらも命さんの表情は真剣そのものだった。それを見て私も意識を切り替える。

 剣技の向上、ひいては技術という【ステイタス】に依存しない自身の力というものの向上を最も効率よく上げるにはどうすればいいかタケミカヅチ様に聞いた。彼は私に、意識的に【ステイタス】を使わないことと答えた。

 更に私の場合は【未来視(フトゥルム)】の恩恵も大きい上、本気を出すときはホトトギスの力まで使っている。場合によっては技術なしの力押しでも勝ててしまうほど基本的な性能が良い。

 だから、私はそれらを使わないことにした。

 

「では、両者準備が整ったということで――――始めッ!」

 

 号令とほぼ同時に命さんは音もなく、一足で懐まで飛び込んできた。

 

 

■■■■

 

 

(先手必勝ですっ!)

 

 そう意気込んでタケミカヅチの号令と共に跳びだした命は俊足の突きを繰り出した。例え木刀であったとしても突きを食らったらひとたまりもないのだが、そこはここ数日見ているアゼルの身のこなしなら避けてくれるだろうという謎の信頼があった故の突きであった。

 

「流石です」

 

 予想通りその突きは紙一重の距離で届いていなかった。アゼルは命の間合いを完全に読み一歩下がるだけで突きを無力化していた。

 

「ならば!」

 

 すかさずもう一歩踏み込んでから命は畳み掛けるようにして連撃を放つ。剣戟は文字通り縦横無尽に走るが、もちろん一度に放てる斬撃は一つだ。アゼルは一つ一つの斬撃を時に間合いの外へと、時には懐へと足を運びそのことごとくを避けていく。

 

(ふざけているのか)

 

 命がそう思うのは仕方のないことだった。アゼルはすべての攻撃を避けてはいるが攻撃に転じることをしなかった。命が意図してアゼルに攻撃を避けさせているわけではないので、避けた後で命には隙ができる。しかし、それを突こうとしないのだ。

 しかし、命はそんなはずはないとその考えを捨てた。稽古に励む姿は真っ直ぐで、実力の差は歴然とも言える桜花への接し方もまるで同じ実力の剣士を相手にしているくらい礼儀正しかった。

 

 しかし、だからと言ってやることは変わらない。攻撃をしてこない相手が攻撃してくるのを律儀に待つわけもなく、命は更に攻勢を強めた。

 木刀だけでなく蹴りや拳を使いながら高速戦闘へと移行していく。元々命の所属するタケミカヅチ・ファミリアの構成員は全員戦士であって純粋な剣士は一人もいない。刀、槍、弓矢や斧と言った数多くの武器を扱える戦闘のスペシャリストとして育成されている。

 アゼルが木刀を使うので命も木刀を使っているに過ぎない。

 

 手合わせは剣の稽古から戦闘訓練になっていく。一向に当たることのない命の攻撃は、削られていく体力に反して速度を徐々に上げていっていった。しかし、いくら早く拳を打ち出してもアゼルに当たることはなく、まるで未来でも見ているかのように回し蹴りは空回りする。

 

(動きが速いわけではないのに)

 

 周りから見てもアゼルの動いている速度は速くない。アゼルのほぼ全速を目にした桜花からすればかなり遅い動きをしていただろう。しかし、それでも命はアゼルを捉えることができずにいた。

 

「飲み込みが早過ぎるだろう」

 

 直接教えたわけでもない教えをアゼルが確実にものにしていっていることにタケミカヅチは驚愕とともに喜びを感じていた。その隣で桜花は自分もやりたいとうずうずしながら観戦し、千草はいつどちらが怪我することかと心配そうに見ている。

 

 命は今もなお自分の動きを読む速度を早めているアゼルに対して一歩も引かず猛攻を仕掛けていた。一撃毎にアゼルへと斬撃は近付き、一撃毎にアゼルは斬撃から離れていく。延々に、どこまでもそれを繰り返す。

 まったく手応えのない木刀に反して命の中には確かな手応えがあった。すべてを避けるアゼルに攻撃を当てたい一心で動きの無駄が徐々に削ぎ落とされていくのが分かった。無駄な足の動きや微妙な体重移動に至るまで、最速の一撃を放つために無用なものが正されていく。

 

 そして、命は桜花がアゼルを受け入れようと言った理由を理解した。その圧倒的とも言える実力差は追いかけたくなってしまうのだ。それが純粋な技術の域なだけに、アゼルはそこに夢を見させてくれる。

 だから、ヤマト・命は足を踏み出し木刀を振るい続ける。

 

 技術的な面で桜花と命には大きな差はない。差があるとすればその技術の運用方法で、それは戦闘スタイルの違う二人だから仕方のないことだ。千草は命と比べて武芸に秀でているとは言えない。千草の真価は状況の把握や気遣いにある。

 主神であり、父であり、想いを寄せているタケミカヅチは武術の師であり神だ。武芸においてその背中を追いかけるなど考えられもしない。

 

 誰かの背中に引っ張られる、その初めての感覚に命は戸惑わず引っ張られていった。

 

「アゼル殿」

「はい」

 

 数十分間命の猛攻撃は続いたが、やはり一度としてその木刀や拳がアゼルに直撃することはなかった。体力の限界を感じた命は一度アゼルから離れて構えを正した。

 

「もう体力の限界故、最後に本気をお願いします」

「分かりました」

「感謝いたします」

「いえ、こちらこそ、付き合ってもらってありがとうございます」

 

 その一言でやはり攻撃をしてこないで避け続けることが目的だったのだと命は理解した。何度か深呼吸をして呼吸を整えてから鋭い目付きでアゼルの動きを見る。

 

「では」

 

 そう言ってアゼルは一歩踏み出した。その踏み込みは桜花の時に比べると明らかに遅かったが、あの圧迫するかのような存在感がない所を見ると何かしらのスキルだったのではないかと命は後々思った。

 

「ハァッ!!」

 

 命も数瞬遅れて踏み込みながら袈裟斬りを繰り出す。しかし、木刀を振り上げて振り下ろすその一瞬の間、まるでコマ落としのようにアゼルが忽然と姿を消したのだった。

 

「――はい、終わりです」

「あだっ」

 

 アゼルは辺りを見回そうとする命を背後から木刀で頭を叩いた。力はまるで入っていなかったが突然の衝撃で無意識に痛がった命は漸く背後を取られていたことを理解したのだった。

 

 

 

「あの、アゼル殿」

「なんです?」

 

 稽古が終わり帰ろうとするアゼルを命は引き止めた。

 

「今日は、その、手合わせをしていただきありがとうございました」

「いえ、私の方こそ変な戦い方をしてしまいすみません」

 

 頭を下げて感謝する命にアゼルは申し訳無さそうに言った。命はそれに対して首を振り大変ためになる戦いだったと告げた。

 

「あれ程攻撃が当たらないことは初めてだったので、夢中になってしまいました……あれは何か仕掛けでもあるのですか?」

「仕掛けと言いますか。まあ、強いていうなら命さんの性格が真面目で剣筋が素直だったってことですかね。真っ直ぐで迷いがない分、とても流れが読みやすいです」

「な、流れですか?」

「ええ」

「流れとは?」

 

 その質問に唸りながらアゼルは答えを探した。未だ自分の中での明確に把握しきれていない概念を他人に説明するのはかなり難しい。かなりぼんやりとした答えしかできないだろうと先に忠告してからアゼルは答えた。

 

「意識、ですかね。相手の」

「相手の意識ですか?」

「ええ、相手が次はどのように動いてどのように剣を振るうのか。そして、それを私が回避したらどのように考えて対処するのか、と言ったことを感じ取るんです。そして、その意識の流れに逆らわず動くと言った感じです」

「は、はあ?」

「まあ、私もまだ模索中で良く分かってませんから」

 

 アゼルの言ったことを解釈しようと努力していた命は数秒すると諦めた。そもそもアゼルと命は両方共理論はではなく感覚派な部分が多大にある。お互い説明しろと言われてもできないことが多いだろう。

 諦めた命は質問を変えた。

 

「どのようにすれば、アゼル殿のように強くなれるのでしょうか?」

「……命さんは私の渾名を知っていますか?」

「は、はい【巨人殺し(タイタン・キラー)】、レベル1でかの階層主を討伐したと」

「それ以外にも、私は色々と死ぬような目に会ってきました。無茶をして、怪我を負い、命を懸けて、心配する人を傷付けながらずっと剣を振るってきました」

 

 悲しそうに微笑むアゼルを見て命は息を飲んだ。茜色に染まる街を背景にしているアゼルは逆光で暗く視界に映っていた。

 

「命さん、貴方には誰にも何にも譲れない何かがありますか?」

 

 地面に伸びるアゼルの影から、何か禍々しいものが覗いているように見えるほど影は濃く、まるで地面を蝕んでいるように命には見えた。既に振り返って帰ろうとしていたアゼルは、本能的に一歩後退る命を見ていなかった。

 

「私には、あります。ただ、それだけですよ」

 

 ここに来て漸く命はタケミカヅチがアゼルに入れ込む理由を理解した。アゼルは確かに人間だ。しかし、()()は人ではない何かだ。それが何なのか命には分からなかったが、恐ろしいものだということだけは身にしみるほど理解できた。

 

「譲れない、何か」

 

 その時少女が何を思い浮かべたのか、知るのは彼女のみである。しかし、優しくも残酷な想いは確かに彼女を強くする。命を懸けてでもするべきことがあるのだと、きっとその瞬間はいつかくるのだと命はアゼルを見て思った。

 




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あったら気軽に言ってください。

うむ、やっちまった感はある。
でも、これくらいオーバーなリアクションをする出来だということで。

ちなみに後1話で4章は終わりです。
その後幕間があるかもしれません(まだ何も考えてないのでないかもしれない)。
連日投稿は明日までになります。その後また書き溜めしてから5章も割と一気に行きたいと思ってます。

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