剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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自分であること

 リューさんが一体、私に何を求めているのか分からなかった。しかし、彼女の瞳はどこか必死で今にも壊れてしまうのではないかと思うほど儚く見えた。

 

「まずは私の身に起こった事をお話ししましょう。リューさんの血を吸って怪我が治った原因でもあります」

 

 私が話を切り出すとリューさんはやや不満そうな顔をした。どうやらどうしても知りたかった情報はこれではなかったようだ。

 

 それから私は彼女にことのすべてを話した。

 忍穂鈴音という鍛冶師との出会いと彼女の打ってくれた刀。その刀に宿っていた思念体であるホトトギスと、彼女に力を与えたフレイヤ。その力を初めて使ったゴライアス戦とその後立て続けに行われたティオナさんとフィンとの戦闘。その力が自分を蝕んでいることを知りながらも使うことを止められなかった自分は、リューさんに忠告された通りになっていたこと。

 その結果がこの前のオッタルとの死闘だ。

 

「私は、あの戦いの中で成ったんです」

「なった?」

「ええ、幾十幾百の年月を生き続けた怪異を受け入れ、私自身がホトトギスとなった」

 

 そう言って私は路地裏から見える細い空を見上げた。星々は輝き、月は美しく輝いている。しかし、私とリューさんでは違って見えているのかもしれない。同じ空を見上げても、本当は何か違うものが見えているのかもしれない。

 

「私は、人でなくなったんです」

「そんな」

「バカなことがあるか、と思いますか?」

「何かの《スキル》ではないんですか?」

 

 リューさんは私の話を聞いて、冷静にそう分析した。普通に考えれば、何かしらの《スキル》を習得すれば血を吸って回復することもできるだろう。それがどのような経験からくるものかは分からないが、説明はつく。

 

「いえ、詳細を見せることはできませんが私の【ステイタス】には吸血に関する《スキル》は一切ありません。ヘスティア様が私に情報を隠す理由はありませんし、そもそもまだ彼女には言っていません」

「言ってないんですか?」

「はい、まずはリューさんにお話しするのが筋だと思ったというか……いえ、違いますね」

 

 前に立つリューさんを見る。その瞳は、その記憶は、どのように私の剣を映しただろうか。そこに、彼女はいたのだろうか。私の本気の剣を、すべてを曝け出し恥も外聞も捨てただ斬るためだけに振るった剣を見たのは、相手であるオッタルと彼女だけだ。

 

「あの戦いを見た貴方に知って欲しかったんです。あの戦いを見た貴方なら分かってくれると思ったんです。私のために死んでいった、ホトトギスが本当にいたんだと」

「死んだ?」

「言いましたよね、私は人を斬ったと」

 

 泣きながら微笑んだ彼女の顔を思い出す。私を生かすため、生かして願いを叶えるためにその身を捧げた彼女は、最後に何を思ったのだろうか。いくら考えても私には答えが見つからない。私は私でしかなく、彼女は彼女でしかなかった。剣という繋がりを持った私と彼女は、しかし決定的にどこか違った。

 私はきっと自分を犠牲にしてまで誰かを生かすことはできない。その意味も、尊さも理解できない。どこまで行っても自分のための自分でしかいられない。

 

「私はこの手で、彼女を斬り殺したんです」

「しかし、それは幽霊のような存在です」

「そうかもしれません。でも、私は彼女と言葉を交わし、彼女の感情に触れた。私にとっては唯一の理解者でした。私にとって、彼女は紛れも無い人だったんです」

 

 彼女だけが私を理解し得る存在だった。誰にも理解されず、時には悲しまれ、時には気味悪がられる私を真に理解できる唯一の―――

 

「―――私の唯一人の仲間だった」

 

 その存在の発生から消滅までをすべて剣に捧げる、剣を志し、剣に生まれ、剣に死ぬ剣の徒。それが私達だ。心の中に燻ぶる想いを汲んでくれるのはきっと彼女しかいなかった。

 「斬りたい」と言って「そうね」と言ってくれる彼女がいるだけで私は救われた。

 

「でも、私は彼女を斬りました、殺しました」

 

 自分にとっての唯一であっても、自分のためならば私は斬れる。それは悲しく許しがたいことであると同時に私が私であることの選択に他ならない。

 頂を目指すと決めた瞬間から、もう刃を止めることなどしない。何を斬ろうとも、何に斬られようとも私の歩みは止まらない。

 

「だから」

 

 震える声でリューさんは呟いた。弱々しいその声は、ひんやりと冷えた路地裏のせいだろうか、一層細く今にも消えてしまいそうにも聞こえた。

 

「だから、戦うのですか?」

 

 俯いたまま、リューさんは自分の服を握りしめながらその言葉を絞りだすように発した。

 

「だから、斬るのですか?」

 

 彼女が何を思っているか私には分からなかった。しかし、肩を震わせ、服を握りしめ何かを堪えている彼女はいつもの凛とした雰囲気のリューさんではなく、今にも泣き崩れそうな少女に見えた。

 

「何故ですか……」

 

 一歩彼女は私に近付いた。覚束ない足取りで更に一歩。力無く、足を引きずるようにしてもう一歩。そして四歩目に彼女は前に倒れるように転んだ。私は殴られる覚悟でリューさんを受け止める。

 

「何故、貴方はそんなに強くいられるんですか!」

 

 それは悲痛の叫びだった。私の襟を掴みながら、まるで睨むように私を見上げる彼女の瞳には涙が溜まっていた。硬く、鋭く、しかし脆い刃のようだった。

 

「唯一人の仲間をその手にかけ、何故戦えるのですか! 泣きながら、怒りながら、憎しみながら、貴方は何故そんなに真っ直ぐでいられる!」

 

 嗚呼、彼女も私を理解はできない、そう思った。

 私は決して強くなどない。そもそも私が求めているのは強さではない。私の心が求めているのは剣だ。ただ一振り、最高にして至高の剣に至ることだけを目指しているのだ。

 だから、泣きながらも剣を振るい、怒りながらも剣を振るい、憎しみながらも剣を振るう。それだけが、頂へと至る道だからだ。何かを斬り、敵を知り、己を知り、研鑽し高めていくことだけが私のできることなのだ。

 

「殺したいほど怒っていたのに、涙を流したいほど悲しんでいたのに、何故貴方は剣士でいられるんですか……なんでなんですか……」

 

 涙声に力はなく、触れてしまえば砕けて壊れてしまいそうな彼女を私は抱きしめはしなかった。

 

「なんで……なんで私はこんなに弱いんですか」

 

 消えてしまいそうなその声は私に何かを求めた。何故、私は剣に生きるのか。何故、私は剣を振るい続けるのか。その答えを、その理由を彼女は私に求めた。

 それを教えることがどれだけ彼女に残酷で、救いのない行いか私は理解した。

 

「それは、私が私だからです」

 

 他人と触れ合うでもなく、他人と競い合うでもなく、何かを斬ることでしか己を知れない私だから。

 最初はその剣を振るう生き方しか知らなかった。何かに没頭できることを、何かに執着することを、己を高める喜びを、私は剣から学んだ。

 オラリオに来て、それ以外の生き方もあるのだと知った。ベルは出会いを求めて戦い、ヘスティア様は家族を大切にする、人それぞれ違った未来を夢見ている。そして、私は剣を振るい続けることを選んだ。

 付けられた傷も、流した血も、溢れた涙も、向けられた敵意も、味わった苦しみも、そして人を斬ったという罪すら糧にして一振りの剣と成す。そうしてすべてを斬り裂く存在になることを誓ったのだから。

 

「それじゃあ、私は……」

 

 弱いままだ、と言って彼女は泣いた。彼女の求める答えを私は持っていなかった。私の服を掴みながら、縋るように泣くリューさんを見て私は痛いほどに理解した。

 私は違う。私は人を斬って泣いたりしない。弱いからと嘆いたりしない。泣くくらいなら剣を振り、嘆くくらいなら敵を斬る。しかし、それは強いからじゃない。

 そう、そんなのは決して強さじゃない。

 

「リューさん」

 

 泣く彼女は返事をしない。もう、私の言葉は彼女に届いていないのかもしれない。最初から届いていなかったのかもしれない。それでも、私は言おう。

 

「私は強くなんてありませんよ」

 

 強いのではなく、違うのだ。

 考え方が、感じ方が、捉え方が、すべてが違う。もしかしたら、私は最初から人間じゃなかったのかもしれない。私の見ている世界は、他の人間が見ている世界とは違ったのかもしれない。

 ただ一人眺めていた景色は刃に映る鈍色のものだったのかもしれない。

 

 泣くリューさんを、私は抱きしめはしない。この手が握るのは剣で、この腕は剣を振るうためにあるのだから。抱きしめることなど―――できやしない。

 

 

 

 

 

 

「すみません……お見苦しい所をお見せしてしまいました」

「構いませんよ」

 

 数分間、リューさんは泣いた。いつもの凛とした雰囲気は消え、我慢しようとしても溢れてくる感情を吐き出すように彼女は泣いた。

 泣いた後、濡れた頬や目元を拭っていつものように話し始めた。しかし、その姿はどこか無理をしていた。

 

「リューさん、差し支えなければリューさんの話も聞かせてください。こんな私ですが、聞けば何か、リューさんの知りたい何かが分かるかもしれません」

 

 それはただの建前だった。私の事をリューさんが理解できないように、きっと私もリューさんのことを理解できはしないだろう。彼女の知りたい何かを私が知っている可能性はかなり低かった。それでも、私は彼女の話が聞きたかった。

 私は彼女の事が、彼女が私にぶつけた感情がなんだったのか、涙をなんのために流したのか知りたかった。

 

「そう、ですね」

 

 そう言ってリューさんは上を見上げた。月は話し始めた頃より少し傾き、路地裏は更に暗くなってきていた。

 

「上で話しましょう」

 

 リューさんは音もなく壁を蹴って建物の壁を越えて屋根へと登った。私も後に続いて屋根へと登る。路地裏から見る夜空と違って、高い建物がバベルくらいしかないオラリオの夜景は一面見渡す星空だ。

 

「こちらに」

 

 リューさんに手招きされて隣に座る。その横顔はどこか影が差していた。月明かりに照らされるその様は今にも壊れてしまいそうな程脆く、しかし美しかった。

 

「私は、昔冒険者でした」

「でしたってことは」

「はい、今は冒険者の地位を剥奪されギルドにも登録されていません」

 

 リューさんは目を閉じて語り始めた。冒険者であったこと、そしてその地位を剥奪されているということは、彼女が冒険者としてあるまじき行動をしたということだ。そもそも規律等が緩い冒険者界隈で冒険者登録を消されるには相当なことをしないといけないだろう。

 

「バーナムさんは要注意人物一覧(ブラックリスト)をご存知ですか?」

「いえ。でも、名前からして良くないものとは分かります」

「私は、その一覧に大量殺人の罪で載っています。懸賞金も一時期は懸けられていました」

 

 驚くことはなかった。前々から、彼女には何か暗い部分があるのは分かっていたことだ。しかし、それなら何故彼女が今もオラリオにいられるのか疑問に思えた。

 

「私が冒険者だった頃所属していたファミリアは【アストレア・ファミリア】。正義と秩序を司る女神アストレア様のもとで私はレベル4の冒険者リュー・リオンとして【疾風】の名で知られていました」

「レベル4……」

「迷宮探索の他にオラリオの秩序を守り、平和を乱す者を取り締まっていました。そのせいで私達を敵視する者は多くいました」

 

 予想外に高かったレベルに驚きながらも、彼女がフレイヤの血で暴走気味だった私に追いついた脚力を思い出した。

 

「【アストレア・ファミリア】はもう存在しないんです」

「リューさんがいるじゃないですか」

「私以外いません。仲間も主神も、すべてを失ったんです」

 

 自分の身体を抱きしめるようにして彼女は苦しそうにその言葉を吐いた。肩を震わせ、まるで寒がるように、何かを恐れるように殻に閉じこもった。

 

「敵対するファミリアに罠に嵌められ、一人また一人と死んでいきました。最後の最後に、私を庇って最も大切な仲間を失った私は……私は、耐えられなかったんです。冷たくなっていく身体を抱いて、虚ろになっていく瞳を見て、死ぬなと叫び、叫び続けて――助けられなかった」

 

 その光景を思い出したのか、リューさんはまた涙を一筋流した。月明かりに照らされ、流れ落ちる雫は良く見えた。温かいはずのその液体が、その時だけはいたく冷たく見えた。

 

「それから、私はアストレア様にことを伝えオラリオを去ってもらいました」

「まあ……正義の女神ですからね」

「それから起こることを彼女に見せたくはなかった。何よりも、私を見せたくなかった」

 

 ここまで教えられれば結末など予想できる。かつての仲間達と秩序を守り反感を買い、その仲間を失い、そして大量殺人とくれば、結末は一つだ。

 

「私は復讐心に取り憑かれ、そのファミリアの団員からその関係者まで全員を殺しました」

「その後は?」

「復讐を果たして、私は力尽きました。その時、私を動かしていたのは復讐心だけだったんです。終わってしまうと、もう私には何もなかった」

 

 自分の手を見ながら、彼女は何を思ったのか。正義を志しながらそれに反した自分を自虐的に笑っているようにも見えたし、幼子が泣きじゃくっているようにも見えた。

 

「何もない路地裏で、泥と血にまみれ私は徐々に冷えていく身体と狭まってくる視界の中――ただ怖かった」

 

 両手を重ねて握りしめながら額に当て背中を丸めて、リューさんは本当にその時の寒さを今も感じているように温かさを求めていた。

 

「私は、自分の志す正義に背いてしまった。見てほしくないからと主神から逃げてしまった。そして――そして『希望であれ』という仲間の願いを、裏切ってしまった。怖かったんです、感情に衝き動かされ、仲間を失い、家族を失い、生きる理由も目的も、叶えたかった願いも失った私には何も残っていなかった。空っぽで、寒くて、孤独で」

 

 彼女はどれだけのことを背負ったのだろうか。正義という信念を掲げ、守りたい仲間に囲まれ、仲間達の願いを受け取った。だからこそ、彼女は今苦しんでいる。なりたかった自分と、今の自分があまりにも違うから泣いている。

 

「そして、最後の最後に死ぬことすら怖くなった。それまで散々人を殺したというのに、私は!」

「リューさん」

 

 私が名前を呼ぶと、ハッと顔を上げて自分が声を荒げていることに気が付いた彼女は一度謝ると今までと変わらない静かな声でまた話し始めた。

 

「そこで私はシルに助けられ、ミア母さんをシルが説得して豊穣の女主人でウェイトレスをすることにしました」

「それでバレないんですか?」

「冒険者時代はずっと顔を隠して活動していました。ミア母さんに髪を染められ、リオンの名を伏せてしまえば誰も私を見つけられませんでした」

 

 話はこれで終わりです、と言うと彼女は目を開けて私を見た。涙で潤んだ瞳は、まだ何かを私に求めている。

 

「私は、あの時の願いを叶えていません。いえ、もう一生叶えられないでしょう、一生裏切ったままになるでしょう」

 

 『希望であれ』というその言葉は、私の『剣であれ』という誓いに似ている。しかし、その二つは明らかに違う。希望とは、個人の内側にあるものではなく他人がその人物をどう見るかの問題だ。剣は私の内にあり、他人がどう私を見ようとそれは変わらない。

 

「それでも、私はこの記憶に区切りを付けたいんです。裏切ったままでもいい、叶えられなくてもいい。私は彼等に心から別れをまだ言えていない。彼等の死に様を、最後の言葉をまだ夢に見るんです。笑っている彼等を夢に見たいといくら願っても見れないんです」

「……それが、私に強さを求めた理由ですか?」

「はい……貴方は人を斬っても狂わず、仲間を失っても壊れず、己を保っていた」

 

 しかし、その答えは彼女の問題を解決しない。私としては何ら特別なことをしているつもりなどないのだから、それを説明しろと言ってもできない。

 

「しかし、貴方は自分を強くないと言った」

「ええ、私は強くなんてありません」

「その理由を聞かせてください」

「なんと言いますか」

 

 人に己の心の中を話すのは、初めてだったかもしれない。そもそも口より剣で語ると昔老師に言われたほどだったし、心の中を話す機会など今までなかった。

 

「私の師は良く『人は強さと弱さを持って初めて強くなる』と言ってました。自分ではどういう意味か分かっていませんでしたが、最近はベルを見てなんとなく分かったような気もします」

「そうですね」

「私は、弱さを斬り捨てたんです」

 

 挫けて強くなると人は言う。しかし、私は挫けている暇があるなら剣を振るう。急がば回れと言われるが、私は道を切り開く。必要なことは手短にするし、やらなくてもいいことはできればやらない。恩や義には応えるが、それは剣士として当然のことだ。

 剣を握れと私の心は囁き続け、すべてを斬り裂けと心臓は脈打つのだから、私はただそれに従う。語られる英雄達のようにすべてを包み込み幸福へと導いていく強さではなく、最も原始的で分かりやすい暴力としての破滅へと導く強さしか私は持っていない。

 ああ、だからこれは人々の求める強さではない。

 

「私は()()強いだけです。それはリューさんの求めるものじゃないでしょう?」

「そんなこと、できるのですか?」

「できますよ、私は人じゃないんですから」

 

 あのオッタルですら崇拝する女神という絆を持つ。しかし、私は絆をすべて内へと向けた。私を動かすのはホトトギスとの誓いであり、心臓が脈打つのはその誓いを叶えるためだ。経験するすべてを内に蓄積して私は剣になる。

 

「私は……どうすればいいんでしょうか」

「私に聞きます? 私より、ベルに聞いた方が良い答えを貰えると思いますよ」

「……こんな話、誰にでもするわけではありません」

「それは……そうでしたね。失言でした、すみません」

 

 私が自分に起こったことを他人に話したくないように、いやそれ以上に彼女は自分の話をしたくないだろう。正義であろうとした自分が人を殺すほど憎むなど、普通は誰にも話したくない。

 

「でも、そうですね……私は私の目指すべき場所をただ愚直に目指しているだけです。私が生きている間に経験するすべてを私の糧として剣を振るい続けると誓いました」

 

 私にしてみればただそれだけのこと。それがホトトギスとの誓いであるという理由もあるが自分のしたいことをする。剣を振るうことが私を完全にするから、剣を振るうことが楽しいから私はそうする。

 ならば冒険者リュー・リオンはどうなのか。彼女は、本当は何がしたいのか。

 

 正しいとは何か、などという問答を彼女にしても意味はないだろう。正義を掲げるのだから、私より理解があるに違いない。

 正義とは結局一面的なものの捉え方でしかない。正義のためと言って悪人を斬ったとして、もちろんその悪人には家族がいる。その家族からしたら斬った人間は正義足りえるだろうか。

 だがリュー・リオンという冒険者はそれを承知で自分を許せていない。彼女の復讐は、ある人にとっては悪行となり、ある人にとっては善行だっただろう。しかし、そんな事実は彼女を慰めたりはしない。

 

 彼女が許せていないのは、仲間が死んだことで自分の中の正義を裏切ってしまった自分。死んだ仲間が最後に言い残した『希望であれ』という言葉に背いてしまった自分。

 

「だから、リューさんもそうすればいいんじゃないでしょうか?」

 

 彼女はどこまで行っても自分の正義を求め続けている。

 彼女が苦しむのは、一度正義に背いてしまった自分がまた正義を志していいのかどうか分かっていないからではないか。一度仲間達との約束に背いてしまった自分がまだその願いを叶えて良いのか不安だからではないか。

 

「私が喜びも悲しみも、痛みも快楽も剣の糧にするというなら、リューさんもそうすればいい」

「私も、剣を志せと?」

「ふっ、あはは。違いますよ」

 

 自分を許せないのは、自分を許してくれる人がいないからだ。だから、私は言おう。

 

「リューさんも、自分が今まで味わってきた苦悩や悦楽、これから味わう痛みや安らぎを糧にして正しくあればいい」

 

 肯定されるということが、理解されるということがどれほど安心できることか私は知っている。知っていても、それを斬れるからこそ私は自分が()()強いのだと思った。

 

「一度間違えた人が一生間違っているなんて、一度違えてしまった約束を二度と交わしてはいけないなんてふざけている」

 

 ああ、だから私が肯定しよう。

 

「私は思うんです。リューさんの正しくあろうとするその心こそが、貴方の正義なのだと」

 

 私がすべてを斬り裂こうと思う心こそが、私を剣にするように。ただ一つ、誰にも譲れないという想いがあればいい。

 

「『正義とは星のようなものだ』、私の師が言った言葉です。世界には数多くの英雄や勇者のお伽話がありますが、そのどれ一つとして同じ道を歩んだ者はいない。彼等には彼等一人一人に違った信念、正義があったのだと……見てください、こんなにたくさんある内の一つなのに、それを自分が否定してどうするんですか?」

 

 立ち上がり空を仰ぐ。夜もふけて月は傾き、白亜の塔を後ろから照らしている。輝く星々は、数えるのすら億劫なほど夜空に瞬いている。

 

「自分で自分を否定して、何になるんですか?」

「しかし、私は人を殺してしまいました……取り返しの付かない、一生この身から消えない罪を犯してしまいました」

「ええ、だから一生苦しみましょう。その苦しみを受け入れましょう。自分は人を殺しても、正義を貫いていくのだと言い張りましょう。誰に文句を言われても、否定されても言い続けましょう」

 

 私が、私を必要だと言ってくれる人を斬り捨てていくように。私を心配している人がいながらも、危険に向かって走り戦い続けるように。

 老師は僅かな失望を見せた。

 ヘスティア様は悲しそうな顔をした。

 リューさんは私を可哀想な人だと言った。

 だが、それでもいいと私は割りきった。

 

「それが、きっと自分を貫くということです」

 

 誰もがそれを求めるだろう、自分でいようとするだろう。しかし、それをどれだけの人が実践できるだろうか。私は剣を貫く、オッタルは女神の戦士であることを貫く、そして彼女も正義を貫く。

 長い沈黙の後、私と同じように彼女は立ち上がった。月を背にした彼女の表情はあまり見えなかったが、私には少し微笑んでいるように見えた。

 

「貴方は……貴方は非道い人だ」

「知らなかったんですか?」

「いえ」

 

 私も笑った。彼女がどう答えるか、彼女も笑うだろうこともなんとなく分かっていたから。

 

「知っていました」

 

 目の前にいる女性はもう冒険者ではない。仲間を失い、家族を失い、人を殺めた咎人で今はある酒場のウェイトレスをしている。だが、正義を志すウェイトレスがいたって別に誰も構わないだろう。いや、それこそ「居たほうが面白い」という人もいるかもしれない。

 

「バーナムさんが何故強いのか分かった気がします」

「いや、だから私は強くないですよ」

「いえ、貴方は強い。弱さを消せる人なんていません。きっと貴方にだって弱さはある」

 

 その空色の瞳は私を見ていた。宵闇の中、その瞳だけははっきりと見えた。その中に映る自分も、そんな言葉はいらないと思っている自分も見えた。

 

「貴方は人だと私は信じています」

 

 そうして、私はまた誰かを傷付けるのだ。人でなくなっていく自分を、人であると信じている女性がいる。最初から嘘であることなのに、彼女の真っ直ぐな目が本当にそうなんじゃないかと一瞬私に思わせた。

 だが、それはありえない。あの時の選択が、あの時の斬撃が私の行末を決めたのだから。

 

「…………」

 

 信じることは自由であるべきだから、私は答えない。そして謝罪もしないだろう。彼女が勝手にそう信じて、私が勝手にそれを裏切る。ただ、それだけだ。

 

「今日はありがとうございました」

「いえ、リューさんは命の恩人ですからね。まあ、そうじゃなくても相談には乗りますけど」

 

 一度お辞儀をして彼女は屋根の端へと歩いて行った。降りる前に一度振り向いて、今まで一度も言われていなかった言葉を言われる。

 

「おやすみなさい。またのご来店を、お待ちしてます」

 

 それだけ言って彼女は私の視界の中から消えた。私は、人と関われば関わるほど傷付いていく。それなのに関わることが止められないのは私がまだ人間だからだろうか。それとも、私がそれを必要としているからだろうか。

 人に囲まれ、人に想われ、それでも尚剣を振り続ける強さが必要だからか。傷付く度に自分を鍛え直し、至高に至るのが私の道なのだ。

 

 少し悩んだが、視界に広がる夜空に浮かぶ美しい月が忌々しく輝くのが鬱陶しく思考を中断して私は帰ることにした。

 こんな夜更けだというのに、月からの視線は私を捉えていた。




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