剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
ささやかな宴
ホームで
「一緒に食事に行くのも久しぶりな気がしますね」
「そうだね。というかアゼルは行き過ぎでしょ」
「つい足を運んでしまうんですよね」
料理は美味しいしウェイトレスも美人揃いだ、ベルも私が通ってしまう気持ちは分かってくれるだろう。私は行くときは長時間居座ってしまうのであまり誰かと一緒に行く気にはならないだけだ。
「それにしてもいいなー」
「何がですか?」
「アゼルの二つ名だよ!」
「ああ……【
「僕も、その、自分の嫌いじゃないけど……もうちょっと格好いいのがよかったなーって」
「まあまあ、次ランクアップした時に変わるかもしれませんし、あまり気にしないでいいと思いますよ」
それ以外にも【剣鬼】と【剣姫】の読みが一緒だというところにも羨ましがっていたが、それこそ私が決めた名前ではないのでなんとも言えない。
「そうだね、もっと頑張らないと」
「まあ、無理だけはしないように」
「アゼルには言われたくないなー」
「……それもそうですね」
ギルドに行けば誰がランクアップしたのかは掲示板に張り出されるので、ベルは一応私がランクアップしたことは知っていた。知ったのはつい最近だと言っていたが。しかし、その経緯はギルド側が意図的に隠していたので、私の口から話した。
人間驚くと表情がなくなるのだと私は知った。数秒遅れて叫び声を上げながら驚いたベルは、落ち着くと戸惑いながらも祝福してくれた。しかし、その表情にどこか影があることを私は見落とさなかった。
今も気にしていないようにしているが、やはりどこかぎこちない気がした。
「ベル」
「――見っけええええええええええええええ!!!!」
そのことについてベルに話しかけようとした瞬間、路地裏の小道から大通りへと合流した直後だった。大通りにいた数人の人影がこちらに物凄い勢いで振り向き大声を上げた。
「見つけたぜえ仔ウサギちゃん」
「住所不明のロリ神はこれだから困るぜ」
「じりじり追い詰めて息の根を止める……これが狩りか」
「息の根止めてどうする。ったく、この場合はハートを射止めるって言うんだ」
前を歩くベルに詰め寄るように大通りから数人の男神が現れる。その全員が控えめに言って変質者のように手をわきわきしながら近寄ってくるのでつい三角飛びで建物の上まで退避してしまった。
「しまった、一人逃げたぞッ!」
「待て、あっちはだめだ」
「え、あ、そうだったわ」
「取り敢えず目の前の兎ちゃんのハートをゲッチュしちゃうぜ」
「って、アゼルううう!?」
「あんな男放っておいて俺達と遊ぼうぜ兎ちゃん。楽しいこと教えてやるからよ」
「おま、それ完全にナンパだろ」
男神達の台詞で私が逃走を開始していたことに気が付いたベルは後ろを振り向いたが既にそこにいない私の名前を叫んだ。会話を聞く限り私を追うことは禁止にでもされているようだ。
「ベル頑張ってくださいね」
追ってこないのなら好都合なのでそのまま私は屋根を伝って目的地である豊穣の女主人亭に向かうことにした。
『かかれええええええええ!!!』
『助けてえええええええ!!!!』
ベルの悲痛の叫びは聞かなかったことにしたのは言うまでもない。【ステイタス】の恩恵を受けていない神に捕まることはないだろう。
目的地に知り合いがいるのが見えたので屋根から大通りへと飛び降りた。予定していたよりも遥かに早く着いてしまったが、話し相手がいればベルを待つ時間も退屈しなくてすむ。
「ぴゃっ」
「こんにちはリリ」
「あ、アゼル様?」
「すみません、驚かせてしまいましたね」
横に降り立つとリリは驚いて尻もちを付いてしまった。手を貸して立ち上がらせる。付いた砂を払いながら不満そうな顔をするリリを引き連れながら店内へと足を運ぶ。
「あのー、ベル様は?」
「神々に追われてるので遅れると思いますよ」
「やっぱりですか。ベル様のことだから顔を隠さずに外出するだろうとは思っていましたが……でも、何故アゼル様はこんなに早く着いたんですか? 注目度で言えばアゼル様の方が凄いはずです」
「さて、なんででしょうね」
自分にはまったく覚えがないので本当に分からない。しかしリリはそう思ってないらしく胡散臭い人を見る目をしていた。
「あ、アゼルさーん!」
店内に入るとすぐにシルさんが気付き手を振りながら駆け寄ってくる。鈍色の髪を揺らしながら駆け寄ってくるその姿はあざとかった。
「こちらですよー」
「ベルは少し遅れますよ」
「えええええええ!! なんでですか!?」
「怖い神々に追われているので」
「ぶー、こんなに可愛い女の子が待ってるのに……ベルさん非道いです」
「本人に言ってやってください」
「はーい」
席まで案内するとシルさんは仕事に戻っていった。この小さな祝賀会の参加者は私とベル、ベルのサポーターであるリリ、お世話になっているリューさんとシルさんだ。そのためウェイトレスである二人は仕事を休んでの参加になる。それまでにできるだけ仕事をしておくつもりなのだろう。
『おい、あいつ』
『赤髪の剣士。【ヘスティア・ファミリア】の【
『
『あんなこと信じてんのか? 流石に一ヶ月はねえって』
『でも神々が認めてるんだぞ? しかも話によるとレベル1でゴライアスぶっ倒したとか』
『ブハッ! それこそありえねえだろ』
周りの囁き声を聴覚が勝手に拾っていく。神会が終わった途端これである。フレイヤから贈られた名前と共に私がランクアップした切っ掛けであるゴライアス単独撃破にちなんで私は【巨人殺し】などという名前でも呼ばれるようになった。
ちなみにベルはミノタウロスを倒したことにちなんで【
『なんつったっけ……【
『確かに。良くロキは許したな』
『噂によると【剣鬼】はロキ・ファミリアと仲が良いらしい。巨人殺しってのも被ってるしな』
『じゃあゴライアスもそいつらに手伝ってもらったんじゃね? つうかそれしかないだろ』
『じゃあ、なんだ? 結局あいつはロキ・ファミリアの腰巾着ってことでいいのか?』
自分の二つ名を知ったのがまだ一時間ほど前だと言うのに、もうその知らせは街中に広がっているらしい。
「アゼル様も有名人ですね」
「のようです」
「あまり狼狽えていないのですね……アゼル様の狼狽える様を見たかったんですが」
「それは残念でしたね」
席に座りながらメニューを見て適当に飲み物を二つ頼む。
運ばれてきた果樹水で一度乾杯する。酒はベルが来て全員が集まってから飲むことにした。
「改めまして、ランクアップおめでとうございますアゼル様」
「ありがとうございます、まあランクアップ自体は結構前にしたんですけどね」
「まさか噂に聞いていたゴライアスを単独撃破した冒険者がアゼル様だったとは、リリも驚きましたよ」
それに、とリリは続けた。
「なんでも最近噂ではあの【
「オラリオには強い冒険者がたくさんいますからね」
「……はあ、そういうことにしておきます」
どれだけ追求しても私が喋らないことを察したリリは呆れながら話題を変えて世間話を始める。最近売値が上がっている素材の情報やあまり関わってはいけないファミリア等の話をすらすらするリリを聞き流しながら周りを見渡す。
色々なテーブルから視線を浴びるのは心地いいとは言えなかった。
「バーナムさん」
こちらを見ている輩に殺気でも飛ばしてやろうかと思っていると後ろから声を掛けられる。
「あまり変な気を起こさないでください。店の中でいざこざはご法度です」
「まだ何もしてませんよ」
「何かしようとはしていたんですね。何度も言うようですが、ここの店員はそういったことに敏感なので気を付けてください」
他のウェイトレスを見てみると数人がこちらをちらりと見ていた。
「分かりましたよ、リューさん」
「ならいいのですが」
そう言って彼女は私の横の席に座った。もう首に巻いていた包帯も取れ、痕も綺麗さっぱり消えていることに私は安堵した。そうしているとリューさんはおもむろに首筋を手で隠した。
「どこを見ているんですか」
「跡が残らなくてよかったと思っていただけですよ」
「本当にそれだけですか?」
「本当にそれだけです。噛みたいだなんて思ってませんよ」
「噛む? 何をですか?」
私とリューさんの会話を聞いていたリリが首を傾げながら質問してくる。事情を知らない人が聞いたら意味の分からない会話だったのだろう。
「な、なんでもありませんッ」
「は、はあ?」
狼狽えながら話題を無理矢理終わらせたリューさんを見てリリは更に首を傾げた。噛むという単語を発した私を睨むリューさんに対して小さく頭を下げて謝罪する。
「それはそうと、もう仕事はいいんですか?」
「私は自分の分は終わらせたので。シルはまだ掛かりそうですが」
「まあ、ベルも遅れるようですし丁度いいんじゃないですかね」
路地裏を走り回って男神達から逃げ惑っているだろうベルのことを想像する。後で感想を聞いておこう。神々に追いかけられるなど早々ある出来事ではないだろう。
「バーナムさん、つかぬことをお聞きしますが」
「はい」
「あの時の説明はいつしていただけるのでしょうか?」
「あー……いつなら空いてます?」
「少々確認してきます」
パーティーを組まずに一人で活動する冒険者である私に決まった活動日はない。気分次第でダンジョンに行くも行かないのも私次第ということだ。なので気にするべきはリューさんの予定である。
「アゼル様とリュー様は仲がよろしいんですね」
「そう見えますか?」
「デートのお誘いではないんですか?」
「違いますよ、むしろ説教になりそうな気がしますね私は。そういうリリは誘わないんですか、ベルをデートに」
「……ベル様はリリとデートするよりダンジョン探索の方が好きそうなので」
口を尖らせて不満を漏らしたリリを見て笑ってしまった。確かにベルはダンジョン中毒の節がある。それを言うと私は戦闘中毒の兆しがあるが。
「こう考えてはどうでしょう? ダンジョンに行くときは二人きりなのでデートですよ」
「あんな暗くてじめじめしてて危険な場所に行くデートは流石に嫌です」
「スリルがあるくらいがいいんじゃないですか?」
「アゼル様はデートに何を求めているんですか!?」
「死と隣り合わせの戦いとかですね」
「もうミノタウロスとでもデートしていてください!!」
ミノタウロス程度じゃ身の危険は感じません、と言いかけたが止めた。言ってもどうせ呆れられだけであるし、今日の祝賀会の主役であるベルの功績はミノタウロスの単独撃破だ。私とて少しは空気を読む。
「声が大きいですよバーナムさん」
「大声を出してるのはリリなんですが」
「リリに大声を出させてるのはアゼル様です」
店の奥から帰ってきたリューさんに注意される。リューさんがもう一度席に座った時背中に視線を感じて振り返る。そこにはこちらを見ているミアさんがいた。私が振り向いたことを確認すると壁に貼ってあるメニューの本日一番高い料理を指差した。
「そういうことですか……で、リューさん予定は?」
「突然で申し訳ないのですが、今晩でもいいでしょうか? ミア母さんにこの後の仕事はしなくていいと言われたので。どうしたんですか?」
「ははは、いえお気になさらず。今晩で大丈夫ですよ」
乾いた笑いをあげながら財布の中身を気にしだした私を見てリューさんは少し不審がった。
「アーニャさん、ステーキ一番高いやつお願いします」
「にゃ? オッケーにゃ!」
これから祝賀会であることは店員全員に知られていることだ。それを控えているというのに料理を頼む私をアーニャさんは疑問に思ったのだろう。リューさんも先程より更に不審がっていた。
「クラネルさんが来るまで待たないんですか?」
「……もう死ぬほどお腹が減ったので」
まったくもってそんなことはなかったが言い訳をしておいた。私の対面に座っていたリリは私とミアさんのやり取りが見えていたのだろう。彼女はこう言った。
「このお店のシステムってちょっとおかしいですよね」
完全に同意しながら私はコップを傾けて果樹水を一気に飲み干した。
■■■■
アゼルがステーキを頼んでから数十分程するとベルは疲れ果てた様子で豊穣の女主人亭へと入店した。シルが大声でベルの事を呼ぶものだから周りはアゼルの時と同様信じられない短期間でランクアップを果たした冒険者であるベルのことを噂し始める。
多数の視線を受け、自分のことを噂される事に慣れていないベルはいそいそと祝賀会の席までやってくる。
「もー、ベルさん遅いですよー」
「す、すみませんシルさん。なんか神様達に追い回されてしまって……」
「ランクアップした冒険者の宿命、だそうですよ」
「ってもう食べてる!? と言うかアゼル僕のこと見捨てないでよ!」
ステーキの最後の一切れを頬張るアゼルを見て驚くベル。続けて自分を見捨てたことを抗議するがアゼルはそれを聞き流しながら座ることを勧める。
「さて、では全員揃ったことですし!」
ベルが来て真っ先にハイテンションになったシルが立ち上がり酒の入ったジョッキを掲げる。
「ベルさんとアゼルさんのランクアップを祝って!」
「「「「「乾杯!」」」」」
シルは座ると直ぐ様ベルに料理を取ってあげたりと世話を焼き始める。ベルも頬を染めながらシルの給仕を受け入れ、シルは調子に乗って料理を食べさせようとフォークに刺して差し出す。
「さ、流石にそれは!」
「いいじゃないですか、今日の主役の一人はベルさんなんですよ。ほら、あーん、してください」
「い、いえ、あの」
「べ、ベル様! これも美味しいですよ!」
「え、ええ、アゼルも主役だし、アゼルにもやってあげてよ!」
「アゼルさんにはリューがやりますから」
「やりません」
そして対抗するようにリリもフォークを差し出す。両側から口を開くことを強いられているベルは斜め前に座るアゼルを巻き込もうとしたがリューによってばっさりと斬り捨てられた。
「モテる男は辛いですねベル」
そしてアゼルにもにべもなく見捨てられた。最終的にシルとリリのあーん攻撃に負け、ベルは周りから殺気を浴びながら料理を食べさせられることになった。目の前に座っていたアゼルは声を抑えて笑っていたが。
「バーナムさん、お注ぎしますね」
「ありがとうございます」
ジョッキが空くとすかさずリューが麦酒を注ぐ。今までは頼まないと注いでくれなかったが、今日は祝賀会の席でアゼルが主役の一人だからだろう。
「ああ……やっぱりリューさんに注いでもらうと美味しい気がします」
「……」
「ほら! 言った通りでしょリュー」
アゼルの発言に横から素早く反応したシル。それでもリリとのベルを懸けた戦いを中断しないあたり筋金入りのベル好きだ。
「言った通り?」
「な、なんでもありません。気にしないでください」
「まあ、いいですけど」
若干狼狽えながら言及しないよう言うリューに対してアゼルは素直に従う。リューにお酌をしてもらえれば何でもいいと言った風のアゼルを見てリューは僅かに頬を染めた。
「そう言えばバーナムさんは今後どうなさるおつもりですか?」
「どう、とは?」
「あんな事があった直後ですから、身体の調子を見てみたりする必要があると思います」
「ああ、当然しますよ。他にも色々確かめたいこともありますしね。まあ、でも早急に片付けないといけない問題は、武器ですかね」
「あ……そういえば、折れてしまいましたね」
リューなりにアゼルの事を心配しているのだろう。人の血を飲むようになってしまった知り合いを気にするなと言う方が無理な話だ。
「え? アゼル刀折っちゃったの?」
「ええ、だから明日は鈴音に会いに行くつもりです」
「そっか、鈴音さん元気?」
「最近会ってないような……元気だと、思うんですけど。ちょっと心配ですね」
一つのことに没頭して明け暮れる人種としてアゼルと鈴音は同種だ。アゼルであれば疲れて倒れるまで剣を振るうことが多々あったので、鈴音も倒れるまで鍛冶をしてしまう可能性は大いにある。
「明日ですか!?」
「え、ええ。そうですけど、どうしたんですかリリ?」
「ベル様が明日装備を新調するために買い物に行かれるのですが。不肖リリは用事があって同行できないのです。そこでアゼル様に同行していただければと思っていたのですが」
「私! 私が行きますー!」
「そうしないと、シル様が付いて行ってしまいそうで」
機嫌良さそうに手を上げて立候補するシルは近くまでやってきたミアに叩かれて同行を断念せざるをえなくなった。リリも安心してベルを一人で買い物に行かせられると安堵した。
通り過ぎる時にミアはアゼルを一度見て、付いて来いとアイコンタクトを送った。アゼルも敏感にそれを読み取って席を立った。
「少々お手洗いに行ってきますね」
アゼルの言い訳は鉄板であった。
「ねえねえ、アゼルさんってどのくらい強いんですか?」
「え」
シルがなんとなく口にしたその疑問に、ベルは答えることができなかった。最近手合わせはしていなかったし、そもそも何と比べればいいのか分からなかったからだ。
「うーん、少なくともそこいらのレベル2冒険者を軽く凌駕する実力はお持ちのはずですが……」
「だ、だよね。ゴライアス倒しちゃうくらいだし……」
「これについては、リュー様が一番お詳しいのではないでしょうか?」
「いえ、私は何も」
いきなり話の矛先が自分に向けられて一瞬戸惑ったものの、リューの返答に迷いはなかった。リュー自身、未だに三日前見た戦闘を受け入れきれていないのでどう表現していいか判断が付いていない。
「しかし、先日負傷したアゼル様を地上までお連れしたのはリュー様だとお聞きしました」
「それは、そうですが」
「私も聞きたいなー。ねえリュー、教えてよー」
酔っ払ったシルは自分が押せばリューは折れてくれると自覚しながら質問を続けた。そして、予想通りリューはシルの質問に渋々ながら答えた。
「あまり的確に表現はできませんが」
「うんうん」
「バーナムさんの剣は」
耳を寄せて続く言葉を聞こうとするシルとリリを見ながら、リューはアゼルの剣を思い出した。芸術の域に届きそうなほど鋭い剣閃、恐ろしく洗練された剣と向き合うその姿勢。一切の迷いも躊躇もない揺るがない剣戟。見ている人間に、振るっている人間の感情が伝わるほど純粋な剣技。
あれは――
「人の域の越えていた、ように思えます」
「つまり、どういうこと?」
「つまり、恐ろしくお強いということです。結局何も分かりません」
「……クラネルさん、一つお聞きしていいでしょうか?」
今まで会話に参加していなかったベルにリューは視線を向ける。
「バーナムさんの師はクラネルさんの祖父だとお聞きしています」
「は、はい、そうです」
「貴方の祖父は、何者ですか?」
「え、えっと、何者と言われても。物語が好きなだけの、普通の人でしたけど」
「それは――」
ありえない、と言いそうになったがリューはその言葉を止めた。ベルが嘘を吐いているようには思えない。少なくとも、ベルにとって祖父はそのような人物であっただけだ。
「いえ、変な事を聞いてしまいましたね。クラネルさん、コップが空いてます。どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
「あああ! 私が注ぎたかったのに!」
(すべては今晩、本人から聞けば分かることです)
文句を言うシルをよそにリューは今晩の話し合いのことについて考えを巡らせた。
祝賀会に参加している他のメンバーを残して席を立ったアゼルは、当然ながらトイレには向かわなかった。カウンターまで近づくとミアがこっちにこいと指でカウンターの奥を示し、店員用の作業用通路に連れてこられた。
「ミアさんに呼ばれるのは初めてですね」
「あたしもここに人を呼ぶのは初めてさね」
ドワーフであるはずのミアだが、その身長はアゼルより幾分か高い。体格もアゼルより数倍いいので、どう見てもこれからアゼルが暴力を振るわれるようにしか見えない。
「この前はリューが世話になったみたいだね」
「いや、世話になったのは私の方ですよ」
「まあ、あんまり詳しいことは聞いてないんでね」
「命の恩人ですよ」
アゼルもリューがミアに事情をある程度は説明しているだろうことは予想できていたので、驚くことなく会話をする。
「まあ、それで……最近あの子の様子がちょっとおかしいんでね」
「おかしい?」
「時々ボーッとしてたり、今朝は服装と髪が少し乱れていたし」
「よく見てるんですね」
「当たり前だろう、うちの大切な子達だよ」
「で、それについて私が関係していると?」
当然だろう、と言ってミアはアゼルに疑いの目を向ける。アゼルも心当たりがありすぎるので冷や汗をかきながら何を言おうか迷っていた。しかし、ミアは別段そのことを咎めるつもりはなかった。
「まあ、何が言いたいかというとさね」
「は、はい」
何を言われるのかと恐る恐る返事をするアゼル。
「あの子達にちょっかいを出すのは構わないんだけど」
一度呼吸を入れてからミアは身体が震えるほど低く、ドスの利いた声で言った。
「――傷付けたら、あたしゃアンタを殺しちまうかもしれない」
最早殺気を向けられている気分になったアゼルは、しかし恐れることなど一切なくむしろその威圧感を楽しんでいた。オッタルに届かないまでも、決してそこらの冒険者が出すような威圧感ではない。
「つまり、傷付けるなら死ぬつもりでしろってことですか」
「……あんたねえ、そこは女性は傷付けませんって言っておくとこだろう」
「善処はしますよ」
話はこれだけと判断したアゼルは踵を返して通路から出ようとする。その背中にミアは最後に一言投げかけた。
「忠告はしたよ」
「……ミアさん、私は手段を選びません。自分のためと思えば平気で嘘も吐きますし、人も斬ります」
その発言を聞いたミアから今度こそ殺気が放たれる。廊下が軋み、両方とも武器を持っていないというのにそこはまるで戦場のような雰囲気になる。
「それでも」
殺気にあてられることなく、アゼルは自分の手を見る。
「それでも、こんな私を助けてくれたリューさんを傷付けたくないとは思ってます」
「……その言葉、忘れるんじゃないよ」
手を振ってどっか行けと指示するミアに従ってアゼルは通路を後にした。
「末恐ろしいガキだね」
自分の殺気を何でもないように受け流したアゼルを見てミアも少し冷や汗をかいていた。冒険者としてのレベルなど関係なく、飄々としている姿は禍々しさすらあった。だが、人間誰しも暗い感情や過去がある、それを知らない酒場の女将ではない。
結局、ミア・グランドにとってアゼル・バーナムは酒場の客でしかなかった。
当然店内で女将が殺気を放てば店員は全員気付く。そしていち早く反応したのは猫耳の少女であった。
「なんにゃ、なんにゃ? 娘さんを俺にくださいって言ってきたんかにゃ?」
「アーニャさん、尻尾斬りますよ」
「にゃっ!?」
そんな会話があったとかなかったとか。
■■■■
「……嬢ちゃん、そんなに俺達は頼りねえかい、そこのカスみたいなクソガキよりよぉ?」
ミアさんに呼び出されて、言った通り一度お手洗いに行ってから席に戻ると不穏な空気が漂っていた。ガラの悪い男性冒険者が三人席の周りにいて、その一人は今にもリューさんの肩に触れようとしていた。
後で聞いた話だが、なんでもベルをパーティーに入れてリューさんやシルさんに接待をしてもらうのが狙いだったようだ。
「あ?」
私は触れそうになったその手を掴んだ。自分のためでもあるし、リューさんのためでもあるが、何よりも目の前の冒険者のために掴んだ。
「何だてめえ?」
「そこ、私の席なんですよね」
離せ、と言われて手を振り払われながら私は自分の席を指差して目の前の男が邪魔であることを伝える。
「後、エルフの方には許可無く触れない方が身のためですよ。まあ、私が言っても説得力ないですけど」
許可無く肌に触れるどころか首筋に噛み付いた自分は本来であればリューさんに記憶がなくなるくらい殴られていてもおかしくないだろう。
「ハッ、てめえ【剣鬼】だろ? ロキ・ファミリアの腰巾着が調子に乗ってんじゃねえぞ、あぁ?」
「もうその名前も定着してるんですか……」
ヒソヒソと言われていた内容が既に名前として定着しつつあることに驚きながら溜息を吐く。まったくもってそんな事実はないが、ロキ・ファミリアにお世話になっているのは間違いないので完全に否定することはできない。
「リューさんに釘を刺されたばかりなんで、あまり荒事にはしたくないんですが」
「ハッハー! 聞いたかよ、こいつぁとんだ腰抜けだぜ! どうせテメエもそこのクソガキもセコいことしてランクアップしたんだろ?」
「黙れ」
男の謂れのない言葉に先に怒りを露わにしたのはリューさんだった。男を睨みながら微かに殺気が漏れ出ていた。
「まあまあリューさんも落ち着いてください」
「しかしッ」
そう言って私は無意識にリューさんの肩に手を置いた。
「「「あ」」」
次に起こることが予想できていたベル、リリ、シルの三人は揃えて声を漏らした。私も内心では自分の失敗を叱咤した。
しかし――
「……いえ、そうですね」
そう言ってリューさんは肩に置かれた手を払うことも、ましてや私を叩くことなくその怒りを収めた。
「めでたい席に荒事は良くありませんね」
「わ、分かってもらえて何よりです」
心の中で驚きながら、私はなんとか返事ができた。私が叩かれるだろうと思っていた他の三人も驚きを隠せていなかった。シルさんだけは少し笑っていたが。
「まあ、そういうことなので今日はこれくらいにしませんか?」
「おいおい、エルフは認めた相手以外触れさせないとか聞いたことがあったが、あれは嘘だったのかあ? こんなガキが触れていいなら俺だっていいだろ? なあ?」
「いや、貴方はだめでしょう」
自分でも何故、触れても何もされなかったのか分かってはいなかったが、目の前の男に触れられたらリューさんが何かするだろうことは理解できた。
「ああん!? 何だとこの野郎ッ!!」
私の発言で堪忍袋の緒が切れたのか、男は振りかぶって殴りかかってくる。しかし、その動きは緩慢で避けてくださいと言わんばかりの攻撃だった。
「もう、面倒くさいですね」
そう言って私はそのパンチを避けて、男のベルトに指を走らせた。パサリと緩まったズボンが地面に落ちるが、男は酔っ払っていてそれに気付かず殴ってくる。
「避けるんじゃねえ、この腰抜けが!!」
「お、おい!」
「なんだ、あん!」
後ろに控えていた仲間の男に呼び止められてやっと攻撃は止む。仲間が指で下を差し、男も漸く自分の下半身が露出していることに気が付いた。
「なっ、いつの間に! てめぇ!!」
そして酔っ払っているせいで思考が正常にできていないのだろう、更に怒り殴りかかってきた。もうこれ以上事を大きくしたくはないので、拳を避けて脚を引っ掛けて男を転ばせる。
「次はその下着を斬り刻んでもいいんですよ?」
「ああ!? やってみろ、テメエにそんなことできると」
「ま、待てって。いや、すみませんでした。こいつちょっと酔ってて」
「はあ……早く連れて行ってください」
男の仲間が男を助け起こし、拘束しながら引きずって席へと戻っていった。それだけ言って私は席へと戻る。するとシルさんがジョッキを差し出してくれた。
「お疲れ様です」
「まあ、めでたい日って言うのは総じてああいった人がいるものです」
「僕ひやひやしたよ、アゼルがいつあの男の人殴り飛ばすのかと思ってた」
「流石の私も言われた当日に荒事はしませんよ」
「そう言えばさっきミア母さんと何話してたんですか? 殺気飛んでましたよ。あ、やっぱしリューを俺にくださいってやつですか!?」
「ええ!? そうなのアゼル!」
アーニャさんと同じことを言うシルさんに溜息を吐く。そしてその発言を鵜呑みにしてしまうベルを見てリリがいなければベルが何度騙されているのだろうかと考えてしまった。
「アーニャさんと同じこと言わないでくださいよ。普通に話してて、私が地雷を踏んでしまっただけですよ」
「地雷? ミア母さんに地雷な話題なんてあったっけ」
「年齢」
「……それは女性なら誰でも聞かれたくない話題ですね」
私の言葉に納得してくれた面々を見て安心した。そして、隣に座るリューさんを一度見る。自分の手を眺めて何故、私が肩に手を置いた時に振り払わなかったのか不思議そうに眺めている。皆そのことについて聞かないのは、そのせいだろう。
「さ、まだまだ飲み物も食べ物もありますから、じゃんじゃん騒ぎましょう!」
そう言ってシルさんはまた乾杯を求めてきた。祝賀会は夜がふけ、シルさんが酔いつぶれるまで続いた。
月が夜空に浮かび、路地裏を僅かに照らす。豊穣の女主人亭の裏口につながっている路地裏で私はリューさんを待っていた。明日も仕事のあるリューさんを夜遅くどこかに連れて行くことはできないので、話はここですることになった。
「お待たせしました」
「いえ、気にしないでください。後片付けもあったんですし」
律儀なリューさんはしなくていいと言われていても自分たちが飲み食いした分の片付けはすると言い、片付けをしていたのだ。
「では、何からお話ししましょうか」
月夜の照らす路地裏で、その空色の瞳は私を見ていた。何か答えを求めるように、子供が親に分からないことを聞くときのような目だった。
閲覧ありがとうございます。
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