剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。ちょっと遅い挨拶になってしまいました。


ホトトギス

 もう抑えることのできなくなった戦闘本能に従い、最速の一刀目を繰りだす。今までにない疾さで放たれたその斬撃を、オッタルは難なく片手で持った大剣で対応した。

 軽々と、まるでなんでもないかのようにその斬撃はいなされた。

 

「らあああああッッ!!!」

 

 そしていなされた方向に流れるようにして身体を回転させながらもう一度斬撃を放つ。その剣戟もオッタルは易易と弾いた。

 ペースなど考えず、取り敢えず自分の全力をもって猛攻をしかける。反撃をする暇など与えなければいい。否、そんなことよりも今は斬りたかった、それだけだ。

 しかし、どの斬撃もオッタルはいなし、弾き、避けて掠りすらしない。

 

「ハハハ、アハ!」

 

 強い、強すぎる。流石はオラリオに君臨する絶対強者、すべてを見下ろすことを許された最強の傑物。どれほど戦えばそこまで到れるのか、どれほど極めれば呼吸をするかのように剣をいなすなどという絶技を扱えるのか。まったく、底が見えない。

 自分でも強くなったと思ったが、今の私でも未だ力量を測る場所にすら至っていないという事実が嬉しかった。だからこそ越える価値がある、斬り殺す価値がある。

 

「随分強くなった。だが、まだ足りんな」

 

 いつの間にか、本当にその言葉しか出てこなかった。オッタルは大剣を振り上げていた。まるでゴライアスが拳を振り下ろす瞬間を前にしたような光景に見えた。もちろん、オッタルの方がゴライアスより何倍も恐ろしく感じた。

 

「避けてみろ」

 

 瞬間、理性ではなく本能で横に跳んでいた。自分がその事実に気付くのが跳んだ後だったのだから、自分でも驚く。

 鼓膜を破るような破壊音が轟き、破壊された床が粉塵となって視界を遮る。その中を暴風の如く大剣が横薙ぎに通り過ぎる。粉塵は剣圧で吹き飛ばされ目の前の獣人の姿があらわになる。

 

「シッ!」

 

 その一撃をしゃがんで回避し、足元を狙ってホトトギスを薙ぐ。オッタルほどの巨体になると足元の対処は他の箇所より難しくなるはずである。

 

「ふんッ」

 

 しかしオッタルは刃が足首に当たる直前、足を浮かせて刃を避けすぐに降ろした。刃が踏まれ攻撃は失敗に終わり、自身の考えが甘かったことを痛感する。

 オッタルは身体のどこであってもその反応速度が鈍らない。弱点が見つからない。

 

 踏まれた刀がまるで大重量で押さえつけられているようにびくともしない。次の攻撃が来ることを予見した私は泣く泣くホトトギスから手を離し後退した。

 

「どうしたらそれほどまでに強くなれるというのか」

「ただ一つを信じ、あのお方のお役に立つため己を高めたまでだ」

 

 再びオッタルが大剣を構える。その姿が、どこか自分に似ているように思えた。愚直なまでに何かを信じ、そのために斬り捨てていく自分に。

 

「ああ、貴方も私と同じだったか」

 

 笑みが深まる。自分が斬るべき男は、私と同じ異常者なのだ。一つの出会いを切っ掛けに人道を外れ、ただ一つのことのために歩んできた求道者だ。誰のためでもない、己のためでもない、ただその目的のため力を高めてきた狂信者なのだ。

 だからこそ道は交えた。だからこそ私たちは刃を交えて殺しあう。

 

『私を呼んでアゼル』

 

 脳内にホトトギスの声が響く。そして、オッタルのすぐ後ろに落ちているホトトギスを見る。今まで刀を手放したことがなかったから分かっていなかったが、どうやらホトトギスは離れていても意思疎通ができるようだ。

 

『来いと願って』

 

 なんの疑いもなくその言葉を実行する。

 

(来い、ホトトギス)

 

 呼びかけると横たわるホトトギスが僅かに震えた。幽霊によって不自然な物理現象が起こるというのは良く聞く話だが、自分でそれを起こすことになるとは思ってもいなかった。

 

(来い。私の手に来い。貴方が収まるべき場所へ)

 

 手を伸ばす。強く、その刃を願う。ホトトギスが音もなく宙に浮き、その刃をオッタルへと向けた。

 

(来いッ!)

 

 そして私は駆け出す。同時に宙に浮いていたホトトギスがオッタルの心臓を目掛けて撃ち出される。

 

「ッ!」

 

 オッタルはその一撃を大剣で背中を守り弾いた。しかし、その時私は既に彼の懐に入っていた。弾かれたホトトギスが不自然な軌跡を飛びながら私の手元へと届く。

 そしてオッタルの首を刈り取るために振るう。

 

「武器が独りでに動くとは、お前はよく私を驚かせるアゼル・バーナム」

「その割に表情が驚いていませんが」

「戦闘中にそのような感情は不要。だが、まさか私に傷を付けるとはな」

 

 しかし、その斬撃もオッタルは避けた。今までよりも更に動きを速くしてぎりぎりのところで首を逸らして後方に跳んだ。

 傷を付けたと聞いて一瞬分からなかったが、よく見るとオッタルの首から血が流れていた。

 

「この刃、貴方に届きましたか」

「ああ。油断していたつもりはない。そのような言い訳はしない」

 

 それはこちらの台詞だと思った。次の瞬間、目の前にオッタルがいた。油断などしていなかったつもりだ。相手の行動を見逃すことのないように注視していたはずだ。

 それでもオッタルという男はその上を行く。冒険者として最高位にあるその並外れた【ステイタス】とそれを十二分に活かすことのできる技術の数々。オッタルという最強は冒険者としても、武人としても人の域を越えようとしている。

 相手の目線や呼吸、思考まで読み、意識と意識の間を縫う。それが実際にできる武人はどれほどいるだろうか。

 

「故に敬意を持って、全力で相手をしよう」

 

 突然現れたかのように目の前に大剣を横薙ぎに振るうオッタルがいた。それを認識した瞬間しゃがんで刃を避ける。頭上を嵐が通りすぎたかのような暴風を感じながら戸惑うことなくオッタルの懐へと飛び込む。

 自分の中に後退という二文字はなくなっていた。後退した瞬間オッタルの大剣が容赦なく私の命を刈るイメージしか浮かばない。だから攻める。

 

(もっと)

 

 まったく速度も鋭さも足りていない。

 

(もっと鋭く)

 

 攻撃を避けるための動体視力が足りていない。

 

(もっと疾く)

 

 オッタルとの攻防についていくための身体能力が根本的に足りていない。

 

(もっと、力を)

 

 だから心は力を渇望する。際限なく、目の前の男に追い付けと心が願い、目の前の男を斬れと心臓が脈打つ。

 

(力が欲しい、誰にも負けない、最強を下せるだけの力が)

 

 意識が銀色に染まっていく。目の前の男を倒せという想いだけがこの身体を動かし始める。そこに思考など不要であり、私の考えとは関係なく刀が振るわれていく。

 だんだんと意識が溶かされ薄れていく。

 

 それでも、その時私は力が欲しかった。

 

 

■■■■

 

 

 オッタルという男は他者の追随を許さない程強い。身体的にも精神的にも、そして冒険者としても最強を誇る。故に彼は【猛者(おうじゃ)】と呼ばれる。

 天下無敵の女神の戦士。しかし、だからこそ彼は孤独であった。自身が敬愛する女神のために戦うことは確かに至福であった。だが、それは男としてであり武人としての彼には潤いを与えなかった。

 

 相手がいないのだ。

 

 天下無敵故に誰にも挑まれず。天下無敵故に誰ともぶつかりあえず。オッタルという武人は燻っていた。オラリオで最強の冒険者と呼ばれる彼が何に燻ぶる必要があるのかと人は問うだろう。しかし、彼にとっては当然のことである。

 武人として、他者と戦い高めていくことこそが生き甲斐であったのだから。確かに、女神の寵愛はこの世で最も心地いいものだ。それでも、彼は望まずにはいられなかった。

 

 そして彼は見つけた。他のことなど投げ捨ててでも自分と戦うであろうその男を。

 

 だからこそ、オッタルは目の前の男に落胆し失望した。

 

「ガアアアアアアアッッ!!」

 

 仲間から聞いた話では瞳が銀に染まっていたらしい。しかし、現在は髪までもが銀色に染まり、より色濃くフレイヤの面影を映し出していた。

 しかしてその表情は獣のように猛々しく、その戦い方も剣士というより狂戦士のようだった。そこに剣技などなく、ただ身体能力に物を言わせて斬りかかってくるだけの獣だった。

 

「……飲まれたか」

 

 確かにその驚くべき身体能力はオッタルに届きそうですらあった。しかし、視界の中を駆け巡る銀の獣にオッタルは脅威を感じない。同じ技量の相手、己に追随する身体能力の相手は幾度と無くしてきた。今のアゼルは彼等と同類であった。

 

「しかし、これもまたあのお方の望み」

 

 以前のアゼルに感じた底の知れなさや得体の知れなさは微塵も感じられなく、目の前にいるのはただ強いだけの冒険者になっていた。

 アゼルが放つ神速の斬撃を、オッタルもまた神速で捌いていく。ぶつかり合う刀と大剣はただ火花を散らすだけであり、仲間から聞き及んでいた切断による武器破壊など起こる様子もない。

 

(お前はもうそこにいない)

 

 仮にも素手で自身に傷を付けた相手が、刀で武器を斬れないわけがない。アゼルは劣化してしまっているとオッタルは結論づけた。目の前の男は以前自分が叩き潰した剣士ではなくなった。

 であるならば、オッタルが長々と時間を掛けて戦い楽しむ必要などどこにもない。

 

「殺してやろう。これ以上その無様な姿を晒さぬように」

 

 同じ武人として、技なき剣など滑稽でしかなく、力に飲まれ振り回される様は無様でしかない。故に終わらせる。その生と死にも、オッタルの敬愛する女神を楽しませたという功績ができるのであるから、敬意を持って無慈悲に潔く殺す。

 

 向かってくるアゼルに大剣を振り降ろす。アゼルはそれを避けるでも逸らすでもなく、真正面から刀で受け止めた。火花が散り、刃は傷付く。やはり、ただ向かってきた刃を受け止めるだけのその戦い方はアゼルらしくなかった。

 しかし、留まる所を知らないその身体能力でアゼルはオッタルの一撃を受け止め弾いた。間髪入れずオッタルは拳を振るう。アゼルもその拳に対して自分の拳をぶつけた。しかし、体格も力も劣るアゼルが負けることなど目に見えていた。アゼルは石ころのように吹き飛ばされ壁へと激突した。

 

「最早剣士であることも捨てるか」

 

 以前のアゼルであれば、己が剣士であるという絶対の信念故に、帯剣状態で拳など決して使わなかっただろう。避けて剣戟を繰り出すか、突き出される腕を斬り裂こうとするかしただろう。

 

「私の一撃を受け、なお立ち上がり私を斬り裂こうとしたお前はもういない」

 

 壁に激突してから動き出そうとしないアゼルにオッタルは歩いて近づいていく。

 

「私が恐ろしいと感じるほどの何かを秘めていたお前はもういない」

 

 絶対強者はまた一人佇むことになる。下から自分の首を求めて駆け上がってくる挑戦者はいなくなり、また一人景色を眺めるだけの日々がくる。

 

「お前は、もう死んでしまった」

 

 武人は武がなくなってしまった時人になるのではない、武人は人となるのではなく武人として死ぬのみである。

 激突したことでできた穴の中で動かなくなったアゼルを静かに見下ろすオッタルは、大剣を振り上げてその首に狙いを定めた。

 

「つまらぬものだな、死人を殺すというのは」

 

 そして音を置き去りにしながら大剣は振り下ろされる。誰にも止めることのできない、命を刈り取る一撃が放たれた。その一撃でアゼルの首は斬り落とされ絶命する。

 

 そのはずであった。

 

 刹那、刃がぶつかり合う音が大きく響いた。

 

「非道いですね、死人とは」

「――――ふっ」

 

 その大剣の一太刀は、血のように赤く染まったアゼルの手によって止められていた。その接触部分からは火花が散り、刃と刃が交わる金属音が響く。

 

「ハッハッハッハッハ!! 面白い、やはりお前は面白い。断ち切ったか、あのお方の寵愛をッ!」

 

 飛び退きながらオッタルは笑った。アゼルもオッタルが引いたのを見て立ち上がる。その髪も瞳ももう銀色ではなくいつも通りの赤髪と翠の瞳に戻っていた。そして、目の前の男から今さっきまで感じていた威圧感はない。

 そう、今目の前にいる男から強者の雰囲気をオッタルは感じていなかった。しかしその存在感ははっきりと伝わってくるのだ。目が離せないほどにアゼルがそこにいるというのに、その事実以外なにも感じられない。

 

 何が起こっているかオッタルには分からなかった。分からなかったが、目の前の男がまだ自分と戦えるということだけは理解できた。

 

「さあ、足掻き抗い、そして挑んでこい」

 

 今はそれだけで十分だった。

 

 

■■■■

 

 

 自身の奥底からそれは溢れてきた。心の渇望がドロリとした溶岩のようになって身体を満たしていく。それは今まで感じたことのない、自分の中にへばり付き一生取れなくなってしまうような熱だった。

 想いが身体を内側から焼き殺し始めるその感覚を、私はまるで他人事のように感じていた。自分が自分でなくなっていくような、誰かに支配されていくようなその感覚に私は抗えなかった。

 

 身体はただ沈んでいく、徐々に身体を満たしていくドロリとした熱に溺れていく。焼かれ、焦がされ、爛れていく自分がいた。獣のように、ただ力を求め、相手を斬ることだけに固執した化物と化すのだ。そこに人間としての自分は不要だった。

 

 薄々感じていた、というべきか。ホトトギスから力を貸してもらう度にその強化は強力になっていっていた。身体に馴染んているだけと思っていたし、話しているホトトギスは友好的であった。しかし今回のフレイヤの血の大量摂取が引き金となったのかもしれない。

 いや、そもそも前々から身体が乗っ取られるのは決まっていたのかもしれない。どちらにしろ、今の状況は遅かれ早かれ訪れていたように思えた。

 

(だが、これは違うだろう)

 

 こんな獣のように血走ったような目でただ獲物を追うようにして宿敵を斬り刻むなど私のやりたいことではない。もっと技を磨き、一つ一つの斬撃に想いを込めて全身全霊の自分で戦いを挑みたかった。

 強い力があっても、優れた身体能力があっても、すばらしい武器を持っても、その斬撃にアゼル・バーナムという存在がないのなら、私が剣を振るう意味はない。それは、私でなくてもできることだからだ。

 

『そう、これは貴方の望んだことじゃない』

 

 静かに、しかしはっきりとその声は響いた。必死に、溺れる身体を動かしながら私はその声を求めて上へと手を伸ばす。

 その先に何があるかなど分かっていた。この手が掴むものは他人の手でも、希望でも絶望でもない。私がこの手に掴むものは最初にそれを掴んだ瞬間から決まった。私という存在の最後のピース、不完全である存在を完全にするための鉄の塊。

 

『人の身で抗えないというのなら、私が貴方をここまで引っ張りあげてあげる』

 

 誰かが伸ばされた私の手を掴んで引っ張りあげられる。もう一つ上へと、もう一つ先へと私は登っていく。全身を覆っていた液体から頭、首、胴と順に身体が抜け出していく。

 

 水面に立つ。上も下も左も右も、傍も遥か彼方も見渡す限り赤い世界が広がる。地面だけが規則的に波紋を描き水面だと分かる。

 

「こんにちは、アゼル」

 

 背後から声を掛けられる。その声はやはりフレイヤの声に似ていた。振り返ってその人物を見る。血をぶち撒けたかのように赤い着物を着た銀髪の女性だ。初めてその姿を見たが、それでも分かった。

 

「こんにちは、ホトトギス」

 

 幾百年も昔に作られた刀の化身。刃に宿った思念にフレイヤの血が与えた人格が目の前に立っていた。フレイヤのややきつめの目付きと違い、彼女の目は若干タレ目で優しい雰囲気であった。

 

「ここは?」

 

 辺りを見渡しながら最初の疑問を問う。以前ホトトギスと会ったのは夢の中の黒い世界だった。

 

「ここは私と貴方の世界、夢の中のような場所と思っていいわ。普段は私と貴方しかいないのだけど、今はあの神もいるわ」

 

 彼女は下を指差してそう言った。その表情はどこか申し訳無さそうだった。

 

「ごめんなさいね。私はどうしても、どうしてもこの血には逆らえないの」

 

 自分の身体を抱きしめながら彼女は私に謝った。しかし、少し考えてみれば分かることだった。彼女はフレイヤの血が作った人格である。創造主に逆らえる創造物というのは、そもそも創造物として間違っている。

 

「だからねアゼル」

 

 しかし、それでも彼女はフレイヤの意志に反逆しようとしてくれている。苦しそうに、哀しそうに顔を歪めながら彼女は腕を広げた。

 

「私を斬って」

 

 消えてしまえいそうなほど小さな声だったが、それは直接頭に響いたかのように鮮明に聞こえた。

 一瞬悲しそうな顔を彼女はした。触れてしまえば割れてしまいそうなガラス細工のような儚さがあった。何故なら彼女は知っている。

 

「そもそも私はあの神に作られただけの人格。他の意志より力があるからこうやって貴方と話すのが私になってはいるけど、私は……私は外から入った異物のようなもの。私達の夢を語っていい存在じゃないわ」

 

 確かにそうかもしれない。フレイヤがいつ自分の血をホトトギスに吸わせたかは分からないが、私の身体が敵を倒すためだけに動いている現状は彼女にあるのは明確である。こうなってしまったのはフレイヤの血の意志とホトトギスに宿っていた思念の意志が違っていて、フレイヤの血の方が圧倒的に強いからかもしれない。

 だが、それがなんだと言うのか。

 

「あの神の血の意志は結局私という核がいるから存在している。一度に大量の力が投入されたから制御できなくなって飲み込まれてしまったけれど、それは変わらないわ」

 

 私が彼女を斬らなければいけない理由を言ったが、それはとても作業的で感情のないものだった。何故なら彼女は知っているのだから――

 

「だから、私という核がいなくなれば神の意志はなくなるわ。だから」

「いいでしょう」

 

――私が斬ることを承諾することを。

 

「ふふ、アゼルならそう言ってくれると思ったわ」

「当然といえば当然でしょう。私たちはお互いを覗き込んだ仲ですからね」

 

 私は斬る、それが存在理由であるから。そして、私の唯一にして絶対の理解者であるホトトギスはそんなこと百も承知である。お互いを覗きこんだからこそ、私たちはお互いを理解する。

 

「そうだった……そうだったわね」

 

 私の言葉に嬉しそうに答えた彼女は膝をついて、両の手の平を捧げるようにして持ち上げた。数秒すると彼女の手から血が滴り、そして一振りの刀が形作られていった。

 

「これを使って」

「これは……」

 

 私が現在持っているホトトギスとは違う、もっと荒々しく美麗とは言いづらい刀だった。しかし、それからは願いを感じた。

 

「これは、貴方か」

「ええ、それは最初の私。最も古い、原初の願い。ある男がその命を燃やして打った最後の一振り」

 

 元祖ホトトギス、否そのときはそんな名前などなかった。ただの人間である刀鍛冶が夢見た身の丈に合わない最果てを目指すために打たれた名も無き刀。

 刀を手に取る。やはりいつも握っているホトトギスとは天と地ほどの差がある握り心地だった。しかし、それでもどこか手に馴染む感覚を覚えた。

 

『人を、怪異を、そして神すら斬り裂く刃を打ちたい』

 

 握った腕から伝って記憶が流れ込んでくる。燃え盛る炎と向き合う一人の男の生涯だ。何度も何度も、数えることが億劫になるほど刀を打ち続け、それでも届かなかった夢の記憶だ。

 

『ああ、悔しい……ここまでやっても、死力を尽くしても届かないというのか』

 

 年老いて、腕や足が細くなり槌を振るう力も弱くなってしまった。それでも男は打ち続けた。血を吐き、骨を折り、病に伏せても男は一人炎の前で打ち続ける。

 

『それでも手を伸ばしてしまう俺はきっと阿呆なのだろう』

 

 涙を流しながら、最後に打った刀を眺めながら横たわる男は最後までその願いに縋った。一人の人間の生涯を以ってしても達成できなかった夢があった。男の流した悔し涙が、一つの怪異を産んだ。

 

 一人の人生で足りないのなら、もっと多くの人生を注ぎ込めばいい。手にした人間に乗り移りながら、血を吸い強化されていく刃の物語が始まった。

 そして、今は私の手にその物語は意志と共に渡った。

 

「貴方がなればいい」

「……」

「いいえ、貴方しかいないのアゼル。幾十幾百年の時をただ斬るためだけに存在してきた私達が認める貴方しかいないの。人の身で抗えないというのなら――」

 

 私が刀を受け取るとホトトギスは立ち上がった。フレイヤと変わらず美しいホトトギスの表情に不安や悲しみなど映ってはいなかった。

 

 それは単純な解決方法だろう。人々に【ステイタス】という奇跡を授け、思念に人格を宿らせるほどの力を蓄えた神の血に、ただの人である私は抗えない。ならばどうするかなど決っている。

 それは本来やってはいけないことなのかもしれない。越えてはいけない一線なのかもしれない。しかし、そんな価値観私には通用しない。斬るためであれば、私はなんだってしよう。

 だから―――

 

「――人を越えてしまえばいい。()()がホトトギスになればいい」

「――私は成り果てましょう、人でなくなったとしても私は私でいましょう」

 

 アゼル・バーナム()という存在が果たしてどこに向かっていくのか、それはきっと神々も予想できない。しかし、私の手には今揺るがぬ願いが握られている。誰にも折ることのできない、誰にも曲げることのできない夢を見た男の魂を私は受け継ぐ。

 

「ああ、それとホトトギス」

「なあに? お別れの言葉かしら?」

「それは刃に込めます。そうではなくてですね、貴方は自身にはあの男の願いを語る資格がないと言いましたが」

 

 彼女の瞳を真っ直ぐ見る。フレイヤと変わらない銀の瞳を見つめる。言葉だけでは伝わらないであろう自分の感情を伝えるために。

 

「貴方は遥か昔、ある男が見た夢とは違う意志を持っているのかもしれません。貴方は私が暴走している原因かもしれません。それでも、私は貴方に会えて嬉しかったですよホトトギス」

「アゼル……」

「貴方がいなければ今の私はいないでしょう。だから、貴方も私の一部だ。誰が忘れようとも、私は貴方がいたということを決して忘れない。貴方はフレイヤであってフレイヤでない、なにせ彼女に反逆しようとしているくらいだ。貴方は立派な個人だ。だから――」

 

 私の言葉を聞いて泣きそうになっている彼女の前で構える。いつものように、ゆっくりと彼女を殺すための一太刀を放つために構える。

 

「――貴方は私が最初に殺す()だ」

「……もうっ」

 

 微笑みながら彼女は涙を流した。その泣き顔はなお美しく、涙の雫が頬を伝う様はまるで宝石を眺めているようにすら思えた。

 

「花のように凛と、刃のように冷たく鋭く、炎のように情熱的に、が私の信条なのに。アゼルのせいで台無しよ」

「綺麗ですよ、あの女神よりも」

「ありがと」

 

 彼女はそう言って目を閉じた。覚悟など最初から決まっていた。彼女が待ってくれていたのは私の覚悟だったのだろう。

 人を斬る、その意味を考えるための時間。思考をして、言葉を発し、食べ物を食べ、喜怒哀楽の感情がある存在を殺すという行為の重さを想像させるための時間だったのだろう。

 

「私もアゼルと会えて嬉しかったわ」

「それはよかった」

「だから――さようなら」

 

 私が私として生きるためにホトトギスがいてはいけないのだから。当然彼女とて生きたいだろう。それは生まれたものすべてが持つことの許された感情だ。それを放棄することがどれほど勇気のいることか、私には一生理解できないだろう。

 だからこそ、私は斬らねばならない。この刃に宿った意志を継ぎ、貫き通し、頂へと至るために。彼女が選んだ私でなければいけない。

 

「何に成り果てたとしても、私がすることは変わらない」

「そう、思うがまま、したいがままに」

 

 ただ一つの存在理由のためにこの身はあるのだと信じているのだから。今まで生きてきた時間もこれから生きていく時間も、味わってきた苦しみや喜びもこれから味わうであろう痛みや快感さえもがその一つの行為に収束していくに違いないのだから。

 

「「斬り裂くだけ」」

 

 そうして私は斬撃を放つ。それは今までで一番感情の乗った一撃だった気がする。一秒がその何十何百倍のように感じられ、刃が彼女の首に食い込み斬り裂くまでの時間がまるで永遠のようにすら感じられた。

 果たしてこの選択が正しかったのかどうか、その最中私は考える。それがどれだけ無駄な思考だと分かりながらも、私は人を殺すという重みをこれから一生背負っていかなければならないと思うと考えずにいられなかった。その人が例え誰にも見えなかった、私だけが知る存在だとしてもその重みに違いはない。否、きっとこの先も彼女がいなくなった欠落感を感じるのは私だけだ。だから誰も慰めてはくれない、誰も理解してはくれない。

 それでも、刃は止まらない、止めてはならない。そんな中途半端な想いでこの刀は振るってはならない。

 

 それでも時は進み、刃は振り抜かれる。振りぬいた時には、彼女はもうこの世からいなくなっていた。光りの粒となって虚空へと消えていく彼女を見ながら残心する。

 

「ッ」

 

 彼女という核がいなくなったからだろう、立っていた水面が不規則な波を作りそして内部から爆発して水柱が発生する。新たな核を作ろうとしているのか、それとも本当にただ暴れているのかは分からないが神の意志が最後の反発をしている。

 

 そして私は大きな波に飲み込まれ沈んでいった。しかし、もうこの想いは揺らがない。

 

「人の意志が神の意志を越えないなど、誰が言った」

 

 自身の中から怒りが湧き上がってくる。私は唯一の理解者を失った。最終的にはこの結末は変わらなかったかもしれない。時間は掛かっただろうがフレイヤの血が混入していた限りこの暴走は起こり、ホトトギスを私は斬ることになったかもしれない

 しかし、時間はあった。仲間はいても、私は孤独だ。誰も私を理解はしないだろう。それでも構わないと思った。だからこそ、理解者がいてくれたことが、今いないことが苦しい。

 しかし、その苦しみさえ刃を鋭くするためにあるのだと信じて私は斬った。

 

「神も人と同じ、そこに存在し触れられる。ならば斬れない道理などない、そうだろう―――」

 

――なあ、(ホトトギス)

 

 そして()を振るう。私は人でなくなったのかもしれない。私は何かに堕ちてしまったのかもしれない。ただ違う力に飲み込まれてしまったのかもしれない。

 しかし、その瞬間ただの人が、矮小で無力でありふれた一人の人間が―――

 

「貴方は邪魔だ」

 

――神の意志を斬り裂いた。

 

 

■■■■

 

 

 目を覚ました瞬間オッタルが振り下ろした大剣を手で受け止めた。できるということを私は知っていた。自分が何になったのかを私は知っていた。

 

「さて、仕切り直しといきましょうか」

 

 私は幾十幾百年存在し続け、人を操り斬り裂き血を啜ってきた怪異へとなったのだ。この身体を器として、重ねた年月で強くなった刃を受け継いだ。

 

 その言葉に答えてくれる人はもういない。もう手に握ったホトトギスから熱は流れてこない。私がその熱となったのだからそれもそのはずだ。脈打つ心臓はすべてを斬り裂けと叫び続け全身へと力を送り出す。

 

 

 

 

 

 今日、この瞬間一人の男から始まった夢は一人の男に受け継がれそして大きな前進を始めた。




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あれば気軽に言ってください。

最近パソコンの調子がすこぶる悪いので次の更新も遅れると思います。すみません。

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