剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
「ッ」
その視線を感じて、私は飛び起きるようにして目を覚ました。何時もであれば、遥か遠くオラリオの中心に聳える塔の最上階からその視線を感じるのだが、今朝は違った。その視線はすぐ近くから浴びせられたものだった。
フィンさんと戦ってから二日が経つ。結局、あの日は服の汚れから何かしていたことを見抜いたヘスティア様に訓練をしていたことを白状させられた。なんとかその相手の情報は死守した。そして、怪我は完治したもののもう一日留守番を言い渡されたのである。
ということで今日から念願のダンジョン探索復帰なのだが、どうも雲行きが怪しくなった。
「呼んでいるんですかね」
静かにソファから立ち上がり、ホトトギスを持って私は地下室から出ることにした。こんなこと今まで一度もなかった。
廃教会の地下室から地上部分へと出る。まだ朝も早い時間で空気はひんやりと冷えていた。教会の扉の外、すぐそこに彼女の存在を感じた。
ゆっくりと歩き扉を開けて外へと出る。
「おはよう、アゼル」
美しかった。オラリオの廃れた部分にあるこの廃教会は、当然周りも埃だらけの廃れた場所だ。それでも、その女神が立つだけですべてが美しく見えた。
「ふふ、そんな怖い顔をして。どうしたの?」
「……何の用ですか、女神フレイヤ」
きっと、私以外の人間が見ていたらそのまま魅了されていただろう。しかし、私はその魅了を断ち切ることができる。今までは本能でそうしていたが、現在はホトトギスの助けもあり意識的に異常を断ち切ることが可能となっている。
「やっぱり、魅了されないのね。素敵よ」
「そんなことを言うために来たんですか?」
「もう少し話を盛り上げるということを覚えたほうがいいと思うの」
ころころと笑う女神を前に私は思考を働かせていく。しかし、いくら考えても自分に会いに来た理由は思い付かない。もしかしたらこの前の闇討ちの件かもしれないが、あの程度で会いに来るほど彼女も暇ではないだろう。
「はあ……まあ、いいわ。そう言えばあの子達がとっても悔しがっていたわ。闇討ちをしに行ったら逆に討たれたって」
「……」
「そう言えば、アゼル。貴方、今オッタルがどこにいるか知っているかしら?」
「いえ、まったく」
そうよね、と言いながらフレイヤはまたしても微笑んだ。その微笑みがいちいち美しくて心が落ち着かない。
「今ねオッタルはダンジョンにいるの」
「はあ、それが何か?」
「この前の闇討ちは珍しく地上でしたけど、普通闇討ちする時はダンジョンにいる時を狙うの。モンスターにやられたことにできるから」
線が繋がった。フレイヤの言っている事が脈絡がないと思っていたが、ダンジョンと闇討ちという言葉を聞いてすべてが分かった。
起きた瞬間から感じていたこの予感。フレイヤが現れた意味。それを理解した瞬間から、もうこの高ぶりは誰にも止められない。
「場所は?」
「ふふ、興味あるのね?」
「早く場所を教えて下さい」
「はあ……妬けちゃうわ。本当にオッタルってば」
「早く教えろと――」
答えないフレイヤに思わず声を荒げて詰問しようとした瞬間、彼女の指が私の口に触れた。
「そんな大声を出したら皆起きちゃうわよ?」
否応なしに顔が熱くなった。まるで母親に諭されているようにも思えたし、何よりも女神に触れられたその甘美な感覚に身が震えた。
「なら、早く教えて下さい」
「待てができない子には教えられないわ、ふふ」
その言葉を聞いた瞬間、私はホトトギスを抜き放った。ひんやりと冷えた空気を、凍えるように鋭い刃が斬り裂く。
「――なッ」
しかし、それは彼女に当たる寸前で止まった。動けと腕を動かそうとしても、まるで何か大きな力に止められているかのように動かなくなった。そして、僅かにホトトギスから熱を感じることに気付いた。
刀が、ホトトギスがフレイヤを攻撃することを拒んでいる。
「ふふ、この刀役に立っているみたいね」
フレイヤは動かなくなったホトトギスに触れた。優しく、愛でるようにその刃を撫でた。ホトトギスの人格は、フレイヤのそれに似ている。その訳を今まで理解していなかったが、次にフレイヤがした行為で理解した。
フレイヤはその刃に指を宛てがい、僅かに指に傷を作りホトトギスに血を吸わせた。
「そういう、ことか」
何故、ホトトギスという思念に人格ができたのか。何故、その人格に抗うことが難しかったのか。すべては彼女の血が起こしたことだったのだ。
この世の存在を超越した神々の血が奇跡を成した、その結果がホトトギスなのだ。
「ねえ、アゼル」
傷のできた手でフレイヤは私の頬を撫でた。未だ固まって動けなくなっていた私はそれを避けることができなかった。
「もしオッタルに勝てたら、貴方の好きなだけ血をあげるわ」
ゾクリと背筋が震えた。ホトトギスの力の源がフレイヤの血だったと言うのなら、それをもっと吸えばもっと強くなれる。この身を、この剣を更なる高みへと至らせることができる。
「だからね、アゼル」
フレイヤは頬から指を動かしていく。赤い血の跡が頬から口へと描かれる。その跡が熱い、どうしようもなく熱かった。
「頑張って足掻いてごらんなさい」
その瞬間、まるで灼熱で身を焼かれるような感覚を覚えた。それは、今まで感じていたホトトギスの力とはまるで違う、言葉通り身を壊すような力の奔流だ。ホトトギス自身も制御できないのだろう、濁流のごとく身体の中を熱が暴れる。
「オッタルは今9階層にいるわ。貴方なら匂いで場所は分かるでしょう?」
「ぐぅッ……あぁッ」
動悸が収まらない胸を押さえる。それどころか一拍毎に速くなっていく。それでも、彼女の言葉はしっかりと耳に入り理解できた。
「さあ、走りなさい。今回も私を楽しませて頂戴」
その言葉を聞いた瞬間、私は走りだしていた。
■■■■
『生きてリュー。私達の分まで』
『行けよ、オメエはここで死んでいいような女じゃねえだろ』
『分かってるんだろうリュー? もう、俺達は助からない』
暗闇の中、ただ彼等が死に際に呟いた言葉の数々を思い出していた。あの日から繰り返し見る夢、悪夢でありながら彼女が彼等との繋がりを確認できる唯一の機会。
『だからね、リオン』
敵対ファミリアの罠に嵌まり、幾十幾百のモンスターに囲まれながら執拗なまでの魔法の包囲網を食い破り、【アストレア・ファミリア】の冒険者達はやっとの思いで18階層へと戻ってきた。しかし、そこでも待っていたのは敵の罠と刺客ばかり。一人、また一人と仲間は減っていき、最後にはリューとファミリアの主要メンバーしかいなくなっていた。
『もっと笑いなさい。辛い時こそ笑って、自分の正義を信じて』
つい先日まで快活な少女だったその冒険者も敵の毒に侵され、顔は青白く息も絶え絶えだった。しかし、その顔の笑顔は絶やさない。どれほど絶望的な状況であっても、彼女は笑っていた。まるでいつだって希望があるように、彼女は諦めなかった。
『腐らず、曲がらず、曇らず。いつもの幸せそうに光り輝くリュー・リオンでいて。リオンが私達の希望になって』
それが彼女の最期の言葉だった。仲間達が庇ってくれたおかげで無事だったリューは、一刻も早く逃げなければいけない状況で仲間達の遺体を18階層の地面に埋めた。彼等の遺体が野ざらしにされていることは許せなかった。
それから、彼女がしたことは単純だった。
彼女は復讐鬼と成り果てた。今まであった幸せの分、抱えていた正義の分彼女は殺した。罠に嵌めたファミリアは当然のこと、その関係者を片っ端から闇討ちや不意打ちで殺していった。彼女の報復行動は凄まじい勢いで成された。
リュー・リオンは希望にはなれなかった。彼女は、どこまでいってもただ一人の少女でしかなかった。故郷から出てきて初めてできた仲間の死という重みに彼女の心は壊れてしまった。
気が付くと、彼女は薄暗い路地裏に横たわっていた。雨が降り、血と泥にまみれた彼女は静かに仲間の元へと近付いていっていた。失われていく四肢の熱を感じながら、彼女はゆっくりと目を閉じた。
そして目を覚ます。いつも見上げている木の天井を捉えて、彼女は即座に夢を見ていたと認識した。それはそうだろう、死んだ人間の言葉を聞くことなど夢の中でしか不可能なのだから。
ゆっくりと覚醒する意識と共に、ベッドで温まっているはずの身体に芯から凍えるような冷たさを感じた。リューは自分を抱きしめてその冷たさが去るのを待った。待つことしかできなかった。
数十秒すると冷たさもなくなり、感覚が正常に戻った彼女はベッドから出て着替えを始める。勤務先、というより彼女の住まいの一階にある酒場『豊穣の女主人亭』の制服に袖を通しカチューシャを付ける前に髪を整える。
「ッ」
しかし、その為に櫛を手に取ろうとすると櫛に一つの罅が走る。それ以上使ったら折れてしまうかもしれないと思った彼女は仕方なく手櫛で済ませた。彼女の中に何か悪いことが起きるという理由のない不安が芽生えた。
そして鏡に向く。長年の勤務で慣れたが、やはり彼女には自分の格好に違和感があった。冒険者時代もその昔も彼女はスカートをあまり履かなかったし、カチューシャも付けなかった。しかし、彼女はその違和感のある自分も好きになっていた。
しかし、できることなら昔に戻りたい。あの頃に戻り、仲間達に囲まれながら助け合い、高め合いながら冒険をしていた日々に戻りたい。
「ああ、でもそうするとシルとは知り合えないですね」
それは嫌だなと心の中で彼女は零した。
支度ができたので自室のドアを開けて一階へと目指す。それが今の彼女の日常。ある少女に死にそうな所を救われ、傷付いた心も救われ生きる彼女の生活。
しかし、現在と過去どちらが大切かと問われても彼女は答えを出せないだろう。出せないからこそ彼女はまだ昔の夢を見る。結局、現在は過去があるからこそあるのだと彼女はどこかで分かっているのだ。過去はなくならない。過去を忘れることはできない。
いや、忘れてはいけない。
シルやリュー、豊穣の女主人亭のウェイトレス達の朝は早い。朝や昼も客は来るし、なんと言っても夜は席が足りなくなるほど客がくる。そのための仕込みは、それこそ前の晩から始めているし店の清掃などもする。
リューとシルは店頭の掃除をしていた。店の中に仕舞ってあった植木などを外に運び出し、夜の間に溜まった埃などを掃いていく作業だ。
その時、リューはふと通りの向こうから猛スピードで走る一人の冒険者を目聡く見つけた。
(バーナムさん?)
それは彼女の見知った冒険者であったが、一瞬そのことが分からなくなるほどいつもと雰囲気が違った。禍々しい、そう形容するのが正しい様子だった。
リューはその雰囲気に身に覚えがあった、ありすぎた。修羅の如く、敵を斬り殺した昔の己のような雰囲気だ。
そう思った時、彼女は既に走りだしていた。
「えっ、りゅ、リュー!?」
後ろで狼狽える同僚の声を無視して、冒険者としてレベル4まで昇華させた【ステイタス】を全力で活かし一瞬で最高速度まで到達する。
(速いッ)
それでも、リューとアゼルの差は一気に縮みはしなかった。ジリジリと、着実に差は狭まっていたがアゼルの速さは尋常ではなかった。
「バーナムさんッ!」
漸く、アゼルを追い越してリューは行く手を阻むように目の前に立った。アゼルも目の前に突然人が現れて立ち止まった。気が付くと既にバベルは目の前となっていた。
「どこに、行くのですか?」
「退いてください」
「答えてくださいバーナムさん」
顔を上げたアゼルの顔を見てリューは凍えるような寒さを感じた。銀に輝く瞳は美しかったがどこか冷たい印象を与え、獰猛な獣のような笑みは狂気に満ちていた。
「退けッ!」
いつものアゼルでは決して使わないような言葉遣いも相まって、リューはアゼルに何かがあったのだと理解した。
「教えてくださいバーナムさん。どこに、何をしに行くのですか?」
尋常ではないアゼルの様子を理解したリューは身構えた。行かせるわけには行かないと、自分と同じ末路を追わせるわけにはいかないと決心する。
自分が救われたのは、本当に運が良かっただけなのだから。身近な人物がその道をたどることは絶対に避けたかった。
「貴方には関係のないことです」
「言え、貴方の目的はなんだ」
戦闘の気配にあてられリューも口調が変わる。目の前に立っているだけでアゼルはまるで今にも人に斬りかかりそうな抜身の刃のような雰囲気を醸し出していた。
「斬りに行くんです、斬らなければならない男を」
「――ッ」
自分の予測が当たっていたことにリューは怒りを覚えると同時に、より一層行かせるわけにはいかないと思った。
まるで当たり前のように人を斬ると言いのけた目の前の男が、昔の自分に重なった。そこに理性などなく、自分の感情のままに行動したあの時の自分と同じように見えた。
「時間がないんです」
「なッ」
気付いたら、リューの真横をアゼルは通り抜けていた。油断していたつもりはなかったが、思いもしていなかった速度に一瞬戸惑い反応が遅れる。
気が付いた時にはアゼルはバベルへと、ダンジョンへと走って行っていた。
(まだ、判断能力がある)
自分を斬っていかなかったアゼルを見たリューはまだ遅くないと思い、急いでアゼルの後を追った。後で仕事を無断で放棄したことを女将であるミアにこっ酷く叱られるだろうことなど頭から消え失せていた。
(貴方はまだ引き返せる)
それは自己満足なのだろう。かつて多くの者を殺した自分が誰かを救いたいと思うのは間違っているのかもしれない、偽善なのかもしれない。それでも、かつて【疾風】と呼ばれた冒険者はその二つ名の如く走りだした。
■■■■
「邪魔だ!!」
最速、今まで感じたことのないほどの力に任せて走り続ける。目の前に出てきたモンスターを一瞬で斬り捨てながら、速度を落とさず走り続ける。
「やっとだ、やっと貴方を斬れる」
まだ見ぬオッタルのことを思い、感情が奥底から溢れてくる。コロシアムでまるで赤子の手を捻るように敗北した一戦。あの時に感じた高すぎる壁に私は挑むのだ。あの敗北があったからこそ私は這い上がることを覚えた。あの敗北があったからこそ私は越えたいと思えた。
今の私なら、私の刃ならあの男に届くかもしれない。いや、届かせてみせる。
「感謝しよう女神よ、貴方が与えてくれた機会を私は活かそう。だが、それは貴方のためじゃない、自分のためだ!」
気が付いた時には9階層まで到達していた。そしてまた走る。奥へ、奥へと走る。そして一瞬、フレイヤの甘い香りを感じ取る。
「見つけた」
迷うことなどない。何度も嗅ぎ分けてきた匂いなのだから。近付けば近付くほど濃くなっていくのだから。強化された聴覚で響く戦闘音を聞き取る。
そして、とうとうその姿を見つけた。
2
背中が焼けるような熱を帯びる。
「オッタル!!!」
そのオッタルは複数のアマゾネスと戦っていた。巧みな連携で何かを追おうとするオッタルを止めているように見えた。しかし、今は邪魔でしかない。
「邪魔を、するなッ」
「いッ、ぎゃあああ!!」
近くにいたアマゾネスを適当に斬る。今はオッタル以外どうでもよかった。顔も見ず、むしろその姿さえも確認せずに走り過ぎながら斬る。
「な、なんだこいつは!?」
「ニイシャ!?」
味方が突然やってきた冒険者に斬られたアマゾネス達は狼狽えていた。アマゾネス達を無視して、私はオッタルを見据えた。今すぐ斬りかかりたくなり、抑えると身体が震えた。
「何故来た?」
「貴方の女神に言われて」
「……そうか。それがあのお方の望みだと言うのなら」
オッタルもアマゾネス達から意識を私に移した。攻撃してこないと分かったアマゾネス達は傷付いた仲間を背負ってどこかへ去っていった。これで、外野はすべていなくなった。
「相手をしよう。あの時からどれほど強くなったか、示してみろ」
大剣を片手で構えてその男は私と向き合った。目の前にして、今回はその男の敵意を感じた。前回は遊ばれていたが、今回はちゃんと敵だと認識されていることに私は喜びを感じた。例え、それで死に向かうことになったとしても良い。
そして、私は再び『最強』へと立ち向かう。
「ええ、斬り裂いてあげましょう」
その先に待つ結末など今は露ほども知らずに、ただ手に持つ刃で相手を斬るために振るう。
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘等あれば気軽に言ってください。
元は長い一話だったんですが、良いところで区切ったら少し短めになってしまった。
※2016/05/07 03:10 加筆修正