剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか   作:REDOX

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 お久しぶりです。ベルの過去回想とか書きたいとか言いましたが、なるべく過去回想はなしの方向で行くことにしました。何故って? それは後々設定を弄くれなくなる可能性が大きいからです……
 この次の話から3巻に入ります。


幕間 少女は歩き出す

 彼女はその悠然と佇む男の姿に見惚れていた。片手に携えるのはこの世に一本しかない、彼女が全身全霊をもって打った一振りの刀。

 妖しく光る刃からは圧迫されていると錯覚する程の存在感が溢れ、一瞬たりとも目が離せなくなる。それは彼女が打った時にはなかったものだった。

 

 刃は持ち手によってその姿を変える。素人がどんな業物を握ろうと刃は鈍く光るが、達人は例え鈍ら刀を握っても刃は鋭い光を反射する。

 持ち手あっての刀であり、刀あっての持ち手なのだ。片方だけでは決して見ることのできない景色を彼女は見ていた。

 

 彼女の最高傑作はその男を完成させた。同時に、その男は彼女の最高傑作を完成させた。そう、それが放つ光はきっとこの世で最も美しい光だ、彼女はそう思った。

 

 でも、もしその先があるとしたら? まだ自分が見ていない景色があるとしたら?

 

 男がゆっくりと身体を動かし構えを取る。彼女はその瞬間を見ようと呼吸を忘れるほど見つめた。しかし、その瞬間は一生訪れることはない。目の前が暗くなり、目に朝日が差し込んでくる。

 ぼんやりとした視界で彼女が捉えたのは刀などではなく木の天井だった。

 

 夢の様な光景、否、夢から覚める。

 

「……今日も、見れなかった」

 

 それが悲しくて、苦しくて、切なくて彼女は身体にかかっていたシーツを強く抱きしめた。

 あの世界で最も美しい光の先は確かに存在する。その光景こそが剣士と刀が繰りだす剣技であり、すべてを斬り裂く刃。

 彼女はそれが存在することを知っている。しかし、それを見ることができない。想像することもできない。

 

 そう、忍穂鈴音は男が本気で振るう刀を知らない。故に、夢で見ることもできない。

 

「はあ……会いたいよ」

 

 朝だというのに熱っぽい吐息が鈴音の口から漏れる。鈴音は再び目を閉じて男の姿を頭に思い浮かべた。刀を握ったその姿は瞼の裏に描かれているのではないかと思うほど鮮明に思い出すことができた。

 

「アゼル」

 

 その身に剣を宿す、剣の申し子のような男の名を呼ぶ。それと共に触れた手の感触も蘇る。血の通った手のはずなのに、ふとした瞬間冷たく鋭い刃のような感触。

 

 思いの外、記憶に浸りすぎて急いで身支度をする鈴音がいたことは、また別の話である。

 

 

■■■■

 

 

「うーん……」

 

 鈴音は自らの打った脇差を見て唸った。大凡40C(セルチ)の刃は、波打つ刃紋を描きながら鈍色の光を放っていた。

 鈴音自身としても問題のない一品だった。自分の思った通りの長さ、重さ、重心の位置、刃紋がその脇差には反映されていた。しかし、それでも――

 

「――何か違う」

 

 何かが足りていなかった。心の何処かで、その刃が放つ光が欠けているように思えた。刃に魅入られ、刃を打つことだけに没頭してきた彼女だからこそ感じる僅かな違和感があった。

 それが何なのか悩む鈴音の元に一人の女性が訪ねてくる。工房のドアが叩かれたので、思考を一時中断して対応した。ドアを開けるとそこには左目が眼帯で隠れた褐色の女性が立っていた。

 

「鈴音、終わったかの?」

「終わったよ椿さん。これ、頼まれてた脇差」

 

 鈴音は先程まで眺めていた脇差を鞘に収めて椿に手渡した。

 鈴音がアゼルのためにホトトギスを打っても彼女を取り巻く環境は変わるはずもなく、未だに彼女の作品は店の隅に追いやられ陽の光を見ることがない。それでも人間が生きていくには金が必要であり、刀鍛冶としてアゼルのためにあると決めた鈴音は当然鍛冶をして稼いでいく他ない。

 そんな彼女に手を差し伸べたのが椿であった。元々鈴音が他人に刀を打たせているなどという噂を信じていなかった椿は自分のお得意様の注文の一部を鈴音に任せることにした。当然、取引相手には信頼の置ける鍛冶師だと話し了承を得てからの話だ。

 鈴音が普通に打てる武器は、武器としての出来は一流であるがその性能はレベル1の鍛冶師が打った物と変わりない。あまり性能を重視していない予備の武装等までも椿に注文していては金がいくらあっても足らなくなってしまう。そこで椿は鈴音の武具を正当な価格でお得意様に注文を取る仲介役を担うことにした。

 

「ふむ」

 

 脇差を受け取った椿は柄の握り心地や重さなどを確かめ、鞘から抜いて刃の具合を見た。お得意様に紹介した手前、彼女は厳しい目で鈴音の武具を鑑定していた。しかし、それが必要ないということも椿は分かっていた。

 

「見事な出来だな。うむ、手前には真似できんくらいだ」

「そ、そんなこと、ないと思います、けど」

 

 尊敬する先輩鍛冶師にそんな事を言われた鈴音は小さな声で反応するも、台詞の最後に近付くに連れ小さかった声が更に小さくなり、聞こえなくなった。

 

「謙遜することはない。長さ、重さ、重心共に完璧。その上この浮かび上がる刃紋はもう芸術と言ってもよかろう」

「そう、でしょうか……」

 

 褒めに褒められた鈴音は恥ずかしくなり若干涙目になりながらその賛辞を受け取った。しかし、その言葉の数々も彼女の心に響くことはなかった。

 幾ら褒められても、鈴音自身が納得していない一振りなのだ。

 

「ほう、これ以上の物が作れると?」

「いえっ、そういう訳じゃ!」

「ふふふ、分かっておる。納得できんのだろう?」

 

 慌てふためく鈴音を見て椿は微笑んだ。工房に篭りがちな椿だが、性格は人好きのする人物である。誰かといれば話したくなるし、それがお気に入りの鍛冶師ともなれば拍車がかかる。彼女は先輩として、同類として、友として、そしてヘファイストス・ファミリアに所属する家族として鈴音を好いていた。

 

「分かるんですか?」

「なあに、そもそもこういった仕事は向いてないと思っておったからの」

 

 じゃあ何故勧めたのか、などと鈴音は聞かなかった。それは分かりきったことだ。この仕事なくして鈴音の収入源は雀の涙になってしまう。

 

「その理由を、知りたいのかの?」

「……それは――」

 

 鈴音は口をつぐんだ。その先を言ってしまうと、この仕事ができなくなってしまうように思えたのだ。言ってしまえば、本当にその通りになってしまう。

 ただ一人のためにしか武器が打てなくなってしまう。

 

 それは浪漫に溢れたことだろう。それは憧れるような状況だろう。それは夢の様な物語になるだろう。しかし、現実は非常で残酷だ。金がなければ生きていけない。

 

「もう、気付いておるのだろう? なら何故、その通りに進まない?」

「だ、だって」

「自身の想いを無視して打った武器に納得できんのは当然。なれば、想いに従い納得できる一振りを打つのは至極自然なことだろう?」

 

 それが出来たらどれほど良かっただろうか、鈴音は嘆いた。ただ一つ目指したい夢は、現実に押しつぶされる。鈴音という少女も、結局はちっぽけな一存在でしかない。レベル1の冒険者で、鍛冶師でしかない。

 椿のように卓越した鍛冶技術と戦闘技術を備えた傑物ならば、金など如何ようにでも稼げるだろう。しかし、鈴音は違う。その夢を叶えるための下積みが彼女にはなかった。

 

 忍穂鈴音は、求めてやまないただ一つの存在と早く出会いすぎたのかもしれない。そうとさえ、彼女には思えてしまった。

 

「そうだのお……少し付いて来い」

「え、何処にですか?」

 

 鈴音から受け取った脇差を袋に収めて椿は振り返って歩き始めた。その背中は有無を言わさない雰囲気で、鈴音は逆らう気すら起こさなかった。

 

「決まっているであろう」

 

 椿は首を捻りちらりと後ろを見る。その顔には不敵な笑みが浮かんでいた。何故なら、彼女にはもう結末が見えているのだから。女として、鍛冶師としての結末が彼女には分かっていた。だから導く。

 

「鍛冶師は鍛冶場にいるのだ」

 

 

 

 

 宣言通り、椿は鈴音を己の工房へと連れて行った。鈴音の工房より二倍ほどの大きさのそれは、様々な武器がずらりと並ぶ一室と鍛冶を行う鍛冶場の二つの部屋からできていた。

 

「わあ」

「珍しいか?」

「は、はい」

 

 ずらりと並ぶ武器の数々を見て鈴音は種類を言い当てることすらできない物すらあった。しかし、その中にあった刀や脇差、小太刀などを見て一瞬で椿の技量の高さを理解した。

 椿には専門がない。鈴音であれば刀鍛冶を自称するくらい、刀に類する物しか打てない。しかし、椿は違う。注文されれば何でも打つ。細身のショートソードから大振りな大剣、果てにはブーツなどの防具までも彼女は製作する。

 

「見ての通り、手前は興味を持った物はなんでも作る」

 

 椿は並ぶ武器を示してそう言った。その作品の数々こそが椿・コルブランドが血の汗を流し、その才を尽くして打ってきた武器であり、彼女そのものと言ってもいい。

 

「これを」

 

 椿は鈴音を真っ直ぐ見つめた。

 

「鈴音はどう思うかの?」

「どうって……凄いと、思います」

「そうか?」

 

 笑みを浮かべながら椿は首を傾げた。その所作の意味が鈴音には理解できなかった。刀をとってもその技量は刀だけを打ってきた鈴音と引けを取らないのに、それを数多くの武具で高水準を保っている椿の鍛冶の腕は底知れない。

 それを凄いと言わずして何と言うのか。

 

「鈴音、一本打ってくれんか?」

「い、今?」

「うむ、今、ここで」

 

 そう言って椿は鈴音を工房に迎え入れた。轟々と燃える炉と、鉄を打つための道具の数々。場所が変われど、持ち主が変われど、鍛冶場は何も変わらない。その匂いが、温度が鈴音には心地よく感じられた。

 

「好きな素材を使ってよい。刀身だけでも打てば、分かるだろう」

「分かるって何が?」

「それは打ってからのお楽しみだ」

 

 それから何を聞いてもはぐらかす椿に困らされた鈴音は、おずおずと工房にあった鉱物を調べ、刀を打つことにした。

 

「それはアゼルに渡す一品だと思って打て」

「あ、アゼルに?」

「うむ」

「じゃあ、その、もっと材料を細かく調べないと」

「よいよい、取り敢えずそのつもりで打て。いいな?」

 

 漸く打ち始めようとしていた鈴音が再び材料を吟味しに行こうとするのを椿は止めた。重要なのは材料ではないということだろう。

 

「さあ、打ってみるといい。鈴音の想う男のためにな」

「アゼルの、ために」

 

 独り言のようにアゼルの名を呼んだ鈴音。しかし、その名を呼ぶだけで手にはホトトギスを打った時の感覚が蘇る。

 槌を握ったあの燃えるような熱さ。流れ落ちる汗が気にならなくなるほど一心に、自らの想いと願いを鉄に打ち込んだ時の衝撃。息遣いから、熱せられた鉄が温めた空気の質感までもが蘇る。

 

「…………」

 

 それは、椿に仲介してもらった仕事のために打っていた時にはない感覚だった。しかし、その事実に驚くことなく、鈴音は作業に取り掛かった。

 アゼルのために剣を打つ。そう考えただけで、それ以外の事がどうでもよくなっていた。椿の工房にいることも、提供された素材をどう支払えばいいかも、すべて頭の中から消えていた。

 

 残るのは、ただ刀を構えたアゼルのイメージだけだった。

 

 忘れられるはずがない。忘れようものなら、幾度でも鉄を打ちその感情を蘇らせる。他の誰かのために槌を振るうことなど、鉄を打つことなどできようものか。

 ただ一人のために槌を振るう。それが、忍穂鈴音という鍛冶師の、少女のあるべき姿なのだから。

 

 

 

 

 

 気が付けば、鈴音の手には一本の刃が握られていた。一心不乱に鉄を熱し、打ち付け、鍛えたからだろう、形は今までにないくらい不格好であった。しかし、鈴音の表情は晴れていた。流れる汗が心地よく、今まで引っかかっていたものがなくなっていた。そして、理解してしまった。

 

 それは――私がアゼルに恋をしているから。

 

 言葉にせずとも、否、鍛冶師であるが故に、その刀身は言葉以上に彼女を語っていた。だからこそ、鈴音は椿を見た。

 

「惚れ惚れする面構えだったぞ。どうだ、想いのまま打った気分は? 時を忘れるほどだっただろう?」

「……」

 

 図星であった。窓から見える空はすでに暗くなっていて、夜だということを漸く理解した。

 

「なんで……なんで、こんなことをさせるんですか? 私は、この想いだけじゃ生きていけないのに……」

「鈴音」

 

 俯き、涙すら浮かべ始めた鈴音に椿は優しく語りかけた。それは姉が妹をあやす時のような声だった。

 

「手前は数多くの冒険者に、それこそ数えるのが億劫になるほど武具を打ってきた。何日も何日も鉄を熱し、汗を流し、槌をふるい、鉄を鍛えてきた」

 

 それは、羨望の感情が含まれていた。心の底から、椿は鈴音の持っているものを欲しがった。それは、ただ腕の良い鍛冶師だからと言って出会えるものではない。

 

「それでも、手前はただ一人にこの身を捧げて武具を打ちたいと思ったことはない」

 

 優れた鍛冶師故に己の武具に誇りがあり、他のすべての客を蹴ってただ一人のために鉄を打つことがどれほど凄いことか鈴音は理解していなかった。

 

「鈴音は手前にこう言った、持てるすべての技術を手前に明かすと」

 

 それはホトトギスを打つ時に交わした約束だった。あの時も、今さっきと同じだった。アゼルのためなら他のすべてを投げ捨ててもいいと思ったのだ。

 

「ならば見せてくれ。お主の行き着く先を。手前では見ることのできない、お主の鍛冶の道を」

「……」

 

 鈴音はその話の大きさにただ唖然とした。行き着く先などそもそも到達できるかすら分からないのに、そこまで至れと椿は言った。

 ヘファイストス・ファミリアの団員は、入団時に主神である鍛冶の神ヘファイストスの打った武具を見せられる。そして、その武具を越えようとする者だけが入団できる。入った当初、いや、つい最近まで鈴音もそのために打っていた。あの美しすぎた刀を越えるために、精進していた。

 しかし、今は違う。鈴音は他の団員たちとは違う道を歩み始めた。何故なら、彼女は見つけたのだ。彼女の打った刀が最も輝く場所を、最も美しい斬撃を繰りだす人物を。

 

「そのためなら、手前は援助を惜しまない」

「そ、そんな冗談、やめてください」

「冗談などではない。金がいるのなら良い仕事を紹介しよう、材料がいるのなら調達しよう」

 

 その声も、表情も真剣そのものだった。

 

「強くなりたいと言うのなら、手前が鍛えよう」

 

 その一言が、鈴音を揺さぶった。

 彼女は鍛冶師であり、鍛冶師は冒険者の武器を打つ存在だ。しかし、鈴音はアゼルに恋をしてしまった。自分の打った武器を使ってもらいたくて、全身全霊で最高の一振りを打った。アゼルという存在に、自分があるということに喜びを感じた。

 しかし、人は強欲である。

 

 その先が見てみたくなった。アゼルの振るう刀が見たくなった。彼のいる世界が見たくなった。その次は、同じ世界を見たくなるのは当然と言えるだろう。アゼルの横で、同じ景色を見てみたいと思うのは何もおかしくないだろう。

 

 それが、本当にしたいことなら、他のすべてを投げ捨ててでもしたいことなら利用できるものは利用する。それが人であり、その機会が今しかないのなら―――

 

「――私は、強くなりたいです」

 

 いつの日か、アゼルと同じ世界を見るために、武器を打つだけではなく共に戦うために。

 

「――あい、分かった」

 

 忍穂鈴音は覚悟を決めた。

 アゼル・バーナムが他のすべてを斬り捨て、すべてを斬り裂く剣士になることを決意したように。ヘスティアが己の行動がアゼルを苦しめても彼を家族として迎えようとするように。

 

 彼女は多くの可能性を捨てた。ただ一人の男のためにあるために。それが報われようとも報われなくとも。

 彼の傍らで、その刀がこの世のすべてを斬り裂く光景を見るために。

 




閲覧ありがとうございます。
感想や指摘があれば気軽に言ってください。

要望にもあったし、自分でもこのままだと鈴音の出番がなくなるなあと思ったので鈴音参戦。どのあたりで参戦させるかは未定。

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