剣がすべてを斬り裂くのは間違っているだろうか 作:REDOX
「それにしても、変えたんだね武器」
「え? ああ、お見せするのは初めてでしたね」
そう言って私は腰に差した刀をティオナに見せた。黒塗りの鞘と黒の柄、見た目は地味の一言だが切れ味や握り心地などは納得できる一品だ。
「まあ、これは繋ぎの武器なんですけどね」
「新しいの買うの?」
「いえ、今打ってもらっています。そのための資金集めですよ」
「へえ、いい武器だといいね!」
特に深く考えていないティオナは何も思っていないのだろう、いつもどおり笑顔で私の話を聞いていたがリヴェリアさんや他の面々は違った。
「それは特注ということか?」
「ええ、何かおかしいですか?」
「いや、レベル1の冒険者に好き好んで特注の装備を作る鍛冶師というのはあまりいないからな。普通専属契約などを交わすのはレベル2にランクアップして二つ名を得て名を上げてからが一般的だ」
「私が彼女に頭を下げて頼み込んだんですよ」
リヴェリアさんの質問に答えるが、私が頭を下げたという部分は嘘である。真実は鈴音さんの方から打たせて欲しいと言い出したのだが、それを言うと更に話を掘り下げられそうなので止めた。
「というか鍛冶師は女なのね。人の妹を散々誑かしておいて、すぐ次の女に乗り換えるの?」
「人聞きの悪い事を言わないで下さいよ。あれはからかってただけですよ」
「そうとは思っていない奴が一人いるけど?」
耳聡く鍛冶師が女性であることを聞いていたティオネさんは以前闘技場でしたやりとりのことを言っているのだろうが、彼女もその場にいた上テンパっていたティオナを見て大いに楽しんでいた一人だ。
そして、その「そうとは思っていない」人は私のすぐ隣、現在進行形で顔を朱に染めているティオナなのだろう。ティオネさんはニヤニヤしながらティオナを見ていた。
「し、知ってたから!」
「そうよね、知りながらも毎日毎日私にこいつのことを話したのよね」
「な、何言ってるのティオネ!?」
「あの時のアゼルの」
「わあぁぁッ!」
羞恥心が限界を越え、とうとうティオナは抑えられず手に持っていた
咄嗟にしゃがんで避けるが後ろ髪の毛先が少し切れた気がする。横にいたティオネさんと更にその横にいたフィンさんはいつの間にか少し離れたところまで退避していた。流石は上級冒険者、跳び退くという未来を事前に見ていないとさっぱり動きが追えない。
「あ」
「少しは考えなさい馬鹿」
「うぅぅ、だってティオネがぁ!」
内心ヒヤヒヤしながらそれを顔に出さないように再び歩き出す。
「それにしても、君は本当にレベル1なのかい?」
「またその質問ですか?」
「言ってはなんだけど、中層で単独戦闘をこなすレベル1の冒険者の存在と、君がレベルを偽っているという二つだったら後者の方がまだ信じられる。それくらい君が17階層にいた事は異常だ」
フィンさんの指摘に頭を捻らせる。自分としてはできることをやっているだけなので違和感はないのだが周りから見るとどうやらそうではないらしい。
基本的に刃が入れば一撃必殺と言ってもいい私のスキルと未来を見ることのできる魔法も合わさって、レベル適正を超えた階層にいるのだろうとは思っていたが、それが既に信じられない程深い所まで来てしまっていたようだ。
「できてしまうことはできてしまうとしか」
「本当に君は……ランクアップが楽しみだよ」
親指を擦りながらそう言ったフィンさんの表情は少し険しかった。
「そういえば皆さんは探索の帰りですか?」
「それが聞いてよッ!」
私の質問に対して横から突然ティオナが大声で答える。ティオネさんが何か吹き込んだのか、こちらを見てニヤニヤしていた。
「お金稼ぎしよーってダンジョンに来たのに!」
「来たのに」
「18階層で事件に巻き込まれて! 暴れて!」
「はい」
「事情聴取のために地上に戻らないといけないの!」
「つまり暴れ足りないということですか?」
「そういうこと!」
かなり省略されているであろうその説明に私は納得した。というより部外者である私に教えていいことというのはかなり少ないだろう。
「行ったことないんですよね、18階層ですか」
「行ったことないのが普通なんだけど……ちなみに最高到達階層は?」
「今のところ17ですね」
「そこまで行ったら18階層行こうよ。今は階層主のゴライアスもいないだろうし。あれ? それともそろそろ復活だっけ? まあ、取り敢えずモンスターいなくて安全だよ?」
「モンスターのいない階層だから行かないんですよ」
「ああ、うん、なるほどね」
18階層がモンスターの出ない安全地帯であることは、少しだけだが中層に関して調べたことがあったから知っていた。しかし、そんな所に興味のない私はとりあえず17階層まで降りてそれ以上は降りないようにしたのだ。
「じゃあ次は18階層を飛ばして19階層に行くの?」
「中層で物足りなくなれば……そうですね、新しい刀ができたら物足りなくなるかもしれません」
それから地上に到着するまでロキ・ファミリアの面々と他愛もない話をしながらダンジョンを歩いた。モンスターはほとんどアイズさんが出会った次の瞬間に倒していた。モンスターに突っ込んでいく冒険者というなかなか見ることのできないことを見せてもらった。リヴェリアさんによるとアイズさんは中層より遥かに強いモンスターが出る下層や深層でもモンスターに一人で突貫するほど戦うことに執着していると溜息を吐きながら教えてくれた。
やはり見た目が美しい少女と言っても冒険者ということだろう。私からしたら彼女程の剣の腕を持ちながら戦うことを好まないと言われる方が信じられないので、そこまで驚きではなかった。
その後ロキ・ファミリアの面々と地上に帰還し魔石やドロップアイテムを換金した。ティオナが拾っていてくれたおかげで魔石が大量に獲れ、ヴァリスも今までにない程稼げた。
ティオナ達は早く事情聴取を終わらせて再びダンジョンに戻りたかったため、換金所で早々に別れた。そして私は代金の相談をしようと思い、鈴音さんの家へと向かった。
■■■■
アゼルは鈴音に会うために彼女の家へと向かったが、それは間違いであった。
彼女は冷えきった工房に一人座っていた。
ここ数ヶ月程一度も火の灯されていなかった炉は冷たく、工房自体に来ていなかったため全体的に埃っぽい。しかし、彼女はそんなことを意にも介さず机に向かい、様々な情報が描かれた紙束を眺めながら今から打つ刀を想像していた。
使用する金属は非常に稀少な金属であるアダマンタイト。ダンジョンで採れる金属の中でも随一の硬度を持つそれは下層や深層でないと安定して採れない鉱物だ。
鈴音の悪い噂が流れ始めてからめっきり刀が売れなくなった彼女には当然そんな素材を買う金銭はない。しかし、知り合いと交渉し彼女の持つ鍛冶に司る技術のすべてと対価に素材の代金を払ってもらった。鈴音としてもはすべて自分の手で完成させたい一振りではあるが、材料を揃える資金がないことには何も始まらない。
恥も外見も気にしている場合ではない。最高の一振り、それは想いだけで打てるほど生易しいものではない。
柄、鞘、笄に使用する木材は長年掛けて自然乾燥させた物。切ってすぐの木材は縮んだり伸びたりするので、刃を収納しておく鞘としては使えない。自然乾燥させた木材の中でも彼女が自ら市へと行き、木の状態を吟味して選んだ物を使う。
柄に巻くのはフライレイと呼ばれる魚の皮。非常に素早く、そのスピードを使い水面から飛び跳ね、まるで空を飛ぶように見えることからそう名付けられた魚だ。別段珍しい魚ではないが、その皮の表面には粒がたくさんあり柄紐を巻くのに役立つ。
柄紐はダンジョンに生息する蜘蛛型のモンスターが吐き出す糸を解き、紐に編んだ物だ。非常に伸縮性に優れ、細い糸からは想像できない程の強度を持っており、解く時に特殊な薬品に漬けることによって粘力を失くし触り心地も良い。何よりも程よい弾力があり握りやすく、普通の紐とは一味違った紐だ。
鞘の塗りは黒、柄には白い皮と藍色に染めた紐を巻き、目貫は彼女がいつも使っている鈴を模した物を使う。
鈴音の中で刀のイメージが確かな物へとなり、同時にそれを持つアゼルのイメージも彼女の中でより鮮明に見えてくる。しかし、その刀の描く軌跡が未だ見えない。
――早く見たいよ
彼女の中でその想いが強くなっていく。まるで身体の中を暴れるようにその感情は彼女を突き動かしていた。
そしてその想いを炉に灯す。
猛る炎が彼女の顔を照らし、工房の中に再び風が産まれる。忍穂鈴音は帰ってきたのだ。そして漸く彼女は自分の居るべき、帰るべき場所に気付いた。
初めて刀を打った時のことを思い出す。あの高揚感、そして自分で打った刀に対する愛情。今は思い出にあるその瞬間を遥かに越える高揚感が身を支配していた。
インチキだと罵られようとも、他人から嫌悪の目で見られようとも、もう彼女には関係のないことだった。
その槌はただ一人のためだけに振るわれればいい。
その炉はただ一人のために燃え続ければいい。
その心はただ一人のためにあればいい。
その想いをただ一人のために一振りの刀に打ち込めばいい。
最早アゼルに対する彼女の想いに他人など入る余地はなかった。
炉の中で炎が一層強く燃え、鈴音はそれをじっと眺める。そして、やはり思い出すのはアゼルの手であった。もうすぐ、きっともうすぐあの手が握ってくれる。
「おや、少し遅れてしまったかの?」
「……ううん、ぴったしだよ」
気付けば工房にもう一人女性が入ってきていた。燃える炎に集中するばかりか、鈴音はその人物に気付いていなかった。
左目に眼帯をした褐色の女性だ。上半身は豊満な胸を隠すためのサラシ以外は着ておらず褐色の肌を惜しみなく露出している。
「ふむ、良い面構えになったのう。もしや、男か?」
「……うん」
「お主にここまでさせる男がいるとはのう。いつか会ってみたいものだ」
「こ、今度ね」
その女性は眼帯をしても尚他人の目を惹く魅力がある。あまり意中の相手に会わせたくないと思ってしまった彼女を責める人はいないだろう。そしてなにより、目の前にいる女性は強い。
「あい分かった。では始めるとしようか、鈴音」
「うん。手伝いに来てくれてありがとう、椿さん」
「何、お主の技法を見せてくれると言われれば誰だって来るさ」
その女性の名前は椿・コルブランド。ヘファイストス・ファミリアの首領であり、オラリオで最も腕のいい鍛冶師であると同時にレベル5の冒険者でもある彼女の名だ。ヒューマンとドワーフのハーフではあるが、ヒューマンの血を色濃く受け継いだ彼女は一般的な短足短腕のドワーフと違い手足もスラリと長い。
鈴音の刀の素材の代金を代わりに払った人物であり、鈴音の現状を心配して色々と世話を焼いてきた人物でもある。
鈴音が刀を打つので手伝って欲しいと言ってきた時椿は喜んだ。
彼女は鈴音の打つ刀が好きだった。椿が打つ武器は完全に戦闘用の物だが、鈴音の打つ刀は違った。
鈴音の打つ刀は美しかった。刃は細心の注意を払いながら丹念に研いだのが分かる輝きを放ち、反りはその輝きを鋭さへと変えた。鞘から抜かれた瞬間空気が変わったのではないかと思うほど、鈴音の打つ刀の刃は椿には美しく見えた。
そもそも二人は違う信念の元で武器を打っているので当然の違いだ。しかし、美しさを追求するという殺傷のためにある武器には無駄とも思える鈴音の信念を椿は新鮮に思った。椿にとって鈴音との出会いは、また一つ彼女の中で鍛冶の奥深さを知らしめた出来事だった。
そんな鈴音がどうしても完璧に仕上げたい一振りがあるから手伝って欲しいと言ってきたので椿は急いで受けていた仕事を済ませ駆けつけた。
そして炉の中で燃える炎に照らされ鈴音の横顔を見て、また一人楽しみな後輩ができたと心の中で呟いた。
轟々と燃え盛る炉に忍穂鈴音という少女は向き合った。燃える炎に負けないくらいの激情を内に抱えながら彼女は槌を握った。
熱せられた金属を炉から取り出し、槌を振り上げる。
――すべてを斬り裂いて
ただそれだけを願って忍穂鈴音は槌を振り下ろした。
■■■■
結局鈴音さんは家にはいなかった。共同住宅の外でどこに行ったのかと悩んでいると私に誰かが声をかけてきた。
「そこの貴方」
「私ですか?」
声の主は燃えるような赤い髪をし、顔の右側を覆う大きな眼帯をした男装の麗人だった。しかし、男装しているからだろう、その美貌はより一層引き立てられているように思えた。
髪と同じく炎を思わせる赤い目が私を捉えていた。私もその目を見る。圧倒的存在感と万人を惹きつける美貌。目の前に立っている女性が人間ではなく神、つまり女神であるということを理解する。
「ここになんの用かしら?」
「ええと、私そんなに怪しかったでしょうか?」
私としては建物の前で悩んでいるだけで怪しまれるほど奇抜な格好でもないし、不潔というほど身だしなみを疎かにしているつもりもない。
「ここは私のファミリアの子供達が住んでいる場所。そして貴方は私の眷属じゃない。別に貴方が特別怪しいということじゃないから安心しなさい」
「それはよかった」
「それで、ここになんの用かしら? 鍛冶師に用があるなら工房に行ったほうがいいわよ」
「工房? それはどこにあるのでしょうか?」
「どこって」
彼女は溜息を吐きながら呆れていた。自分のファミリアの鍛冶師に用がある人間だったからだろう、私に対する警戒心もなくなり彼女が私に近付く。
「まずは自己紹介ね。私はヘファイストス・ファミリアの主神兼社長のヘファイストスよ」
「私はヘスティア・ファミリアに所属するアゼル・バーナムです。レベルは1の所謂駆け出し冒険者です」
「貴方が」
驚くことにヘファイストス様は私の事を知っているような口ぶりだった。そんな彼女は現在私の左手に装着されている籠手を見た。
「私の事をご存知なんですか?」
「ええ、ヘスティアとは天界にいた頃からの神友よ。少し前会って貴方のことを聞いたの」
「なるほど」
「ちなみに」
そう言って彼女は籠手を付けている左腕を掴み、私の目の高さまで持ち上げた。
「これを製作したのは何を言おう私よ」
「……え?」
「あいつ言ってなかったのね」
「いえ、ちょっと待って下さい。え、えええ?」
鍛冶をするファミリアであるヘファイストス・ファミリアの主神であるヘファイストス様は恐らく鍛冶の神である。神としての能力を使えないとはいえ、その神が作った籠手。確かに軽いのに頑丈だし、付け心地は抜群だったが、まさか神の作った装備だったとは。
「まあ、もう一人に作ってあげた物に比べれば何の変哲もない籠手なのだけれど」
「も、もしかしてあのナイフも」
「私が打った物よ」
「……」
驚きで声が出ないのは初めての経験であった。私のは何の変哲もない籠手というのだからベルの持っているベルはヘスティア・ナイフと呼んでいる黒いナイフは何かしら力が込められているのだろう。しかも神であるヘファイストス様が直々に打った一振り。
一体どれほど金を積んだのか、と思ったが我がヘスティア・ファミリアは零細ファミリアである。要するに金に余裕などない。
「あの」
「代金についてはもう話がついているから心配しなくていいわ」
「え、あ、はい」
私はあまり金に固執する人間ではないが、それでも借金などは御免だ。
表情に少し不安が見えていたのだろう、ヘファイストス様はそれを見抜いたのだろう。なんと言っても永遠とも言える時間を生きる神なのだ、人の表情を見るのに長けているという特徴はほぼすべての神に適応される。
「羨ましい?」
「え」
「あまり言いたくないけど、製作費は断然ナイフのほうが掛かっているわ。違う物だから単純に比較はできないけど、性能は天と地ほどの差になるわ、いつか」
羨ましくないと言えば嘘である。神が打った武器を振るうという事に惹かれない冒険者はいないだろう。しかし、きっとそうではない。
ヘスティア様は言った、私を大好きだと言えるようになると。その言葉に偽りなど感じなかった。ならば何故装備の性能に差を付けたのか。
考えても、私には分からなかった。もしかしたら、彼女の愛情の差なのかもしれない。人も神も行動に感情が表れるのは変わらない。しかし、それでも。
「いえ、そこまでは」
「そう?」
「私は貰ったことに意味があると感じています」
あの日、あの時まで私の事をあまり気にしていなかったヘスティア様が私に歩み寄った。この籠手はその取っ掛かりであり証拠であり、私とヘスティア様の見える絆だ。
私がいつか装備の差に気付くであろう事は、ヘスティア様とて可能性としては考えていたはずだ。それでも彼女は私にこの籠手を与えた。ならば、きっと性能の差に意味などなかったのだ。
そもそも目の前の女神も何も意地悪でこんな質問をしたわけじゃないのだろう。ヘスティア様がどのような想いで渡したのか、気付いていればいいし、そうでなければそれとなく私に教えるつもりだったのかもしれない。
「ふふ、よかったわ。羨ましい、なんて言われたらどう返そうかと考えていたわ」
「流石に神に武器を強請るほど強欲ではありませんよ。それに、正に今武器を作ってもらっている最中です」
「そうだったわね。誰に作ってもらってるのかしら? 名前が分かれば場所は分かるわ」
なんでもヘファイストス・ファミリアの構成員は入った時点で個人の工房、鍛冶をする場所を与えられるらしい。鍛冶師として自分の技能を秘匿するためには必要なことだそうだ。
「忍穂鈴音さんという方です」
「鈴音? でも、彼女は」
鈴音さんのことは彼女も知っているのだろう。鈴音さんは数日前まで鍛冶師を休業していたが、私の刀を打ちたいと言ったのだから鍛冶を再開したと言っていいだろう。
ヘファイストス様は少し考えてから私に言った。
「私も確認しに行くから案内してあげるわ、こっちよ」
「ありがとうございます」
歩き出した彼女の後ろを私は追った。前を歩くヘファイストス様が少し早足だった。
鉄を打つ音が響く。それは、鍛冶師達の音だ。
ヘファイストス様に案内されたのは何度か路地を曲がった先にある場所だった。煙突の付いた平屋造りの建物がいくつも並び、辺り一帯から鉄を打つ音が聞こえてくる場所。
「ここがうちの鍛冶師達が工房を構えている地域の一つよ」
「初めてここまで来ました」
「用がなければ来るような場所ではないわ」
喋りながらも彼女はその足を一つの建物へと進めた。他の建物とほとんど変わらない、今は煙突から煙が出て、中からは鉄を打つ音が絶えず聞こえてくる工房。きっとそこが鈴音さんの工房なのだろう。煙が出ているし、鉄を打つ音が聞こえてくるので恐らく現在は作業中のようだ。
「本当に」
私の横で同じ物を見聞きしていたヘファイストス様はまるで母が子を愛しむような表情をしていた。今彼女が見ているのは一人の眷属の挫折と再起の一幕だ。それを喜ばない主神などこのオラリオにはいないだろう。
「貴方のおかげみたいね。ありがとう」
「別に、私は何もしてませんよ」
「いいえ、そんなことないわ」
やんわりと私の言葉を否定した彼女は、耳を澄ませてみろとジェスチャーをしてくる。言われたとおり耳に手を当て音を聞いてみる。
変わらず規則正しく、一定の強さで響く鉄を打つ音。
「音を聞けば分かるわ。鈴音は貴方のために武器を打っている」
「……私にはさっぱりですね」
「ふふ、分かってたらうちのファミリアに勧誘してるわ」
既に耳から手を離した私と違い、ヘファイストス様はまだ音を聞いていた。目を閉じ、鉄を打つ音から何かを感じ取る彼女は美しかった。
私も試しにもう一度音を聞いてみる。
「燃える炉で鉄を熱し、振るわれる槌で鉄を打つ。そうやって私達は鉄に魂を込めるの」
歌うようにそう言った彼女の表情は慈愛で満ちていた。子供を励まし成長を見守る母のようにに見えた。
「燃える熱さは血となり、打たれる音が鼓動になる。そしていずれ鉄は脈打ち命が宿る。私達が自らの血を、魂を込めた一振りができる」
少し離れた場所で今も鉄を打っているであろう自分の眷属の背中を押すように、彼女の言葉には力がこもっていた。
「込める想いは様々だけど、想いの宿った槌を振り下ろした音は」
また鉄を打つ音が響く。辺り一帯から絶え間なく聞こえてくるはずの音の中、一つだけ私の耳に訴えかけてくるように聞こえてくるその音。
「こんな音よ」
「……」
「今度は聞こえたかしら?」
その音は直接身体に響いてくるようだった。普段であればなんの気なしに聞き逃していたであろうその音は、今私の耳には心地よく聞こえていた。その音は何かを私に伝えようとする叫びのようだった。
腕が疼いて震えた。ダンジョンから帰ってきたばかりだというのに、ホームに戻ってすぐとんぼ返りするはめになりそうだ。
「ふふ、聞こえたみたいね」
「ええ……よく分かりませんけど、何か響いたような気がします」
「そう、ならよかったわ。後、手」
そう言ってヘファイストス様は私が無意識に握っていた刀の柄を指差した。
「あ」
「変な誤解を生むだろうから、気を付けたほうがいいわよ?」
「いやあ、すみません。つい」
「気持ちは分からないでもないわ。私も今槌を握りたい気分だもの」
「そう言って貰えると助かります」
ここからでは見えない鈴音さんが、汗をかき熱さに耐えながら槌を何度も何度も振っている姿を想像した。普段の彼女からはまったく想像も付かなかったが、鉄を打つ音を聞いていると自然と頭に浮かんで来た。その真剣な表情を見た気がした。今彼女は彼女に打てる最高の一振りを打とうとしている。
ならば私も自らの腕を磨くべきだろう。剣に見劣りする剣士などただ滑稽でしかない。剣に見合った技量も持ってこそ剣士だ。
「今会いに行くわけにもいかないし。帰るわよ」
「そうですね」
そう言った彼女は私を一瞥してから鈴音さんの工房に寄らずにそのまま帰ろうとしていた。
刀を打つ音だけでここまで何かを斬りたいと思ってしまうのなら、出来上がった一振りを握った時私はどうなってしまうのだろうか。恐らくまともな思考はできなくなるだろう。何階層まで降りればその欲求が満たされるのか予想もできない。
これはまたヘスティア様を心配させることになるだろうと思いつつ、私はそうなることを止めることができないと確信してしまっていた。
ああ、やはり私は人を悲しませてでも自分の欲求を満そうとしてしまうような男だ。自嘲的な笑みを浮かべた私の心の中に歓喜が渦巻いていた。
早く握ってみたいと思いながら、ゆっくりとヘファイストス様の後を追った。
閲覧ありがとうございます。
感想や指摘などがあれば気軽に言ってください。
鍛冶師達の出番。
素材は適当です、気にしないでください。
更新が結構遅れてしまいました。難産な話だった。色々余計な事を書いては消してを繰り返してました。
炉が燃えるという表現が正しいか不安でならない。
※2015/09/14 7:14 加筆修正