拝啓、我が親愛なる妹へ。元気にしていますか? ちゃんと人参は食べていますか? 両親は相変わらず殴りたくなるぐらいラブラブなんでしょうね、殴っていいよ。
君が元気に暮らしているならお兄ちゃんは嬉しいです……え? お兄ちゃんはどうしてるかって? お兄ちゃんは今ね。
「ほらほら、最初の威勢はどうしたの!?」
割と本気で死にかけています。
…………………………
……………
………
さて、現実逃避してしまったが、いい加減認めて見つめるとしよう。
俺は現在進行形で幽香の攻撃を避けまくっている。正直ヤバい、たまに防御するけど腕が痺れる。一撃でもマトモにくらったら内臓がイカれるであろうラッシュだ、滅茶苦茶怖い。
ん? その割には冷静だなって? いやいや、これは分割思考の一つだよ。誰に説明してんだ俺。
まぁ、いいか。ちなみに思考の一番目は
―――ああぁぁぁぁぁ!? ヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバいヤバい死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ死ぬ!! マジで洒落にならねぇよなんだよこれ家帰って夜までダラダラしてりゃよかっ危ねぇぇぇ!!―――
こんな感じ。まさか分割思考がこんなところで役に立つとは思いもしなかった。
しかし回避以外に何も出来ないな、出せる身体能力に差がありすぎる。実際、身体能力は全力を出せればそれなりに対抗出来るだろう。
ただ自分の動きなのに目と思考速度が追い付かないから出せない、故に押し負けている。
「ッ!」
素早く飛び退きながら軽く体を逸らすことで上段蹴りを避け……黒!? なんと素晴らし―――変態になりかけた第二思考を破棄しつつ薙ぎ払われる傘を受け流す、勢いそのままにくる左拳に対しては右半身を反らして対処する。
「カット!!」
ワラキアの代名詞とも言える技、バッドニュースを放つが幽香は軽々と回避する。左手を薙ぎ払うも防がれ、掴もうとしてくる為素早くバックステップ。
……ヤバいな、本気で勝てる気がしない。実力云々とか、経験云々だけじゃない、そもそも単純に俺は決め手に欠けている。何かあればマシなんだが……魔術なんざロクに出来ないからなぁ……。
俺の物理攻撃なんて幽香みたいなタイプ、即ち近接戦闘を好むような大妖怪にはロクに効きやしないだろう。ワラキアの基本戦術は悪性情報を絡めた中距離での攻撃だ、殴り合いには不向きすぎる。
せめて腕力や脚力を強化するような魔術があれば殴り合いも出来るんだが……生憎と習得していない。Fateではルーンを刻むだか付与だかどうたらすることで強化とかするキャラがいたはずだが、残念ながらよく覚えてないし。
「……厄いな」
妖怪の山にお祓いにいこうかな。
まぁそれには目の前のきま……幽香を退ける必要があるわけだが。しかしこの歩く理不尽死亡フラグから生き残れたら大概の災厄からは生き延びれる気がする、冗談抜きで。
「勝負の途中に考え事とは余裕ね?」
「クッ!?」
跳躍し、襲いかかってきた幽香の攻撃を避けると、俺が妖怪を倒した時とは桁違いの破砕音が鳴り響いた。
音源である幽香の拳は殴り付けた地面に小さなクレーターを作り出している。それなんて爆裂拳?
「まだよ!!」
息をつく暇も無く、視界を覆う程の弾幕が襲いかかる。込められた妖力からして一発一発の威力はそう高くない……精々下級妖怪の全力程度のはずだ、むしろ目的は回避に必死になっているところを潰すことだろう。
しかし一発辺りの威力が低いなら問題無い!!
「なっ……回避しないつもり!?」
ドドドドドドドドッ! と、激しい爆音が鳴り響く。弾幕の爆発によりパラパラと砕けた地面の欠片が舞い、砂煙が視界を遮る。腕を横なぎに振り、それとともにマントを翻すことでそれらを払って幽香に対してどや顔――という名の、意味深な口の端を吊り上げた笑みを浮かべる。しっかりと、無傷であることを見せつけるように。
「チッ……やっぱりそれはただのマントじゃないようね。恐らく、障壁でも張れるのかしら?」
「……御名答、このマントは常に魔力霊力妖力に対する障壁を張っているのだよ」
「随分と厄介で上質なものね…腹立たしいわ」
忌々しげに此方を睨み付ける幽香。確かにこのマントは敵にしてみればかなり厄介な代物だろう。
色々と調べた結果、この服はかなり高レベルの術式が編み込まれていると分かった。着ていれば厚さこそ薄いながらもかなり頑丈な障壁が張られ、そこらに居る妖精程度の弾幕なら無効化出来る。
魔力さえ流し込めばさらに強化可能で中級妖怪の弾幕まで防ぎ、多少ながら物理攻撃にも対応した逸品だ。修復機能もあるので破れても元通りになり問題なく扱える。
……ちなみにだがこれを調べるのにさらに魔道書を借り、内容を理解するのに三日を費やしたのは完全に余談である。いやまぁ、それだけの価値はあったけどね。
「面倒ね、今ので防がれるとしたら弾幕だけでは時間がかかるわ」
「元々そのようなつもりなど無いのだろう?」
「あら、よく分かってるじゃない」
そりゃあね、分かるさ。凄い楽しそうな表情してるもの。獰猛な笑みってやつ?
「喰らいなさい!!」
「お断りだ……!」
さらに速度を増したラッシュをひたすらに避ける。
右から、左から、下から、上から、素早く回り込まれ後ろから……!?
「ガッ!?」
一発、避けきれずに腹部に喰らう。障壁による軽減があって尚、かなり重い一撃、だが怯んだら終いだ。
痛みを無理矢理堪えて跳躍、大きく距離を離す。
「逃がさないわよ!!」
蹴りつけた地面を破壊しながら向かってくる。
「クッ!!」
それに対し、魔力を使って不慣れな弾幕を張る。大小様々ではあるが込められた魔力にムラがあるため見た目での判断は出来ないという、偶然ながらも罠としてはそれなりのものだ。
弱点はまだ魔力の運用が下手だから消費が激しく、多用は出来ないこと。バッドニュースよりはマシだけど、やはり使いにくい。
「面白い弾幕ね……」
俺の放った弾幕の向こうで幽香が呟いた。速度を緩めることはせずにトップスピードを保ったまま駆けてくる、規則性も何も無い俺の弾幕を軽々と避けながら。
……って軽々と!? そんなにショボいか俺の弾幕、流石に傷付くぞ!?
「ブレイク!!」
悪性情報を渦にして直接幽香に叩き込む―――がまたも回避される。
「その黒い技は厄介ね、出所が掴みにくいわ」
「容易く回避しつつ言われても、皮肉にしか思えないがね?」
「皮肉? いいえ、純粋な賛辞よ。そもそもまだ千年も生きてないはずの貴方が私とここまで戦える、これだけで称賛に値するわ」
基準はやっぱり自分自身かよ……確かに自惚れとは言えない強さだが……。
「私としては本当に惜しい、後数百年でも経てば素晴らしいものになれただけに……ね」
「それはまるで、私を殺せるというような発言に聞こえるのだが?」
「えぇ、殺せるわ。間違いなく私は貴方を殺せる。倒せるのではなく、殺せるのよ」
……クソッ、そんな断定しなくてもいいだろう。プライドのプぐらいは俺だってあるんだぜ? いい気分しねぇって……。
「そう言われると抗いたくなるね……」
「それは構わない、私としてはそのほうが楽しめるもの。だけどね」
―――生き残れるなんて、そんな夢は見ないことね
ゾクリとする、というのはこういうことなのだろう。
体温が下がり、冷や汗が出て、頭の回転が速くなる。恐怖という感情が自分を支配し、身体を強張らせる。
畜生、何がプライドのプだよ……一気に逃げ出したくなったじゃねぇか、情けねぇ……。
「貴方が力を……いえ、技を使いこなせたら、私は負けていたかもしれない。そのぐらいにあの黒い何かは厄介なもの。でも貴方は使いこなせていない、なんとなくそう感じたのよ……不思議だわ」
分析、しかも的中かよ。ヤバい、マジにヤバいぞこの状況……!
っても何も案が浮かばねぇ、あぁ畜生どうするどうする!!
「マントの高い性能も、距離をとって戦えないのでは殆ど意味が無い。アンバランスね、何もかも」
ジャリッ、と踏みしめるように歩き出す幽香。
「私は長い時を生きて、数々の敵を打ち倒してきたわ。中には吸血鬼も居た」
ゆっくり、ゆっくり、何かを確認するかのように歩く。
「貴方とは違って、吸血鬼らしい奴ばかりだった。太陽は天敵で、夜に生きる……そして全てを見下す傲慢な性格」
また一歩、近付いてくる。
「でも貴方はその吸血鬼よりも間違いなく強いのに、吸血鬼らしくない。太陽がどうとか、そんな話じゃない。口調はまだしも、纏う雰囲気が人のそれに近い」
全てを射抜き、見透かすような目が俺を捉えて離さない。
「もう一度言うわ。―――アンバランスなのよ、何もかも」
再度、ゾクリとする。
何故か、何故か全てを知られた気がした。そんなわけが無いのに、自分はこの身体の持ち主ではないと、言い当てられたような気がした。
「元々は人だったりしたのかしら? だとしたら、そこから何かしら事情があって吸血鬼になった? それならアンバランスなのも説明がつく。でも吸血鬼として日が浅いようには見えない、吸血鬼と考えるならまだまだ若いでしょうけど、力を把握するには十分な時間はあったはず……」
つらつらと幽香は考えを述べる。
しかし俺に聞く余裕は無い、先の衝撃が未だに俺を包んでいるからだ。
「興味は尽きないわ、生かしておいて飼うのも良さそう」
飼うって冗談じゃ……ねぇよなぁ……。
「まぁ、それは無いんだけど……ね?」
フッ、と幽香の姿が消えたと思った次の瞬間。
幽香の拳が腹に突き刺さっていた。
「が、あっ!?」
拳は振り抜かれ、吹き飛ぶ俺。
痛みを認識する前に地面に叩きつけられ、無様に転がる。
「カハッ……アッ……!!」
口に広がる血の味、吐き出される量は異常で間違いなく内蔵がヤられたのだと分かる。というか、痛すぎてそれ以外に考えられない。
分割思考の殆どが痛みに対する叫びを上げる中、辛うじて耐えている思考をフルに使い傷を癒すために魔力を込める。
「グッ……」
グチャグチャにされていた内蔵を治し、次いで流れた分の血を作り出す。
気が遠くなりそうだが、なんとか踏ん張り作業を進める。
「吸血鬼だから臓器に関しては治せそうね、でも血はどうかしら?」
どうかしら……って、最悪に決まってんだろうが!!
「まだ殺気を出す余裕はあるのね……まぁ、余裕なんてすぐに無くなるわ。いくら吸血鬼が高い不死性を持っていても、真祖で無い限り生物という概念から外れたわけじゃないもの。生物である以上、血を流し続ければ死ぬ……コレは実践済みよ? 長く耐えられるせいで余計に苦しむ奴ばかりだったけど、ね」
流石は最強で最凶の大妖怪だな、おい。…………あれ、ヤバいな……急に目が霞んできやがった……。
畜生、まだ一矢も報いてねぇのに……拙いとか、そんな生易しい話じゃねぇぞ、コレは……駄目だ……気が遠……く……。
…………………………
……………
………
「……終わったわね」
ポツリと、風見幽香は呟いた。視線の先には倒れ伏し、動かなくなった吸血鬼が一人。それを見つめる瞳には少しばかりの後悔の念が感じ取られた。
自身でも珍しいと思えるほどに興味を引かれた存在だったのだし、生かしておいて飽きるまで遊ぶことも出来た故に悔いがある。
……だがまぁ、それも最早不可能、如何せん彼は挑発的すぎたし仕方ないといえば仕方ない。
所詮は一時の興味、いつかは殺す…それが早いか遅いかの差だ。早すぎた……とも言えるが、暇なら暇で花を育てて眺めて慈しんで愛でればいい。そうして生きてきたし、それが幸せだから。
「……………………」
死体はそこらの妖怪の餌にでもなるか、養分になるか……出来たら後者で精々良い栄養になればいいと思う。吸血鬼だから分からないが、毒にはなるまい。
死体の放置を決めてから踵を返し、花畑へと向かう
「待ちたまえ」
―――のを止め、声に反応し即座に振り向く。不思議なことに、吸血鬼はそこに立っていた。無傷で、薄く笑みを浮かべ、吸血鬼は立っていたのだ。
流石に驚いた、がそれ以上に―――嬉しかった。
「何をしたか知らないけど、そのまま倒れとけばよかったのにね。そしたら無事に帰れたもの」
挑発、だがこれは昂る自身を抑え込む為に口を開かざるを得なかったからだ。
「そのような結末ではつまらないだろう?それに最初に言ったはずだ、結末は私の勝利で終わるとな」
対し、吸血鬼は変わらぬ様子で答える。先の震えが嘘かのように、飄々とさえした口振りではあるが。
故に彼女はより昂る。まだ彼は自身に勝つつもりだ、勝機が、それを手繰り寄せる手段が彼にはまだあるのだ。ならばやるしかあるまい、戦って殺るしかあるまい。それが風見幽香が、風見幽香たる所以なのだから。
「さぁ第二幕だ、派手に舞おうではないか大妖怪よ」
「いいわよ……派手に殺ってあげる……!!」
掛け合いは終わり、戦闘が再度始まる。
まずは先手を取るべく弾幕を張る。先程のように障壁に防がれるだろうが、むしろ今回はそれが狙い。止まっているところを殴り飛ばす算段だ……が。
「ほぅ、実に鮮やか……だがしかし足りない!!」
同じく吸血鬼も弾幕を張った。しかも込められた魔力は同等、綺麗に相殺となった。
舞い上がる砂煙、その中で吸血鬼は素早く動く。爪を鋭く、牙を光らせ、風見幽香へと襲いかかる。
「まだ殺意が君には足りない! それでは劇が締まらないではないか!!」
圧倒的に増した速度で薙ぎ払われる右腕を跳ぶことで回避する、下りつつの蹴りはやはり避けられる。
「カット!!」
「チッ!!」
叫びに対し、舌打ちする。
先程より精度の増した黒い何かを避けつつ、仕方なしに一度距離を取り弾幕を張る、がしかし先程と同じく相殺されてしまい歯噛みする。
そもそも、風見幽香は弾幕は得意ではない。妖力は幻想郷でもトップクラスにあるのだが、あくまで総量があるだけで制御はどちらかというと苦手なのだ。
一撃に大量に込めることで真価を発揮する、まさに砲台のようなソレが彼女の遠距離でのスタイルである。
しかし、今対峙している吸血鬼に命中するか否かで言えば―――間違いなく否。隙でも作ってやらない限り、容易く回避されるのが目に見えているし、隙などそう簡単には作れない。
相性で言えば間違いなく最悪……互いに、だが。此方は接近に持ち込もうにも防がれるし弾幕は相殺。
向こうは遠距離で仕留めたいが自身の耐久力がそれを不可能としている。
あぁまったく、ここまで互いに相性が悪いなどそうは無いだろうに。心の中で愚痴り、小さくため息をつく。
「フム、このままでは延々と同じことの繰り返し……か。流石にワンパターンはいけないね、マンネリズムは観客を飽きさせてしまう」
吸血鬼はそのような様子を見せず、むしろ妙にイキイキとさえしている……本当に妙に、だ。
「さて、第二幕の起はこれぐらいにして残りを消化せねばな……!」
言い終わると同時に黒と紅で彩られた弾幕を放ってくる。これまた先程とは違い、丁寧に練り込まれた魔力で構成されているようだ。
同じように相殺させたいが……ここはそうはせず敢えて回避する。恐らくだが此方が弾幕を放っても、また堂々巡りになるだけだろう。
故に最善ではない、だが最良と思える選択肢を選んだ。
「成る程回避を選ぶか、実に面白い選択だ」
言いながら次は紅い球体のみを連続で放つ。また回避しようと考えたが。
「……!!」
回避でなく、直感で相殺を選ぶ。
放った弾幕が当たると同時、または直前に爆散する球体。速度こそ緩かったものの、破壊力なら間違いなくかなりのものだろう。
「貴方、思いの外えげつないことするのね?」
嫌味を込めて言い放つが、ニヤリと笑うあたりまったく気にならないのだろう。むしろ楽しんでいるとさえ感じられる。
「時には残虐な動きも必要なのだよ、劇とはそういうものだ。ただの仲良しごっこで終わっては芸が無いからね?」
「劇、ね……生憎と興味無いわ」
「あぁそれは残念、実に残念だ。ならば君にこの後一昼夜を掛けてでも劇の良さについて説こうか」
「お断り……よ!!」
地を蹴りつけ、爆発的な加速とともに駆け出す。狙いは無論吸血鬼、その頭を砕いてやろうとも考えている。
しかし吸血鬼は予想通りと言いたげに笑みを浮かべつつ、やはり楽しげに言った。
「乗ってあげようじゃないか」
弾幕による牽制は行わず、接近戦をするつもりらしい。魔力を練り、肉体を強化して吸血鬼は迎え撃つ。
「フッ!!」
呼吸と同調させた一撃を振るう幽香、だがそれを流し笑みを崩さない吸血鬼。
二手三手と連続して拳と傘を振るうも全てを捌かれ、流石に苛立ちを覚える……が焦りはしない。一撃、一撃与えれば確実にそこからは此方が攻め続ける一方的な展開に持ち込めるのだから。
「これはこれは……随分と気合いが入っている……」
「貴方は随分と余裕ね……?」
「そう見えるかね?」
「馬鹿にしてるの!?」
繰り出した蹴りは吸血鬼が下がることにより避けられる。下がった、とは言っても距離は10mに満たないため少し前に出れば幽香なら容易く届く範囲。
だが幽香は前に出ない。何故なら、吸血鬼から放たれる殺気染みた何かが増したからだ。
厳密に言えば殺気ではない。似ているようで似ていない、そんな微妙だが確かな危機感を募らせるものが放たれている。
吸血鬼が口を開いた。
「実に面白い、君は幾度の一夜よりも面白い。恐怖を抱かないというのもまた良い、何せ初めて見かける存在だ」
しかし、と吸血鬼は続けた。
「些か君は攻撃的すぎる。劇を演じようにも、これでは無粋なそれにしかならない。君は美しいが、劇とは一人が輝けばいいというものでもないからね」
称賛、そして酷評。二つを織り混ぜた言葉に真意は無く、吸血鬼にあるのは劇に華を添えること。
「故にそろそろ、反撃させてもらう」
呟き、地面に黒い渦を叩きつけるように放つ吸血鬼。同時に素早く、砂煙の中を駆け出す。その速度は先程までとは比べ物にならず、高速と呼べる領域。
右手に魔力が収束、走りながら突き出す。
「ブレイク!!」
「なっ!?」
放たれた攻撃―――悪性情報の塊の先には拳を振りかぶる幽香。吸血鬼が走り出したのに対し、カウンターで潰すつもりだったようだ。
もしただ走り続けていただけなら、間違いなく吸血鬼は喰らっていたと思えるぐらいタイミングが良い。
しかし、そのタイミングの良さが仇となった。既に振りかぶっている以上攻撃は中断出来ないし回避も不可能、故に。
「がっ!?」
吸血鬼の攻撃を喰らうしかない。吸血鬼は怯んだ幽香をマントで攻撃し吹き飛ばす、さらに悪性情報を連続で叩き込む。
「このくらいっ!!」
直撃したのにも関わらず吸血鬼へ向かう幽香、だが無傷ではない。服には血と思われる赤い染み、それに腕にはかなり深い傷がある……腕で防いだようだが、大きな傷であることに変わりはない。
「やれやれ、まったく呆れる程に頑丈だね」
「生憎とあの程度の攻撃で倒れるような鍛え方はしてないわ……!」
互いに会話こそしているものの、凄まじい状況だ。
幽香が嵐の如く拳脚を繰り出し、吸血鬼が柳のように緩やかに受け流す。それまでの攻撃は遊びとさえ思えるが、当たる様子は無いという奇妙な状況。
いや、全く当たらないというわけではない。掠る程度なら幾つか、しかし直接的なダメージになるものは当たりそうにないのだ。
「あああぁぁっっ!!」
「クハハハハッッ!!」
圧倒的な暴力、圧倒的な殺気、圧倒的な―――威圧。それらさえ吸血鬼にとっては笑いの種でしかない。
狂ったように、愉しげに、ひたすらに笑う。
「どうしたどうしたどうした!? そんなものか大妖怪よ!!」
「舐めるなぁぁぁっ!!」
本能のままに、風見幽香は攻め続ける。
しかし……吸血鬼は笑みを深めた。
「クククッ……滑稽滑稽、実に愉快だよ」
「何が……ッ!?」
瞬間、素早く幽香はしゃがみこむ。頭上を何かが通過したのを確認し、足払いをする。
だがここでそれまでただ受け流すだけだった吸血鬼が跳躍し、また大きく距離を離した。しかし幽香は追撃をしようとせず、ただジッと様子を伺う。
「いやはや……まさかアレを避けるとは、予想外に冷静のようだね」
呟く吸血鬼の手元には高速で回転する黒い円盤、どうやらいつの間にかに背後に放っていたらしい。もし避けなかったとしたら頭が落ちていただろう。
それを見ながら、幽香は冷えた頭で答えを導き出す。
「激昂してさえ冷静さも失わない、それは経験故のものだろう……確かに君は正しく大妖怪と言うべき存在だね」
黒い円盤を消しながら言う吸血鬼の賛辞の言葉も、幽香は意に介さず口を開いた。
「貴方……誰?」
「……む? 誰、とは?」
「そのままの意味よ。まさか、分からないとでも思ったの?」
先程までより目付きは鋭く、放つプレッシャーは桁違い。
「雰囲気がまるで違うわ。会った時の人間臭いものとは逆に、貴方のは狂気染みた何かを感じる」
問い詰めるのではなく、追い詰める。口調はまさにそれだった。
「最初は違和感程度だったけれどね、決定打はその技よ。少なくとも会った瞬間の雰囲気なら、そんな確実に殺すための技は使わないもの」
吸血鬼らしからぬ存在が、急に変わったという異常。立ち上がったあの時からずっと感じていたその違和感の正体が、やっと見えてきたために言葉にも知れず殺気が混じるのは仕方ないだろう。
「もう一度聞くわ。……貴方は、誰?」
幽香の問いかけには答えず、吸血鬼が俯く。と、急に肩を震わし始めた。
「何を笑っているの? 何がおかしいの?」
問いかけの内容は変えつつ、放つ殺気を増す。
その瞬間、吸血鬼は顔をバッと上げた。
そこに居たのはズェピアでは無かった。
「なっ……!」
幽香が驚き、息を飲む程に変わった顔。
それは、目から血を垂れ流し
「ヒ……ヒヒ……」
口は三日月のように裂け
「ヒハッ……ヒヒヒッ……ヒッ……!」
怪しく裏声で笑う
「ヒッ、ヒヒヒヒハハハヒヒヒィィ!!」
―――“ワラキアの夜”と呼ばれた吸血鬼が、そこに居た。
お久しぶりです皆様、恥ずかしながら戻ってまいりました。前書きに書くと後日、なんのこっちゃとなりそうでしたのでこちらのほうで。
色々言い訳タイムとかなんだは後々活動報告のほうで。