ひぐらしのなく刻に ~巡りくる日常(とき)~   作:十宮恵士郎

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十宮恵士郎です。
この作品は、あらすじにも書いた通り、某掲示板で連載していた小説(書きかけのまま終了)を、再構成し総集編のような形にしたものです。
なぜそんなことをしたかと言うと、いろいろと伏線など織り交ぜて書いておきながら、書き途中のままで放置して終わりというのではこの作品のキャラクターたち(特に原作の登場人物たち)に申し訳ない気がしたためです。

祭囃し編から23年後の雛見沢が舞台になっています。
タグに記した通り、独自設定・独自解釈(多少)・原作キャラ死亡有りとなっております。
そういうのが苦手という方は読まない方が良いかもしれません。
また、前後編の2部構成になっており、これが前編です。

いろいろと問題のある今作ですが、
ひぐらしを愛する方々の心に、何かを残すことができれば、
ひぐらし二次創作者として光栄に思います。


前編 ~前原佳奈~

 

 

 

少女は訊いた。

なぜ繰り返すの?

 

彼女は答えた。

楽しいゲームだから。

 

それにどんな意味があるの?

少女は訊き、彼女は答えた。

 

それは自分で見つけてみなさい。

私たちもそうしてきたんだから。

 

 

Frederica Bernkastel

 

 

 

 

 

 

 

 

平成18年 初夏

××県鹿骨市 雛見沢村

 

 

 定食屋の中はなごやかな話し声と生暖かい空気で満ちていた。

 その中に一番出入り口から遠い席に座り、赤みがかった顔でビールジョッキを引っかける男と、

男の真正面に腰かけその顔を眺める女性の姿があった。

 一見すると、酔いながら他愛無い話に花を咲かせるカップルにようにも見える。

 だが聞こえてくる会話の内容からするに、二人はカップルというわけではないようだった。

 

「ちょっと圭一さん、聞いてますの? さっきから目線がふらふらして、

 だらしない酔っぱらいにしか見えませんわよ!」

「……ん? お、おお。いや、悪ぃな……いつもはこんなんで潰れたりなんかしないんだがな。

 ちょっと疲れがたまってるのかもしれねぇ。」

「まったく。……大人になったというのに、圭一さんのそういうところは、初めて会ったときから

 まったく変わっておりませんわねぇ。」

「他人のこと言えた義理じゃねえだろ、沙都子。

 お前のその口調も、初めて会ったときのまんまじゃないか」

「もう、ああ言えばこう言う。

 ……この喋り方は、圭一さんたちの前でしか、今は使っておりませんの。

 前にも説明したでございましょう?」

「ああ……そうだった、そうだった」

 

 圭一と呼ばれたその黒スーツの男はジョッキを置いてぐいと伸びをすると、

頭の後ろで手を組んで、椅子の背もたれに寄りかかった。

 酒のせいで赤くなったその顔には、疲労の色が見えるものの、表情は決して苦しげではない。

少しだらしないが清々しくもある笑みを浮かべて、目を閉じ、少しの間だけ沈黙する。

 

「……昔の話で思い出したけどさ。何か最近、昔のことをよく思い出すんだよな」

「圭一さん、まだまだ若いのに、そんな年寄り臭いことを言わないでくださいまし」

「違う! そういうのじゃねえんだ、ホラ、週明けに少し話したろ。

 今の雛見沢分校に揃ってるやつらのことさ」

「ああ……佳奈(かな)さんたちの、今の、部活のことですのね」

「そう……あいつら、昔の俺たちにそっくりだと思わねえか?

 一人、転校生が混じってる、ってところも含めて」

「確かに。……悟月(さつき)ちゃんが、毎朝嬉々として分校に登校していくのを見ると、

 昔の自分を思い出しますわね。

 きっと、トラップを仕掛けたり、毎日のゲームを考えるのが、楽しくて仕方がないんでしょう」

「そうだろ? あいつらが、昔の俺たちに見えるとさ。じゃあ今俺たちは、昔の親父やお袋や、

 レナの親父さんや、園崎組のお二人と同じ立場になっちまったんだって感じるんだよ。

 まったく、時が経つのは早いよな」

「結局、年寄りくさい話になったではありませんの……お酒、やっぱり飲み過ぎたんでは

 ありませんこと? そろそろ、お開きにいたしましょう」

「……ま、確かにな。そろそろ時間も遅いしな」

 

 圭一が手を挙げて、店員を呼び、勘定を頼む。

 店員が勘定を取りに行ってしまうと、圭一は沙都子の方に向き直り、照れ臭そうに笑った。

 

「悪ぃな。付き合わせることになっちまってよ」

「別に。気にすることではありませんわ。私たち仲間ではありませんの。

 ……明日も、また組の方でお仕事ですの?」

「ああ。そういうお前は、診療所か。おととい聞いたんだが、富田家のお母さんが

 最近通ってるんだってな。大丈夫そうか?」

「細かいことは言えませんけれど、大事はないと思いますわ。

 ……圭一さんも、後のちお酒の件で厄介にならないよう、気をつけてくださいましね!」

「へいへい、わかってるよ!」

 

 

 

 

 

 

「……まったく。調子のいい返事でしたけれど、本当にわかっているのか疑わしいですね」

 

 自宅への帰路に就きながら、北条沙都子は呆れ顔で呟いた。

 かつては両側に田んぼが広がっていた雛見沢の小道。少し前まで降っていた雨のせいで

あちこちに水たまりを作っているそこを、水たまりを避けつつ歩いていく。

 昔はこの時間になるともう真っ暗で1人で明かりもなく歩くことなどできなかったが、

今は街灯がついており、こうして女性1人でも歩けないことはなくなっている。

 そうした些細だが重要な変化に、沙都子は時間の経過を感じていた。

 圭一にはああ言ったが、随分時間が経ったと感じているのは沙都子も同じだった。

 むしろ、診療所勤めの医師になり、その生活に慣れるまでがばたばたしすぎていて、

時間の経過なんて考えている暇がなかったのだ。

 仕事に慣れた今だからこそ、沙都子は故郷の変化を敏感に感じとっていた。

 多少、不安な気持ちもある。……当然だ。自分がまだ幼かった頃、部活の仲間たちと

かけがえのない時間を過ごしていたのは、昔の、あの雛見沢村なのだから。

 それが今、随分違った姿になってしまっていることに、

良い気分だけでいられないのは、多分他のみんなも同じだろう。

 ……でも、変わらないものもあった。

 しっかりしているようでいて、それでもどこか抜けている圭一。

 懸命に良い兄で、義姉の良い夫でいようとするものの、それでもときどきポカをしてしまう兄の悟史。

 他人を穏やかな気持ちにさせる好青年なところも、変な性癖も昔のままの入江京介。

 周りの男たちは、結局何も変わってはいないのだ。

 そんなしょうもない事実に気がついて、沙都子は思わず噴き出した。

 変な話だが、そんな彼らの変わらないところに、どこか救われている自分がいるのだと思う。

時間が経っても変わらないものに元気づけられて、時折目の前にちらつく

見えない未来への不安に打ち勝つ、そういうところがきっとあるのだ。

 ……などと考えていると、いつの間にか自宅の前に帰ってきてしまっていた。

 いつ見ても、自分に不釣り合いな印象を持つ、白くて大きくそれでいて洒落た風格の家。

 かつて前原屋敷と呼ばれ、前原圭一とその家族が住んでいた家だ。

 そんな家の扉に沙都子は鍵を差し込み、開ける。玄関を通り家の中に入ったところで、

沙都子は小さな違和感を覚えた。――家の中が、静かすぎる。

 この家には、同居人が二人いる。そのうち一人は中学三年生だ。

元気盛りの彼女はいつもならまだ起きていて、ドアが開いた音を聞きつけて、

快く出迎えてくれるはずなのだが……。

 リビングに足を踏み入れると、ベージュのブラウスを着た小さな女の子がソファで

すぅすぅと寝息を立てていた。

彼女がもう一人の同居人、北条悟月。兄と義姉の一人娘で、沙都子にとっても可愛い姪。

こんなところで、電気を付けて寝ているのは見過ごせない。

 

「悟月ちゃん、悟月ちゃん、起きてください。悟月ちゃん。」

「…………う……うーん……お、叔母さま……?」

「こんなところで、電気を付けて寝ていると、身体を壊しますよ。

 ……佳奈さんはどうしたんですの?

 お夕食は一緒ではなかったのですか?」

 

 沙都子がそう訊くと、悟月ははっと目を見開き、身を起こした。

 大事なことを思い出したという顔だ。

 

「叔母さま、聞いてくださいまし! 佳奈さんが……どこで何をしていたのか……

 ずぶ濡れで帰ってきたんですの!

 お体の具合が悪そうだったので、お布団を敷いて差し上げたんですけれど……。」

「……何ですって!?」

 

 

 

 

 

 

 ――それは色あせた記憶。

 セピア色の光にぼんやりと照らされて、おぼろげな輪郭しか見ることのできない、

忘れかけている過去。

 セピア色の黄昏の中。私は……ダム工事現場跡のゴミ山にいた。

 そして私の目の前には彼女――――“十二年前の私”。

 そう、これは十二年前に私が見た光景を、客観的に眺めているだけ。

私の意思ではどうにもならない。例えるなら映画を見ているようなものだ。

 その映画のような光景の中で……彼女、もとい“私”はたった一人、昨日私がそうしたように、

一心不乱にゴミを漁っていた。

 十二年前と言えばまだ幼稚園に入ったばかり。本来なら尖ったガラスやら何やら危険なものが

たくさん落ちているゴミ山に一人で来れるはずはないが、たまたま父さんと一緒に

近くまで来ていて、父さんが余所見をした隙に一人でここまで入り込んだのだ。

 やがて、“私”はゴミ山の下に小さな緑色のビー玉を発見する。夕日を受けて

きらきらと優しい光を放つその素敵な玩具に気をよくした私は、はうぅ~、とにこやかに笑い、

誰かの名を呼ぶ。

 

“おかあさーーん? おかあさーーん?

 かなねーぇ、かぁいいものみつけたよーー?

 ねぇ、おかあさーーん?”

 

 だが返事は返って来ない。

 “私”は不思議そうにそれに首を傾げ、緑のビー玉を戦利品のように掲げたまま

ゴミ山の中を歩き出す。姿を現さない母親の姿を探し求めて。

 なぜか、ここだけははっきりと覚えている。

 そうだ。“私”はこの時、前にこのゴミ山に来たときのことを思い出していたんだ。

 母さんに連れられて、父さんとの思い出の場所であるゴミ山に来て、二人で一緒に

かぁいいもの探しをした。

母さんが掘り出したかぁいいものたちに私が夢中になっている間に、母さんが

突然いなくなった。

怖くなって泣きだしたら、母さんがひょっこり向こうのゴミ山の方から顔を出して、

こっちに駆けてきた。

 

“ごめんね、ちょっとあっちの方も見て来ようと思ったの。

 かなちゃんを置いていくつもりはなかったんだよ……だよ?”

 

 その時の記憶を思い出して、“私”は歩く。

 母さんはきっと、向こうのゴミ山でかぁいいものを探してるんだ。

 そうしてそれに夢中になって、私の声に気づかない。そうに違いない。

 だが、向こうのゴミ山の陰に母さんの姿はない。一つ向こうのゴミ山にもいない。

 もう一つ、もう一つ、と繰り返して……いつの間にか、

自分がぐるっとゴミ山を一周してしまっていることにすら、気がつかない。

 まだ短く華奢な足は、遠い道のりにふらふらになって。何度か転んだりもして、

それでも“私”は歩き続けた。母の姿を探し続けた。

 ――――そうしてそこに……父が駆けてくる。

 

“佳奈……! 何やってるんだ、こんなところで!! 危ないだろ!!

 一人で来ちゃダメじゃないか!!”

“ひとりじゃないもん! おかあさんといっしょだもん!!”

“……お母さんと、一緒……だって?”

“おかあさん、さっきからみつからないの。どこ? おかあさんは……どこ?”

 

 懸命に父に呼びかける“私”。やがて、父の目から大粒の涙が溢れ出す。

 

“佳奈。……いいから、帰ろう? こんなところにいたら、危ないぞ。”

“どうして? どうしておかあさんいっしょじゃないの? おかあさんいっしょじゃないと、

 かな、かえりたくないよ。”

“お母さんは大丈夫だ……一人でも大丈夫。だから、佳奈……さあ、”

“いやだいいやだい! おとうさんだけはいやだい! おかあさんといっしょがいいよう!!

 おかあさんといっしょじゃないと、かえらない!!”

“…………佳奈……っ……”

“ねえ、おかあさんどこ? おかあさんはどこ!? ねぇ、おかあさん、かえってきてよう!!

 うわああぁーん!! あああぁーん!!”

 

 駄々をこねて、泣きだす“私”。

 父は、耐えきれない、という風に頭を振って、私を抱き締める。

 

“佳奈……だめなんだ。お母さんは……もう…………もう、いないんだ。

 お母さんは、遠いところに行っちゃって、もう俺たちのところには……戻って、来ないんだよ。”

 

 わかっていた。きっと“私”だって、ちゃんとわかってはいたのだろう。

 でも、信じられなかった。この前までずっと、当たり前のように

傍にいたお母さんが……いなくなってしまうなんて。

 だから……認めたくなくて、私は。

 

“いやだ!! そんなの……そんなのいやだよ!!

おかあさーーん!! おかあさーーん!! うあぁ、あぁあああぁああぁーーーん!!!”

 

 

 

 

 

 

「……風邪…………注射…………お薬を処方し……ましょう。……きちんと飲んで……

 前原さん、聞いていますか、前原さん?」

 

 その言葉が自分に向けて言われていると気づくのに、時間がかかった。

 前原佳奈が我に返ると、そこは雛見沢診療所の中だった。目の前には、見慣れた眼鏡の医師。

 ……そうだ、昨日は、ゴミ山の宝探しに行って。そこで何も見つからないことにムキになって。

雨が降るのもおかまいなしに宝探しを続けていたら、体調を崩して風邪を引いてしまったのだ。

 そうして今、学校を休んで、診療所に来ている。……自分で診察して欲しいと言って来たのに、

その患者本人が目的を忘れて居眠りとは、恥ずかしい話だ。

 ぶるぶると頭を振って、目の前の医師を見返す。すると眼鏡の医師は、急に神妙な顔になった。

 

「……! 前原さん。私は今、とんでもないことに気がつきましたよ。」

「え……? そ、それどういうことですか!? ただの風邪じゃあなかったとか!?」

「いえ、そういうことではなく。……前原さんのお手々はすべすべですねぇ~☆

 容姿良し。器量も文句なし。まさしくメイドの模範!!

 ああ、なぜこんなことに今まで気がつかなかったのでしょう!

 いいや、今からでも遅くはありません。前原さん、どんな対価を払ってもいい。

 私専属のメイドとして」

 

 すさまじい音を立てて拳が唸り、医師の頬に一発のジャブが打ち込まれる。

 医師は頬を押さえてよろめいた。

 

「監督……言いたいことはそれだけですか。」

「む……むぐぐぐぐぐ。入江は死せどもメイドは死せず! と言いたいところですが……

 さすがにこんな場で言うことではありませんでしたね。謝ります。すみませんでした。」

 

 そう言って頭こそ下げるものの、殴られたことすら忘れたようにからからと笑う男性医師。

名前は入江京介と言う。先程佳奈が「監督」と呼んだのは、所属する野球チーム

「雛見沢ファイターズ」の監督を務めているからだ。

 彼自身は頭脳派であるため練習に積極的に参加することはないが、彼のおおらかな人柄は

チームにとって心の支えになっていると言える。佳奈もそれなりに彼を信頼している。

……彼の妙な趣味だけは、どうにも慣れないのだが。

 

「まったくもう……いい年してメイドメイドって。そんなんだからその年で結婚できないんですよ。」

 

 佳奈の指摘に痛いところを突かれたのか、入江は困った顔をして白髪の交じる頭を

ぽりぽりと掻く。顔は若づくりだが、その実彼は既に五十代だ。

 そんな彼が、見目麗しい少女を見るたびにそのメイド姿を脳内に思い浮かべていると

いうのだからとんでもない話である。

 

「いやはや、まったくその通りです……ですが! この入江京介、

 一度メイドのために生きると誓った以上、それを覆すような真似はしませんよ!!

 ……それにしても、改めて見るにきめ細かくて美しいお肌ですねー。

 メイドになれとはいいませんから、少し触診させて……あたッ!!!」

 

 などと言いながら佳奈の腕に手を伸ばそうとした入江の後頭部に

いきなりカルテが突き刺さった。

 そして、そのまま隅に結ばれた筆記具と繋がる紐に従って後方に舞い戻っていく。

 それを見事なキャッチで受け取ったのは、いつ診察室の中に入ったのか、

ぴくぴくと青筋を立てて怒る、白衣の北条沙都子だった。

 

「入江先生……年端もいかない女の子にそんな破廉恥な真似が許されると思っているんですの?

 しかも職務中に。見損ないましたわ。」

「あ……あははははは、いや、こ、これはちょっとした弾みで……単なる冗談!

 そう、場を和ませるためのジョークなんですよ!!」

「いつもそうやって苦しい言い訳をしますのね。前に腕の切り傷で来られた

 女性の患者さんの手をいつもより念入りに看られていたの、

 私が気が付いてないとでも思いまして?」

「…………いやあ、はっはっは。沙都子さんはこういう時は手厳しいですねー。

 参ったなあ、あっはっはっは……。」

 

 いつもより数段毒のある口調で監督を糾弾する沙都子に対し、

慌ててずり落ちた眼鏡を直しながら弁明する入江。

 いつも飄々としていて、佳奈の拳の一撃にも動揺しなかった入江が

ここまでおたおたするのは、佳奈にとって新鮮な光景だった。

思わず二人のやり取りに見入ってしまう。

 ――だが、さすがに仕事中ということもあり、沙都子の追及はすぐに終わった。

 彼女がぷりぷりと怒りながらも行ってしまうと、入江は借りてきた猫のように大人しくなる。

 さっきとは違いてきぱきと、佳奈に注射して、いくつかのアドバイスを与えた後、

処方箋を出すまで待つように言った。

 そこで診察は終わりだと思い、佳奈が席を立った時。

 

「ちょっとだけ待ってもらえませんか、前原さん。」

 

 入江に声をかける。またメイド関連の何かだと思った佳奈は顔をしかめるが、

どうやらそうではないらしい。

 入江の顔は穏やかだが、真剣だった。

 

「いつも元気一杯で病気とは無縁なあなたがここに来ることも不自然ですが……

 顔色がどうも優れませんね。何か悩み事でもあるんですか?」

「…………別に。何でもありません。ただちょっと体調を崩しただけです。」

「そうですか。なら別にいいのですが……一つアドバイスをしておきましょう。」

「アドバイス……ですか?」

「ええ。アドバイスです。ちょっと心に留めておいていただければ幸いです。

 ……“病は気から”とよく言いますね? 私は、あれは医療における一つの真理だと

 考えています。人の心理状態と体調は、人が考えている以上に密接に関連している。

 病気の種類によっては、心理状態が直接病状に影響を与えてしまうものすらあります。

 だから、今日一日はせめて、マイナスな感情をできるだけ貯め込まないようにして

 生活してみて下さい。沈んだ気持ちになったら、外を散歩したりして気を紛らわす。

 何か胸の奥につっかえているような気持ちになったのなら、

 親しい人にそれについて話してみる。

 面倒な用事を抱えていても、今日限りと思ってサボっちゃいましょう。

 それで生活習慣にさえ気をつければ……きっと明日には、

 いつもの調子で過ごせるようになるはずです。」

「……はい。わかりました。」

 

 当たり前のことのようでいて、どこか深い入江の言葉。

 佳奈はそれを胸の中で反芻しながら、診察室を後にした。

 

 

 

 

 

 

「病は気から…………か。」

 

 よく晴れて、雲ひとつ見当たらない空を見上げながら、佳奈はそう呟いた。

 今、彼女が歩いているのは、高台の古手神社へと通じている一本道だ。

 晴れて天気のいい日には、この道には気持ちのいい風が吹く。

 実際に今も、柔らかな風が吹いて佳奈の頬を、髪を優しく撫でていく。

 だが…………そんな心を癒すような空気も、今の佳奈の心にはあまり意味をなさなかった。

 気からくる病。確かに、その通りだと思う。

 結局……自分の負の感情が、昨日の一連の出来事を引き起こしたのだから。

 思い出す――昨日見た、かけがえのない仲間たちの顔を。

 

『…………んの……てめえええええ!!!』

 

 魁月(かづき)ちゃん――大事な妹分を、怒らせてしまった。

 不用意な発言。彼女の挑発に過剰に反応して、してしまった平手打ち。

 ――責任は、自分にある。

 

『……名残惜しいですが、今日はここで。』

 

 優乃(ゆの)ちゃん――園崎系列のお店でバイトに励む親友を、ほぼ無表情で見送った自分。

 気まずい雰囲気で“部活”を潰す。のみならず、親友を笑顔で見送ることもできない。

 ――それが、とても悔しかった。

 そして……宗二(そうじ)くん。

 

 

『これからも僕たちはずっと一緒だって、信じていいんだよね。』

 

 

 妹分とのケンカで、落ち込んでいた佳奈を、彼は宝探しに誘ってくれた。

 佳奈自身のせいなのに、悪いのは佳奈でしかないのに、

その気晴らしに付き合ってくれると、自分から言ってくれた。

 ……なのに。

 

 

『邪魔すんなって言ってんでしょっ!!』

 

 

 理不尽な怒り。部活と関係のない人間と妙に親しくする彼への、しょうもない苛立ち。

 そんなものを理由に、自分は彼を拒絶したのだ。

 雨が降る中、それでも宝探しを続行しようとする佳奈を、止めようとしてくれたのに。

 そんな彼に、邪魔するなら帰れ、と言い放ったのだ。

 ……“部活の部長”が、聞いて呆れる。

 こんな自分が、例えば明日学校に行って、どんな風に皆と接したらいいのだろう?

 

 

「…………はぁ…………。」

 

 

 昨日雨に打たれていたときそのままの、憂鬱な気持ち。

 それは、古手神社まで上っていって、高台から雛見沢を眺めていてもまったく変わらなかった。

 マイナスな感情をできるだけ溜め込まない。気を紛らわす。

 そんなに簡単にできたなら苦労はしない。

 やはり、気持ちのいい場所に来て涼むなんて、そんな安易なやり方で解決なんてできないのだ。

 ……このままここにいると、必要以上に身体を冷やしてしまいそうだ。

 風邪を治すことに専念しなければいけないのに、それでは本末転倒になってしまう。

 

「風邪だけは、治さなきゃ。……オヤシロさまを一回拝んで、帰ろう。」

 

 自然と、次にすべきことが口から出ていた。

 そして佳奈は確信していた。そうするのが正しいのだと。

 この場においてはそれこそが最善なのだと。

 ……だが。

 

「なあーに佳奈ちゃん、風邪引いてんの? そりゃあ大変だねえ。」

「オヤシロさまをよーく拝んでおくといいわよ。ひょっとしたら

 ご利益があるかもしれないからね……くすくすくす。」

 

 突然後ろから聞こえてきた二つの声に、佳奈は驚く

 ぱっと振り返ると、そこには――二人の着物姿の女性が立っていた。

 片や、紺の布地に金色の蝶をあしらった豪勢な着物を纏い、まるで竿か何かのように

軽々と鞘に入った日本刀を担ぐ、背の高い女性。

 片や、白と赤を基調とする雅な着物―――いわゆる巫女服―――に身を包み、

竹箒を両手に抱えて不敵に微笑む、ふっくらとした女性。

 “部活”の黎明期に活躍した伝説的な部員にして、各々が現在の雛見沢の重鎮・御三家頭首。

 その名前は――

 

「魅音さん……! それに……梨花さん!!」

 

 

 

 

 

 

「なっはっは、いやーそれはなかなか災難だったねえ。さすがの佳奈ちゃんも、

 ちょっと無理し過ぎちゃったってことかな?

 これに懲りたら、あんまり天気の良くない時に外での仕事を増やさないことだね。」

「その通りよ……そりゃあ外が雨だろうと台風だろうと吹雪だろうと大暴れして

 ぴんしゃんしている連中もいることはいるけどね。

 そういう連中はちょっと普通じゃないんだから、真似なんかしない方がいいと思うわ。」

「ちょ、ちょっと梨花、何私の方見ながら言ってんのよ。

 それじゃ私が向こう見ずのバカみたいじゃないのさ!」

「あら……自覚してなかったのかしら? あなた、そういう方面に関しては

 相当普通じゃないわよ?

 吹雪の中で雪合戦して負けて、罰ゲームで全員が入れる大きさのかまくらを作れ、

 なんて言われた時は*意すら覚えたわ。

 手をもみじみたいに真っ赤にしてかまくらを作らされたあの日を、

 私は一生忘れないでしょうね。」

「……梨花、あんた相当根に持つタイプなんだね。

 私、あんたにそれ言われるまですっかり忘れてたよ。」

「当然でしょう? 私、寒いのは基本的に苦手なのよ。

 部活がなかったら、コタツに入ってぬくぬくしてたかったわ。」

「あー確かに。梨花って猫っぽいところあるもんねー。」

「……貴女、たまに鋭いこと言うじゃない。」

 

 魅音と梨花が不気味に笑い合う。佳奈はそんな二人に苦笑しつつも、

何だかんだ言いつつも阿吽の呼吸を見せるその仲の良さに驚いてもいた。

 話を聞く限りでは、二人は佳奈の来る前から境内で話し合っていたらしい。

 最近綿流し祭りを見るために訪れる観光客のマナーが悪くなっているため、対策として

それを注意するチラシを配る案が園崎家の親類から提案されている。

 だが、チラシ配りには、境内に大量にチラシが投げ捨てられるかもしれないという

リスクを伴う。

 そういう部分を含めて妥当かどうか協議するため、魅音は梨花の意見を聞きにきたのだと言う。

 ……園崎魅音に、古手梨花。

 佳奈にとっては二人とも、両親を通じての知り合いである。

 おぼろげな記憶しかないが、両親が健在な時期は二人ともよく家に遊びに来ていたと思う。

 神事を司る雛見沢御三家の一つ、古手家の現頭首であり、古手神社の神主である梨花には、

七五三のお祝いの時などに随分と世話になっている。

 魅音もまた、親友同士の間に生まれた佳奈を、自分の娘のように可愛がってくれていた。

 今は、会う機会もそれほどないが、梨花の姿は毎年の祭の奉納の舞で見ることができるし、

魅音についても魁月の話を通じていろいろと聞いている。

 そうした、ある程度身近な存在ではあるのだが、仮にも雛見沢の実力者である。

彼女たちを前にしていると佳奈はどうしても緊張してしまう。

 だから二人が、ふと話を止めて、同時にじっと佳奈の方を見ていることに気がついたとき、

佳奈は思わず緊張の余り、体を硬直させてしまった。

 

「……!? な、何ですかお二人とも。そんなにこっちをじーっと見て。」

「佳奈ちゃん、一つ訊くけどさ。」

「は、はい……」

「何か、どーも顔色が優れないね。風邪の症状、っていうこともあるだろうけどさ。

 ……ひょっとして何かあって悩んでたり、する?

 おじさんたち、人生経験だけは豊富だからさ。

 相談に乗ってあげることも、できると思うけど。」

「…………!」

 

 入江に続き本日2回目。心の中のやりきれない気持ちを見事に言い当てられたショックに、

佳奈はがっかりしたような、悔しいような、そんな気持ちになる。

 

「ふふふふふ。図星って顔ね、佳奈。」

「……梨花さんまで!」

「思ったことが、どうしても顔に表れてしまう。そういうところ、本当に圭一にそっくり……

 見た目はレナに生き写しだけど、あなたの行動を見ていると、

 確かにあなたは圭一の子供なんだなあ、って実感できるわ。可愛らしい」

 

 梨花はにこやかに微笑むが、佳奈は恥ずかしさで俯かざるを得ない。

 さすがに中学生にもなって「可愛らしい」と言われるのは恥ずかしいものだ。

 

「どうやら、マジらしいねえ。こりゃあ大変だ。

 ……どうしても話したくないって言うならそれでもいいけどさ。

 ただ、私の経験から言わせてもらえば、行き詰っている悩みは他人に話してみた方がいい。

 他人に話して肩の荷が軽くなることもあるし、話しているうちに自分の気持ちを

 整理できるっていうのもある。

 他人に話してみて損した! って思うことって、実はそんなにないと思うんだよね。」

 

 魅音がそうやって話すときの表情を、佳奈は見る。そして、それを静かに傍観する梨花の顔も。

 降り注ぐ夕暮れの光に照らされる彼女たちの顔は、穏やかな微笑みを浮かべていた。

 例え佳奈が何を言ったとしても、笑わず突っぱねず、真摯に受け止めてくれる。

そんな……頼もしい、表情。

 そんな二人を見て、佳奈は心の中に、話してみよう、という気持ちが湧いてくるのを感じた。

 

「えと……魅音さん、梨花さん。」

「ん?」

「じゃあちょっと……聞いてもらっていいですか。私の……悩みごと。」

 

 

 

 

 

 

「なるほど。いろいろな出来事が重なって、かなりへこんじゃってるってわけだ。」

「はい……何だかいろいろありすぎて、どこから考えていけばいいのか

 わからなくなっちゃって。」

「……魁月の件に関しては、私の躾が足りなかったせいもある。

 苛立ちに任せて、優しくしてくれているお姉さんをなじるような真似をするなんて。

 駄目な娘で、申し訳ない。あとで私の方から、釘を刺しておくから。」

「いえいえ! け、結構です! そんなつもりで言ったわけじゃないですし!」

「……そうね。喧嘩両成敗って昔から言うし、一概にどっちが悪いとは言えないわね。

 こういう時は、早めに機会を見つけて謝り合うのが一番いいと思うわ。

 他愛無い言い争いでもね、解決できないまま後に引くとじわじわきいてくるから。

 そんなことがあった後だと顔を合わせて話しづらいと思うけど、

 ここを逃したら友好関係が崩れる、ぐらいの心意気で臨んだ方がいいわよ。」

 

 そんなことを言う梨花の顔は、ぞんざいな口調の割に真剣だった。

ひょっとしたら、実際にケンカを長引かせて痛い目を見たことがあるのかもしれない。

 ……確証はないが、そんなことがあったのだとしたら相手はきっと沙都子だろう、

と佳奈は考える。

 二人は小学校低学年からの親友だが、性格は正反対だ。きっと意見のぶつかり合いも

昔からよくあったに違いない。

 

「しかし、安心したよ。変な連中から嫌がらせを受けてるとか、そういう

 深刻な悩みとかだったらどうしようかと思ってたけど、これなら案外

 すんなりと解決できそうだね。」

「……え?」

 

 魅音の発言に、佳奈は肩透かしを喰ったような気分になる。

 ……すんなり解決? 自分の抱える悩みは、そんなに軽いものだったのだろうか。

 

「……そ、そんなに簡単な問題じゃないと、思うんですけど……!」

「そ……そう?」

「そうですよ! ……ケンカの件にしたって、謝って許してもらえるかどうかなんて

 わからないんだし! それにケンカの話が片付いたって、

 宗二くんのことをどうすればいいのかわからないです!」

 

 反論するうちに、少しイライラとしてきて、声を荒げて抗議する形になった。

しかし、当の魅音は意外そうな顔つき。

 助け舟を求めるように梨花を見るが、こちらも完全に同意するとはいかないものの、

「まあ妥当な意見だろう」とでも言いたげな顔だった。

 一体なぜ? と佳奈は考える。

 自分の言っていることに、何かおかしな点などあっただろうか。

 

「……できる。」

「え?」

「できるわよ、仲直り。これは間違いない。」

 

 今度は梨花だった。手に持っていた竹箒を傍の小屋に立てかけ、ふぅ、と溜息をついて言う。

 どうしてそんなに自信ありげに言えるのか、佳奈にはわからない。返答に困る。

 少しだけ、空気が張りつめる。それを和らげようとするかのように、魅音が口を開いた。

 

「ねえ、佳奈ちゃん……友達と仲違いすることってさ、そんなに大げさなことかな。」

「……大げさ、って、それは……確かに、そんな大したことじゃないかもしれませんけど……」

「本当に仲のいい友達ならさ、気持ちのすれ違いや誤解で気まずくなる、なんていうのは

 よくあることなんじゃないのかな。

 仲がいいから、相手が自分の気持ちを裏切るようなことをしたのが許せない。

 仲がいいからこそ、ひょっとしたら相手が自分を本当は好きじゃないんじゃないか、

 なんて考えちゃって余計に気持ちが重くなる。

 それはきっと、深い友人関係ならいつかは起こる自然なこと。

 そんなに深刻に受け止める必要はないんだよ。

 自分が思う最善の方法で、相手に歩み寄ればそれでいい。」

「それは、そうかもしれないけど……でも! 私が仲直りしたいって思ってても、

 魁月ちゃんや宗二くんがそれをどう思うかなんてわからないじゃないですか!?」

「っかー、佳奈ちゃんも頭がかたいねえ。いいかい?

 私はあんたと魁月が一緒にいるところを直接見たことはないけど、

 圭ちゃんや沙都子から話はよく聞いてるよ。

 休み時間はいつでも一緒にいて、減らず口叩き合いながらも楽しそうに喋ってる。

 一週間に数回のペースでよく軽いケンカをするけど、終わったらさっさと仲直り。

 部活では勝率トップの座を巡って毎回接戦を繰り広げてるらしいね。

 宗二くんの方については情報が少ないけど、相当仲がいいみたいじゃない?

 最近佳奈ちゃんの口からよく宗二くんの名前が出るって、圭ちゃんが嬉しそうに言ってたよ。

 ……それだけ2人が好きならさ。2人を信じてあげればいいじゃない。」

「2人を……信じる?」

「そうさ。佳奈ちゃんは2人が好きで、2人も佳奈ちゃんが好き。

 なら2人だって、佳奈ちゃんがちょっと暴発したぐらいで佳奈ちゃんを嫌いになんか

 なったりしないよ。昨日のことを後悔してるって、謝りたいって言えば、

 きっと笑って受け止めてくれるよ。

 ……それを、信じられない? 魁月と宗二くんは、過ぎたことをいつまでも根に持つ、

 嫌なやつだと思ってる?」

「そ……そんなわけないじゃないですか!! 魁月ちゃんはからっとした性格のいい子です!

 昨日の失敗を明日には笑い飛ばせる、そんな強さも持ってます!

 宗二くんだって、みんなの前ではいつも微笑みを絶やさない優しい人!

 嫌みを言う宗二くんなんて考えられません!!」

「なら、それでいいじゃないか! そこまで言い切れるなら、あんたたちの仲は本物だよ。

 きっと上手くいく。仲直りできる。あたしが保証するよ。」

「……そう、なんですか? でも……でも、私、すごく不安で……」

 

 びっくりするほどあっさりと、佳奈は魅音のペースに巻き込まれてしまった。

 その理屈に、納得しかけている自分がいる。

 ただ……それでもまだ、割り切ることができない。

 そんな佳奈の様子を見てとったのか、今度は梨花が口を開いた。

 

「……佳奈。悩むことそれ自体はとてもいいことよ。

 悩めば悩むほど、人は深く物を考えられるようになる。そうして人は賢くなっていくの。

 でも、その悩みにどっぷりはまって自分の中に閉じこもってしまうのは良くないこと。

 閉じた思考の流れは沼と同じ。同じところをぐるぐる回り続けて、

 やがてよどんで腐っていく。そうならないためには、悩みを解決するために

 外に働きかける“行動”を起こすことが大切なの。

 不安があっても構わない。今の自分にできることをすればいいのよ。」

「梨花、さん……」

 

 梨花は、少し何かを思い出すように宙を仰いで……こう続ける。

 

「……昔ね。私の知り合いに、ある女の子がいたの。

 彼女はとても賢くて、自分の問題だけじゃなくて、周りの問題すら

 ぱっぱと解決してしまえる子だった。

 でも……ある時彼女は、一つの悩みを解決できなかった。

 その悩みに苦しんで、一人きりで抱え込んで、自暴自棄になって罪を犯して。

 友達がようやく彼女を捕まえたときには手遅れの一歩手前だった。

 みんな彼女を説得しようとしたけれど、彼女は自分の罪に怯えて、

 誰の言葉も受け付けなかった。

 けど、その時……彼女の友達の一人が、言ったのよ。

 

“夢とか幻とかじゃない! ましてや手遅れでも何でもない!

お前にはまだ選べる選択肢が残ってる。だから選べ! 間に合う! 来るんだ! 

俺たちはやり直せるんだ!”

 

 ……ってね。その言葉を信じて、友の手を取った彼女の行為が正しかったのかはわからない。

 でも、少なくとも彼女は、そのままでは失うはずだった笑顔を、取り戻すことができた。

 だから私もこう言うわ。今のあなたなら十分に間に合う。選べる選択肢を、選びなさい。

 素敵な仲間たちと、もう一度笑い合える世界を選びなさい。

 相手が手を差し伸べてくれているなら。自分が手を差し伸べさえすれば、

 二人はまた手をつなげるのよ。」

「……………………」

 

 言葉がない。何と言っていいのかわからない。

 けれど……心地よく温かい何かが、不安でいっぱいでどこか冷え切っていた、

佳奈の胸の内を満たしていった。

 二人を、信じる。私の気持ちを素直に伝えてみる。そうすれば……そうすればきっと、

また私たちは笑い合えるはず。

 ……けれど。その確率は決して100%じゃない。後になればなるほど、誤解は深まり、

仲はこじれていく。

 だから……言おう。明日、学校で。

 二人にちゃんとした形で、謝ろう。心の中で、そう決めた。

 

「へえー! それは随分いい話だね。特にその友達っていうのがなかなか頼もしいこと

 言ってくれるじゃないの。

 その友達も、やっぱり梨花の知り合いなの?」

「魅ぃもよくご存知の人よ。……最も、かなり意外な人だから、

 どうやっても思い出せないと思うけどね。」

「ええ!? その人私の知り合いなの?

 ……おかしいなあ、そんないいこと言う人なら間違いなく覚えてるはずなんだけどな。

 記憶のどこ探しても見つからないや……。名前、当然教えてくれないんでしょ?」

「当たり前じゃない、くすくすくす。そんなの簡単にわかっちゃったらつまらないもの。

 せいぜい悩ませてあげるわ。」

「ちぇー! 梨花のケチー!!」

「…………あの。魅音さん、梨花さん。」

「ん?」

「……ありがとう、ございました。魅音さんと梨花さんに相談できてなかったら、

 私、いつまでも悩みを払えないで、ぎくしゃくした関係を引きずってたかもしれません。

 本当に……ありがとう。」

「なーに、こんなの感謝されるほどのことじゃないよ。

 何か一人でどうしようもない問題があったら、また話しに来なさいな。

 私は普段はいつも園崎の家にいるからね。お茶菓子用意して迎えてあげるよ。」

「……魅ぃのアドバイスはたまにとんでもなく見当外れの場合があるから、

 もし魅ぃの話に不審な点があったら、私のところに来なさい。

 常識的な解決方法を教えてあげるから。」

「ったくもー! こういうときに、いちいち嫌味を混ぜないの!」

「うふふふ……」

 

 結局、また二人の会話に戻っていってしまう。この二人が会話に熱中すると、

佳奈は除け者になってしまう。

 だが、佳奈は、もはやそれを冷ややかな目で見つめたりはしなかった。

 二人が見せるケンカ混じりの掛け合いを、しばらくの間穏やかに、見つめていたのだった。

 

 

 

 

 

 

「……で? その後結局、どうなったんだ?」

 

 その週の、日曜。

 佳奈は、雛見沢から少し離れた賑やかな街・興宮の道を歩いていた。

 左前方に見えるのは、知る人ぞ知る興宮の名物レストラン・エンジェルモート。

 今までに何度か、あの店で楽しい時間を過ごさせてもらったが、今日の目的地はそこではない。

 エンジェルモートの前を通り過ぎ、隣を歩く洒落た白シャツの男――父親である前原圭一に、

答える。

 

「それがね……せっかく次の日謝ろうって決めたんだけど、

 何か……結局、うやむやになっちゃったんだ。」

「おいおい……仲直り、失敗しちまったのか?」

「ううん。……家に帰ったらね。みんなからのプレゼントが届いてたんだ。

 宗二くん、優乃ちゃん、魁月ちゃん、悟月ちゃん――みんなの分で、4つ。

 何かね……その日の部活が『私へのお見舞いの品を作ろう』って種目だったんだって。」

 

 そう。せっかく謝ろうと思ったのに、結局先に向こうに折れられてしまった。

 優乃のびっくり箱。魁月のおはぎ。

 悟月の押し花付きしおり。宗二の色とりどりの折り鶴。

 心のこもったギフトには、それぞれからのメッセージが付いていて。

 その中には……佳奈への謝意と、早く戻ってきてほしいという、

温かい願いが書かれていたのだ。

 

「……もちろん、次の日学校行ったとき、ちゃんと謝りはしたよ。

 でも……魁月ちゃんも宗二くんも、謝り返してくれて……

 それで、何か、終わっちゃった。

 仲直りはできないかも、なんて、考えてたのがバカに思えるぐらいに、あっさりね。」

「はは……なるほどな。そんなことがあったわけだ。」

 

 父は、あっけらかんとした表情で笑う。

 だが佳奈は、その表情の中に、ただ娘の身に起こった出来事への興味だけではない

何かを感じた。

 それが何か知りたくて、問いかける。

 

「ねえ、お父さん。」

「ん?」

「お父さんもさ、昔、友達とゼッコーみたいな感じになったこと、あるの?」

「……ああ、何度かな。」

 

 父が少しだけ、視線をそらす。

 その目は、どこか遠くを見る。

 何を考えているのか、佳奈には読みとれない。

 

「どうしようもないなって、その時は思うんだ。こんなことになっちまった以上、

 もう手遅れかも、ってな。

 ……だが、意外とそうでもないことが多いんだ。

 ちゃんと話せば、わかってくれることだってある。

 ……魅音はやっぱりすげえな。そのことを、ちゃんと他人にわかるように話してくれる。

 だが……仮にそこにいたのが魅音じゃなくて俺だったとしても、

 多分同じことを言ったと思うぞ。」

「……そっか。」

 

 その後しばらく、父は黙りこんだ。

 佳奈も何か喋ろうとするでもなく……二人黙ったまま、興宮の道を行く。

 だが……しばらくして、ぽつりと父は言った。

 

「なあ……佳奈」

「なに、お父さん」

「お前は、忘れるなよ。人を信じるって気持ちを。

 ……お前が魁月や宗二くんや、優乃や、悟月を好きなように、

 相手もちゃんとお前のことを想っていて、ちょっとした行き違いがあったとしても……

 話し合うことで、ちゃんと信じあえるようになる。そういうことをさ。」

「……うん。忘れない。ちゃんと覚えてるよ」

「……そうか。いい子だな、お前は」

 

 そうして父は、さりげなく佳奈の頭に触れて、大きな手で撫でた。

 佳奈はその感触を、少しの間、目を閉じて味わっていた。

 

 

 

 

 

 

 その後数分ほど、通い慣れた道を行くと、目的地が見えてきた。

 北条一家の住まいがある、興宮の団地。

 そこには今日のパーティの主催者である、北条悟史と北条詩音が待っていて、

二人を手を振って出迎える。

 ――いや、それだけじゃない。

 宗二に魁月、優乃に悟月――今代の部活メンバーも既に揃っていて、佳奈に向けて

手を振っている。

 二人がやって来るのを、待っている。

 

「……行こ、お父さん」

「ああ、そうだな」

 

 佳奈と圭一は、笑顔で手を振りかえして。

 ゆっくりと、彼らの方へと歩きだした。

 

 

 

 

<後編へ続く>

 


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