スズ・クラネルという少女の物語   作:へたペン

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迷宮の楽園(アンダーリゾート)を歩き回るお話。


Chapter10『楽園の歩き方』

 18階層の安全階層(セーフティポイント)は迷路のように入り組んだ迷宮ではなく大空洞だ。

 水晶から溢れる水は地上より澄んでおり、川や泉、中には大きな湖が存在する場所すらもある。水晶による幻想的な輝きと自然豊かな草木が生い茂るこの安全階層(セーフティポイント)は冒険者達の人気スポットであり、中層以降を攻略する際に使われる拠点リヴィラの街があるのも特徴的である。

 冒険者のほどんどが高難易度である19階層からは中層の難関である『大樹の迷宮』で足止めを食らう為、消耗した物資の補給に加えてバックパックにかさばる魔石とドロップアイテムを処分できるリヴィラの街の存在はなくてはならないものだった。

 

 だから冒険者達が経営しているリヴィラの街はやたらと物価が高い。

 

 魔石やドロップアイテムを安く買い取り、地上でギルド窓口に原価で売るのがリヴィラの街の基本である。地上で500ヴァリスで回復薬(ポーション)を買いリヴィラの街で2500ヴァリスで売りつけるなんて序の口なほど買い手の足元を見てくる。安く仕入れて高く売る、それがリヴィラの街の合言葉(モットー)なのだ。

 それでも背に腹は代えられず、金より命が大事な攻略中の冒険者達は泣く泣くその値段を飲むしかない。当然ダンジョン攻略をする冒険者がダンジョンに大金を持ってきている訳もなく、リヴィラの街での買い物は物々交換か証文で行なわれている。本人の名前と【ファミリア】のエンブレムから印影をとっておき後日所属【ファミリア】に料金請求を行うらしい。

 

 そんな現金な冒険者の街に、ベル達は昨日からお世話になっている【ロキ・ファミリア】の面々に案内されながら観光していた。ベル達に加えて友好を深める為にも【タケミカヅチ・ファミリア】の面々に、ヘルメスとその護衛役であるアスフィとも一緒に街を周っているのだが、アイズ、ティオナ、ティオネと第一級冒険者に案内されていることに【タケミカヅチ・ファミリア】団員達は完全に恐縮してしまっていた。

 

「おい、白猫と白兎がもうここまで来てやがるぞ」

「一緒にいるのは【ロキ・ファミリア】の連中じゃねぇか。なんだ、おんぶにだっこか?」

「バカ、あいつら遠征中だったんだぞ。『最速の白兎(リトル・ルーキー)』の奴、18階層(ここ)への到達記録まで塗り替えやがったか」

「ぽっと出の魔境育ちがいいご身分だな、おい」

 

 街の雑踏に紛れてそんな誰が言ったのかもわからない陰口が聞こえた。大人数で店を見て回っているので今のベル達は目立っている。通行人や買い物客の邪魔にならないよう気をつけながら移動はしていたつもりではあったが、『いいご身分』というのは大勢で押しかけて来たのを邪魔だと思って少々イラついているのかもしれない。

 気付けばヘスティアが陰口を叩く冒険者達に向かおうとしていたのをリリが「冒険者様の陰口なんていちいち気にしていたら胃がもちませんよ」となだめてくれていた。頭に血が上り始めていたヘスティアは先日こっぴどく説教されていたのが堪えているのかすぐに「ぐぬぬぬぬ」と唸りながらも怒りを鎮めてくれる。

 

「流石にこの人数で移動するのは邪魔だったか。はっはっは、オレとしたことがうっかりしていた! ここからは自由行動、各自行きたい場所へ散らばろうじゃないか」

 

 ヘルメスが大げさに両手を広げて高らかな笑いをしながらした提案に全員が賛成する。ヴェルフとリリは【タケミカヅチ・ファミリア】の団員達と共に高いと言われている武具の物価や品質を見回り、ヘルメスは「実はオレは野暮用があってね」とアスフィだけを連れてペアで行動。子供みたいに晴れやかな笑顔を浮かべるヘルメスの顔を見たアスフィが疲れ切った顔をしていたのが印象的だった。

 少し大人数になってしまうがベルのところにはスズとヘスティアに加えて、アイズ、ティオナ、ティオネと【ロキ・ファミリア】の面々が全員集まっている。女性、それも美少女達の中に一人だけ男性として混ざっているベルは目のやり場に困っていると「ベルは、いつも緊張しているね」とアイズが親しい友人と話すように頬を少し緩ませながら言ってくれた。

 

「えへへ、やっぱりアイズは笑ってた方が絶対に可愛いよ!」

「ティ、ティオナさん! こんな人目のあるところでアイズさんに抱き着かないでください! 皆さんが見てますよ!?」

「あー、レフィーヤがまた焼いてる。でもアイズの隣はあたしの特等席だから譲ってあげないから!」

 アイズが笑ったことでティオナが元気よくアイズに抱き着き、レフィーヤが人目を気にしているのかあたふたとしている。

 まだ自分なんかでは全然手の届かない場所にいる第一級冒険者のアイズ達とこうして『日常』を過ごせることがたまらなく嬉しくて、憧れの対象が人よりも強いだけの『普通の女の子達』だと知れて、ベルの中の『憧れ』は鈍ることなく『守らないといけない』と強固たるものに固まっていく。

 自分なんかが彼女達を守るなんて烏滸がましいとわかっていても、誰かに聞かれれば笑われてしまう想いだとわかっていても、その一途な憧れは綺麗なまま輝き続けていた。

 

§

 

 昼過ぎにティオナの提案で女性陣が泉で水浴びをすることになった。

 怪物(モンスター)が生まれ落ちない安全階層(セーフティポイント)だと言っても上下の階層からは休息を求めて怪物(モンスター)が訪れ、冒険者の出入りも多い階層なので警戒は怠らずに【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者である女性団員達が交代で見張る鉄壁の砦。

 そんな中に当然男であるベルが入って行ける訳もなく、泉から離れたところで水浴びが終わるのを待っている時だった。ヘルメスが「オレに付き合ってくれないか?」とこっそりとベルを森の奥まで連れこんだ。一向に要件を言わずに人気のない森で「話? やだなぁベル君、オレはそんなこと一言も言っていないぜ?」なんて言うものだから、見る(もの)が見れば『ヘルメス×白兎君キタコレ』と騒ぐ場面だが生憎と本来神々が立ち入りを禁止されたダンジョン内ではそういったハプニング情報が漏れることはない。

 

 木の上まで連れて行かれたところでヘルメスはにこやかな笑顔を見せた。

 

「ここまで来たらわかるだろ。覗きだよ。女の子達が水浴びをしているんだぜ? そりゃ覗くに決まっているだろ?」

「決まってませんよ!?」

「今更恥ずかしがるなよベル君。どうせいつもヘスティアやスズちゃんと背中を流しっこしてるんだろ?」

「し、してませんよっ!?」

 ベルは一瞬だけ、ほんの一瞬だけ家族水入らずで洗いっこをしている光景を想像して下半身の【英雄願望(アルゴノゥト)】が誤発動しそうになったが、特訓の成果もあり危なげもなくスキルキャンセルすることが出来た。

 それでも赤面する顔までは隠し切れずにヘルメスにハハハハハと笑われてしまう。

「駄目ですヘルメス様。止めてください! こんなことしたらいけませんよ……!?」

「ベル君、ここで騒いだら第一級冒険者達には簡単にバレてしまう。ここに居る時点で君はもう共犯さ。それにベル君、覗きは男の浪漫だぜ? 君とは美味い酒が飲めると思っていたのに……君の育ての親は一体何を教えて来たんだ」

 ヘルメスのその言葉に『覗きは男の浪漫じゃ』という祖父の言葉がベルの脳裏によぎる。ここで覗かなければいつ覗くと憧れの祖父の背中が語り掛けて来る。心なしか『ついてこれるか』とドヤ顔をしている気がするのは気のせいだろうか。ここでベルが『お前が俺に着いて来やがれ』と言えるほど男気(エロス)を持っていれば覗きは成功していただろう。

 

 

 スズの水浴びを覗くなんて、そんなのダメだ。

 例えバレなかったとしてもスズが嫌がることなんて出来ない。

 

 

 アイズ達の水浴びを見てみたいという欲求は心の奥底には確かにあるが、それ以上にその想いが強かったおかげだろう。

 覗いて嫌な思いをさせるよりも『覗こうとしたことで怒られた』方がスズやリリ、アイズ達も不快な思いをしないで済むとベルは覚悟を決めた。

「ヘルメス様が覗きをしようとしてますッ!!」

「ハッハッハ、その勇気の方向性を覗きに使ってもらいたかったよベル君! こうなったらしかたない。悪いけど少しでも怒りが減るよう『ヘイト』を集めてもらうよ」

 そうヘルメスは突然ポンとベルの背中を押した。ベルは木から落ちないようにバランスを取ろうと足に力を籠めると、それがいけなかったのか立っていた木の枝はボキリと折れてベルの体が宙を舞った。木の枝をバネにして投げ出されたベルが落下する先はまるで狙いを定めていたかのように水浴びをしている湖。衣服をまとわぬ美少女達の中心地にベルという爆弾は投下され水しぶきを上げた。

 ベルの『ヘルメスが覗こうとしている』という情報の直後に落下した爆弾は実に効果的だった。女性陣の意識がベルだけに向いている隙をついてヘルメスはそそくさと木の上から退散している。

 泉の深い所に着水したベルは水を飲み込みこんでしまい、肺に水が入ったことで一瞬パニックになりながらも浅瀬へと退避して四つん這いのままゲホゲホと盛大に咳き込んだ。

 

「あれ、アルゴノゥト君だー」

「神ヘルメスかと思ったら……いい様に遊ばれたみたいね、あんた」

 そんなベルに裸体を隠そうともしないティオナとティオネが近づいて行き、その顔を前かがみに覗き込む。

 アマゾネスの恥じらいのなさに、健康的な小麦色の肌に、ベルの顔は一瞬の内に真っ赤に熟したトマトのようになった。遅れて聞こえてくる【タケミカヅチ・ファミリア】の命と千草の悲鳴、というよりも困惑の声。女性たちの慌てて体を隠そうとして跳ねる水の音。ここで目を瞑っておけばいいものを頭が羞恥心でパンク寸前のベルはあろうことかティオナとティオネの裸体から目をそらしてしまったのだ。

 目を反らした先には恥じらいに顔を赤く染めて大事な部分を手で隠すアイズと、体を隠すことすらも出来ず悲鳴を上げることも出来ずに顔を真っ赤にして立ち尽くしてしまっているスズの姿が目に飛び込んでくる。

 

 そして視界の隅には騒ぎに駆けつけたレフィーヤが今まで見たことのないものすごい形相でベルのことを見ていた。 

 

 そこからのベル、レフィーヤ、スズの動きはまさに脊髄反射のごとく反射的なものだった。

「ごめんなさああああああああああああああああああああああああああいっ!!」

 ベルは羞恥心や罪悪感もあったが、なによりも止まったら殺されると本能が訴えかけたこともあり無我夢中で逃走していた。

「まちなさあああああああああああああああああああああああああああああいっ!!」

 レフィーヤは信仰対象と言ってもいいほど慕っているアイズの裸体を『異性が見た』という事実のみで頭が爆発して逃走するベルを追い掛ける。この件についてベル自身に酷いことをする気はまったくなかった。ただ事実だけが許せなくて、もしも冷静な状態であれば覗きなんて悪いことだと説教をするだけで済む筈だった。だが今のレフィーヤに冷静な判断が出来る余裕はない。相手が誰であるか頭で理解する前に追いかけて、LV3である自分でも追いつけない速度で逃走する相手に杖を抜き平行詠唱を開始する。

 それに対してスズが水に濡れた体の上からボタンを閉める時間も惜しんでコートを羽織り、首飾りと髪飾りを左手に、リボンを手に取り口に銜え、右手で盾と鞘に収まった剣を抱えて素足のまま疾走。【ヴィング・ソルガ】による身体強化でレフィーヤを追い越してベルとの間に割って入る。

 

 雷光のごとく移動するスズに目を取られて見張りをしていた【ロキ・ファミリア】の亜人(デミ・ヒューマン)達はレフィーヤを止めるのが一瞬遅れてしまった。

 レフィーヤが放とうとしているのはLV5並の高火力追尾砲撃。放たれればLV2の冒険者など蒸発してしまうほどの火力を誇る。最悪の事態に団員達の顔は青ざめ、放とうとしたレフィーヤ自身もそこでようやく自分がやろうとしていたことに気付き、最後の一字を紡ぐその瞬間ぎりぎりで詠唱破棄が間に合う。

 危なく自分の命の恩人であるスズに、その兄であるベルに、怒りに我を忘れて【アルクス・レイ】を放つところだったことにレフィーヤは体を震わせる。仲間を守る筈の【魔法】で友人を射抜こうとした自分が許せなかった。いつも皆に迷惑を掛けてばかりだなとレフィーヤはその場で膝をついてしまう。

 

 ―――――そして、もしも【アルクス・レイ】を放ってしまったとして、自分にこの壁を突破することが出来ただろうか。

 

 レフィーヤの前に出現した、一枚一枚がまるで花弁のように広がる9層も重ねられた(、、、、、、、、)金色に輝く障壁は、それを試す機会を与える暇もなく消え、ベルとスズの姿は既にそこにはなかった。

 

§

 

 ベルは考えなしに走り回ったことを後悔していた。

 羞恥により木に当たっては直角に曲がりを繰り返した結果自分が道に迷っただけならばまだよかった。それだけならば自業自得ですむ。だが自分のことをスズが追いかけていたのに気付けなかった。頭が真っ白になっていたせいで気づいてあげることが出来なかった。

 

「ベル待ってっ! 私は……その、き、気にしてないから!! 一緒に謝るからっ!!」

 

 息を切らしようやく頭が回転し始めたベルの頭に入って来たのはそんなスズの叫びに近い声だった。慌てて振り向くとそこには素肌の上からコートを羽織っただけのスズがいた。大切な物だけを手に取り走りながら身だしなみを整えたのだろう。リボンと髪止めは大雑把につけられ、コートは胸のボタンを一つ止めただけ。ベルの速度に追いつく為に【ヴィング・ソルガ】を多用したのか汗が蒸発しているのに加え、素足で無理をして走ったせいか足は血と泥などが混ざり合い見るに堪えないほど汚れてしまっている。

「スズ! 体は大丈夫なの!?」

「え?」

 ベルが慌ててスズに駆け寄ると、スズは首を軽く傾げた後にようやく自分の状態を把握できたようだ。

「あ、足の方は少し痛む程度で大丈夫、だよ。【ヴィング・ソルガ】の反動が少し大きいかな……。その、本当に大丈夫だから、あの、ね。そんなに見ないで、ほしいかな。すごく……恥ずかしいから……」

 スズが頬を赤く染めて顔を反らして慌ててコートのボタンを締め直している。裸コートという俗に言うところの『マニアック』な姿を目にしたベルは、再び顔を熟したトマトのように真っ赤にさせながら「ごめん!」と背中を向けた。

 

「本当に、ごめん。その、見ちゃったのもそうだけど……必要のない無茶をさせちゃって。本当にごめん」

「ううん。私の方こそ必要のない心配を掛けて、ごめんね。追いつく前に声を掛ければよかっただけなのに、ベルがこのまま帰って来なかったらって思ったら頭が真っ白になっちゃって……」

「スズのこと追いて行ったりしないから。今回みたいに恥ずかしかったり怖かったりして逃げることはあっても、必ず帰ってくるから。僕はいなくなったりしないよ」

 ベルが背中越しに『いなくなったりしない』と優しく言ってあげると、スズは安心したように「うん」と呟いてベルの背中……もとい腰にもたれ掛かる。

「スズ?」

「ごめんね。安心したら力が抜けちゃって。少しだけ、休んでもいいかな?」

「構わないよ。どこかで横になる?」

「うん……ごめんね。今ベルの向いてる方向、多分だけど泉があるから……」

 冷却せずに連続で【ヴィング・ソルガ】を使用したせいでスズから熱気を感じた。早く水場に連れて行ってあげたいが皮が擦り剝けた足で走らせるのは辛そうである。

 

「わかった。それじゃあ、そこまでおんぶしてあげるから」

「え? あ、えっ!?」

「どうしたの?」

 

 スズが突然慌てふためいたのでベルは首を傾げると、スズは「なんでもない、よ」と深呼吸をしてからベルの背中に身をゆだねた。そこでようやくスズが一瞬だけ躊躇した理由がベルにも理解できた。スズは素肌から直接ロングコートを着ているだけなのだ。そんな恰好の女の子に『おんぶしてあげる』なんて言った過去の自分を殴り飛ばしたくなったがもう後の始末。何とか素肌には触れていないが、少しでもロングコートがずれればお尻を直で触りかねない。アウターウェア越しから背中に感じるやわらかい突起物の感触は気のせいだろうか。意識しているだけなのだろうか。思い込みなのだろうか。そうだとしてもコート越しだし自分はグローブつけてるしセーフだよね。そうだよね、と訳のわからないことがベルの頭の中でぐるぐると回り続ける。

 

 【ヴィング・ソルガ】で熱くなったスズの体は必要以上にコート越しからその小さな体型を自己主張しておりベルの頭は羞恥に沸騰していた。かといって『やっぱりおんぶはなし』と言い出せるタイミングでもなければ、スズを素足のまま歩かせるのもやはり気が引けるので結局恥ずかしいのを我慢しておんぶをし続けるしかなかった。『嫌だったら言ってよ』なんて聞いたとしても、スズは気を遣うあまり恥ずかしさを我慢しながら『ベルなら嫌じゃないよ』なんて理性を吹き飛ばすような返事を返すだろう。なので自分の理性を保つ為にも無駄な抵抗はしない。ただただ『自分のせいでスズも恥ずかしい思いをしているんだ』『スズは妹』『小さな女の子に欲情するなんて間違っている』と煩悩と戦い、『アイズさん綺麗だったな』と自爆し、また振り出しに戻るを繰り返しながらスズが泉があると言った方向を目指して歩いていく。

 

 しばらく歩いていると、スズの小さな吐息が聞こえて来た。疲れて眠ってしまったのだろう。

 黒いミノタウロスとの戦いで消耗しきった体でベル達全員を連れて18階層まで下りただけでなく、大勢いる【ロキ・ファミリア】と【ヘファイストス・ファミリア】団員達の解毒に加えて夕食の準備の手伝いまでしたのだ。軽い仮眠と夜ぐっすり寝た程度でこの小さな体を満たした疲労が回復しきる訳はなかった。

 だが不謹慎ながら、こうして身を任せて安らかに眠ってくれたことを嬉しくも感じてしまう。

 無防備に身を任せるほど信頼されている。怪物(モンスター)がいるかもしれない森の中で眠るほど頼られている。そういったことから兄としての欲求が満たされて嬉しいのか、別の理由から嬉しく感じているのかはベル自身よくわかっていない。

 

 ただ、このまま穏やかな寝顔で寝させてあげたいなと思ったのは間違いなく本当の気持ちだ。

 

 ベルは森を徘徊する怪物(モンスター)に見つからないよう周りに気を張り巡らせながら泉を目指して進んでいると、ぴちゃりと水が跳ねる音を耳が拾った。

 せせらぎとは違う、水をすくっては落すような音にベルに緊張が走る。

 ここ18階層は怪物(モンスター)が生まれ落ちない安全階層(セーフティポイント)だが、本来の役目は上下の階層から休息を求めた怪物(モンスター)が訪れる怪物(モンスター)にとっての安らぎの場だ。リヴィラの街付近は安全確保の為定期的に怪物(モンスター)を討伐しているが流石に街から離れた場所までは対象外である。

 わざわざそんな怪物(モンスター)と出くわすかもしれない森の奥深くで水浴びをする冒険者はそうそういないので、怪物(モンスター)が水を飲んでいるか水浴びをしている音だろう。

 音の大きさからニードル・ラビットのような小型の怪物(モンスター)ではなく、人と同等サイズ以上の怪物(モンスター)である可能性が高い。おそらく怪物(モンスター)は一匹だと思うが戦闘音で他の怪物(モンスター)が駆けつけてくるかもしれないので安全の為にもスズを起こしてから相手の規模を確認した方がいいだろう。

 

 音を立てないようスズの体を地面に降ろして軽く肩を揺すろうとしたその刹那だった。ベルは泉の方から寒気が走るような鋭い視線を感じ、咄嗟に体に覆いかぶさるようスズの体を庇って地面に伏せた。

 

「――――――何者(だれ)だ」

 

 そんな凛とした声と共に先ほどまでベルの顔があった真横に小太刀が一刀まるで閃光のような速度で投擲され木に深く突き刺さった。

 人語が聞こえたことから相手は怪物(モンスター)ではなかったが、投擲速度や泉の方から感じられる威圧感から相手冒険者が自分よりも強いと感じ取ったベルはすぐさまスズを抱き直してその場から逃走しようとしたが、ベルが逃走しようと試みたことを感じ取ったのか泉から人影が疾風のごとく飛び出して来た。

 なぜ自分がいきなり襲われているのかわからないが、スズだけでも助けなければとベルはスズの体を放り投げ少しでも時間を稼ごうとヘスティア・ナイフを抜こうとするが、そんな無駄な抵抗すらも許されない。立ち上がって構えを取る暇もなくベルは相手と向き合ったところで顎に掌底を食らった。体に一切力が入らずそのまま仰向けに倒れてしまうが、なんとか意識だけは手放さずに済んだ。

 スズを守る為に立ち上がろうと拳を握り閉めると喉元に小太刀が付きつけられる。木に突き刺さった小太刀を回収する時間はなかったので相手は二刀使いだったのだろう。何か逆転の手立てはないかを模索するが何一つ手が思い浮かばない。せめて投げ飛ばした衝撃でスズが起きて無事に逃げてくれることを祈ることしか出来なかった。

 

「クラネルさん?」

 

 しかしすぐに困惑した声と共に小太刀がひっこめられ、その相手の様子に恐る恐るベルは顔を上げると予想外なことにそこにはリューが立っていた。

 どうやらこんな怪物(モンスター)のいる森の奥でも安全に水浴びが出来てしまうのが強い冒険者らしい。一糸纏わぬ美しい体のラインや髪の毛から水が滴り落ち、ベルの頬にその水滴が落ちる。

 

 また見てしまった。女性の、それもとびっきり美しいエルフの裸を、覗きを止めようとしたはずなのになぜか連続で女性の水浴びを覗いてしまったのだ。背中ではなく前から。しかも今回は少し手を伸ばせば手が届いてしまう至近距離で。今日という日だけでベルの【幸運】スキルがIあらHに上がるには十分すぎるほどの熟練度を稼いでいる。まさに奇跡に近い【幸運】だ。ここまで来ると何か呪いじみたものすら感じてしまう。

「シルに頼まれている身でありながら、クラネルさんに無礼な真似を――――――――」

「そういうの今はいいですから!? 前を隠しっ!! いえ、まずは服を着てくださいよっ!?」

 非礼を詫びるリューにベルは顔を真っ赤にさせながら目を瞑って訴えかけると、リューは軽い溜息をついた後「わかりました」とベルから離れていく。

「クラネルさん、スズの治療を先にしたいのですが……泉の方に連れて行っても?」

「あ、はい。スズのことよろしくお願いしますっ」

「クラネルさんの治療の方は―――――――」

「僕のは後でいいですからっ! スズの治療と服を着てくださいっ!!」

 必死にそう訴えかけるとなぜか「私の早とちりだったようですね」とどこか穏やかな声で言った後、もう一度謝罪をしてからスズを抱きかかえて泉の方に向かって行くのだった。

 




嫉妬ビームがないだけで全体の罪悪感が半端ないことになってしまったお話でした。
レフィーヤさんとベル君が少し自分を追いこみ過ぎそうな勢いですが、嫉妬ビームの代わりになるわだかまり部分だと思って下さると幸いです。

そしてコンパクトにまとめようと四苦八苦したのに結局二分割となりました。
半端になるなら最初から三分割のつもりで書けばよかったと反省しております。

それにしてもベル君の【幸運】はどうなっているんですかね。うらやま(

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