スズ・クラネルという少女の物語   作:へたペン

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心理破棄(スクラップ・ハート)】のお話。


Epilogue『心のあり方』

 ミノタウロスを撃破したベルはLV.2に上がった。

 

 正確に言うとまだ発現予定である【発展アビリティ】選択期間なのでLV.2に上がる資格を得たと言った方が正しい。

 【基本アビリティ】の最大評価がSSSなようで、1100を超えてからは1500を超えてもSSSのままだ。

 全【基本アビリティ】がSSSに到達したのに加えてランクアップが確定したベルは大喜びしていた。

 

 スズも自分のことのように喜んでくれている。

 ヘスティアはベルのアイズ・ヴァレンシュタインへの想いがそこまで大きいのかと少し複雑な気分だった。

 

 しかし、これはベルが頑張った証だ。

 想いだけではなく、頑張って特訓して命懸けでミノタウロスを倒して偉業を成し遂げた。

 

 アイズのことはひとまず忘れてヘスティアも頑張ったベルに祝福の言葉を送り、ミノタウロス相手に二人とも無事に帰って来てくれたことを喜び、あまり心配掛けるようなことはしないようにと注意もしてあげる。

 

 だがリリの報告ではダンジョンにいるだろうアイズに頼ろうともしていたらしいので、しっかり生きるために『誰かに頼る』ことをしているのでヘスティアは必要以上に強くは言わなかった。

 

 時間稼ぎをすると言いつつもミノタウロスを倒す方針に切り替えたのも、相手の頭数をまず減らそうとした知恵の回るミノタウロスが【ヴィング・ソルガ】のタイムリミットが切れたスズを集中攻撃してきたら守り切ることが難しい状況だったからだろう。

 少しでも判断が遅れれば死んでしまう状況だったのでこれはしかたのないことだ。

 

 だから最後はやっぱり褒めてあげて「おめでとう」と祝福の言葉を贈ってあげるとベルは本当に嬉しそうに「ありがとうございます、神様!」と喜んでくれた。

 

 選択可能な【発展アビリティ】についてはヘスティアとスズは【幸運】一択だった。

 聞いたことのない【発展アビリティ】だが異常事態(イレギュラー)に何度も遭遇しているベルに一番必要な【発展アビリティ】だろう。

 ベルは少し悩んでいたが、部屋で悩まれたらスズの更新がいつまでも出来ない。

 

「まあこのあたりは明日アドバイザー君やサポーター君にも相談してみるといいさ。今日は頑張りすぎて疲れただろう? スズ君の更新をすませて今日はゆっくり休んで明日また考えればいいさ」

「そうですね。それじゃあ僕は外で待っていますから、いつも通り終わったら呼んでください」

「ああ。すぐに終わらせるから少しだけ待っていておくれよ」

 

 いつも通りヘスティアはスズと一緒に地下室の入口までベルを見送ってから、スズの【ステイタス】更新作業に取り掛かる。

 

 

 

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 スズ・クラネル LV1

力:g226⇒f300   耐久:f357⇒e402 器用:f382⇒e411

敏捷:g220⇒283   魔力:a804⇒876

 

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 普通の冒険者と比べると伸びはものすごく高い方なのだろうが、ベルと違いランクアップの権利を貰えていない。

 スズにとってミノタウロスの撃破に貢献する程度では偉業を成し遂げたことにならないようだ。

 

『【基本アビリティ】を稼いだと素直に喜んでおきなさい。しっかり高位の【経験値(エクセリア)】として蓄積はされているからその内ランクアップはするわ』

「す、スクハ君!? もう起きて大丈夫なのかい!?」

 

『おかげ様でね。これでまたしばらくは持つはずだけれど、心配を掛けたわね』

「本当に心配してたんだぞ。言いたいことは沢山あるけど、一先ず君とまた話せてボクは嬉しいよ」

 ヘスティアは安堵の息をつくとスクハになぜか大きな溜息をつかれてしまった。

 

『私のことを心配する暇があったら『スズ・クラネル』にもっと気を使ってあげなさい。『スズ・クラネル』がようやく遠慮せずに甘えようと頑張っているのに、まだ魔力がSSどころかSにも到達していないだなんて思いもしなかったわ。何を調べてるのかは知らないけれど、本ばかり読んでいないでもう少し『スズ・クラネル』に構ってあげなさい』

 

「スズ君の里について調べていたんだ。そこら中で噂になっているのにボクだけ知らないのは不公平じゃないか! スズ君もスクハ君もボクの眷族なのにボクが一番君達のことを知らないなんて嫌に決まっているだろう?」

 

『呆れた。そんな無駄なことを調べていたの。ならぜひ『私』の故郷の感想を言ってもらいたいのだけれど』

 

「もう『あの里』だから仕方ない、と言うしかないかな……」

 

 

§

 

 

 文献によるとレスクヴァは『古代』の時代に人類を導きダンジョンに赴いた精霊の一人だったらしい。最前線で戦っていたものの『古代』の精霊レスクヴァはあまり活躍していなかった。

 

 英雄譚でもたまに名前が出る程度でメインになる話は一つもないし、今では有名になっているらしい【長距離粉砕魔砲】なんて馬鹿げたものも使えなかったようだ。

 

 精霊レスクヴァが目立ち始めたのは『古代』から『神時代』に変わってからしばらくのことだった。

 自分達が築き上げた要塞を粉砕した神々とぽっと出の『神の恩恵』が気に入らなかったレスクヴァはダンジョンから離れ、自分のやり方で『黒竜討伐』を目指してしまったらしい。

 

 自分達の頑張りが無駄ではなかったことを証明したいという気持ちもあったようだが、何よりもレスクヴァは『目立ちたかった』のだ。

 

 ただそれだけの理由で『恩恵』に頼らず『伝説』になってやると意地になった結果、いつの間にか人外魔境になっていて今の『レスクヴァの里』があるのだから本気になったバカほど恐ろしいものはない。

 

 タケミカズチの言っていた『巫女』についての詳しい文献はなかったが、『レスクヴァの里』が『あの里』と呼ばれるくらい人外魔境に成り始めた頃には精霊レスクヴァの側に『巫女』と呼ばれる役職があったようだ。

 

 『恩恵』の代わりに人類の成長を手助けしているレスクヴァの血が一番馴染んだ少女が『巫女』に選ばれるのだが、血が馴染みすぎた『巫女』は精霊と同じ高位な存在に魂の在り方が変わるという。

 

 人工的に精霊を作り出してしまった『レスクヴァの里』は一躍有名になったがレスクヴァは止まらなかった。

 レスクヴァにとって『目立つ』とは『有名になること』ではなく『自分が主役の物語』が出来ることだった。

 

 『こうしてレスクヴァのおかげで世界は平和になりました』の一文で『迷宮神聖譚(ダンジョン・オラトリア)』を締めようとしているのだ。

 

 

 

 

 

 それを知って世界中は思った。レスクヴァ(こいつ)は本物の馬鹿だと。

 

 

 

 

 

 色々な意味で一躍有名になったことで人外魔境っぷりが表立つことになった『レスクヴァの里』だが、当然ながら人工精霊を作り出す神秘を奪おうと略奪行為に走る国もあった。

 精霊の血を与えられているとはいえ、『恩恵』がなければそんなもの一時的な強化でしかない。古典的な方法で鍛錬しているだけの『古代』の戦士なんて敵ではない。

 

 新たな精霊の力を得る為に『ラキア王国』が魔剣を持った軍を動かしたのだ。

 

 結果は魔剣を持っていたのにも関わらず『レスクヴァの里』の戦士数人に進軍を妨害され【長距離粉砕魔砲】で『レスクヴァの里』の戦士ごと吹き飛ばされて全滅した。

 

 ついでにラキアが人質として攫った数名の里の住人も吹き飛んだ。

 そのくせ自分で吹き飛ばしておいてレスクヴァは10年間泣き続けたらしい。

 恐ろしくその時のテンション任せな精霊だ。

 

 

 

 

 

 それを知って世界中は思った。レスクヴァ(こいつ)を怒らせてはいけないと。

 

 

 

 

 

 とにかくその人外魔境っぷりから『あの里』と名前を言うのも一部では恐れられているが、精霊レスクヴァに振り回されている里の住人はまだ良心的だ。

 

 レスクヴァが変なことをしないように見張っていてくれているようで、『恩恵』なしで岩を剣で軽々と斬り、種族問わず【魔法】が使えて、戦える者の平均推定能力がLV.3以上なことくらいでいたって普通である。

 

 普通とは何だったのだろうかと疑問を抱きたくもなるが、少なくとも話が通じて温厚で交易が出来るコミュニケーション能力を持っているようだ。

 

 調べられた範囲はここまでで、後はレスクヴァ本人の滅茶苦茶な話しか載っていない。

 精霊の血で強化するところまではまだわかるが、一体何がどうなってここまで人外魔境化してしまったのかがさっぱりわからなかった。

 

 『巫女』が発する『魅了』や『神威』については一切書かれていない。

 精々『巫女』の血はレスクヴァの血と同じ効果があるのではないかと推測する文献がある程度だ。

 

 あの時スズから感じた神威に近い何かが精霊の力だったのかはわからないが、おそらくスズは『巫女』と呼ばれる魂が昇格した人類種なのだろう。

 人外魔境になってからの『レスクヴァの里』が納得出来ないことだらけなせいで、もう『あの里だから仕方がない』以外の表現方法が思いつかない。

 

 あそこは理屈ではなく『起こったことが全て』なのだとヘスティアが考えるのを諦めたのはつい最近のことだった。

 

 

§

 

 

『賢明な判断ね。時間を無駄にした気分はどうかしら?』

「ボクの気苦労を返してもらいたいよ。このくらいのことならスクハ君が教えてくれてもよかっただろう?」

 

『貴女が態度を変えるとは思えないけれど、『スズ・クラネル』としてあの子には生きてもらいたいのよ。余計な知識なんて必要ないわ。だから、『スズ・クラネル』が『レスクヴァの里』出身であることを意図的に広められてしまったのは痛いわね。何のつもりで広めたのかは知らないけれど、広めた犯人の住まいが判明次第【魔砲】を撃ち込んでもいいかしら?』

 

「ダメに決まっているだろう! そんなレスクヴァみたいな物理的解決しないでおくれよ!?」

 

『お母様なら怪しいと思ったところにとりあえず撃ち込んでいたでしょうね。まあ、撃つ前に誰かが止めに入るしょうけど。それに比べたら確認も取っているし、私はずいぶんと譲歩していると思うのだけれど』

 

「どれだけ短気なんだよ精霊レスクヴァはっ!?」

 こんな精霊レスクヴァを恐れて引き抜きの心配はないだろう。

 しかし、そもそもスズが『レスクヴァの里』の住人であることが広まらなければここまで大騒ぎにはならなかった筈なので、噂を広めた犯人が許せない気持ちはヘスティアも同じだった。

 

 ヘスティアは子供達と一緒に暮らしていければそれで幸せだったのに、そんなささやかな願いすら邪魔しようとしている輩がいるのだ。

 許せという方が無理な話である。

 

 それにスズが迷宮都市(オラリオ)に来た理由を知れば事情も変わってきてしまうだろう。

 噂を流した者は本当に余計なことをしてくれたものだ。

 

『まあなんにせよ、これからは何を聞かれても『知らない』『聞いてない』で通してもらえるとありがたいわね。こう、裏で何を考えているのかわからない不敵な笑みを浮かべながらお願いするわ』

「君はボクにどんなキャラを求めているんだい!?」

 

『そうね……。ギルドさえ裏で操る黒幕くらいになってもらえると『私』も動きやすくて助かるのだけれど、借金を抱えた駄女神にそこまで求めるのは酷というものね。世間は貴女のことをロリ巨乳のマスコットとしてしか見ていないもの。せめてジャガ丸くんのお店のマスコット以上の貫禄は欲しいところなのだけれど、それも難しいかしら?』

 

「ジャガ丸くんは悪くないだろっ!?」

『ええ。悪いのは貴女であって、ジャガ丸くんではないわね。それが出来ないのならいつも通りの貴女でいなさい。暗い顔で思い悩んだりしていたら『スズ・クラネル』も心配するわ』

 

 結局のところスクハはヘスティアとスズのことを心配してくれているだけだった。

 どうやら里のことを調べるのに必死に成り過ぎてスクハとスズに心配を掛けさせてしまっていたようだ。

 

 色々あって少し焦り過ぎていたのかもしれない。

 調べたり他の神に対する対策を練ったりするのは大切なことだがそれで心配を掛けてしまったら本末転倒だ。

 

「スクハ君が起きてくれて本当によかったよ。いつも通りにやって君も絶対に幸せにしてあげるから大船に乗ったつもりでいておくれよ」

『泥船の間違いでしょう。『私』のことなんて気にせず『スズ・クラネル』のことだけを考えてくれればいいのに、貴女もお母様と同じで変なところは頑固で呆れて言葉も出ないわ』

 

 ボフっとスクハが枕に顔を沈めた。

 

『でも、貴女が主神で『私』もよかったと思っているわ。『スズ・クラネル』と『私』に温かい居場所を与えてくれてありがとう』

 

 そして小さな声でそう言った後、その言葉がものすごく嬉しくてヘスティアは言葉を出すのも忘れてスクハを見守っていると、自分で言った言葉が恥ずかしくなったのか『何か言いなさいよ』と何度も枕に顔を埋めている。

 手足もじたばたとさせているあたり今までで一番の自爆だったのだろう。

 

「もう一回言っておくれよ。よく聞き取れなかったんだ」

 

『忘れなさい。今すぐ忘れなさい。貴女は『スズ・クラネル』のことだけを考えてくれていればそれでいいの。だから頭を撫でるの止めてもらえないかしら。いい加減撫でるのを止めてくれないと本気で抵抗しなければならなくなるのだけれど』

 

「それはちょっとシャレにならないからこのあたりで止めておくよ。でも、スクハ君も遠慮なくボクに甘えてくれていいんだぜ?」

 

『貴女、少し調子に乗り過ぎだと思うのだけれど。こんなことなら優しい言葉なんて投げかけるんじゃなかったわ。そろそろ『スズ・クラネル』に戻るけれど、何か伝え忘れていることは?』

 

「大好きだぜスクハ君!」

『貴女のこと嫌いじゃないけれど、同性愛には興味はないわ。ごめんなさい』

「そこで冷静な回答しないでおくれよ!? 寂しいだろう!?」

『いつまでも私のことをからかおうとするからよ、まったく……。それじゃあまた明日、ヘスティア』

「あ、ああ。今日は話せて嬉しかったよ。また明日話そうぜ、スクハ君」

 見たところ完全に回復しきった訳ではなさそうだが、普通に話が出来るところまで回復してくれただけでも十分安心できた。

 

 無理に引き止めては悪いので話したいことは沢山あるが次に持ち越すことにした。

 急ぐ必要なんてない。

 毎日根気よく話しかけた結果今のスクハとの関係を築けたのだ。きっとこれからは少しずつスクハも『幸せ』を受け入れてくれる。

 

 スズとスクハどちらとも幸せになってもらいたいヘスティアはうだうだ悩むことをひとまず止めて、二人に幸せな日常を与える為にいつもの自分であり続けることを心がけるのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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             §誰かの泣き声が聞こえた§

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 夢を見ていた。

 いつもの『悪夢』ではなく、『悪夢』が始まる手前の夢。

 その日も私は一人で森へ遊びに出かけていた。

 えっちゃんと仲直り出来たことが嬉しかったことを狼に話してあげるが上手く理解してくれない。

 

 

 

 

 

 ―――――それ以上語らないで。その声は当然過去の自分に届いてくれない。

 

 

 

 

 

 狼に喧嘩の概念から教えてあげて、その後にまた仲直りの概念を教えてあげるがそれでもまだよくわかっていない様子だ。

 『喧嘩』『嫌』『心』『痛い』『悪い』『出来事』。

 『仲直り』『喜ぶ』『良い』『出来事』と首を傾げて尋ねてきたのでどう教えたらいいものか非常に悩んでしまう。

 

 試行錯誤を繰り返して何度も聞き返されながら、なんとか『仲の良い人に嫌なことをされて仲が悪くなること』が喧嘩で、『仲が悪くなった相手とまた仲良くなること』が仲直りだということは理解してくれた。

 

 苦労して教えてあげたのに狼はいつも通り『背中』『かゆい』『掻いて』と話題の切り替えが早い。背中を掻いてあげると嬉しそうに尻尾をパタパタさせて甘えて来る。

 

 

 

 

 

 やめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめてやめて。私の叫びが虚しく夢の中で響く。

 

 

 

 

 

 日が暮れた頃、しばらく里の行事で来られないことを伝えると狼は『寂しい』と言って尻尾を垂らしている。

 だから私はもう一度だけ里に来るかを尋ねてみた。

 狼が里に来てくれたら毎日遊んであげられるし、何よりももうすぐ里の『蠱毒の洞窟』を解放するのだ。

 大規模な戦闘に狼が巻き込まれてしまうかもしれないので出来ることなら安全な里の中に避難してもらいたい。

 

 そうしたら『行ける』『少し』『時間』『待つ』。

 『大人』『怖い』『無い』と尻尾を振って私の顔を舐めてじゃれてきた。

 

 おそらく大人に慣れるまで時間が掛かると言いたいのだろう。

 私はようやく里のみんなに新しい友達を紹介できると期待に胸を膨らませていた。

 

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――喧嘩 悪い 出来事 仲直り 良い 出来事――――――――――

 

 

 

 

 

 

 

 『悪夢』の中『私』は泣き叫ぶ私を見下ろしている。

 謝り続けている私を見下ろしている。

 罰として受け入れている私を見下ろしている。

 壊れきった私を見下ろしている。

 

 蠱毒の壺の中で沢山の『罪人(スズ)』を見下ろしながら『私』はただそこ(、、)に居続けるだけだった。

 

 

 

 

 

 

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              §鈴の音色が聞こえた気がした§

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 私はベッドから体を起こし、鈴の音が聞きたくて首飾りと髪飾りを探したが見当たらない。

 

 そう言えばミノタウロスとの戦闘で防具と一緒に壊れてしまったことを思い出す。

 【心理破棄(スクラップ・ハート)】の効果がまさかあそこまで徹底されているとは思いもしなかった。

 

 あの時リリルカを庇った『スズ・クラネル』は致命傷を受けていた。

 吹き飛ばされる寸前に障壁を切断した斬撃はチェーンメイルごと脇腹に大きな切り傷を残した。

 

 壁に叩きつけられた衝撃はプレートメイルを砕くほどのものだった。

 魔剣の連射による追撃も盾を構えるが防ぎきることは出来ず、致命傷だけ避けるように炎と降り注ぐ壁の破片から体でリリルカを庇ったのだ。

 

 傷や火傷の数なんて数えるのも馬鹿らしい。

 リボンとコートの耐熱加護がなければ魔剣の熱で間違いなく死んでいただろう。

 

 魔除けの首飾りと髪飾りもこの時に壊れてしまった。

 『スズ・クラネル』はすぐさま魔力でコートの修復速度を上げて怪我と火傷を隠そうとしていたが修復前にリリルカに目撃されていたようでかなり心配を掛けてしまったようだ。

 

 本来なら動ける体ではなかったが、『スズ・クラネル』は【スキル】の効果通り大切な者を助ける為に自分という個を切り捨てて動いた。

 ベルを心配させないように普通を装い、血を流し過ぎると動けなくなるので止血する為に自分の脇腹の傷口を【ソル】の熱で焼いて塞いだのだ。

 

 

 

 『スズ・クラネル』の心も『私』の影響で壊れたままなことを思い知らされた。

 

 

 

 不幸中の幸いだったのは命を落とすほどの無理はしなかったことと、耐熱グローブ以外のプレゼントを全壊させてショックを受けたものの魔力が下がらなかったところか。

 

 ショックを受けても自分自身で傷つく分には一切魔力が変動しない辺り【愛情欲求(ラヴ・ファミリア)】も中々に壊れた心を表している【スキル】だ。

 

 それに傷を癒す為に『アレ』を思いつかなかっただけマシだと思おう。

 『悪夢』を私が引き受けているので思いつくことはまずないとは思いたいのだが、『アレ』がここにもいる以上ふとしたきっかけで思いついてしまうかもしれない。

 

 ダンジョンが『私』の影響を受けて新たに生んだのか、『私』を追ってきたのかは知らないがずいぶんとご執心なことだ。

 『スズ・クラネル』には人として幸せになってもらいたいだけなのに中々どうして上手くいかないものである。

 

 

 

 

 一先ず思考を整理してこれからやるべきことを絞ろう。

 

 

 

 

 私はヘスティアを起こさないようにベッドから抜け出し、『詩の蜜酒(レスクヴァ)』とコップを手に地下のドアをくぐった。

 

 流石に同じ失敗は繰り返さない。

 【ソル】を停滞させて灯りにしながら階段を上がっていく。

 すると鈴の音が聞こえた気がした。

 リンリンと心地のいい音色が上の方から響いている。

 

 地下室で姿を確認し忘れたがおそらくベルだろう。

 ミノタウロスとの戦いでベルは『【英雄願望(アルゴノゥト)】で蓄力(チャージ)した【ファイアボルト】を放つ』過程に『蓄力(チャージ)しながらヘスティア・ナイフを突き立てる』行為を挟んでいた。

 

 今まで【英雄願望(アルゴノゥト)】を試した時は蓄力(チャージ)中に身動きは取れなかった。

 

 『手を標的に向けて【ファイアボルト】を放つ』と『ヘスティア・ナイフを突き立てて【ファイアボルト】を放つ』は同じ【ファイアボルト】を放つ過程として見ることも出来るが、『蓄力(チャージ)しながらヘスティア・ナイフを振り降ろし』『蓄力(チャージ)した【ファイアボルト】を放つ』だと能動的行動が二つになっている。

 

 この時のベルは間違いなく【平行処理(マルチタスク)】を行なっていた。

 

 おそらくベルは3階層でミノタウロスと戦った時に【英雄願望(アルゴノゥト)】を外したことから『確実に仕留めよう』と初撃の斬撃ではなく、当たっても外れても大丈夫なよう【ファイアボルト】に『能動的行動に対するチャージ実行権』を行なったのだろう。

 

 【英雄願望(アルゴノゥト)】の効果は『能動的行動に対するチャージ実行権』だ。

 意識を『能動的行動』に集中させるせいで難しいが、『手を向けて標準を合わせる』行為が出来るのだから蓄力(チャージ)中に別の行動を挟んでも問題はない。

 

 ただ制御が難しくて脳が複雑な行動を処理しきれないだけだ。

 その中でも最も難しい『蓄力(チャージ)中の行動』をベルは行った。

 あの瞬間だけ『スズ・クラネル』を守る為に【限界解除(リミット・オフ)】して限界を超えたのだろう。

 【英雄願望】どころかまるで物語の英雄そのものである。

 

 一人で試しているということは【限界解除(リミット・オフ)】で一時的に使用しただけなのでまだ意識的には出来ないのだろう。

 しかし【魔法】の平行詠唱と同じで訓練をつめば他の行動と平行して【英雄願望(アルゴノゥト)】の蓄力(チャージ)が可能になる筈だ。

 

 ベルはそのことに気付いて【英雄願望(アルゴノゥト)】の特訓をしているのだ。

 ランクアップしても浮かれず努力を怠らないのは良い心掛けである。

 ここは【平行処理(マルチタクス)】のコツを【魔法】の専門家である私が教えてあげるとしよう。

 

 せっかくだし少し驚かせてやろうと【ソル】の光を消して気配を消しながら階段を上がっていく。

 

 階段を上がり切るとヘスティア・ナイフを構えたベルの横顔が目に映った。

 ヘスティア・ナイフに光を蓄力(チャージ)させながら他の行動をしたいのか僅かに体がピクリと動いているのだが、眉を顰めて困った顔をしている。

 

 おそらく思うように動けないのだろう。

 今のベルは【英雄願望(アルゴノゥト)】の効果で『ナイフで攻撃』する動作に脳の容量をほとんど割いている為他の動作が出来ないのだ。

 

 人間の脳は本来同時並行作業(マルチタスク)に対応していない。

 複数のことを同時にこなそうとすると作業効率が大幅に下がってしまう。

 【平行詠唱】が失敗して魔力暴発(イグニス・ファトゥス)してしまうのもこの集中力低下のせいだ。

 

 ベルは一度【英雄願望(アルゴノゥト)】をキャンセルして今度は左手に光を蓄力(チャージ)した。

 ベルの額から汗が滴り落ちる。

 

 脳に負担でも掛かったのか辛そうな顔をしてキャンセルした。

 もしかしたら【魔法】と同じで蓄力(チャージ)したエネルギーが暴発しそうだったのかもしれない。

 

 それでも懲りずに左足と右足でも同じことを試しては顔をゆがませて冷や汗を垂らす。次第に息まで切らせ始めてきた。

 

 

 

 

 致命的な失敗をする前にそろそろ止めるべきだろう。

 

 

 

 

 私はベルに話しかけようとすると今度はベルの下半身が光った。

 手をぐーぱーさせた後に回し蹴りをしたが下半身に光が蓄力(チャージ)され続けている。

 

 変なところで平行処理(マルチタスク)を成功させてしまったベルは悔しそうな顔をして膝をついてしまった。

 

 これは『もうそこから【ファイアボルト】を放つしかないわね』とからかうべきなのだろうか。

 それとも見なかったことにしてあげるべきなのだろうか。

 流石に本人が本気でショックを受けていることをからかうのは可哀そうなので見なかったことにしてあげよう。

 

 『ナニをおかずに光らせたのかしら』とからかいたくなるがぐっと我慢しておく。

 いたって真面目に特訓をしているところに水を差すのは悪い。

 どうせ『剣姫』のことでも考えていたに違いないのだから聞くのは野暮というものだ。

 一途な心を持つ思春期の純情少年を傷つけるのはあまりに可哀そうである。

 

 再びヘスティア・ナイフ…当然ながら手に持っている方に【英雄願望(アルゴノゥト)】の蓄力(チャージ)をしてまた失敗をしたところを見計らって声を掛けてあげることにした。

 下半身では成功した分とても悔しそうな顔をしているがそこは気にしないでおいてあげよう。

 

『頑張るのはいいのだけれどあまり無理をするのは感心できないわね。体だけでなく脳まで痛めつけるほどマゾになっているとは思わなかったわ。『剣姫』のおかげでずいぶんと強くなれたようだけれど、変な性癖まで向上させるのはどうかと思うのだけれど」

 

「スクハ!? え、えっと、い、い、いつからそこにっ!?」

『ついさっきよ。大方【英雄願望(アルゴノゥト)】の平行処理を練習していたのだろうけれど無茶が過ぎるわ』

 

 下半身が光っているのを目撃されてないと知ってベルはほっとしている。

 私だって『スズ・クラネル』の義兄が自ら下半身を発光させていたなんて事実は出来ることならなかったことにしたい。

 

 不可抗力で光って言い訳が出来る状況ならまだしも今のは流石に触れてはいけない事象だったと思う。

 

「よく僕がやろうとしてることがわかったね。ミノタウロスの時はそれっぽいこと出来たからいけると思ったんだけど……。そんなに危ない行為だったの、これ?」

 

『ええ、具体的な危険性を言うと……そうね。そんな練習法では習得前に脳を駄目にして廃人になるか、もしくは蓄力(チャージ)したエネルギーが暴発して教会ごと吹き飛ぶかのどちらかといったところかしら』

 

 ベルの顔が一気に青ざめた。

 私が言ったのは最悪の事態なだけでそうなると決まった訳ではないが気を付けてもらうに越したことはない。

 

『まずは【ファイアボルト】で【平行詠唱】の練習をしなさい。【速攻魔法】なおかげで勢いよく飛び跳ねながら【ファイアボルト】を撃てているけれど、走りながらや攻撃しながら【ファイアボルト】を撃ったことはないのでしょう? 【ファイアボルト】なら暴発しても痛い思いする程度で済むでしょうし、それに慣れてから【英雄願望(アルゴノゥト)】の平行処理練習をしなさい。【平行詠唱】の練習なら私でも『スズ・クラネル』でも付き合ってあげられるから』

 

「うん、そうしてみるよ。いつもありがとう、スクハ。それと少し言うのが遅れちゃったけどスクハが元気になってくれて本当によかったよ。こうやって二人で話すのは久しぶりだね」

 

『さらりと口説かないでもらえないかしら。ヘスティアやリリルカと違って私はそんな『ちょろイン』ではないのだけれど』

「口説いてないよっ!! なんでそうなるの!? そもそも『ちょろイン』って何っ!?」

 

『いつか女の子泣かせない為にも自分で考えなさい。優しくされただけで勘違いしたり期待する女の子だっているのだから少しは乙女心も考えてあげなさい。さもないといつか後ろから刺されたり変な女性に監禁されるわよ。ヤンデレには本当に気をつけなさいよね』

 

「なにそれ怖い。あれ、そう言えばヤンデレだけは勘弁って僕の祖父も言ってたような……?」

 

 ヤンデレを知っているなんて神のような感性の持ち主だ。

 ベルの祖父がもっとまともな人間だったらこんな気苦労はしないで済んだのだろうがベルにとっては大切な家族なので口には出さない。

 

 愚痴のはけ口がないので鈴でも鳴らそうかと髪飾りをいじろうとして手が空振りしてしまう。

 もう無いことをすっかり忘れていた。

 しかもベルの目の前でいつもいじっているような素振りを見せてしまった。

 

 顔に熱がこもるのを感じて『私』はまだ生きているんだと実感できた。

 ヘスティアとベルのおかげで『私』はまた人間らしく振る舞うことが出来ている。

 いつまで続くかわからないが迷宮都市(オラリオ)に来てよかったと『思えた』のが嬉しかった。

 

「すごく気に入ってくれてたんだね。それだったら今度一緒に買いに行こっか」

 そうやって無自覚に誘うから勘違いされるのだとなぜ気づかないのか。

 ハーレムを目指して迷宮都市(オラリオ)に訪れてそのハーレムを構築しつつあるのに本人は全くそのことに気付いていない。

 

 ヘスティアとリリルカは好きなる相手を間違えている。

 『ちょろイン』過ぎる。エイナもその気がありそうに見えるからさらに『ちょろイン』だ。

 

 お人好し過ぎて放っておけないだけかもしれないがそれにしたって『ちょろイン』過ぎるだろう。

 ベルはこう母性本能をくすぐるタイプの人間だからがめつくなられても困るのだが、もう少し自覚だけはもってもらいたい。

 

『『スズ・クラネル』も壊してしまったことを気にしているようだし、また買ってあげなさい。新しいものでも前と同じものでもあの子は喜ぶわ』

「家宝にするって言ってたからね。また同じ物をプレゼントしてあげようと思ってるんだけど……スクハは他に何かリクエストはあるかな?」

 

『私も同じ物だけでいいわ。ベルからのプレゼントは本当に嬉しかったから、違うものだとわかっていてもまたあの髪飾りをつけていたい』

 

 でも、たまには私も『ちょろイン』を演じるのも悪くないかもしれない。

 

『ベルとのデート、楽しみにしているから』

「え」

 

 せっかく感情らしきものが芽生えているのだから一度くらいデートというものを経験してもバチは当たらないだろう。

 表情が固まっているベルに日にちと時間だけを言って、いかにも楽しみにしてますよといわんばかりの鼻歌を歌いながら顔を真っ赤にして慌てふためくベルを無視して階段を降りて行く。

 人間らしく振る舞っているだけの『私』だけど、私は――――――――――――――――

 

 

 

 

 

 

 ―――――――――――『私』が、幸せになっていい訳がない――――――――――――

 

 

 

 

 

 土壇場で『スズ・クラネル』に変わりサプライズプレゼントにでもしておこう。

 『スズ・クラネル』がベルのことを異性と好きかどうかまではわからないが一緒に遊びに行きたいとは思っている筈だ。

 そのきっかけを作る道化を演じたと思っておこう。

 『ちょろイン』なんて慣れないことをするものではない。

 

 火照っていた私の熱は冷めていくのだった。

 

 




どちらかというと今までの里の情報とミノタウロス戦の【英雄願望(アルゴノゥト)】解説でした。
アニメ版では走りながら【ファイアボルト】を連射していましたが、こっちの方では走りながら撃てたとしても複雑な動作とセットで使うには【平行詠唱】が必要ということにしております。
長くなりすぎたので次章で【ファイアボルト】の【平行詠唱】特訓回を設ける予定です。

そして一見『ちょろイン』そうでいて一定以上好感度が上がると急降下するスクハさんでした。

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