リリを助けるために8階層の天井を【魔法】で撃ち抜いたスクハは、無理がたたったようで、リリが泣きやむのを見守った後、力なく倒れてしまった。
ベルもリリも慌てふためいてしまったが、リリが慌てふためく暇があったら、すぐにダンジョンから脱出するべきだと、涙を浮かべながらも冷静な判断を下して、ベルはスズを背負いながら地上を目指す。
途中ですれ違った冒険者の3人パーティーがその様子を緊急事態だと察して、慌ててベル達に近づき、どうしてこうなったかを聞いてくる。
リリのこともあるし【ソーマ・ファミリア】のことを話すかどうかベルは迷ってしまった。
しかし、リリ自身が【ソーマ・ファミリア】のカヌゥという男に脅されたことや、その脅された内容も語り、自分もそんな醜い【ソーマ・ファミリア】の一員であり、盗みを働いたことがあること。
カヌゥに騙された馬鹿な自分を助けるためにスズが無理をして倒れてしまったこと。
洗いざらい要点だけ抑えて、事の顛末を冒険者に話した。
「冒険者様。報酬は支払います! ベル様とスズ様は被害者です! 悪いリリをギルドに突き出してもかまいません! どうかスズ様をお助け下さい! 4階層までで構いません! 護衛として雇われて下さい! お願いします! お願いします!」
必死に頭を下げるリリに、困惑する様子もなく、ヒューマンの少女の
さらにアマゾネスが「まだ君も疲れてるじゃん」とひょいとリリの体を抱き構えてくれる。
「なんで……」
当然のように流れ作業で、自分のことまで助けてくれるとは思わなかったのか、リリは目を丸くしていた。
「なんでって、話を聞く限り貴女も被害者でしょ? それに、うちのバカゾネスが白猫ちゃんに迷惑掛けたことあるし。だけど、この子……女の子にもセクハラするから注意しなさい」
「いくら私でも怪我人にはそんなことしないよ、失礼な! あ、もしかして妬いちゃった? 妬いてくれちゃったの? 大丈夫、いつでもお姫様抱っこして――――――」
「黙りなさいバカゾネス!」
そのやり取りで、初めてスズと銭湯に行った時に、女湯でスズと話していたエルフとアマゾネスだということをベルは察した。
スクハの【魔法】が5階層の床まで吹き飛ばし天井に大きな窪みを作っていたことに驚いたこと以外は、すれ違う冒険者達がさらに護衛に参加することで、何事もなくダンジョンを出て、スズをバベルの医務室に預ける。
スズの症状は疲れによる発熱と
冒険者達と共にベルとリリは安堵の息を漏らした。
エイナが調べてくれていた【ソーマ・ファミリア】の現状と、冒険者達からの訴えもあり、ギルドは【ソーマ・ファミリア】に監督不届きによる自粛と罰金、カヌゥ達は度が過ぎる汚い手口や花屋への理不尽な暴力、そしてゲドを実質殺害したも同然なことにより、ギルド施設の使用禁止という厳重なペナルティが与えられた。
リリにもペナルティが与えられることになったが、死者もなく、また盗んだ相手も雇ったサポーターに難癖をつけて給料を払っていない荒くれ者ばかりなこともあり、今まで物を盗んだ冒険者達に多額の賠償金を払うことと、厳重に注意されるだけですんだ。
リリは賠償金で財産のほぼ全てを失い、主神であるソーマが酒造の自粛を言い渡されて部屋の隅から動かなくなってしまったことで、【ソーマ・ファミリア】からコンバージョンが出来ない状態は今だ続いている。
それに加えて、盗んだ総額以上の謝礼金を払ったとはいえ、まだリリのことを恨む冒険者は多い。
だけど、罰を与えられ、理不尽ではないお叱りを受けリリは、どこか憑き物が落ちたようなスッキリした顔をしていた。
§
だが、あれから三日経ってもスズが目を覚ますことはなかった。
たまにスクハが目を覚ますが、無理をした反動で体がほとんど動かせず、一人で食事をとることもままならない状態で、ヘスティアに介護されながらの生活を余儀なくされている。
『リリルカ。『スズ・クラネル』のお見舞いに来てくれて嬉しいわ。でも、まだあの子は眠っているの。せっかく来てくれたのに、悪いわね』
「いえ、スクハ様も私にとってはスズ様と同じく友達ですから。これはスクハ様へのお見舞いでもあるんですよ?」
『本当に『スズ・クラネル』の周りはお人好しばかりね。あの子のことを思うと良い環境ではあるのだけれど、こうもすんなり受け入れられると、呆れてものも言えないわ』
「手鏡をご用意しましょうか、スクハ様」
『結構よ』
スクハは顔を少し赤め、かろうじで動く首をぷいとリリからそむけた。
あの一件の後、リリはヘスティアに事件の顛末と、ベルとスズを裏切ったことや、スズが倒れてしまったことを謝ると、ヘスティアは「相談せず行動した君も悪い!」とものすごく怒ったものの、原因がカヌゥという男の卑劣な脅しということもあり、「君なりにベル君とスズ君を守ろうとしてくれたのは嬉しいけど、自分だけで背負わずにもっとボク達に頼っておくれよ」と慈悲深く、優しく微笑んで許してくれた。
その時にもう一人のスズにもお礼を言いたいことをさっそく相談してみたところ、ヘスティアはスクハという名前で名乗ってくれていることを教えてくれたのだ。
ここ三日間、起きている時はスクハなので、すっかりもうリリはスクハに馴染んでいるし、普段スクハは出てこないせいかベルも積極的に心配して話しかけている。
スクハがお人好しなのは初めて助けられた時からわかっていたが、淡々と物事を語るスクハがこうもわかりやすくからかい甲斐のある人物だとは思わず、ついついその可愛らしい反応をみたくてリリは傷つかない程度の意地悪をしてしまいたくなってしまっていた。
好奇心旺盛なパルゥムの悪い癖だと自覚しているものの、スズと同様に大好きな友達のスクハが不愛想な表情なのに、反応が可愛過ぎるのがいけないんだと、ヘスティアとスクハのやり取りを見習って、リリも楽しく会話させてもらっている。
「それでスクハ様。スズ様の容体の方は……」
『そうね。この調子なら今晩か明日には目を覚ましてくれるのではないかしら。しばらく動けないのは変わらないものの、
「よかった。でも、そうなるとスクハ様とは気軽に会話を出来なくなってしまうのですか? スズ様のことを思っていつもは自粛しているとヘスティア様からお伺いしていますが」
『『私』は『スズ・クラネル』と五感を共有しているから、貴女が『スズ・クラネル』と手を繋げば、『私』にも貴女の温もりが伝わってくるわ。だから『スズ・クラネル』と仲良くしていれば、しっかり『私』にも伝わっているから、リリルカは無用な心配をしなくていいのよ。『スズ・クラネル』が幸せなら『私』も幸せなのだから。余計なことを考えてないで、そろそろ帰りなさい。もう夜も遅いのだから、しっかりベルに送ってもらいなさい』
まだリリに恨みを持った冒険者はいるので、一人で夜遅くに帰らせる訳にはいかないと、スクハは必ずベルと一緒に帰るようにと勧めている。
自分を受け止めてくれたベルのことを、リリは異性としても好きになってしまっているので、その気遣いは嬉しいのだが、スクハを見ていると主人格でないからといって、自分を蔑ろにし過ぎではないかと心配になってくる。
リリにとってはスズもスクハも両方友達だし、ベルにとっては二人目の妹、ヘステイアにとっては三人目の眷族なのに、それを言われると喜んでくれるものの受け入れてくれない。
そんなスクハを見ていると、少し前まで独りよがりの『幸せ』に酔っているだけだったリリも、はたから見ればこのように見えていたのだろうなと感じてしまい、スズとベルにかなり心配を掛けていたんだなと改めて実感させられてしまう。
スズとスクハを共存させながら、上手く折り合いを付けさせる方法はないだろうかと考えながら、リリは今日もベルに新たに寝床にすることになったノームの店に送られるのだった。
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§耳障りな音だけが聞こえる§
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夢を見ていた。
いつもの『悪夢』ではなく、『悪夢』が始まる前の、ただの夢。
その日私はまた一人で森へ遊びに出かけていた。
最近暇を見つけては狼と遊んでいる。
―――――――――もう、関わらないで。その声は当然過去の自分に届いてくれない。
狼は賢くて、私の言葉をしっかりと覚えて理解してくれた。
狼も鳴き声の強弱をつけて私にわかるように単語を作ってくれた。
すぐに私の言葉と狼の鳴き声で意思疎通することが出来て、新しい森の友達をいつか皆に自慢したいなと思っているのに、狼は里には来てくれないし、大人と一緒の時は顔も見せてはくれない。
理由を聞いてみると『怖い』とただそれだけを訴えかけるだけだった。
皆は優しいことを教えてあげても、『優しい』という意味を理解してくれても、断固として大人には近づいてくれない。
きっとここに来る前に酷いことをされてしまったのだろう。私はそう納得してしまった。
――――――――それ以上教えないで。その声は当然過去の自分に届いてくれない。
狼にものを教えるのに夢中になっていたせいで、後ろから襲い掛かってくる『ヒュージスパイダー』に気付かず、糸に巻かれてしまう。
いつもならなんてことない相手に私は初めて命の危機を感じた。
体に巻き付いた粘着質の糸に加え、手足が大の字を描くように地面に張り付いてしまい思うように力を入れられず、一切の抵抗が出来ない。
浮かれすぎて自分の迂闊さに嘆き、迫り来る『ヒュージスパイダー』が怖くて泣き叫びながら助けを求めるが、人がいない時に狼と遊んでいるのだから助けが来ることはない。
そんな中、狼が『ヒュージスパイダー』に飛びかかり、鋭い爪に体中を引き裂かれながらも『ヒュージスパイダー』の八本足を全て食いちぎり、動けなくなったところで胴体ごと魔石も噛み砕く。
よろよろと狼はふらついた足取りで私のところに戻った後、『怪我』『無い』と首を傾げ顔を優しく舐めてくれて、私の手足が傷つかないよう器用に粘着質の糸だけを食いちぎる。
助けてくれたのが嬉しくて「ありがとう」と抱きしめ、「大好き」と頭を撫でて、「怪我させてごめんね」と謝りながら、狼の怪我を手当てしてあげた。
狼は『
「私がいなくなったら狼さんも悲しいでしょ? いなくなってほしくないから守るの。
そう言ってあげると『いなくなる』『寂しい』と狼もわかってくれて嬉しかったが、『頭』『かゆい』『掻いて』とすぐに別のことを訴えかけてくる。
意思疎通が出来ても、やはり獣とは気まぐれなもので、自由気ままだ。
こんなことは日常茶飯事だし、話は飛び飛びになりがちだが、遠慮せずにコミュニケーションがとれるこの気ままな関係が私は大好きだった。
狼の頭を掻いてあげると、狼は『気持ちいい』『嬉しい』『もっと』『下』『そこ』と尻尾をぶんぶんと触れながら気持ちよさそうな顔をしている。
そんな幸せな思いでの一ページを汚してしまったのは、他の誰でもない私自身だった。
――――――――――――――
『悪夢』が今日も『私』を包み込む。
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§鈴の音色が聞こえない§
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夢から覚めた私は、『悪夢』から『スズ・クラネル』に意識を向けてみると、無事に『スズ・クラネル』は目を覚まして体を起こしていた。
まだ出歩けるような体力は戻っていないが、本を読めるくらいには回復している。
『スズ・クラネル』は分厚い本を手に取り、その本を開くがその本は白紙だった。
ベルが読んでしまった『
五感を共有できていても『私』は『スズ・クラネル』の考えまで盗み見ることは出来ない。
今の彼女と『私』は体を共有する別人だ。
【
白紙なのをいいことに新しい家計簿として使うのだろうか。
そう疑問を持ちながらも見守っていると、『スズ・クラネル』はペンを手に取り白紙のページに文字を書いていく。
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こんにちは。初めましてスズ・クラネルです。
【心理破棄】に意志があることに少し戸惑いましたが、私のワガママに応える形で、りっちゃんを助けてくれてありがとうございます。
私からでは貴方のことを知る術がない為、大変申し訳ないとは思いましたが、このような筆記による挨拶とさせて頂きました。
もしよろしければ、軽い自己紹介で構いませんので、お返事を書いて下さると嬉しいです。
スズ・クラネルより
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覚悟はしていたものの、『私』の存在が『スズ・クラネル』に知られたショックは大きい。
このまま何でもないやり取りを続ける分には問題はないが、『スズ・クラネル』が私を優先してしまったり、『悪夢』関連の情報が『私』を意識してしまったことで流れやすくなってしまわないかが怖くてたまらない。
それでも一度知られてしまった以上、『スズ・クラネル』はいつまでも返事を待って白紙のページを眺めつづけることだろう。
体を借りなければ溜息もつけないが、溜息をつきたくなってくる。
今の弱った体のまま横にもならず、緊張しながら待ち続けさせるのは良くないので、『スズ・クラネル』の体で溜息をついて無難な返事を書いてあげる。
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【心理破棄】なんて呼びにくいから、スクハと名乗っている【スキル】よ。
私は【スキル】という都合上、長時間表に出続けることは出来ないけれど、貴女と五感は繋がっているから毎日退屈はしていないわ。
私のことを知っているのは、ヘスティア、ベル、リリルカの三人で、【スキル】である私を貴女が気に掛けないように私が口止めしていたから、三人を責めないであげて。
それと、貴女は感付いていると思うれど、ヘスティアが更新してくれている時は、毎回私が貴方の時間を奪って会話を楽しませてもらっているの。
その二つに関してはごめんなさい。色々不安がらせてしまったみたいで本当に申し訳ないわ。そして体を使わせてもらってありがとう。
勝手なお願いだとは思うのだけれど、これからも私が出ていられる制限時間ぎりぎりまで、ヘスティアとの会話を楽しませてもらえないかしら。
後、敬語でなくて普通に友人と話すように文章を書いてくれると嬉しいのだけれど、その辺りの判断はスズ・クラネルに任せるわ。
私は文通の返信も一日に二回程度しか出来ないけれど、これからも良くしてくれると嬉しいわね。
ただ、貴女の疲れは私も感じているから、出来ることなら文通の再開は明日体調がもう少し落ち着いてからにしてもらいたいのだけれど、いいかしら?
スクハより
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ある程度ぼかしながら、一番『スズ・クラネル』が納得しそうな内容を書いて、『スズ・クラネル』に体を返す。
すると追加された文字を食い入るように見て、ぱぁっと嬉しそうに『スズ・クラネル』は笑顔を作った。
「あれ、じゃあ聞こえてはいるのかな。これからもよろしくね、スクハちゃん。好きな時に私の体使っていいから、これからも一緒に頑張ろうねッ」
出ていられる時間に制限があることと、ワガママをワザと書くことで、何とか『スズ・クラネル』を納得させることが出来たようだ。
ヘスティアとの会話に加えて、これからは『スズ・クラネル』との文通も増えると思うと気苦労が絶えない。
彼女達とやり取りは嫌でないのだが、『悪夢』を引き受けている身としては消耗が激しすぎて、その内本当に制限時間がもっと短くなりそうで怖いところだ。
それでも、『スズ・クラネル』が『私』とのやり取りで笑顔になってくれるのなら、このくらいの無理はどうということはない。
今日は大好きな鈴の音が聞こえてこないけど、『私』は今、嬉しいと感じれたんだと思う。
【
そして、せっかく白紙で分厚い『
その内『もう一人の僕!』『相棒!』のように自然と意思疎通できるようになる予定ではありますが、交換日記には長らくお世話になりたいと思っております。
…はたから見ると、一人交換日記になってしまっていて、ものすごく寂しい子に見えるなんて言ってはいけないです(笑)
毎度同じく『ヒュージスパイダー』はウィザードリィから名前を拝借しております。