本日ベルとスズの稼いだ額は17000ヴァリス。
駆け出し二人の戦績とは思えない戦いぶりの破格な額だった。
「りっちゃんのおかげでこんなに稼げたよ。術式の感覚もだいたい掴めてきたし、りっちゃんの動きも覚えたし……明日は20000ヴァリス以上稼げそうだね。はい、これ今日の報酬だよ」
スズが笑顔で半分の8500ヴァリスを手渡してきたので、リリはその信じられない行動に唖然とした後、ついつい大きくため息をついてしまう。
「どうしたの、リリ?」
「スズ様はもっと世間というものを知るべきです。平然とどうしたのとお聞きしてくるベル様もですよ? これはお二人が命がけで稼いだお金です。それなのに私がお二人分のお金を貰うのはおかしいではありませんか。せめて三等分にしてください。後、スズ様! 金銭感覚がおかしすぎです! LV.1冒険者5人パーティーが1日で稼げる平均が25000ヴァリスなのに、さらりと明日は20000ヴァリス以上稼げるなんて言わないでください!」
「ご、ごめんねりっちゃん。でも、私とベルは家族だから分ける必要はないし、りっちゃんもお金に困ってるし、いつもの平均が8000ヴァリスだからお金はこれでいいんだよ? りっちゃんのおかげですごく助かったし、りっちゃんのおかげで倍稼げたんだよ。だから半分こが一番かなって。ベルもそう思うよね?」
「うん。リリが居なかったら危なかったし。それにリリはお金に困ってるんだよね。これからも一緒にダンジョンに行く仲間なんだし、受け取ってくれると嬉しいな。しっかり美味しいもの食べないと元気でないってスズも言ってたし。そうだ! これからリリの歓迎パーティー開かない? 少し高いけど美味しいお店知ってるんだ!」
そんなベルとスズの様子を見て、お人好しすぎるとリリはまた大きくため息をついてしまう。
「人が良いのはリリも好感を持てますが、度が過ぎるのは良くありません。いつか悪い人に騙されて痛い目にあっても知りませんよ?」
「心配してくれてありがとう。りっちゃんは優しいんだね」
スズのその言葉に、ズキリとリリの心が痛んだ。
優しくなんてない、優しい振りをしているだけなのに、何の疑いもなく嬉しそうに笑うスズを騙していることが、たまらなく嫌だった。
「りっちゃん、嫌なら言ってね? 私達のペースに合わせてりっちゃんが無理するの、嫌だよ?」
「いえ、戦っているのはお二人なので、リリは無理なんてしていませんよ。リリもまだまだ頑張れるので、お二人が大丈夫な限りはどこまでだってついて行けます。ただ、人を疑うことを知らないお二人に呆れ果ててしまっているだけです。そんな簡単にリリのことを優しいと決めつけて、リリがもし悪い人だったらどうするんですか。身包みを剥されるだけならまだいいですが、ダンジョン内で騙されて罠になんて嵌められたら、命だって落としてしまうかもしれないんですよ? リリとスズ様は初対面なんです。そう簡単に信じないでください!」
そう言うとスズは首を傾げて「んー」と何かを考えた後、そんな姿を見守るベルと顔を合わせてから軽く笑う。
それだけで何か伝わったのかベルは軽く頷いて、少し腰を下ろしてリリと目線を合わせた。
「そうやって心配してくれるリリは、しっかり僕達のことを考えてくれてるじゃないか。そんな優しいリリから信頼を得たいから、まず先に僕達がリリを信頼する。それじゃあダメかな?」
本当にこの二人はお人好しすぎてついて行けない。
このまま一緒に食事でもしたらそれこそ離れたくなくなってしまう。
『
幸せを感じたいが、酔ってはいけない。
酔ってしまえば抜け出せなくなり、【ソーマ・ファミリア】の誰かがいつか必ず二人に迷惑を掛けてしまう。
人から物を盗む度にこの兄妹のことを思い出して、罪悪感に苦しめられサポーターとしてしか生きられなくなる。
そうなれば一生【ソーマ・ファミリア】で生き地獄を味わわなければいけなくなるだろう。
酔ってしまったら、誰にとっても良い結末なんて待ってはいない。
リリは今からでも離れるべきかと考えるが、既に幸せという毒を求めて、ぎりぎりまでこの幸せに浸りたい気持ちになっていた。
ぎりぎりまでならまだ許容範囲だが、依存するのはダメだ。
一度頭を冷やす必要があるだろう。
「……全然理屈にはなっていませんが、言いたいことはわかりました。【ソーマ・ファミリア】のサポーターであるリリのことを、ここまで信用してくださりありがとうございます。ベル様とスズ様のご期待に応えられるよう、明日からもリリは頑張らせていただきますね!」
「うん。明日からもよろしくね、りっちゃん。それで歓迎パーティーの方はどうかな?」
「すみません。リリなんかのために歓迎パーティーを開いてくださるのは嬉しいのですが、運悪くリリにはこの後予定がありまして。また後日ということではダメでしょうか?」
「大丈夫だよ。リリの都合のいい日にまたやろう」
「ありがとうございます! リリの用事ついでになってしまいますが、耐熱グローブの方はこちらで揃えておきますね」
「リリ、そんな悪いよ!」
「ベル様、冒険の準備もサポーターのお仕事の一つです。しっかり後で請求しますので、リリは損なんてしませんよ。だからご安心下さい」
リリは無難な回答を選んで笑顔で答えていく。
いつもやっていることのはずなのに、胸が苦しかった。
知識でしか知らない歓迎パーティーというものは、きっと楽しいに決まっている。
リリのためだけのために歓迎してくれるのが、嬉しくないわけがない。
「りっちゃん、ありがとう」
感謝を込めた純粋な笑顔。
こんな笑顔に囲まれて暮らせたら、どんなに幸せだろう。
それと同時にこんなことも思ってしまう。
――――そんな笑顔をつくれるのなら、さぞ幸せな生活を送ってきたことでしょうね――――
才能、家柄、家族、優しくしてくれる人達、純粋無垢な綺麗な心、リリが持っていない全てに恵まれているスズに抱いた妬み。
今抱いた感情は実に【ソーマ・ファミリア】の構成員らしい醜い心だと、リリはやはり自分自身のことが一番嫌いだと実感できて、幸せに酔いそうになった心が冷めていく。
「お礼なんて無用ですよ、スズ様。それで、明日のご予定はもうお決まりでしょうか?」
「えっと」
スズが意見を求めてベルの顔を見上げる。
頼りなさそうな性格なのに、優しくて強い兄がいて羨ましい。
「明日は朝から夕方まで頑張ってみようかと思ってるんだけど、リリは平気かな?」
「はい。ベル様がお決めになられたのならリリはそれに従いますよ。待ち合わせは、出会った
「うん。それで大丈夫だよ」
「それでは、私はこれで失礼させていただきますね」
必要なことは決め終わったので、ぺこりとリリは頭を下げてその場から去ろうとする。
「またね、りっちゃん。今日は本当にありがとね!」
「またね、リリ。これからもよろしく!」
当然のように笑顔でそんなことを言ってくる二人から逃げるように……いや、リリは二人があまりに眩しすぎて、自分があまりに醜すぎると思って、その場から逃げだした。
それでも『幸せ』という味を覚えてしまったから、きっと醜い自分は明日も二人の前に顔を出すのだろう。幸せを感じながらも嫉んでしまうだろう。
―――――なんだ、他の【ソーマ・ファミリア】と何も変わらないじゃないですか――――
醜い自分を再確認したリリは、唇を噛みしめて無我夢中で走るのだった。
§
帰りに商店街で買い物をして、スズの作った夕食を食べながら今日の出来事を話して、その続きを話しながら銭湯へ行くいつもの日課。
スズと同い年の
今日も色々なことがあったけど幸せを感じてくれているみたいで良かったとヘスティアは心の底から思った。
そして日課の最後の締め、更新の時間が始まる。
「サポーターの子がいなかったら危なかったってベル君から聞いたけど……どういうことだい、スクハ君?」
『少し痛い目を見てもらわないと『スズ・クラネル』がつい調子に乗ってしまって、かえって危ないわ。あの子は優秀だけど、どこか抜けているところがあるから。訳の分からない術式の長所と短所を肌で感じてもらわないと、後々取り返しのつかないことになってしまう可能性が高いと思っただけ。浮かれるとよくミスをするのよ。昔からそうだったから、【
声のトーンが妙に低い。
スクハは一番スズのためになると思って痛い目をみさせたのだろうが、それをさせた本人が明らかに一番へこんでしまっている。
スクハもスズも人のために自分をないがしろにしすぎだろうと、ヘスティアは大きくため息をついてしまった。
「ん、君は今、サポーターのパルゥムと言ったかい?」
『……目聡いわね。昨日助けたパルゥムが【変身魔法】を使ってやって来たのよ。お礼のつもりなのか、ただのファンなのか知らないけど、なかなか面白い術式をしていたわ。『スズ・クラネル』に雷制限なんてついていなければ応用して、ベルを女の子にしてみたり、貴女の胸を平らにしてみたり色々使えたのだけれど、残念ね』
「使い方がおかしいだろ! ボクに何か恨みでもあるのかい!?」
『冗談よ。でも、色々と便利そうだったから欲しいのは本当よ。パルゥム複数犯が行っているらしい冒険者に対しての窃盗事件も死者は出ていないし、リリルカ自身が『スズ・クラネル』のことを、お人好しすぎだの人を信用しすぎだのと注意してきたから、少なくとも今は無害で可愛いパルゥムよ』
「……君はやけにパルゥムびいきしているけど、小さいものが好きなのかい?」
『そんな女の子らしい趣味を私が持っているわけないじゃない。私がパルゥムに対して、お人形さんみたいで可愛いな、抱きしめてあげたいな、なんて思っていると、貴女は本気で思っているのかしら。だとしたら、とても失礼だと思うのだけれど』
「スクハ君。枕に顔を埋めながらだと説得力がないぜ」
そう言うと、ぼふぼふぼふと枕に八つ当たりするかのように激しく顔を埋めてしまった。
『……私のことはどうでもいいのよ。『スズ・クラネル』も同世代の友達が出来て喜んでいるし、育った環境が悪いだけでリリルカ自身は悪人ではないわ。妬みや嫉妬は感じたけど、自己嫌悪で今にも押しつぶされそうな子が目の前にいたら、私のような悪い魔女も思わず手を差し伸べてあげたくなるものでしょ?』
「他人の術式を解読したり、感情を読み取ったり、本当に君は滅茶苦茶だな。そういえばスズ君も最初出会った時は感情には特に敏感だったけど、今も感情に敏感なのかい?」
『私が引き受けているわ。それに感情を読み取っているのではなく、当初は言動から勝手に解釈しているだけよ。まあ今の私は【スキル】化しているせいか、センサーじみているのだけれど。いっそのこと電気による【探知魔法】や【自動迎撃魔法】でも創って『スズ・クラネル』を守る完全要塞にでもなろうかしら』
「過保護な君が言うと冗談に聞こえなくて、ボクはたまに不安になるよ」
『鏡なら化粧台よ。過労で倒れたりでもしたら、『スズ・クラネル』とベルがとても心配してしまうのだから、出来ることならバイトの掛け持ちなんて無理はしないでもらいたいわね』
「スクハ君は心配してくれないのかい?」
既にスクハが心配してくれているのはわかっているが、ついつい反応が見たくて聞いてみた。
不意の言葉に慌てるのか、枕に顔を埋めながらも誤魔化そうとするのか。
どちらにしても、いつもの可愛い眷族の姿が見られるだろうと、そんな軽い気持ちでの質問だった。
『自業自得よ、と茶化しながら世話を焼きたいところではあるのだけれど、生憎貴女の世話を焼く体を持ち合わせていないわ。『スズ・クラネル』に面倒を見てもらいなさい。『私』はそれだけで、十分だから』
初めて聞く、スクハのどこか寂しげな声だった。
「スクハ君ごめ―――――――――――」
『今の言い方は意地悪だったわね。私も心配してあげるから安心しなさい。それと気にしてはいないわ。だから謝らないでもらえないかしら。もう『スズ・クラネル』に戻るから、話があるならまた明日聞くわ』
謝る前にスクハが逃げるようにスズと変わってしまった。
三人目の眷族として見るばかりで、スズのことを絶対に優先してしまうスクハのことを、体が一つしかないことを失念していた。
スクハも最近ヘスティアとずいぶん仲良くなってきたので、つい本音を少しだけ漏らしてしまったのだろう。
それが偶然にも重なって、気まずい空気になってしまった。
ただそれだけのことなのに、少しでも愛しの眷族を自分の言葉で傷つけてしまったことが、たまらなく辛かった。
「神様」
「ああ、ごめんよスズ君。更新の途中でぼーっとしてたよ」
スズに気落ちしてしまっていることを悟られないように、いつものように振る舞う。
なのに、スズの口から「無理しないでくださいね」などの心配の言葉を投げかけてくれなかった。
ただ数秒だけ沈黙が続く。
「神様、今何時何分ですか?」
「え?」
「ご、ごめんなさい。変なこと聞いてしまって。ぼーっとしてしまうなんて疲れている証拠です。神様、あまり無理しないでくださいね?」
「ボクは大丈夫だよ。それよりも急にどうしたんだい?」
「神様に噓を付きたくないから、今の忘れてもらえると嬉しいです」
スズがなぜ時間を気にしたのか、時間だけで何をそんなに不安がっているのか、ふとヘスティアは時計に目をやると、更新開始から30分以上も経っていた。
思えば、ここ最近ずっとスクハと長話をしていた気がした。
その長い時間はスズにとっては一瞬の出来事で、時計の針だけは毎回進んでいる。
それに加えて今日、直接は聞いてこなかったものの、突然複雑な術式が追加されていたのだ。
聡いスズが『何かがおかしい』と疑問に思うには十分すぎる。スクハが思っていた通り、スズは術式と、そして空白の時間に疑問を抱いてしまったのだ。
「スズ君」
「無理に言わないでください。神様やベルは、私のために何かを隠してるってわかってますから。それなのに、聞いてごめんなさい」
ヘスティアは事態を楽観視していたことに対して、スズは聞いてはいけないことを聞いてしまったことに対して、自己嫌悪に陥ってしまう。
「神様、更新は終わっていますか?」
「あ、ああ。紙にももう写してあるよ」
「ベル、更新終わったよ。待たせてごめんねッ!」
場の空気を何とか元に戻そうとスズがベルを呼んだ。
心配を掛けないように振る舞う優しいスズが、スクハのことを知ったらどうなるだろう。
体は一つしかないのに心が二つあると知ったらどうなるだろう。
決まっている。
スクハと同じように相手を優先してしまうに決まっている。
体を使っているという自己嫌悪。
気を遣わせてしまっているという自己嫌悪。
互いに優しく譲り合おうとして、自分のことが嫌になってしまうのではないのだろうか。
『悪夢』云々を抜きにしても、スズにスクハの存在を知られるわけにはいかなかったのだ。
今回は、ただただ自己嫌悪が連鎖的に起きてしまっただけのお話でした。