夕刻。
今日はスズもベルも冒険者の酒場で食事をする予定らしく、神様も一緒に食べに行きましょうと【ステイタス】の更新中にベルから誘われた時は、ヘスティアは飛んで喜びそうになったが、聞いてもいないのにベルは酒場に行くことになった経緯であるシルという女性のことを『嬉しそう』に話し、それでもベルのアイズへの想いは一切ぶれていないのか【基本アビリティ】の伸びがすさまじいことになっている。
敏捷がGに、力がもうすぐGに、器用がHにまで上がっており、一回コボルトの攻撃をナイフで反らしただけらしいのに耐久の値もかなり上がっていて、
そうであってくれたならヘスティアはこんなにもやもやとした気持ちになったりはしない。
ついつい三人で外食したいのに「バイトの打ち上げがある」と誘いを突っぱねて、スズの更新を理由に自分勝手な怒りに任せてベルを部屋の外に追い出してしまったことにヘスティアは「やってしまった」と情けない自分に深くため息をついてしまう。
『頑張っているベルに八つ当たりをするのはあまり関心できないと思うのだけれど。大切な者同士のいがみ合いも、『スズ・クラネル』の心が蝕まれること、自覚しているの?』
仕舞には話しかけてもいないのにスクハが出てくる始末だ。
「数値に現れる分辛いって昨日スクハ君も言っていたじゃないか。ボクだって……ベル君やスズ君が傷つくようなことしたいわけじゃなかったさ……。スズ君は……かなりショックを受けているのかい?」
『いえ、心拍数は変わっていなかったから気にしてないんじゃないのかしら。『悪夢』にも襲われなかったし、何よりも貴女がベルのこと異性として好きなんじゃないかと考えている節がところどころ見られるから、シルに焼きもちを焼いている程度に思っているのではないのかしら。昨日も大好きな貴女とベルの間でなく、ベルが貴方の隣で、いつもは一緒に寝られない、ベ、ベルの隣に…自分を置くポジションをとっていたし……』
後半の方はよほどスズと共有していた感覚が恥ずかしかったのか、頬を少し赤く染めて目が泳いでいた。
「そっか……スズ君が傷つかなかったのは不幸中の幸いだよ」
『でも本当に気をつけなさい。この程度の焼きもちならともかくとして、大切な人の口から出る暴言や罵声でもおそらく『悪夢』を刺激するわ。それとベルは疎いから何で貴女が機嫌が悪いのかもわからないだろうけど、些細なことを根に持つタイプの人間ではないわ。私はとことん根に持つけど』
「君が心配してくれてボクはとても嬉しいよ」
『……さっさと更新すませなさい。服脱ぐから』
そうスクハはそっぽを向くと、インナーとキャミソールが背中だけ見えるようにめくり上げてベッドにうつ伏せになる。
『それに振り向いてもらいたいのなら、もっとアプローチを掛ければいいじゃない。幸せに十分なんてないんじゃなかったのかしら?』
「それはそれこれはこれだよ。それにボク自身まだ気持ちの整理ができていないんだ。ベル君のことはスズ君やスクハ君同様に好きさ。でもその好きが異性としての好きかがわからないんだよ」
『下手に孤児院の象徴なんてやっているものだから、子供を子供と見ようと意地を張っているだけなのではないのかしら。神は皆傲慢で強欲だと思っていたけど、貴女はもっと自分の気持ちに素直になりなさい』
「それはボクが君に言ってあげたい言葉だよ。お人好しは嫌いなんじゃなかったのかい?」
『処女神なんて生き遅れを気に掛けた私がバカだったわ』
ボフっと枕に顔をうずくめてしまう。
噓をついているのか神としての感覚ではわからないがやはりわかりやすい子だな、とヘスティアはそんな微笑ましいスクハの様子を見ていつも通り頬を緩ませてしまう。
『それでどうなの。『スズ・クラネル』の【ステイタス】は。嫌なこともなかったし、結構早朝だけで溜まったはずなのだけれど』
「効果抜群さ! これからは毎日四人で寝ようぜ!」
『さりげなく私をカウントするのやめてもらえないかしら。確かに私は『スズ・クラネル』と感覚を共有しているわ。けれど、私に『スズ・クラネル』の行動を拒否する権利はないの。お願いだから意識させるような言動はやめて頂戴』
またまたボフっと枕に顔をうずくめてスズと感覚を共有してベルにくっついていた時のことを思い出したのか恥ずかしさのあまり悶えてしまっている。
さすがにここまで来るとからかいすぎたかと悪い気になってきてしまって、何か声を掛けようしたところでピタリとスクハの動きが止まった。
おそらく恥ずかしさのあまりスズに体の主導権を返したのだろう。
「神様……私の【ステイタス】はどうでしたか?」
「ん、ああ。今書き写すから待っておくれ、っと」
スズ・クラネル LV.1 ヒューマン
力:i 79⇒83 耐久:h 161⇒162 器用:h147⇒148
敏捷:i 36⇒37 魔力:h186⇒g229
「三人で一緒に寝るだけでも効果覿面だろう? もっとボクに甘えてもいいんだぜ、スズ君?」
「もう甘えてますよ。たくさんたくさん甘えてます。でも、なんだか一気に他の【基本アビリティ】の上りが悪くなっちゃいましたね。私も今日、たくさん頑張ったんだけどな」
「ミノタウロスを相手にしてかなりの【
「でもベルはすごく上がったし……もしかしてベル、『憧れ』や『恋』で成長が上がるような【スキル】発現したんですか?」
スズのそんな鋭い指摘にヘスティアは思わず目をそらしてしまう。
スズもスクハの感覚を共有しているのではないかと思うくらいピンポイントの狙い撃ちである。
でも、スズには【
「そうだね。スズ君の言う通りだよ。君も知っての通りベル君はアイズ・ヴァレンシュタインに恋憧れている。その思いが強ければ強いほどベル君の能力は成長していくんだ。当然【レアスキル】だから他言無用だし、うっかり口が滑りそうなベル君にも内緒にしているけど」
「それで神様焼きもちをやいていたんですね。ベルの【基本アビリティ】の伸びがよかったから」
「うっ、自分のことには疎いのに、スズ君は他の人のことになると聡くなるね。本当にボク達のことをよく見てくれているいい子だね、君は」
よしよしと撫でてあげると「えへへ」と嬉しそうに笑ってくれるスズが愛おしくたまらないが、いつもながら自分にはうといというか無関心というか、周りに気を遣いすぎていて自分をないがしろにしてしまっているスズのことが心配になってくる。
三人で一緒に寝ることに幸福を感じてくれているのにほっとしているが、まだ『十分』というところで遠慮してしまっているのは今している会話だけでも感じられてしまう。
もっとスズに幸せになってもらいたいヘスティアにとってこの壁はやはり難敵だ。
「神様はその……本当にきてくれないんですか?」
「ちょっとベル君に理不尽な怒りをぶつけてしまったからね。打ち上げがあるなんてのも言っちゃったし、ベル君に気負いさせたくないし、少し頭を冷やしてくるよ。だから今日は二人で楽しんできておくれ」
「そうですか……。私も昔友達と喧嘩しちゃった時とか、一人でいたいって思ったことあるから、その気持ちちょっとわかります」
「スズ君も喧嘩したことあるのかい?」
優しく人懐っこいスズの性格から誰かと衝突したことなんてないとヘスティアは思っていたのに意外にもしっかり喧嘩をしたことがあるらしい。
「当り前じゃないですか。すいぶん昔のことですけど、みんなで遠出してオーロラ見ようって話になって、テントを張って、まだかまだかとみんなで待ってたんですけど、私、途中で疲れちゃって。オーロラ出たことを私が起きるまでずっと『えっちゃん』は教えてくれたのに、私起きれなくて。私だけオーロラ見れなくて。そうしたら『えっちゃん』、みんなでワルキューレ様の甲冑を見たかったのにって、すごく怒って……。しばらく『えっちゃん』口聞いてくれなかったんです」
「それで君まで怒っちゃったのかい?」
「いえ、ずっと謝っても許してくれなくて、お母様の【宴会】にも出る気になれなかったこと私にもありましたから。大好きな人でも顔を合わせたくない時があるの何となくですがわかるかなって」
「それ、スズ君は全く悪くなくないだろ」
「そうでしょうか? 約束したのに起きれなかった私が悪いと思うんですけど……」
スズが本気で首をかしげている。きっと昔からこんな子だったのだろう。
「それで『えっちゃん』とやらとは仲直りできたのかい?」
「はい。部屋の前で『お母様』や『お父様』『ぶっくん』に『いーちゃん』里のみんなも心配して来てくれたのに……私、ずっと部屋から出ずにいたんです。そうしたら『えっちゃん』が二階なのに窓から入ってきて…次こそはみんなで一緒にみようねって。約束、したんです」
人懐っこくって、優しくて、自分よりも相手のことを考えてしまう女の子。
それでいてそんなスズのことが心配で、色々な人達がスズのことを見守っていただろうことは容易に想像できた。
きっとそんな穏やかで温かい幸せな生活を送ってきたに違いない。
――――だからこれ以上は聞いてはいけない、そうヘスティアは思った。
こんな幸せな環境にいるスズが『死に場所を求めてオラリオを訪れた』時点で、その穏やかな日常がもう遠い過去なことは確定してしまっているのだ。
これ以上聞くと、またスクハに怒られてしまうだろう。
「さあさあ、スズ君。いつまでベル君を待たせておくんだい?」
「あ、ついつい長話になっちゃいましたね。私、行ってきますね」
慌ててパタパタ駆け回りとさっと身支度を整えてドアノブに手を掛ける。
「神様、次はみんなで行きましょうね。約束ですよ?」
せめて、スズと『えっちゃん』が交わしたささやかな約束だけは果たしていてほしいが、それを聞く勇気はヘスティアにはなかった。
§
ベルとスズが『豊饒の女主人』前にたどり着くと、外で客引きをしていたのかすぐにシルが駆けつけてきて店の中、ドワーフとは思えない巨体の女将さんと向き合う形でカウンター席に案内され、スズは給仕服に着替えさせるためにシルに連れていかれた。
真後ろが壁のカウンター席は一つしかなく、その隣の小さなスペースにポツンとドワーフ用の少し座高の高い置き椅子が置かれている。
シルがゆっくり兄妹水入らずに食事ができるように配慮してくれたのだろう。
そんな小さくも大きな気遣いに、やっぱり心優しい人なんだなとベルは実感できた。
「アンタがシルのお客さんかい? 冒険者のわりには可愛い顔してるね!」
女将さんが「はっはっは」と元気に笑ってそんなことを言ってくるが、スクハなら「そう言う女将は女ドワーフなのにごついのね」とジャブを返しそうだがベルにそんな度胸はない。
ベルは可愛いなんて気にしていることを言われても内心で「ほっとけよ」と言うしかできなかった。
「何でもアタシ達に悲鳴を上げさせるほど大食漢なんだそうじゃないか! じゃんじゃん料理を出すから、じゃんじゃん金を使ってってくれよ!」
「え」
自分でも効いたこともない設定にベルは驚いて表情が固まる。
ちょうどシルがスズに給仕服を着せて戻って来て、あ、給仕服のスズ可愛いなと思ってしまうが、リボンと鈴と鐘はそのまんまなんだ、とか思考がそれたが、そうじゃないと首を振りシルに目を向けると、シルは目をそらした。
状況がまだわかっていないスズはチリンと音を立てて首をかしげている。
「えへへ」
「えへへ、じゃねー!!」
心優しいと思ったらとんだ魔女だった。
この後も散々からかわれて、最後には冗談ですと笑い、ちょっと奮発してくれるだけでいいと言うあたり、本当にちゃっかりしている人だとベルは思った。
スズはスズでお客さんが入るとしっかり「いらっしゃいませー」と店員と一緒になって笑顔でお迎えしにいっている。
それに対しての冒険者の反応は様々だが、可愛い子に出迎えられて嬉しくないわけがなく、「『白猫ちゃん』がいるだと」、「俺毎日ここ通うわ」と言い出す冒険者もいたものだから、きっとシルも『白猫ちゃん』の噂を知っていて見た限りでももうかなり繁盛しているであろう店の常連客をさらに増やそうと企んでいたのだろう。
悪い人では決してないけどシルからは小悪魔的な何かを感じてしまった。
「女将さん女将さん。今日のおすすめって何ですか?」
「珍しい魚を仕入れてきてね。特性のキレミット・バルックだけど食べてみるかい?」
「八五〇ヴァリスかぁ……。では奮発してそれでお願いします。ベルは?」
「八五……え、えっと……パスタがあったらそれでお願いします……」
「はっはっは、若いのに遠慮しなさんな! 大盛りにしとくよ!」
女将のその言葉にちらりと壁に掛けられている注文票を見てみるとパスタですら三〇〇ヴァリスした。
カウンターの奥に見える料理の数々は洒落たものばかりで、本当に高級なお店なんだなとベルは引きつった笑いが止まらなくなるが、家計簿と睨めっこをしていることが多いスズがあまり気にしている様子はない。
そういえば今朝も三〇〇から八〇〇とあたりを付けていたので、店の大きさや装飾からそのくらいかなとあたりを付けていたのだろう。
普段はずいぶん言葉を崩しているが、やっぱりどこかのお嬢さまなのではないかと思えてきてしまうが、料理が来るのが待ち遠しいのか、足を少しぷらぷらさせながら鼻歌を小声で歌っているスズの姿は幼い普通の少女そのものだ。
「ほら出来たよ。追加があるならどんどん注文しな。味、見た目、速さ。うちはどれをとっても一級品だよ!」
ドデンと食べきれるか自信がなくなる量のパスタと、大きな魚丸々一匹オーブンで焼いたものがテーブルに並べられる。味付けが濃いのか、丸焼きにしか見えないが中に何か詰めているのか、食欲を誘う様々な香りが漂う。
「わ、おいしそう。女将さんいただきますねッ」
「い、いただきます……」
「上品に喰うねお嬢ちゃん。それなのに本当に美味しそうに食ってくれるなんて、ワタシ達も作ったかいがあるってもだよ。シルは本当に面白い子達を見つけて来たもんだね!」
ナイフとフォークを上手に使い上品に、なおかつ子供のように純粋に美味しいものを食べるスズの姿に女将も満足の様子だった。
ベルはというとただ黙々とパスタを食べ続けるが減る様子がない。
減っても「ん、おかわりかい?」と女将に追加される。
これは何のいじめだろうか。
「スズ、だったかい。ワインも置いてるけど酒はどうする?」
「ミードはありますか?」
「ああ、あるとも。いいとこから仕入れてるからストレートでいってみるかい?」
「はい、元の味を楽しみたいのでストレートでお願いします。ベルは何飲む?」
「さすがにこれ以上は、えっと、お金大丈夫?」
「うん。パーティーの時はお金を惜しむなってお母様も言ってたし、今日の稼ぎだって頑張って七〇〇〇ヴァリス以上稼いだんだから遠慮することないんだよ?」
「そうさ! パーとやんな! パーと!」
ミードのボトルを開けて二人分のコップに女将が灌いでまたドンと目の前に出された。まだ物頼んでないのに勝手に目の前に物が増えていく。
「あ、野菜足りないかも。一人前でいいんで、サラダを何か一品お願いします。ベルと食べるのでそれなりの量があると助かるんですけど」
「あいよ!」
スズの言葉でまた品が追加された。
サラダと一緒に頼んでもいない牛パテと二人分のスープも出される。
いよいよ持って食べきれる気がしなかったが、特にスズはうろたえている様子はない。
「ありがとうございます」とちまちまとどれも美味しそうに食べながらミードを一口飲む。
「……ボトルキープでお願いします」
「お、気に入ったのかい。お目が高いね」
「はい。大好きな味ですから」
本当に手馴れているなぁと感心しながらベルもミードを口に含む。
相変わらず糖度が高くて一気に飲めないけど悪くない味だ。
ただやはり生産地が違うせいなのかスズが飲ませてくれたミードとは何かの甘味が足りない気がするが、食に通じていないベルにはそれが何なのかはわからない。
でも限りなくスズの持ってきたミードと同じ味がしたから、ミードとはこういう味の飲み物なのだろうと思いながら、頑張って目の前の
流石にもう追加攻撃が来る様子がなくて一先ずほっとした。
「楽しんでいますか?」
「……圧倒されてます」
戻ってきたシルが声を掛けて来たので、ベルは素直な感想を言った。
店の雰囲気や女将もそうだが、完全になじんでいるスズ含めて全てに圧倒されている。
「でもスズちゃんとても楽しそうでよかった。しっかりお客さんに挨拶してくれているし、とてもいい妹さんですね」
「うん、スズはとてもいい子だよ。」
だから守ってあげたいのに、なかなか引っ張ってあげることができない。
もっとお店とかでも引っ張ってあげられるようにならないとなと自分に苦笑してしまう。
それから少しの間シルから『豊饒の女主人』の事情やシルの話を聞いていると、集団客が店内に案内されて、一瞬だけ騒がしくもにぎやかだった酒場の空気が止まり、別のざわつきが始まる。
そのざわめきを不思議に思って集団客に目を移すと、その中にベルが恋い焦がれるアイズ・ヴァレンシュタインの姿を見つけて、ベルの動きが完全にそこで止まってしまった。
「【ロキ・ファミリア】のエンブレム……あ、有名な第一級冒険者さんばかり。あ、ベートさんやアイズさんもいるよ。みんなでパーティーにしに来たのかな」
「そ、そうだね」
目を輝かせるスズの顔を見て話すのも忘れ、ついついベルはアイズに見とれてしまっていた。
シルによると【ロキ・ファミリア】の主神であるロキがえらくこの『豊饒の女主人』を気に入っていて常連さんらしい。
ベルは冷めないうちに一気に食事を喉に押し込むように食べてアイズの仕草を観察する。
「お礼を言いに行きたいけど、宴会の席にお邪魔するのは失礼だよね」
スズも食事をし終えてナフキンで口元を拭き「ミアさん、ごちそうさまでした。とても美味しかったです!」と女将……ミアに満面の笑みを浮かべていたが、それでもベルはアイズに見とれっぱなしの自分に気付かないままアイズを見つめ続ける。
だから、気づかされた時のショックは大きかった。
「そうだ、アイズ。お前のあの話を聞かせてやれよ!」
「あの話?」
「ほらあれだって、三階層まで逃げちまったミノタウロスに襲われてた駆け出しのトマト野郎!」
ずっとアイズに意識を向けていたベルは、すぐにそれが何のことなのかわかった。
駆け出しのトマト野郎、自分のことだ。
他の会話はよく聞き取れないが、アイズの周辺だけは騒がしい酒場の中でもはっきりとベルの頭の中に突き刺さっていく。
「遠征前に【ファミリア】探してたガキと兄妹だから長くて半月ってとこか? ちっこい妹が前衛で、ひょろっちい兄貴が後衛の魔法使いでよ。ちっこい妹が足遅かったらしくて、身の程しらずにも駆け出し半月でミノタウロスとやりあいやがったんだ。必死にちっこい妹が攻撃受けないよう粘って、兄貴の方が長詠唱で一発逆転狙ってたみてぇなんだが、妹が頑張ってミノタウロスに一発もらってまで時間稼いだってのに、長詠唱魔法をスカして仕留めきれずにな――――――――――」
攻撃をスカした。
そう、あの時ベルは攻撃を外してしまった。
アイズが助けてくれたから運良く助かっただけで、あそこは絶対にはずしてはならなかった。
スクハはアイズの接近に気付いていたから時間稼ぎの選択を取ったから十分頑張ったと言ってくれたが、そういった要素がなく
「ああ、傷つけやがった。駆け出しの雑魚のくせして正面から粘りやがってよ――――」
「それで、その兄妹どうなったん? 助かったん?」
「どっちとも無事だ。アイズが間一髪のところでミノを細切れにしてやったんだよ。な?」
「………」
アイズが軽く眉をひそめていた。
「それであいつ、くっせー牛の血あびて全身真っ赤になっちまってよ。それがまた滑稽でよ。だからトマト野郎って呼んでんだ。アイズ、あれ狙ったんだよな? そうだよな? くくくっ」
「……そんなこと、ないです」
笑っているベートに、「うわー」とアイズと仲良くしていたアマゾネスの少女の表情に、周りの他の客の笑い声にベルは完全に凍り付く。
いや、そこにではない。
その先に待っているだろう『事実』を突き付けられたくなかった。
笑いものになってもいいからここで言葉を止めてもらいたかった。
「ベル、違うの。ベートさん口悪いけど、えっと、悪い人じゃないと思うの。それにベルのこと悪く言ってるわけじゃないんだよ?」
震えるベルにスズが心配そうに声を掛けてくれている。
それが逆にベルにとって辛かった。
酷い悪口でないこと自体はわかっている。
でも、この先に待っている言葉を自分自身が知っているから、スズの心遣いがよけいに辛かった。
「それにだぜ、そのトマト野郎。てめぇの妹置いて叫びながらどっか行っちまってよ……ぶっ、くく……うちのお姫さん助けた相手に逃げられてやんのっ!」
―――――そう、一瞬とはいえスズを置いて行ってしまった。
さっきまでだって、スズとご飯を食べに来たのに、スズのことを放ったらかしにしてアイズのことだけを見ていた。
全部守るなんて言っておきながら、そうじゃないだろ。
ハーレムってそういうものじゃないだろ。英雄ってそういうものじゃないだろ、と今の自分が嫌になって、自分の腿を思いっきり叩いて、またスズを置いて逃げ出してしまった。
スズにこんな情けない自分見せたくなかった。
今日よりも強い明日の自分になれればいいと、『いつか』大切なもの全部守れる英雄になりたいと、高い目標を持っていながらスズに頼りきりで、冒険せずに甘えて少しずつ強くなって、その『いつか』はあの【
あそこは絶対に外したらいけなかった場面だ。
外したら『いつか』なんて永遠にこない場所だった。
ベルは悔しかった。
何よりも弱い自分が悔しかった。
全部守りたいのにアイズばかり見ていた自分が情けなかった。
大好きな祖父が教えてくれたハーレムはこんなものではない。
英雄になるための長く険しい道だと教えてくれたハーレムは、英雄になる道はこんな微温湯なんかでは決してない。
好きな女の子と出会って、その女の子を守って、他の大切なもの全部守らなければ意味がない。
それなのに、アイズのことしか見てなくて、そのことを気づかされて、ベルは自分が嫌になって、大切な者全部を守れるって胸を張って言える資格が欲しくて、無我夢中でダンジョンを目指して走る。
「一番好きと大切は違うけど、どちらも守らないと意味がないだろっ!!」
ただただ自分自身に吠えながら無我夢中でダンジョンで暴れる。自分自身が嫌で、前スクハがやったようにただただ怪物を求めてさまよい暴れまわる。
アイズが好きなことも、大切な人を守りたい気持ちも噓はない。
でも、まだ『いつか』なんて言葉に甘えていた。
その結果が、こうしてまたスズを置いて逃げ出してしまった自分自身だ。
そんな自分を変えたくて、ただただ強くなりたくて、アイズ・ヴァレンシュタインのように、それ以上に強くなって全部を守りたくて、ただただその気持ちを怪物にぶつけていった。
ベートさんの反応ずいぶん変わっております。誰やこれ!?
次回『豊饒の女主人』の【ロキ・ファミリア】側とダンジョン場面をやれたらいいなと思っております。
ベル君による理不尽なスクハ式八つ当たり術が怪物を襲う!