スズ・クラネルという少女の物語   作:へたペン

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ダンジョンで出会った人に憧れるお話。


二章『白猫と剣姫』
Prologue『迷宮での出会い方』


「スズ、その先バブリースライム潜んでるよ! 気を付けて!!」

「あ、本当だ。ベルよく気づいたね」

 リンと鈴の音に反応して、天井に潜んでいたバブリースライムがピクリと動いているのにスズも気が付いて立ち止まり、不意打ちを受ける前に【ソル】で焼き払う。

 

 笑顔で「ありがとう」と言うスズに対して、スズをまたスクハと同じ目に合わせるわけにはいかなかったから、バブリースライムをひたすら注意して進んでいたなんて言える訳もなく「たまたまだよ」とベルは苦笑してしまう。

 

 現在三階層。

 【ヘスティア・ファミリア】結成から約半月。

 ついこの間二階層も安定して周れるようになったので、食糧庫(パントリー)付近には近づかないことを条件にエイナに探索許可を貰えたのだ。

 

 言いつけを守りながらもペアにしては順調に階層を探索しながら進んでいる二人にエイナは嬉しい反面、優秀だからこそ躓いた時には取り返しの事態になってしまうから、くれぐれも注意して無理をしないように『冒険者は冒険をしちゃいけない』んだといつも通り心配してくれていた。

 

 リンリンと鈴と鐘を鳴らしすスズの後ろを一定距離を保ちながら、辺りを警戒しながら歩いているとベルはある異変に気が付いた。

 今日は三階層に降りてから一〇分以上経過しているにもかかわらず、今のところ三階層で遭遇したのは先ほどのバブリースライムだけで他の怪物とは一切遭遇していない。

 

 

「ベル。ダンジョンが静かすぎない?」

 スズもそう思ったようで一度立ち止まり、不安そうにベルの方を振り向いてきた。

「そうだね。何が起こるかわからない時は戻った方が――――」

 次の瞬間、何かが吠えた。

 

 

 

 

 

『■ヴォ■■■ォ゛■ォ゛■■ォ゛■■■■ォ゛ォ゛ッ!!』

 

 

 

 

 

 身を凍らせるようなその咆哮に恐怖して一瞬体が動かず強制停止(リストレイト)を起こす。

 恐怖で停止しかけた頭でエイナの講義の内容を思い出す。

 三階層なんかよりも奥、もっとダンジョンの奥底一三階層以降の怪物の中には雄叫びだけで冒険者に恐怖を与え強制停止(リストレイト)させる『咆哮(ハウル)』を使える恐ろしい怪物がいることを。

 それらの怪物はLV.2以上の能力を持った怪物だから、まず出会うことはないがもしもその声を聞いたなら『勇気を振り絞って逃げること』という教え。

 

「ベルッ!!」

「手を掴んでッ!!」

 スズが震えながらも叫ぶのとベルがスズの手を取り走り出すのは同時だった。

 

 ここはまだ『三階層』だ。

 怪物が一気に強くなる難易度が跳ね上がる『五階層』ですらない。

 『咆哮(ハウル)』が使える怪物がいる訳がない。

 それでも何かから怪物が逃げて道を開けたかのように静まり返ったダンジョンと、今の聞いただけで身を凍らすほどの恐怖を与える雄叫びを無視できるわけがない。

 急いでこの場から離れようと、ダンジョンから脱出しようと、震えるスズの手を引いてベルは走った。

 

 

 

『ヴォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォォ゛ォオ゛ォォオ゛ォォ゛ォオ゛ォオ゛ォ゛ォォォオ゛ォ゛ォ゛ッ!!』

 

 

 

 『咆哮(ハウル)』が近くなる。

 地響きが響く。

 振り返るな。振り返るな。振り返るな。振り返るな。

 ただ走るだけを考えろと、恐怖を捨ててスズの手を引く。

 

 スズも恐怖に震えながらも全力で走ってくれている。

 けれどスズの足は決して速くはない。

 堅実に受けて反撃する盾役のスズの敏捷は40にも達していない。

 ベルと数値差は100以上離れていた。

 手を引いてあげているとはいえスズの速度が追い付けていない。

 

 かといって抱き替えて走るよりも今の方が早い。

 『ソレ』が真っ直ぐ向かってこずに別の道を選んでくれていたならまだ逃げ切れたかもしれないが、よりによってその雄叫びは、重量感漂う地響きは真っ直ぐと近づき、もうすぐ側まで迫ってきている。

 

 まるでスズを一直線に目指しているかのように、リンリンと鳴るスズの音が気に入らないかのように、すぐそこまで圧倒的な絶望が迫っていた。

 

「ベルだけでも逃げてッ! 何とか私は隠れてやり過ごしてみるからッ!! なんとか絶対に帰るから私を置いて逃げてッ!!」

「そんなことできるわけないだろッ!!」

 スズを置いて逃げることなんてできない。

 

 だから無駄だとわかっていても絶対にこの手を離すわけにはいかない。

 離すものかと、ただただ走ることしかできなかった。

 もうすぐそこまで『死』が迫ってきている。追いつかれたら間違いなく『アレ』に殺されてしまう。

 でもスズを見捨てて逃げるなんて選択肢はベルにはなかった。

 

 

『なら、倒すしかないわね。まったくめんどくさい』

「スクハ!?」

『あら、覚えてくれていたの。嬉しいわ』

 スクハがベルの手を振り払い『ソレ』を振り向いてしまったのでベルも慌てて立ち止まり、無謀なスクハを助けるために『ソレ』を見た。

 

 『ソレ』は人型の牛だった。

 強靭な筋肉を持つその巨体は軽くベルの二回りも大きく、その力は軽々とスクハが先ほどまで立っていた床を拳で破砕するほどの破壊力。

 スクハはそれをかわし飛び散る床の破片を剣と盾で弾いて無事だが、圧倒的な牛人『ミノタウロス』に挑んで勝てるわけがなかい。

 

『一分ぐらい何とか稼ぐから早くチャージしなさい。お姫様を守るんじゃなかったのかしら、アルゴノゥト君?』

 

 冷や汗をかきながらもスズはすれ違い際にミノタウロスのあばらに剣を叩き込むが全く効いている様子はない。

 それでも圧倒的な不条理を逆転する、格上にも通用する英雄になる為の力だとヘスティアが言ってくれた【英雄願望(アルゴノゥト)】ならミノタウロスにも通用するかもしれない。

 

 ベルは恐怖心を捨てて、圧倒的な力量の差があるミノタウロスを倒すために、スズと頑張って時間を稼ごうとしてくれているスクハを守るために、ベルは【英雄願望(アルゴノゥト)】を発動させて光粒を右手に収束させていく。

 

『【雷よ。敵を貫け】』

 

 スズは攻撃をかろうじで避けながら、注意をベルからそらすために【ソルガ】をミノタウロスの顔に当てるが、今まで圧倒的な火力だった【ソルガ】すら頬に少し焦げ目が付く程度でダメージになっていない。

 ミノタウロスの反撃をぎりぎりでかわすがその拳は壁を砕き破片がスクハの背中に当たり前のめりに吹き飛ぶ。

 

 

 

 

 ――――早く早く早く早く早く。

 

 

 

 

 まだ一〇秒も経っていない。

 これではミノタウロスを少し傷つけられるかもしれないが倒せない。

 ミノタウロス自身の攻撃力と比較してまだ足りない。

 

 スクハは受け身を取り何とか次に続くミノタウロスの追撃をかわし『化け物ね』と軽く舌打ちをする。

 プレートメイルのおかげで破片の直撃を受けても致命的なダメージは避けたが、飛び散った破片がスクハの額をかすめ、切り傷から血が流れおちる。

 

『【雷よ。粉砕せよ。第三の唄ミョルニル・ソルガ】』

 

 聞いたことのない初めての詠唱。

 おそらくスクハがスズのために完成させていたのであろう巨大な雷が、ミノタウロスを押しつぶすかのように戦鎚のごとく振り下ろされ、ミノタウロスが膝をつく。

 

『【雷よ。粉砕せよ。雷よ。粉砕せよ。雷よ。粉砕せよ。雷よ。粉砕せよ】』

 

 効果があったその雷の戦鎚をひたすらに振り下ろし続けるが、それでもミノタウロスは倒れず、ゆっくりと体制を整えて雷の戦鎚を受けながらもその拳を振り上げる。

 

『【雷よ。粉砕せよ】』

 

 ここで攻撃を止めれば終わりとばかりに【ミョルニル・ソルガ】を唱え、振り下ろされるミノタウロスの拳に直撃させて着弾地点をずらした。

 

 

 

 

 ―――――溜まれ溜まれ溜まれ溜まれ溜まれ溜まれ溜まれ溜まれ溜まれ。

 

 

 

 

 まだ三〇秒。

 一分がとてつもなく長く感じられる。

 ただ見てるだけなのが辛くて、飛び出すのを我慢するためにぐっと歯を食いしばる。

 

 突然スクハが舌打ちをして【魔法】を撃つのを止める。

 おそらく今ので精神力をほとんど使い切ってしまったのだろう。

 完全に受けに徹している。敏捷が足りず、力が足りず、耐久も足りない中、一撃食らえば即死級の攻撃をただただ衝撃を受けないように剣と盾で受け流し続ける。

 

 壁や床の破片がスクハを傷つけ、受け流しきれなかった衝撃力で両腕を痛め、ついにそのミノタウロスの太い足から繰り出される蹴りが、強固な蹄がスズを吹き飛ばした。

 

 いや、吹き飛ばしたように見えた。

 一分ちょうど。『緊急事態だから大目に見なさい』とスクハは後ろに飛びのき盾を構え左腕を犠牲にする代わりにベルの後ろまで吹き飛ばされていった。

 受け身もとる余裕がなかったのか、スクハは地面を跳ねながら力なく地面に転がる。

 

 

「……ベル…っ……」

 

 

 スズが苦しそうに名前を呼ぶ。

 すぐにでも駆け寄ってあげたいけど、ここでスクハの努力を無駄にしてはいけない。

 ここでミノタウロスを仕留めなければ自分もスズも、スクハも死んでしまう。

 

「あああああああああああああああああああああああああああああッ!!!!!!」

 そんなこと絶対に許す訳にはいかない。

 ベルは力の限り叫び、自分を奮い立たせ、【英雄願望(アルゴノゥト)】で蓄力(チャージ)した力を、英雄の一撃をミノタウロスに向かって解き放った。

 たった刃渡り二〇Cの短刀がミノタウロスの肉を切り裂く。

 

 

『ヴォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォォ゛ォオ゛ォォオ゛ォォ゛ォオ゛ォオ゛ォ゛ォォォオ゛ォ゛ォ゛ッ!!』

 

 

 ミノタウロスが雄叫びを上げた。

 断末魔ではなく悲鳴でもなく、敵を発見し威嚇するかのように叫びを上げた。

 

 傷は深かったが骨を絶つことができなかった。

 支給品の短刀の攻撃力が足りなかった。ベルの【基本アビリティ】も足りなかった。

 蓄力(チャージ)時間もわずかに足りなかった。

 

 なによりも、急所である魔石を外した。

 いや、外された。

 ミノタウロスが本能的に【英雄願望(アルゴノゥト)】による一撃に危機感を感じ、寸前のところで避け直撃を避けたのだ。

 

 斬撃の衝撃はミノタウロスをかすめただけだった。

 【英雄願望(アルゴノゥト)】の反動で体から力が抜けていく。

 ミノタウロスの『咆哮(ハウル)』で震えあがる。

 それでもここで自分が死んだらスズはどうなる。

 次に狙われるのは怪我をして動けないスズだ。

 ベルは『咆哮(ハウル)』の恐怖を守りたいという気持ちのみで抑え込む。

 

 

 それでも体が動いてくれない。

 

 

「……ベ……ル……逃げ……『早く逃げなさいッ』」

 スズとスクハの声が聞こえた。

 守らないといけない。

 守りたい。

 

 

 

 ――――――動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け動け。

 

 

 

 【英雄願望(アルゴノゥト)】の蓄力(チャージ)を開始しようとする。

 十秒でもいい。

 五秒でもいい。

 最後まで諦めてたまるかとベルは歯を食いしばりミノタウロスを睨みつけるが、【英雄願望(アルゴノゥト)】が発動してくれない。体力が足りないのか気持ちが足りないのかはわからない。

 

 でも最後の悪あがきすらできない事実をはっきりした形で叩きつけられて、ベルは膝をつく。

 

 誰でもいいから助けてもらいたかった。

 スズだけでも助けてもらいたかった。

 自分はどうなってもいいから、もう自分から家族を奪わないでくれと叫びたかった。

 

 でも、その叫びすら膝を屈してしまったベルの口からは出てくれなかった。

 無力な自分が悔しくて、スズの英雄になってあげられなかったのが悔しくて、震えが止まらなくなる。

 ダンジョンに憧れを求めずに、ヘスティアとスズと一緒にジャガ丸くんの屋台などのバイトで頑張っていれば、ずっと幸せな日々が続いていたのだろうか。

 そう思うと、余計に悔しくなってくる。

 

 

 

 そんな時だった。ミノタウロスが拳を振り上げた瞬間、ダンジョン内にも関わらず風の感じた。

 

 

 

 嵐のように激しいのに、春風のようにどこか暖かくも感じる不思議な風が吹き込み、次の瞬間にはミノタウロスの胴体と元下半身が分裂し、連続で繰り出される閃光によりミノタウロスの体は落下する暇もなく細切れの肉片に変化して、その血しぶきがベルの体を真っ赤に染め上げる。

 

「……大丈夫ですか?」

 ベルが呆然としている中、そんな凛とした声が聞こえた。

 

 呆然とその声を見上げると、まるでおとぎ話から出てきたような、そんな美しくも凛々しい少女が片手剣を携えていた。

 腰まで伸ばしたさらさらで綺麗な金髪がふわりとなびき、金色の瞳がベルのことを見下ろしている。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 数ある【ファミリア】の中でも二強の一つの内に数えられている【ロキ・ファミリア】の第一級冒険者であるアイズ・ヴァレンシュタイン。

 ヒューマンであり、女性でありながらわずか16という年でLV.5まで上り詰め、その美しい容姿からこのオラリオでは知らない人の方が珍しい冒険者の憧れの的。

 

 

 

 絶体絶命のピンチに表れてくれた、自分とスズを助けてくれた少女に、ベルは憧れを抱き、恋を抱いた。

 

 

 

 やはりダンジョンに出会いを求めていたのは間違いなんかじゃなかったとベルは確信する。

 しかし、そんな憧れを抱いた少女が、運命の出会いだと一目惚れしてしまった少女が、いざ自分に手を差し伸べてくれると、ただでさえ異性に耐性がなく、妹だと思っているスズに対しても今だドキっとしてしまうことがあるベルが恥じらいなくその手を取ることなんて出来るわけなかった。

 

「だ」

「だ?」

「だああああああああああああああああああああああああああああああああっ!?」

 ベルは【英雄願望(アルゴノゥト)】の反動で悲鳴を上げる体も無視して恥ずかしさのあまり逃げ出してしまう。

 

 それはまるで肉食動物に追われる子兎のごとく全力疾走だった。

 

 

§

 

 

 五九階層を目指して遠征していた【ロキ・ファミリア】は異常事態(イレギュラー)に遭遇して武器と物資の大半を失いやむを得ず五〇階層から撤退することになった。

 

 ダンジョンの攻略最前線である五〇階層にたどり着くには大規模な【ファミリア】である【ロキ・ファミリア】でも、怪物が生まれない安全階層(セーフティーポイント)を利用しながらキャンプを張っての進軍しなければ心身ともに持たず、最低でも五日も掛かってしまうだけあって、落胆する者は多かった。

 

 そんな帰り道の途中、そうそう起こらないはずの異常事態(イレギュラー)が今度は一七階層で起きてしまったのだ。

 

 今回遠征に出ている【ロキ・ファミリア】の部隊はサポーター役すら【中堅ファミリア】の冒険者以上の実力を持っているため、一七階層で決して遅れを取ることはなく、下層の怪物などは彼ら彼女らの【経験値(エクセリア)】稼ぎのためにもアイズ含む第一級冒険者の主力メンバーは手を一切ださないのが基本だ。

 

 しかし疲れや途中撤退による苛立ち、まず負けることはないとはいえ武器がほとんどない状態で怪物の群れに遭遇したものだから、めんどくさいと第一級冒険者達もその戦闘に参加した。五九階層攻略を目的に編成された精鋭部隊がたかが一七階層のミノタウロスの群れなどとるに足らない存在だ。

 

 まるで赤子を捻るかのようにミノタウロスを蹴散らしていると、その圧倒的戦力差にミノタウロスの群れが恐怖しまさかの集団逃亡を図ったのだ。

 

 

 【ロキ・ファミリア】にとってはとるに足らない存在でも、普通にこの階層を攻略中の冒険者にとって不意にミノタウロスの群れに乱入されたら死活問題だ。

 さらにLV.2相当のミノタウロスがもし万が一にでも駆け出しの冒険者がいる上層に逃げ込みでもしたら、一匹だけでも大参事である。

 

 今【ロキ・ファミリア】がミノタウロスを蹂躙したように、ミノタウロスが駆け出し冒険者を蹂躙してしまうのだ。

 慌ててこの場にいる【ロキ・ファミリア】総出で逃げるミノタウロスの群れを駆逐しようとするが、ミノタウロスの群れに釣られて他の怪物まで逃げ出し、一六階層、一五階層、一四階層と本来ならあり得ない階層移動を何かに吸い寄せられているかのように引き起こす。

 

 倒しては逃走する数が増え、枝分かれして逃げ廻るミノタウロスの群れに焦りが出てくる。

 

 ついには五層まで来て、ここまで追ってこれているのはアイズと狼人(ウェアウルフ)のベートしかいない。

 それなのにまだミノタウロスの群れは上を目指して上がっていく。

 まだ犠牲者は出ていないと思うが、最初の難所である五層より上を冒険している冒険者は本当に駆け出しの冒険者だ。

 遭遇しただけでも、ただ逃げ回るミノタウロスに突撃されるだけでも挽肉にされてしまうほどの能力差がある。

 

 四階層。

 広い迷宮の中をたった二人でまだ大量に残って逃げ回るミノタウロスの群れを倒すのは無理があった。

 今だ犠牲者や見失ったミノタウロスがいないのが奇跡だと思う。

 

 そして三階層。

 ついに本格的に冒険者になって一か月もたたない初心者が探索する階層まで来てしまった。

 

「……ッ……一匹いない」

「来い、アイズ!」

 狼人(ウェアウルフ)であるベートの嗅覚がミノタウロスの臭いをとらえた。

 

「二階層入口付近まで続いてるじゃねぇか!? くそが、てめえは怪物だろ!! こんなクソ弱えぇひよっこんとこ逃げ込んでんじゃねぇっ!!」

 

 

『ヴォ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォォ゛ォオ゛ォォオ゛ォォ゛ォオ゛ォオ゛ォ゛ォォォオ゛ォ゛ォ゛ッ!!』

 

 

 ミノタウロスの『咆哮(ハウル)』が聞こえた。

 激しい攻防ではなく一方的なミノタウロスによる攻撃音がダンジョン内に鳴り響く。

 戦っているのではなく、間違いなく襲われている。

 それも三階層入口付近で。

 

「【目覚めよ】」

 アイズは【魔法】で風をまとい一気に加速した。

 そして遠くに目にしたのは、ミノタウロスの背中と、貧弱な装備をした少女と少年。

 

 同じ白髪に赤目からおそらく兄妹だろう。

 少年の方が長詠唱でもしているのかその場から動かず、少女の方がただひたすら攻撃を食らわないように、必死に傷つきながらも攻撃をいなしている。

 

 少女は既に限界なのか呼吸をする暇さえなく、ただただ少年が詠唱し終わるまで技量のみでミノタウロスの圧倒的な暴力から時間を稼いでいる。

 

 そしてアイズがたどり着く前に少女がミノタウロスの蹴りで吹き飛ばされ、小さな少女がボールのように地面をバウンドして転がり動かなくなる姿を目のあたりにして、ぎりぎり間に合うことが出来なくてズキリと心が痛んだ。

 

 

 

 少年が悔しさに歯を食いしばっているのが遠くからでもはっきりとわかった。

 それでも真っ直ぐと敵であるミノタウロスを睨みつけ少年は雄叫びを上げる。

 

 

 一閃。

 それが長詠唱の効果なのか、その閃光の刃自体が長詠唱の魔法なのか、身の危険を感じたミノタウロスはそれを寸前のところでかわして、長詠唱魔法はミノタウロスの肉を切り裂くだけに終わった。

 もしも狙い通り急所に当たっていれば倒せていたであろう長詠唱の切り札が外れ、今の一撃に精神力をほとんど使いこんだのだろう。

 少年の膝から力が抜けた。

 

 少女はまだ息があるようで必死に少年に逃げるように訴えかけるが、少年は少女を守るように足を踏ん張り、まだミノタウロスの『咆哮(ハウル)』に臆さず睨みつける。

 

 それでも心身ともにもう限界だったのだろう。

 少年は地面に膝をついて、ミノタウロスがその腕を振り上げる。

 

 少年の装備はただの支給品だった。

 本当にただの駆け出しの冒険者だったのだろう。

 駆け出しの冒険者がミノタウロスに勝てるわけがないのに、生き残るためにこの兄妹は必死にあがいたに違いない。

 

 だからこそ間に合った。

 助けてあげることができた。

 場所を特定してから最初から最後まで加速し続けたアイズはミノタウロスの胴体を切断し、その腕を一切振り下ろさせないためにも連撃で細切れにする。

 

 少年の方は無傷。

 少女の方はここからでは分かりにくいがおそらく擦り傷と打ち身、左腕は重症だろう。

 ケガをさせてしまって心苦しかったが、それでも助けてあげることができてよかったとアイズは安堵の息をついた。

 

「……大丈夫ですか?」

 念のためにアイズは少年に問いかけるが、少年はまだ状況を理解できていないのかアイズのことを見上げたまま身動き一つとらない。

 

「あの……大丈夫、ですか?」

 もう一度確認してあげるが、返事はない。

 ミノタウロスの返り血を浴びせさせてしまったが遠目から見た時はケガはなかったはずだ。

 腰を抜かしてしまって立てないのだろうか。

 なら助け起こしてあげないといけない、とアイズは少年に手を差し伸べてあげる。

 

「だっ」

「だ?」

「だあああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 少年が勢いよく飛び跳ねたかと思うといきなり走り去ってしまった。

 その姿を見てアイズも少女もきょとんとしてしまう。

 

「……くっ……っ……助けた相手に……っ……逃げられてやんのっ……」

 後ろを振り向くとベートが必死で笑いを押さえるかのように腹を押さえていたので、アイズは思わずむっとなってしまった。

 

「あの……助けてくださりありがとうございます。少し……失礼しますね」

 そんな中少女が辛そうに上半身を起こしてお礼を言った後、自身のレッグホルスターにセットしていた回復薬(ポーション)の試験管を取り出してちびちびと飲んでいた。

 

「大丈夫?」

「はい。おかげさまでなんとか。受け身はとれませんでしたけど、ぎりぎり後ろには飛べましたし」

 少女はミノタウロスの蹴りでへこんでしまったであろう盾を見せて苦笑していた。

 

「って、あん時のガキかよ」

「ベートさんの……知り合い、ですか?」

「いや、遠征前に拠点近くで【ファミリア】入れてくれなんてぬかすから、雑魚の癖に身の程弁えろって追い出してやっただけだ。雑魚は雑魚らしく媚びて物でも売ってりゃいいんだよ。雑魚はおとなしくしてろって言ってやったのに……結局冒険者なんかになりやがったのか」

 

 遠征前と言えば大きく見積もっても半月ほど前だろう。

 そんな駆け出しの冒険者にミノタウロスを襲わせるようなきっかけを作ってしまった自分達が申し訳なく思えてしまう。

 

「心配してくれてありがとうございます。【ロキ・ファミリア】さんのおかげで助かりました」

「心配なんてしてねぇっつうの! 身の程を弁えろ雑魚が」

 プイとベートがそっぽを向く。

 こんな言葉使いだし態度だから勘違いされやすいがベートは悪い人ではない。

 

 それを他人がしっかり理解してくれているのが【ロキ・ファミリア】の仲間として少し嬉しく思えた。

 

「えっと、アイズ・ヴァレンシュタインさん、ですよね?」

「うん……そうだよ」

「やっぱりッ。女の人でもすごい冒険者さんがいるよってエイナさん……あ、担当してくださっているアドバイザーさんが教えてくれて、憧れてたんですよ。ベルを助けて下さって本当にありがとうございます!!」

「だから弁えろ雑魚が」

「……ベートさん」

「アイズ。弱ぇ奴にかかわるだけ時間の無駄だろうが!」

「ベートさん」

「ちっ。どうせ下の連中が上がってくるまでしばらくかかるんだ。勝手にしてろっ」

 ベートはすねたようにそっぽを向いてしまった。

 

「にしてもよ、あいつ気に食わねえな。てめぇの妹置いて、てめぇだけ逃げやがって」

「元々私が足遅いから、戦うしかなくなっちゃったんです。それなのに私を置いて逃げずに一緒に戦ってくれて、私のこと守ろうとしてくれたんです。まだまだ私もベルも弱いけど、それでも私のこと最後の最後まで守ろうとしてくれたベルのこと、悪く言わないでください……」

「だからこそ身の程を弁えろつってんだろ。気持ちだけで守れるほどダンジョンは甘くねぇんだよ、たく。まあ、『咆哮(ハウル)』にビビらず、うちのお姫様にビビっちまうんだから、格の違いは理解してるんだろうよ。身の程弁えれば少しはマシな雑魚になるんじゃねえのか? 少なくとも、クズじゃねぇよ」

 

 さすがに不用意な言葉で小さな少女を傷つけてしまったのは悪いと思ったのだろう。

 大切な兄が自分を置いて一人で行ってしまったのに一番ショックを受けているのはこの少女のはずだ。

 ベートはベートなりに珍しく気遣いの言葉を投げかけてあげていた。

 

「気遣ってくださりありがとうございます。ベートさんは優しいんですね」

「どう解釈したらそうなんだよ!! ああっ!?」

 きっとベートは照れているのだろう。

 珍しいこともあるものだとぼんやりとアイズは思う。

 

「……私の方からもごめんね。ミノタウロス…ここまで追い立てたの、私達のミスだから。怖い思いさせて……ごめん」

「……ま、たしかにこんな雑魚どものとこに追いやっちまったのは俺達の落ち度だな。だけどよ、悪いのは化物の癖に逃げ回るあいつ等で――――」

「それでも、助けてくれたのすごく嬉しかったです。アイズさん、物語に出てくる英雄みたいでカッコよかったですッ」

 その言葉でアイズの表情が固まった。

 

 『彼』の言葉が不意に頭をよぎる。

「私は、貴女の英雄になることはできないよ」

 

 

 

 

 

 私はお前の英雄になることはできないよ。

 既にお前の母親がいるから。

 いつかお前だけの英雄に巡り合えるといいな。

 

 

 ――――彼はそう言ってくれたけど、私は――――――

 

 

 

 

 

 ――――――――私は、そんなに強くない。

 彼と違って強くなくて、全然まだ手が届かない。

 だから、貴女の英雄になれるほど私は偉くない――――――――

 

 

 

 

 

「ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ!!」

 暗い気持ちがそんな変な奇声で吹き飛ばされた。

 

 先ほど逃げて行った少年がものすごい勢いで戻ってきて、少女をお姫様抱っこして、そのまま奇声を上げながらまた走り去っていく。

 

 その光景をポカンと見ていることしかできなかったアイズの後ろで、今度こそベートは笑いをこらえきれずにバカ笑いをした。

 

「くっ……はっ……くる……しっ……アイズ、お前よぉ、よっぽど怖がられてるみたいだぜ。あいつ、てめぇで逃げといて、第一級冒険者アイズ・ヴァレンシュタインが妹についてるにもかかわらず、そのアイズ・ヴァレンシュタインから妹助けに戻ってきやがったっ! ほんと身の程弁えろっつうんのっ! くっ、ぶはっ!」

 ひーひーと呼吸を乱してバカ笑いするベートをアイズは頬を赤めて睨めつけたのだった。

 

 その後、そんなに自分は怖いのかなと気落ちしながら、少年が少女を連れて走り去った先をぼんやりと見つめる。

 きっとあの少女にとっての英雄はあの少年なのだろう。

 アイズはほんの少し少女のことが羨ましく思えた。

 

 




原作一巻プロローグが結果はあまり変わらないものの、『少女』がいたことでだいぶ変化しました。
ベートを可愛く書くの難しいですね。口調はともかくとして、だいたい私の中でのベートはこんな感じのイメージだったりします。

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