ヘスティアが眠っているスズの看病をしていると、予定通り昼前にベルが沢山の食材を持って帰ってきた。
「ただいま神様。スズ」
「おかえりベル君。すごい荷物だね、ちょっとしまうの手伝うよ」
「ありがとうございます。これ商店街のみんなが栄養あるものたべさせてあげなさいって沢山おまけしてくれたんです」
おそらくジャガ丸くんの屋台から情報が伝達していったのだろう。
「みんな神様とスズによろしくって言ってました。神様すっかり商店街のマスコットですね」
「なんだいなんだい。ボクの【ファミリア】に入ってくれないくせに。すごくありがたいけどさ、これでもボクは神様なんだぞっ。これじゃあ野良猫が餌付けされてるみたいじゃないかっ!」
まったく失礼な、とむすっとしながらもありがたく、見た目がよくなかったり小さかったりして売り物にならないと判断されたのであろう野菜や果物をしまっていく。
「漬物屋さんから大根の葉や株の葉もいただいちゃいました。米穀も買ったのでこれでお粥を作りますね。神様、スズの様子はどうですか?」
「今はぐっすり寝てるよ。熱も少し引いてきてるみたいだしこのまま安静にしてれば明日にはよくなるはずだよ」
その言葉にベルは「よかったと」と安堵の息をついて粥を作る準備に取り掛かる。
「それで、アドバイザー君は何だって?」
「一階層は僕一人でも問題ないそうです。色々言われちゃいましたけど……」
無事世話を焼いてくれるアドバイザーが担当になっていたことは冒険初日から聞いていたので、おそらくスズが倒れたことと、それなのにソロでダンジョンに潜ろうとしていることをこっぴどく叱られたのだろう。
ベルはダンジョンにまだ潜っていないのに疲れ切った笑みを浮かべていた。
「何も言われなかったらボクの方が心配するところだったけど、その様子だと安心してベル君とスズ君のこと任せられそうだ。いいアドバイザー君じゃないか」
「はい。僕達のことすごく心配してくれる面倒見がよくて優しい人ですよ。ただ、すごくスパルタで、エイナさんとスズの会話に時々僕がついて行けませんけどね……」
「ベル君はもっと本を読んで知識を蓄えるといいかもしれないね。そうしたら【魔法】だって発現するかもしれないぜ?」
「う、ぜ、善処します」
言葉通りの意味ではないその言葉に本好きのヘスティアは、こんなに面白いんだから敬遠せずにもっと沢山本を読めばいいのにと軽くため息をついてしまう。
でも不変の神と違って子供達の時間は有限なので強制はしない。
特に愛しの眷族であるベルやスズの貴重な時間を身勝手な押し付けで削るなんて真似はしたくない。
どうせ身勝手に時間を奪うなら無駄話したり三人で遊びに出かけたりした方が有意義な時間を過ごせるし、ベルもスズもそういった家族としての時間を望んでいる。
でも好きなものを共有したいという自分のワガママがあるのは否定せずに、お勧め程度はするのだ。自分のことながら神様とは実に身勝手なものだとヘスティアは思った。
そんなことをヘスティアは思っていると、静かだったスズが「ん…」と声を漏らしてもそりと体を動かした。
どうやらベルの家事をしている音で目を覚ましてしまったようである。
「……ベル、帰ってきた?」
「うん。ただいまスズ。調子はどう?」
「おかえりベル。だいぶ良くなったかな。さっきも一人でトイレに行けたし。あのまま動けなくなっちゃったらどうしようって……ちょっと不安だったんだ。エイナさんは何て?」
「すごくスズのこと心配してたよ。意外にもそこまで怒られなかったけど、すっごく注意されちゃったよ。
「梱包するか専用のポーチを用意するか、かぁ。梱包で保護するならお買い物した時の紙袋とか使えそうだけど、動き回ったら不安だしバックパックや私のバックを圧迫したり、さっと取り出せないと意味ないし……。パックパックは……側面に二本ずつ……計四本試験管を刺せる場所があるみたいだね。ちょっと気づかなかったよ。でも、これなら専用ポーチの方が比較的使いやすいかも? 支給品にセット箇所があるなら、基本はフラスコでなく試験管タイプなのかな」
眠って体力が回復したのかスズはかすれた声を出していた今朝とは違い、はきとしゃべりながらベッドの上でベルのバックパックをいじっている。
「ボクが
「神様のお知り合いにそういう方がいらっしゃるなら、
「その為にも早く元気にならないとね。お粥できたから皆で食べよう。起きて食事は出来そう?」
「うん。もう全然大丈夫だよ」
スズは笑顔を作ってそう言っているが、まだ顔が熱でほてっており目に見えて辛そうだ。
でも体を起こして食事をする分には問題ないくらいには回復しているし、しっかりベルの作ったお粥を「美味しい」と一人で残さず食べられるくらい食欲もある。
【
ヘスティアは昨日の夜からスズにずっと付き添って看病をしていたが、あれから【
おそらくスズが不利益になることがなければこの先も【
彼女は『スズ・クラネル』という表の人格を大切に思っているのだから、むやみやたらに体の主導権を入れ替えるとは考えにくい。
何よりもヘスティアが【
出てくるはずがなかった。
「そういえば、お粥。小麦じゃなかったみたいだけど、もしかして米穀かな?」
「そうだよ。極東では主食になってるくらい有名な穀物なんだって。お粥にするならこっちの方がいいよって商店街の人達に勧められて買ってみたんだけど美味しかったね」
「うん。独特の甘味があったね。やっぱりオラリオには色々なものがあるんだね。極東の味噌は里でも使ってたけど米穀は初めて食べたよ。今度米穀料理を少し調べてみようかな」
食事が終わるとスズは楽しそうにベッドで横になりながら、洗い物をしているベルと雑談している。
ヘスティアは料理のことはあまりよくわからないがこの話題の流れなら自分も楽しい会話に参加できると大きな胸を張ってその会話に飛び込んでいく。
「調べものならいい本屋を知ってるぜスズ君。ボクがよく行ってる本屋なんだけど、料理の本なんかもあるんじゃないかな?」
「本当ですか!? 神様がバイトお休みの日に一緒に行ってみたいですッ」
よほどスズは料理が好きなのだろう。
それだけでなく本を読むことも好きなのか、楽しみだな、他にどんな本があるんですか、と興味津々な様子だ。
やはり自分が好きなものを好きな人と共有できるのは嬉しくてヘスティアの頬は『にやにやが止まらなく』なってしまっていた。
だが突然スズが話題を振るのを止めて、不安げに眉を細めてしまった。
不安げに見つめる先を見てみるとベルがダンジョンへ行く準備を始めていた。
「ベル、ダンジョン一人で行くの? エイナさんは止めなかったの?」
「うん。入口からあまり離れないようにとか色々注意されたけど、冒険せずに、調子に乗らずにただ
スズの不安の色がさらに増して、会話をしながらも今だお気に入りの人形のようにぱかぱかと暇な手でいじっていたベルのバックパックをぎゅっと強く抱きしめた。
「大丈夫だよ。本当に無理はしないから」
「私もう元気だから一緒にッ」
「今日は安静にしてないとダメだよ。稼ぐのは今日の食費くらいにしておくから」
一緒に行こうと体を起こしたスズにベルは視線を合わせて、もっと幼い子供に言い聞かせるように優しくそう言った。
「僕はちょっとスズに頼りすぎちゃってたから」
「私もすっごくすっごく頼ってるよッ」
「そうじゃないんだ。頼ってくれてるのは知ってる。でも、そういうのじゃなくて、なんていうのかな。上手く言葉に出来ないけど……多分、今のままの僕じゃダメなんだって思ったんだ。知識も探索もスズに頼りっぱなしで、安全なところから敵を攻撃してるだけの僕じゃダメなんだって昨日思ったんだ」
「昨日のは想定外だったし、私もダメダメだったし……」
「だからこそ、そういう事態の時にお互いに補えるように、僕は強くなりたいんだ。スズを守るために強くなりたい。神様を守るために強くなりたい。僕は、僕が大好きになったもの全部守れるように強くなりたいんだ。だから今日だけ、自分の力で、自分の『弱いところ』をもう一度見つめ直したい。これからスズと一緒に強くなって、いつか大好きなもの全部を守れるようになりたいから。今はすごく弱くてスズに心配されちゃう僕だけど、いつかスズに心配されないような頼れるお兄さんになりたいから。だから僕は、ダンジョンで『弱い自分』を見つけて『強い自分』を目指すために、一人でダンジョンに行ってみたいんだよ」
自分の強さを確かめる訳でもなく、強くなりに行くわけでもなく、弱い自分を見て、どれだけスズに頼り切っていたかを思い知って、強い自分に憧れるのではなく、強い自分を目指すための冒険。
みんなを守るなんて綺麗な夢を掲げておきながらなんて遠回りで不器用なやり方だろう。
君はマゾなのかと、好きな人に足蹴りされるのが趣味なのかと言いたくなるほどの無駄な冒険。
それでも強くなりたいという気持ちは本物で、守りたいという気持ちも本物で、スズを真っ直ぐ見つめる瞳は、その夢は幼い少年のように澄んでいた。
「……そっか……弱い自分を見つけに行くなら、一人じゃないと、ダメだもんね。私が『強い』って言っても意味ないもんね……」
何を言ってもこの真っ直ぐで綺麗な夢は止められない。
聡いスズはそれに気づいて、諦めるように顔を伏せて抱きしめていたバックパックをベルに手渡した。
「ごめんねスズ。心配してくれてるのにワガママ言っちゃって。色々試して自分の弱さを思い知ったらすぐに帰ってくるから」
「ケガ、しない?」
「多分しちゃうかな。でも必ず帰ってくるから。流石の僕でも一階層の見回しのいいところではやられないよ。
「慢心するとエイナさんに怒られちゃうよ?」
「うっ、そうならないように頑張るよ」
「私も怒っちゃうし、たぶん泣いちゃうよ?」
「それは絶対に嫌だから必ず帰ってくるよ」
ベルはいつものように優しくスズの頭を撫でる。
スズがワガママだったなら、きっと諦めずに何が何でもベルを止めていただろう。
ここまで言い切ってもまだベルを引き止めていたなら、ベルもスズのためを思って『安心して』今日は冒険にでなかったとヘスティアは思う。
でもいい子でいようとするスズはそれをしない。
それができない。
そんなスズがワガママを言えるようになるためにも、スズがワガママが言えるほど強くなろうとベルは冒険の第一歩を踏み出そうとしているのだ。
「スズ君もそんなに心配しなくて大丈夫だぜ。面倒見のいいアドバイザーが許可したんだから大丈夫さ。なによりもベル君にはボクの『恩恵』がついてるんだぜ? ゴブリンの一〇匹や二〇匹にタコ殴りにあってもベル君は帰ってくるさ!」
「神様、それ流石に一目散で逃げますから! その数だと通路埋まっちゃいますから!!」
ベルは今変わろうとしてる。
もっともっと高みを目指そうと頑張ろうとしている。
それを主神として、家族として後押ししないのは間違っている。
だからスズのためにもベルのためにも、笑顔で見送ってあげられる状況を作ってあげようとヘスティアは思った。
「そうですね。ベルはベルが思っているほど弱くないもんね。それによくよく考えてみたら……耐久も殴ったり防いだりしないと上がらないし、やっぱり無理しなければ一人で行くのも悪くないのかも……。あれ、なんで私こんなに引き止めてたんだろう。無理しなければベル一人でも大丈夫なの、私自身がわかってたはずなのに……」
自分自身の感情を整理しきれていないのかスズは首をかしげている。
一階層なら『神の恩恵』を授かったばかりの冒険者一人でも不用意なことをしなければ十分にやっていけるのはヘスティアですら知っていることだ。
それをダンジョンに実際潜っていたスズが知らないわけがない。
おそらく原因は大切な者を守ろうとする【スキル】としての【
理屈ではなく失う可能性があるだけで何らかの作用があるのだと思われる。
「それじゃあ神様、スズ。行ってきます」
「いってらっしゃいベル。無理しないようにね?」
「いってらっしゃいベル君。ボクやスズ君をあまり心配させるような真似はしないでおくれよ」
こうして無事ベルの後押しと見送りが出来たが、【
納得していたはずなのにやはりスズはベルが出かけるとそわそわしだし、少しでも目を離すとベッドから抜け出そうとして、それをヘスティアに見つかると「つい」と苦笑しておとなしくベッドに戻っていく。
【
『五つの約束』で条件付けしていなかったら今頃寝巻のまま丸腰でダンジョンに向かっていたかもしれない。
「やっぱりこれって、【
さすがのスズも自分の居ても立っても居られないもやもやに違和感を覚えて不安げに聞いてくる。
この状態のスズなら、鎌を掛ければ『アレ』が出てきてくれるかもしれない。
少なくとも本当に『スズ・クラネル』のことを心配しているなら出てこずにはいられないはずだ。
話をするなら今しかない。
そうヘスティアは思い行動を起こす。
「間違いなくそうだろうね。そこのところ、『君』はどう思っているのかな?」
『そういう『私』の存在をほのめかすのやめてくれないかしら』
当然のようにすぐさま『人格』としての【
「ベル君も出かけているし、聞くなら今しかないと思っただけだよ」
『これでも貴女が施した『条件付け』を優先するの大変なのよ。人格が『私』になっても出力制御は私が受け持ったままなのに、【スキル】の優先順位は『スズ・クラネル』依存なんだから』
「つまり君がスズ君を突き動かしているわけではないと?」
『ええ。だから『スズ・クラネル』の前で『悪夢』を引き受けている『私』をほのめかす言動やめてもらえないかしら。それをきっかけに詳細を思い出したらどうするつもり?』
やはり『人格』としての【
『解離性同一性障害』である彼女は元々スズが自己防衛のために作り出した人格なのだから当然と言えば当然だろう。
一先ず『人格』としての【
なので『スズ・クラネル』という表人格のために『人格』としての【
あくまでこの人格は『悪夢』を引き受けたスズの一部なのだ。
ここまでくると『人格』としての【
『その様子だとまた信じてくれたのかしら。私が言うのもなんだけど、貴方は嘘が見えない相手の言葉をもう少し疑った方がいいと思うのだけれど』
「一応そんなひねくれていても『解離性同一性障害』な以上、君だってスズ君だからね。ボクのスズ君に危害を加えない以上、君もボクの眷族だ。色々考えたけど【スキル】とは別ものとして君を見ることにしたよ」
『あら、そう。意外ね。もっと猟犬みたいに食いついてくるかと思ったのだけれど』
表情を変えていないもののその言葉に【
元は同じスズなのだ。
スズが生み出したものなのだ。
そう思うと『意志』としての【
『寝るわ。後で覚えておきなさい』
「寂しくなったらまた話し相手にはなってあげるぜ【
『貴方とはもう絶対口聞いてあげない。これだからお人好しは嫌いなのよ』
そう言い残し、今回は時間的余裕はあるのか自分から布団をふて寝するように頭からかぶって沈黙した。
しばらくするともぞもぞと布団が動き、スズが何事もなかったかのように体を起こす。
「おはよう、スズ君」
「神様おはようございます……。すみません、お話し中に眠ってしまったみたいで……」
「病人なんだから気にしないでおくれよ。リンゴ食べるかい?」
ヘスティアが色々考えて出した結論。
一番いい未来が待っていると希望を抱いた結論。
そうであってほしいと今一番に願ってやまないこと。
それは【
スズの『トラウマ』で出来た『人格』が【スキル】化したのなら、その『トラウマ』を和らげてあげれば【スキル】としての【
この『トラウマ』を抱えたまま【スキル】だけを消してしまった場合、最悪人格が統合化され、そのショックでスズ・クラネルという表の人格がショックに耐えられず、最初に出会った時以上に心が壊れてしまう可能性だってある。
それは何としても避けなければならない。
だから『人格』としての【
出来ることならスズの一部である彼女にも手を差し伸べてあげようと思ったのだ。
話してみると癖はあるものの、スズの一部なだけあっていい子だったので、次に会う時はもっと仲良く話が出来たらいいな、とヘスティアはまだよく知らない三人目の眷族のことを思いながらスズのためにリンゴをむくのであった。
なんだかんだで釣竿たらせば釣れる【
時間が掛かったのに特に進展がなく申し訳ございません。
バックパックの
次回ベル君のソロの結果報告と二人でダンジョンに行ってプレゼントを買うところまで行けたら嬉しいところです。