『
丁度ヘスティアもバイトが終わっており、狭い地下の隠し部屋に五人集まるのは少しばかり狭くも感じるが、あんな因縁をつけられた後でさえなければ嫌な狭苦しさはない。
全員自然体のまま、それぞれ落ち着くところに腰を下ろし、出入りが最近のヴェルフもまるで自分のホームのように馴染んでいる様子だ。
ベルが思い描く理想の仲間、そして家族達が確かにそこに感じ取ることができた。
リリがヘスティアに【アポロン・ファミリア】が妙な因縁をつけてヴェルフが怒りをこらえきれそうにないベルの代わって足蹴りをし相手に怪我を負わせたこと、危うく団長同士の喧嘩に発展しそうになったこと、【ロキ・ファミリア】の幹部ベートが中立の立場で場を収めたこと、それらを詳細に説明すると、ヘスティアは「ぐぬぬぬぬ、またロキに借りを作ってしまったかぁ」と溜息をついてしまっていた。
「それにしてもベル君が危なく喧嘩をするところだったね。ベル君がおもったよりもやんちゃでボクは嬉しいような、悲しいような……一体何を言われたんだい?」
「簡単にまとめるとヘスティア様がスズ様を騙して利用し利益を得ている……言葉の表現からスズ様に娼婦をやらせていると無茶苦茶な因縁をつけられ侮辱を受けました。実に不愉快です!」
「ぬぁにをー! ボクがそんなことするかー! スズ君はボクの大切な子なんだぞ!」
「確か最初はベル様とスズ様が本当の兄妹でないと言って……ヘスティア様、目を泳がせないでください」
ヘスティアは隠し事が下手な方である。
兄妹の話を出したとたんについリリから目を逸らしてしまったヘスティアにリリは「嘘をつくのでしたらしっかり隠して下さらないと困ります」と頭を抱えて大きなため息をついてしまう。
「例えベル様とスズ様が血の繋がっていなかったとしても、リリ達の関係は変わりありません。ですが他の神々の前でもそのような態度ではリリはとてもとても不安です」
「こうも見た目がそっくりだと兄妹でないと言われても信じられないけどな。もしそうだとしてリリスケが心配するほどのことか?」
「ヴェルフ様、『白猫ちゃん』ブームを侮ってはいけませんよ。ギルドに押し寄せるような過保護な娯楽神がどのような行動をとるかなんて当人達しかわからないのですから注意するに越したことはありません!」
危機感が足りませんとリリはヴェルフに人差し指を刺してむっと頬を膨らませる。
今まで親切にしていた人や神が血が繋がっていないだけで態度をがらりと変えるとは思いたくないが、わざわざ危ない道を渡る必要もないとベルも思う。
当然ベルはスズのことを本当の妹のように大切に思っている。
そもそも【ファミリア】とは家族だと思っているベルにとって、今回の言いがかりは最初から最後まで大切な人達をあることないこと好きかって言われ侮辱され続ける辛いものだった。
珍しくも思い出しただけで他人に腹を立ててしまう自分がそこにはいた。
でもそれ以上に酷いことを目の前で言われたスズのことが心配だから、むくれた顔でいる訳にはいかない。
時折心配で隣に座るスズの横顔を確認する度に「大丈夫だよ」と笑顔を返してくれるが、やはりショックを受けているのか眉を僅かに落として
そしてまた相手に怒りを覚える、この繰り返しだ。
あまりいい感情でないことは理解出来ていても、今回ばかりは酷すぎると拳に力がこもり歯をぎりりと強く噛みしめてしまう。
「怒ってくれて嬉しかった。それ以上に喧嘩にならなくて嬉しかった。我慢してくれたの、すごくすごく嬉しかった。だから大丈夫だよ?」
するとスズがベルの握りこぶしに手を重ね、そう優しく微笑んでくれた。
手から力が抜けるのと同時に、暴言から守ってあげられなかった悔しさが心の奥底からにじみ出て来る。
「ボクも怒ってくれたのは嬉しい。スズ君が言う通り喧嘩なんかせず無事帰ってきてくれてなによりだ。その場にいたらきっとボクだって火を吐くほど怒る。なにをーって口喧嘩くらいするかもしれない。でも暴力で訴えるのはよくない。いくら相手が間違っていても、悪口程度で手を出したら自分も相手と同じだ。スクハ君もそれがわかっていたから手出ししなかったんじゃないかな」
ヘスティアが隣に移動してきて座り、もう片方の手の上に自分の手を重ねて「我慢できて偉いぞ、ベル君」と優しく微笑んでくれる。
ヴェルフが代わりに足蹴りをしてくれなかったら、パルゥムの男の胸倉をつかんで自分は何をしていただろう。
そのまま侮辱の言葉を取り消すように要求するだけだったのか、それとも怒りに任せて暴力を振るっていたのか、今となってはベル自身どうしていたのかわからない。
「ベルの手は誰かを守る温かい手だから、あんな嘘なんかに振るわないで。でも……もしも相手が言葉でなく理不尽な暴力を振るってきた時は、その時は守ってくれたら嬉しいな」
作り笑いではなく、はにかむようないつものスズの明るい笑顔。
ヘスティアは暖炉の火のように温かく微笑み、リリとヴェルフも微笑ましく見守ってくれている。
守りたい沢山の温かいものが、ベルの中から黒い感情を消してくれた。
もっと強くなって、酷い暴言なんて笑い飛ばせるほど強くなって、あんな酷いことを正面から言われない立場になって、大切な人達を皆守れるようになって皆とこうして笑っていたい。
ベルの胸の中にある
§
「それじゃあ、もう体は大丈夫なの?」
「はい、すっかり良くなりました」
「いつも心配を掛けてごめんなさい。私も無事本調子に戻りました」
『
「もう、本当に心配したんだからね? ミノタウロスの強化種に襲われて18階層まで避難したと聞いて、私、心臓が止まりそうだったんだから」
18階層から戻ってから知り合いに帰還報告をして回っていた時も、ベルとスズの無事を涙ぐんで喜んでくれた。
ギルドの職員であるエイナも箝口令の対象であり、上層部から詮索しないようにと厳重注意をされ曖昧な結果だけを知らされたエイナは、実際に二人が無事な姿を見るまで気が気でなかったらしい。
心配を掛けたことを謝ると「許してあげる。こうして無事に帰って来てくれたし」とにっこりと笑みを返してくれた。
その後は今後のダンジョン攻略についての相談。
今回のような『
実際エイナのスパルタメニューの雑学はモンスターの対策から階層で気を付けないといけないこと、対人トラブルなど役立つ情報ばかりでベルとしても助かっているのだが、完璧に覚えるまで何度も繰り返されるスパルタメニューの量が増えると思うと勉強の方で体力が持つかなと少しばかり不安になってしまう。
それでも「頑張ろうね」と自分達の身を案じて微笑むエイナの好意をベルが無下に出来る訳もなく、覚えがやたらいい優等生のスズのペースに文字通り頑張って食らいついているのが現状である。
ダンジョン攻略についてはヴェルフが新しい装備をベル達の為に作る期間は潜らず、探索階層も『
ヴェルフがLV.2になったとはいえリリはまだLV.1のままであり、漆黒のミノタウロスに追われ続けたせいで『攻略した気がしない』という気分的な問題もある。
やはり今後もっと奥を探索する為にも、地道に1階層ずつ攻略していくのが経験になるだろうと言うのがスズとエイナの意見だ。
他にも度重なる装備の新調とアイテムの失費を気にするスズの言葉に、エイナはギルドのパーティーバランス基準に満たした『
どれもモンスターからのドロップアイテム採取や鉱石の採取などのダンジョン攻略のついでに目標達成を目指せるものであり、やりやすいものを揃えてくれた心遣いが見ただけでも伝わってきた。
最後に【アポロン・ファミリア】の団員が一方的にあることないことを言って侮辱してきたことと、ヴェルフが自分の代わりに手を出してしまったことを素直に話して相談してみると、エイナもまた「よく我慢したわね。偉いわベル君」と優しい笑みを見せてくれた。
その程度のいざこざでギルドは動くことはできないが、流石にその程度のことで【アポロン・ファミリア】がヴェルフの所属する【ヘファイストス・ファミリア】に因縁をつけることはないし、その逆もないから心配する必要も気に病む必要もないと言ってくれた。
「他派遣と揉め事なんて起こしても、いいことなんて何もないんだから。中堅【ファミリア】である【アポロン・ファミリア】もその辺りは弁えているはずだし、挑発行為に止めている内は手を出したらダメよ? もしも向こうから直接手を出すようなことや、脅迫行為が行われた場合はギルドの方から厳重注意をすることができるから、その時はギルドを頼ってね? その為のギルドなんだから」
酷いことを言う人がいると同時に、こうやって心配して親切にしてくれる人達が沢山いる。
ベルとスズは「エイナさん、ありがとうございます」と同時に感謝の言葉をのべ、「どういたしまして」と返すエイナと共に微笑み合うのだった。
そして相談ごとも終わりボックスからロビーに出て窓口前でエイナと別れようとすると、二人の冒険者がベルとスズの髪色や目の色を確かめた後、何か小言でやりとりしてからベル達の方へと向かってくる。
「ベル・クラネルとスズ・クラネルね。ウチはダフネ。この
名乗りを上げたのは気の強そうな短髪の少女、紹介されカサンドラの後ろからおどおどと歩み出て「あの、これを……」と上目がちに一枚の手紙を渡してきている長髪の少女がカサンドラというらしい。
上質な紙には封蝋が施されており、太陽と弓矢のエンブレムが徽章されていることから手紙は【アポロン・ファミリア】からのもので間違いないだろう。
側にいるエイナがベルとスズにそっと顔を寄せて、二人とも【アポロン・ファミリア】に所属するLV.2第三級冒険者であることを耳打ちしてくれた。
昨日ヒュアキントスが「近々使いの者をよこす」と言っていたのはおそらくこの二人のことだろう。
「あの、それ、案内状です。アポロン様が粗相の詫びも込めて『宴』を開くので、も、もし良かったら……あ、その、『白猫ちゃん』は選ばないでっ。何もかも、飲み込まれちゃ」
カサンドラが何かを言おうとするとダフネがペシンとカサンドラの後頭部を叩く。
「あぅ、でもこのままじゃっ」
「また夢? 一応はこれから招待する客人の前よ。いい加減にして!」
「お願い、お願いだからっ、信じて……!」
【アポロン・ファミリア】の中でも何かもめ事が起きる事態でも起きているのだろうかとエイナは首をひねるが、呆れているダフネに対してカサンドラは異様なほど食い下がり泣きつくように懇願している。
「カサンドラは妄想癖があるのよ。『宴』のこと必ず貴方達の主神に伝えて。いい、渡したからね?」
カサンドラの様子がおかしい為か、それとも無駄話を初めからする気がなかったのか。
ダフネはカサンドラの手を取り、ギルドの外へと向かい、手を引かれるカサンドラは「お願いだから」と涙目でベルを見つめていた。
何のことなのか訳が分からないが、必死さは十分すぎる程伝わった。
あの泣き顔が悪意からくる策略だとか、そう言ったものだとは思いたくないが、【アポロン・ファミリア】に酷いことを言われた翌日のせいか本当に信じていいのかわからない。
スズもカサンドラの言葉と泣き顔が気になっているのか、胸元付近で自分の手を握りしめながら、眉を落とし心配そうな表情なものの何も言えずダフネとカサンドラの後姿を見送るのであった。
§
その日の夜、今日もまた【ステイタス】更新の時間が訪れた。
『『神の宴』の招待状に、『スズ・クラネル』を選ばないで、という言葉ね。それらの情報から見て今回の『宴』は下界の者を一人同伴できる、と言ったところかしら?』
「そうなんだよ、スクハ君。スクハ君から見てその、か、かぁ~?」
『カサンドラね』
「そうそう。カサンドラ君はどう映ったんだい?」
ベルとスズから事の顛末を聞き手紙を受け取ったものの、意味深な言葉を残したカサンドラについては実際に会ったことがないのでヘスティアからは何とも言えない状況だ。
スクハなら何か感じるものがあったのではないかと軽い気持ちでいつも通り【ステイタス】の更新をしながらの会話が続けられる。
『貴女、不思議なことは大体『私』に聞けば何とかなると思っているのではないのかしら。とっさに名前も出てこなかったこと含め自分で物事を考えられなくなる程、貴女が普段取っている栄養は脳へと行かず、胸へと流れて行ってしまったのね。きっと疲れているのよ。バイトを減らすと同時にその無駄な胸の脂肪も減らしなさい』
「不変の神の胸が減るかぁっ! 最近妙に棘があって冷たくないかい、スクハ君」
『バイトをし過ぎて過労になっている主神を労わっているだけよ』
「やった、スクハ君が素直にボクのことを心配してくれた! って、真正面から好意的に受け止めていい言葉じゃなかったぞ今のはー!」
『まあ冗談はさておき、相手の思惑が何にせよ、丁度時間が欲しかったところなのよ。『
言い方はともかくとして、ベルと二人きりになれる時間を気にしてくれるのは嬉しい。
嬉しいがヘスティアにとってスズとスクハも大事な家族であり、贅沢を言えば皆一緒に『神の宴』に参加して、自慢の子供達を周りの神に自慢したい。
こんなにもいい子達に囲まれて幸せ者だと堂々と胸を張りたいのに、つれていけるのが一人までと言うのが本当に悔やまれる。
「そうやって誤魔化しながらも時間が欲しいってことは、前ウラノスに呼ばれたことと関係があるのかい?」
『妙なところは聡いわね。大きな仕事を頼まれているのよ。魔石の味を占めた植物型の変異種といい、『
「ダンジョンはダンジョンさ。今も昔も変わらないよ」
『はいはい、ダンジョンダンジョン。それで大仕事になるから【アポロン・ファミリア】のことは貴女に任せたいのだけれど頼めるかしら?』
「アポロンかぁ……苦手だけどスクハ君が手出ししなかったおかげで平和的に解決できそうなんだし、ボクも頑張ってみるよ」
今回はいつも手が早いスクハまで我慢してくれたのだ。
主神であるヘスティアが苦手な相手だからと毛嫌いせず我慢するべきだろう。
『団長もろとも燃やしておけばよかったと、せいぜい『私』に後悔させないで頂戴。『私』が居なくても『スズ・クラネル』を守れないようではこの先困るのだから』
「そんなもうすぐ消えるようなこと言っても、消えさせたりなんかさせないぞ。ボクもベル君もスズ君も……皆君のことが大好きなんだぜ? スクハ君がいなくなったら絶対皆泣く。もんのすごく泣く」
『貴女はともかくとして、『スズ・クラネル』とリリルカに泣かれるのは嫌ね。一応善処はしておくわ』
「ベル君にもだろう? 知ってたかい、スクハ君。スズ君がベル君のことを大好きって言ってくれたんだぜ?」
『『スズ・クラネル』がベルのことを異性として好きだと宣言したのなら、一つの幸せの形として喜ばしいことだわ。けれどそれは『私』には関係ないことであって『私』はベルのことを異性として好きだとは一言も言っていないのだけれど。嫌いという意味ではないけれど、今後『スズ・クラネル』が異性としてベルに接する機会が増えるとなれば、自然と感覚共有している『私』にもその温もりがいってしまうのは不可抗力であって、望んで得ているものでは断じてないわ。喜んでもいないのだからその辺りを勘違いしないでもらいたいのだけれど。その辺りをちゃんと理解しているのかしら貴女は』
「かつてないほど早口で枕に顔を埋めても説得力がないぜ、スクハ君。君ももっと素直になるべきなんじゃないかな?」
今日は散々な言われようだったことへの仕返しとばかりに、ヘスティアはぼふぼふぼふと枕に顔を埋めるスクハにそう投げかける。
返事はなく動きもしない。
スズもまだ疲れがたまっているのか、既に穏やかな寝息が聞こえてくるので真面目に【ステイタス】の更新を終わらせてあげる。
18階層から戻って以来0から変動しない魔力の数字に、こんなにも自分は幸せなのに、
前の章Epilogueからこの話まで魔力が0のまま変化していないことをようやく明言できました。
そして何か夢を見て必死に頑張ったカサンドラさん次に見る夢はどっちだ。
以上、強がっている『少女』のお話でした。