愛しい人がそこにいた
もう瞳に映る事はなかった
いなくなった
愛しい日々がそこにあった
何もかも泡沫の夢だった
なくなった
物の怪、化け物、お前のせいだ、お前のせいだ
ーー何処かで聞いたような罵声だ
誰もが少女が悪いと責め立てた
いいや……私は何もしていない
誰もが少女を追い立てた
どうして……私がこんな目に
ーーなぜ、誰も味方をしないのか……これは不幸が重なっただけじゃないように思える……
あぁ……私は悪くないのに、どうしてこんなにもこの世界は不条理なのか
見上げた空に浮かぶのは月
太陽は沈んでいた
私を信じなかった愛した人も、私を追い出したニンゲンどもも、私を助けなかったこの世界も、何もかもが憎い
必ず復讐してやろう
たとえこの命絶えようとも
"この世全ての厄"となりて、地獄をもたらそう……
ーーその怒りは当然の結果だ、自分とは違った結末だったが、それが間違っているとは思えなかった……
◇
朝、ライルは目を覚ますとキャスターの横顔が視界に入る
その頰には滴がつたっていた
「何かあったんですか?」
物憂げな表情をしたキャスターに対して何故か出会った頃のように敬語で声をかけてしまうライル
「まだ眠いのに目が覚めてしまう事ってありませんか?」
キャスターは袖で頬を拭うと、あくびをしたフリをして言った
サーヴァントは睡眠を取る必要がない、それを知っているからライルはキャスターが誤魔化している事に気づいた
しかし追求する事はしなかった
もしかしたら、あの夢をライルだけではなくキャスター本人も見ていたのかもしれない
あれはキャスターの過去なのだろう
ライルの過去と似た……だけど決定的に違う結末
悲しみだけで終わった自身とは違い、悲しみの果てに怒りを見いだした少女
「あー、あるある。今まさに寝起きなのに眠いし」
ライルはそう返事をした
なんて声をかければ良いか分からなかった
そんな自分に……そして、少女を悲しませたこの世界に、ライルはどうしようもなく憤りを感じてしまう
◇
流石に放課後の殺人鬼の調査に気を取られ過ぎて、暗号鍵探しが間に合わず
決戦場まで辿り着くことなく不戦敗になるのは避けないといけない、そう考えたライルはアリーナ探索をする事にした
しかし、その前に葛木の様子を少しだけ見てからにしようと思った
その行動に何の意味があるのかライルは未だに分かっていなかったが、田中があんな意味深に伝えてきたのだから何かあるだろうと……今となっては半信半疑ではあるのだが
「あれ……」
いざ探してみると、葛木の姿が中々見つからない
昨日の行動範囲をなぞって探してみたが何処にも居ないのだ
ライルはその事に違和感を感じる
いくらNPCに感情があると言えど、セラフにいるNPCは何かしらのロール……仕事が割り振られている
例えば保健室にいる間桐桜は聖杯戦争の参加者の健康管理、そしてアリーナ入り口にいる神父姿の男は聖杯戦争の監督役
だが、あの教員NPCはいったい何の役割を充てがわれている?
とそこまで考えた所で思考は停止せざるを得ない事が起きる
「何か用があるのか」
感情のない背筋が凍るほどの冷たい声
背後からそんな声で何者かに話しかけられたライルは緊張と警戒で少しの間、息が詰まった
背後にいたのはライルが探していた葛木だった
「私を探していたのだろう」
言葉を発さないライルに対して追いうちをするかのように再度声をかけられる
「あー、そうですね。ちょっとNPCが普段どんな事をしているのか気になったもので……」
それに対してライルは冷や汗をかきながらも、それらしい言い訳をした
「そうか、だが不躾に視線を向けられるのは、こちらとしてもあまり気分の良いものではない」
「えーと……すみませんでした」
「以後、気をつけ……っ」
気をつけるようにと言おうとして葛木がライルの肩に手を乗せた瞬間に、ライルの中に誰かの記憶が流れてくる
◇
『レオをよろしくね』
そう言って悲しそうに微笑む女性の姿を無感情を装いながら必死に胸の痛みを堪える、誰かの記憶
◇
「貴様……何をした」
先程まで目の前に居たはずの葛木の姿はなく
代わりに見慣れない群青色のコートを纏った青年がライルの目の前に立っていた
青年は怒りに満ちた瞳でライルを睨んでいる
ライルは突然の事で驚いたが、同時に目の前にいる青年が何者なのかを理解した
そしてライルも同様に怒りの感情を込めて呟く
「お前が放課後の殺人鬼、ユリウスか」
「やはり貴様はここで排除する」
ユリウスが何かの術式を発動すると、瞬時に視界は校舎の中からアリーナの中に映り変わった
ユリウスが行ったのは、周りの空間ごとハッキングを行いアリーナ内に強制転移させるという荒業である
今まで行っていた、秘密裏にあらかじめ作っていた抜け穴へ静かに誘い込んだのではなく、人目も憚らずにただ強引に連れ去ったのだ
当然のことながら、人通りのある廊下で行われたそれの目撃者は0ではなかった
「さて予想通りなら、ここでアイツは死ぬが……どうなるか」
「マスターよ、それはお前の言う"運命"とやらの知識か?」
「いや、アレにはライルスフィールなどという登場人物は居なかった。だからおそらく描写されることもなく物語の本筋とは関係のないところで死ぬ」
「だが、お前の言う"運命"とやらにはお前もそして俺も居ないのだろう?」
「……そうだな、だから俺たちもおそらく今回で終わりだ。何を考察しても無意味か」
「そう悲観的になるな……と言いたいところだが、今回はさしもの俺でも相手が悪い。まさか月の落とし子が相手だったとはな。まぁなんであろうと全力で挑むまでよ」
◇
「ご主人様」
「待てキャスター、霊体に戻ってくれ」
アリーナに強制転移させられたライル達
敵の行動を警戒してキャスターは実体化するが、相手がアサシンであり、気配を殺したままで柳洞一成の契約していた佐々木小次郎を一撃で倒す程の強者だ
呪術を使わないと耐久力が紙に等しいキャスターでは実体化している方が危険だろう
それに比べてライルは『是、十二の試練』に守られているので直接狙われてもある程度問題はない
相手のアサシンも気配遮断あるいはそれに類似したスキルを解いて宝具を使ってくるようであればライルの守りを突破してくるかもしれないが
相手も居場所が分からないというアドバンテージを捨てている為、その時はキャスターの呪術の出番である
本来アサシンのサーヴァントは対サーヴァント戦には向いておらず、そのクラス名が指し示すようにサーヴァントのマスターを暗殺し勝利を勝ち取るのが得意なクラスである
例外なアサシンが多い気がしないでもないが、セオリー通りであれば相手にとってライルというマスターは最悪の相性であると言える
「ここで排除する、ね……その言葉そのまま返してやるよ」
地を蹴り、まっすぐとユリウスのもとへライルは向かった
この聖杯戦争の敗北条件はサーヴァントの消滅ではなく、マスターの敗北だ
そのマスターの敗北という条件の中にサーヴァントの消滅が存在するだけで、マスター自身が消滅しても負けは負けである
それを気付かせたのが皮肉にも目の前にいるユリウス本人だった
だからライルは姿の見えないアサシンではなく目の前のユリウスを直接攻撃する事にしたのだ
しかしライルにとって想定外の事があった
ライルと同じようにユリウスもまた、ライルの方へ向かってきたのだ
ライルはすぐさま錬成したハルバードを振り下ろし
それよりも早くユリウスの拳はライルに向かって振るわれる
そのどちらもお互いに届く事はなかった
ユリウスの拳は『是、十二の試練』に防がれ、ライルのハルバードはユリウスのもう片方の手で軌道をそらされたのだ
「うぐっ……」
「っ……」
命じられるがまま淡々と人を殺す、そんな青年……いや、少年の記憶がまたライルの中に流れ込んでくる
そこで『ハーウェイの殺し屋』というのが単なる二つ名ではなく文字通りの意味なのだとライルは理解した
月にある電脳世界で人を殺した事があるだけではない、地上にある現実世界でユリウスは何人もの人間を殺している
暗殺もしていれば、真正面から戦って殺しを行う事さえ
英霊ほどとはいかないが、少なくても今この月にいるマスターの中では一番戦闘に慣れていると言えるだろう
それはライルにとって知りたくもない内容だったが、しかし勝手に見えてしまうのだ
ホムンクルスであるライルの身体が作られた時に、無駄に必要のない小聖杯としての機能を再現しようとした結果、英霊の魂を回収するだけでなく、他者の魂に触れるという副産物……副次効果が備わってしまっている
それは誰も意図したものではなく、自分の意思とは関係なく不規則に起きてしまうものだった
ライル自身は、それが何なのか分かっていないし、分かっていても止められるものではなかった
お陰で見たくもない記憶を見る羽目になっている
「不愉快な力だ」
「同感だね」
そう言ってライルは再びユリウスへとハルバードを振り下ろす
ユリウスはライルの振り下ろしたハルバードに向かって、その拳を叩きつけた
ハルバードはそれにより砕けてしまう
そして、またそれと同時にユリウスの記憶が流れてくる
◇
最初の記憶は何処かの病院のような施設の中だった
大人達が何か真剣なそして暗い声で会話をしていた
のちに言葉の意味を理解すると、その会話の中で自分の事を『不良品』と言われていたのだと知る
老いる速度が人の倍近く早く、生きていられても長くて25歳までだと
そんなモノに金も手間もかける価値もなく棄てられる事となった
少年は世界を知らず欲もない、生きていても何をすれば良いのか分からないが
それでもただ、ひたすらに生を望んだ
死にたくない、生きていたい
そう人として当たり前の事を望んだのだ
◇
「……」
ユリウスはライルの近くから飛び退いた
ライルはそれを許そうとせず、ハルバードを錬成すると距離を詰める
そしてまたユリウスへとハルバードを振り下ろした
今度は受け流すでも壊すでもなく、ユリウスは掴んで受け止める
◇
その生きたいという意思だけで生き残った男は、今後もまだ生きていく為に己が手間も金もかける価値があるモノなのだと示す必要があった
だから、殺した
殺して、殺して、殺した
ハーウェイに仇なす敵を命じられるがままに殺した
◇
掴まれたハルバードに火が付き、ハルバードを溶かしてゆく
だが火はライルの手元にたどり着く前に何かに阻まれて消える
「無駄だ」
「チッ……」
再び距離を取ろうとするユリウスに向かってライルは燃え残ったハルバードの枝の部分を投げつける
それをまるでキャッチボールのような感覚でユリウスは掴んで投げ返してきた
ライルが投げるよりも速い速度で投げられたそれは、ライルを守る壁に阻まれ消滅する
次にライルが取り出したのは銃型の礼装
それでユリウスを撃つが、走りながら簡単に躱される
普通の人間なら銃弾を避けるなどという真似は出来ないだろう
ライルも相手の走る速度と走る方向を計算して偏差撃ちを行うが、ユリウスは巧みに走る速度を緩めて躱す
銃が有効でないと思ったライルは痺れを切らして、ハルバードを錬成しユリウスへと突撃する
今度は振り下ろすのではなく矛先を突き刺すように突進を行った
それもユリウスは簡単に受け止める
◇
生きる為に人を殺す
男の人生はそれだけだった
それだけの価値しかなかった
そんな男に心優しき女は言った
老いる速度が速いのは、同時に人よりも早く成長できるって事なのだと
25年しか生きられないのは、その分生きているその時間が人よりも価値が高い人生を送れるのだと
男は生きたい理由を見つけた
だから、また命じられるがままに人を殺した
生きる為に
◇
気づけばまたハルバードが火で燃えていたが、問題ないと高を括っていたライルは自身の守りをすり抜けて手元まで火の手が回っている事に気づくのが遅れた
「なっ!?」
慌ててハルバードを手放して、今までとは逆にライルがユリウスから距離をとった
「やはり自身を対象とするダメージを自動で無効化する術式か」
よく見てみると手放したハルバードは火で燃えてはいるが、先ほどと違って全く溶けてはいなかった
つまりユリウスが放った火は、テクスチャだけの害のないものだった
「このハルバードは自身の体の一部を錬金術の応用術式で変化させたものか」
少しずつ自分の能力が解析されている事にライルは気づいた
『是、十二の試練』は解析されようと問題はないだろうが、こちらの武器に関しては簡単に対処されてしまう可能性もある
ライルはユリウスを言葉に否定も肯定もしなかった
今、ライルが考えているのは全く別の事であり、それに反応する心の余裕がなかったのだ
そしてそんなライルが考えているのは、目の前の男の過去の事とそして他でもない自分自身の事だった
前世である逆月雷也の記憶があり、その記憶に囚われているのにも関わらず、ライルが逆月雷也という名前ではなくライルスフィール・フォン・アインツベルンという名前を名乗っているのには理由がある
ライルはこの世界でホムンクルスとして産まれた瞬間から前世の記憶があった
いきなりライルスフィールという名前を与えられ最初は反発もした
そこから逃げ出して、故郷である日本に帰ろうとも思った事もある
だが、この世界の事を知れば知るほど、そんな気は失せていった
自分の故郷は、存在しない
前世で生きていた筈の時代にそもそも、そこには何も存在していなかったのだ
自分の生きていた歴史と違う歴史を辿った平行世界であり、日本に逃げたとしても、そこには何もない
逃げたとしても他に行く宛がないし、ちょっとした世紀末感のある世界で頼る宛もなく彷徨うなど自殺行為でしかない
だからこそライルスフィール・フォン・アインツベルンである事を受け入れた
生きる為に
その結果、月の聖杯という存在を知ったのだ
ライル自身も月の聖杯を手に入れろと命令されて、月に来ている
月の聖杯を手に入れるという事とは、聖杯戦争に勝ち残る事であり、聖杯戦争の他の参加者を殺して生き残れという事だ
自分と目の前の男と、何が違う?
ライルはそう考えてしまった
ユリウスは生まれる前に細胞を弄られたデザインベビーである
そして、ライルはデザインベビーの技術も使って生まれたホムンクルスである
似た境遇だと思い、そしてユリウスは自分以上に過酷な環境だったのだと知りライルは同情すらしてしまう
ライルはユリウスに向けていた怒りの感情が正しいのか疑いを持った
なれど、この胸の中の怒りは何処に向ければ良いのだと……
「マスター、お楽しみ中悪いが、頼まれていた暗号鍵とやらは手に入れて来たぞ」
そこに今までにない新しい人物の声が聞こえてきた
気づけばユリウスの近くに橙色のカンフー服のような着物を着た男が立っていた
そして、その手には3つの暗号鍵のデータが握られている
「そろそろ儂にも楽しませて貰ってもよいだろう?」
「いや、ここで引き上げるぞアサシン。その代わりに今回の対戦相手は好きに戦って良い」
「まさかお前!」
4回戦のライルの対戦相手はユリウスではない
ライルの対戦相手は東洋人の名前だった
そして仮にライルの対戦相手がユリウスだったとしても暗号鍵は2つあれば決戦場に行けるので3つも必要はない
「ふん……」
ユリウスは鼻で笑うと、リターンクリスタルではない、別の方法で転移してアリーナから脱出していった
おそらくライルを無理やりハッキングして連れてきたのと同じ方法なのだろうが、そんな事はどうでも良かった
暗号鍵を2つ集めなければ決戦場には行けない
決戦場に辿りつかなかったマスターは強制的に不戦敗となる
各階層で配置されている暗号鍵は、それぞれの対戦区画で全部で4つ
勿論、他人の対戦区画に入るというイレギュラーは想定されていない為、一人2つずつという丁度の計算である
その内の3つをライルがユリウスに気を取られている間にアサシンに回収されてしまっていた
つまり、アリーナ内を探索したところでライルは2つ目の暗号鍵を手に入れる事ができない
「やっぱ許せねぇ」
現在進行形でユリウスに対して同情も共感もしているが
それはそれとして、その卑怯な手段はライルにとって許容できるものではなかった
◇
しかしライルにとって幸いな事に、そしてユリウスにとっては不運な事に次の日すぐに問題は解決する事になる
◇
「監督役NPCから緊急招集?」
自分が最初に決めたコンセプトの所為なのもあるし、単純に主人公に気を取られすぎてメインヒロインが空気過ぎて、話作りの才能がないのだろうなと……書いてるうちにモチベが下がってくる問題
あと数話で一応ちゃんとヒロインらしい事をする予定なんですかどね……いつ投稿になるのか