天(そら)別つ風   作:Ventisca

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前回、壮絶に死亡フラグを建てた二等大将(加賀さん提督)はやっぱり逝きます。
語彙についてですが、本来“薨去”とは王子や皇太子、皇后クラスの皇族辺りに使用する言葉ですが、今回このタイトルは主人公の中将提督の目線に立って、二等大将が主人公の中将提督にとってどれだけ高貴且つかけがえの無い存在だったかを表現するために使用しました。

少々読みにくい文章構成となっていないか心配です。


第陸章 虚無の薨去

 夜の帳は月の出る間もなく降りた。

『天津風』は、艦隊がどのような重任を背負って漆黒の海に出て行ったかもよく考えない

まま、その眠気に圧倒されていた。

そのまま艇に揺られて、寝床に着くのが望みだったが、そこは務めというものもあり一時

間ほど時間を食った。

日付が変わらないうちに全メンバー筆跡の報告書を手がけなければならず、全員が全員、

溜息と眠気を飛ばして書き上げた。

「あとは任せてください」と、『神通』が言って全てを受け持った。

神通も実質三日徹夜状態で、さすがに眠気が射し目を擦りながらペンを走らせている状態だ。

そこで『天津風』の記憶は途切れ現在に至る。

 司令部施設についた頃には、恐ろしいほどの眠気により目ははっきり開いていなかった

記憶がある。

自力でこの部屋に来たのかすら定かでなく、とりあえずシャワーを浴びることにした。

まともなシャワールームがある施設は久しく、温水が出れば洗剤もある。

部屋のドアの右側には、シャワールームの入り口があり、そこには真っ黒なボストンバッ

グと支給品であろう深緑の背嚢がちょこんと置いてある。

このバッグが自分のものであるのを確認すると、すぐさまシャワーを浴びた。

着ていた服は構わずそこ等辺に投げ捨てる。

二日ぶりのまともな入浴に、『天津風』は安心した。

海風に曝され続けた自慢の髪を、数分かけて洗いきると、よく泡を流してタオルで綺麗に

水滴を拭き取った。

部屋の一番奥の机の上にある鏡に、タオルを羽織った自分の姿が写る。

しばらくまともに自分の体を見ていなかったが、自分でも少し違和感を感じた。

やや褐色だった肌はさらに日に焼け、腕や足はより筋肉質になった気がしてならない。

細くスラリと伸びた足を維持したいのが心情で、このまま戦場に留まればより戦闘に特化

した体になるのではと、幾分か的外れな心配をした。

腰丈まである長い髪を早く乾かすためにタオルで頭を包み、いつもの黒いガーターベルト

に足を通した。

着慣れた茶色と白の丈の長い制服を着たが、これに陸上勤務用の藍地に金のラインが三本

入ったスカートが追加されている。

スカーフを結び、ニーソックスをきっちりと履くと、そのままベットに横になって部屋を

見回した。

広さは二十畳程の士官室で、赤いカーペットが敷かれていて壁は檜か何かの木材が使われ

ているらしく、室内は深い木材の香りが仄かにした。

まもなく時計に目が行き、午前七時をまわっているのを見て、急いで衣服をまとめ部屋を

出た。

そこで丁度『神通』と鉢合わせになった。

 「ちょうど良かった、今呼ぶところでした」

いつもの改造後のセーラーでなく、濃い朱色の改装前の制服に深芝色のリボンを後頭部に

結んでいる。

衣服の羽織が少ないため、胸の大きさが際立っていた。

大雑把に纏めた髪を気にするように『天津風』は彼女の真正面に立った。

 「朝から何か仕事でもあるの?」

 「いえ、提督がお呼びです。出来るだけ急いで行ってあげてくださいね」

少し疲れた様子で『神通』が言った。

まるで一人の保護者のようだと思ったが、『鳳翔』が居ない今頼れるのは彼女だけだと自

分で納得した。

慣れないスカートを揺らしながら、部屋の前の廊下を奥へと歩いた。

『神通』は仮眠を摂るらしく、副長室へ戻っていった、秘書艦専用の部屋で他の部屋とは

格が違う。

明るい調度品の室内灯により、司令部の内部にある部屋にもかかわらず外と変わらず明る

い。

藍色のカーペットが中央に引かれ、高さ1メートルの所までは板張り、そこから天井までは

白いモルタルが吹き付けられている。

外の見える窓の近くに来ると、窓からの風景を気にしつつそのまま長官室へ歩く。

外に見えるであろう街からは車などのエンジン音より、モーター関連の電動音が目立つ。

正面玄関側からの司令部敷地内には、数台の軍用車と一般者、高さがこの五階建ての司令

部と変わらないレーダータワーが立っている。

世界の情報が集まる都市に相応しい“うっとおしさ”だと思った。

廊下の行き止まりにつくとそこから下の階に下りる階段とそのまま将官室への廊下があり、

『天津風』は少し遠慮気味にその刺繍の施されているカーペットに足を踏み入れた。

行き止まりにはどう見ても雰囲気の違う両開きの扉が待ち構えていた。

丁寧に彫刻された扉は、濃い茶色で上塗りされていて、艶の無い重々しい雰囲気を醸し出

している。

金色のドアノブに手をかける前に、『天津風』は練習生時代に習ったとおり階級と名前を

言ってノックした。

 「特務大尉天津風、入ります」

中からは素っ気無く「どうぞ」という返事が返ってきた。

何の用で呼ばれたかは検討もつかなかったが、とりあえず提督の出方を見ることにする。

 「おいおい、なんでそんな不機嫌そうな顔をしてるんだ」

提督は第二種海軍軍装を大雑把に着こなし、大きく開け放った窓から吹く風に、海軍士官

としては長すぎるほどの髪を揺らしている。

いつもの様に少し頬を緩めて笑ったような表情をしているが、いつもと違うのはその一言

一言に込められた"重さ"だ。

いつもはそこ等辺に居る士官と変わらないようななりをしているが、場所が場所なのでい

つもとは比べ物にならない“威厳”というものを感じていた。

 「何故、私を呼ばれたのですか?」

一種の緊張を感じ、『天津風』は必用に敬語を用いた。

 「急に改まるような事じゃないんだ、ちょっと特別な事をしてもらうってだけで」

一瞬普通に聞き流したが、翌々考えてみると聞き捨てならない言葉が混じっていた。

提督の言う“特別な事”とは一体何なんだろうとふと深く考えたが、思考を巡らせるほど

に混乱し、一瞬妙な方向へ思考が奔り頬を赤らめた。

 「私に一体何をさせるつもりなのよ」

少し混乱気味に言い放った。

 「天津風にしてもらいたい仕事が二つある、どちらか好きな方を選んで欲しい。た

だし、どちらかは絶対にやること」

そう言って、提督は分厚い参考書のような本と中くらいの長方形の木箱を取り出した。

 「一つ目の仕事は我が艦隊のFAC要員になってほしい」

提督はごく自然にFACという単語を口にしたが、その単語はとても彼女等にとっては意義深

いものだ。

FACとは前線航空管制の事で、前線における航空支援を適切且つより精密に行うための特殊

要員で、高度な観測技術と状況判断能力、そして常に最前線に立ち続けなければならないと

言う事を意味している。

航空機の本格的な活躍に際して艦娘の統制する海軍もこれを採用しており、より効果的な

攻撃が望めるため、他国軍や陸軍よりも先に採用に至ったものだ。

提督が先程机に置いたものは、恐らく基本マニュアルと天測航法に用いる精密六文儀の箱

だと容易に察しがついた。

多くのFAC要員は戦線でその働きを認められて任命されると『神通』から聞かされていたの

で、『天津風』は嬉しい反面苦い心境だ。

 「で、もう一つは?」

次のもう一つの仕事に希望を託す思いで聞いた。

 「もう一つは、鳳翔さんが帰ってくるまでの臨時秘書艦(仮)だ」

 「ちょっとまってよ、鳳翔は今日帰ってくるはずじゃなかったの?」

秘書艦という仕事は、ある意味名誉な事のようなものだと自分では思っていたが、『鳳翔』

の秘書艦としての仕事を本土で見ていた『天津風』は、他の艦娘よりも深い関係にある役

職だと感じていた。

それは『加賀』の時もそうで、秘書艦の立ち位置は提督の次の位という観勒というべきも

のも感じた、本来駆逐艦の自分がやるべきではないとも思っていたが、それ以上に人間関

係上、秘書艦は提督の身の回りの世話を分担して行うものなので、車馬から見れば夫婦の

ような外見だ、良い例が『加賀』と二等大将のような感覚だった。

 「鳳翔さんは、搭乗機の都合で最悪五日は帰ってこない。いつまでも旗艦である神通に

世話になるわけにもいかんし」

FAC要員に選ばれた理由は簡単だ、自分が新型機関のテストベットで他艦よりも速いという

単純な理由だろう、だが秘書艦に関しては全くだ。

 「なんで私を秘書艦に選ぶの。そんな大事な役職、他にも適任な人が居るでしょう!?」

『天津風』は今まで陸で感じたどんな状況よりも、緊張と興奮を覚えた。

重要な役職に就けるのは願っても無い事だが、ここまで大きい役職だと流石に気が引ける、

しかも重要という以上に個人的に思い当たる節がいくつもある。

 「ただ単に直感的に選んだんだ、それに個人的に顔合わせが多い艦といったら君しかい

ないし」

自分を選んでくれたという有り難さもあったが、同時に迷惑な感覚でもある。

戦闘で苦い経験をした上に十分な休養が無いままに次の任務が付与されたのだからたまっ

たものではない、だが軍属としてどこも不思議なところはない。

 「さあ、どっちがいい?」

鬼畜とも取れるこの選択肢を、『天津風』は慎重に考えることが出来なくなっていた。

難解な役職と重要な役職、どちらも艦としては嬉しいが、一人の娘として考えると、どち

らも選びがたい、苦渋の決断とは正にこの事だと思った。

だがここで彼女らしいとも言える選択が思考を占拠する。

 「・・・だったら私は秘書艦を選ぶわ」

意外と言う顔で提督は返す言葉に迷った。

 「本当に秘書艦をやってくれるのか、FACよりも重任だぞ」

 「そうよ、より重い務めだからこそ選んだの。そんな重任、私にピッタリじゃない?」

らしいと言えばらしい言葉だが、想定以上だ、だがそれ以上に『天津風』の己のプライド

に対する意思が感じられた。

 「良いだろう。ならば特務大尉天津風、今をもって君を私の秘書艦に任命します」

 「こんな役、駆逐艦では私でなければ勤まらないわね」

提督は立ち上がり『天津風』の前まで僅かに歩み出た。

 「では、形ばかりではあるがよろしくたのむよ」

『天津風』は申し出された握手をいつもとはうって変わり、正面切って受けた。

 「最長五日間なんて張り合い無いわね」

どこか吹っ切れた様子で清々しく自信たっぷりな笑みを零した。

 「というわけで、少しの間頼りにしているよ」

勧奨たっぷりの笑顔でそっと『天津風』の頭に手を置いて優しく撫でた。

提督の、少し彼女との距離を縮めようとの試みだったが、何らかの抵抗かあると身構えて

いた。だが何も無い。

意外過ぎる提督の行動に、彼女はただ頬を赤くするだけだった。

ほんの一時だったが、誰ともわからぬ存在が、二人を慈愛で抱擁するような、そんな空気に満ち溢れた。

ーーー刹那、甘酸っぱいという名の喧騒はけたたましいサイレンの音と共に掻き消される。

 「空襲警報!?」

タイミングを狙ったような事態は、萎える暇さえ与えてくれない。

 「心配するな、ただの警報だ」

提督は机の横にある手回し電話を取った。

 「各高射砲塔は警戒態勢を執れ、無駄弾は撃つな」

 「“了解”」

警報は5回ほど繰り返すと鳴り止み、当たり一帯に不気味な静けさに包まれた。

南側の窓から射し込む日光が、室内に漂う埃に反射して室内を気だるく感じさせている。

『天津風』はこれほどの深い恐怖は初めてだ。

何も無いというのが最も恐ろしく、これから何が起こるかはっきり分かっているのに、そ

れがいつまでも起きないという歯痒さが余計に恐怖心を書き立てる。

提督は特に何をする訳でもなく、ただ窓の外を眺めているだけだった。

そのうち、対空砲が撃ち上がり始めた。

一発一発を大事に撃っているかのように発射レートは早くなく、一発撃つと1分程何も聞こ

えなくなる。

だが『天津風』は僅かに近づく対空砲の発砲音に気付いていた。

艦娘であるが故に、戦闘関係の身体能力は研ぎ澄まされている、そのため発砲音の僅かな

差で敵機が着実に接近している事が分かる。否、分かってしまう。

最初は、恐らく昨日いた要塞島で発砲しているであろう発砲音と区別できないほどの乾い

た音が響き、そのあとはっきりと区別の付く発砲音が聞こえた。

 「屋内は危険だ、屋上に出るぞ」

提督はイスに立掛けてあった軍刀を掴み、廊下に出た。

他の施設内の士官や関係者は慌しく動き、提督に敬礼をする暇すらない様子だった。

廊下を行き止まりまで歩くと、上の階に上がる階段の奥の扉を開けると狭く急な階段があ

る、上からは日光と風が吹き込んできている。

『天津風』は提督の後ろにピッタリと付いていき、5メートルほどの階段を上り切った。

屋上には手摺の類は一切無く、陸軍の37ミリ対空機銃が土嚢に囲まれて四つ角にあるだけ

だった。

中央には海軍の電探が設置され、即席の防空システムを形成している。

同じく屋上に居る者は二十人程いて、全員雲の目立つ空を見上げていた。

提督は三脚に設置されているコリメーターを覗き込み、当たり一帯を確認した。

本来の使い方ではないが、これで上空を確認して砲撃しているらしい。

真っ白な帯を引いて接近してくる敵機が、『天津風』にははっきりと見えた。

『天津風』は無言で空を指差し、迫り来る恐怖を全員に認識させた。

それと同時に機銃が一斉に旋回し銃口をほぼ真上へ向る。

他の対空砲台からも砲弾が上がり、上空5000メートル地点で炸裂させている。

現状では十二機を『天津風』は捕捉していたが、屋上の対空機銃は射程が足りないためま

だ発砲していなかった。

初めて出くわす深海棲艦艦載機を肉眼で捕らえようと『天津風』は必死に目を凝らしたが、

敵機は数個の小型爆弾をばら撒いて既に上空を通過していた。

レーダーではまだ捉えていたが、直線距離はすでに一万メートルを超え、無駄弾を打ち上

げる者は誰もいなかった。

爆弾は港に集中して着弾したが、散漫で精密性に欠ける爆撃だった。

多くは海上で炸裂し大きな水柱を立てるだけだったが、数発は郊外や森に着弾したらしく、

煙が上がっていた。

 「警戒態勢を維持しろ」

提督は屋上にいた陸軍士官へ指示し、そのまま階段へと小走りした。

 「どうしたの」

『天津風』も慌ててそのあとを追いかけた。

狭い階段を駆け下り、そのままもう一階下にある電算室へ向う。

 「こちらの戦力が掴まれていたにすれば今回の爆撃も妥当だろうがな」

そんなことがあってたまるか、と『天津風』は思ったがいずれにしても今回の突然の爆撃

は何所と無く疑問が残る。

 「こちらの動きがばれている事には躊躇しないのね」

少し息を切らし、階段を下り切ると直ぐに右に曲がって電算室に駆け込んだ。

室内は埃っぽく、窓はカーテンにより遮られて室内は薄暗いが、それもここにある電算装

置や通信、レーダー関連機器の為だ。

部屋の中には二人海軍士官が居たが、提督に気付き軽く敬礼するとすぐに廊下へと出て行

ってしまった。

 「爆撃されたという事実よりもその内容が気になる。艦隊を身動きできなくなる程の爆

撃はあの程度の数では到底望めない」

部屋の一番奥にある回転式対空レーダーのモニターに駆け寄り、その横の机の上において

あるメモ用紙を拾い上げた。

真っ白な紙に鉛筆で責任者の名前と「Enemy CBA 16,South」というメモが残されていた。

敵機は南方から接近し、北方へと抜けて行くコースを取った事が少なくとも分かった。

 「という事は我々を戦闘不能にする事ではなく“足止め”の類の目的があったんだろう」

提督は次に西側の壁に掛けてある縮尺五十万分の一の周辺の地図に目をやった。

『天津風』も提督の考えが少しづつ分かり始めていた。

南方から侵入するコースはどう考えても最善とはいいがたい、そもそもこの街は東方以外

全て山に囲まれ、攻撃目的なら間違いなく西方から侵入してくるのが良いというのは、容

易に分かる。

だが今回の場合、敵の目的が警戒による足止めならば、艦載機の被害を抑えるために攻撃

はし難いが、相手の対応が遅くなる南方からの侵入は納得のいく話だ。

 「これは予想通りであってほしくないな」

部屋の出入り口ドアの横にある内線電話を掛け、電算室へ人員を集めるように言った。

二分と待たずに五名のレーダー技士と同じく五名の通信管制員が駆け込んできた。

 「すぐに長距離短波レーダーを起動させて1000キロ以内の海域を捜索しろ」

ギールヴィンク湾の入り口にある島々に立てられた数百棟のレーダーアンテナが遠隔起動

された。

あわよくば『帛』島の大まかな様子も分かるが、それよりも提督は前線にいる二等大将が

短波レーダーのウッドベッカーノイズを捉えてこちらに通信して来る事を願った。

通信統制及び封鎖状態の現状で、こちらから一方的に呼びかけても応答するまでに敵にこ

こ(司令部)が補足されてしまう。

やがて真空管式演算装置(ダイオードコンピュータ)の起動音が響き、真っ黒で丸いスクリ

ーンに緑色の映像を映し出した。

次に半導体素子演算装置(トランジスタコンピュータ)が起動されて探知された物体の距離

や方位のXY軸を用いた計算が行われ、数字的にその物体の場所を経緯ではじき出す。

 「閣下、方位にして大凡『帛』島周辺に艦影らしきものが確認されます」

レーダー技士の一人が言った。

たしかに、ぼんやりではあるが何もないはずの海上に短波を遮る影がある。

 「大きさは」

 「まず小島などではありません、おそらく200メートル級の軍艦です」

現在この周辺海域にいるその規模の軍艦は『アジャンクール』を除いて居ないと言いえる、

だが、本来『帛』島に艦隊と共に寄港しているはずの戦艦がなぜ短波レーダーで島と識別

出来るほどの外洋にいるのか、何か寄港できない事情があるはずだ。

少しも待たずに、隣の机にあったモーター連動式タイプライターがキーを叩き出した。

軍では緊急時には平文での電送が許されている、今紙に打ち出されているのは平文だ

“敵機襲来、戦闘態勢ニ入レリ”

一先ずという様子で、まず自分達がどんな状況か教えてきた。

まったく奴らしい、と提督は思ったが冗談じゃないと言う心境だ。

 「無線封鎖を解除、今すぐ艦隊と連絡を取れ」

提督は有無を言わさず受話器を手に取り、回線を繋がせる。

 「天津風、今すぐ一航戦と交信しろ。彼女等が居ないと彼等に勝ち目はない」

上の階を指差し、執務室の広域帯周波数通信機を使うよう指示した。

肩書き上でも秘書となった『天津風』は、自由に執務室に出入りが出来る、むしろ彼女の

他に現状出入り自由な者はほぼいない。

冷静に了解と言って電算室を飛び出したが、自身何が起こっているのかイマイチ実感が沸

かない。

電文では交戦状態との判断は付くが、どれくらいの規模なのか、はたまた相手は深海棲艦

なのか、ではどの級(クラス)の敵に襲われたのだろうか、そもそもつい数日前までいた海

域になぜ航空戦力が居るのか、疑問は尽きない。

再び金色のドアノブに手を掛け、今度は遠慮することなくドアを開けた。

通信機は部屋の両サイドの本棚のどちらかにあると説明されたが、すぐにそれらしきもの

を見つけることは出来なかった。

入って左側の本棚前のサイドボードの上に、広げられたままの本と一緒にヘッドセット型

の通信機が置いてあった。

それは任務の時に身につけたものとは大違いで、航空管制用の大きくて無骨なノイズキャンセリ

ングマイクが備え付けられていた。

陸軍の背嚢型の通信機のような音声暗号化装置はついていない代わりに通常の二倍以上の

使用可能周波帯があり通信距離もかなりある、バッテリー内臓で少しばかり重いという欠

点以外完璧な装備だ。

本土での学習を鮮明に思い出し、通信機の電源を入れる。

頭に付けて周波数を合わせながら、執務室を出て再び電算室へ向う。

周波数が通信可能領域になると無音の状態から若干のノイズが混じった様になる、その状

態になるまで、ヘッドセットの耳当にあるダイアルを回し続けた。

 「南方司令部より、応答してください」

一瞬、何と呼び掛けようか悩んだが、やはり現在の場所を最初に据えた。

階段を降り切った所で音声らしき音が入ったため、立ち止まって慎重にダイアルを捻った。

 「“こちら一航戦加賀、無線封鎖中の筈ですが”」

航行中の波の音とノイズを背景に『加賀』の声が響いた。

 「き、緊急事態により提督が解除しました。現在の場所を教えてください」

澄み切る険しい声に若干緊張しながら、提督からの指示を守った。

 「“『帛』島から三十分南東へ巡航した位置にいます。何か?”」

電算室のドアの前で『天津風』は立ち止まった。

 「何故、島から離れているんですか・・・」

速度高速の分類に入る彼女等の巡航速度18ノットで、仮に三十分直進しているとするなら

ば少なくとも33キロ以上島から離れている事になる。

 「“無論、提督の指示です”」

そこまで聞いて、『天津風』は再び電算室に入り提督へと報告する。

 「提督、現在一航戦は島から巡航速度で三十分南方へ移動した位置にいます」

 「何故そんなところにいるんだ」

声を少し荒らげ、提督は困惑の色を示した。

 「彼女等の提督の指示だと・・・」

『天津風』は通信機を差し出し、提督が通話を変わった。

 「島に反転、艦隊を援護しろ。じゃないと彼等は海の藻屑だ」

 「駄目です」

『加賀』は即答した。

 「“そうだ、駄目だ”」

回線を割って、彼女等の提督の声がヘッドセットを震わせた。

間違いなく艦載の広域帯通信機特有の鈍いノイズが混じり、音には発砲音と跳弾の音が混

っていた。

 「何故だ!今助けに行かせないと貴様は死ぬぞ!」

距離にして33キロ、一航戦の最高速度30ノットを出せば十五分以内に戻れる、しかも彼女

達なら確実に勝てると提督も『天津風』は思っている。

 「“駄目だ。一航戦を、加賀達をここに呼ぶ訳にはいかん”」

この言葉で、提督は一つの予想が立った、一つは自らの実力で突破できる、もう一つは一

航戦の力をもってしても勝てない。

提督は後者を有力だと瞬時に考えた。

 「相手は、敵は。敵は誰だ!?」

二等大将は暢気にも溜息を搗き、若干の間を取った。

 「“ざっと見、敵機数は正規空母ヲ級の二十隻分って所だな”」

提督は耳を疑わざるを得なかった、空母二十隻相当、艦載機約千六百機だと?

馬鹿な、有得ない。

そんな戦力が何所に隠れていたのか知らないが、そんな規模の艦隊など前代未聞だ。

だが、恐らく二等大将も心当たりがあるのだろう。

空母二十隻“程度”なら、一航戦の艦上戦闘機をもってすれば相打ち程度には出来る、だ

がそれすら現装備では敵わない敵がそこにいると確信している。

 「彼女か」

冷静に、そして絶望を持ってそう言い放つ。

 「“深海棲艦機動部隊旗艦、識別符号無、空母棲鬼。間違いない、彼女だ”」

最強の敵航空母艦型深海棲艦、圧倒的艦載機と耐久力、そして並外れた攻撃力、その上存

在が確認されたのはここ十年以内で、遭遇したり戦闘海域に現れることもない為に、その

実態は不鮮明故に脅威、機動部隊旗艦に相応しい艦だ。

だが、彼女が何故、目と鼻の先の『帛』島近海に居る?しかも最前線に?

 「何故そんな所に『彩』諸島の艦隊が居る」

状況が全く掴めない、そんな大層な敵がなぜそこに居るのか、その他疑問が後を絶たない。

それに、何より怪しいのがそれ程の艦載機に襲われて、旧式の艦隊が二十分と耐えられる

訳がない、間違いなく裏がある。

 「“敵さん、遠慮してるようだな。こっちはまだ艦隊半壊ってとこだ”」

気兼ねなく普通に言い放ったが、遠慮しているという言葉とは裏腹に、艦隊半壊、つまり

既に二十隻ほどが撃沈しているという事である。

 「あなたの言いたい事は分かった、とにかくどうにかしないと、逃げるなり何なりしろ」

提督は会話をしながら、常に指で示して命令していた。

余剰の戦闘機はないか、近海に戦闘可能な航空母艦系の艦娘が居ないか、彼方此方に無線

技士に調べさせていたが、そんな都合が良いわけにはいかない。

 「“この鈍足(アジャンクール)が逃げられる訳がない。だが島への物資投入には成功し

ている、任務は完了した。片道切符だったがな・・・”」

 「いつもの自信はどうした、そんな所で死ぬ気はなかろう」

そうだな、と言いたげな息遣いが無線を通して伝わってきた。

得体の知れん者に殺されるなど真っ平だ、しかもそれ等は軍艦よりも小さい。

だが人類はその最低クラスの駆逐艦にすら歯が立たない。

たちの悪い事に、敵の艦載機は大きさは大きくても通常の航空機の四分の一以下の大きさ、

しかも航空機戦力の全くない状況で戦うなど正気の沙汰じゃない。

それでもなお、艦隊が生き残っている理由は、やはり幾つか選択肢が上がったが、何れも

一つを除いて頭の中から一蹴された。

 「そこでいつまで踊り続けている?」

皮肉と、逃走への強要の意図をこの言葉に込める。

 「“敵の策が分かっている以上、此処で囮を続けるしかなかろう”」

そしてその意図は果たして真っ沙羅に否定されてしまった。

敵は彼女達が彼等を救いにくるのを待っている、その為に空母棲鬼率いる機動部隊は手加

減をして彼等が沈まないようにしている。

だが、敵がいつ見切りを付けて一掃されるか分からない。

提督は現状の厳しさよりも、敵の戦略が高度な水準に達している事に驚いていた、といっ

てもそれなりに頭の切れる奴なら分かる程度だが、それにすら、今我々は翻弄されている。

そして提督は一時その罠に嵌っていた。

声を出して悪態を搗きたいほどだが、今は現状打開の策を、全力で頭を使って考え出そう

としている。

 「“もういい、口説いぞ”」

聞く耳を持ちたくない言葉だった、現状策が無いのがそれをさらに鋭く突きつけた。

 「こんなにも、呆気なく、死んでしまうのか」

『天津風』はその場に立ち尽くして、呆然としている。

漠然と、人がこの時死に面している、実感も無く不可視な場所で、一つの命が尽きるのをた

だ聞いている事しか出来ない無力さは、提督のほうが悔しくて仕方がないだろうと思った。

 「加賀、これでいいのか。彼の決断は間違ってないのか。私は何も出来ないのか?」

一瞬の間を置いて、『加賀』は判然と言い切る。

 「“正誤以前。それが、提督の命令(望み)なら、私に躊躇の余地はありません”」

らしい答えだが、その声には本人の意思より、彼女が思っている自分らしい自分を演じてい

るようにも聞こえた。

電算室は再び作動音のみに占拠された、五名は以前として機器を操り、現状をより詳細に把

握、分析しようと懸命である。

提督は軽い溜息を搗き、前のめりになって三式細棒式換字盤が置いてある鉄製の冷たい机に

手を置いた、通信の音にはより激しく爆音と跳弾の音が木霊して、可聴域を超えてノイズと

して出力されている。

 「もう私に出来る事は、貴方の遺言を聞く事ぐらいしかないようだ」

 「“貴様の世話になんぞならなくても、遺書くらいはあるぞ”」

無愛想に突っ撥ねられたが、笑っているような口調で二等大将は続けた。

 「だが、生憎、貴様へ向ける言葉など無い。もう全て、訓練で教えたはずだ」

硬く閉じていた口元が緩み、少し頬を上向けた。

だが、この言葉こそ何よりの別れの詞に聞こえてならない。

 「“それ以前に、貴様にはやりたいことがあるはずだ。そんな是非善悪はっきりした物が

あるなら、俺なんか一人居なくなってもお前には影響は無い”」

彼だからこそ言える台詞、やりたいこと、すなわち提督自信の夢、平和な世界などそんなく

だらないものではない。

それは彼にしか明かしていない野望とも言うべき構想、そのために本来居心地の最悪な士官

学校に残り、若年を物ともせず上層部に首を突っ込んできた。

 「無論、そのつもりだ」

 「“ならば個人の死など厭うな、貴様は勝手に進むがいい。所詮俺はこの程度の運だった

のさ”」

死ぬ間際の人間は、こんなにも清々しく物を言うのかと『天津風』は思った、冷酷にも興味

が先んじ、観察とも言うべき行動を採っていた。

それも、この実感の無い“他人の死”というものの所為なのだと彼女は結論付ける。

それがかえって、この無機質な感情を抱かせ、こんなにも寂寥な心地にさせるのだと感じた。

そして、こんなにも自分が縹渺な正確なのかとも思った。

同じように、提督も、自分が師と仰いだ指揮官がこんなにも運尽き果て潔いかと思うと、自

分もやがてこうなるのかとやたら不安にさせられる。

実感がわかない死が、彼に刻々と迫っている事は分かっているつもりだった、ただ、もしか

したら事が終わったらひょっこり帰ってきそうで、実感というより認識し難かった。

 「私に出来るか知らないが、貴方の期待にこたえられるよう努力することは約束する。だ

が自分がそれを遂行するに相応しい、価値ある人間なのかは計りかねる」

今まで抱えていた個人的な不安を全て盛り込んだような言葉を、最後に添えた。

 「“妙な駄々を捏ねるな、否が応でも貴様の価値は証明される、だがその時には躊躇する

な、己のやりたいようにすればいい、そうすれば後からついて来るものがあるだろ”」

そしてようやくその時がやってくる。

金属の軋む音と、航空機の風を切り裂く飛翔音がはっきりとスピーカーから出力されていた。

 「お迎えが来たようだな」

弔鐘の鐘の如く、爆音は激烈を極める。

戦闘開始より三十分以上は経過している、艦隊の乗組員もよくここまで戦闘を継続できたも

のだと感服の念を禁じえない。

ガラスの砕ける音と、背後で死を迎える士官の断末魔を、静かに冷酷に提督は聴いていた、

もはや彼にかける励ましの言葉など必要なくなったからだ。

 「これで、ようやくこの軍の頭(元帥)になれるわけだ」

 「“とんだ昇進祝いだ、海底(みなぞこ)への招待券など”」

相変わらず、冗談のセンスだけは良いとはお世辞にもいえない、今回は不謹慎極まりない冗

談だ、遺言にするにはみすぼらし過ぎる。

 「“申し訳ありません、本来は私が共に居るべきなのに”」

『加賀』は今までに無い程感情的に、無念の意を示した、忠実に命令に従う秘書艦だが、彼

の伴侶たるべき彼女としては痛惜であろう。

 「“君を失う事こそ、自らの死より恐ろしい。なればこそ、斎め、その命令に反するな。

もはやこれ以上言うことはあるまい”」

沈黙をもって、『加賀』はこの最期の命令に後塵を拝した。

 「立派な遺言があったじゃないか、これは彼女も惚れる訳だ。これで安心して逝けるな」

咳払いのような笑い声が聞こえた、まだ艦は水上に浮かんでいるようだ、だがもう時間切れ

だろう。

 「“そうだな、そろそろ御暇しないと。先を越された部下を追わんと、置いていかれてし

まう”」

提督は拳を強く握り締め、自分の非力さを何所かで呪い、静かにその運命を受け入れる者を

見送る腹構えをつけた。

 「いずれ、また」

 「“逝くのは私だけで十分だ、この腐った理想が支配する世界と戦死者之館を別つ、風戦

ぐこの空の向こうへはな・・・・・・・・・・・・”」

素っ気無く無線は途切れ、やがて刻薄に、彼に最期の鐘が告げられる。




今回のメインテーマは『実感のない死』にしたので、あえて無線で、しかもリアルタイムでという設定にしました。
また、深海棲艦が人類の艦艇を凌駕する力をもっているというこの小説限定?の設定についても、深海棲艦の生い立ちを今後達筆するつもりですので、その都度ご理解していただければ幸いです。

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