天(そら)別つ風   作:Ventisca

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登場人物は艦娘以外匿名という設定にしましたが、想像以上にカオスになってしまいました。
出来る限り区別はしたつもりです。
内容に関しても、少しづつ複雑にしていきますので、そこらへん訳が分からなくなったらご指摘よろしくです。


第伍章 寄り添う剣

 

 空はすっかり夜の暗さを捨て、真っ青な群青の空へと姿を変えた。

作戦海域離脱後、一時間ほど南西へ巡航速度で航行している。

『天津風』は水上航行体勢からの上陸の仕方を『神通』から教わっていた。

本土での訓練では、わざわざ完全停止してから桟橋やらに上がっていたが、戦線ではいざという時にそんな悠長なことをしている暇は無い。

『神通』は簡単な要点だけを『天津風』に教えた。

桟橋の側面にあるスキージャンプ型の上陸場所があるので、そこに速度を落さずに進入する。

海面の境目では一度ジャンプし、

最後に左右どちらかの手摺を軸にまわり、横に避けて後続の者の邪魔にならないようにする。

などの、主に三つの要点が上げられた。

仕組みとしては空母への着艦に似ているとの事だったが、皆目『天津風』には見等がつかない。

最後に『神通』は、慣れが大事だと言って心配には値しないという事を促した。

やがて三十分航行した後、『神通』に一般回線から通信が入った。

 「“すまないが、そこから直接ギールヴィンクに向ってくれ。お呼びがかかた”」

 「了解しました」

『神通』は二つ返事で返答した。

 「全員、航路00(マルマル)から23(フタサン)に変更」

司令部に戻る航路とは九十度違う方向への航路変更にも関わらず、難色を示したのは『天津風』だけだった。

 「なんで司令部に戻らないの?」

『天津風』は陣列を離れ、先頭を航行する『神通』のもとへ来て言った。

 「提督からのご命令です。さあ、陣列に戻りなさい」

納得いかない様子で、『天津風』は陣列へ戻った。

『天津風』としては、早く司令部に戻ってゆっくり休みたいという心境だった。

もっとも、海上にいるのがあまりいい気分はしないため、一刻も早く陸に上がりたいとい

う気持が先にたった結果である。

 艦隊は針路を変更し南方司令部のあるギールヴィンク湾に向った。

追いの司令で、ギールヴィンク湾入り口を塞いでいる一番南東の要塞島で待機との事であった。

大小さまざまな要塞島がギールヴィンク湾を塞ぐ形で点在しているが、要塞といっても簡素なもので、コンクリートのトーチカなどはあるが、大した建築物もなく砲台には旧世代の大砲が数十並んでいるだけのものだ。

そこまでは数時間かかり、日はもう高く上っているだろうという時刻に到着するだろう。

 しばらく進むとやがて『新』島が見えてきた。

視界の半分を島の熱帯雨林が占め、視界は一気に狭くなり、その分警戒する必要のある

方位も半分になった。

進撃中と同じく複縦陣を展開し、速力30ノットで『新』島沿岸3キロから5キロを航行する。

日が昇ると必然的に赤道直下の蒸暑さが彼女等を襲う。

速力を出しているからしばらくは気にならなかったが、日が高く上るにつれて着実に気温

は上がっていった。

 やがて一時間かけてようやくギールヴィンク湾の南の入り口にたどり着く。

入り口と言っても幅は数十キロあり、入り口の端から端までは霞んで見える程度だ。

入り口に陣取る湾で最も大きな島は、通称“帆船島”と呼ばれている。

由来は見たそのままで、コンクリートで要塞化した海岸と高い木々の生い茂る島の内陸との比率が帆船に見えるからだ、もっともこの島はそんなに小さくはない。

 『神通』は無線通信ではなく、モールス信号で提督宛の暗号を打った。

島まで数キロというところでやっと返信が返ってくる。平文だったので間違いない。

全周波数共通発信だったので、提督のもとへ連絡が行き届くまでに十分ほど時間を要したが、

すぐに迎えの十米内火艇が駆けてきた。

提督自身の操舵で内火艇は動かされていた、扱いとしては下士官が普通操舵するものだが、

関係者以外との接触を避けるべくして、例によって提督が自ら行っている。

『神通』は艦隊を単縦陣に変更し、並走しようとしている内火艇に歩調を合わせる。

速力10ノットちょっとで、提督の乗る内火艇と綺麗に速度が同調した。

 「みんな、お疲れ様」

提督は操舵室からひょっこり顔だけだして叫んだ。

 「皆無事です。それより私たちは何所へ行けば?」

『神通』は内火艇の掻き分ける波に呑まれないように極力接近した。

 「五分行った所に要塞入り口に近い海岸がある、悪いがそこから上陸してくれ。俺は先に上陸して待つ」

 「了解しました」

双方軽く敬礼をして、内火艇は戦列に干渉しないようにゆっくりと速度を落してから左右違う方向へ向った。

ややどす黒い浅瀬特有の色になると、全員自然と速力を一桁まで落した。

物を投げれば届きそうなほど海岸は迫っている。

そしてさらに進むと、海まで続くトーチカと熱帯雨林の合間に真っ沙羅な砂浜を見つけた。

徐々に速度を落し、水面から海底が見えるほどになると、全員ほぼ真横に並んで自分達で上陸しようとしていた。

因みに、砂浜への上陸経験は『神通』以外は無いに等しい状況だ。

海底まで1メートルを切ると、『神通』は完全に停止し、航行用の発動機を止めて足を海底につけて地道に上陸した、これが彼女の知る最も無難な方法であった。

全員覚束無い様子で何とか地に足をつけた。

『天津風』はようやく全ての不安材料を拭い切った、しかし今度はずっしりと肩に掛かる装備の重さに悩まされる事になる。

ここは湾の内側に面していて、おそらくここしかまともな砂浜はないと思われた。

辺りは昼だというのに薄暗く、熱帯雨林の中からは涼しく湿った空気が流れてくる。

提督は、海岸のトーチカの上にある手摺すらない道をやや小走りでやってきた。

所々に砲身が天井まで飛び出しているのを飛び越え、革靴で古いコンクリートを叩く音が響く。

 「入り口はちょいと分かりにくくてね、ついてきてくれ」

革靴が汚れないように砂浜には下りず、そのままトーチカを伝って奥の道に出て来た。

 視界につくものは全て木々、シダ、蔓類の植物ばかりで、所によって地面はぬかるんでいる。

道は辛うじて残った獣道のような物しか残っておらず、うっかり道を外れてしまいそうだ。

一列に並んだメンバーは、さながら行軍する兵士のようだ。

そして、海が見えなくならないうちに、要塞の入り口らしきものの前まで来た。

木々でよく見えないが、この入り口はどうやらフラックタワーのもので、高い木に建物の

全容は下から窺い知る事はできない。

入り口の鋼鐵製のドアは開け放たれ、通常の木製ドアはこの湿気のせいで朽ち果てている。

入り口から数メートルまで森林の植物のツタと思われる植物が侵入し、俄かにコンクリートの壁を緑に染めている。

四角いフラックタワーの内側は、10メートル程通路を歩くと、中央の天井まで吹き抜けの広場に出た。

建物の形のまま広場は四角く、40メートル四方の広いスペースが確保されている。

 「それぞれ武装解除してゆっくりしてくれ、それから今日ここに呼んだ理由を話そう」

提督はそう言い残し、来た方向真逆の通路へ入っていった。

『天津風』は訓練通り、まず薬室に実包が装填されていないのを確認すると、肩から提げていた砲を降ろし弾薬を抜いた、そして『時津風』に手伝ってもらい、同じく魚雷の信管を解除し武装をすべて下ろした。

辺りはコンクリート製建築物特有の静寂と不気味さに包まれ、開け放たれた天井から伝ってくる水滴の落ちる音だけが、高さ30メートルの内壁を反響していた。

会話は勿論無く、ただ武装を扱う金属音が静寂に鳴る。

疲労は不思議と感じられず、何故か爽快感だけが感覚を支配する。

『天津風』は「これが勝利の余韻」と噛締めていたが、手の振るえはそのままだ。

頭の中を渦巻く恐怖から思考を逸らすべく、辺りに視線を向ける。

見当たるのは、対空砲などの砲弾が入った木箱と、まともな整備をされていないであろう

旧式の対空機銃が三脚の上に載せられ壁沿いにずらっと並べられている。

天井を見上げれば、四つ角に直径5メートルほどの円が形成されていて、そこに大口径の対空砲が設置されているのが分かった。

通常天井が開け放たれている、この建物はむしろ天井が撤去されているのだが、恐らく長らく使われているため強度保持のために撤去されたのだろう。

空は少しずつ曇り、この建物を一層古く見せるかのように天空の灰色を落している。

しばらくすると、提督は真っ白な第二種軍装から耐暑用の略装に着替えてきた。

しかし、コンクリートの床を鳴らす靴は二つある。

後ろに続くのは、この要塞の持ち主であるあの『加賀』の提督だった。

彼は第二種軍装はそのままに、前を広げ腕を捲り、腰には以前には着けていなかった自分の軍刀を下げている。

 「初任務お疲れ、諸君」

軍刀に自然と手を置き、まずその皺枯れた低い声で労う。

自分達の提督よりもずっとベテランに見えた、もちろんそうだが何より経験の深さがその肌に刻まれている。

歴戦の勇士と言わんばかりの観勒は、自分の提督は持ち合わせていないと『天津風』は思った。

「中将、駆逐艦天津風はどこか」

『天津風』は自分の名前が挙げられ少し驚いた。

提督は無言で横に立ち、手で「あちらに」と示した、襟章から察するにどうやら『加賀』

の提督は昇進して“二等”大将になっている。

それを自慢するかのように存分にその階級差を際立たせているが、二人とも半分戯れのよ

うな感覚で互いに接している。

 「天津風、少しこちらに来なさい」

『天津風』はかなり緊張した様子でメンバーのいるところから数メートル歩き、彼の元へ

行った。

 「はい、なんでしょう」

思わず『天津風』も敬語になり、普段見せない改まった口調になる。

 「そんなに緊張することはない、私は君を説教しにきたんじゃないしな」

初老の大将が見せる淑やかな笑顔は自然と『天津風』の緊張した体を解した。

 「特務大佐天津風、君にこれを手渡そう」

上着のポケットから取り出された黒い小さな木箱には、丁寧に布で包まれた勲章が入って

いた。

 「これが君の初めての戦果勲章だ、受け取ってくれ」

鉄で作られたあまり派手とはいえない勲章だが、この『初勝利』の勲章を目に『天津風』

は満面の笑みを零した。

 「ありがとう、いただきます!」

その表情に、二人の将官は満足げに顔を見合わせた。

なんとも質素な受賞式だが、提督としては少しでも上の階級の人から渡して欲しいと言う心境だったので、この際昇進した旧友を通して渡してもらったのだ。

だが、これはここに呼んだ理由ではない。

 「悪いが早速本題に入らせてもらう」

二等大将はまず脇に抱えた作戦要項詳細綴を二~三枚捲り、次作戦の項目に目を落す。

 「今回の作戦においての損害は皆無と言っていい。主に作戦を主導した二水戦には脱帽

する次第だ。新編成においての安定した戦闘は見事と言うほか無い」

自分達が褒められているとうより『天津風』は自分が褒められていると思った。

なにせ新編成で加わったのは自分の所属する第十六駆逐隊だったからだ、二水戦に加わっ

たという要因も大きい。

 「そこで次回作戦の実施日を繰り上げ、今月末に実施する事とする」

そこまで言うと、次のページへ進み、それと同時に小さな作戦展開海域の海図を取り出した。

 「次回『彩』諸島攻略作戦は3つ司令部合同の作戦で、航路は今回敵制海権に穴を開けた『帛』島付近から北東ルートを取る」

『彩』諸島は本土と『新』島本島との中間に位置する島嶼で、ここを攻略すれば『彩』諸島から西の海域はほぼ人の力が及ぶ所になる。

だがそんな事は『天津風』や二水戦には重要ではない、必要な情報は敵の戦力や作戦海域までの距離などの事で、その後の事は文字通りその後にしか考えない。

 「味方戦力は我が極南乙方面艦隊と極南丙方面艦隊、そして南方艦隊。敵戦力は恐らく空母機動部隊で、具体的な戦力は空母二十隻無いし十隻以上、戦艦も所属しているはずだ、しかし現状正規空母と軽空母の識別はついていない」

このタイミングで『神通』が質問を投げかけようとした、だが質問の内容を察し、二等大将は中将に詳細説明をするよう顎で杓した。

 「敵機動部隊の戦力予想はその制空権確保能力からで、現在航空機による偵察は行われていない。従って今回の作戦展開は二段階に分けられる」

『神通』はいつものように敵戦力について聞こうとしたが、その必要は無いと悟り、それ故に詳細が分からないという歯痒さが残る。

作戦内容から察するに、『神通』は今回の作戦での敵戦力はかなり本格的なものであると考えたためだった。

 「まず初段作戦では『帛』島に艦隊の拠点を移し、本土の南方艦隊とで『彩』諸島周辺を強行空襲と偵察を行う。ここに要する時間は三日間以内に収める。そして二段作戦は、我々の機動部隊と南方艦隊の水上打撃部隊で諸島の制海権と制空権を支柱に収める、ここまでで五日間。詳細に関しては偵察の情報から随時決定することになる」

ここまで聞いて『天津風』は気が気ではなかった。

準備も含めて最大一週間の本格的な連合艦隊による作戦展開に参加することを、たった今

知らされ、今月末と余裕を持ったような言い方だったが、来週には今月が終わる。

 「本土での作戦草案は既に通っている。あとは我々が移動したらすぐにでも作戦が展開

できるというわけだ」

二等大将は説明を終え、場を中将に空け渡す。

 「スケジュール的に少し詰ったところはあるが、責任者は私達だ、内容変更にしてもいつでも修整できる」

真っ先に修整を欲する声を上げたかったのは『天津風』だが、保守的に他者が意見を言うのを待った。

だが、だれも声を上げなかった。

この時点で誰もがここに呼ばれた理由、こんなに急がなければならない理由に答えが出ていた、なのでだれも疑問はなかった。

 「よし、なら決まりだな」

満足げに二人の提督は笑みを浮かべる。

今回の作戦の勝利で良い意味で弾みがついたらしく、作戦展開は今後もこのまま加速するものに思われた。

 「ちょっと待ちなさい、そんなとこまでどうやって行くの」

せめてもの意見として、その移動距離の過酷さを上げた、距離に関して言えば、今回の作

戦のおよそ二倍ある。

 「それなら問題ない」

そのセリフを聞き、後ろにいた二等大将は自慢気な笑みを浮かべた。

二人はすぐに今後の意見を交換し、階級の差を超え、旧友同士の関係に戻った。

 「では、私の艦(フネ)を紹介しよう」

そう言うと、彼は立ち去った。

 「今回はちゃんと“迎え”があるんだ」

提督は『天津風』を宥め、全員に移動することを伝えた。

装備や荷物を出入り口そばの小さなコンテナへ移し、提督は全員を引き連れて地下へ向っ

た。

 入ってきた入り口とは大違いで、レンガなどで造られてその上から丁寧にモルタルが上

塗りされた白い壁と天井の階段が地下まで続いている。

灯りは天井から送電線で繋がれた低ワット数の電球だけで、通路を仄かに橙色に染めている。

階段を降りていくほど段々と涼しくなり、数十段の階段を降り切った頃には少し肌寒いほどにもなった。

通路を数メートル進むと、やがて壁はレンガがむき出しになり、かなりの年代を感じられるものとなる。

アーチ上に区切られた壁の中心に鉄の扉が重々しく空間を区切り、真っ暗な事もあって、

扉の中に得体の知れないものがいるのではないかという想像力を掻き立たせる。

最後尾を行く『天津風』は通路左右の扉からできるだけ距離を取るかのように、通路の中心を歩いた。

少しずつ通路は旧式化し、最後には壁すらなく、坑道のような木の支柱のみとなった。

計50メートル歩いた所で急に通路は綺麗なコンクリート打ちっ放しの明るい通路になり、地上への階段が見えた。

上はすぐに屋外らしく、日光が地下まで届いている。

淡々と足音を響かせ、提督と二水戦は地下通路を出た。

出口の両脇には、高さ2メートルの低めの天井のトーチカがあり、銃眼からは細長い長口径の砲が覗いている。

目の前はすぐそこが海岸で、コンクリートとレンガの桟橋が乱立している。

そして二等大将はその桟橋の入り口にいた。

 「これが私の艦(フネ)だ」

やってきたメンバーに自慢気に手で示した。

その手の先には、全長200メートルはある巨艦がその物々しい姿を海水に臥せていた。

『天津風』は始めてみる200メートル級の軍艦を目の前に、一見動じないような素振りだ

が、内心あまりの大きさにその場に立ち尽くした心地だ。

 「全長204メートル、排水量27500トン。我が鎮守府の所有する唯一の戦艦、『アジャン

クール』だ」

二等大将はそう言うと一番大きな埠頭へ向って皆を案内し始めた。

『天津風』は、自らの提督と共に一番後ろに続く。

 「ここらでは最後の稼動可能な戦艦で、主砲の数なら誰にも負けない。ただ、ちっとばかし旧式で

しかも某国の御下がりで、多少ガタは来ているが戦闘には全く支障は無い」

少しずつ近づいてくる巨大な鋼鉄の塊は、よく手入れされているが、かなりの部分が錆び、

艦上建造物は改修はしてるが、かなり老朽化している。何れにせよ現状にはあまり必要な

いものだ。

 「これが迎えなの?」

『天津風』の台詞には不満が滲み出ていた。

乗る艦種が変わったとはいえ、何れにしても海上を移動するという行為自体に不満がある。

 「もう一度あの輸送艦に乗るか?」

 「悪い冗談はやめて」

嫌悪感溢れる顔で言い放った。

この巨艦をもってしても、深海棲艦には全く無力、と言うより戦う土俵が違うレベルだ。

乗艦用ラッタルは何れも下ろされ、太い舫が何本も垂れ下がっている。

仰ぐような高さのメインマストには、改装時に無理矢理搭載したような具合のレーダーが

空の灰色と同化しかかっている。

魚雷搬入用であろう高さ5メートルのクレーンが次々と物資や装備が入っているであろう

コンテナを甲板にあるはずの搬入用口に運び込まれている。

 「君等は今夜にも出港する事になる。装備はすでに積み込み中だ」

二等大将は、軍帽を被り艦長へと役職を移した。

 「その他身の回りのものは全て揃っているはずだ。そこら辺は自分で確認してくれ」

遠まわしに乗艦を許可し、一番艦首側のラッタルから甲板に上がっていった。

積載量はまだ軽いらしく、喫水は浅いためにラッタルの高さはかなりのものになっている。

 「彼の言ったとおり、身の回りのものは自分で確認してくれ。部屋は客船ほどはないが

ちゃんとした士官室で過ごせるようにはなっている」

相変わらず『天津風』は不満そうな顔をしている。

提督にはぼんやりと察しがついた、確かにこんなオンボロに乗せられるくらいなら足の速

い航空機を選ぶ、しかし現状これだけの人数と装備を安全に運べる艦船はこの『アジャン

クール』だけだ。

 「今回は大丈夫だ、簡単に沈むような艦じゃないし、前回よりも海域は安全な“はず”

だからな」

提督が自信満々に言ったが、裏を返せば本土からの航路がどれだけ危険だったかを物語っ

ている、『天津風』としては敵とは大海のほうが接触しないと決め付けた。

 「それが本当なら構わないわ」

『天津風』は溜息を搗いた。

 「そうと決まったら飯だ、昼が近いしな」

 昼食といっても、食べる事ができるのは常用食ではない。

先日、自分達の司令部で食べたあのような食事が出れば良いほうで、悪ければ乾パンとジ

ャムと珈琲くらいだろう。

だが、今日は運良く『アジャンクール』所属艦隊の酒保が開かれていて、缶詰のシチュー

などの輸入品が振舞われた。

屋外敷設の酒保は、この埠頭から見える一階建てのレンガ倉庫前で行われている。

近くには司令塔であろう鉄骨組みの塔があり、一階と最上階以外は骨組みだけだ。

それら建物の後ろ半分は森林に飲み込まれ、表までも壁を這って植物が伸びてきていた。

提督は「少し待っててくれ」と言い残し、彼女等を戦艦の日陰に待たせた。

本当ならば全員で行く所だが、流石に一個艦隊が駐留するだけあって、水兵の数は数百人

はくだらない、そんな中に彼女等を放り込むわけにはいかないと思った訳だ。

提督なりに気を利かせているのだろうが、『天津風』を始め彼女等は申し訳なく且つ少し

惨めな心境になった。

普通は自分の部下にでも行かせるだろうが、事情は言わずもがなである。

しかし『天津風』としては退屈するより自分も一緒に行きたいという気持が先立った。

影や日光は塞いでいるが、そのあまりにも巨大な艦体によって、吹くはずの風は全く感じ

られない。

中に何も入っていない木箱を椅子代わりに座り、皆疲れを取っている。

と言っても大して疲れた様子は無く、同じ隊同士仲良くやっているという雰囲気を出している。

幅10メートルの埠頭には、この艦隊の規模にもかかわらず人影はない、そのため異様な感覚が残る。

100メートル先には護衛の駆逐艦が係留されているが、同じく人影は無く、戦艦よりも錆が目立ち、半分朽ちたようなものだった。

今までもそうで、海上関係の技術はあまりに幼稚な段階で足踏みをしている印象で、本土や司令部のような技術発展とは、あまりに対称的である。

『天津風』は今自分達が文明の端にいるのではないかという錯覚に陥った。

海上に広がる霞むほど眩い闇と、内陸へ退いた人類のか細い光が、この十六年間どれだけ人類が海から目を逸らしてきたかがよく分かる瞬間だった。

そして同時に、我々が今こうして当たり前のようにいる此処こそが最前線であると言う事を思い知らされた。

自分が今までこの戦場で安息を求めていたのがどれだけ愚考だったかが身に沁みる思いだ。

だが、少なくともここは安心できる所であるということは確かだ。

その事に関しては、もうこれ以上一人で考える必要はない。

大きな溜息が、そこで思考を区切った。

 「どうしたの?」

覗き込むように『時津風』が『天津風』の下から見上げた。『天津風』はずっと立ったまま考えていた。

 「何でもないわ、少し疲れただけよ」

 「違うでしょ」

あっさりと『時津風』は見抜いた。

 「まぁ、流石に姉妹には隠し事は無理ね・・・」

そこまで言うと、提督がこちらに来ているのを見つけて言葉を伏せた。

『天津風』としては都合のよいタイミングの帰還だ。

 「すまない、またせた」

提督は人数分の食糧を、風呂敷の様な布に包んで背負ってきた。

缶詰は全部で三種類あり、鯨の角煮と海軍製の赤飯、そして外製ストロガノフ風シチュー

で、全部で二十個が適当に突っ込んであった。

 「飲み物はすまないが水しかない。あとは好きなのを取ってくれ」

容量はそれぞれ四百瓦(グラム)だが、先日早めの食事のせいでこれだけでは足りないよう

に感じた。

『天津風』は我先にと一番数の少ないシチューの缶詰を取り、提督は最後に残った赤飯を

取った。

その後提督は艦上から十合の大き目の水筒を担いできて、集団の中央に鉄製の器と一緒に

置く。

『神通』が缶切りを回し、全員が箸を持つと各々で食べ始めた。

皆半日間口にしたのは水くらいで、先日より良く箸が進む。『天津風』も例外ではなく、精

神的な疲れを癒すためにもできるだけ詰め込んだ、だが提督はいつも通りにあまり食べず

一缶食べるとすぐに『神通』に一声かけて艦上へと上がっていった。

『時津風』は提督と『神通』の次の三番手に食べ終わり、すぐさま『天津風』のもとへ歩

みよった。

 「まだ食べてるでしょ」

『天津風』は苦々しい顔で吐き捨てた。

 「一つ差の姉妹なんだから、話してくれてもいいじゃん」

うって変わって『時津風』はいつもの落ち着いた笑顔で問いかけた。

しばらくの間、小波の音が二人の間を満たし、ただずっと『天津風』は黙々と空腹を満た

し続けた。

 「この状態でまだ最前線じゃないなんて信じたくもないわね」

食べきった缶を塵入れの木箱へ投げ込んだ。

ここまでの食事は缶詰ばかりだが、そこそこにまともで、いまだ戦火は表立って感じられないという風になっていた。

 「自分でここに来たんでしょ?」

『時津風』は無邪気に、そして冷酷に核心に迫る台詞を述べた。

彼女等一等戦列艦、とくに汎用性の高い駆逐艦娘は戦場をある程度選択出来る、最も拘束

されているのは主力に位置づけられる戦艦や正規空母の部類であった。

そして『天津風』は第十六駆逐隊の意志としてこの最も激烈な南方戦線着任を了承した。

 「私が想像以上に臆病者だったってことね」

力なくすっきりと言い切った、彼女なりに結論に達した処があるのだろうと『時津風』は

察してあげた。

 「そんなことないよぉ、だって天津風は私たち姉妹の中でも特別だもん」

たしかに性能面では特別であったが、そんなことは自分の人格には関係ないと彼女自身そ

う考えた。

 「貴女達と同じ訓練、同じ装備、同じ隊にいるけど、自分でも思い当たる節が幾つかあ

るのよ」

そう言うと『天津風』は足を組んで座りなおした。

スラリと伸びた華奢な足は、長時間の活動を思わせないほど美しく留まっている。

風が無いため背中に這った自慢の長髪は、日陰でもなおその銀髪を際立たせていた。

 「そうねぇ、確かにそうだねぇ」

『時津風』はあっさりと言い切った。

 「えっ」

困惑と言うより動揺が先に立った。

 「でも天津風のそういう所は好きだよ?」

そして安堵の表情へと変わった、『天津風』は苦笑いを浮かべた。

 「今回の作戦はたまたま上手く行かなかったかもしれないけど、それはそれで天津風は

一番私たち姉妹の中で“普通”なんじゃないかな」

 「どういうことよ」

安心と共に次に出てくる言葉に不安を感じた。

 「天津風は一番“普通の女の子”に近いってこと、逆に私はその分兵器に近いのかもね」

零れるように述べられたその言葉には、救いとも皮肉とも採れた。

状況や心理的要素に左右されるのが普通の戦場にいる人間だが、それは同時に人間である

という概念を持つ『天津風』と、戦闘艦であるという『艦娘』の意思に背いていた。

しばらく『天津風』は考え込んだ。

この言葉は果たして励ましなのかそれとも他の意味がこもっているのか、それすら分から

ないでいた。

 「どうりで怖いわけよ・・・」

彼女は彼女なりに結論づけた。

淡々と任務をこなす『艦娘』よりもずっと“只の人間”に近いから、戦場の恐怖に左右さ

れるのだと。

でもそれは兵器としては失敗なのでは?、という結論も頭をよぎる。

だがそれ以上は考えなかった。否、考えたくなかった。

これ以上結論を探しても、それは帰結でしかなく思考を乱すだけだと判断した。

そして状況もそれ以上の思考を許さなかった。

つい数分前に艦上へ上がっていった提督が足早にラッタルを降りてきた。

『神通』は何かを感じ取り、すぐに提督の下へ歩み寄った。

二~三言はなすと提督は小さく首を横に振った。

 「みんな聞いてくれ、スケジュールに変更が入った」

今までに無い険しい顔で、全員が注目するのをゆっくり待った。

右手に持った少し皺のよった二つ折りにしてある電文用紙を広げる。

 「つい十分前、『帛』島近海を偵察中だった赤城艦載機偵察隊三番機が島東60キロで消

息を絶った。これを受け今回の作戦における我々極南丙方面艦隊の『帛』島進出は二日先

伸ばしになった」

嬉しい反面、腹立たしい感情が『天津風』を支配した。

戦場への旅が遅延されたことは少しばかり嬉しいが、せっかく胆を括っていたというのに、

これでは肩透かしもいいところだ。

しかし、偵察機が消息を絶ったくらいで、一個艦隊進出が中止とはどういうことか理解し

かねる。

 「本来なら艦載機一機程度ではこんな作戦変更は強行しないんだが、撃墜された艦載機

は一航戦赤城の『彩雲』艦上偵察機で、この艦載機が落されるとなると相当な練度の敵で

あると想定される」

少なくとも『神通』はじめ、普通は撃墜されないような機体が撃墜されたので大騒ぎして

いると写った。

実際、C6N『彩雲』艦上偵察専用機はどの海軍機よりも高速且つ長航続距離で、純粋に最

も優秀な偵察機で、しかもより練度の高い選りすぐられた一航戦艦載機となると、撃墜す

る敵機は相当な相手であると予測できる。

しかしこの推測は以上の知識あってのものだ。

 「じゃあ、作戦はどうなるの?」

『天津風』は状況をイマイチ飲み込めないまま質問した。

 「戦線でのより精度の高い偵察が必要だし、結果次第では最も避けたいが長期作戦へ移

行となる。まあ、いまのところ我々はここでお留守番だ」

現状では、作戦を決行に移すには敵戦力の情報が不確定過ぎるので、主力を戦線へ移して

から次段作戦を決行するかを検討すると、二人の提督は判断したようだ。

それ以上に、乙方面の提督、そして艦長としては『アジャンクール』艦隊のアイドリング

(出撃待機)状態をできるだ短期間にしたいという物資的問題と、戦線で未だ哨戒活動中の

一航戦含む自分の艦隊を早く収容したいという時間的問題もあって、二等大将は自ら戦線

へ赴くことを決めた。

 「この艦隊は予定通り今夜出撃するから、君たちの荷物はとっとと降ろしてもらうよう

言ってある。と言うことで、今夜は南方司令部に泊まることになった」

そう言い切ったタイミングで、艦上から勢い良くラッタルを駆け下りてくる音が聞こえた。

 「本島への上陸は駆潜艇を一隻貸し出そう。まぁ、二~三日司令部でゆっくりしててく

れるといい」

二等大将はそう言い残し、駆け下りてきたかと思うとすぐに司令塔のほうへやや小走りで

向った。

流石出撃当日という慌しさだが、作戦変更でそれに拍車がかかったらしく、あの“大将”

でさえ駆けずり回っている。

そうこうしている間に、『アジャンクール』のボイラーに火が入ったらしく、鋭く空気が

貫ける音と同時に、二本の煙突から黒煙が上がった。

 「依然として戦闘態勢は崩さずに待機、今夜アジャンクール艦隊が出撃すると同時に本

島へ一時帰還する。ではそれまで解散」

皆無言で頷き、不穏なまま作戦開始の合図は無言で告げられた。

 

 漆黒の闇の中、埠頭にはこの要塞島にいる全員であろう人数が集まっていた。

『天津風』は『時津風』と、海軍関係者のみ入ることの出来る埠頭の先端に来ていた。

闇の中に仄かに光る航海灯をぼんやりと見つめ、『天津風』は今日の午後を振り返ってい

た。

記憶が曖昧なのは、今一つ記憶に留まるような出来事が無かったからで、継続的に記憶に

新しいのは、夕暮れの風に吹かれて香ったこの戦艦の母国の僅かな紅茶の匂いだった。

この戦艦の艦長、二等大将は多くは語らなかったがこの瞬間にこの戦艦が何所の“出身”

なのか明確となった。

戦場の真っ只中にいるという緊張感の無さが、ここまでの集中力の欠如を招いていた。

だが、彼女等は今その目に戦場の鉄火を仰いでいる。

艦上を慌しく動く僅かな乗員たちと、一列に並んだ総数十五隻の一個水雷戦隊の航海灯が

この場の静寂とは裏腹にどこか混沌を感じさせた。

先制の駆逐隊は、一航戦が確保した制空権下の海域を指定された航路で進撃する。

警笛も鳴らさずに、艦隊はそのまま外洋へと船首を向けた。

『アジャンクール』は艦隊の輪形陣の真ん中に居るために、この次に出港するはずだ。

舫は全て解かれ、タグボートがこの巨艦を懸命に百八十度旋回させようとしている。

あの巨大な艦上建造物やマストは、警戒灯や艦内照明などの類を消灯しているため、闇に

溶けたその鋼鉄の影をうかがい知ることはできない。

辛うじて、緑の航海灯が垣間見える程度で、只々波の渦巻く音とタグボートの大出力の機

関音が不穏に響いている。

司令塔から信号が出され、艦隊旗艦出港が許可された。

旗艦が完全に港の手から離れると、陸に残った海軍関係者は、この数少ない海軍の花形に

敬意を表し、全員敬礼してその出港を見送った。

『神通』も敬礼したが、他の隊のメンバーはそれぞれ手を振ったりなどそれぞれに見送っ

た。

提督はここに残る最も高官な将校として司令塔で指揮を執っている。

司令塔には赤色に染色された低ワットの電球の明りと、鳴り続けるモールス信号の受発信

音や、無線電話のベルで満たされた。

電話の無線化の記述はかなり進んでいて、音声音質や電波有効範囲も民間の十倍以上であ

り、艦載のものであればある程度混線していても問題なく通話できていた。

通信内容は、夜間のため不能な手旗信号などでするはずの離岸の際の基本情報や、海流の

暫時報告などで、提督はこの艦隊の司令官でもある二等大将と主に通話していた。

 「先導の駆逐隊は外洋に出ました。そろそろ旗艦の出番ですよ」

五十万分の一の縮尺の精密海図を眺めながら、双眼鏡で辺りを見回す。

一瞬、『天津風』達のいる埠頭の先端に目をやった。

 「“私自身の久しぶりの出陣だ。こんな大規模艦隊での出撃は二十年前の大陸遠征以来

だよ”」

唸る機関音を背景に、ごく自然に返答してきているが、今から死にに行くのに等しいこの

出撃に本人は全く動じていないが、聞いているほうは気が気ではない。

 「死ぬ気なんてないだろうな」

旧友としての質問ということを伝えるために、階級を気にせずに質問した。

 「“当たり前だ。あっちに行ったら加賀と一緒にバカンス気分で暇を持て余すよ”」

余裕綽々の台詞に、若干の安心感を持ったが聞き捨てならない文節があった。

 「おいおい、そんなんでは死んじまうぞ。それに彼女に手をだすな」

冗談交じりで言ったつもりだったが、ふと感慨深いものを感じた。

 「“加賀を秘書にしてもう十四年だからな、その間にまだ手をつけていないとでも思っ

たか?”」

 「冗談キツイぞ」

ここで丁度、『アジャンクール』の初めての警笛が、会話を中断させる。

大型艦出港のため、出来るだけ目立ちたくない環境下で唯一の警笛として鳴らされた。

戦艦ならではの、オマケ程度の警笛は重苦しくも無く、中型船くらいの感覚だったが音量

はほかの船舶とは比べ物にならないほど大きい。

 「“心配するな。何れにしても、私のプライドが彼女等の不幸を許さない。故

に私は今後加賀を伴侶にするつもりだ。”」

 「彼女は確かに良い“女性”かもしれん。だがそれ以前に“艦娘”であるんだぞ」

突然の大声に、司令塔に居た数人が一斉に提督の方を見た。

咳掃いをし、そのまま会話を続けた。

 「貴方の事なら問題ないが、他が認めるかどうか」

 「“不覚にもこの年になって初めて恋焦がれるとは、なんとも恥ずかしい話だよ”」

恥ずかしい、と言いながらもその言葉には隠されない強い意志と覚悟が籠められているの

がわかる。

 「“これ以上の不毛な会話は無しだ、これで御暇するよ”」

歯切れ悪く会話を終えようとするが、どうも後味が悪く感じる。

 「こんな任務で命を投げ出すなんて、命の安売りはやめろよ」

提督同士、何か互いに引っ掛かるところが有ったが、あえて互いに気づかないふりをした。

 「そんな弱気な台詞は、海軍学校に入って直ぐ以来聞いてないな」

懐かしみをこめて、両者はしばらくの沈黙をもって追憶の暇とした。

十六年前、僅か14で海軍士官学校へ編入させられたとき、教官だったのが彼で、悪い意味

でも一番手をかけてくれたから、彼らはこうしてほぼ同じ階級でこの場に居る。

士官学校のときも、年の差に似合わぬ階級の近さが、周りから一目置かれていた。

カラスと呼ばれる特務大尉だった提督と、大佐であった二等大将は、二人とも僅か十六年

の間に現在の地位に上り詰めた。

だが中等科相当の年齢で、既に下士官だったのは、紛れも無く“親の七光り”だった。

そこで追憶を止めた、これ以上は思い出したても良い心地はしない。

 「こんな今だからこそ、貴方みたいな人が必要なんだ」

少しの慈しみと尊敬の念を持って訴えたが、彼にとっては自分の命など最も軽いものかも

しれない。

 「“俺なんか、死んでもだれも構わんよ。だが、死ぬときは思い切り格好つけたいもんだな”」

悪い冗談だと思ったが、最も彼らしい言葉だと思った。

今まさに自らの墓場となるかも知れない場所に、彼はこの自慢げな表情のまま行ってしま

うのだ。

ただ戦線の海へ向うのに死んでしまうなどと考えるのは人類だけで、その意識すらも少し

哀れに感じる。

 「ああ、だが誰かを泣かせるような事は御免だぞ」

 「お前は俺が死んでも泣かんだろうな」

少し鼻を曲げた様子で答えたが、その一言にすら彼の命の儚さを物語っているように淋し

く聞こえてならなかった。

 「お前の伴侶はどうした」

 「“彼女か?大丈夫、彼女は泣かんよ、そんな柔な女じゃない。なんせ俺が見惚れたん

だから”」

『加賀』を根っからべた褒めしているが、彼女と彼がそこまでの深い仲であるとは、先日

会ったときは気づかなかったが、そこまで知っているということは“そういう”ことだ。

 「ああ、わかったか。まあこんな事で死んでは、俺も貴方も、ここにはいないな」

 「全くだ」

『アジャンクール』は、削減された数百人の乗員と供に船首を外洋へと向けて、漆黒をか

き分け、戦場へと撃って出た。

 「では、明日か明後日に、お目にかかりましょう」

中将として、この航海の無事を前提に、今回の作戦を共にする事を確認した。

 「ああ、早く来いよ若造」

彼も、二等大将としてあえて激しく見下し、その上下をはっきり区切った。

白波を蹴立て進撃する艦隊を眺め、収まらない胸騒ぎを押さえつけ、二水戦全員を向えに

司令塔を後にした。

 総数四十隻の艦隊は『彩』諸島攻略への前哨戦へ向け、一路加賀達一航戦含む艦隊の待

つ『帛』島へ抜錨した。

本作戦開始への秒読みが既に始まっていることを実感できないまま、『天津風』は戦火の

渦に巻き込まれつつあるのだった。   天(そら)別つ風 ~艦これ二次創作~

 

     第伍章 連れ添う者

 

 空はすっかり夜の暗さを捨て、真っ青な群青の空へと姿を変えた。

作戦海域離脱後、一時間ほど南西へ巡航速度で航行している。

『天津風』は水上航行体勢からの上陸の仕方を『神通』から教わっていた。

本土での訓練では、一々完全停止してから桟橋やらに上がっていたが、戦線ではいざと言

う時にそんな悠長なことをしている暇は無い。

『神通』は簡単な要点だけを『天津風』に教えた。

桟橋の側面のスキージャンプ型の上陸場所があるからそこに速度を落さずに進入する。

海面の境目では一度ジャンプする。

最後に左右どちらかの手摺を軸にまわり、横に避けて後続の者の邪魔にならないようにす

る。

などの、主に三つの要点が上げられた。

仕組みとしては空母への着艦に似ているとの事だったが、皆目『天津風』には見等がつか

ない。

最後に『神通』は、慣れが大事だと言って心配には値しないという事を促した。

 だがその必要もなくなった。

それからさらに三十分航行した後、『神通』に一般回線から通信が入った。

 「“すまないが、そこから直接ギールヴィンクに向ってくれ。お呼びがかかった”」

 「了解しました」

『神通』は二つ返事で返答した。

 「全員、航路00(マルマル)から23(フタサン)に変更」

司令部に戻る航路とは九十度違う方向への航路変更にも関わらず、難色を示したのは『天

津風』だけだった。

 「なんで司令部に戻らないの?」

『天津風』は陣列を離れ、先頭を航行する『神通』のもとへ来て言った。

 「提督からのご命令です。さあ、陣列に戻りなさい」

納得いかない様子で、『天津風』は陣列へ戻った。

『天津風』としては、早く司令部に戻ってゆっくり休みたいという心境だった。

もっとも、海上にいるのがあまりいい気分はしないため、一刻も早く陸に上がりたいとい

う気持が先にたった結果である。

 艦隊は針路を変更し南方司令部のあるギールヴィンク湾に向った。

追いの司令で、ギールヴィンク湾入り口を塞いでいる一番南東の要塞島で待機との事であ

った。

大小さまざまな要塞島がギールヴィンク湾を塞ぐ形で点在しているが、要塞といっても簡

素なもので、コンクリートのトーチカなどはあるが、大した建築物もなく砲台には旧世代

の大砲が数十並んでいるだけのものだ。

そこまでは数時間かかり、日はもう高く上っているだろうという時刻に到着するだろう。

 しばらく進むとやがて『新』島が見えてきた。

視界の半分を島の熱帯雨林が占め、視界は一気に狭くなった、その分警戒する必要のある

方位も半分になった。

進撃中と同じく複縦陣を展開し、速力30ノットで『新』島沿岸3キロから5キロを航行する。

日が昇ると必然的に赤道直下の蒸暑さが彼女等を襲う。

速力を出しているからしばらくは気にならなかったが、日が高く上るにつれて着実に気温

は上がっていった。

 一時間でようやくギールヴィンク湾の南の入り口にたどり着いた。

入り口と言っても幅は数十キロあり、入り口の端から端までは霞んで見える程度だ。

入り口に陣取る湾で最も大きな島は、通称“帆船島”と呼ばれている。

由来は見たそのままで、コンクリートで要塞化した海岸と高い木々の生い茂る島の内陸と

の比率が帆船に見えるからだ、もっともこの島はそんなに小さくはない。

 『神通』は無線通信ではなく、モールス信号で提督宛の暗号を打った。

島まで数キロというところでやっと返信が返ってきた、平文だったので間違いない。

全周波数共通発信だったので、提督のもとへ連絡が行き届くまでに十分ほど時間を要した。

すぐに迎えの十米内火艇が駆けてきた。

提督自身の操舵で内火艇は動かされていた、扱いとしては下士官が普通操舵するものだが、

関係者以外との接触を避けるべくして、例によって提督が自ら行っている。

『神通』は艦隊を単縦陣に変更し、並走しようとしている内火艇に歩調を合わせる。

速力10ノットちょっとで、提督の乗る内火艇と綺麗に速度が同調した。

 「みんな、お疲れ様」

提督は操舵室からひょっこり顔だけだして叫んだ。

 「皆無事です。それより私たちは何所へ行けば?」

『神通』は内火艇の掻き分ける波に呑まれないように極力接近した。

 「五分行った所に要塞入り口に近い海岸がある、悪いがそこから上陸してくれ。俺は先

に上陸して待つ」

 「了解しました」

双方軽く敬礼をして、内火艇は戦列に干渉しないようにゆっくりと速度を落してから左右

違う方向へ向った。

ややどす黒い浅瀬特有の色になると、全員自然と速力を一桁まで落した。

物を投げれば届きそうなほど海岸は迫っている。

そしてさらに進むと、海まで続くトーチカと熱帯雨林の合間に真っ沙羅な砂浜を見つけた。

徐々に速度を落し、水面から海底が見えるほどになると、全員ほぼ真横に並んで自分達で

上陸しようとしていた。

砂浜への上陸など無論経験はない、ただし『神通』は少なからず経験はしている。

海底まで1メートルを切ると、『神通』は完全に停止し、航行用の発動機を止めて足を海

底につけて地道に上陸した、これが彼女の知る最も無難な方法であった。

全員覚束無い様子で何とか地に足をつけた。

『天津風』はようやく全ての不安材料を拭い切った、しかし今度はずっしりと肩に掛かる

装備の重さに悩まされる事になる。

ここは湾の内側に面していて、おそらくここしかまともな砂浜はないと思われた。

辺りは昼だというのに薄暗く、熱帯雨林の中からは涼しく湿った空気が流れてくる。

提督は、海岸のトーチカの上にある手摺すらない道をやや小走りでやってきた。

所々に砲身が天井まで飛び出しているのを飛び越え、革靴で古いコンクリートを叩く音が

響いた。

 「入り口はちょいと分かりにくくてね、ついてきてくれ」

革靴が汚れないように砂浜には下りず、そのままトーチカを伝って奥の道に出て来た。

 視界につくものは全て木々、シダ、蔓類の植物ばかりで、所によって地面はぬかるんで

いる。

道は辛うじて残った獣道のような物しか残っておらず、うっかり道を外れてしまいそうだ。

一列に並んだメンバーは、さながら行軍する兵士のようだ。

そして、海が見えなくならないうちに、要塞の入り口らしきものの前まで来た。

木々でよく見えないが、この入り口はどうやらフラックタワーのもので、高い木に建物の

全容は下から窺い知る事はできない。

入り口の鋼鐵製のドアは開け放たれ、通常の木製ドアはこの湿気のせいで朽ち果てている。

入り口から数メートルまで森林の植物のツタと思われる植物が侵入し、俄かにコンクリー

トの壁を緑に染めている。

四角いフラックタワーの内側は、10メートル程通路を歩くと、中央の天井まで吹き抜けの

広場に出た。

建物の形のまま広場は四角く、40メートル四方の広いスペースが確保されている。

 「それぞれ武装解除してゆっくりしてくれ、それから今日ここに呼んだ理由を話そう」

提督はそう言い残し、来た方向真逆の通路へ入っていった。

『天津風』は訓練通り、まず薬室に実包が装填されていないのを確認すると、肩から提げ

ていた砲を降ろし弾薬を抜いた、そして『時津風』に手伝ってもらい、同じく魚雷の信管

を解除し武装をすべて下ろした。

辺りはコンクリート製建築物特有の静寂と不気味さに包まれ、開け放たれた天井から伝っ

てくる水滴の落ちる音だけが、高さ30メートルの内壁を反響していた。

会話は勿論無く、ただ武装を扱う金属音が冷静に鳴る。

疲労は不思議と感じられず、何故か爽快感だけが感覚を支配する。

『天津風』は「これが勝利の余韻」と噛締めていたが、手の振るえはそのままだ。

頭の中を渦巻く恐怖から思考を逸らすべく、辺りに視線を向ける。

見当たるのは、対空砲などの砲弾が入った木箱と、まともな整備をされていないであろう

旧式の対空機銃が三脚の上に載せられ壁沿いにずらっと並べられている。

天井を見上げれば、四つ角に直径5メートルほどの円が形成されていて、そこに大口径の対

空砲が設置されているのが分かった。

通常天井が開け放たれている、この建物はむしろ天井が撤去されているのだが、恐らく長

らく使われているため強度保持のために撤去されたのだろう。

空は少しずつ曇り、この建物を一層古く見せるかのように天空の灰色を落している。

しばらくすると、提督は真っ白な第二種軍装から耐暑用の略装に着替えてきた。

しかし、コンクリートの床を鳴らす靴は二つある。

後ろに続くのは、この要塞の持ち主であるあの『加賀』の提督だった。

彼は第二種軍装はそのままに、前を広げ腕を捲り、腰には以前には着けていなかった自分

の軍刀を下げている。

 「初任務お疲れ、諸君」

軍刀に自然と手を置き、まずその皺枯れた低い声で労う。

自分達の提督よりもずっとベテランに見えた、もちろんそうだが何より経験の深さがその

肌に刻まれている。

歴戦の勇士と言わんばかりの観勒は、自分の提督は持ち合わせていないと『天津風』は思

った。

=[入れようか入れないか検討エピソード] 

「中将、駆逐艦天津風はどこか」

『天津風』は自分の名前が挙げられ少し驚いた。

提督は無言で横に立ち、手で「あちらに」と示した、襟章から察するにどうやら『加賀』

の提督は昇進して“二等”大将になっている。

それを自慢するかのように存分にその階級差を際立たせているが、二人とも半分戯れのよ

うな感覚で互いに接している。 

 「天津風、少しこちらに来なさい」

『天津風』はかなり緊張した様子でメンバーのいるところから数メートル歩き、彼の元へ

行った。

 「はい、なんでしょう」

思わず『天津風』も敬語になり、普段見せない改まった口調になる。

 「そんなに緊張することはない、私は君を説教しにきたんじゃないしな」

初老の大将が見せる淑やかな笑顔は自然と『天津風』の緊張した体を解した。

 「特務大佐天津風、君にこれを手渡そう」

上着のポケットから取り出された黒い小さな木箱には、丁寧に布で包まれた勲章が入って

いた。

 「これが君の初めての戦果勲章だ、受け取ってくれ」

鉄で作られたあまり派手とはいえない勲章だが、この『初勝利』の勲章を目に『天津風』

は満面の笑みを零した。

 「ありがとう、いただきます!」

その表情に、二人の将官は満足げに顔を見合わせた。

なんとも質素な受賞式だが、提督としては少しでも上の階級の人から渡して欲しいと言う

心境だったので、この際昇進した旧友を通して渡してもらったのだ。

だが、これはここに呼んだ理由ではない。

⇒[入れようか入れないか検討エピソード] 

 「悪いが早速本題に入らせてもらう」

二等大将はまず脇に抱えた作戦要項詳細綴を二~三枚捲り、次作戦の項目に目を落す。

 「今回の作戦においての損害は皆無といって言い、主に作戦を主導した二水戦には脱帽

する次第だ。新編成においての安定した戦闘は見事と言うほか無い」

自分達が褒められているとうより『天津風』は自分が褒められていると思った。

なにせ新編成で加わったのは自分の所属する第十六駆逐隊だったからだ、二水戦に加わっ

たという要因も大きい。

 「そこで次回作戦の実施日を繰り上げ、今月末に実施する事とする」

そこまで言うと、次のページへ進み、それと同時に小さな作戦展開海域の海図を取り出し

た。

 「次回『彩』諸島攻略作戦は3つ司令部合同の作戦で、航路は今回敵制海権に穴を開け

た『帛』島付近から北東ルートを取る」

『彩』諸島は本土と『新』島本島との中間に位置する島嶼で、ここを攻略すれば『彩』諸

島から西の海域はほぼ人の力が及ぶ所になる。

だがそんな事は『天津風』や二水戦には重要ではない、必要な情報は敵の戦力や作戦海域

までの距離などの事で、その後の事は文字通りその後にしか考えない。

 「味方戦力は我が極南乙方面艦隊と極南丙方面艦隊、そして南方艦隊。敵戦力は恐らく

空母機動部隊で、具体的な戦力は空母二十隻無いし十隻以上、戦艦も所属しているはずだ、

しかし現状正規空母と軽空母の識別はついていない」

このタイミングで『神通』が質問を投げかけようとした、だが質問の内容を察し、二等大

将は中将に詳細説明をするよう顎で杓した。

 「敵機動部隊の戦力予想はその制空権確保能力からで、現在航空機による偵察は行われ

ていない。従って今回の作戦展開は二段階に分けられる」

『神通』はいつものように敵戦力について聞こうとしたが、その必要は無くなったがそれ

でも詳細が分からないという歯痒さが残る。

作戦内容から察するに、『神通』は今回の作戦での敵戦力はかなり本格的なものであると

考えたためだった。

 「まず初段作戦では『帛』島に艦隊の拠点を移し、本土の南方艦隊とで『彩』諸島周辺

を強行空襲と偵察を行う。ここに要する時間は三日間以内に収める。そして二段作戦は、

我々の機動部隊と南方艦隊の水上打撃部隊で諸島の制海権と制空権を支柱に収める、ここ

までで五日間。詳細に関しては偵察の情報から随時決定することになる」

ここまで聞いて『天津風』は気が気ではなかった。

準備も含めて最大一週間の本格的な連合艦隊による作戦展開に参加することを、たった今

知らされたのだし、今月末と余裕を持ったような言い方だったが、来週には今月は終わる。

 「本土での作戦草案は既に通っている。あとは我々が移動したらすぐにでも作戦が展開

できるというわけだ」

二等大将は説明を終え、場を中将に空け渡す。

 「スケジュール的に少し詰ったところはあるが、責任者は私達だ、内容変更にしてもい

つでも修整できる」

真っ先に修整を欲する声を上げたかったのは『天津風』だが、保守的に他者が意見を言う

のを待った。

だが、だれも声を上げなかった。

 「よし、なら決まりだな」

満足げに二人の提督は笑みを浮かべる。

今回の作戦の勝利で良い意味で弾みがついたらしく、作戦展開は今後もこのまま加速する

ものに思われた。

 「ちょっと待ちなさい、そんなとこまでどうやって行くの」

せめてもの意見として、その移動距離の過酷さを上げた、距離に関して言えば、今回の作

戦のおよそ二倍ある。

 「それなら問題ない」

せのセリフを聞き、後ろにいた二等大将は自慢気な笑みを浮かべた。

二人はすぐに今後の意見を交換し、階級の差を超え、旧友同士の関係に戻った。

 「では、私の艦(フネ)を紹介しよう」

そう言うと、彼は立ち去った。

 「今回はちゃんと“向かえ”があるんだ」

提督は『天津風』を宥め、全員に移動することを伝えた。

装備や荷物を出入り口そばの小さなコンテナへ移し、提督は全員を引き連れて地下へ向っ

た。

 入ってきた入り口とは大違いで、レンガなどで造られてその上から丁寧にモルタルが上

塗りされた白い壁と天井の階段が地下まで続いている。

灯りは天井から送電線で繋がれた低ワット数の電球だけで、通路を仄かに橙色に染めてい

る。

階段を降りていくほど段々と涼しくなり、数十段の階段を降り切った頃には少し肌寒いほ

どにもなった。

通路を数メートル進むと、やがて壁はレンガがむき出しになり、かなりの年代を感じられ

る。

アーチ上に区切られた壁の中心に鉄の扉が重々しく空間を区切り、真っ暗な事もあって、

扉の中に得体の知れないものがいるのではないかという想像力を描き立てる。

最後尾を行く『天津風』は通路左右の扉からできるだけ距離を取るかのように、通路の中

心を歩いた。

少しずつ通路は旧式化し、最後には壁すらなく、坑道のような木の支柱のみとなった。

計50メートル歩いた所で急に通路は綺麗なコンクリート打ちっ放しの明るい通路になり、

地上への階段が見えた。

上はすぐに屋外らしく、日光が地下まで届いている。

淡々と足音を響かせ、提督と二水戦は地下通路を出た。

出口の両脇には、高さ2メートルの低めの天井のトーチカがあり、銃眼からは細長い長口

径の砲が覗いている。

目の前はすぐそこが海岸で、コンクリートとレンガの桟橋が乱立している。

そして二等大将はその桟橋の入り口にいた。

 「これが私の艦(フネ)だ」

やってきたメンバーに自慢気に手で示した。

その手の先には、全長200メートルはある巨艦がその物々しい姿を海水に臥せていた。

『天津風』は始めてみる200メートル級の軍艦を目の前に、一見動じないような素振りだ

が、内心あまりの大きさにその場に立ち尽くした心地だ。

 「全長204メートル、排水量27500トン。我が鎮守府の所有する唯一の戦艦、『アジャン

クール』だ」

二等大将はそう言うと一番大きな埠頭へ向って皆を案内し始めた。

『天津風』は、自らの提督と共に一番後ろに続く。

 「ここらでは最後の稼動可能な戦艦で、主砲の数なら誰にも負けない。ただちと旧式で、

しかも某国の御下がりで、多少ガタは来ているが戦闘には全く支障は無い」

少しずつ近づいてくる巨大な鋼鉄の塊は、よく手入れされているが、かなりの部分が錆び、

艦上建造物は改修はしてるが、かなり老朽化している、何れにせよ現状にはあまり必要な

いものだ。

 「これが向えなの?」

『天津風』の台詞には不満が滲み出ていた。

乗る艦種が変わったとはいえ、何れにせよ海上を移動するという行為自体に不満がある。

 「もう一度あの輸送艦に乗るか?」

 「悪い冗談は止して」

嫌悪感溢れる顔で言い放った。

この巨艦をもってしても、深海棲艦には全く無力、と言うより戦う土俵が違うレベルだ。

乗艦用ラッタルは何れも下ろされ、太い舫が何本も垂れ下がっている。

仰ぐような高さのメインマストには、改装時に無理矢理搭載したような具合のレーダーが

空の灰色と同化しかかっている。

魚雷搬入用であろう高さ5メートルのクレーンが次々と物資や装備が入っているであろう

コンテナを甲板にあるはずの搬入用口に運び込まれている。

 「君等は今夜にも出港する事になる。装備はすでに積み込み中だ」

二等大将は、軍帽を被り艦長へと役職を移した。

 「その他身の回りのものは全て揃っているはずだ。そこら辺は自分で確認してくれ」

遠まわしに乗艦を許可し、一番艦首側のラッタルから甲板に上がっていった。

積載量はまだ軽いらしく、喫水は浅いためにラッタルの高さはかなりのものになっている。

 「彼の言ったとおり、身の回りのものは自分で確認してくれ。部屋は客船ほどはないが

ちゃんとした士官室で過ごせるようにはなっている」

相変わらず『天津風』は不満そうな顔をしている。

提督にはぼんやりと察しがついた、確かにこんなオンボロに乗せられるくらいなら足の速

い航空機を選ぶ、しかし現状これだけの人数と装備を安全に運べる艦船はこの『アジャン

クール』だけだ。

 「今回は大丈夫だ、簡単に沈むような艦じゃないし、前回よりも海域は安全な“はず”

だからな」

提督が自信満々に言ったが、裏を返せば本土からの航路がどれだけ危険だったかを物語っ

ている、『天津風』としては敵とは大海のほうが接触しないと決め付けた。

 「それが本当なら構わないわ」

『天津風』は溜息を搗いた。

 「そうと決まったら飯だ、昼が近いしな」

 昼食といっても、食べる事ができるのは常用食ではない。

先日、自分達の司令部で食べたあのような食事が出れば良いほうで、悪ければ乾パンとジ

ャムと珈琲くらいだろう。

だが、今日は運良く『アジャンクール』所属艦隊の酒保が開かれていて、缶詰のシチュー

などの輸入品が振舞われていた。

屋外敷設の酒保は、この埠頭から見える一階建てのレンガ倉庫前で行われている。

近くには司令塔であろう鉄骨組みの塔があり、一階と最上階以外は骨組みだけだ

それら建物の後ろ半分は森林に飲み込まれ、表までも壁を這って植物が伸びてきていた。

提督は「少し待っててくれ」と言い残し、彼女等を戦艦の日陰に待たせた。

本当ならば全員で行く所だが、流石に一個艦隊が駐留するだけあって、水兵の数は数百人

はくだらない、そんな中に彼女等を放り込むわけにはいかないと思った訳だ。

提督なりに気を利かせているのだろうが、『天津風』を始め彼女等は申し訳なく且つ少し

惨めな心境になった。

普通は自分の部下にでも行かせるだろうが、事情は言わずもがなである。

しかし『天津風』としては退屈するより自分も一緒に行きたいという気持が先立った。

影は日光は塞いでいるが、そのあまりにも巨大な艦体によって、吹くはずの風は全く感じ

られない。

中に何も入っていない木箱を椅子代わりに座り、皆疲れを取っている。

と言っても大して疲れた様子は無く、同じ隊同士仲良くやっているという雰囲気を出して

いる。

幅10メートルの埠頭には、この艦隊の規模にもかかわらず人影はない、そのため異様な感

覚が残る。

100メートル先には護衛の駆逐艦が係留されているが、同じく人影は無く、戦艦よりも錆

が目立ち、半分朽ちたようなものだった。

今までもそうで、海上関係の技術はあまりに幼稚な段階で足踏みをしている印象で、本土

や司令部のような技術発展はあまりに対称的である。

『天津風』は今自分達が文明の端にいるような錯覚になった。

海上に広がる霞むほど眩い闇と、内陸へ退いた人類のか細い光が、この十六年間どれだけ

人類が海から目を逸らしてきたかがよく分かる瞬間だった。

そして同時に、我々が今こうして当たり前のようにいる此処こそが最前線であると言う事

を思い知らされた。

自分が今までこの戦場で安息を求めていたのがどれだけ愚考だったかが身に沁みる思いだ。

だが、少なくともここは安心できる所であるということは確かだ。

その事に関しては、もうこれ以上一人で考える必要はない。

大きな溜息が、そこで思考を区切った。

 「どうしたの?」

覗き込むように『時津風』が『天津風』の下から見上げた、『天津風』はずっと立ったま

ま考えていた。

 「何でもないわ、少し疲れただけよ」

 「違うでしょ」

あっさりと『時津風』は見抜いた。

 「まぁ、流石に姉妹には隠し事は無理ね・・・」

そこまで言うと、提督がこちらに来ているのを見つけて言葉を伏せた。

『天津風』としては都合のよいタイミングの帰還だ。 

 「すまない、またせた」

提督は人数分の食糧を、風呂敷の様な布に包んで背負ってきた。

缶詰は全部で三種類あり、鯨の角煮と海軍製の赤飯、そして外製ストロガノフ風シチュー

で、全部で二十個が適当に突っ込んであった。

 「飲み物はすまないが水しかない。あとは好きなのを取ってくれ」

容量はそれぞれ四百瓦(グラム)だが、先日早めの食事のせいでこれだけでは足りないよう

に感じた。

『天津風』は我先にと一番数の少ないシチューの缶詰を取り、提督は最後に残った赤飯を

取った。

その後提督は艦上から十合の大き目の水筒を担いできて、集団の中央に鉄製の器と一緒に

置く。

『神通』が缶切りを回し、全員が箸を持つと各々で食べ始めた。

皆半日間口にしたのは水くらいで、先日より良く食べた、『天津風』も例外ではなく、精

神的な疲れを癒すためにもできるだけ詰め込んだ、だが提督はいつも通りにあまり食べず

一缶食べるとすぐに『神通』に一声かけて艦上へと上がっていった。

『時津風』は提督と『神通』の次の三番手に食べ終わり、すぐさま『天津風』のもとへ歩

みよった。

 「まだ食べてるでしょ」

『天津風』は苦々しい顔で吐き捨てた。

 「一つ差の姉妹なんだから、話してくれてもいいじゃん!」

うって変わって『時津風』はいつもの落ち着いた笑顔で問いかけた。

しばらくの間、小波の音が二人の間を満たし、ただずっと『天津風』は黙々と空腹を満た

し続けた。

 「この状態でまだ最前線じゃないなんて信じたくもないわね」

食べきった缶を塵入れの木箱へ投げ込んだ。

ここまでの食事は缶詰ばかりだが、そこそこにまともで、いまだ戦火は表立って感じられ

ないという感情になっていた。

 「自分でここに来たんでしょ?」

『時津風』は無邪気にも冷酷に核心に迫った台詞を述べた。

彼女等一等戦列艦、とくに汎用性の高い駆逐艦娘は戦場をある程度選択出来る、最も拘束

されているのは主力に位置づけられる戦艦や正規空母の部類であった。

そして『天津風』は第十六駆逐隊の意志としてこの最も激烈な南方戦線着任を了承した。

 「私が想像以上に臆病者だったってことね」

力なくすっきりと言い切った、彼女なりに結論に達した処があるのだろうと『時津風』は

察してあげた。

 「そんなことないよぉ、だって天津風は私たち姉妹の中でも特別だもん」

たしかに性能面では特別であったが、そんなことは自分の人格には関係ないと彼女自身そ

う考えた。

 「貴女達と同じ訓練、同じ装備、同じ隊にいるけど、自分でも思い当たる節が幾つかあ

るのよ」

そう言うと『天津風』は足を組んで座りなおした。

スラリと伸びた華奢な足は、長時間の活動を思わせないほど美しく留まっている。

風が無いため背中に這った自慢の長髪は、日陰でもなおその銀髪を際立たせていた。

 「そうねぇ、確かにそうだねぇ」

『時津風』はあっさりと言い切った。

 「えっ」

困惑と言うより動揺が先に立った。

 「でも天津風のそういう所は好きだよ?」

そして安堵の表情へと変わった、『天津風』は苦笑いを浮かべた。

 「今回の作戦はたまたま上手く行かなかったかもしれないけど、それはそれで天津風は

一番私たち姉妹の中で“普通”何じゃないかな」

 「どういうことよ」

安心と共に次に出てくる言葉に不安を感じた。

 「天津風は一番“普通の女の子”に近いってこと、逆に私はその分兵器に近いのかもね」

零れるように述べられたその言葉には、救いとも皮肉とも採れた。

状況や心理的要素に左右されるのが普通の戦場にいる人間だが、それは同時に人間である

という概念を持つ『天津風』と、戦闘艦であるという『艦娘』の意思に背いていた。

しばらく『天津風』は考え込んだ。

この言葉は果たして励ましなのかそれとも他の意味がこもっているのか、それすら分から

ないでいた。

 「どうりで怖いわけよ・・・」

彼女は彼女なりに結論づけた。

淡々と任務をこなす『艦娘』よりもずっと“只の人間”に近いから、戦場の恐怖に左右さ

れるのだと。

でもそれは兵器としては失敗なのでは?、という結論も頭を過ぎる。

だがそれ以上はも考えなかった、いや考えたくなかった。

これ以上結論を探しても、それは帰結でしかなく思考を乱すだけだと判断した。

そして状況もそれ以上の思考を許さなかった。

つい数分前に艦上へ上がっていった提督が足早にラッタルを降りてきた。

『神通』は何かを感じ取り、すぐに提督の下へ歩み寄った。

二~三言はなすと提督は小さく首を横に振った。

 「みんな聞いてくれ、スケジュールに変更が入った」

今までに無い険しい顔で、全員が注目するのをゆっくり待った。

右手に持った少し皺のよった二つ折りにしてある電文用紙を広げる。

 「つい十分前、『帛』島近海を偵察中だった赤城艦載機偵察隊三番機が島東60キロで消

息を絶った。これを受け今回の作戦における我々極南丙方面艦隊の『帛』島進出は二日先

伸ばしになった」

嬉しい反面、腹立たしい感情が『天津風』を支配した。

戦場への旅が遅延されたことは少しばかり嬉しいが、せっかく胆を括っていたというのに、

これでは肩透かしもいいところだ。

しかし、偵察機が消息を絶ったくらいで、一個艦隊進出が中止とはどういうことか理解し

かねる。

 「本来なら艦載機一機程度ではこんな作戦変更は強行しないんだが、撃墜された艦載機

は一航戦赤城の『彩雲』艦上偵察機で、この艦載機が落されるとなると相当な練度の敵で

あると想定される」

少なくとも『神通』はじめ、普通は撃墜されないような機体が撃墜されたので大騒ぎして

いると写った。

実際、C6N『彩雲』艦上偵察専用機はどの海軍機よりも高速且つ長航続距離で、純粋に最

も優秀な偵察機で、しかもより練度の高い選りすぐられた一航戦艦載機となると、撃墜す

る敵機は相当な相手であると予測できる。

しかしこの推測は以上の知識あってのものだ。

 「じゃあ、作戦はどうなるの?」

『天津風』は状況をイマイチ飲み込めないまま質問した。

 「戦線でのより精度の高い偵察が必要だし、結果次第では最も避けたいが長期作戦へ移

行となる。まあ、いまのところ我々はここでお留守番だ」

現状では、作戦を決行に移すには敵戦力の情報が不確定過ぎるので、主力を戦線へ移して

から次段作戦を決行するかを検討すると、二人の提督は判断したようだ。

それ以上に、乙方面の提督、そして艦長としては『アジャンクール』艦隊のアイドリング

(出撃待機)状態をできるだ短期間にしたいという物資的問題と、戦線で未だ哨戒活動中の

一航戦含む自分の艦隊を早く収容したいという時間的問題もあって、二等大将は自ら戦線

へ赴くことを決めた。

 「この艦隊は予定通り今夜出撃するから、君たちの荷物はとっとと降ろしてもらうよう

言ってある。と言うことで、今夜は南方司令部に泊まることになった」

そう言い切ったタイミングで、艦上から勢い良くラッタルを駆け下りてくる音が聞こえた。

 「本島への上陸は駆潜艇を一隻貸し出そう。まぁ、二~三日司令部でゆっくりしててく

れるといい」

二等大将はそう言い残し、駆け下りてきたかと思うとすぐに司令塔のほうへやや小走りで

向った。

流石出撃当日という慌しさだが、作戦変更でそれに拍車がかかったらしく、あの“大将”

でさえ駆けずり回っている。

そうこうしている間に、『アジャンクール』のボイラーに火が入ったらしく、鋭く空気が

貫ける音と同時に、二本の煙突から黒煙が上がった。

 「依然として戦闘態勢は崩さずに待機、今夜アジャンクール艦隊が出撃すると同時に本

島へ一時帰還する。ではそれまで解散」

皆無言で頷き、不穏なまま作戦開始の合図は無言で告げられた。

 

 漆黒の闇の中、埠頭にはこの要塞島にいる全員であろう人数が集まっていた。

『天津風』は『時津風』と、海軍関係者のみ入ることの出来る埠頭の先端に来ていた。

闇の中に仄かに光る航海灯をぼんやりと見つめ、『天津風』は今日の午後を振り返ってい

た。

記憶が曖昧なのは、今一つ記憶に留まるような出来事が無かったからで、継続的に記憶に

新しいのは、夕暮れの風に吹かれて香ったこの戦艦の母国の僅かな紅茶の匂いだった。

この戦艦の艦長、二等大将は多くは語らなかったがこの瞬間にこの戦艦が何所の“出身”

なのか明確となった。

戦場の真っ只中にいるという緊張感の無さが、ここまでの集中力の欠如を招いた。

だが、彼女等は今その目に戦場の鉄火を仰いでいる。

艦上を慌しく動く僅かな乗員たちと、一列に並んだ総数十五隻の一個水雷戦隊の航海灯が

この場の静寂とは裏腹にどこか混沌を感じさせた。

先制の駆逐隊は、一航戦が確保した制空権下の海域を指定された航路で進撃する。

警笛も鳴らさずに、艦隊はそのまま外洋へと船首を向けた。

『アジャンクール』は艦隊の輪形陣の真ん中に居るために、この次に出港するはずだ。

舫は全て解かれ、タグボートがこの巨艦を懸命に百八十度旋回させようとしている。

あの巨大な艦上建造物やマストは、警戒灯や艦内照明などの類を消灯しているため、闇に

溶けたその鋼鉄の影をうかがい知ることはできない。

辛うじて、緑の航海灯が垣間見える程度で、只々波の渦巻く音とタグボートの大出力の機関音が不穏に響いている。

司令塔から信号が出され、艦隊旗艦出港が許可された。

旗艦が完全に港の手から離れると、陸に残った海軍関係者は、この数少ない海軍の花形に

敬意を表し、全員敬礼してその出港を見送った。

『神通』も敬礼したが、他の隊のメンバーはそれぞれ手を振ったりなどそれぞれに見送っ

た。

提督はここに残る最も高官な将校として司令塔で指揮を執っている。

司令塔には赤色に染色された低ワットの電球の明りと、鳴り続けるモールス信号の受発信

音や、無線電話のベルで満たされた。

電話の無線化の記述はかなり進んでいて、音声音質や電波有効範囲も民間の十倍以上であ

り、艦載のものであればある程度混線していても問題なく通話できていた。

通信内容は、夜間のため不能な手旗信号などでするはずの離岸の際の基本情報や、海流の暫時報告などで、提督はこの艦隊の司令官でもある二等大将と主に通話していた。

 「先導の駆逐隊は外洋に出ました。そろそろ旗艦の出番ですよ」

五十万分の一の縮尺の精密海図を眺めながら、双眼鏡で辺りを見回す。

一瞬、『天津風』達のいる埠頭の先端に目をやった。

 「“私自身の久しぶりの出陣だ。こんな大規模艦隊での出撃は二十年前の大陸遠征以来だよ”」

唸る機関音を背景に、ごく自然に返答してきているが、今から死にに行くのに等しいこの

出撃に、本人は全く動じていない、だが聞いているほうは気が気ではない。

 「死ぬ気なんてないだろうな」

旧友としての質問ということを伝えるために、階級を気にせずに質問した。

 「“当たり前だ。あっちに行ったら加賀と一緒にバカンス気分で暇を持て余すよ”」

余裕綽々の台詞に、若干の安心感を持ったが聞き捨てならない文節があった。

 「おいおい、そんなんでは死んじまうぞ。それに彼女に手をだすな」

冗談交じりで言ったつもりだったが、ふと感慨深いものを感じた。

 「“加賀を秘書にしてもう十四年だからな、その間にまだ手をつけていないとでも思っ

たか?”」

 「冗談キツイぞ」

ここで丁度、『アジャンクール』の初めての警笛が、会話を中断させる。

大型艦出港のため、出来るだけ目立ちたくない環境下で唯一の警笛として鳴らされた。

戦艦ならではの、オマケ程度の警笛は重苦しくも無く、中型船くらいの感覚だったが音量はほかの船舶とは比べ物にならないほど大きい。

 「“心配するな。何れにしても、私のプライドが彼女等の不幸を許さないし、だが、故に私は今後加賀を伴侶にするつもりはあるがな”」

 「彼女は確かに良い“女性”かもしれん。だがそれ以前に“艦娘”であるんだぞ」

突然の大声に、司令塔に居た数人が一斉に提督の方を見た。

咳掃いをし、そのまま会話を続けた。

 「貴方の事なら問題ないが、他が認めるかどうか」

 「“不覚にもこの年になって初めて恋焦がれるとは、なんとも恥ずかしい話よ”」

恥ずかしい、と言いながらもその言葉には隠されない強い意志と覚悟が籠められているのがわかる。

 「“これ以上の不毛な会話は無しだ、これで御暇するよ”」

歯切れ悪く会話を終えようとするが、どうも後味が悪く感じる。

 「こんな任務で命を投げ出すなんて、命の安売りはやめろよ」

提督同士、何か互いに引っ掛かるところが有ったが、あえて互いに気づかないふりをした。 

 「そんな弱気な台詞は、海軍学校に入って直ぐ以来聞いてないな」

懐かしみをこめて、両者はしばらくの沈黙をもって追憶の暇とした。

十六年前、僅か14で海軍士官学校へ編入させられたとき、教官だったのが彼で、悪い意味

でも一番手をかけてくれたから、彼らはこうしてほぼ同じ階級でこの場に居る。

士官学校のときも、年の差に似合わぬ階級の近さが、周りから一目置かれていた。

カラスと呼ばれる特務大尉だった提督と、大佐であった二等大将は、二人とも僅か十六年の間に現在の地位に上り詰めた。

だが中等科相当の年齢で、既に下士官だったのは、紛れも無く“親の七光り”だった。

そこで追憶を止めた、これ以上は思い出したても良い心地はしない。

 「こんな今だからこそ、貴方みたいな人が必要なんだ」

少しの慈しみと尊敬の念を持って訴えたが、彼にとっては自分の命など最も軽いものかも

しれなかった。

 「“俺なんか、死んでもだれも構わんよ。だが、死ぬときは思い切り格好つけてな”」

悪い冗談だと思ったが、最も彼らしい言葉だと思った。 

今まさに自らの墓場となるかも知れない場所に、彼はこの自慢げな表情のまま行ってしまうのだ。

ただ戦線の海へ向うのに死んでしまうなどと考えるのは人類だけで、その意識すらも少し哀れに感じる。

 「ああ、だが誰かを泣かせるような事は御免だぞ」

 「お前は俺が死んでも泣かんだろうな」

少し鼻を曲げた様子で答えたが、その一言にすら彼の命の儚さを物語っているように淋しく聞こえてならなかった。

 「お前の伴侶はどうした」

 「“彼女か?大丈夫、彼女は泣かんよ、そんな柔な女じゃない。なんせ俺が見惚れたんだから”」

『加賀』を根っからべた褒めしているが、彼女と彼がそこまでの深い仲であるとは、先日会ったときは気づかなかったが、そこまで知っているということは“そうう”ことだ。

 「ああ、わかったか。まあこんな事で死んでは、俺も貴方も、ここにはいないな」

 「全くだ」

『アジャンクール』は、削減された数百人の乗員と供に船首を外洋へと向けて、漆黒をか

き分け、戦場へと撃って出た。

 「では、明日か明後日に、お目にかかりましょう」

中将として、この航海の無事を前提に、今回の作戦を共にする事を確認した。

 「ああ、早く来いよ若造」

彼も、二等大将としてあえて激しく見下し、その上下をはっきり区切った。

白波を蹴立て進撃する艦隊を眺め、収まらない胸騒ぎを押さえつけ、二水戦全員を向えに司令塔を後にした。

 総数四十隻の艦隊は『彩』諸島攻略への前哨戦へ向け、一路加賀達一航戦含む艦隊の待つ『帛』島へ抜錨した。

本作戦開始への秒読みが既に始まっていることを実感できないまま、『天津風』は戦火の深渦に巻き込まれつつある。




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