天(そら)別つ風   作:Ventisca

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またずいぶんと遅くなってしまいました。


第肆拾壱章 レーン

 第一防衛線を突破して早五時間、『時津風』は二本目の強心剤を血中投与した。

第二戦速で進撃を続けているが、全員の疲弊が激しく『神通』以外は航行姿勢をとっているだけでやっとだ。

 「神通さん……目的地は…………?」

『天津風』はもはや呼吸すら覚束無い、あと少しで強心剤の世話になりそうだ。

 「六分儀と私の計算に狂いが無いならもうすぐ見えてくるはずです…」

もはや『神通』ですら疲れを隠せない。

だがそんな彼女でも狂いはなかった、十分弱で旧ダントルカストー諸島が視界に入った。

一水戦は、目的地の第二案地点であるダントルカストー諸島外れの旧ロジャー島に先行していた。 

 最初の目的地であるダントルカストー諸島は目的地の濠大陸、いわゆる旧オーストラリア大陸の第二首都シドニーを中心とする、旧オーストラリア大陸の幅と同長の半径上にある。

その円は“レーン”と呼ばれ、その円上には放射線除染施設が置かれており、今回の“目的地”から汚染が広がらないように数百年も除染を行っているらしい。

そして、その除染施設の片鱗が島嶼の陰から顔を出してくる。

ダントルカストー諸島の島々には砂浜の内側に高さ100メートルほどの煙突が島を囲っている、そして一定の大きさ以上の島にはコップをひっくり返したような巨大な建物から大量の湯気が立ち上っている。

一番大きな旧ファーガソン島には高さが優に300メートルはあるだろう多用途電波塔が建てられていた。

そして今日はこのファーガソン島に滞在する。

人が入らなくなって既に千数百年、島は緑に覆われているはずだが、不気味にも木々は管理されているかのように高さが生えそろい、古い木々ばかりだ。

 「……不気味な島ね」

敵艦影が無いのを確認し、早々に島に上陸した。

遠浅の砂浜を上がり、艤装と装具を外すと全員その場に倒れむ。

小一時間も哨戒を立てずに休憩し、それでも足りないくらいだったが取り急ぎ哨戒を立てなければいけない、最初は『神通』が立つことになった。

 「…………もう座ってるだけでやっと」

『時津風』はようやく血色は良くなってきたが、まだまだ本調子ではないのでこのまま装備の移動と監視をしてもらう。

できるだけ奥には行かないようにと『神通』は言っていたが、ダメと言われたらやりたくなるのが性というもの、静々と全員奥へと入って行った、と言っても道がちゃんと残っているわけだが。

道はアスファルトと思われ、有刺鉄線や飾槍の付いた柵が何重にもあったがいずれも朽果てていた。

だが行き止まりは呆気無かった、島の真ん中にコンクリートか何かで固められたドームが大きく陣取り、その上にひっくり返したコップが乗っかっている、そこからは絶え間なく水蒸気が煙り、ドームの中からはタービンの回転音が微かに聞こえていた。

直径1キロはあろうかという“コップ”は、憶測のつかない白い材質で作られており弾痕が目立つ、大小さまざまな黒焦げがあり、辺りには砲弾片やロケットの安定翼などが散乱している。

さらに辺りを見渡せば、ここが浜辺から数百メートルしか入っていないことがわかった、興味も尽きた事もあり皆浜辺の大きな木の横に仮拠点を設けることにした。

拠点を立てた木は高さ10メートル精々あり建物の基礎と床のパステルタイルがかろうじて脇に残っている、今日はここに天幕を展開することにした。

天幕は簡易携帯天幕を駆逐隊四人で分散所持しており今回は四個展開できる、三角錐の天幕は一方向は解放式となっており、ここに四人と荷物が雨風を凌げる大きさになっている。

手慣れた動作で三分ほどで天幕を展開し、簡易照明(ガスランプ)を吊り下げ夜を待つばかりになった。

兎にも角にも腰を落ち着ける場所ができたという事で武器と身体の整備が開始された、次に哨戒に就く『天津風』を優先的に皆で協力して武器の整備をする、身体の整備というのは聞こえはいいが休憩や入浴、食事といったものが含まれる、もちろん戦線ではそんな悠長なことをやってる暇はないので、食事と気休め程度の着替えをするしかない。

日が陰りはじめ『神通』が哨戒から帰ってくるのが双眼鏡で見えた、急いで乾パンの缶詰に同封されていた金平糖を口に放り込み装具を付けて砂浜を奔って海に向かった。

砂浜からの発信は走って海へ飛び込み発動機を吹かすだけだ、若干のコツは必要だが体が慣れているので問題ない、長距離用の艤装を下ろして戦闘用艤装しか担いでいないので少しばかり身軽になった。

岸から2キロのところで『神通』と合流する、哨戒でのシフト交代の際は必ず前任者からの“申し送り”を受ける。

 「南に100キロのところに第一防衛予備線を確認しました、哨戒チームらしき二個巡洋艦戦隊が警戒しています」

『神通』は手早くメモ帳を広げ、間に挟んでいた周辺の白地図を広げて説明を始めた、彼女は激しく疲労していて、腕には注射跡が二か所見える、だが口調や仕草からは全くその様子は伺えない。

 「突破出来そうですか?」

 「夜間の隠密突破なら問題ないでしょう、夜間索敵機や空母の類は確認できませんでした。ただ、第二防衛線がどこに設けられているかはこれから考えなければいけません、場合によってはソロモン海への迂回も視野に入れなければなりませんが…」

 「わかりました、早く帰って休んでください」

『神通』は軽く敬礼して体を引き釣りながら島に向かった。

 「さっき突っ込めなかったけど、どこまで哨戒しに行ってるのよ…」

100キロと言ったら、ダントルカストー諸島そのものの長さと同じである、だが第二目標の旧オーストラリア大陸ケアンズまでの距離が約600キロあるのでそこまでの長距離とは思えなくなってくるから困る。

 防衛線と防衛線の間というだけあって、敵影らしきものは全く確認されなかった、だが哨戒ルート最南から数十キロ外れると確かに第一予備防衛線の敵深海棲艦が確認できた。

しかし、何も起きることなく日が海に入り交代の時間が迫った、島に戻ると不用心にも薪が焚かれているのが煙で確認できる、交代は『陽炎』が来た。

 「おつかれ、なんかあった?」

『陽炎』は夜間用の装備を背負っており、マストに付いている八木アンテナが目立つ。

 「南に敵の予備防衛線があるわ、接近しなければ大丈夫そうだけど、潜水艦とかには気を付けてね」

『天津風』は予備弾薬で余計に預かっていた2セット四弾倉を渡す。

 「そういえば、黒潮は大丈夫だったの?」

途中で撤退した『黒潮』とは直接の関わりはあまりなかったが、すれ違っただけあり少し気になった、そして何より『黒潮』は彼女の直系の妹であり気にかけているだろうし情報も何かしら持っているだろう。

 「……戦線復帰は無理だって。なんせ当たり所が少し悪ければ肩から先を切ってたらしいから、南方司令部の工作艦から連絡が来たわ」

彼女はそのまま哨戒に向かった。

仮拠点に帰ると夜に備えてガスランプに火が入れられていた、火には飯盒に入れられた大和煮が暖められており、麦飯は『時津風』がおにぎりに錬成していた。

 「なんでそんな馬鹿みたいにガッチガチに固めてんのよ、時津風」

彼女は真四角になるまで飯を固めていた、意外と元気そうで拍子抜けしたが、迷惑以外の何物でもない。

 「ここでコメは全部炊いて携帯食にして持ってくんだって、だからちゃんと握っとかないと」

 「限度かあるでしょ限度が」

この先に備えて『神通』は一時間限定で薪を起こしていた、戦線で温食とは贅沢だが、食べられない生鮮食品を持ち歩くより調理して携帯したほうが良いという判断だろう。

兎にも角にも食事だ、『陽炎』の分を残して全てが金皿に割り振られた。

戦線での食事は味わうものではない、単なる栄養補給の一環でありもはや食欲を満たすような悠長な事では無くなっている。

故に味は二の次で、油気の全くない何かの肉の大和煮とポロポロと零れ落ちる麦飯を掻き込んで、五分で食事を終了した。

夜になると辺りは漆黒に包まれ、月齢も若いため月明かりもほぼ無いに等しい、だが空を見上げれば一面を覆う星が嫌でも目に入る。

だがそれ以外にも光はある、数キロ先に存在する“塔”の赤色灯だ。

赤色灯はちょうど新島の一番端に立っており、十六倍眼鏡によるミル測距では高さ約300メートルの筒状格子構造の電波塔か何かで、塗装は剥げてしまっているため詳しくは確認できないが黄色と黒の塗装が施されていたようだ、ちょうど100メートル間隔で赤色灯が設置されているのか三つの赤い灯りがかろうじて見える。

いくら新島とは言え、この場所はもう何十年も人が入っていない場所で、しかもあの塔は太さが10メートル無いにもかかわらず支える空中線が一切見えないのだ、距離があるた見えていないだけかもしれないがもしないとするならあれは今の時代の建物ではないことになる、そもそも無線塔ですら100メートルせいぜいが普通、それでも高いくらいだからあれは普通の電波塔ではない。

深夜は二手に分けて哨戒する、二人一組で二組が海上哨戒、もう一手は島を徒歩で歩いて回る、もちろん宿営地にも哨戒を立てる、これで八人が立ち残りが寝ることになるが二時間交代で翌日は六時行動開始なので一人仮眠時間は六時間無いことになる、だがそれでも十分すぎると皆思っているだろう。

通常哨戒、もっと大きくいえば歩哨を立てる場合は、一人の睡眠時間は四時間程度になってしまう、歩哨は立っている人間だけの仕事ではないからだ、もっと言えば控えの人間も立っている人間と同数要る、従って休憩できる人員は全体の三分の二という事になる。

今回は日中の哨戒で敵艦を全くと言っていいほど近海で確認できなかったので休息を第一とした、もちろん艤装のレーダーはつけたままで12キロ以内に敵艦が接近したらランプが点灯するようセットされている。

昼哨戒に就いた『天津風』は『時津風』と一緒に二番目のシフトの歩“哨戒”に就くこととなった、陸での戦闘は想定されていないが、万に一つ陸戦になった時の場合に備えて拳銃が個人装備となっている、普段はホルスターと一緒に背嚢の奥底で錆びているのだが、今回は艤装を外しホルスターを装備し万が一に備えることとなった、去年からは時代遅れのエンフィールド回転式拳銃からM1911A1自動拳銃が採用されている、予備弾倉を一つホルスターに収納し重量は2キロに届くほどだが回転式よりマシということらしい。

撃つ機会は射撃訓練の時くらいで、しかも士官学校で撃ったきりなので何度が動作を確認したほどだ。

ちゃんとした“国産品”なので適時油の補填が必要らしい、反動は酷いと言われたが私達にはさほど問題なかった、余談だが旗艦は短機関銃又は小銃携行が義務図けられているが『神通』がどっちを何を持っているかは知らない。

 歩哨勤務中は光はもちろん会話も禁止だ、全てハンドサインで行う、「進め」「止まれ」「伏せろ」「散れ」など九通りのハンドサインがあるが、どれもフィーリングで分かるものばかりだ。

歩き始めて二十分、数メートルの距離を空けて歩いていたが少しずつ距離が詰まってきているのが足音で分かった。

『天津風』はジェスチャーで離れるように示したが、『時津風』は暗闇でもはっきり分かるくらいに頭を左右に激しく振った。

仕方ないのでそのまま歩き続けたが、また二十分経つと『時津風』は擦り付く様に『天津風』にべったりと付いた。

もはやいつもの事なので気にせず歩き続けると、ここにも輸送船がある程度流れ着いているのが確認できた。

原型はないもののこれは船だったと分かる程度に瓦礫が密集している、だがここにあるのは船の残骸だけではない。

支柱と砲身だけになった大砲が二~三門だけ確認できた、いずれも長砲身で装填が自動化されていたのか電源装置と周辺機器のボックスが見て取れる。

飛行機も幾つかあったが、腐食が激しいどころかほぼ分解されている為機種すら確認できなかった。

島を一周するわけにもいかないので、5キロ拠点から離れたところで折り返した。

帰ると懐中時計で丁度十時を回るかというところだった、皆狭い天幕の中で横になり不気味に静かな呼吸音だけが鼓膜を震わす。

装具を下ろして次の歩哨の順番の二人を起こした、次は『陽炎』『不知火』だ。

 「とぼとぼ歩くなんて性に合わないもんね」

十六駆の天幕内に腰掛けると『天津風』はぼやいた。

 「何とも言えぬ…」

そう言って『時津風』は夢の彼方へ走り去る。

『天津風』も上着だけは脱いで横になる、毛布も何もない砂の上だが十分に睡魔が勝った、『雪風』の脚を枕代りにしてとりあえずの仮眠とした。

 

 翌早朝、『時津風』に殴られて『天津風』は起床した。

時計は四時四十四分、少し不気味な感覚になったがすぐに『時津風』の方を見返した、勿論彼女はぐっすりだ。

もう一度寝付こうと横になり、黎明に染まりつつある外から目を逸らすと、赤い灯りが視野の端に入った、同時にモーターの作動音が虫の鳴声よろしく鳴る。

『天津風』は跳ね起き、レーダースクリーンを除く。

他の天幕からも一人二人と出てきてレーダーの様子を見に来た。

まず入ってきたのが隣の天幕の『不知火』だった。

 「何か見えますか」

スクリーンには微小な波長の歪みこそ見えるが、識別するには特徴が無さすぎる、長時間使用による回線の異常とも考えられるが、間違いなく観測された“対象”は移動している。

 「海上じゃないわ、すぐに神通を呼んで」

『不知火』が呼びに行こうと立つと既に外に『神通』は立っていた。

 「十分観察してください、その間に私は全員に準備させます」

 「分かりました」

早朝の砂浜は小波響く異様な緊張感に包まれた。

間もなく全員が艤装をすぐ装着できる状態で集合しその後のを見守る、この時点でこの波形がノイズで無いのは確定していた。

間もなく波長は大きくなり、20キロ1ミルで側的できるようになった、さらに波長は別れて2つになり南西方向の座標へ移動していることが分かった。

『神通』が地図上に鉛筆で観測された座標を記し、対象の移動路を推測する。

幸い対象は離れて言っているが、導き出された座標は不穏にも規則的な模様を描き出している、ちょうど孤のように滑らかな曲線を描き、対象は旧濠大陸方向へ移動して言っていた。

 「対象を敵航空機と識別、これより早急に移動を開始します」

全員すぐに天幕の解体に入った。

『神通』のような一艦隊の指揮官には戦術や戦略のほかに、敵兵器の性能や運用知識を保有している。

地図上に描き出された僅かな孤は延長すると直径約1000キロの円になる、中心を図るには誤差が大きすぎるがこれが“索敵機”だと推測するには十分だった。

中心はちょうど珊瑚海の中央辺りで、片道行動範囲数百キロの艦載機相手にはこちらの索敵能力は圧倒的に不利になる、敵が日が完全に登りきる前に艦載機を飛ばしているとすれば敵索敵機は電探の類を装備しているのかもしれない。

いずれにせよ補足される前に距離を稼いでおきたい。

天幕は現地に残置され装備を10キロほど軽くして二水戦は出発した、予定より一時間早い出発だ。

封鎖していた回線を開き、暗号回線で一水戦に呼びかける。

一水戦からはすぐに返信が来た、彼方も同様の反応がレーダーに出ていたらしく、出発準備だけは進めていたようだ。

出鼻を挫かれたが、主導権を握るためにこちらが先手を取る必要がある。

兵力が少ないが、なおさらこちらから仕掛けて主導権を握る必要があるのだ、多い兵力で主導権が握ればそれはもう戦は決まったようなものだが、逆に少数で主導権を握れば勝機が見えてくる。

二水戦は一水戦と合流した後、旧濠大陸の都市ケアンズへ航路を執る。


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