天(そら)別つ風   作:Ventisca

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舞台の町は昭和初期の呉あたりの軍需都市をお手本にしました。
内容事態は短め?です。


第壱章 語る海の鐵城

 春と言ってもまだ迎春より二ヶ月経ったばかりで、まだまだ肌寒いばかりである。

特にこの様な海に近い都市は、まともに海風を受けるため、内陸の都市より一層寒

い。

もっとも、海に面した都市など数える程しかないので、なかなか珍しいらしく、人

はやたらと多い。

古くからある町を中心とする都市で、最近起用されたコンクリートの建築物や、数

十年のレンガ造りの古い洋館、石垣や板垣に区切られた和風古民家が両立している。

道は殆ど舗装はされていないが、車はまともに通れるようにはなっている。

もっとも、車は主に軍用車が殆どで、民間は未だに人力に頼っている。

この、“現在となっては”珍しい海町はこの海洋国家に四つしかない海軍鎮守府の

ひとつであるが、一目では分からない。

しかし情緒のあるこの都市にそれを裏付けるような非日常的なものが三つある。

一つは、一番海に近い道路の更に外側に、基礎が固められた海岸線に隣接している、

警戒用超高周波電波索信儀敷設塔である。

四角形のこの塔は高さ10メートルから12メートルあり、間隔50メートルの間に空中

線が張り巡らされている。

悪く言えば、折角の綺麗な港町が台無しである。

もう一つは、レンガの壁と有刺鉄線に囲まれた広大な海軍所有地である。

軍艦用の工廠、軍港、寂びるジブクレーンはあるが、艦艇はそこまで停泊しておら

ず、その殆ども陸に繋がれている。

その代わりに、モルタルの剥げた古い兵舎が何百棟も建っていて、まるで船が人に

取って代わられた様な印象を受ける。

そして最後の一つは、一般人及び軍関係者立ち入り禁止の町である。

この都市、海軍駐屯のこの町に、一般人と軍関係者以外誰が居るものか、と誰もが

思うが、そこを疑問に思う人はそう多く無いようで、警戒線の前を素通りするのが

普通になった。

 だが其れも之も、比較的にここ最近の変化で、つい二十年から三十年の間の変化

である。

知らぬ間に人々は馴染んでいるし、遠方で起きている事も知る由も無い。

海洋の大部分が詳細不明(アンノウン)状態であるため、他国からの情報も封鎖され、

さらに軍による情報管制などにより、民間人は自然と情報への興味を失っていった。

それでも、何かに脅えている風潮は依然とした状況である。

しかも数百年寄り添ってきた人による侵略の恐怖ではなく、壊滅の危惧を誰もが予

知し得た。

今やか細い海上輸送線で取引されている大陸との貿易も、もはや有るようで無い物

である。

じわじわと無くなってゆく他国の物や、民間に出回らなくなった鉱産物である鉄や

銅、アルミからそれは察しがつくだろう。 

 このような国が、まさか世界の運命を決するような力を持っているとは思い至ら

ないだろう。

なにせその力たる海軍力は正に、“そこ等辺を歩いている”からだ。

 

 

「何回目だろうかな、この糞寒い道を歩かされるのは……」

海軍の敷地内へ続く道をひたすら歩く若い海兵の姿は珍しいものではない。

しかし彼は中将という、いわば御偉方である。

「好いじゃないですか、久方ぶりの内地なんですから、いつも暑いだけよりは幾ら

か良いですよ」

その隣を小柄で外套(コート)を羽織った見た目からしても美しい女性がやや後ろを

歩いている。

たまにすれ違う人は、若い中将よりもそちらに目が行くようで、すれ違った後も、

しばらく振り返って彼女を見ていた。

「そうは言っても、車くらい用意してくれればいいのに。外泊港から本部まで7キロ

あるんだし」

そう言って彼は、肌寒そうにポケットに手を突っ込んで歩いていった。

 彼等はさらに二十分ほど歩き、ようやくという様子で、海軍鎮守府施設の入り口

へ着いた。

「身分証明を」

いつもの調子で門兵が聞くと、門兵は彼を二度見した。

なにせ彼は、上級士官が何時も帯刀している金メッキ装飾のされた軍刀を提げ、そ

して士官のトレードマークでもある純白の海軍服に勲章をじゃらつかせて胸章の下

に沢山つけていたからである。

「いや…失礼しました、中将閣下。どの様な用件でありましょうか」

急に畏まった様子になった。

「いつもの…、あぁいや海軍方面艦隊司令部総会だよ」

さすがに十年目なのでもう手馴れた手順で立ち入りの許可を得た。

「そちらの御方は?」

門兵が手で示した先には、黒い海軍外套を羽織った黒留袖姿の女性が居た。

彼女の真っ黒な浴衣には鶴の刺繍が入っており、両胸の家紋は菊花である。

これだけでも十分、上品な印象だがさらにそれを洗練させたのは、彼女の美しい黒

髪ポニーテイルで、黒い外套にも紛わず煌いている様である。

「ああ、こっちは秘書艦の『鳳翔』だよ」

門兵はきょとんとした顔で立ったままだった。

「いや初めてです、『艦娘』さんにお目にかかるのは」

直ぐに彼には察しが付いた、この門兵はまだ赴任したての新兵であると。

「ならついでに覚えとけ、海軍施設に出入りする半分は『艦娘』だからな」

これまた門兵はきょとんとしたが、彼はもう構う気は無く「ありがとう」と無愛想

に言ってレンガ造りの門をくぐった。

「ご苦労様です」と『鳳翔』も声をかけた。

門兵はその言葉に敬礼で返した、おそらく“大佐”の外套の襟章を見たからであろ

う。

「そんなにこの町では珍しくは無いだろうがねぇ」

説明するのが面倒くさかったようで、さらに疲れたように見えた。

「まだ情報管制はしっかりしているんですね、感心しました」

「そんな事言ってられないよ『鳳翔』さん、情報は共有するもんだからね」

真面目そうにそう言い放つと、『鳳翔』の顔はすこし綻んだ。

「いつもそんな風に真面目に会議に参加してくれませんかね」

「あんなの机上の空論だよ、参加して決めた事だって前線では覆されるからね」

「だったら今回の召集、お断りになればよかったのに」

少し反論されたように感じ、『鳳翔』は少し拗ねたような顔になった。

「そういうわけには行かないよ、出席しないと我が方面艦隊の面子が立たないから

ね」

 門を入って直ぐの空き地を抜けて、五階建ての事務塔に辿りつき方面海域の各書

類をかき集めてもらい、黒いバインダーに閉じて『鳳翔』に渡した。

二人は正式な手続きをさっさと済ませてさらに奥にある会議塔を目指した。

 この海軍鎮守府施設は、軍の施設らしく塀に囲まれた海岸一帯を敷地とする長さ

数キロにも及ぶ複合施設である。

中には軍港までもが収容されていて、ざっと見た感じいつも数千人が働いている。

その端のには、この町を非日常たらしめている立ち入り禁止の町がある。

この海軍に数年勤めている者は自然と其処が『艦娘』達が住んでいるんだなと自然

と察する、そしてそこにはこの鎮守府の幕僚長すらはいることは出来ず、僅か三十

一名の方面艦隊の提督しか入ることは出来ないらしい。

「まだ何人暇(予備役)の娘がいるんですかね」

右脇に抱えたバインダーを大事そうにもって『鳳翔』は言った。

「まだ居るさ、なにせわざわざ作った真新しい町に誰も居ないとなると寂しいだろ

う?」

二人は会議塔に続く長い杉木の床の廊下を左端に寄って歩き始めた。

「それに、まだ居るはずだ、本当の主力が。未だに使いたがらない奥の、奥の手が」

「根拠は何です?」

「まだ現場に余裕があるからな、多分俺よりも御偉さんは知ってるんだろうがな」

「それもそうですね」

何の考え無しに言っているのではと思ったが、『鳳翔』は安心した。

自分も少しそう思っていたからだ。

「早く、もっと若い娘に変わってもらって、ゆっくりすごしたいです」

溜息でも搗きそうな調子で『鳳翔』はいった。

それもそうで『鳳翔』はもう一つ前の世代の『艦娘』で、その腕が買われて第一線

で活躍しているからである。

「そんなことないよ、十分に立派だ近くに居てもらわないと。それにまだまだ綺麗

だしね」

最後のフレーズが耳に残りむず痒かったらしく、

「どこでそんな言い回し覚えたんですか、もう……」

といったが、それでも少し嬉しかった様子で、今年三十丁度の中将も、初々しい笑

顔を零した。

「俺だってもうこの世界に十数年居るんだから、嘗めてもらっては困るよ」

 余裕のある話とは裏腹に、目指す会議塔の大会議堂に近づくにつれて徐々に緊迫

感が増していった。

「どうもこの雰囲気嫌いなんだよな」

表情を強張らせてながらも少しずつ堂へ近づいていった。

粗方そろった様子で、入り口の両開きのドアは開け放たれており、思ったよりも空

気は張り詰めていないようだ。

彼のこの会議での唯一の知り合いは、東方甲方面艦隊の提督で同じ階級の中将であ

った。

この提督とは、同じ期の海軍士官ではなく、この職の予備役となったときに偶然会

って特別馬が合ったと言うだけであった。

ぱっと見渡して見当たらなかったので、今度は秘書艦のほうを見つける事にした。

すると彼女は直ぐに見つかった。

「やあ『加賀』さん、あの中将は一緒じゃないのかい?」

すらりと高い背の、真っ青な色留袖を着た『加賀』は、いつものように凛と構えて

まるで正装が普段着であるかのようである。

「はい、今日は東南の泊地に遠征訪問とかで席を外しています。変わりに私が」

『鳳翔』と同じく、外套は着ていたようだが、室内にしばらく居るらしく丁寧に折

りたたんで腕に抱えていた。

「『加賀』さん、いつも正装がお似合いですね」

『鳳翔』が微笑んで声を掛けると、『加賀』も若干表情を崩して、

「いえ、まだ着こなしも経験も貴女には及びません」

階級はどちらも大佐だが、『鳳翔』のほうが若干秘書として経験豊富なので敬意を

払っている様子である。

 二、三言の話をして、予定の時間が近かったので会議堂へ入った。

十九名と二十名の秘書艦が円卓の前に並び一通りの挨拶のあと、現海域状況につ

いて意見が交わされた。

この会議には陸軍は参加しないし、参加しても意味が無いだろう。

敵は人ではないし、それに立ち向かう力も持ち合わせていないからだ。

そして現状この世界の命運を握っている彼らは、極めて静かに議論を交わして言っ

た。

現状がまったく変わりない海域、急に突出して深海棲艦が進出してきた海域、以前

より広がった海域などで、必要兵站の割り振りが行われたが、大きな艦隊編成の動

きはなく、一昨年の八八次方面艦隊編成案のほぼそのままであった。

次に話し合われたのが、このまま略一兆反な攻めの体制を続けるか、とか敵の攻撃

侵攻、撤退パターンはあるか、とか大体毎年同じ事が話されるが、今回はある一定

のパターンを掴んでいた。

全海域に共通して見られたのが、明らかなる深海棲艦の強化と、平行を保つ戦線に

おいて敵は平行をたもち、別海域で海域が広がると別の海域では敵が海域を侵攻し

たりなどのプラスマイナス零の状況であった。

しかし最近は明らかに攻めの状況が見受けられると最前線の提督は口を揃えた。

 結果として今回は、大火力艦の戦線配備などに重点を置いた会議となり、例年通

り3時間ほどで終わった。

「よくこんなつまらない会議を毎年やる気になるよな」

会議が終わったので一番上まで止めていた桜ボタンを全て外し、楽な服装になった。

「でも、今回は良かったじゃないですか」

今回最終決定した艦艇移動の書類を見て言った。

「うちの方面に重巡洋艦隊と二水戦が配置されたんですから、それに二水戦は最近

新しい駆逐艦の娘を迎えたらしいですし」

ふうっと溜息を搗いて提督は言った。

「そんだけうちの方面が重要視されるようになったってことだな。こりゃ荷が重い」

「そんなこと言わないで下さいよ、提督は十分実力はありますし、それにこれから

二水戦の第十六駆逐隊の娘達を迎えに行かなきゃ行けないらしいですし」

円卓の上に広がった書類を纏めながら詳細を説明した、他の提督と秘書艦はもう近

くにはいない。

「こんな口下手で変な提督についてきてくれるかな」

冗談交じりにいったものの強ち間違いではないので『鳳翔』は否定しなかった。

「変ではないですが、ちょっと変わってるんはたしかです。あと可愛い娘には目が

無いですし」

「おいおい、そこまで言わんでも……」

苦笑いしながらも全文否定できなかった、長年一緒なので悪い癖は直ぐ指摘されて

しまうのが分かっていたからだった。

 兎にも角にも十日後には方面艦隊司令部に戻らなくてはいけないので、新しく赴

任してくる二水戦とは司令部で顔を合わせる事とし、一緒に帰って艦隊に迎えなけ

ればならない第十六駆逐隊を迎えに行くことにした。

『艦娘』といっても戦線の司令部まで自力航行して辿り着くわけではない。

なにせ一番遠い戦線は五千浬も離れているからである。

なので、主に彼女等も海軍専用の武装貨客船に乗って普通の人と同じように移動す

るのだ。

 正午には終わった筈の会議だが、各部署への書類の提出や人事移動申請書の作成

で鎮守府内を駆け回った結果、結局夕刻となってしまった。

「さあ、最後に配備部門だ」

気づくと、二人は山のように増えた書類を手に持っていた。

「さっき同じような部署ありませんでしたっけ」

「さっきのは配給部門だよ『鳳翔』さん」

苦笑いしながら答えたが、本当にうんざりだという感じだった。

 溜息も搗く暇も無く、次は二水戦の新メンバーを迎えに行かなければならなかっ

た。

3キロほど本部施設から離れた偽の町に彼女等は匿われているらしいが、遠目で確

認したが、特別警備が厳重なわけではなく、かと言って塀やフェンスで囲っている

わけでもない。

傾斜10度ほどの坂道の途中に造られた、本当に唯の町のようだった。

 本部施設から出ると直ぐに旧舎が見える。

夕日が丁度西方向の島嶼に垣間見え、射す光が区別無く、辺り一帯を朱色に染めて

いる。

その夕日はレンガ造りの旧舎をより一層濃い茶色に染め、辺りと違ってこの建物だ

け強く日の光が照っているように見えた。

しかし偽の町は違った、山の中腹にあるため略日の光は通らず、まだ日没前だとい

うのに不気味に暗かった。

偽の町までは、右に見える旧舎と塀や町の高い建物、左の夕日を乱反射させ淡く煌

く内海以外は中央には何も無い。

ちょっと木が生えている程度で、全くと言って良いほどの空き地が続いていた。

海側の縁に道があり、ずっと偽の町まで続いている、人の通りは多い様で道には草

は生えていなかった。

二人は、本部施設を出て早急に迎えに行くことにした、何せ時間が無い。

「灯りは一応付いていますね、ちゃんとした町のようで安心しました」

夕日で暫し暖かくなったので、二人とも上着を脱ぎ、やっと春らしくなった外気を

実感していた。

「『鳳翔』さん、あの町は初めてかい」

「私が着任した頃にはあんな大層なものありませんでしたよ」

へぇ、と提督は言って見せたが思いの他意外であった。

キャリア=艦隊創設暦をもつ彼女が知らないと言う事は、普通の『艦娘』は余り関

わりが無い様だ。

「どうりで、唯の町じゃない訳だ」

提督は朱色の海から街に視界を移動させた。

「あの町の灯りは生活灯じゃあないな」

『鳳翔』は町を凝視した。

「どうしてそう思いますか?」

「あの灯りの位置は、どう考えても窓に対して低すぎる」

町灯りはあるが、確かに漏れる光は窓の真横方向や真下からのもので違和感があっ

た。

「たしかに、蛍光灯にしては位置が低いですし、それに光量が少し多過ぎる気もし

ます」

納得がいく解釈としては、近寄られたくないから偽の町自体を完全に立ち入り禁止

にし、近寄られたらばれる工作とは、この偽の町さえも偽装であるという可能性が

あるということだ。

「あそこは昔、超弩級戦艦建造用秘匿工廠(ドッグ)があったそうだ、それも三つ」

脇に抱えたままの書類から鎮守府施設周辺の古地図を取り出し、ぱっと片手で広げ

た。

「そこから“必要無くなった”工廠を埋め立てて、あの町を造ったとしたら」

「あの町も擬装ということは解釈しますが。では私達は何処に迎えに行けば良いの

でしょうか?」

だんだんと近づく町の周りには、レンガが四角く綺麗に積んである箱の様なももの

が転々と木々に隠れて隣接している。

それには外装のモルタルは模されておらず、長方形のレンガが?き出しで、その上

には鉄パイプで作った金網の様なものが固定されている。

「下(地下)か」

近くの金網から吹き上げて来る風から、彼はそう推察した。

「まさかこの下に防空壕でもあるんですか」

「壕なんてデカさじゃないな、これはちょっとした町くらいでかい」

町はもう其処だが、この本当に“偽物”のまちには用はない、目的が地下ならば必

ず入り口はある筈で、二人は夕闇の中、少し立ち止まって辺りを見渡していた。

「『鳳翔』さん、鍵か何か貰ったかい」

「いえ、なにも貰ってません。ただ此処に来れば分かるとだけ」

辺りを見渡しても入り口らしいものは、無いわけではないがあからさま過ぎるくら

いの小屋が二~三軒建っているだけだった。

「まさかこんなトタン張りの襤褸屋が入り口な訳…」

一番近くに建っていたあばら屋の壁に手を掛けてギシっとよりかかった。

しかし、その瞬間に寄り掛かった壁に違和感を覚えた。

「『鳳翔』さん、そっちの小屋はどんなのだい」

不意に、20メートルほど先の小屋の近くに歩いていった『鳳翔』に違う小屋の様子

を聞いた。

「ただの木の小屋ですが」

提督は『鳳翔』を呼び、自分の横の小屋を見させた。

「これはただの襤褸屋じゃない、よく見て」

『鳳翔』は5メートル四方ほどの小屋の外壁に注意を寄せていると、ふと気づくこと

があった。 

「この小屋はトタン張りではありませんね」

小屋の一番端の角を指差して、それを見つけた。

トタンとトタンが丁度直角に交わるところに、錆びたトタン板とは全く違う材質の

壁が顔を覗かせていた。

「この小屋は鋼鉄製だ、となるとこの小屋が当たりか」

正面のドアのノブを勢い良く引くと、意外なことにスッと開いた。

「最初から入られないことが前提の擬装だったんだな」

『鳳翔』は意外と驚いた様子ではないが、内心宝探しでもしてるような心地だった、

また提督も同じである。

室内は真っ暗だが、銀色の手すりが真っ暗な地下へと続いている。

幅は1.5メートルほどの急な階段は、出入り口の直ぐ近くにあり、脇には灯りのスイ

ッチらしきグリップがある。

「どれ、行ってみるかな」

「大丈夫なんですか?」

少し不安そうに、提督の後ろに立って『鳳翔』は言った。

「施設内にあるんだ、と言う事は軍の管轄って事だよ」

灯りのスイッチを付けて、二人は提督を先頭に階段を降って行った。

少し降ると、入り口のスイッチで付いたであろう電球がずらっと光の帯のように地

下に向かって伸びている。

電球はコンクリートの壁の中に埋め込まれていて、少し黄色い光で3メートル四方の

地下通路を照らしている。

コンクリートはまだ真新しく、通路は地下の冷たい空気で満たされている。

2分ほど降ると、火の灯りらしき明りに照らされた平らなスペースが現れた、天井も

高く部屋は10メートル四方ほどあり水道やボイラーのものであろう太いパイプが壁

に隣接している。

部屋に入って左側に両開き鉄格子の扉が2つあり、手前の扉は南京錠が架かっており

手前の扉は人の出入りが頻繁らしく開いたままである。

「さてと。落ち着いたところで事務員さんに会わんとな」

書類の中から人事の要項書を取り出した。

「誰が管理しているんですか?」

「えっと、大佐の『大淀』だね」

提督は見取り図を見ながら辺りを探したが、他に出入り口らしき物は無く、仕方な

く鉄格子の扉を抜けて中に入ることにした。

入り口を抜けると、通路と違って少し暖かい空間に出た。

「中将殿、お待ちしておりました」

提督は真後ろからの声に振り返った。

「丁度良いところに居てくれたね」

「いいえ、私が待っていたんです。大分遅れたようですが」

少し厭きれたように溜息を搗いた『大淀』は最新鋭の非戦闘艦娘らしく、艦種は一

応軽巡洋艦らしい。

容姿はぱっと見一番最初にアンダーリムの眼鏡が目に入ってくるだろう、セーラー

服であるがネクタイを身に付けていていかにも事務専用の艦娘である、短くした袴

のようなスカートを履き、スレンダーな印象に似合ったへアバンドの白く長い鉢巻

をしている。

「いやぁすまないね、ちょっといろいろ手間取ってしまって」

「まあ大丈夫です、日暮れごろの到着との事だったんで誤差範囲内です」

苦笑いを浮かべる『大淀』はそこまで気にしていない様なので、提督は安心した。

「では、改めまして。私が軽巡『大淀』です」

丁寧にお辞儀をした彼女の印象は、長い黒髪と共により凛々しい印象になった。

「こちらこそ、お迎えの中将です」

提督は一応帽子を取って軽く会釈した。

「秘書艦の『鳳翔』です」

どうも、と『大淀』と『鳳翔』は握手を交わした。

「ではこちらです」

『大淀』は紹介もそこそこに、案内を始めた。

先ほどの扉は、出ると直ぐにまた通路で、扉は二重になっていたようだ。

二つ目の扉をくぐると、高さ30メートルはあるであろう空洞に出た。

扉の外は、艦上ラッタルのように空洞の壁に沿って幅3メートルほどの通路が空洞を

ぐるっと一周している。

明りは、下の建物からの灯りと、空洞の天井の天窓から取り入れられる僅かな夕陽

だけである。

「この空間はやはり工廠(ドッグ)なのかい?」

提督は空洞を見渡しながら『大淀』の後に付いて歩いていた。

「ええ、そうですよ。高さ33メートル、幅36メートル、全長227メートルの大型工廠

跡を三つ繋げたもので幅は129メートルあります」

空洞の壁には巨大な鉄骨の柱が間隔置きに設置されていて、工廠の継ぎ目であろう

天井の箇所には天窓が設置されていて、柱の延長線上に鉄骨の鍼が渡されている。

余りに巨大な空間なので、中央から放射線状に鉄骨の支柱が敷設されている、その

合間に大凡二階建ての長屋と、所々にコンクリートの天井まで届くビルが建てられ

ている。

下方向から照る繁華街のような雑多な淡い明かりはさながら都市の用である。

「ここは私の聞いた通り、艦娘の町のようですね」

『鳳翔』は今まで見たことの無い光景に無邪気にはしゃいでいるようで、好奇心に

溢れた顔で微笑んでいる。

「最新鋭または極秘扱いの一等戦列艦娘や、待機中の艦娘、さらに現役を退いた二

等、三等戦列艦娘、予備役の艦娘が暮らしています。必要品などの雑貨は全て外界

と全く同じようにそろっています」

夜が近いせいか通りの人影は疎だが、軽く数十人は居そうだ、見た目では、上の港

町より活気がありそうである。

「上より立派だ」

「そんな事はないですよ、昼間も少し薄暗いですし夜は直ぐ暗くなります。なによ

り閉所ですから、暮らすには少し違和感がありますね」

説明をしつつ『大淀』は坦々と歩き続け、通路の一番端までやってきた、通路の最

後には網目模様滑り止めが施してある階段がある。

「お迎えの艦娘は、人事部から連絡を受けています。第十六駆逐隊の『天津風』で

すね」

3人は階段を降り、長屋に挟まれた灰色のアスファルトの小道を歩いていった。

「駆逐隊全員じゃないのか」

「はい、他の駆逐隊のメンバーの三人は洋上訓練も終わってもう先に経由泊地に先

んじています。残っているのは『天津風』と旗艦『神通』です」

駆逐艦娘の『天津風』は水上航行機関に新しいものを使用した試作艦艇(プロトタイ

プ)らしく、その新機関で少し覚束ない事が多々あった様であり、そのため洋上訓練

が先日まで縺れ込んだため、今日まで本土待機となったとの事であった。

 かれこれ10分歩きっぱなしで、ようやく目的の場所に辿り着けたようだ。

「では私は此処で失礼します、今日はこの後どうなさるおつもりですか?」

長屋の一番端の三階建ての立派な母屋に着いた、灯りは煌々と障子から漏れてきて

いて、灰色のアスファルトを橙色に染めている、あたりはもう夜で闇に包まれてい

る。

「今日は遅いから、顔を会わせて明日の予定を伝えたら帰るよ」

「分かりました、では九時まで門は開けておきますので」

「ああ分かった、ありがとう」

『大淀』は別れの挨拶を軽く交わすと、上の事務塔へ戻っていった。

二人は早速、母屋の中へ入ることにした、もう七時なのであまり時間が無い。

擦ガラスのガラス戸をくぐると中は地面から一段高い床が設けられていて、上から

は灯りの電球が二つ吊り下げられている。

室内は程よい柔らかい明りに包まれ、和装の落ち着いた雰囲気である。

「どうも提督、お待ちしておりました」

一段上がった直ぐの畳の床に一人、桜模様の一斤染色留袖に身を包んだ奥ゆかしい

女性が迎えた。

「お待たせしてしまったかな、二水戦旗艦『神通』大佐」

入り口から入って直ぐに提督は帽子を取り畳に腰掛けた。

「いえ、わざわざ御手を煩わせてしまったようで申し訳ありません」

『神通』は髪の後ろで萌黄色の大きなリボンをしていて、それ以外長髪を纏めるも

のはない質素な髪形だが、そこか清楚で物静かな雰囲気である。

礼儀正しい、まさに“華の二水戦”旗艦に相応しい艦娘だ。

「早速ですまないが、『天津風』は何処にいるかな。明日のことについて伝えたい

ことが多々あるんでね」

「彼女なら階段を上がって直ぐ奥の自室にいますよ」

『神通』は正から立ち上がり、必要書類を横の小さい桐箪笥から取り出した。

「『鳳翔』さん、書類の書き込み、すまないがよろしく」

「わかりました」

提督は帽子と帯刀を『鳳翔』と共に一階に残し、二階への急な階段を昇った。

二階の廊下の灯りは無く、二階の部屋も『天津風』が居るであろう部屋意外に灯り

の光は見られない。

提督は直ぐに部屋の襖の前に立ち、挨拶の言葉を即興で二、三言考えた。

「入るよ『天津風』」

襖を出来るだけ音を立てないように開けた。

『天津風』は訓練から帰ったばかりらしく袴に着替える、途中だった。

「ちょっ、なっ何で開けるのよっ!!」

『天津風』は行灯袴の上だけは着ていて、髪を縛っている途中だったらしく腰まで

ある銀髪はストレートに下ろされていた。

「わっ分かったすぐ出る出ます」

提督は慌てて出ようとするも、激情した『天津風』の重い平手打ちを食らった。

「もうっ!!、なんで着替えてるかどうかの確認もしないのよっ!!」

まだ履いていなかった下の袴で体を隠し、明らかに顔が真っ赤である。

先ほどの軽袖しか着ていない状態ではギリギリ下着が見えてしまう恐れがあったが、

現在の状態ではそれは回避された。

「本当にごめん、今後気をつけます」

提督は視線が彼女の体に向かないように土下座させられたまま部屋から撤退した。

「この変態提督っ!!」

そう言って『天津風』は襖を思い切り閉めた。

 提督はかなり落ち込んだ様子のまま下の階に降りてきた。

「どうしたんですか、その顔」

提督の顔は片方は掌大に赤く腫れていた。

「その、ちょっとやっちまってな」

『鳳翔』は少し気に留めたが書類を片付けていたのであまり考えなかった。

「上で何か?」

『神通』が神妙そうに聞くが、提督は言葉を濁らせただ唸るだけであった。

10分もしないうちに『鳳翔』は全ての書類に目を通し、あとは提督が記入するのみ

となった。

提督は何時も通りに、胸ポケットから万年筆を取り出すがどう見ても動揺していて、

筆先が少し覚束なかなかった、書類全てに記入を済ませると大きく溜息を搗いた。

しばらく『鳳翔』と『神通』は雑談をしていたが、それを遮るかのようにバタバタ

と上から足音が聞こえ、『天津風』が階段を降りてきた。

『天津風』も少し動揺を隠せない様子で、頬を薄く染めていた。

階段からまっすぐに『天津風』は『神通』の座る所の後ろに隠れる様に座った。

「提督、明日のことについてお話はされたんですか?」

『鳳翔』が『天津風』の様子を不思議に思って聞いた。

提督が口を開く間も無く、『天津風』が興奮気味に声を上げた。

「こんな変態提督のトコは嫌よ!、いきなり裸を見ようとするなんて」

『鳳翔』と『神通』は驚愕を隠せない様子であった、そして提督は手で顔を覆った、

かなり気不味い雰囲気である。

「いやいやいや、着替え中に部屋に入ってしまった事は謝る、完全に私の不注意だ、

けど裸じゃなかったろう」

提督は謝罪も含めて、この雰囲気を打開すべく早口で喋った。

「でも着替え中にいきなり入って来たことは本当でしょっ、変態よ変態!!」

駆逐艦娘とはいえまだ幼い少女である事に何等違いは無い、紺色の行灯袴と先ほど

はまだ縛っていなかった髪を白と黒の柄のリボンで小さく頭の後ろで二房ツインテ

ールに纏めて、残りの自慢の銀髪はストレートに下ろしている。

「もう提督、普通は入る前に確認しますよ。私じゃないんですからそんなに急に部屋

に入ってきたら駄目ですよ!」

『鳳翔』は少し頬を赤くして怒った、実は『鳳翔』も以前提督に同じ様な事をされ

て提督にはきつく注意していたのだ。

「『天津風』、少し言い過ぎですよ。わざとじゃないんですし、それにこれから同

じ泊地に所属する上司なんですから」

『神通』も少し動揺している様だが、相手が上官という事もあってか、提督を庇っ

た、提督にとっては心強い言葉であったが、かなり落ち込んでいた。

「変態は変態よっ!!、こんな変態と一緒の泊地なんて嫌よ!!」

先ほどよりは落ち着いたようであったが、以前として提督を睨んでいた。

このままじゃ駄目だど思って、提督は言い訳せずに謝罪することにした。

「分かった『天津風』、俺が悪かった、この通りだ本当にすまない」

提督は正座して頭を深く下げた。

少し気が止んだのか『天津風』から罵倒の言葉は返って来なかったが、まだ鋭い目

つきでを見ていた。

『天津風』はよほど怒っていたのか、頬を真っ赤に染めて少し涙目であった。

埒が開かないという事で『鳳翔』が無理やり明日の予定を伝えた。

「『天津風』、今日此処に来たのは貴女に明日の予定を伝えるためです。明日まで

私もここに泊まりますので詳しい事は追々話しますが、明日にはここを発つ用意を

しておいてね」

「わ、分かったわ」

『鳳翔』に対しては何も敵意は持っていないが、明らかに拗ねた様子だ。

「とにかく、明日は提督と私も含めて同じ船で南方経由泊地に向かってもらいます、

これから一緒に勤務するのですから提督を許してあげて」

『鳳翔』はさり気に提督を許してもらうに進言した。

『天津風』も流石に堪忍したらしく、少し表情が崩れた。

「いいわ、この変態提督のことは許してあげる。でも今度同じような事したら、今

度は生かしておかないわよ!」

そう言い放つと『天津風』は何時も通りの自信満々の自慢気な笑みに戻った。

「ああ、ありがとう。今後このような事絶対しないと約束しよう」

提督は少し安心した様で、姿勢を崩して胡坐を掻いた。

「でも変態は止めていただけないかな」

『天津風』はムスッとた表情になった。

「何よ、変態に変態って言って何が悪いのよ。今度から貴方のことは変態提督って

呼んであげる」

「君がそれで気が済むならそれで良いよ」

弁解は一通りしたので、提督は何時も通りに艦娘に対する自己紹介をした。

「では改めて、私が君の司令官になる南方丙方面泊地勤務提督、階級は中将だ」

そっと手を出し、握手を求めるも『天津風』はまだ警戒心が強く、握手には答えよ

うとしなかった。

「私が陽炎型駆逐艦九番艦の『天津風』です、次世代型駆逐艦のプロトタイプとし

て新型機関のテストべットに適任されたわ、他の駆逐艦と一緒にしないでね」

『天津風』はぱっと立って、右手を腰に当てて、左手は胸に添えた。

「ああ、よろしく」

『天津風』は立ったままで提督を見下ろして言い放った。

「で?、貴方はどんな考えで、どんなモットーで私達を動かす気なの?」

提督は意外な質問に驚いたが、何時も通り能弁に語った。

「私は君達を兵器としては見ない、従って君達は使い捨ての駒ではない。家族のよ

うに生意気に接してくれて構わない。そして私は君達をこの停滞した世界(現状)を

打破するために、私に与えられた力として存分に君達の力を発揮させよう」

提督は真剣な眼差しで『天津風』に弁論した、もっとも何時も提督は他の艦娘にも

自分のモットーは伝えていた。

しかし『天津風』は提督が真意にどのような思考であるのかを自ら見極めに来たの

だ、少なくとも、ここまで人を試す艦娘に提督は出会ったことはなかった。

『天津風』は少し微笑んで腕を組んだ。

「どういう風の吹き回しか知らないけど、面白そうな提督ね」

「認めて頂いたようで安心したよ、これからよろしく」

先ほどの印象とは全く違うものに提督は映っただろう、『神通』もとりあえず『鳳

翔』も何時も通りの調子の提督に安心した。

そして、開き直ったかのように『天津風』は最後に言い放った。

「貴方のような冴えない提督には私『天津風』が必要ね。いいわ、私が貴方に良い

風吹かせてあげるわ!」




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