天(そら)別つ風   作:Ventisca

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いよいよ機動部隊同士の艦隊決戦です。
といっても本章ではまだ序章ですが、それらしく仕上げてみました。
艦隊の組織系統は当時のものはよく分かってませんがそれらしく書いたつもりです。
分かる方が読まれたら違う点があるかもしれません。



第玖章 抜錨

「総員起こし!!」

四時きっかりに『神通』が起床ラッパを吹き回した。

いつもは六時の起床のため、二時間早い起床にかなりの違和感がある。

だがゆっくりしている場合はない、あと一時間後には湾に出て陣形を展開しなければならない。

 「全員十分以内に食堂に集合、食事を終了させよ!!」

昨夜貸し切った宿舎の二階で全員床に就いたため、バタバタと準備をするメンバーで一気に賑わった。

『天津風』は最後に吹流しの髪留めで結い、寝室を出るときに昨日もらったコートを羽織って出た。

金皿には三つのクロワッサンと同じく金属製の器に入れられた肉抜きのクリームシチューが並々入れられている。

四時十五分、食事が一斉に開始された。

飲み物には現地の殺菌済み牛乳が割り当てられていて、様式は士官と同じ扱いで本土とは大違いだ。

皆黙って食糧をかき込み、ただスプーンで金属を擦る音が室内を満たした。

出撃前は決まって主食がパンに決められているらしい。

米による、特に現地の衛生状況の悪い白米は任務に支障を来す可能性を排除できないため、どこでも衛生環境を一定以上に保てるパンが好まれた。

五分弱で食べ終わり、無人の調理室へ食器を返すと、すぐに昨日の倉庫へ足早に向う。

一切の会話無しに、小走りで外に出た。

口を噤んで、一瞬外洋を眺める。

まだ空には月が浮かび、風は『天津風』の髪を梳るたびに震えさせた。

南方特有の昼夜の温度差にはなれたつもりだったが、早朝起床に不慣れなため余計に寒さが応えた。

 倉庫内は照明が煌々と点けられ、自分達の装備が灯で光沢が良く見える。

まず、ベルトをスカートの上から身につけ、予備弾倉、応急処置用の救急キット、非常用のモルヒネ10ミリグラム注射器を携帯用ポーチに収めベルトに装着した。

次いでいつもの通り『時津風』に手伝ってもらって、腰に魚雷発射機構を装備した。

携帯弾薬を多く持つため、魚雷の次弾は装備しないように指示が出された。

今回は移動と戦闘を含めて三日間以上を想定しているため、装備を兵装のみにするわけにはいかない。

背負うものも魚雷以外に、三日分の携行食糧と四日分の飲料その他衣類関係、銃剣を背嚢に収納したものを追加される。

合計で、装備の重量は60キロに達し、単純に言えば自分より重い装備を背負う事になる。

最後にヘッドセット型の通信機兼ソナー聴音機を頭に掛けて、コートの中に通信機とソナーの本体を収納した。

 「装備の最終確認を終えたら、速やかに出撃スロープへ向います」

『神通』は背嚢以外に、電探の制御装置を背負っていて見るからに重そうだったが、気に留める様子もなく軽々と身を翻し外へ向う。

続々と出撃スロープへと向かう中、『天津風』は『時津風』の横に並んで歩いた。

 「今回も、よろしくたのむわね」

 「もちろん!」

『時津風』は二つ返事した。

一航戦率いる南方乙方面艦隊はすでに出撃していて、湾内で最終調整を行っていた。

四時五十分、街一体に空襲模擬警報が出される。

背後の街からは至る所からサイレンが響き、一時的に早朝の街を騒がしくした。

 「射出後は、そのまま航行して湾中央で周回して待機、その後は国際信号を用いて交信します」

次々と弾薬カートリッジが準備され、まず『天津風』達第十六駆逐隊四人が出撃する。

カウントは省略され、準備次第合図しろと『神通』が叫んだ。

ワイヤーの滑車が引き絞られ、射出の準備が整った。

施設内はカタパルトの準備する金属音と、艦娘達の気体に満ちた話声で満たされる。

 「十六駆、全員準備完了!」

全員がシャトルに足の固定を終わるのを確認すると『天津風』は叫んだ。

 「カウント省略、射出!」

ファイアリングピンがカートリッジ叩くまでに一瞬間があった。

姿勢を前傾に保ち、開かれた海を見据える。

ワイヤーが千切れんばかりに引っ張られ、一瞬で20ノットまで加速された。

眼前に深藍色の海が飛び込み、40ノットで海に文字通り投げ出された。

外の景色が視界に入り、若干暗さを失った早朝の空が見える。

次に海の色と相対する蹴立てた白波に視線をやった。

後ろに引っ張られるような強烈な衝撃に耐えつつ、姿勢を保ち目前の湾の中央へ向う。

五分30ノットの高速をあえて保ち、湾中央部につくと、すでにそこでは一航戦が出撃準備を終えて待っていた。

 「0455(マルヨンゴゴ)、時間通りになそうですね」

『加賀』はいつもと違った様相でゆっくりと湾入り口に向っていた。

腰部を挟むように分かれたシールドは戦艦のような儀装を身につけ、まさにフル装備といった感じだ。

武装はいままでの発艦用弓だけではなく、八九式40口径12.7センチ連装高角砲をシールド外部にそれぞれ四基ずつ計十六門、ついでシールド先端に三年式50口径20センチ連装砲計二基を備える。

火力は軽く重巡クラスはあるだろうと見られた。

淑やかな青く短い武道袴を纏い、袖には鮮やかに鶴の刺繍が施してあるが、邪魔にならぬように袖は惜しくも括ってある。

『赤城』はわきに静かに立っていた、武装は変わらないが弓の種類が明らかに違った。

ワイヤーを二本渡し、バラストのついた複雑な身長ほどあるアーチェリーボウにも見える。

湾入り口ではすでに第六戦隊率いる巡洋戦隊が半分陣形を組んで待っている。

まもなく五時になる。

 「0500(マルゴマルマル)、時間ね」

いつものように右横25メートルに『加賀』を確認し、帯を締める。

陣形が湾を離れながら形成され、綺麗な等間隔の組織体に変身していく。

 「フラッグより全艦へ。シークェンス2、『彩』島攻略開始を宣言する。VNP3を形成せよ」

無線を通して気の引き締まる命令を受け、全員が50メートルを保ちつつ第三警戒航行序列を組織する。

 「先頭二水戦、巡航速度で針路32(サンフタ)へ」

 「“神通よりフラッグへ、了解”」

『神通』が序列の先頭に立ち、背後に第八、第十五、第十六、第十八駆逐隊を従え、巡航速度25ノットへ加速する。

 

 「“7.30N134E地点到着、一時小休止”」

『赤城』の令下で、休憩が齎された、だが持場を動く事は許されない。

太陽は昇らず、空は十時にもかかわらず灰色を湛えている。

先頭に立つ『天津風』はしばし不安になった。

前方約10キロ上空には、明らかに低気圧だ。

 「戦隊旗艦、前方は低気圧ですか」

気になって200メートル左前方にいる『神通』に問いかけた。

 「“現地点では水銀柱は990ミリバールを指しています。三十分前まで1019ミリバールでしたから、恐らく前方50キロ以内に低気圧の中心がある可能性がありますね”」

 「針路は変更しないんですか」

 「その事について旗艦からの指示を待っています」

少しほっとしたが、『天津風』は本土で『時津風』と一緒に受けた低気圧突破訓練を思い出した。

南方では中心気圧900ミリバール以下の低気圧が珍しくないらしいと聞いていたので、是非とも出会いたくないものだと思っていた。

数分後、旗艦から無線が入った。

 「前方に低気圧を認む。よって針路を変更、一路針路62(ロクフタ)へ50キロ航行後進路を梯方に戻します」

休憩終了後、艦隊は一路針路を西へ執った。

『赤城』は『天津風』よりも深刻な心配事を抱えていた。

この迂回によっての時間的な遅延がもたらす影響は計り知れない、特にもう一方の艦隊との会合が無事に行われなければ作戦は難しくなる。

左に焼けた『帛』島を見て、艦隊は大洋のど真ん中へ進出する。

島が小さくなる頃に、持場交代して西側に移った『天津風』が鉄と燃料の匂いを嗅ぎ分けた。

 「旗艦神通、もしかしてあれは・・・」

単眼鏡で人工物を2000メートル西南に海上に確認した。

 「“察しの通り、戦艦級のメインマストでしょう”」

海上にひょっこり顔を出した一本マストと艦体中央の大型ジブクレーンが、辛うじてそれが『アジャンクール』のものであることを識別できる。

水深が深くて50メートルほどしかない遠浅の島南側で沈没したであろう『アジャンクール』がようやく目視で沈没が確認できた。

気付いたのは恐らく自分達だけだろうかと思った、『加賀』も沈没した艦を探すほどの未練紛いの心情はないだろうとおもったからだ。

帰りには『アジャンクール』の艦隊が陸揚げした物資に頼る事になるので、後続の第十一駆逐隊が一時島の安全確認を行う事になっている。

だが、今気にかけることは『加賀』よりも空の心模様だろう。

気圧は下がり続け、低気圧は成長の兆候を隠さない。

 「願わくば、海水以外でびしょぬれになりたくないものね・・・」

『天津風』が空の入道雲に向かい愚痴を零した。

 時間が経ち、針路は元に戻されようとしている。

 「“神通、低気圧の状況は”」

『加賀』がこれから偵察機を飛ばすために気象状況を聞いた。

思わしくなく『神通』は水銀柱を見た、現時点で940ミリバール、中心は900ミリバールは難くないだろう。

 「中心気圧は900以下、風速は30ノット程かと思われます」

 「“此処が大丈夫なら問題ありません、報告ありがとう”」

200メートル後方にいる『加賀』は、現地点ですでに風速17ノットはあろうかと言うのに、機の発艦を試みている。

激しく靡く髪を押さえて、一瞬『天津風』は艦隊の中央を見た。

金属を貴重とする黒金の弓矢は、ここからも確認できるが、それ以上に構える『加賀』の姿は凛々しいものがある。

天空を見据え、背後の悪天候など無いに等しい様子だ。

一本の矢が空中を裂く。

 「彩雲七二三空、雨雲に虹を架けよ。偵察隊発艦」

瞬きと共に五機の艦上偵察機C6N『彩雲』が空中に放たれた。

通常と違う機体特性のため、すぐに高空へと上昇していった。

 「“フラッグより全艦へ、これより準戦闘海域へ侵入する。対艦対空対潜戦闘警戒態勢を採れ”」

一斉に、四方からセーフティーを外す金属音が聞こえた、同時にここからは隊内通信が自粛され、駆逐艦娘は対潜戦闘に専念することになる。

太陽は天頂したが、食事の暇など当然期待できない、最悪食事無しで日付を越える羽目になるかもしれない。

『天津風』はヘッドセットを握った。

まず警戒すべきは空腹よりも敵潜水艦である。

潜水艦は従来、偵察や通商破壊、隠密攻撃に用いられるが深海棲艦の場合もっぱら攻撃にふられている。

ソナーで探知は一応可能だが、相手の深度次第で攻撃の可不可が左右されることが多い。

敵の潜水艦型深海棲艦だが、音はスクリューや航行音ではなく鯨ともイルカともつかない生体音らしいがあからさまに違和感のある音が聞こえるらしい。

だが、耳を海中に欹てるだけでは不足である、駆逐艦娘の主任務は本来は対潜戦闘だが、今回は哨戒ではなく護衛なので対空戦闘も行わなければならない。

もっとも、艦級でもっとも多忙なのは駆逐艦なので、悪ければもっと多くの任務を仰せ遣うこともある。

今の所は問題ないが、艦体左舷前方という末端に配置され、しかも無線管制まで行われている今は、艦体右舷や後方の様子は分からない。

艦隊の端から端まで約1キロ半ある、情報を時差(タイムラグ)は許されない、今は偵察機が情報収集しているため、旗艦が直接指示を下すが、夜間は個々の分隊単位で行動しなければならなくなる。

十六駆の分隊長である『天津風』自身、緊急時には指示を下さなければならない、そんな事態は願い下げだが、そうならない保障はない。

 「“右舷敵。十八駆、掃討せよ”」

突然『加賀』が指示を下した。

もっとも右舷にいる第十八駆逐隊に対応が迫られたらしい。

海域の場所からみるに、前作戦の残等だろう、しかし、敵艦隊の偵察の可能性も拭いされない、どちらにせよ掃討することに越した事は無い。

まもなく砲声が轟いた。

東方向約3キロ地点から黒煙が上がる、どうやら撃沈できたようだ。

 「“御苦労”」

『神通』が状況終了に際し、活躍を喜んだ。

他人事のように思えたが、いつあのような突然の司令を受けるか分からない。

一層気を引き締めて戦闘に赴くことが要求される、少なくとも『天津風』出来る限り対応するつもりだ。

 日が傾く頃、艦隊は速度を落とした。

特に会敵はなく、順調に進んでいたが、逆に気がかりな点である。

よくある話だが、事が上手く進みすぎるのは疑問視せざるを得ない。

第一陣の偵察隊『彩雲』が、ようやく帰ってくる。

六時間ほどの偵察だったが、発見できたのは残敵と思われる駆逐艦級だけだった。

次の偵察機が発艦されるまでが一番危険で、今の偵察範囲はレーダーと目視だけだ。

五分とせずに次の偵察機が上がったが、これからは夜間になり、レーダーと目視による偵察が主になる。

偵察機もレーダーを搭載しているが、昼間のように支援の艦載機を送ったりすることはできないため、発見しても艦隊での対応が求められる。

その際には、なんとしても本隊へ敵を接触させぬようにしなければならない。

そして、運が無ければこれから二度目の夜戦に突入する事になるが、『天津風』は前回同様取り乱したりしないかと自身の心配をするに留まっていた。

前回はともかく、今回は後方に守るべき空母部隊がいる、艦隊を守る盾と敵を撃滅する矛の役割を担えるかどうかが問題である。

なにより、今回は長期戦になる、相手が戦力を小出ししてこちらを漸減してくるかもしれない。

どのみち持久戦は不利ということになる。

その道を回避するためには艦隊の合流が欠かせない。

しかし、メインの本土から来る艦隊とは、一度敵と会敵しないことには果たせない。

細かい作戦を練ったり、交戦で得た情報を交換する確実な時間が今は一番欲しかった。

そのために、まずは一戦交えて、敵の確実な戦力を見極めなければならない、極めて危険だが、高速艦主軸の艦隊構成のため一撃離脱による逃げ足を活かした戦術が必要である。

一番好ましいのは今夜、夜間は艦載機は大きな制約を被る、そのうえ夜戦は水雷戦隊の十八番で、戦力比が不利でも勝てる可能性がある。

 「“全艦対空戦闘用意、五番偵察機より敵機発見報告。五分後に飛来する”」

発令と同時に、頭上を『烈風』の編隊が通過した。

優秀な艦上戦闘機A7M『烈風』は、零戦より頼りになる、その対空能力は段違いというまでに増強され、高高度でも十分戦える。

『天津風』はすでに敵機が侵入してくるはずの前方一時方向を睨んでいた。

五分後に到着という通信から、敵機が発見された場所を『天津風』は推測した。

敵機は約500キロで上空約3000メートルと飛行しているはずだ、どのようにこちらが捕捉されたかはさて置き、艦隊から約40キロ離れた地点で発見されことになる。

となると、レーダーの探知範囲のギリギリで、偵察機が発見したということだろう。

だが問題は今の場所で、艦隊は一路針路を西に執っており、『彩』島からは1000キロ以上離れている、発見された敵機が敵の主力であるとは考えにくい。

迎撃に出た『烈風』は三個小隊十二機、相手の数によるが戦力を削げるはずだ。

五分経ったが敵機は現れない、『神通』がレーダーで捕捉したと警戒を促したがまだ敵機は目視範囲には現れていない。

さらに上空援護の『烈風』二個小隊八機が上げられた。

十分後、『烈風』が全機無事に帰ってきた、どうやらあちらで片が付いたようだ。

 「“フラッグより敵情報。会敵した艦載機は計三十二機、八機攻撃機、八機爆撃機。恐らく敵は空母ヲ級単艦の航空戦力の模様”」

拍子抜けだと『赤城』は思っているようで声に落胆の色が窺える。

一時状況終了だが、『天津風』は気が気でない。

敵航空戦力は空母一隻だが、その護衛が幾らいるかは分からない、それらと会敵したら戦闘するのは自分等の仕事だからだ。

艦載機が活動できる、日没までのあと二時間無い時間のなかで早く発見してもらわないと、こちらのやることが多くなる。

また少し時間が経って、日は水平線に消えかかっている。

硝煙の匂いが僅かに漂う中、『天津風』は黄昏色の海を雲を眺めていた、しかし背後には雲間に怪しく光る稲妻を含む積乱雲が未だ浮かんでいる。

一時間の間、偵察機が敵艦の索敵を行っているが、未だ発見に至っていない芳しくない状況だ。

 「早く見つかりなさいよ・・・」

『天津風』は活躍の機会を得る衝動よりも、恐怖を排除したい心情に駆られている。

焦ってはいけないと自分では十二分に承知しているつもりだが、夜になると奇襲による思わぬ戦闘に突入してしまう。

不意に背後から魚雷を食らうなど、真っ平御免である。

 「“Contact、Contact(会敵)。一番偵察機が敵ACC(航空母艦)を確認。北北西約50キロ、十六駆筆頭に交戦ポイントへ急行せよ”」

流暢な専門英単語を含む命令を『加賀』が下した。

 「こ、こちら十六駆天津風、了解!」

すぐさま返答し、下された命令を遂行するに足る行動をどうするべきか頭を全力で回転させる。

不思議と『神通』からの指示は無い、恐らく彼女は『天津風』を半ば試しているのだろう。

 「十六駆、針路を24(フタヨン)へ転舵、戦速で急行せよ!」

体ごと進行方向へ舵を切り、速力を30ノットへ上げた。

背後ではそれにあわせて、『神通』はじめとする八駆が追随してきている。

 「“偵察機より追報、敵規模はACC1とDD(駆逐艦)4、LC(軽巡洋艦)1計六隻”」

一瞬自分の耳を疑った。

空母を含むのにもかかわらずたった六隻編成の艦隊など前代未聞だ。

 「全艦最大速力!!、すぐに敵を沈めなさい!!」

後方から『神通』が叫ぶ。

速力35ノットで十六駆を追い越した。

『天津風』もすぐに前傾姿勢になり、前方の波を裂いて全力で航行する。

 「敵の空母は捨て駒の偵察部隊です、早く沈めないと始末が悪いわ」

すぐに『神通』に追いつき、横に並ぶ。

この速度では日没前に交戦終了しそうだが、相手との相対速度がマイナスなら時間を食ってしまう。

 「全員、雷撃用意」

背中の酸素魚雷に、発射用の圧搾空気がスタンバイされる、だがまだ40キロ以上ある。

左手のMk.39長38口径5インチ連装両用砲は、某国からの支給品の改良型で、三年式50口径12,7センチ連装砲より射程は劣るが、その速射力で近接戦闘と対空戦闘に向いている。

今はこの真新しい主砲の出番は無い、一撃必殺、水雷戦隊の花形兵器である魚雷がその出番を今か今かと待っている。

あと10分も航行すれば魚雷の射程に入るが、射程距離ギリギリの20000メートルで撃っても奇跡でもない限り到底当たらない。

だが、日はすでに陰っている、時はこちらに不利にしか働かない。

上空を二機の『彩雲』がバンクを振りながら帰投していくのを確認した。

 「敵との相対速度プラス15ノット、距離20キロ」

『神通』の前を行く『時津風』が報告した、今なら駆逐艦娘でも装備できる22号対水上電探でも十分捕捉できる。

敵は接近しているのか、それともこちらの移動速度が速すぎるのか定かでないが、魚雷の射程距離範囲内に入った。

 「魚雷、安全装置解除。各目標に向けて放射状に発射用意」

前方に向けて『神通』は大手を振った。

 「この距離で発射するんですか」

『天津風』は切り裂かれ波立つ音に負けぬよう叫び無茶を訴えた。

 「十分届きます、それに敵は空母含みさらに接近しています。当たる可能性は腕次第でしょう」

まっすぐに『天津風』のほうを見て言った。

目標の方向へ右手を翳し、敵の位置と方位、必要な偏差射撃角度を暗算する。

 「距離18500メートル、方位340度。敵移動距離を加味してそれぞれ発射!!」

振り返り座間に、圧搾空気により魚雷は勢いよく飛び出す。

次の瞬間、魚雷は波浪の海に突き刺さり、勢いを増して航行していった。

雷跡は全く確認できない、速力42ノットで魚雷は敵に向う。

戦艦ですら当たり所が悪ければ一発轟沈する威力の九三式酸素魚雷だが、じつのところ『神通』は魚雷を早く手放したかったのだ。

敵戦闘機に襲われたとき、魚雷に被弾して誘爆など洒落にならない、いざとなれば魚雷は投棄するが、高価な兵器を捨てるなどあまりやりたくない。

 「単縦陣展開、砲の射程に入り次第砲撃開始」

砲の射程に入るまでに魚雷が命中して、ある程度敵を無力化してくれると助かるが、砲撃戦なら数の多いこちらに利がある。

改めて、『天津風』は弾倉を確認した、全装填計二十発装填済みであることを確認して、弾倉を再装填した。

前方から爆音が轟く、それも一度ではない、三~四回以上連続して耳を聾する爆音が轟いた。

 「魚雷命中確認、数七本確実」

二十四本発射した魚雷が18000メートルで七本も当たれば大戦果といえるだろう、むしろ当たりすぎているといえるほどの命中率だろう。

敵は黒煙を吐き、距離も砲の有効射程である10000メートルに接近したといえるだろうという間隔にまで迫った。

 「それぞれ任意で自由砲撃許可。私が突撃します」

一気に舵を切って『神通』は敵の側面に回りこむ。

本土でもあった通り、二方向以上から攻撃して一方的に撃沈することがこの場合求められている。

『神通』は側面、自分達は正面から、後続は支援射撃という手順が常道だろう。

三分経たずに、『神通』は砲撃を開始している、空薬莢が排出されるときの甲高い金属音が時折耳に届く。

敵との距離はすでに8000メートル、位置が分かれば誤差数十メートルで射撃できる、『天津風』はタイミングを待った。

背後からは十八駆が牽制射撃を行い、敵からも近接弾にも満たない砲弾が飛来しているが、皆気にも留めない。

7000メートルまで迫り、『天津風』は引き金を絞った。

浅い放物線を描き、目視で命中を確認した、横からも次々と砲弾が放たれ、前方に無数の水柱を立てた。

二十発目の薬莢が水面に落ちると、『天津風』はリロードを隣の『時津風』に知らせて回避行動に入る。

敵はすでに組織的な反撃を行っておらず、散発的な砲弾が飛来するばかりである。

もはや残敵の掃射に等しい状況になっている。

敵艦隊は完全に動きを止めてしまい、『神通』も敵艦隊中央を突っ切って戻ってきた。

『神通』は掠り傷すら負っておらず、八基の三年式50口径14センチ砲も再装填を終えた状態である。

 「十六駆は突入しなさい。海上に残る敵を掃滅、あとは分隊長に任せます」

 「了解」

後始末を任され、『天津風』は十六駆の三人を率いて前方に向う、同時に後方にいる十八駆に手を振って支援不要を伝えた。

思ったよりもずっと早く敵が先頭不能になってくれたので安心したが、どこか気持が痞える。

敵に手数という概念は無い、補給は途切れることなく、上限まで増え続ける傾向がある、沈めばそれと同じ数だけ後方から敵が増える。

ここで沈んだ六隻も、深海棲艦からしてみれば損害に満たない、だがこれが艦娘なら所属する司令部の提督は簪司科の誹りを免れない。

死骸とも残骸ともとれない破片が辺りに散らばっている、機械油と血液が混じったような悪臭が経ち込め、長くはここに居たくないものだ。

撃つべき的は見つからない、息を抜き、西に沈み行く太陽を眺めた。

なんとも小さい勝利だが、一方的に沈めた上に、『天津風』自身魚雷発射以外まともな攻撃を行っていないため、どこか虚しい。

 「標的を認めず、帰投します」

 「“こちら神通”、了解。御苦労様です」

周辺3キロを五分ほど哨戒して艦隊への帰路へついた。

空には再び偵察機が舞い上がり、数も多くなっている、やはり敵に発見された可能性があるらしい。

まだ完全に暗くなるまで一時間弱ある、こうなった以上ギリギリまで偵察を続けるしかない。

艦隊に戻ってくると、艦隊は停止し、旗艦『赤城』と『加賀』は隊列先頭の『神通』のもとに来ていた。

『天津風』は隊列所定位置までも戻ると、一息搗いた。

6インチ砲からボルト内に装填された砲弾を抜き、弾倉を外した、まだ硝煙の匂いと噴煙が立ち昇っている。

砲のショルダーを肩に掛け、花紺青の空を眺めた、風は優しく『天津風』を撫でたが、そこに安らぎは無く黒く染まりつつある空の不安に飲み込まれそうだ。

弾薬はそこまで消費しなかったが、雲行きが怪しくなってきた、不意の戦闘が増えると精神的にゆとりが無くなり少しずつ追い込まれてしまう。

相手は偵察と漸減を目的でこのような配置を実施していると『天津風』自身推理している、実際には精神的影響もある。

それらの事について今旗艦達は話し合っているのだろう。

 「“フラッグより伝達。状況を判断し、Rendezvous(会合)を断念、無線封鎖を解除し友軍とのContact(接触)を計る、時間を問わず意思疎通可能な通信が可能になり次第総攻撃を開始する”」

随分と思い切った決断を下したものだと『天津風』は思った、だが意思が湧き上がり勇気と血気が滾るのが分かった。

以前の恐怖は無い、大きな戦いを前に、ただ不安とそれを払拭しようとする闘志を抱いている。

1000キロ先には敵の大機動部隊が待ち構えている、海を見据えまだ見ぬ強敵を想像した。

戦隊旗艦達は遥か遠く洋上にいるはずである極西乙方面司令部所属の第二航空戦隊含む艦隊と、極西甲方面司令部所属の第三戦隊主力の艦隊を無線で呼びかけている。

あちらがまだ準戦闘海域に突入していなければまだ交信できるはずだ。

無線機は若干違う周波数で無数の暗号がこの艦隊から発せられていることを示し、モールス音が途切れなく聞こえてくる。

 「“二水戦所属の駆逐艦娘は艦隊の移動に合わせて周辺を哨戒、警戒体制を厳とせよ”」

『神通』が艦隊旗艦に代わって命令を下した、電探装備の艦艇を周辺に配置する事によって艦隊自身の索敵範囲を広くする狙いがある。

艦隊は10ノットでゆっくり北上し始め、早ければ明日早朝に攻撃が開始されるだろう。

もっとも、まどろっこしい事が性に合わないので、『加賀』はとっとと決着をつけたいらしい、彼女ならこの決定を左右するに与うし、それに彼女の持ち得る技量と実力なら当然だろう。

短期決戦のほうがやりやすい、献身隊のためにもそうであるべきだ。

楽に終わりそうに無いが、四個艦隊が集結し、戦艦娘四隻、正規空母娘四隻、重巡洋艦娘七隻、水雷戦隊四個、百に届く戦力と三百強の航空戦力、百戦錬磨の航空機動部隊、献身隊の先行。

全員負けるつもりは無い、敵討ちの意味もある、そして何よりこの海戦に勝てば海で人類はもっと幅を利かせることができるようになる。

自分たち艦娘にはそれらを背負う自負がある、勝つしかない、何よりそれ以外許されない。

戦いは夜の闇の先に待っている。

 




本章では、初めての機動部隊による艦隊ということで、無線間の会話に英語を入れてみました。
某アニメの影響で、航空機では全て英語という勝手なイメージを持っているのですが、
臨場感を持たせたいのと、単純にカッコいいということがあります。
基本的には艦隊の編成は戦隊、水雷戦隊単位では太平洋戦争時の連合艦隊のままですが、それらの組み合わせはオリジナルになっています。

前回初のコメントをいただきました、本当にありがとうございます。
初ということもあってとても嬉しかったです。
引き続きお気に入り登録していただいている12名様に感謝いたします。

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