ルイズがチ◯コを召喚しました   作:ななななな

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第十九話

 

 風呂に入った後(無論、一人でだ)、ルイズはタバサの部屋に赴いた。

 やはりというべきか、そこで行われたのは生産性のかけらもない、下らない会話だった。男の好みがどうとか。

 男は情熱的であるべきだとか、かっこいいひとがいいだとか、浮気をしない人ならだとか、かっこいいひとがいいだとか……などなど。

 貴族であるとか魔法学院の生徒であるだとかを度外した、浮ついた話。ただの女の子としての話だった。

 ちなみに「かっこいいひとがいい」を連呼していたのはタバサだ。ルイズは特に意見を言わず、たまに茶々を入れる程度で流していた。

 話が下らなさ過ぎて口を挟まなかったと言うのが理由だが、こういう時なにを言ったらいいか分からなかった、というのもある。ルイズは対人との関係があまりに薄い人生を送っていた。

 改まれば、同年代の学徒と他愛のない話をすることなんて今までになかった。その時、ルイズは居心地の悪さを感じていた。明らかな場違い。

 だが、決して不快ではなかった。その場がつまらない訳でもなかった。では楽しかったのだろうか? 己の感情さえ、よく分からない。

 

 湧き出た疑問の答えが出せない、いや、出さないまま、女子会は終わった。タバサがおねむになったのだ。

 うつらつらと頭を上下するタバサと彼女を優しくなでるキュルケを見て、モンモランシーは呆れたような笑いを浮かべ、ルイズは角度を上げていた。キュルケの母性はチンコに悪い。

 

 

 そうこうして今、ルイズは自室の扉を開けた。出迎えの言葉はなかった。

 

「……なによ」

 

 開口一番、ルイズはそう言った。部屋の中央に横たわる無機質な同居人、デルフリンガーに向けて。

 彼はルイズが部屋に帰ってきても何も言わなかった。どころか、例の外での剣舞以来、彼は無言を突き通している。かの心象風景の一部始終を見てから、ずっと。刀身は鞘から僅かに出ている。つまり、喋れない訳ではない。

 意図的に、黙っている。

 

 そこで、水を向けられた剣は久方ぶりにカタカタと揺れた。不承不承と言った体だ。少なくとも、ルイズにはそう思えた。

 

「俺は何も言っちゃいないぜ。なにってなんだよ。もしかして」

「ナニのことじゃない吹き飛ばすわよ…………何か言いたいことがありそうだったからよ」

「ある」

「それは?」

「……」

「……だんまり、ね」

 

 知らないでも忘れたでもなく、無言。

 ルイズは鼻を鳴らし、寝床に入るため服を脱ぎ始めた。別段、追求しようとも話題を広げようとも思わなかった。焦れさえも感じない。今のルイズは落ち着いている。おちんこもついている。うるせぇ。

 目を瞑る。暗闇の同居人の動向を探る。闇の幼い自分はぽつんと虚空を見ている。黒犬はそこから離れたところでそっぽを向いている。尻尾もぴくりともしない。

 目を開ける。なんとなくの疎外感。だが悲しきかな、それはルイズを落ち着かせる感情だった。

 ルイズが馴染みある感覚に浸っていると、デルフリンガ―が僅かに揺れた。

 

「……一つだけ、言っていいか?」

「……聞くわ」

 

 そして一瞬、間が開いた。静謐な間が。

 

「……人は一人では生きていけねぇ。可能不可能の話じゃなくて、生きたくなる意味が見つけられないのさ。いや、言わなくていい。おめーがああいう態度を取ったのは、色々な柵がある所為なんだろ? 分かるんだ、おれには。これでも数えるのが馬鹿らしくなるほどヒトを見てきたんだ。今はそれでいい。何れ、全て上手く行くときが……うああああ、チンコ生えてやがる!」

「クソが」

 

 服を脱ぎ終えた全裸のルイズは生きたくなくなる意味をぶらんぶらんさせながら、剣を蹴り飛ばした。真面目な話なら最後まで貫け。

 

「今更何よ。あ? 喧嘩売ってんの?」

「す、すまん、こう、改めて生で見ると、な? ……うわ、標準よりも小さく見えるが体形を考えるとあまりに冒涜的で」

「ばかやろう」

 

 妙に緻密なチンコの描写を遮る様に、ルイズを剣を更に蹴った。人は混乱すると訳分からないことを口走る。それは剣にも言えるようだ。知ったことか。蹴られたデルフはクルクルと回転しながらベッドの下へと入っていった。おれじゃどうにもできない。サー……許してくれ。そんな情けない声が聞こえた。心ここにあらずというような。

 硬い鞘を蹴ったルイズのつま先が痛んだ。心はもっとささくれ立っている。今のチンコは柔らかい。だからなんだ殺すぞ。

 

 ルイズはため息を吐いて、剣をベッドの下から引きずり出した。暗いところで一人ぼっちなのは寂しいと思ったからだ。己が一人ぼっきした時に心の傷を共有してもらいたいというのもある。

 

「おやすみ」

「……ああ」

 

 部屋の灯りを消して、ルイズはふかふかのベッドに横たわる。目を瞑る。そこには何もない。ただの黒い世界。寝る寸前は『心の暗闇』には入らないのだ。原理は相変わらず分からないが、とにかくそういうものらしい。

 ――入ったとしても、同じことか。

 どうせ、中には空虚な瞳の幼い自分とそっぽを向いた犬しかいない。それはこの無明の暗黒と同じだ。誰も自分を見ていない。更に言えば。

 ――明るい世界でも、結局は。

 

 

 自嘲するルイズは睡魔に身を委ねた。そして遠ざかる意識の端で考える。

 かの『変な夢たち』を見始めたのは、間違いなく使い魔であるチンコ、もといその持ち主の黒犬(あくまでルイズが描く比喩)が関係している。

 ということならば、今、そいつにそっぽを向かれているということは。互いの関係性が悪くなっているということは。

 

 

 夢の内容は、直近のものとは違うものになるのではないか。

 朝、悩まされることはなくなるのではないか。

 

 

 喜ぶべきはずのその予測は、しかしルイズに良い感情を齎さなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 そういうわけで、ルイズは夢精するのだ。 

 

 

 

 

 

 

 

「私がルイズを育てるわ」

「ちょ、キュルケ」

 

 キュルケはルイズの腰を抱き込み、褐色のたわわな果実を頬に押し付けた。

 脈絡ないキュルケの発言に、ルイズは目を白黒とさせ、勃起した。乳首が、乳首が顔に!

 

 

「うむ、よろしく頼む」

「お父さま!」

「応援するわ」

「姉さままで!」

「なら私は妹になる」

「タバサなんで!?」

「私は同級生になるわ」

「僕もだ」モンモラシーとギーシュが言った。

「元々そうじゃない!」

「あらあら、なら私は姉になればいいのかしら」

「い、いやちい姉さまも元々、なんで裸ぁ!?」

 

 また唐突にわらわらと出てくる見知った奴ら。どいつもこいつも頓珍漢なことを口走り、ルイズのとんちんかんは先走りをうるせぇ殺すぞ。

 

「みなさん、大変です!」

 

 そこでどこからともなくメイドのシエスタがやって来た。彼女は無意味に丈の短いメイド服を着ていた。顕になった太ももの肌色が眩しい。おっぱいも無意味に強調されている。

 でもきっと、無意味な物なんてどこにもないのだ。ルイズはそう思った。そして竜巻が目の前にあった。

 

「伏せろぉ! カリーヌだ!」

 

 公爵の叫びに、ルイズは反射的に身を伏せた。そして空高くふっ飛ばされた。空中に舞いながらルイズは思う。範囲攻撃の竜巻に対して伏せる意味はあったのか、と。遠くでお父さまが吹っ飛ばされているのが見えた。無意味なものはどこにもない、筈である。

 

 

 ルイズは着地した。身を屈め、右脚を折りたたみ膝をつき、右手で地面を支える。左腕は後方へと伸ばす。完全に無意味な格好だ。でもきっと、無意味なものなんてどこにもないのだ。かっこよさがそこにはあった。

 体を起き上がらせ、辺りを見渡す。そこは完全なる荒野だった。具体的にどう荒廃しているかはともかく、荒野ったら荒野なのだ。

 目の前に、キュルケだけが立っていた。彼女は微笑みをたたえている。いやらしくも意地悪でもない、たおやかな笑みだった

 

 

「おいで、ルイズ」両腕を広げ、ルイズを包み込むような姿勢でキュルケが言った。

 

 熱があった。暖かさがあった。癒しがあって、あるいは救いだった。ルイズはそれを跳ね飛ばした。それは、要らない。

 キュルケから距離を取り、おっぱいをガン見しながらルイズは口を開く。

 

「私は、甘えるわけにはいかないのよ」

「それは私にってこと?」

 

 その問いかけに、ルイズは逡巡する。もし手を広げたのが自分の家族だったら? 昔、友誼を交わしたあの少女だったら? 自分はその温もりに身を任せるのだろうか。

 空を見上げる。突き抜ける蒼穹が目に入る。明るい世界。無限の未来。

 すべてまやかしだ。それらしい情景で誤魔化しているだけ。未来は不透明で、信用できない。

 

 甘えとは弱さだ。かつての自分は、甘えていた。次姉に。婚約者に。未来に。

 結局はどうだ? 敬愛する次姉の具合は悪くなる一方だ。本来は、自分が支えてあげるべきなのに。無能な己は心配をかけることしか出来ない。

 婚約者だって、どうしても己とは釣り合わない。向こうもきっとそう思っているだろう。そうであるべきだ。

 未来に願って。期待して。このザマだ。魔法が使えない能無しメイジ。使い魔召喚すら半端な役立たず。

 

 甘えが弱さを産み、弱さが焦りを産み、焦りは疑念を産み、疑念は結果を出さず、貴族の誇りは名ばかりで、無能の烙印が鈍く輝く。

 うんざりだ。だからルイズは全てを捨てて、強さを求めた。そうして、手ごたえがあった。この道に、間違いはない筈だ。 

 

 だからルイズは言い放つ。

 

「誰にも、よ」

 

 空虚自身。デルフリンガーはルイズが対人関係に消極的なのを『柵』と評した。

 遮る何か、邪魔をする何かがあるから、素直になれないのだと。

 違う。本質そのものが虚ろなのだ。生まれつきそうなのだ。だから無能であり、だからこれから強くなれる。

 

「甘えるわけにはいかないのよ」

 

 二度目のその台詞は、キュルケに言ったものではなかった。その先の先の先。認識さえ覚束ない己を見守る誰かに言ったものだった。

 ――姿さえ不明なあいつにも、甘えられない。ただでさえ、体の一部を奪った負い目があるのだから。

 空虚であることに、意味はないのだろうか。否。無意味なものなど、決してないのである。

 

 

「でもルイズ」

「なによ」

「それはそれとして、貴女の極太羽根筆がおっきしてるじゃないの。ほら、なによこれ、ちょっと確かめさせてもらうわ」

「あ、ダメダメダメ、それは駄目、キュルケ!」

「上の口ではそんなこと言っても、下の舌はこんなに涎を……ほらほらほらぁ!」

「あ、そ、そんな強く、ぅく、か、緩急つけちゃだめぇ!」

 

 

 

 

 

 こういう訳だ。

 

 

 

 

 

 しにたい。

 朝起きたルイズは、下腹部のねっとりとした感覚共にどうしようもない厭世感情を受け取った。いらねぇよダボが。

 だがしかし、ルイズはまだ死ぬわけにはいかないのだ。まだまだするべきこともあれば、大貴族の娘という立場からの跡取りの問題もある。そう、棒を使ってね。使わねぇよ。私が母になるんだよ。なれるの? なるの!

 

「くそぅ、くそぅ」

 

 ルイズは少しべそをかいた。使い魔と仲違いしている時でもこれである。つまるところ、あのルイズの髪の毛の億倍桃色な夢は自分由来なのである。

 しかもまたキュルケだ。彼女に執着しているのか? 馬鹿な。ルイズは首を振るう。あれはあいつがエロい所為だ。他意はない。

 やけくそ気味に、ルイズは腹部にこびり付いた小さいルイズよりさらに小さいルイズの素をシーツでぬぐい取った。あまりにも無様すぎて鼻水が出そうだった。

 

「……その内、いいことあるさ」

 

 全てを察した古びた剣が静かに言った。心優しい老人の如く、暖かく、そして何も生み出さない慰めだった。夢での自慰を経ての爺からの慰撫だ。更に言えばキュルケの愛撫が、ルイズは世界を滅ぼしたくなった。

 心中での下劣な言葉遊びを打ち切ってから、ルイズは消え入りそうな声で「ありがとう」と言った。たとえ空っぽであったとしても、何かを受け入れる器ぐらいは持っている。

 デルフは無言だった。けれど少しだけ、かたりと揺れた。それだけで、一人と一振りの間には十分だった。心情の同調。ルイズは剣に手を伸ばそうとした。

 

「あ、手を洗ってから触れてくれ」

 

 

 ルイズはデルフを死ぬほど蹴った。 

 

 

 

 

 その後は、せっかく早起きしたんだからと、ルイズは剣を背負って走り込みに出た。無論、その前にシーツを洗うのも忘れない。

 早朝、巨大な剣を背負い洗い物に勤しむ貴族の少女。見る人がいればきっと驚くだろう。つまり、メイドのシエスタはまたまたそこに遭遇して、またまた目を見開いて驚愕した訳だ。

 

「あの、ミス・ヴァリエール、や、やっぱり、わ、私が洗い、ますよ……?」

「いいのよ、気にしなくて。あなただって仕事があるんでしょう? これくらいは、自分でやらないとね」

 

 前に一度断られていた所為か、恐る恐る尋ねるシエスタに、ルイズは精いっぱいの笑顔を向けた。全力のカッコつけである。

 確かに、普通こういう水仕事は平民にやらすべきなのだろう。しかも相手はメイドなのだ。

 それで? ヴァリエールの原液を拭った? シーツを? 年頃の娘に? 洗わせる? そんなことをさせるぐらいならルイズはマジで自害を選ぶ。

 だからルイズは粛々と冷たい水に手を入れて、いい感じの笑顔を浮かべるのだ。民草を守るのも貴族の役目なのだ。

  

 そうこうして、綺麗さっぱり暗黒白濁色粘液をぶち殺したルイズは、せっかくだから、と「もし手が空いているなら、シーツを干してくれないかしら」とシエスタに申し出た。今のシーツに穢れはない……筈だ。

 彼女はどういう訳か喜んで、「はい、お任せください」とシーツを受け取った。

 

 考えてみれば。

 

 ルイズはシーツを抱えて小走りに去っていくシエスタを見て思案する。

 メイドの仕事に洗濯があって、そしてそれを貴族自ら行うのは、彼女たちの仕事を奪っていることになるのではないか。

 たかが洗い物に何を大げさな、そう思いもしたが、元より貴族と平民には身分以上に絶対的な差があるのだ。

 

 万能道具、魔法。何もないところから水や火を生み出す。土を操る。風を呼ぶ。

 

 世界人口においてメイジの絶対数が少ないことを鑑みても、魔法の存在、それだけで仕事の価値が薄まる平民もいるだろう。

 どこまでが平民の仕事で、どこまでが貴族の我儘だろうか。そもそも、その二つに明確な境界線があるのだろうか。今のルイズには分からない。

 

 そこでルイズは首を傾げる。なぜ、己がこんなことを考えるのだろうか。今まで歯牙にもかけなかった平民に対して。

 ルイズは僅かな戸惑いのあとに確証を得る。周りを見えなかった、見なかった時と今は違うのである。

 様々な事象に考えを巡らすべきなのだ。そういう時期が来ているのだ。己の世界だけでなく、世界の中の己に目を向けるときなのだ。

 

 

 大人に、なるべきなのだ。精通もしたことだし。うるせぇ切り刻むぞ。

 

 

 

 その後、特筆すべきことはなかった。

 強いて言えば、授業に出たルイズに多数の奇異の目が向けられたぐらいか。

 今は背負ってないが、身の丈程の大剣を装備して辺りを徘徊していたのだ。もはやちょっとした恐怖である。当然、話題になる。

 更に、彼女が舞踏会に出なかったことも奇妙さに拍車を掛けていた。いったい、ゼロのルイズはどうしてしまったのか、と。

 ルイズ自身は目線に気づいてこそいたが、特に行動はとらなかった。降り注ぐ目線に対し喧嘩を売ったり、癇癪を起したり、ちんちん見せびらかしたりなどはしなかった。当たり前だよこの野郎。

 授業においても魔法の実演を求められたりはしなかった。教師の方も匙を投げたのかもしれない。ルイズにとっては、それこそ些事だった。

 ルイズは、ただただ普通に過ごしていた。真面目に、孤独に、いつもの通りに。

 

 己が生徒間でちょっとした話題になっているとルイズが知ったのは、夜、キュルケにそう伝えられたからだった。

 

「別に、どうだっていいわ」ルイズはそう返した。

「あらそう? ちなみに、馬鹿にしているというよりはただただ興味津々って感じね。他に面白いこともないし」

「見世物じゃないのよ。それに、どうでもいいって言ったでしょ」

「ふふ、そうだったかしら?」

「……ふん」

「ときにルイズ」

「なによ、ギーシュ」

「そろそろ僕の喉元を切っ先から解放してくれないだろうか」

 

 ルーンの力を確かめるため、夜中に庭で剣をぶんぶか振るっていたルイズだったが、そこにギーシュとモンモランシーがやって来た。

 なんでもギーシュ曰く「愛しい彼女の前で無様を晒してしまったからには、挽回しなくてはならないのさ。これも薔薇の定めだね」とかなんとか。

 つまり、ルイズに一泡吹かせたいということだ。ギーシュは馬鹿だが、実力差が分からないほどではない。彼も彼なりに何か考えがあるのだろう。

 モンモランシーはその付き添いだった。また、彼女はいつぞやの礼と言うことで、手製の香水をルイズに渡した。

 それに対してルイズはどういう行動を取るべきか戸惑った、が、そのモンモラシーは香水を押し付けてすぐ、件の気障な少年と互いに互いを褒めあっていた。どことなくうっとりもしている。またしてもルイズは己をダシに使われた気がしたので、ギーシュを瞬殺した訳だ。

 その終わりに、何故かキュルケとタバサまでが来た。キュルケは暇つぶしと言った。タバサはそわそわしている。完全に酒を飲む構えだった。

 

 結局、何度かギーシュ(正確に言えばギーシュのゴーレム)と刃を交わしたあと、ルイズはまたも女子会に参加することになった。勝手にそう決められたのだ。ギーシュはとぼとぼと部屋に帰った。

 変わらずの参加者。変わらずのタバサの部屋。変わらずの中身のない話。なのに楽し気な周囲。けれど不快には感じない自分。謎の靄が脳裏を掠める。

 ルイズは齎される感情を全部無視した。そうして一日は閉じ、何日かはその繰り返しだった。

 

 夢精して、朝起きて、洗い物して、シエスタと少し話して、走りこんで、授業に出て、夜ギーシュと手合わせして、女同士で酒を飲み、寝床について、夢精する。

 健康的よね! 馬鹿!

 

 夢精。

 夢精である。

 一日の初めに一番の危険物が待っているのだ。そのたびにルイズはげんなりした。もう、キュルケの顔も正面から見れていない。だから代わりにおっぱいを見るのだ。仕方ないのだ。端的に言ってくたばれ。

 なにせここ何日かの夢でのヴァリエール成分液の大盤振る舞いの原因は、一番はキュルケ、二番はキュルケ、三番目はキュルケなのである。キュルケしかいなかった。

 そもそもの話、単純に『出し過ぎ』である。だけれども純朴な乙女であると自負しているルイズは、一般的な男性がどこまで発射出来るのかを知り得ない。だからそれは脇に置いておく。脇よりおっぱいに目が行くからだ。しね。

 

 

 三回目、夢でルイズの暴れん坊やをキュルケの広大な大地で挟んでもらったとき、ルイズは起き抜けに「なんでぇ」と情けない声を上げた。

 確かに、メイドのシエスタや実姉のカトレアがアレをアレしてどっぴゅんさせてくるのに比べれば、まだマシではある。しかし程度問題に過ぎない。己とキュルケは、ヴァリエールとツェルプストーは怨敵の筈なのに。

 己は彼女をそういう目で見ているのか。それとも単に、彼女と近くありたいというのか。

 どちらもごめんよ、ルイズは念じるように言った。なんて空虚な言葉だろうか。ベッドの下、床上のデルフリンガーが意味ありげに揺れた。

 

「早く精液を拭わねーとカピカピになるぞ。あと手を洗ってから俺を握ってくれ。チンコではなく」

 

 ルイズはデルフを死ぬほど蹴った。

 

 

 

 

 

「なにか変わったことはあるかね?」

 

 

 

 

 健全なのか不健全なのかよく分からない日々を過ごしていたルイズだったが、ある日、学院の長であるオールド・オスマンに呼び出された。

 人生経験を積んだ翁でも未聞なちんこくっつき現象。体に何か異常はないか、という聴取の場であった。

 

 ルーンの力で剣などの武器を振るえます。爆発も制御できるようになりました。目を瞑ると本来のチンコの持ち主である使い魔は何故か犬のカタチで居座っています。よく夢精します。今日もキュルケで抜きました。

 

 何ひとつ、ルイズは言えなかった。仮にも乙女であるヴァリエール三女が下賤さ全開の言葉なぞ言えるわけがない。

 それに、手にした力や暗闇の黒犬のことだってそうだ。ある種の信用を置いているオスマンにも、ルイズはそのことを言えなかった。その力を――可能かどうかはともかく――取り上げられるような気がしたからだろうか。はっきりとしない。鈍い靄だけが霞んでいる。

 ルイズが逡巡していると。

 

「おお、グラモンの倅との『訓練』以外でな」とオスマンが言った。

「……ご存じでしたか」

「知っておるか? 一応ここの学院長なんじゃ、わし」

 

 オスマンは如何にも好々爺という風体で朗らかに笑った。対してルイズは表情を消した。

 その様子を見てか、オスマンは皺が刻まれた頬に、更に深い笑い皺を浮かべた。

 

「別に、何も言わんよ。確かに決闘は禁じられておるが、ミス・ヴァリエール、君がこの学院で日常的に行われている生徒同士の訓練……いや、『決闘未満』の数を聞いたら、ちょっとは驚くんじゃないかのう。つまり、よくあることなのじゃ」

「……どうも」

 

 すまし顔を心掛けながら、ルイズは頭を下げた。別段、罰則を受ける可能性を心配していた訳じゃない。

 

 オスマンが月下での剣劇を知っているということは、ルイズが大剣を振るえるということも知っている訳だ。

 学院を見渡す魔法道具「遠見の鏡」を使ってか、それとも、翁の『目』である使い魔のネズミ、モートソグニルとの感覚共有を用いてか。

 それはルイズの知ることではなかったが、とにかくオスマンはその様子まで見ていたということになる。

 

 大剣を振るっている目的や理由を、ルイズは彼に言っていない。そして、オスマンは彼女に聞いてこない。

 言うべき、なのだろうか。手にある力を。その理由を。それを使う目的を。ルイズは考える。

 言うべき理知的な根拠はいくらでも浮かんできた。逆に、言わざる理由はどうしようもない感情論でしかなかった。けれどもルイズの口は先を紡がない。紡げない。

 

 老人は柔らかい笑みを浮かべている。

 

「ミス・ヴァリエール」

「……はい」

「君の気持が整理出来たときでいい。年寄りと若者では流れる時間が違うのでな……わしは、待っておるぞ」

 

 ルイズは呆気にとられ、口を半開きにし、その後オスマンをじっと見つめた。

 老成した、あまりにも深い瞳。目じりに刻まれた長い皺。

 ルイズは言葉が出せなかった。己に恥さえ感じた。甘えるわけにはいかないと律した先で、こうなってしまう。

 それでも、オスマンの弁は渡りに船だった。ルイズは心の凪を装いながら、奥は限りなく散らかっている。片付けの時間が必要だった。それに乗るしか道はなかった。

 感謝の意を乗せて、頷きだけをただ返す。老人は目を細めて笑った。ついで、他には何かあるかね、としわがれた声で問うた。

 

 ルイズは少し考えて、言える範囲の異常である、『食欲が増したこと』と『用を足す回数が増えたこと』を語った。

 そこで、話しながらルイズは気づいた。始めの頃より、手洗いへ行く回数が減っていることに。今はもう召喚前と同じぐらいの頻度になっている。

 そのことも含めて話すと、オスマンは首をゆっくりと振った。

 

「ほうほう、そうか。食欲の方は、今まで自分になかったものが増えた所為で体が栄養を求めているのではないか、と思うが……」

「では御手洗いによく行っていたのも、それに関連しているのでしょうか?」

「だが食欲は落ちていないのに、近頃は尿の頻度だけが減っているのじゃろう? そっちの方は、まだ別の理由がありそうじゃな」

 

 オスマンは顎に手をあて、ルイズは両手を胸の前に置きながらそれぞれ考えを巡らせる。学院の室内で真摯な風が流れ行く。

 ルイズはそこで言いようのない違和感に囚われた。決定的に、何かが壊れている。

 浮かんだ何かを取り払うように頭を振ってから、ルイズは進言する。

 

「殿方は、その、そういう……多いもの、なのでしょうか」

「いや、一般的には女性の方が多いと聞くが……ううむ、なるほど……そういうことかのう」

「分かりますか?」

「予想を多く含むが、おそらくは。ミス・ヴァリエール、たとえば夜中に灯りを消して暗闇の中にいると、ただ真っ暗なだけで何も見えないじゃろう?」

「はぁ、まぁ」

「だが暫くすると、徐々に周りの輪郭が見えるようになる。ぼんやりと、しかし着実に。これはじゃな、我々の目が闇に慣れていくからじゃ。その折に、瞳は大きくなったり小さくなったりを繰り返すらしい。不思議な物じゃのう。通常とは違う環境に身を置くと、身体はそれに慣れようとするのじゃ」

 

 ただの老人の蘊蓄、ではないのだろう。たとえ話。己の身体。慣れ。ルイズは探る様に目線を彷徨わせながら、オスマンに言う。

 

「つまり、私の身体が、えーと、アレに慣れようとしていた、ということですか? そして、落ち着いたということは」

「慣れた、ということじゃろうな」

「何故に、尿意が、尿意で、ちん、その、アレに慣れると」

「一番ソレに触る機会があるのはその時だからではないかのう」

「ううん……」

 

 ルイズは俯き唸った。

 根拠はないが、確かにそれらしい。

 そもそも、ルイズはこの話をするまで尿があまり出なくなっていることに気づかなった。

 他に考えることが山ほどあったから、と片付けるには不自然なくらい、自然に普段通りになっていたのだ。

 適応。これは、そうしようと思って出来ることではなければ、「たった今慣れた」という具体的な瞬間があるものでもない。

 自然にこうなった。最もしっくりする解答だ。この状態に己が慣れたという証左。

 そこで思案に更けていたルイズが、不意に顔を上げた。目を逸らしていた事実と向き合う時が来たのだ。

 

「これ、凄い馬鹿馬鹿しい会話じゃありません?」

「耐えるのじゃ」

 

 尿だのちんこだの触るだの。

 少なくともトリステインの重鎮と大貴族の娘が交わす会話ではない。それも大真面目に。

 壊れた常識。爛れた倫理観。おしっこの哲学。つきまとうチンコの幻影。チンコは幻影じゃなく実体があるからよし! よしじゃねぇよ馬鹿。

 

「じゃが目下一番の問題は」

 

 ルイズの心の錯綜をよそに、机の上に組んだ両手を置いて、オスマンが言った。

 

 

「先にある使い魔品評会のことじゃ。そのことの相談が今日の本題かのう」

 

 

 使い魔、品評会。学院の内外の貴族に、自身の相棒をお披露目する舞台。

 その言葉を聞いた途端、ルイズの頭に邪悪な未来予測が舞い降りた。相棒。なんと意味深な言葉なのだろうか。

 

『続いて、ルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエールとその使い魔です。ミス・ヴァリエール、どうぞ』

『はい、私の使い魔はチンコです。ばばーん』

『ほう、これは珍品だ。チンコだけに』

『これはチン評、もとい品評しがいがありますな』

『ちょっと勃起してみてくれないかね?』

 

 

 嵐の如く暴虐な下劣情景が、ちらちらと目に浮かぶ。ちんちんだけに。

 ルイズは頭を全力で振った後、少しだけ目じりに涙を浮かべた。無様だとかもうそういう程度の話ではない。

 ルイズが不明の敵と格闘しているとオスマンが重ねて、

 

「更に言うと、これはまだ他の生徒には伝えておらぬが……ゲルマニアから慰問帰りのアンリエッタ王女が、品評会をご覧になられるようなのじゃ」と言った。

 

 アンリエッタ、王女。

 ルイズはかつての回顧録を心奥から引っ張り出そうとした。今の栄光ある立場を意識していない、ただの少女だった『アン』との懐かしき一頁を。

 だが出来なかった。それより早くルイズの脳内を横切ったのは、クソみたいな妄想劇場だった。

 

『まぁ、ルイズ! 随分と変わった使い魔を呼び出したのね!』

『はい姫様。これでヴァリエールの跡取り問題も解決です』

『それはいいことね。ねぇルイズ、ちょっと勃起してみて下さらない?』

『もうしています。姫様の御前ですので』

『まぁ素敵!』

 

 ぶっころすぞ。

 なんでどいつもこいつもルイズの子息を独り立ちさせようとするのか。ルイズは憤りを感じた。あと虚しさも。

 この馬鹿みたいな馬鹿馬鹿しい馬鹿の塊は、結局はルイズの脳内が暴走しているだけに過ぎないのだ。つまり己が馬鹿なのだ。 

 ルイズは平静を保とうといっぱいの空気を吸い込んだ。しかしそれは、次の言葉を盛大に震わす効果しかなかった。

 

「……あ、あの、あのあのあの、が、学院長、ままま、まさか、その、みみみ、見せるななななんて、ことは……ひひひひ、姫様に、その、ちちちちち」

「落ち着くのじゃ、ミス・ヴァリエール。わしはまだこの学院を終わらすつもりはない」

 

 威厳ある言葉だった。老人の顔は至極真面目であり、憂慮の心情がありありと浮かんでいた。

 ルイズとしてはただただ申し訳なさしかなかった。年老いた翁に、要らぬ心労をかけてしまっている。あまりにも下らなく、あまりにも下品な話題で。

 

「君の使い魔はあくまで『ヒトの内部に住む未知の生物』ということにしておくのじゃ。品評会では――これは全員参加ということになっておるから、君にも出てもらうが――手のルーンだけを見せておくことじゃ。あとは、剣でも振るってみてはどうかのう」

「……剣、ですか?」

「先ほども言ってたが、見ておったからのう……ただルーンを見せただけでは、色々言うてくる者も居るかもしれぬ。身体に力が湧いてくる効果がある、などどしておけばよい。前例がないのでそれでも騒めくかも知れんが、なぁに、どうとでもなる。わしの方も、アカデミーに先立って釘をさしておく。学院の生徒に詮索、手出しは無用、とな」

「ありがとう、ございます……」

「ほっほっと、気にすることはない」

 

 ルイズは頭を下げる。その言葉は救いだった。何も解決はしないが、少なくともルイズの精神は和らいだ。

 アカデミー、つまり王立魔法研究所は、未知の現象に対し常に目を光らせている、というのがルイズの考えだ。

 いくらルイズが貴族でも、いくらルイズの長姉がそこの職員であっても、謎の使い魔を調べるというお題目でルイズの服を引ん剥くことぐらいは容易に行うであろう。おちんちんがこんちにはということになる。

 何もかも台無しだ。世界の終わりだ。だが、トリステインの重鎮であるオールド・オスマンからの直々の通達があれば、連中も手出しはできまい。

 

 ルイズは自分のことに精いっぱいで、そのことに頭が回らなかった。とくに品評会が開かれることなど、とうに分かっていた筈なのに。

 しかも、彼女を悩ませていたのは内面、精神的なものがほとんどなのだ。使い魔とは別の、解決できる、解決すべき問題なのだ。だが、それさえも宙ぶらりんだ。先に進めてはいない。見て見ぬふりをしているだけだ。

 己は壊滅的に、視野が狭い。このことに気付けただけ、成長していると言えるのだろうか。何もかもを見ないふりをしている自分が?

 あまりにも足りていない自分。現実を突き付けられた気になったルイズは、オスマンに重ねて礼を言ってから、しずしずと退出した。

 

 

 

 どこかしょんぼりとした背中のルイズが部屋から出たあと、オスマンは神妙な顔で机から古びた本を取り出した。それのとある頁には、少女に宿ったルーンと同じ物が書かれている。失われし伝説。

 少女の生末を想い、オスマンは重いため息を吐いた。

 

 

 

 また幾日か経った。

 相変わらずルイズは夢精するし、夢の中でキュルケがはしたなく誘惑してくるし、心中の黒犬はこちらを見ない。

 時間だけが無情に流れていく。その中で、ルイズに向けられた奇異の目線は少しづつ減っていた。

 それはルイズがどうとかではなく、新しい話題、使い魔品評会や王女の訪問に持ち切りだからだ。世界は流動的だ。一点に留まらない。

 ルイズだけが停滞している。少なくとも本人はそう思っていた。様々な葛藤が渦巻いて、外に目線は向けられない。そのことに気づけばまた視野が狭い自分に自己嫌悪。その繰り返しだ。あと夢精。うるさい。『本番』の夢がないから大丈夫。うるせぇ。

 

 

 そうこうしている内に、品評会の日になった。

 結論だけ言えば、問題視していたその日においても、ルイズを劇的に動かす何かは起きなかった。まるで普段の日常の様に。

 舞台に上がり、手袋を外してルーンを見せた。内に使い魔がいるのです、と言うと場が軽く騒めき、その効果で力が湧きます、と言って剣舞を披露すると、少しだけ感嘆の様な声が上がった。ほんの少しだけ。

 概ねは戸惑いの気配だった。だがそれだけだった。剣舞を終えてルイズがお辞儀すると、とってつけた様な拍手が起きた。

 何かを期待していた訳ではなかった。むしろ、不安の方が大きかった。だけれども、結局は何もなかった。

 貴族が剣なぞ、と嘲笑されるかと思っていたが、審査員やその他の見物人が珍しそうに見てきただけ。小柄な少女が大剣を振るうこと自体が強く響いたのだろう。結果、良い評価も悪い評価も得なかった。

 その前にギーシュが『使い魔のモグラと一緒に薔薇まみれになる』という極めて前衛的なことを仕出かした所為もあるかもしれない。

 ルイズの『使い魔が見えない』という事象よりも、平民武器の象徴、剣を振るうことよりも、そっちの悪評の方がより強かったのである。

 

 恙なく、使い魔品評会は幕を閉じた。 

 

 あえての特別を上げるとすれば、王女が急遽来れなくなってしまったことだ。何でも慰問の疲れだとからしい。

 

 ほとんどの生徒は、トリステインの華である美しい姫を見れないことにがっかりしたが、ルイズはがっかり半分安堵半分だった。

 だってルイズはちんこ付いているのである。子種絶賛売り出し中なのである。非売品だよ殺すぞ。

 そんな今のルイズが美しい華を見たらどうだ。そりゃもう受粉体制に入るだろう。つまり雄しべがやらかす訳だ。あくまで夢の中でだが。現実的にそれをやらかそうと少しでも大砲の角度を上げ始めたら、ルイズは砲弾を詰める前に遺書を記す体制に入る。

 

 ――不敬だなんだという前に、アンリエッタ王女は、アンは、ルイズの幼馴染であり、親友だった。

 あれからだいぶ時が流れたが、唯一の友達だったのだ。おそらく、向こうにとっても。そしてあるいは、今でも。

 

 

 汚せない。穢せない。あやふやで、矛盾だらけの自分でも、超えてはいけない線を持っている。

 

 

 

 さておき。

 そんなこんながありながら、もしくはないながら、使い魔品評会は程ほどの盛り上がりで幕を閉じた。

 

 審査員からぶっちぎりの高評価を得たのはタバサだった。下馬評通り。誰からも文句はでなかった。

 

 タバサ自身は特に興味もないだろう、とルイズは思っていたが、なんとタバサは前日に使い魔の風竜シルフィードを直々に洗ってやったらしい。 

 別段それが切っ掛けでみなに絶賛されたという訳ではない。使い魔が『竜』であることだけで、今年の目玉は決まっていたのである。

 問題は、あのタバサがわざわざそんなことをしたという事実だ。

 

 品評会が終わり、デルフリンガ―を背負ったままのルイズが、自室の前でキュルケからそれを聞かされたとき、彼女は軽く驚いた。

 キュルケもまた驚いていて、そして優しく微笑んでいた。

 

「実際、誰かから評価されたいってことではないと思うのよ。ただ、周りが賑やかだからそれに乗ってみたかったんじゃないかしら」

「なんで、そんなことを」

「さぁ? でもタバサは見た目そのままの冷たい心ではなくて、きっと、奥には灯りが燈っているんだわ」

 

 だからどうした、それを己に言ってなんだというのだ、という体でルイズはキュルケを睨む。その先に煌くキュルケの瞳は真っすぐだ。タバサを想う微熱、だけではないのだろう、その目にある熱量は。

 ルイズは直ぐに目を逸らした。心に黒い靄。劣情でも嫉妬でもない、謎の感情。ルイズは全てに蓋をする。心の窓を全て締め切る、振りをする。 

 

「そう言えばルイズ、その、あなたは大丈夫なの? 最近、体調とか」

「……あんたには関係ないでしょ」

「……そうね」

 

 まただ。またこの女はそういうことを言う。そういう顔をする。ルイズは締め切ったはずの窓から何かが漏れるのを感じた。

 なぜこいつは己を気遣う言動をする。なぜ癒しと憂心が灯る表情をする。ツェルプストーが。ヴァリエールに。家系の柵があるのに。自分は無能なのに。自分は穢れた身体なのに。なぜ関わりを持とうとする。

 ルイズは苛立ちに襲われた。憐れみや同情などとは違う、キュルケが己に向ける感情。不快なものではない。ないから分からない。分からないから、心がざわめく。

 

 逃げ出す様に、ルイズは背を向けた。キュルケは何も言わなかった。仮に、これ以上何かしらの『そういう言葉』を投げ掛けられていたら、ルイズの琴線は爆発してしまっただろう。もしキュルケがそのギリギリの線を見極めてやってるとしたら、大した手腕だ。伊達に男どもを手玉にとっていない。

 

 ――その事実もまた、ルイズを苛立たせた。彼女と自分の差を見せつけられている様で。

 

 ルイズが部屋の扉を開ける際に、キュルケが一言だけ声を掛けた。

 

「今日は第一回タバサを讃える会をやるわ。夕飯終わりに直ぐやるから、剣を振るうのはよしてね」

 

 色々言いたいことはあった。結局普段の飲み会じゃないかとか、なぜ私の予定をお前が決めるのだとか、それだとギーシュは一人になるわね、だとか。

 ギーシュに関しては心底どうでもよかったが、一々飲み会の意義に異議を立てるのも面倒であれば、誘いを断ればこの女はしつこく食い下がる、それもまた面倒だ、ルイズはそう思い、いや、そう思うことにして、

 

「……考えとく」と世界の誰も意識しないような泡沫の声を出した。

 

「待っているわ」

 

 キュルケには届いていた。

 

 

 部屋に入り、扉を締める。剣を置く背中に、何者かの熱を感じた。扉越しの視線の熱だ。気のせいに違いない。違いないのだ。

 ルイズは剣の柄を握り、少しだけ鞘から引き抜いた。その動きには、明らかな葛藤が乗っていた。

 

「なによ」

「何も言ってねぇのに呼び掛けるなよ。それとも、俺に言った訳じゃねぇのか? もしかして、なにってのはナニのことなのか?」

 

 ルイズはデルフを鞘にしっかり入れてから、床に叩きつけた。

 下らないことをのたまった故のお仕置き……ではなかった。陳腐な八つ当たりだ。

 床に落とされたデルフは、その折りに鞘から刀身が漏れでていた。その所為もあってか、床の上でカタカタとゆっくり揺れた。

 

「俺は剣だ。悩みは聞けるが答えは出せない。前にも言ったよな? いつか上手くいくときが来るって。いつかは知らん」

「……ふん」

「ま、慰めることぐらいは出来るけどな」

「無意味よ」

「おめーがそう思うんなら、そうなんだろ」

 

 ルイズはデルフリンガーを鞘に入れなおして、きちんと壁に立てかけた。

 

 この世で無意味なものなんて……ないのか? 本当に?

 

 ルイズは精神の軋みを感じた。目を瞑る。こちらを見ない黒犬。何も見ていない幼い自分。目を開ける。

 劇的な何かは起こらない。時はただ緩やかだ。先に進む速度はあまりにも遅々で、弱さだけがやたらと目に映る。決意を曇らせるのは、いつだって何もない日常なのである。

 

 

 ――甘えるな。歩みを止めるな。迷うな。

 

 

 念じるように、ルイズは左手首を掴む。心に常にある黒を循環させる。手袋の内側で、ルーンが煌々と輝いている。心を震わせろ。捨てろ。振り向くな。合一を進めろ。鈍るくらいなら、逸れるくらいなら。もういっそ、取り返しのつかない、ところまで――

 

 

 そこで、扉が叩かれた。ルイズは一瞬顔を上げて、けれど無視しようとした。おそらくこれはキュルケで、今、彼女の顔は見れない。  

 部屋の入り口から鳴り響く音は、しかし一向に止まなかった。むしろ、秒ごとに勢いを増しているようにさえ聞こえる。

 ガンガンという激しい音。もはやそれは殴打だった。『早く開けろ』という程度のものではなく『なんで私の道を遮る物があるの? ふざけているの?』という不条理の塊だった。

 この非常識的な打ち付け音にルイズは聞き覚えがあった。それも、良くない類の記憶だ。

 嫌な予感が渦巻く。同時にそれはないと頭を振る。だがこれは。こんな呼び出し方をするのは。たらりと冷や汗が流れた。

 

 ルイズは意を決して、部屋の扉を開けた。

 

「ふぐぇ!?」

 

 瞬間、にゅっと扉の間隙から白い手が伸びてきて、ルイズの頬を掴んだ。滑らかなその指は、ぎりりと微塵も容赦なくルイズの柔らかい頬をつね上げていく。

 

「あふぇ、いふぁいいふぁいえふ!」

 

 ルイズが情けない声を上げれば、その手がさっと離れた。ついで何事もなかったように、あまりも優麗な動作で、頬をつねりあげた者が部屋へと入り込んだ。

 

「遅い」

 

 赤くなった頬を涙目でさするルイズを見下ろしてそう言ったのは、ルイズの実姉、エレオノール・アルベルティーヌ・ル・ブラン・ド・ラ・ブロワ・ド・ラ・ヴァリエールだった。

 

 

 


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