これで由比ヶ浜篇も一応の完結、ということで。
「ねー、ヒッキー、お出かけ行こーよー。お出かけー」
ソファに座り、読書に耽る俺の膝の上に頭を乗せ、頬を膨らませる由比ヶ浜。
日曜日の午前中、電撃来訪を敢行した彼女――あとから聞いたが、どうやら小町が勝手に話をつけていたらしい――は、どうやら俺を遊びに誘いたいらしかった。
家にやって来るなり、さっきのような誘い文句を寝ぼけ眼を擦る俺にぶつけ、だがしかし、ここでそう簡単にうんと言ってやらないのが
結果、家で怠惰を貪る俺と、それについてまわり、こうして甘えるようにしながらめげずに誘いをかけ続ける由比ヶ浜という構図ができあがったわけだ。
「静かにしてろって。読みづれぇから」
リスみたいになっている由比ヶ浜の頬を指先で押しつぶし、ぷへぇと息を吐き出したところにすかさず人指し指を立て、めっ。
「もうっ、あたし子供じゃないんだからねっ」
「あーはいはい、子供はみんなそう言うもんだ」
「ヒッキー、怒るよ!」
「まぁ、おちつけって。結衣」
「あぅ……」
指を立てていた手で、そのまま由比ヶ浜の髪を梳くように頭に撫でる。
それから、下の名前を呼び捨てで囁くように言ってやると、由比ヶ浜は顔を赤に染めて、固まる。
まぁ、ぜんぶ普段俺がやらないようなことだもんね。ていうか、これ、由比ヶ浜に対する有効的な手札なんだけど、俺にもわりとダメージ入ってたりするのだが。
あと、自論だけど、こんなの平然とできるやつ男ってあんまり信用できないと思う。
「……ヒッキー、それ、ずるいよ……」
頬を紅潮させて、潤んだ瞳を俺の顔と明後日の方向との間で行き来させる由比ヶ浜。
そういう自分のほうがずるいの、こいつは気づいてんだか、気づいてないんだか……。
結局、あまりに由比ヶ浜がねばるものだから、俺が折れ、二人でどこかへ出かけることになったものの、
「行こう行こうつってて、どこ行くか決めてなかったのか……?」
「うー、だってぇ……」
「だって、ってもなぁ……」
「むぅぅ……」
まぁ、こうして彼氏彼女の関係になっていくらか経つけれど、今まで二人で遊びに行ったことなんてないし、由比ヶ浜の気持ちもわからなくはない。
が、俺に自ら進んで外に行くほどの気概はないし、目的地すら決められてないのなら、なおさらだ。
悪く言うなら言うがいい。俺は、退かぬ、媚びぬ、省みぬぅっ。
…………。
…………。
けれど、まぁ、気持ちはわからないではないんだし、ここは折衷案を出してやろうではないか。
「なぁ、由比ヶ浜」
「……なに?」
「そう拗ねるなって。もう自宅デートでいいじゃねぇか、な?」
由比ヶ浜は、デートがしたい。
俺は、家で自堕落に過ごしたい。
この案なら、Win-Winだよね、うん。
「……うん、そうする」
「おう。んで、次どっか行くときは、二人でどこ行くか決めような」
「……うんっ」
なんて話をしているうちに由比ヶ浜にもいつもどおりの笑顔が見え始め、俺たちは唐突に始まった自宅デートを満喫せんと、とりあえずリビングから俺の部屋に引っ込んだのだった。
「ねー、ヒッキー、後ろからさ、ギュッってして?」
壁際のベッド上、壁に背を預けて座る俺の股の間にするりと入り込み、そうねだる由比ヶ浜。
あまりに無防備、というか警戒心がなさすぎるその行動に、俺のキャパシティはわりと簡単に熱暴走を始める。
「ヒッキー……?」
己の言葉どおりにしてくれないのか、と若干不安げな瞳で肩ごしに俺を見やる由比ヶ浜に視線を合わせることもままならず、ややぶっきらぼうに返事もしないまま、彼女を背中から抱きすくめる。
「ん、これ、好き……」
やけに艶っぽいその台詞が、頭の中で反芻して、胸のうちがどうにも苦しくなる。
ああ、もう。
「な、なぁ、由比ヶ浜? や、やっぱリビングのほうが落ち着かね? な? リビングのほう行かね?」
小町のにやけ顔と隠す気のない凝視の視線に晒されるのが嫌だったことから、たしかに俺は自室への移動を提案した。したけれども、これはこれで由比ヶ浜の無防備さが際立って、やんごとなくなっている。
てーか、俺に毒すぎるんだけど、このシチュエーション。
「んー、なんでー? あたし、このままがいい。それとも、ヒッキーはいや……?」
「うぐっ、おま、それはずりぃぞ……」
「ね、ヒッキーはいや……?」
「嫌、じゃない……です」
「ん、うれしい……」
なに。なんなの。なんなんですか。
前半俺に傾いてたと思ったのに、今は由比ヶ浜の一人勝ちですよこのやろー。
いや、まぁ、かわいいし? 役得だと思うし? これはこれで悪くないけど?
なぜかここで顔を出す俺の反骨精神。
部室では雪ノ下にいいようにあしらわれ、プライベートでは由比ヶ浜に振り回される。
一矢……一矢報いてやらねばっ。
というわけで、未だに顔も紅潮して、動悸もやや激しいまま、俺は反撃の狼煙を上げることにした。
「由比ヶ浜……」
由比ヶ浜の体に回していた両腕にさらに力を込めて、やんわりと彼女の体を拘束する。
甘い香りのする髪と由比ヶ浜らしい服の間から覗くうなじに鼻先を擦りつける。
「ヒ、ヒッキー……!?」
「なんだよ……?」
「なにって、その、あう……」
ああ、やっぱり。
こうしてるの、恥ずかしいし、照れくさいけど、でも、それ以上におちつく。
「ヒッキー……」
「由比ヶ……いや、もう結衣でいいよな……」
「うん、ヒッキーが、したいようにして……」
「っ……」
…………。
…………。
こいつはほんと、わかってるんだか、わかってないんだか……。
「ね、ヒッキー、あたし、今すっごく幸せ」
「……おう」
……ああ、そうさ。
そうだよ。反撃だ、なんて、そんなの言い訳だ。
ほんとはただこうしてたいってだけだよ。なんか悪いかよ。
こうして心を許して、体を預け合って、俺には、それがこの上なく心地いいんだ。
ああ、いいや、結衣と一緒なら、もうどうなったって。
腕の中で、完全に俺に体を預けてすやすやと寝息を立てる結衣。
あれから、寝入ってしまった彼女をこうして延々と眺めたり、たまにだらしなくにへらっと笑う頬をつついてみたり、いくらか時間も経つが、これがまぁ、ぜんぜん飽きない。
困ったものである。
「しかし、まぁ、こんなことになるなんてなぁ……」
ふと、胸中に感慨深いものが去来する。
そう、始めはあのクッキー作りの依頼からだった。
その手伝いを俺と雪ノ下でしてやって、それからなにが気に入ったのか、奉仕部に入り浸るようになった結衣。
自然、俺たちとの距離も急速に縮まって、
それからもいろいろあったもんだ。
離れて、近づいて、遠ざけて、歩み寄って。
「なぁ、覚えてるか、結衣……」
本当に、いろいろあった。
でもその
そして。
「――――そして、今、こうしてお前といる」
存在するかどうかそれさえわからないものより、手を伸ばせばしっかりと届くところにいてくれる
そっちのほうが、俺の心を酷く引き寄せたのだ。
なぁ、覚えてるか、結衣。
今までのぜんぶが、俺とお前をつないでいてくれてる。
……ああ、なんか、らしくないことを考えすぎたみたいだ。
……俺も、眠くなって、き……た……。
で、二人して寝入ってしまい、結局せっかくの日曜日のほとんどをうかつにも睡眠時間に費やしてしまった俺と結衣は、寝てしまうまでの経緯に仲良く悶えたり、あれはあれでまたやるのも悪くないかもなんて、そんな他愛もないことを話したりして。
それで、晩飯も家ですませて、そろそろお暇するという結衣を駅まで送る中、
「ねね、ヒッキー。今度、どこに行こっか?」
朗らかに笑う結衣が、そう切り出す。
「静かで、人のいないとこ」
「……そんなとこでなにするのよ」
「イチャイチャ?」
「もうっ!」
なんだ、せっかく案を出してやったというのに。
「たしかにそれもいいけど、なんかこう……」
「……そうだな。やっぱ、結衣がどこか行きたいとこをいくつか見繕ってきてくれ。そしたら、二人でその中から決めよう。じゃなきゃ、俺にはちょっとハードルが高い」
「……ふふっ、うん、わかった」
「ね、ヒッキー――――ありがとね」
「――――ああ、こちらこそ」
今、二人をつなぐ手と手の温もりを、俺はきっと忘れることはない。
それを忘れられないくらいに、この先の時間を、共有していくのだから。
やっぱ、自分としてはあまり納得のいっていない内容なので、いつか修正が入るかもしれません。
それでは、失礼。