ちょっとキャラの感じが出ていないかもですが、そこらへんは目をつぶってくださいね。
逢瀬
「比企谷、こっちだ」
ひらひら、と。
見慣れた人物が、しかし、普段目にしているスーツに白衣という格好ではなく、季節に合わせた女性らしい服に身を包み、こちらに手を振っているのを遠目に見やる。
「うへぇ……」
端的に今の心情を吐露し、けれどもこの場でうだうだしていても話は進まず、仕方なく俺は彼女――平塚先生の元に歩み寄っていった。
「ども」
「ああ、こんにちは」
凛としていて、そのくせどこか無骨な風体なのに、挨拶はきちんとしていて、そんなところに
ハザードランプを点灯させた車に腰を落ち着け、煙草を吹かしていた平塚先生に、とりあえずこうして合流したはいいものの、どういった言動をとればいいのかわからず、どこか所在無げになってしまう。
「ふふっ、なんだ、緊張しているのか?」
そんな俺をからかうつもりなのか、平塚先生は常より若干楽しさを孕んだ声音をしていた。
図星だが、まぁ、それをわざわざ露呈させることもないだろう。俺は決然と言い放った。
「そんなわけないじゃないでしゅか」
「ぶふっ」
ダメだ。死にたい。
「……くっくっ、いや、いいじゃないか。傍目からじゃ私はそこそこ見た目麗しい部類だしな」
「…………」
こういう、自分のことを客観的に見れるところも、まぁ、大人の特徴だろう。
一つ咳払いをし、俺は視線でもって、今日のこの呼び出しの理由を問うた。
「いや、なに。まぁ、車に乗りたまえよ。移動しよう」
が、それに答えることをせず、平塚先生は携帯灰皿に火を消した吸い殻をつっこむと、そのまま車の運転席に乗り込んでしまう。
状況においていかれている感が否めないが、致し方ない。こうして休日にわざわざメールでの呼び出しに応じたのだ。せっかく外に出たのだし、帰りには書店に寄って新刊を見たいし、そうと決まればちゃっちゃと平塚先生の用事を片してしまうのが一番だ。
それに、あの平塚先生が特になんの用事もなく、わざわざこんなことをするのもやや考えにくい。なんだかんだ、俺はこの人に一定以上の信頼を寄せているのだ。それを裏切ってくる人でもないことも、すでに知っている。
きっと、俺に、直接会って話さなければいけない
なんてことをつらつらと思いながら、俺も助手席に失礼する。
「ん、シートベルトはしたか?」
「はい。そういえば、前も思ったんですけど、なんで左ハンドルの車なんか乗ってるんすか?」
緩やかに速度が上がり、景色が流れていくのを横目に捉えながら、俺はとりとめのない会話のネタを探した。
たしか、いつかの夏に乗っけてもらったのはレンタカーで、平塚先生の愛車はこのスポーツカーだったはずだ。
いや、まぁ、日本人が左ハンドルの車に乗っちゃいけないなんてことはないけれども。
「ああ、実はこいつ、イギリス製で元来は右ハンドルなんだが……」
「え、でも、今たしかに左ハンドルになってますけど……」
「だからな、こいつが並行輸入品だってことが味噌なんだよ」
「はぁ……」
「聞かない単語か? 簡単に言えば、正規の輸出国からの輸入ではなく、どこかべつのルートを通っての輸入だから、まぁ、有体に言って、安かったのさ。それに、かっこつけるなら外車ってね」
「なるほど、じゃあ、この車はイギリスからアメリカなりなんなりの左ハンドルが主流の国を介して、平塚先生のところに来たわけですね」
「そのとおり」
「しかし、ぶっちゃけましたね」
「まぁ、君の前でいちいちかっこつけるのも、なんだか馬鹿らしいしね」
なんて、柔らかに微笑むものだから、助手席からその横顔を伺っていた俺には、効果覿面だった。
平塚先生は、本人が言っていたとおり、端整な容姿をしているのだ。しかも、それはほぼほぼ俺の好みのど真ん中を貫いているといっても過言ではない。
正直に言って、普段学校で話しているのですら、いろいろと妄想のネタになっていたのだから、こうしてほいほいと車で連れられているのも実は結構そういう期待混じりだったりする。
いや、まぁ、ありえないっていうのもわかってるんだけど。それに、平塚先生には、まぁ、なんだ、誠実でありたいというか、なんというか……。
いいさ、べつに。俺と平塚先生は、生徒と教師という枠に十分収まりきっている。わざわざそれを逸脱して、今の関係を壊してしまうのも気が引ける。
「……それで、先生、今日はどんな用事なんすか?」
先ほどはぐらかされた疑問を再度投げかける。
平塚先生は、俺がよほどそれを知りたがっているのだと思ったのだろう。やけに笑みを深めた。
「知りたいか?」
「……ええ、まぁ」
「そうだな。ならば、ここは学校ではないのだし、私のことを、そうだな、静さんとでも呼びたまえ。そうすれば、教えてやろう」
「教えてください、静さん」
「にゃっ!?」
むしろ、ご褒美なまである。
俺の頭の中で完結していた妄想が、現実に形を成したのだ。
静さんは、俺がいくらか逡巡なり葛藤なりを覚えるのだろうと思ったのだろうが、甘い、甘いよ。
しかし、それはそれとして、
「にゃって……」
「わ、忘れろっ」
「まぁ、追々」
「早急にだっ」
「善処します」
「まったく……」
「で、教えてくださいよ」
「……なんだかおもしろくないが、まぁ、約束は約束だ。君、国語の成績、学年首位になったろう。言ってはなんだが、そのお祝いだよ」
「え……?」
「ほら、前に君の親御さんがずいぶんと淡白だという話をしていたろう。些細なことだが、めでたいことには変わりない。君に国語を教えているのは私だし、その頑張りは私が一番認めてやれると、そう自負しているよ」
「…………」
今度はこっちがしてやられた気分だった。
静さんの言葉が頭の中で反響して、頬に赤みが差していくのが、自分でもわかる。
俯いてしまい、言葉も出てこない。
「ふふっ、こういうときは素直でかわいいな、君は」
なんだそれ。
なんだそれ。
こういうの、反則だろ。
結局、あのあと、まともに顔を上げられなくなった俺を静さんがいじりたおし、俺は悲惨な体で、静さんは逆にやや機嫌よさげにしながら、一路目的地へ向けて車は走り続けた。
「さ、比企谷、ついたぞ」
「……うぇい」
「ほら、しゃきっとしないか」
「はい……」
苦笑しつつも助手席に回りこんでドアを開けてくれる静さんの顔をできるだけ視線から外して、車から降りる。
なんか、恥ずかしいやら、申し訳ないやらで超顔上げ辛いんですけど。
「まったく、だらしがないと、モテないぞ、比企谷」
「……べつに、興味ないすよ」
これ以上静さんを困らせるのも考え物なので、自分の問題は棚上げすることに。
さて、ここはどこだろうか。
道程をまったく見ないでここまで連れてこられたので、正直ここがどこかまったく把握していないのだ。
「む、それは年頃なのだし、少し考え物だな……」
「いや、意中の人以外はってことですよ」
「ああ、なるほど」
結構一途だな、なんて微笑む静さんを横目に、辺りをきょろきょろと見回す。
すると、ここはどうやらどこかの住宅街の一角で、やや規模の大きめのアパートの駐車場だというところまで、どうにか理解が追いついた。
そして、行くぞ、一言言い残してさっさと歩いていってしまう静さんを追いかけて、俺もどことも知れぬ場所へ歩を進める。
駐車場を出て、すぐ傍に建っているアパートへ踏み入り、いくつかの部屋の前を通り過ぎる。
ここに来て、俺の頭を状況を呑み込んできて、まさか、なんて思いつつも、なにかにあとを押されているかのように、歩みは止まらない。
ふと、静さんがある部屋の前で立ち止まり、こちらへ振り向く。
「あの、静さん、ここって……」
一種の確信めいたものを胸に抱きながらも、俺はしかし、そう聞かずにはいられなかった。
その問いに、静さんはまたも柔らかに微笑む。
「ああ、私の部屋だよ」
どうやら俺は一回り歳の離れた、しかも、教師に、お持ち帰りされてしまったらしかった。
なにそれ、ちょっと心躍るんですけど。