やはり俺の魔物の王を決める戦いは間違っている。 作:ホッシー@VTuber
「まぁ、座れよ」
私たちに椅子を勧めた彼は立ち上がって窓際へ向かう。そこには見覚えのないケトルとポットがあった。彼が持って来た物だろうか。
「ゆきのん?」
それを見ていると由比ヶ浜さんに呼ばれた。彼女はすでに椅子に座っており、不思議そうにこちらを見ている。しかし、それよりも私は彼女が座っている場所が気になった。
「いつもの場所、じゃないのね」
「ヒッキーに依頼しに来てるんだもん。ちゃんとしなきゃ」
確かに私たちは彼に依頼しに来たのだ。いつも通り、と言うわけにはいかない。彼女に倣って私も依頼者が座る場所に椅子を移動させた。
「待たせた」
椅子に座ったところで比企谷君が紙コップを両手に戻って来る。それを受け取って中身を確認するとコーヒーだった。それから砂糖の入った器を長机に置き、彼も椅子に腰かける。
「それで……依頼ってのは?」
私たちが来る前からコーヒーを飲んでいたようで一口含んだ後、要件を聞いて来た。自然と手に力が入る。2回ほど深呼吸をした後、口を開けた。
「サイさんと仲直りするお手伝いをして欲しいの」
由比ヶ浜さんは変わった。
私は答えを導いた。
しかし、それを証明するためにはサイさんに話を聞いて貰わなければならない。だが、今のまま彼女に会ってもこちらの話を聞く前に追い返される可能性が高かった。だからこそ、彼の協力が不可欠だった。
「……サイを説得する気はないぞ」
腕を組んだまま、渋い顔で比企谷君が断言する。それも予想していた。もし、サイさんが比企谷君のために奉仕部を崩壊させたのならばきっと彼はサイさんの意志を尊重するはず。そうしなければサイさんの味方が――彼女の行動を肯定してあげられる人がいなくなってしまうのだ。
「それでも構わないわ。説得は私がする」
「あたしも!」
元はと言えば私たちが情けなかったからこんなことになったのだ。比企谷君たちは悪くない、とは言えないがサイさんを行動させた原因は私たちにある。だから、私たちが何とかしなければならない。そうしなければ……本物にはなりえない。苦しんだから必ず本物になるとは断言できないが、少なくとも楽して手に入れた物を本物とは呼ばない。呼びたくない。
「……わかった。サイと話す機会は作る」
私たちの真剣な顔を見た彼は頷いてくれた。だが、比企谷君の表情は渋いままだった。
「何か、あったの?」
それにいち早く気付いたのか由比ヶ浜さんが不安そうに質問する。そう言えば、彼の顔色があまり良くない。どこか調子も悪そうだ。
「あー……いや、こっちの話。それでサイと話す機会のことなんだが……早い方がいいか?」
「そうね……出来るだけ早い方がいいわ」
「そうか」
頷いた彼は口を閉ざして考え始める。私たちとサイさんの話し合いの場をどうやってセッティングするか考えているのだろう。数分経った頃、考えがまとまったようで比企谷君がこちらに視線を向けた。
「今日の夜……深夜でも構わないか?」
彼の提案に私と由比ヶ浜さんは顔を見合わせる。できるだけ早い方がいいと言ったがまさか今日の夜になるとは思わなかったのだ。しかし、この問題は時間が経つほど深刻化していく。ならば彼の提案に乗った方がいい。
「私は構わないわ。由比ヶ浜さんは?」
「うん、あたしも大丈夫」
「わかった。じゃあ、また後で連絡する」
そう言いながら立ち上がった彼は紙コップに残っていたコーヒーを一気に飲み干す。きっとこれからサイさんに話をつけて来るのだろう。
「何か必要な物とかあるかしら」
「少し遠いから早めに集合、ぐらいか。後、最初は物陰に隠れていて欲しい」
「その心は?」
「お前らの覚悟を確かめたい。サイの本心を引き出すからそれを聞いて……もし、少しでも怖いとか説得できないと思ったら勝手に帰ってくれ。もうあいつに苦しんで欲しくないからな」
鞄を持った比企谷君が鋭い視線を私たちに向ける。彼はいつだってサイさんを優先して来た。今回も、今までも。それほど、彼にとってサイさんは大事な存在なのだろう。それに説得の手伝いはしないと言っておきながらサイさんの本心を聞かせてくれると言った。彼女の気持ちを知っているだけで説得できる可能性がグッと高くなる。比企谷君も私たちと同じ気持ち、なのだろうか。もし、そうだとしたらどんなに嬉しいことだろう。彼にとってもここが大切な場所になるのだから。
「ええ……わかったわ。無理しても意味などないもの」
無理して仲直りしてもそれは偽りの関係。上っ面だけの偽物。そんなものは要らない。私たちに必要なのはたった一つの答えだけ。それがどんなに辛い答えだったとしても。もう、間違いたくないから。だから私は――。
「ユキ、ノ? ユイ?」
比企谷君に馬乗りになったままこちらを見て驚いているサイさん。だが、すぐに目を鋭くさせた。
「ハチマン、どういうこと?」
「さぁ?」
サイさんは私たちから目を逸らさずに比企谷君に質問するが彼はとぼける。それでいい。これは私の――私たちの我儘なのだから。彼とサイさんの仲まで悪くなってしまったら元もこうもない。先ほどの様子からすでにぎくしゃくしてしまっているようだが。
「サイさん」
「……何?」
不機嫌そうに返事をした彼女だったが少しだけ違和感を覚える。その正体はまだ、わからない。だが、こうやって彼女の前に出て来た以上、やるしかない。私と由比ヶ浜さんは目を合わせ、頷いた後、サイさんに向かって頭を下げた。
「「ごめんなさい」」
期待に応えられなくて。情けない姿を見せて。小さな体に全てを背負わせてしまって。そんな気持ちを込めた謝罪だった。
「……何で、謝るの? だって、酷いこと言ったのは私なのに」
「言わせてしまったのは私たちよ……だから、ごめんなさい」
もっと私たちがしっかりしていればこんなことにはならなかった。少なくともサイさんがここまで苦しむ事態には陥らなかったはずだ。
「そんなこと、言われても……」
サイさんは目を逸らして口を閉ざした。私の予想では『今更謝るな!』と怒鳴り散らされると思っていたのに。どうして、彼女はあそこまで顔を歪めている? 何が彼女を苦しめている? 予定とは違った展開に私は少しだけ混乱してしまった。
――戦うのは傷つきたくないから。逃げるのは相手を傷つけたくないから。これならばどうだろう。両者とも、弱者に見えないか?
不意に平塚先生の言葉が浮かんだ。そして、思い出す。
サイさんは自分が傷つくより比企谷君の傷つく姿を見たくなかった。だから、奉仕部を崩壊させ、比企谷君が傷つく原因を失くした。じゃあ――どうして、サイさんは奉仕部を崩壊させることで傷ついた? 見事、奉仕部を崩壊させて邪魔な私たちを比企谷君から引き離すことに成功した。それで……終わりのはずだ。だが、彼女は今もなお傷ついている。その、理由はなんだ? もう少し、手がかりが欲しい。
「……ねぇ、サイ」
すると、チラリと私の方を見た後、唐突に由比ヶ浜さんがサイさんに声をかけた。彼女には申し訳ないがここは任せよう。彼女たちの会話から少しでも手がかりを得る。それが今の私の役目だ。
「……ねぇ、サイ」
不意にユイに話しかけられ、彼女に視線を向ける。そして、すぐに今までの彼女とは表情が違うことに気付いた。
「あたしね、あの場所……奉仕部がすごく好きなんだ。ゆきのんが紅茶を淹れてくれて、サイがお菓子を作って来てくれて、それを食べたり飲んだりしながらお喋りして。それでたまに来る依頼を皆で解決する。それがずっと続くんだと思ってた。でも、違った。最初から……皆で依頼を解決したことなんてほとんどなかった。ゆきのんが自分の考えを突き通して、ヒッキーが自分を傷つけて解決して、サイがヒッキーの傷ついた姿を見て悲しんで、それをあたしは……見てるだけだった」
悔しいのかユイはギュッと手を握りしめて俯く。だが、すぐに顔を上げて私を見た。やはり、今までのユイとは違う。前までの彼女ならきっと泣いていた。役に立たなかった自分を責めて蹲っていた。しかし、今の彼女は真っ直ぐ私の目を見て話している。自分にできることを必死に探している。そんな彼女を――役立たずと呼べるのだろうか。今の私には判断できなかった。
「それをサイに言われてやっと気付いた。あたしは何もして来なかったんだなって。全部、皆に任せて。自分から動こうとしなくて……全部、他人に押しつけた。そんなんだからこんなことになっちゃったんだってすごく落ち込んだ。でもね……それ以上に嫌だったんだ。このまま終わっちゃうのが。あの場所を苦い思い出にしちゃうのが……嫌だった」
今までの彼女ならそこで終わっていた。しかし、もしそうだとしたらユイは私の前で堂々と立っていなかっただろう。つまり、彼女は――変わったのだ。
「それから、ヒッキーにちょっとヒント貰っちゃったけどやっとわかったんだ。あたしにしかできないこともあるって。それも失敗しちゃったけど……自分で動く大変さがわかった。今までどれだけヒッキーが大変な思いをしてたか少しわかった気がした。それで――」
そこでユキノがパンと手を叩いてユイの言葉を遮った。何事かと全員が彼女の方を見る。
「ちょっと訂正させてくれないかしら」
「訂正? あれ、あたし……何かまずいこと言っちゃった?」
「いいえ。そう言う意味じゃないの。ただ、あなたの言い方が少し気に喰わなかっただけ。あなたが動いてくれたから私はここにいる。それだけは忘れないで」
「……うん」
どうやら、ユキノを動かしたのはユイだったらしい。ユイは失敗したと思っていたようだが。
「ユイは、変わったんだね」
気付けばそう呟いていた。今の彼女ならハチマンが無茶しそうになっても止めてくれるだろう。むしろ、依頼を解決するために自ら行動するはずだ。すでにユキノを救っているのだから。
「変われた、のかな。変わらなきゃ駄目だってわかったんだけど、あんまり自信なくて」
「ううん、ユイは変わったよ。うん……変わった」
ハチマンと同じように。きっと、私が何もしなくてもいつか彼女は気付いていただろう。そして、変わったはずだ。やはり、私のしたことは――。
「違う」
その声は下から聞こえた。そちらに目を向けるとハチマンが淡く輝く魔本を片手にジッとこちらを見ているのに気付く。そう言えば、マウントとったままだった。
「お前のしたことは無駄じゃなかった。俺も由比ヶ浜もお前がいてくれたから変われた。俺たちの感謝の気持ちを、無下にするな。後、降りろ」
「あ、ごめん」
急いでハチマンの上から退く。彼はすぐに立ち上がって伸びをした。
「……そろそろいいかしら?」
それを見ているとユキノが呆れた様子で聞いて来る。すぐに彼女の方へ振り返った。今度はユキノの番らしい。彼女も、変わったのだろうか。
「まずは……ごめんなさい」
「それは……何に対して?」
「全て、かしら。今まで私がして来たことと、これから話すこと」
これから、話すこと? 何か謝罪しなければならないことでもあるのだろうか。
「実は今でも比企谷君とサイさんが怖いの」
彼女の発言にハチマンとユイが目を丸くした。彼らも予想外のことだったらしい。私も驚いた。だって、彼女の目に“恐怖の色”は一切、見えないのだから。
「あなたたちを前にすると……あの時の戦いが目に浮かんで来る。あの魔物が私を殺そうとした時やあの鎖の光景が思い浮かんで体が震える」
ユイの時はすぐに相手を倒したからよかったが、ユキノの場合、魔物同士の戦いを間近で見ていた。そのせいでユイ以上に戦いの恐怖が心に刻まれてしまったのだろう。しかし、今でも怖いと言うのならばどうして彼女は震えていない? 目に恐怖の色がない?
「じゃあ、なんでここにいるの?」
怖いならここにいるべきではない。そもそも、彼女は臆病だ。ここにいるはずがない。
「……サイさんの言う通り、私は臆病者よ。由比ヶ浜さんに自分の変え方を教えて貰っても変われなかった。そもそも由比ヶ浜さんの方法じゃ私は変われなかった。だから、逃げた。由比ヶ浜さんに、サイさんに申し訳なかったから」
そこでユキノは言葉を区切り、チラリとハチマンの手の中にある魔本を見る。今もなお、魔本は淡い光を放っていた。
「その時……平塚先生に教えて貰ったの。考えるべきポイントを間違えるな、と。私が怯えているのは何故か。何に怯えているのか。何がしたいのか。悩んで……納得出来た答えが、本物だって」
「本物……」
「私は自問自答を繰り返した。私が本当に怖いのはなんなのだろうか。何で怯えているのか。私が本当にしたいことは、何か……これが正解なのかわからない。本物なのかもわからない。でも……一番納得できた。きっと、これが“本当の私の気持ち”なんだって」
ユキノは静かに微笑む。彼女はいつだって自分の信じる正義を胸に人を言い負かさせてきた。理論で相手の気持ちなど考えずに。そんな彼女が――感情論を口にしたのだ。
「あなたたちと一緒にあの場所で……過ごしたかった。嫌な探り合いなんかせずに心の底から安心してあの場所にいたかった。あの場所を失くす恐怖の方が魔物の恐怖よりずっと大きかった。だから、私はここにいる。魔物の恐怖なんてあの場所を失くす恐怖に比べたらどうってことないわ。だって……やっと、やっと見つけた本物になりえる場所なのだから」
「……」
何だ、ユキノも変わったじゃないか。魔物の恐怖に打ち勝っているではないか。変わっていないのは私だけ。
「ねぇ、サイさん。もう一度……あの場所で――」
「嫌だ」
ユキノの誘いを私は断った。今更無理だ。あの場所に戻ることなどできない。壊れてしまった関係はもう修復できないのと同じ。すでに私はあの場所を捨てた。もう一度、拾うなど……贅沢である。贅沢、なのだ。
「私は……ユキノとユイに酷いことを言った。だから、戻れない。戻りたくない。壊したのは私。そんな私に戻る資格なんて……」
「いいえ、違うわ」
「ううん、違うよ」
そう言うとユキノとユイは同時に否定した。
「サイさんが壊したのは前の奉仕部よ。嫌な探り合いをして、比企谷君に全てを押し付けて、サイさんを傷つけたあの場所を壊して“くれた”」
臆病者はそっと私に手を差し出す。恐怖に震えていた彼女とは思えないほどしっかりとした眼差しをこちらに向けて。
「サイがいてくれたからあたしは変われた。ゆきのんの言う通り、戻るのは前の奉仕部じゃない……ううん、戻るんじゃないね。また“始める”かな」
役立たずは照れくさそうに笑う。周囲の空気を読みすぎるあまり自分の意見をろくに口に出せなかった彼女とは比べ物にならないほど堂々としていた。
そんな2人を前にして私は……下を向いた。どうして、彼女たちの言葉が甘く聞こえるのだろう。奉仕部よりハチマンを優先したのになんで――彼女たちの誘いに乗りたいと思えるのだろう。私が大事なのはハチマンだ。他のものなんてどうでもいい。そう、思っていたはずなのに。
「……サイ」
不意に後ろからハチマンに声をかけられる。振り返ると今もなお光り続けている魔本を持った彼が私の頭に手を乗せた。
「俺を優先してくれてありがとな。でも、もういいんだ」
「もう、いい?」
「ああ……奉仕部を崩壊させる理由がなくなっただろ?」
確かに。ハチマンは自分を傷つける解決策を止めた。ユイは自分を変えて行動できるようになった。ユキノは私たちに対する疑心感と恐怖を吹き飛ばした。奉仕部を崩壊させる理由は、ない。
「自惚れてるわけじゃないんだが……サイの一番大切なのって、俺だろ?」
「うん」
事実なので即答する。
「お、おう……俺だってサイが大切だ。一番だって言ってもいい。でも、同じくらい小町のことも大切に思ってる。一番じゃないが、親父たちも、大海たちもだ。仲間だからな」
「……」
「サイ、大切な物ってのは1つじゃないんだよ。お前にとって奉仕部は……あの場所はどうだった?」
私にとって、奉仕部は……あの場所は。
「……すごく居心地がよかった」
私はあの場所が気に入っていた。ユキノがいて、ユイがいて――ハチマンがいるあの場所が好きだった。夕日に照らされた部室で紅茶の香りを嗅ぎながらお菓子を食べたり、お話するのがとても嬉しかった。
(ああ……そうか)
だから、私は悲しかったのだ。自分の好きな物を自分の手で壊したのだから。だから、泣いた。お気に入りの玩具を壊した時の子供のように。
「なぁ、サイ。壊した関係はもう戻せないのは知ってるな?」
「……うん」
「なら……また別の関係を始めればいいんじゃないか? 一緒にいれば傷つけることも傷つくことだってある。でも、そんな恐怖より一緒にいたいって気持ちの方が強くなるような関係を」
ハチマンが小さく笑う。久しぶりに彼の笑顔を見た。ああ、私はその顔が見たかったのだ。
「……私、いいのかな?」
「ええ、あなたじゃなければ嫌だわ」
ユキノが私の手を強引に取って優しく握った。
「……魔物なのに、いいの?」
「魔物だったとしてもサイはサイだよ!」
ユイは私の頬に伝う涙を拭った後、太陽のような笑顔を浮かべた。
「……私、わ、たし……あの場所にいてもいいのかな」
「ああ、いてくれ」
ハチマンは私の頭をポンポンと軽く叩く。
「っ……くっ。う、うぅ」
涙がポロポロと流れる。でも、それは悲しいからじゃない。初めて……初めて壊した物が戻って来てくれたから嬉しかったから。