やはり俺の魔物の王を決める戦いは間違っている。 作:ホッシー@VTuber
少しごちゃごちゃしていますが、次回のお話で纏められると思いますのでとりあえず、読んでみてください。
「着いたぞ」
何も考えずにただ窓の外を見ていると不意に平塚先生の声が耳に届いた。気付けば窓の外の景色は動いていない。それに気付かないほど私は頭をからっぽにしていたようだ。チラリと隣を見ればすでにシートベルトを外して外に出ようとしている彼女の姿を見つける。私もそれに倣って外に出た。つんと潮の香りが鼻につく。急いで歩道側に移動し、周囲の様子を確かめるとここは東京湾河口にある橋の上のようだ。
「ほら」
どうしてこんなところに、と思っていると先生が缶コーヒーを手渡して来る。混乱しながらもそれを受け取り、両手で持ってカイロ代わりにした。
「あの……」
声をかけたが、一体何から聞けばいいのかわからず、言葉を詰まらせる。その間に先生は車に寄りかかると煙草をふかしながら片手で缶コーヒーを開けた。
「……体に悪いですよ」
「吸っていないとやっていられない時もあるのさ」
そう言った先生は煙草の先端を紅く灯し、大きく息を吐く。先生の吐いた息は冬特有の白い息なのか、それとも副流煙なのかわからなかった。
「……」
「……」
それからしばらく沈黙が流れる。一体、先生は何を思ってこの場所に私を連れて来たのだろうか。前に進めず、立ち止まってしまった私に。比企谷君とサイさんを恐れ、由比ヶ浜さんの期待を裏切り、先生の信用を失った私に。
「……あー。その、なんだ」
先生の煙草がすいぶん短くなった頃、缶コーヒーを車の上に置き、携帯型の吸い殻入れに煙草を突っ込みながら先生が口を開いた。その仕草がどこか比企谷君のようで少しだけ懐かしく感じる。
「すまなかった」
そんなことを考えていると彼女は唐突に頭を下げた。まさか謝罪されるとは思わず、目を白黒させてしまう。
「えっと……何のことでしょう?」
「……比企谷から聞いた。修学旅行の時、私が君たちを外に連れ出したせいで怖い目に遭った、と。それで君が比企谷たちを怖がるようになってしまった、と。本当にすまなかった」
先生の言葉を聞いて私は納得してしまった。確かに私が比企谷君たちを怖がっていることを説明する為にはあの夜の話をしなければならない。さすがに魔物の話はしていないようだが、それでも先生は自分のせいだと思っているのだろう。だから、頭を下げた。
「……いえ、先生のせいではありません」
しかし、それは違う。命の恩人である比企谷君とサイさんを怖がっているのも、由比ヶ浜さんがせっかく変わる方法を教えてくれたのに立ち止まっているのも私のせいなのだ。たとえ、原因が先生にあるとしても結局のところ、全て私の弱さが問題だった。ただそれだけ。
「……」
そのことを先生に言うと何故か彼女は腕を組んで空を見上げた。そして、すぐに顔をこちらに戻す。
「雪ノ下。君は少し勘違いしているのではないか?」
「勘違い、ですか?」
何のことだろうか。特におかしいところはなかったはずだが。
「何と言えばいいのか……そう、君は弱さというものを理解していない」
「……」
実際にそうなのだから仕方ない。比企谷君は魔物相手でも臆することなくサイさんと共に戦った。由比ヶ浜さんは自分の弱いところさえ受け入れて変わった。それなのに私は動けない。立ち止まってガタガタと震えているだけ。これを弱いと言って何が悪いのだろうか。
「そうだな。なかなか難しい問題なんだ、強さとは。戦えば強者、逃げれば弱者。確かにこれだけ聞けば前者が強者だと思うだろう。しかし、これを言い換えてみたらどうだ?」
「言い換える?」
「戦うのは傷つきたくないから。逃げるのは相手を傷つけたくないから。これならばどうだろう。両者とも、弱者に見えないか?」
「……」
「つまり、皆どこか弱虫なのだよ。比企谷だって、由比ヶ浜だって……私もそうだ。君をこんなところに連れて来たのもどのタイミングで謝ろうか悩んでいたからだ。もし、雪ノ下に許して貰えなかったらどうしよう、だとか。これが原因で教師を辞めることになったらどうしよう、だとか。そんなみっともない考えがあったからこんなところに立っている」
自虐的な笑みを浮かべて平塚先生は2本目の煙草に火を付けた。
「……ですが、私は臆病であることに変わりはありません」
「確かに君は人一倍、臆病だ。なら、どうして臆病になってしまうか考えてみろ」
意味がわからない。臆病者だから臆病なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
「……もう少しヒントが必要か。では、もう1つ。実は今日、由比ヶ浜が私のところに来た」
「ッ……」
「比企谷から事情を聞いていたから驚いたよ。彼女はずいぶん変わった。いつも周囲の様子をうかがっていたのに、私の前に立っていた彼女はただ私の目を真っ直ぐ見ていたよ。周りのことなんか気にしていないと言わんばかりに、な。それで彼女は私になんて言ったと思う?」
「……奉仕部に戻りたい、じゃないですか?」
「『もう少しだけ待ってください。ゆきのんと一緒に戻りますから』。堂々と宣言したよ」
私は思わず、缶コーヒーを持っている手に力を込めてしまう。こんな私を信じてくれているのに肝心の私は変わりもしなければ逃げもしない。中途半端なまま、海の浮きのように漂っているだけ。それが悔しくて申し訳なかった。
「……君は何に怯えている?」
俯いていると先生が優しい声音でそう問いかけて来る。その答えはすぐに出て来なかった。私は、何に怯えているのだろうか。
「さて、由比ヶ浜の話に戻ろうか。私は思わず、聞いてしまった。君はどうして変われたのかって。すぐに答えてくれたよ」
――自分の良いところも悪いところも全部認めたら変われました。
「……はっきり言ってそれができるのは由比ヶ浜ぐらいだ。彼女は空気を読むのが上手い。自分の性格や周囲からどのように思われているか把握していないとあそこまで空気を読むことはできないだろう。だからこそ、彼女は自分の良いところも悪いところも把握できた。いや、把握していた。そして、今回の件で自分の悪いところを受け入れて変わった」
「では……私は自分を変えることはできない、と?」
由比ヶ浜さんが教えてくれた方法は由比ヶ浜さんにしかできない方法だった。ならば、私はどうすればいいのだろう。どうしたら変われるのだろう。何をすれば、あの場所に戻れるのだろう。
「いや、今はその件に関しては置いておいてくれ。私が言いたいのは“君の良いところ”はどうだったか、ということだ。」
「私の、良いところ……」
その答えを私は知らない。しかし、彼女が――由比ヶ浜さんが教えてくれた。
――臆病者だけじゃない。自分が正しいと思うことを突き通すところも、紅茶を淹れるのが上手いのも、負けず嫌いなところも全部、認めるの。
「自分が、正しいと思うことを突き通すところ。紅茶を淹れるのが上手いところ。負けず嫌いな、ところ」
「……ほう。答えられるとは思わなかった。由比ヶ浜にでも言われたのか?」
少しだけ微笑ましそうに笑う平塚先生から目を逸らした。真面目に答えたのに笑われるのは心外である。
「さて……計算に必要な公式は全て揃った。後は、君だけで考えてくれたまえ」
「……ここまで来て教えてくれないのですか?」
「私が教えるより自分で答えを導き出した方が納得できるだろう」
「……計算間違いをしたらどうするのですか?」
これまで何度も間違えて来たのだ。今回だって間違えてしまうだろう。
「そうだな。誰だって間違えることはある。君も、比企谷も、由比ヶ浜も、私も。人間、間違えない方がおかしいんだ。もし、間違えなければそれは人間ではなくただのAIに過ぎない」
「間違えたせいでこのようなことになっています」
「ああ、そうだ。君たちは間違えた。でも、どうして間違えたってわかる? テストとは違って答え合わせはしていないはずだぞ」
「それは……」
奉仕部が崩壊したから。私が立ち止まっているから。いくらでも答えは思いついたのに何故か答えられなかった。
「答えは出ているのに納得できていないようだな。つまり、その答えは間違えているのだろう」
「そんな簡単に判断してもいいのですか?」
「ああ、いいんだ。どうせどれが正解なんて自分じゃわからないのだから。だから、何度も計算して何度も答えを出して何度も見直しをしろ。それで納得できなければ間違いだ」
「……全ての答えが納得できなければ?」
「なら、計算式そのものが間違えているのだろう。計算式を立てなおすことからやり直しだ」
何と言うか力任せな方法だった。顔を顰めていると先生が苦笑しながら煙草を吸い殻入れに突っ込む。
「君には理解できないかもしれないな。だが、今回に限ればこの方法が一番正しいと思う」
「……その根拠は?」
「君が立ち止まっているからだ。立ち止まっているからこそ考え込むことができる。動きながら考えていれば電柱に頭をぶつけてしまうからな」
立ち止まっているからこそ。その言葉を聞いて顔を歪ませてしまった。彼女の言っていることが正しければそれはなんと皮肉な話なのだろう。
「いいか、雪ノ下。大事なのは計算式を……考えるべきポイントを間違えないことだ。君はどうして怯えているのか。何に怯えているのか。何がしたいのか。それをさっき与えた公式を使って導き出せ。君が納得できたものが答えだ」
「……簡単に言いますが、私には難しく感じます」
「ああ、実際難しいだろうな。簡単に導き出した答えほど間違えているものだ。見直しなどしていないからな。だからこそ、何度も計算するんだ。もがいて、苦しんで、悩んで、泣いて……それだけしないと本物とは呼べない。君が納得できる答えではない。さて、私からのヒントはここまで。後は自分で何とかしてみせろ。宿題だ」
「……出来る限りのことは、してみます」
そう答えた私はすっかり冷たくなってしまった缶コーヒーを開けた。
真っ暗な部屋。私はベッドに横になっていた。すでに日を跨いでしまっているが気にしない。
「考えるべきポイントを間違えない」
今回の一件で私は比企谷君とサイさんを怖がるようになってしまった。それはあの魔物同士の戦いを見てしまったから。そう、思っていた。だが、もしこの前提そのものが間違っていたらどうなるだろう。私が本当に怖いのは何なのだろう。きっと、それを導き出すのが今回の目的――考えるべきポイントだ。
そして、それに必要な公式が怯えている理由、対象。私のしたいことである。一気に考える必要はない。数学の計算と同じだ。求めたい答えを導くための公式を用意し、その公式に使われている文字式を求めるための公式をまた組み立てればいいだけの話。つまり、今は公式の文字式に代入する為の数値を求める計算式を考える段階なのだ。気が遠くなる話である。その数式にまた文字式が使われていれば新たな公式を用意しなければならない。だが、やらなければならない。そうしなければ私は一生、立ち止まったままだから。
まずは私が怯えている理由を考えてみよう。
そもそも私は何に怯えているのだろうか。比企谷君たちのこと? それとも由比ヶ浜さん? どれも違うような気がする。これは理由ではなく対象の話。間違い。
じゃあ、“何に”ではなく何があって怯えるようになってしまったか振り返る。
修学旅行で魔物に襲われ、その戦いを見てしまった私は比企谷君たちを怖がるようになってしまった。そのせいで比企谷君たちと連携を取れなくなり、すれ違いが起こり、サイさんに辛辣な言葉を叩きつけられた。私は臆病者だと、由比ヶ浜さんは役立たずだと。そのせいで奉仕部は崩壊し、私と由比ヶ浜さんはあの部室に近づかなくなり、比企谷君独りで活動するようになった。
(そう、この時点で私はサイさんに臆病者だと言われた。つまり、もっと前から臆病だった)
では、いつからだろう。私が臆病になっていたのは。
その答えは――始めからだ。比企谷君と由比ヶ浜さんが魔物のことを私に隠していた頃から私はすでに怯えていた。同じ部活に所属しているのに、それなりに楽しく過ごしていたのにのけ者にされたから。だからこそ、今まで私が感じて来たそれらは偽物だったのではないか。私の勘違いだったのではないか、と疑った。
つまり、私が怯えるようになってしまったのは『比企谷君たちに隠し事をされ、今までの関係が偽物だったではないかと疑ってしまったから』だ。
……怖かったのだ。私だけがあの場所を居心地が良いと感じていたのではないか、と。彼らは今すぐにでもあの場所から離れたかったのではないか、と。裏でこそこそ私の悪口を言って、笑い者にし、いつ裏切るか話し合っているのではないか、と。それがとても恐ろしくて疑った。彼らは最初から裏切ってなどいなかったのに。
これが怯えている理由。
では、次に怯えている対象だが、これはすでに答えは出ている。奉仕部だ。あの場所を壊したくないから。彼らとの関係を終わらせたくないから私は立ち止まっている。追いかけて壊れてしまったらどうしよう。逃げて一生辿り着けなくなってしまったらどうしよう。そんなことばかり考えてしまう。変わった私を比企谷君たちは受け入れてくれなかったら? そう考えてしまったから私は立ち止まった。停滞を望んだ。立ち止まっている間は……自然消滅するまでは私のせいで奉仕部が完全崩壊することはないから。いや、これも怯えている理由だ。きっと、怯えている理由も対象も同じ文字式を使っているのだろう。答えを導いてしまった今となってはどのような文字式を使っていたのかわからないが、何となくそう思った。
そして、私がしたいこと。
私は――あの場所に戻りたい。由比ヶ浜さんの言っていた言葉の意味がやっとわかった。理屈ではない。気持ちの問題。私があの場所に戻りたいと思っただけで理由になる。したいことになる。前に進むきっかけになる。でも、まだ私は立ち止まっている。怯えている。怖がっている。
その答えもすでに導いていた。前に進んで私があの場所を壊してしまうのが怖いのだ。傷つけるのが、傷つくのが怖い。だから、戦いもしなければ逃げもしない。戦えばあの場所を傷つけてしまうから。逃げたらあの場所が傷ついてしまうから。だから、立ち止まった。
「……」
駄目だ。結局、私はここで終わってしまう。これ以上、前に進めなくなってしまう。臆病者だからあの場所に干渉することを恐れてしまう。立ち止まってしまう。
どうして、比企谷君は奉仕部を残すために戦えるのだろう。
どうして、由比ヶ浜さんは奉仕部に戻るために戦えるのだろう。
どうして、サイさんは――。
その時、何かが引っ掛かった。サイさんの目的は何だ? 奉仕部を崩壊させた理由は何だ? そして、奉仕部を崩壊させたのにどうして、泣きながら謝ったのだ? あの時、サイさんはなんと言っていた? 思い出せ。いや、思い出せる。あの時の言葉は鮮明に覚えている。
――あーあ……私、結構期待してたんだよ? あの捻くれぼっちのハチマンと仲良く出来そうな人たちだって。でも……失望しちゃった。1人は人のことすら信じられないただの臆病者で、もう1人は自分では動きもしないただの役立たず。本当に……残念。
そう、サイさんは私たちに何かを期待していた。それなのに私たちはその期待に応えられなかったから奉仕部を崩壊させた。そして、泣いた。謝った。つまり、彼女も奉仕部を崩壊させたくなった。じゃあ、どうして崩壊させた?
彼女はいつだって比企谷君のために動いていた。修学旅行の時だって比企谷君が自分を傷つけて依頼を解決しようとしたのを阻止した。それでは今回も――。
「――ッ!」
もしも……もしも、あのまま奉仕部の活動をしていたらどうなっていただろう。私は比企谷君たちを疑い、由比ヶ浜さんは自分から動こうとせず、比企谷君は――自分を傷つけて依頼を解決していたに違いない。それをサイさんは良しとしなかった。比企谷君が傷つくのを見ていられなかった。だから、奉仕部を崩壊させた。
これはただの推測にしかすぎない。でも、“納得できる”。
サイさんは比企谷君のために戦っていたのだ。自分が傷つくことになったとしても。比企谷君が傷つく方が嫌だから。怖いから。だから、戦った。
「そう……そう言うこと」
ああ、なんだ。そう言うことだったのか。結局、皆同じなのだ。
サイさんは奉仕部を崩壊させて自分が傷つくより比企谷君が傷つく方が嫌だったから。
比企谷君はたった独りで活動することになるより奉仕部を崩壊させたサイさんが傷つくのが嫌だったから。
由比ヶ浜さんは行動して奉仕部を崩壊させてしまう可能性に怯えるより行動せずに奉仕部を自然消滅させるほうが嫌だったから。
皆、怖いのだ。行動するのも、傷つくのも、傷つけるのも。そんな弱さを持っている。でも……それでも譲れない物があった。大切な物だからこそ、譲れなかった。いや、大切な物だったからこそ他の物を犠牲にしてまで守りたかった。奉仕部を崩壊させたように、奉仕部を維持したように、自分を変えたように。
私は――立ち止まるより行動して奉仕部を崩壊させてしまう方が嫌だったから。
それが立ち止まった理由。間違った公式で導き出した答え。
では、全ての文字式に今まで導いて来た数値を代入して計算したらどうなるのだろうか。私が一番恐れていることはなんなのだろうか。
それはやはり――。
「……」
ベッドから降りてカーテンを開ける。すでに空は明るくなっており、そろそろ学校に向かわなければならない時間になっていた。
「「……」」
ある教室の前で私と由比ヶ浜さんは対峙していた。偶然ではない。私が呼び出しただけだ。
答えは導き出せた。しかし、それが正解かわからない。納得はしているし、何度も計算し直して見直しをした。それでも、怖い。本当にこれが正しいのか。また間違えてはいないか。不安になる。
「ゆきのん」
顔を俯かせていると由比ヶ浜さんがギュッと私の両手を握る。顔を上げて彼女を見ると嬉しそうに微笑んでいた。
「大丈夫だよ。あたしもついてる」
「……不思議ね。あなたにそう言われただけで少し気が楽になったわ」
「それならよかった」
微笑み合った私たちは手を繋ぎながら教室の扉をノックする。
『……どうぞ』
中からくぐもった男の声が聞こえた。昨日、聞いたばかりの声。
「ゆきのん」
「……ええ」
由比ヶ浜さんと頷き合って扉を開ける。今となっては懐かしく感じるあの場所。そして、彼はいつもの場所に座ってこちらを見ていた。
「比企谷君」「ヒッキー」
私たちは彼の名前を呼ぶ。それに応えるように彼は腐った目を細めた。
「「依頼があるの」」
さぁ、ここからが正念場だ。
次回、雪ノ下の答え。
なお、平塚先生の言葉が原作とまるで違いましたが、それもサイがいた影響、と言うことで。