やはり俺の魔物の王を決める戦いは間違っている。 作:ホッシー@VTuber
ビンタ一発で許して下さ(殴
――あひぃ!
「「……」」
不気味なほど静かな部屋。その部屋に微かに紅茶の香りが残っている。あの場所と同じ香り。だが、その香りの元となる肝心の紅茶はすでに冷めてしまっていた。それでもあたしとゆきのんは紅茶に手を付けない。彼女はあたしの言葉を待っているから。そして――。
(ど、どうしよっ……えっと、まずは……あ、あれ?)
――あたしは目をグルグルさせているから。
ヒッキーのメッセージに気付いたあたしは翌日の今日、ゆきのんの家に突撃したのだ。最初は家に入れてくれなかった彼女だったが、必死に頼み込んで家にあがらせて貰い、さっそく説得を試みた。いや、試みようとした。しかし、いざ話をしようとすると言葉が出て来なくなってしまい、ゆきのんが嫌そうに淹れてくれた紅茶が冷たくなってしまったのだ。
「……話があるって言うから何かと思ったけれど、嫌がらせだったのかしら?」
絶対零度の視線をあたしに向けながらゆきのんが鋭い言葉を言い放つ。それを真正面から受け止めたせいでゆきのんから目を逸らしてしまった。
(ううん、駄目……ずっと逃げて来たんだ。もう、逃げちゃ駄目なんだ!)
だが、あたしはまたゆきのんの冷たい目を見る。それが意外だったのか彼女は目を細めた。
「あの、ね……話があって」
「それはもう聞いたわ」
「……ゆきのんはもう、いいの?」
「何のことかしら?」
とぼけるゆきのんだったが、一瞬だけ顔が歪んだのを見逃さなかった。やっぱり、まだゆきのんは苦しんでいるのだ。あたしと同じで。
「奉仕部のことだよ」
「……もう、終わったのよ。今更どうしろって言うの?」
「ううん、まだ終わってないよ」
「ええ……そうね。まだ奉仕部は残っているわ。でも、それはあの男が一人で活動しているからでしょう? 評判もいいみたいね」
確かにヒッキーが一人で活動し始めた頃から奉仕部の評判が上がった。まるで、サイの言ったことが真実だったと言わんばかりに。
「それに私たちが奉仕部に戻ったところであの子がそれを許すとは思えない。過程がどうであれ、あの子の言ったことが正しかったと証明されたのだから」
「……うん。ゆきのんの言う通り、きっとサイは許してくれないと思う」
「なら――」
「――でも、それは今までのあたしたちだったらの話だよ」
あえてゆきのんの言葉を遮ってあたしは言い切った。あたしの顔を見ていた彼女は肩をビクッと震わせて驚く。少しだけくすんでしまったゆきのんの黒髪が揺れた。
「あたしたちは……変わらなくちゃ駄目なんだと思う。じゃないと、これからもあたしたちは逃げ続けなきゃならなくなるから」
「……人は簡単に変われないわ」
「でも、変わることはできるよ」
「仮に変われたとしてもそれをあの子が認めてくれるとは限らないわ」
「なら、また変わればいいんだよ。サイが認めてくれるまで何度でも」
それがあたしたちに許された唯一の方法。悪いのはサイじゃない。あたしたちなのだ。あたしはヒッキーに頼りすぎたから。ゆきのんはヒッキーたちから逃げたから。ただサイはそれを指摘しただけ。ヒッキーのために行動した彼女をあたしたちは責めることができない。そんな資格などないのだ。
「そもそもあそこに戻る必要はあるのかしら? 今の奉仕部はあの男一人で事足りているの。なら、私たちが戻ったところで邪魔にしか――」
「――ゆきのん!!」
テーブルをバン、と叩いて彼女の言葉を潰す。突然、大きな音を立てたからかゆきのんは目を丸くしてあたしを見る。
「違うよ、そうじゃないんだよ! 許してくれないからだとか、必要ないだとかそういう話じゃない……気持ちの問題なの! あたしはまたあの場所で皆で笑い合いたいだけなの。くだらない話をしたり、美味しいお菓子を食べたり、紅茶を飲んだり、依頼を受けたり……前みたいに、あたし、ゆきのん、ヒッキー、サイの4人であの部室で、楽しく過ごしたいだけなの」
「……部活は遊びじゃないのよ」
「遊びじゃないのはわかってる! でも、あたしは楽しかった! それだけで十分、あの場所に戻りたいって思える!」
あたしの想いを聞いた彼女はそこで初めて、“目を逸らした”。
「ゆきのん……逃げちゃ駄目だよ。そんなのゆきのんらしくないよ」
「……私らしいって何かしら。あの子が言ったように臆病者なのが私らしいのかしら?」
皮肉を込めた言葉をあたしにぶつけるゆきのんは微かに震えていた。それほどサイに言われたその一言が堪えたらしい。今までのあたしなら『そんなことない』とか言っていただろう。でも、それはその場の空気に流されて励ましている……いや、目を背けているだけだ。本当にゆきのんが大事なら、友達だったら、ここは――。
「うん、そうだよ」
――事実を突き付けるのが正しい。
「ッ……」
まさか頷くとは思わなかったようで彼女は目を見開き、顔を歪ませた。
「今のゆきのんはただ逃げてるだけ。逃げるためにそれっぽいことを言ってるだけ。自分は臆病者だって認めるのが嫌だから、怖いから……だから、ゆきのんはあたしからも目を逸らす。あたしの言っていることが正しいって、心のどこかでわかってるから」
「そんな、こと……」
否定しようとしたゆきのんは言葉を詰まらせて俯く。
「きっと、あたしたちはサイが言ったことを認めなきゃ駄目なんだよ。あたしはバカだし、ヒッキーがやっと差し出してくれた手を無視しちゃうし、依頼に夢中で周りのことを全然見てなかったし……何より、サイから逃げちゃった。それを含めて全部、あたしなんだ。周囲に流されてるのも、役立たずなのも、今、ゆきのんにお説教みたいなこと言ってるのもあたし。全部あたしで……それを受け入れて、やっと変われるんだと思う。自分の良いところ、駄目なところを認めて初めて変わる権利が貰えると思うの」
間違えた答えを知らないと考え直すことすらできないのと同じ。だから、あたしは正しい答えからも、間違えた答えからも目を逸らさない。もう、逸らしたくない。自分の答案用紙が赤点だと気付かず、落第などしたくないから。
「……じゃあ、私に認めろって言うの? 臆病者だって」
「うん。臆病者だけじゃない。自分が正しいと思うことを突き通すところも、紅茶を淹れるのが上手いのも、負けず嫌いなところも全部、認めるの。ゆきのん自身が『雪ノ下雪乃』を肯定するの。それで初めてスタートラインに立てる、と思う」
「……変わったわね、あなた」
驚いた顔であたしを見ていたゆきのんだったが、少しだけ笑った。
「……でも、ごめんなさい。私は変われそうにないわ」
「え?」
「だって……今でも比企谷君とサイさんのことが怖いもの。私には理解できない。あんな戦いに巻き込まれてどうして怖くないの? どうして逃げようとしないの? 私なら、おそらくすぐに逃げてしまう。サイさんの言う通り、私は臆病者だから」
ゆきのんは臆病者だと認めた。でも、変われなかった。変わる方法を見つけられなかった。ただ自分の弱いところを認識させられただけ。あたしは、失敗したのだ。彼女の説得に。しかも、あたしがあの場所に戻りたいと願ったせいで逃げることで身を守っていた彼女に真実を突き付け、酷く彼女を傷つけてしまった。やっぱり、あたしは――。
「自分を責めてはいけないわ、由比ヶ浜さん」
「ゆき、のん?」
「あなたの言っていることは正しい。逃げているだけじゃ何も解決しないのは当たり前だもの。それに……自分自身を知らなければ変わることができないのも。全て、私が臆病者で変わることができなかっただけ」
「……」
悲しげに笑うゆきのん。彼女自身も変わりたいのだろう。ヒッキーたちを怖がりたくなどないのだろう。でも、それを彼女の心が許さない。心に植え付けられた恐怖は深く根付いてしまった。ゆきのんがヒッキーたちを前にして震えなくなるためには根付いた根ごと恐怖を取り除かなければならない。だが、その手段をゆきのんは知らない。もちろん、あたしも。
「由比ヶ浜さん、色々とありがとう。少しだけ気分が晴れたわ。でも……今日のところは、帰って貰えるかしら。少し、独りになりたいの」
「……ごめんね、ゆきのん」
「気にしないで。きっと、今のあなたならサイさんにも認められると思うわ」
違うんだよ、ゆきのん。
「だから、あなただけでもあの場所に戻りなさい。比企谷君だけじゃ心配だもの」
あの場所には、ゆきのんも必要なんだよ。
「あの場所を、よろしくね」
だから……そんな寂しそうに笑わないで。
「あたし……待ってる」
「由比ヶ浜さん?」
「一緒に奉仕部を追い出されたんだから……戻る時も一緒だよ」
だから、あたしは――。
「ゆきのん……あたし、待ってるから!」
――ヒッキーがあたしを信じたように、ゆきのんを信じる。根付いた恐怖を取り除いて戻って来てくれることを。
「……」
あたしの言葉に対して、ゆきのんは目を伏せるだけだった。
主人公になった由比ヶ浜は雪ノ下に現実を突き付け、彼女に己を見つめ直す機会を与えた。しかし、雪ノ下はそれでも自分を変えることができなかった。
そんな彼女の元にとある人が現れる。
残念ながら由比ヶ浜の主人公力が低かったせいで中途半端な結果になってしまいました。ですが、雪ノ下にヒントを与えることができました。
後は……答えの求め方を教えて貰うだけです。
そして、公式を教えてくれるのはいつだって――と言ったところで、次回に続きます。