やはり俺の魔物の王を決める戦いは間違っている。   作:ホッシー@VTuber

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LEVEL.40 比企谷八幡と群青少女は共に傷つき、お互いを抱きしめ合う

 俺の目の前で微笑んでいる大海。その周囲には突然現れたアイドルを見て驚愕する委員たち。そして、俺はものすごく居心地が悪かった。いや、ハイタッチしたから俺と大海が知り合いだとばれているわけで。さっきから由比ヶ浜と雪ノ下の視線がものすごく痛い。サイは用事があってすでにここにはいない。早く帰って来て。八幡、もう耐えられない。

「ひ、ヒッキー……もしかして、その人は……」

 おそるおそると言ったように由比ヶ浜が質問して来た。さすがに信じられないのだろう。この場で驚いていないのは俺とステージで大海がライブをするための許可を取りに行った平塚先生だけである。まぁ、先生も本当に連れて来るとは思わなかったようで意外そうな表情を浮かべていたが。

「……えっと、大海恵って言って……その、なんだ。アイドルだ」

「こんにちは。今日はよろしくね」

「え、えええ――」

 驚きのあまり悲鳴を上げそうになったのを雪ノ下が寸前で止める。ここで大声を出せば観客に聞こえるかもしれない。押さえた雪ノ下も信じられないような目を俺に向けている。さすがの雪ノ下も大海の存在を知っていたようだ。

「それで八幡君、残り時間はどのくらいなの?」

 ある程度事情を説明していたので大海が腕時計を見ながら問いかけて来た。

「稼いだ時間はだいたい30分。大海を呼ぶのに15分かかったから後半分だな」

 サイが稼いだ10分。葉山たちが稼いでいる10分。そして、雪ノ下たちが稼ぐ10分。計30分の時間稼ぎ。すでに葉山たちが演奏を初めて5分ほど経っている。残り15分だ。

「うん。わかった。えっと、音響さんとか……そう言った役割あるの?」

「……比企谷君には色々説明して貰いたいのだけど、今はそんな時間ないわね。大海さん、貴女はこちらの事情を知っているのかしら?」

 俺に絶対零度の視線を向けた後、大海に質問する雪ノ下。

「ええ、ある程度は。時間稼ぎをすればいいのよね?」

「その通りよ。15分で準備出来る?」

「今日はレコーディングして来たからすぐにでも歌えるわ。今、ティオ……私の知り合いに衣装を持って来て貰ってるからそれが届けば私の準備は大丈夫よ。後は歌う曲とか音響さんと相談したいんだけど……」

「わかったわ」

 それを聞いた雪ノ下はギターを持ったまま、委員たちに素早く指示を出す。すぐに委員たちの数人が一箇所に集まり、大海と打ち合わせを始めた。委員たちはアイドルを目の前にしてかなり緊張しているが、今の状況を理解しているのか真剣に取り組んでいる。

「ハチマン、ただいまー!」

「はぁ……はぁ……」

 その時、衣装を取りに行っていたサイとティオが戻って来た。

「おう、お疲れ……特にティオ」

「何あれ……死んじゃうかと思ったじゃない」

 サイの最大速度――『サウルク』と『サグルク』の重ね掛けを経験したティオは大きな袋を抱えながら肩で息をしていた。

 サイが稼いだ10分で俺は大海に電話をし、事情を説明した。その近くに大海のマネージャーもいたようでそのまま、ゲリラライブについて交渉。マネージャーだけでは判断できなかったようで事務所に連絡を取っている間、今日の仕事はなくなった大海を交渉の結果がどうであれここに連れて来るべきだと判断し、ステージパフォーマンスを終えたサイを呼んで物陰で呪文を2つ唱えて迎えに行って貰った。5分ほどで往復したと考えるとかなり時間短縮できただろう。

「でも、大海は息を荒くしていなかったな」

「あー、途中でメールが来たからそれを見るために止まったんだよ。その時はティオと同じ感じで満身創痍」

 本当にいくらお礼言っても足りないかもしれない。因みに衣装を取って来て貰うためにサイはティオを背負って(家や衣装の場所を教えて貰うため)大海の家に行った。サイの最高速度に加え、おそらく道路ではなく家の屋根や電柱から電柱へ飛んだりと、かなりアクロバティックな移動をしたのだろう。夜の特訓の帰り道とかよく屋根の上を走っているからあの恐怖はよくわかる。めっちゃ怖い。

「ティオ、すまんがそれを大海のところに」

「ええ、わかってるわ。恵も八幡に恩返しできるってはりきってるみたいだし」

 大海の方を見て嬉しそうにティオが呟く。つられてそちらを見ると大海は笑顔で打ち合わせをしていた。

「比企谷君」

 後ろから雪ノ下に声をかけられて振り返る。そこには由比ヶ浜と雪ノ下がいた。

「貴方の言っていた時間稼ぎには吃驚させられたけれど……まだ根本的な解決にはなっていないわ」

「ああ、知ってる」

 例えアイドルのゲリラライブで観客を満足させてもエンディングセレモニーで躓けば全てが無駄になる。何としてでも相模を見つけなくてはならない。それもただ見つけるじゃない。相模にエンディングセレモニーに出るように説得しなくてはならないだろう。打ち合わせをするとして出来るだけ早めに見つけたい。

「大海。ライブの時間はどれくらいになる?」

 打ち合わせ中の大海に質問した。

「そうね。いくらでも……って言いたいけど、多分30分から1時間かな。それ以上となるとお客さんから文句出ちゃうかも」

 そりゃそうだ。ただでさえ時間稼ぎをして終わる時間を遅らせているのに更にそこから数時間もアイドルのライブがあったら帰る人や文句を言う人が出て来る。

「エンディングセレモニーの打ち合わせの準備しておけ」

 この場で暇なのは俺だけだ。他の人は大海のライブ準備がある。それに“こうなったのも半分ぐらいは俺の責任なのだ”。俺がやるべき仕事である。

「……よろしくね」

 雪ノ下が頷いたのを見て俺は体育館を出るために彼女たちに背を向けて歩き始めた。

「ヒッキー!」

 ずっと不安そうに俺を見ていた由比ヶ浜が俺を呼ぶ。振り返らずにその場で立ち止まる。

「頑張って!」

 由比ヶ浜の声に手を挙げるだけで答え、そのまま体育館の外へ出た。

「ふふ、ハチマンったら恰好付けちゃって」

「……サイ」

 体育館から出てすぐに俺の肩に乗って笑うサイ。

「ハチマン、よくできました」

「何の話だよ」

「メグちゃんに頼んだことだよ。少し前のハチマンだったら絶対に頼らなかった」

「……そうかもな」

 思い出されるのはこの前の遊園地での戦い。あの時、俺は初めて高嶺たちと共闘した。大海とティオに出会った時にも一緒に戦ったが、今回の場合、はっきりと『仲間』として戦った。そう、初めて仲間を頼った日。

「さて、ハチマン訓練生。推理の時間だ。あのクズはどこにいると思う?」

「今わかってるのは探しても見つからない場所だけだ」

 逆に見つかりやすい廊下や店には近寄らないだろう。ましてや今回相模は本気で逃げるつもりである。見つかってしまった瞬間、委員たちの憎悪が爆発する可能性が高い。一度、逃げ出した彼女は決して見つかるわけにはいかない。見つかった瞬間、相模の高校生活が終わるのだから。

「これ完全に詰んでね?」

 文化祭を成功させるためにはエンディングセレモニーを無事に終わらせる必要があって、そのために相模がエンディングセレモニーに出なければならない。しかし、逃げて他の委員たちに迷惑をかけた彼女を委員たちが許すわけもなく、相模がエンディングセレモニーに出ようと思っても委員たちの憎悪が彼女の心を粉々にする。はい、詰んだ。

「とりあえず、クズの居場所を探そうよ。それから色々考えよ?」

「あー……いや、相模のいる場所はだいたいわかる」

「へ?」

 かなり簡単だ。相模がいる場所の条件はただ1つ。誰にも見つけられない場所。

 じゃあ、誰にも見つけられない場所の条件はなんだろうか。

 1つ目は人が近寄らないこと。人がいなければ発見される可能性はグッと下がる。これにより、体育館はもちろん先ほど言ったように廊下や店には近寄らない。

 2つ目はそもそも人に知られていないこと。行列が出来るほど美味い店をオープンしたとしても誰も知らなければ客など来ない。それと同じだ。

 3つ目――意表を突くこと。サイが言っていた。どんなことでも隙を突くのは大事だと。相模は絶対に見つかってはならない。どんなことをしても発見されてはいけない。だからこそ、罪を重ねる。そう、1度は考えてあり得ないと否定すること。例えば、“職員室の鍵を盗む”。だが、今はどの教室も模擬店で使っている。そんな中、使われていない教室は数えるほどしかない。その中でも俺たちの意表を突ける場所が1つだけ。

「この3つの条件が揃う場所は――」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 文化祭特有の喧騒は遠くの方から聞こえる。俺はただ黙って廊下を歩いていた。サイはいない。俺の推測が外れていた場合のことを考えて持ち前のスピードで校内を見て回っている。携帯を取り出して時刻を確認した。そろそろ雪ノ下たちの演奏が始まる。その後は大海のゲリラライブ。果たしてその間に俺は相模を説得できるのだろうか。そう思いながらメールの送信が完了したことを告げるメッセージを見て携帯をポケットに仕舞った。

(やるしかないんだよなー)

 正直言って面倒だ。相模を見つけることが出来ても説得しなくてはならないし、委員たちの憎悪もどうにかしなくてはならない。まぁ、相模の自業自得なのだが、悪化させたのは俺だ。それぐらいわかり切っている。多分、サイは気にする事じゃないと言うだろう。でも、そのせいでこの文化祭が失敗に終わってしまうのはいただけない。

 目的の場所に着いた。人が近寄らず、知っている人自体が少なく、意表を突くような場所。あらかじめ平塚先生から借りたスペアキー(やはり鍵が盗まれていたが、先生がスペアキーを持っていた)で鍵を開ける。教室の中から物音が聞こえた。やはりここだったか。

「開けるぞ」

 一応、そう言ってから扉を開けた。

「なんで……ここが……」

 中を見ると椅子に座っていた相模が目の周りを赤くしながら俺を見て驚愕している。泣いていたのだろう。

 ここは――奉仕部の部室。人も近寄らず、奉仕部自体、知られていない上、奉仕部に所属している俺と雪ノ下がいるのにも関わらず、ここに逃げ込むという意表を突くような行動。奉仕部の部室の鍵を盗み、鍵を開けて中に入った後、内側から鍵を締めれば見つかっても時間を稼ぐことができる。よく考えられた逃げ場所だった。それほど必死だったのだろう。

「少し考えればわかる。ほら、行くぞ。エンディングセレモニーが始まる」

 俺がそう言うと相模はビクッと肩を震わせて立ち上がった。その顔には恐怖の色。今、自分が委員たちの前に姿を現せばどうなるかわかっているのだ。

「む、無理……今更行けるわけない」

「お前が出ないと意味ねーんだよ。集計結果知ってるのお前だけだし」

「集計し直せばよかったじゃん。皆でやればそれぐらい」

「無理だ。そんな時間はもうないし、そもそもこんな時間帯に暇な人なんていない」

 それほどエンディングセレモニーというのは大事なのだ。

「だ、だって……うち、皆から嫌われちゃったし。オープニングセレモニーの時に皆の視線でわかっちゃったから。『お前みたいな文化祭実行委員長が偉そうに話すな』って。うちはもう……」

 ああ、これは完全に心が折れている。相模を説得させるためには折れた心をどうにかしなければならない。

 励ます? ぼっちの俺に励まされたところで何も変わらない。いや、そもそもこうなったのは俺のせいなのだから俺にそんな資格などない。

 罵倒する? 逆効果だ。罪悪感程度ならまだしも心が折れている奴を罵倒したところで前向きになるわけがない。なったらそいつはただの変態マゾヒストである。

 集計結果だけ受け取って雪ノ下に代役をやって貰う? それでは意味がない。相模の依頼は文化祭実行委員長の補佐だ。もし、集計結果だけ貰って雪ノ下に届けても依頼の解決にはならない。そうなれば依頼を受けた本人である雪ノ下のして来たことを否定することになる。

 他の人を呼ぶ? 俺が一番初めに見つけた時点で他の人がここに来てもあまり効果はないだろう。それにすでに人は呼んである。由比ヶ浜にメールしたからきっと本人に伝えられているはずだ。由比ヶ浜が出番前にメールを確認していてくれていればの話だが。

(どうする? どうすれば相模は動く?)

 完全に心が折れていて、憎悪に恐怖し、こんな場所で震えている文化祭実行委員長を動かすには――。

 

 

 

「…………」

 

 

 

 自分の体を壊してまで仕事をした雪ノ下。

 雪ノ下と俺のことを心配してくれた由比ヶ浜。

 だらけ切った運営を見ながらも俺たちを信じて報告することなく待っていてくれた平塚先生。

 サイがステージパフォーマンスをすると知ってわざわざ俺にそのことを聞いて来た小町。

 時間稼ぎのためだけにこんなところまで来てくれた大海。

 そして――俺が疲れているのを見て委員たちに隠れて運営の仕事を手伝ってくれたサイ。

 罪悪感を抱かせるためにサイの努力を利用し、まるで自分のことのように語り、怒りのまま説教して、こんな事態を招いた。少し考えれば相模に憎悪が集中することぐらいわかるのにも関わらず、感情的になってしまった。だからこそ、俺がどうにかしなくてはならない。

 何より、サイが言っていたのだ。『文化祭、楽しみにしているね』と。たったこれだけで俺が動く意味となる。

 

 

 

 

 

「本当に……お前のせいで計画が台無しだ」

 

 

 

 

 

「え?」

 突然、呟いた俺を相模は目を白黒させながら見つめる。ダルそうな声を漏らしながらポケットに手を突っ込み、ため息を深く吐く。

「まさかこんなことになるなんてな。全部お前のせいだ」

「何を、言って……」

「あ? 決まってんだろ。“俺がサボるための計画”」

 励ましも駄目。罵倒も駄目。代役も駄目。なら、これしかない。

 

 

 

 

 

「せっかく、あのクソガキを利用して手の込んだ写真まで撮ったのに」

 

 

 

 

 

 そう、“敵を作る”ことだ。

「ッ……どういうこと?」

 心が折れていた相模の目に少しだけ光が宿り始めた。それでいい。

「だから、俺がサボるために色々仕組んだってことだよ」

「仕組んだ……じゃあ、あの写真は!?」

「言っただろ? サイを働かせてわざわざ写真の端っこに写るように撮ったんだよ。そうすれば皆、サイが自分から働いているように見える」

 どんどん相模の顔が険しくなっていく。両手を強く握っている。

「あ、あんたッ……まさかあの子を働かせてあの写真を撮ったの!?」

「そう言ってんだろ? 途中まではよかったんだけどな。お前の心が折れなかったら今頃エンディングセレモニーも終わってやりたくもなかったこの仕事も終わる」

 今、相模の中で俺は『自分が楽したいからそのために子供に働かせて計画に協力させているクズ』みたいな扱いをされているはずだ。

「最低……」

「何とでも言え。まぁ、おかげで途中までは楽できた。ほら、集計結果寄越せよ。持って行ってやる」

「あんたなんかに渡さない!」

 そうだ、それでいい。こんなクズに渡すな。きっと、相模は自分のことを『文化祭実行委員の中で唯一、クズの計画を知っている救世主』だと思っているに違いない。そして、サイはこんなクズに協力させられている被害者。文化祭を成功させられるのも、サイを救えるのもクズの計画を知っている自分だけだと。

(でもな、相模。それは違う)

 鏡でも渡せば一発でわかるだろう。今、相模が浮かべている表情は怒りではなく、憎悪であると。結局、人間は自分が可愛いのだ。俺の計画のせいで自分がどれだけ酷い目に遭ったのか思い出しているだろう。それを文化祭を成功させるだの。サイを救うだの。言い訳を頭の中で繰り返して自分を欺く。この感情は憎悪ではない。怒りなのだ。うちはこのクズをどうにかできる特別な人間なのだ。あの子を助けないと。このままではクズの計画が露見せずに文化祭が終わってしまう。どうにかしないと。正義感。自分にしかできない。決してこいつのせいで自分が酷い目に遭ったからではない。うちは特別。選ばれた人間。主人子はうち。

「……っ」

 だからこそ、相模は考える。勘違いしたまま、俺の計画を潰すために。でも、何も思いつかないようで悔しそうに奥歯を噛んでいる。

(本当に……面倒だ)

「おっと」

 ポケットから手を出した拍子に携帯を床に落としてしまう。相模に見せつけるようにゆっくりと拾って何度か操作して壊れていないか確認してからまたポケットに仕舞う。

「ッ……」

 それを見て気付いたのだろう。相模は急いで携帯を取り出し、操作し始めた。

「何してるんだ?」

「え、えっと……今何時か確認しようと思って」

 そう言った後、長机の上に携帯を置く。こいつはバカなのだろうか。やるならもっと考えて欲しい。通話中だと画面に出ているし、通話相手の声も漏れている。この会話を通話相手に聞かせようとしているのだろう。俺がわざと落とした携帯を見て思い付いたようだ。まぁ、そう仕向けたんだけど。でも、相模はそれに気付かない。自分は主人公だから。これはうちが活躍するために神様がヒントを与えてくれたのだ。そう、自分に言い聞かせて。とんだ中二病だ。自分だけが特別だと思っているところなどまさにそうである。材木座と仲良く出来そうだ。

「そ、それで? あんたの計画って何なの?」

 震える声で問いかけて来る相模。バカか。本当にバカなのか。もう少しぼかして聞き出せばいいのに直球で質問した上に先ほどから携帯をチラチラ見ている。

「……だから言ってんだろ? 俺が楽するために計画だって」

 だが、俺はあえて気付かない振りをする。相模だけ説得しても意味などない。委員たちの憎悪もどうにかしなければならないのだ。そのための茶番。さぁ、ここからは俺のオンステージだ。

「だから、あの子を脅して協力させたってわけ!?」

 おお、迫真の演技ですなぁ。脅したなんて一言も言っていないのに。でも、どうして俺はその言葉を聞いた瞬間、“心が痛んだ”のだろうか。

「……ああ、そうだ。いやぁ、大変だった。あのクソガキ、全然言うこと聞かねーんだから」

「最低……他に何したの!?」

「そうだな……お前に委員たちの恨みを集中させたとか? そうすれば俺がサボっていてもお前に憎悪が集中してるからばれないし」

 すでに相模の携帯から声は聞こえない。こちらの状況を理解し、黙って聞いているのだろう。

「でも、お前が逃げ出したせいでこうやって働く羽目になった。本当に面倒なことをしてくれたな。奉仕部の部室に隠れるなんて。早く終わらせたいんだよ。集計結果、寄越せ」

「……あんたなんかに集計結果、渡さない」

 紙束を抱きしめて相模が後退する。

「はぁ……仕方ない。無理矢理にでも奪って終わらせよう」

 そう言いながらゆっくりと相模に近づいて行く。

「やめて! 来ないで!」

 ここぞとばかりに叫ぶ相模。俺だって近づきたくないわ。

「待て!」

 その時、勢いよく部室の扉が開き、葉山が入って来る。その後ろには相模の友達2人。由比ヶ浜にメールして葉山にここまで来て貰ったのだ。まさか相模の友達まで連れて来るなんて思わなかったが。だが、俺は運がいい。友達の1人が携帯を耳に当てている。相模が電話した相手だったのだろう。

「葉山君……」

 相模が涙目になりながら葉山を呼ぶ。その姿はヒロインのピンチに駆けつけたヒーローのようだった。

「まさかそんなことを考えていたなんて思わなかったよ」

 葉山が俺を睨みながら呟く。

「あ? 何の話だ?」

「あんたの計画は全部聞いたんだからね! さがみんが携帯繋いでたんだよ!」

 友達1が叫んだ後、携帯を見せつけた。それを見て目を見開き、長机に置かれた携帯を見て舌打ちをする。おお、俺ってば俳優になれるかも。でも、なんで葉山さん。相模の携帯を見た瞬間、首を傾げているんですかね。

「相模さん、集計結果を持って体育館に行って。時間稼ぎしてる間に雪ノ下さんとエンディングセレモニーの打ち合わせをするんだ」

「う、うん! 葉山君ありがと!」

 お礼を言った相模は友達2人に連れられて部室を出て行った。その途中、『まさかあいつあんなこと考えてたなんて、サイテー!』、『さがみん、手柄だよ! ゴメンね、ずっと無視して』という声が聞こえた。これでいい。俺と言うクズの計画を見破った相模は委員たちからヒーロー扱いされ、よくやったと肩を叩かれるだろう。ほら、これで任務完了だ。相模は俺に対する対抗心でエンディングセレモニーに出て、委員たちはヒーローを敬う。誰も傷つかない世界の完成だ。

「……どうして、そんなやり方しかできないんだ」

 部室から出る直前で葉山が俺を見ながら言う。それに対して俺は沈黙を貫いた。

「いや、違うな……そんなやり方をさせた自分が許せないだけか」

 葉山は良い奴だ。頭もいい。何より正義感に溢れ、傷ついている人を見過ごすことの出来ないヒーロー体質。だからこそ、俺の行動を見過ごす。もし、俺の行動を見過ごさなければ多くの人が傷つくから。そして、その傷つく人の中に俺も含まれる。ここまでして成功させたかった文化祭が失敗に終わる。それが俺が一番傷つくことなのだ。それを察しているからこそ、葉山は拳を握りしめ、自分を責める。

「何の話だ?」

「……これだけは覚えていて欲しい。ヒキタニ君が傷つけば傷つく人だっているんだ」

 そう言い残して部室を後にする葉山。遠くの方から歓声が響き渡る。大海のライブでも始まったのだろう。もしくはすでに始まっているのかもしれない。いつもの場所に座ってそっとため息を吐いた。

(作戦は成功した、はずなのに……)

 俺の心はどこか冷めている。上手くいったはずなのに。詰んでいた戦況をひっくり返したのに。

「ハチマン」

 不意に後ろから抱きしめられる。でも、抱きしめている奴は小さいからか引っ付いているようにしか見えないだろう。

「……」

 だが、俺にとってその温もりはとても心地よかった。凍りついた心を融かしてくれる。

「ハチマン、お疲れ様。よく頑張ったね」

「……別に」

 俺は当たり前のことをしただけ。これが一番手っ取り早かっただけ。ただそれだけなのだ。

「ううん、よく頑張ったよ。自分の心を押し殺してやりたくもない悪役を演じて見事、皆を騙した。まぁ、数人にはばれるだろうけどね。でも、そのおかげであのクズは前に進んだ。抱いた感情は醜くても彼女は前を向いて歩き始めた。委員たちはその彼女の背中を見て一緒に歩いてる」

「……」

「でもね。ハチマンだけはそんな人たちの後ろでただ立ってるだけ。独りで皆の背中を見てるだけ。それはちょっと寂しいかな。だから――」

 俺の背中にサイが顔を押し付ける。少しだけ背中が濡れた。

 

 

 

 

 

「――私も一緒にいるよ。ハチマンがどんなことをしたって。世界中の人に嫌われたって。私が傍にいる。ハチマンの隣で笑っててあげる。だから、どうしてそんなに悲しそうな顔をしてるのか教えて欲しいかな。ハチマンが傷ついた理由、教えてくれるかな?」

 

 

 

 

 

 その声はとても優しかった。まるで、悪いことをした子供に理由を聞く母親のようだった。

(俺が、傷ついた理由……)

 委員たちに嫌われたから?

 相模に憎悪を向けられたから?

 葉山に演技がばれたから?

 いや、違う。俺はそんなことで傷ついたりしない。ぼっちだから。他人の意見なんてどうでもいい。他の人なんて知ったこっちゃない。じゃあ、どうして俺はこんなに傷ついてしまったのだろうか。

「……ああ、そうか」

 俺は――。

 

 

 

 

 

「――サイを利用したことが嫌だった。あんなに頑張ってくれたのに……俺の気持ちをすっきりさせるために写真を撮って、皆にばらして、サイに罪悪感を抱かせるようなことを言わせて……最後の最後までお前を利用したことが、嫌だった」

 

 

 

 

 

 きっと、委員たちの中でサイは被害者になっているだろう。可愛そうな子だと同情されるだろう。そうさせてしまった自分が許せなかった。

「すまん」

「いいよ。私のために悲しんでくれてありがとう」

 背中から飛び降りて俺の膝に座ったサイはギュッと抱きしめて来る。俺も静かに彼女の背中に腕を回す。俺を見上げるサイの目から涙が零れた。今更、葉山の言葉を理解する。サイを泣かせたのは俺だ。俺が傷ついたからサイも傷ついた。本当に、俺は駄目な奴だ。一番泣かせなくなかった奴を泣かせてしまったのだから。

「すまん……すまん……」

 利用したこと。被害者にしてしまったこと。傷つけてしまったこと。泣かせてしまったこと。どれに対する謝罪だったのかは俺にもわからない。ただ俺はサイに謝っていた。

「大丈夫だよ。私はハチマンの味方だから。許してあげる。これからもずっと一緒だよ」

 その度にサイが笑顔で許してくれた。満面の笑みを浮かべながら涙を流していた。

 そんな部室に大海の歌声が微かに響く。それを聞きながら俺たちは長い間、お互いの温もりを抱きしめ合った。お互いの傷ついた心を癒し合うように。

 




因みに舞台裏で八幡は鞄を肩にかけて魔本にこっそり触れていました。鞄に手を突っ込んでる感じで。




あのシーンでしたが、私的にはあまり納得できていなかったりします。もう少し八幡の傷ついている描写をしたかったです。
なお、葉山が気付いた理由は長机に置いていた携帯を見て『なんであんなわかりやすいところに置いたんだ?』、『普通気付くよな』、『あれ、そもそもヒキタニ君、仕事すごいしてるよな』、『もしかして――』といった感じで疑い始めたらすぐにわかるようなことでした。まぁ、他の人はそんなことにも気づかずに相模を褒め称えると思いますが。そもそも、葉山を奉仕部に呼んだのは八幡(部室に行く前に由比ヶ浜にメールを出しておいた)ですし。

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