ではどうぞ。
26 吐露は彼女を加速させる
放課後
奉仕部部室。
「うす」
雪ノ下雪乃は、俺、比企谷八幡を見るなり挨拶もそこそこに駆け寄ってくる。
「比企谷くん、怪我をしているのだから無理しなくていいのよ。依頼も無いし」
「この手じゃ本も読めないしゲームも出来ないから、その、暇なんだよ」
俺の肩に掛けられた鞄を奪った雪ノ下は、それを俺の指定席の横へ置く。
「そう。では今日は見学ね」
「いつも見学みたいなもんだろ」
「ふふ、言い得て妙ね」
由比ヶ浜はまだ来ていなかった。
鼻歌交じりで紅茶の用意をする雪ノ下。を見る俺。に気づいてぷいとそっぽを向く雪ノ下。
なんだなんだこの甘い空気は。さてはどこかにリア充どもが潜んで空気を操作してやがるな。
うん、きっとそうに違いない。
「…はい」
「ん、ありがと」
雪ノ下に飲ませてもらうのも幾分慣れてきた。慣れたのは、飲ませて貰うコツが解ってきたという意味で、行為自体はまだ多分に照れるのだが。
「今日…由比ヶ浜さんに嘘をついてしまったわ」
「ああ、シャンプーの件な」
「咄嗟に出てしまったのだけれど…嘘をつくのって嫌な気分ね」
「気にすんな。あれは気を遣う為の嘘だったんだろうし」
果たしてその見解は正しいのか。
「そうね、そういうことにしておくわ」
雪ノ下も気づいているはずだ。
「ああ、それと。夕べのは、その…俺らだけの秘密にしとけよ」
昨日の夜を思い出したのか、みるみる雪ノ下の頬が赤みを帯びる。
「え、ええ…もちろんそのつも」
言葉を遮り、軽快な音を立てて部室の扉が開く。
「やっはろー!」
朝に損ねた機嫌が直ったのか、いつもと同じ由比ヶ浜に見える。
「ねえねえゆきのん」
肩がビクッと震える雪ノ下に由比ヶ浜の無邪気な言葉が襲う。
「あたしもゆきのんのシャンプー欲しい!」
呆気にとられて目を丸くする雪ノ下。
「だって、すごくいい匂いなんだもん」
「え、ええ、もちろんいいわよ」
ありがとー、といいつつ雪ノ下に抱きつく由比ヶ浜。いつもの見慣れた光景。いつも通りの日常。
ああ、やっと帰ってきたんだ。この空間が。
「今日も依頼無しか」
時間を見ると。すでに午後5時を過ぎている。
「そうね」
突然由比ヶ浜が椅子を鳴らす。
「あ、あたし考えたんだけど…」
「今ヒッキー両手ケガしてるじゃん? だからさ~」
「依頼が無いときは、あたしとゆきのんでヒッキーに奉仕するってのは、どう…かな」
何を言い出すかと思えば。つーかそれって、奉仕じゃなくて介護っていうんだぞ、普通は。
それに奉仕ってなんかエロいじゃん、響き的に。
ふむ、と雪ノ下も顎に手を当てて思案し、
「…そうね。面白そうだわ」
と意地悪そうに笑う。
「雪ノ下まで…何を乗り気になってるんだよ」
「まあまあヒッキー、照れない照れない」
両手の怪我で満足に抵抗できない俺に身を寄せた由比ヶ浜が耳元で囁く。
「昨日ゆきのんちに泊まったの、さっき小町ちゃんに聞いちゃった。言っちゃおうかな~」
それでこいつ普段より来るの遅かったのか。
とにかく由比ヶ浜は強力なカードを手にした。小町のせいで。
昨夜を思い出して、顔が赤くなる。うん…確かに強力かも知れない。精神をざっくり抉られそうだ。
が、すぐに気がつく。
「…それ、誰に言うつもりだ?」
強力なカードを手にしたと思っている由比ヶ浜には申し訳ないが、それは全くの無意味だった。
雪ノ下の家に泊まった事実を隠したい相手は、他でもない由比ヶ浜である。
その由比ヶ浜本人がそれをネタに俺に脅しをかけても、それは何の交渉材料にもならない。由比ヶ浜はそれに気がついていないらしい。
「え、えーっと…ゆきのん、かな…」
お、漸く気づいてきたか、アホの子よ。
「じゃあ言えばいい。先に言っておくが雪ノ下もまた当事者だ。何の効果も無いぞ」
そう言うと、途端に由比ヶ浜は鬼の首でも取ったようにニヤニヤし出した。
「…ヒッキーってさ、頭良いのに時々すごくマヌケだよね~」
ん? どゆこと?
状況がわからない。雪ノ下は、はっとした顔をしているが。
「…比企谷くん。貴方の…いいえ私たちの負けよ」
「は?」
俺は視線で雪ノ下に説明を求める。
「ふう、由比ヶ浜さんは所謂『カマをかけて』いたのよ。それに気づかずに腐った男があっさりと私を当事者の一人として認めてしまった。故に、貴方と私が隠し事を共有しているのが証明されてしまったのよ」
へへへと笑う由比ヶ浜。
「やっぱゆきのんは頭いいね~で・も!」
由比ヶ浜の頬が膨れる。
「ずるいよ。あたしに内緒でヒッキーと既成事実作っちゃうなんてさっ!」
しかしやっぱりアホの子はアホの子だった。
「…ちょっと待て。なんだ既成事実って」
モジモジしながら自身の飛び過ぎた推測を話す。
「だ、だって…二人で一緒にお泊りしたっていうことは、その…しちゃったんでしょ?」
面白いから突っ込んで聞いてみよう。うん、そうしよう。
「何を?」
さらに加速する由比ヶ浜結衣のモジモジ。
「だ、だ、だ、だからその~、う~」
いっちゃえよ、ホラ、いっちゃえってば。
「え、えっちなこと、だよっ!」
うわぁ、こいつとうとう言いやがった。
俺と雪ノ下は顔を見合わせる。と同時に雪ノ下が目配せ、所謂ウィンクをしてくる。
ものすごく意地悪な表情を浮かべながら。
「そう…もう知っていたのね。では全て話すわ」
読みかけの本をとん、と置くと、真剣な眼差しを由比ヶ浜に向けた。由比ヶ浜の表情が硬くなる。
「夕べ…彼を私のマンションに招いたわ。一緒に食事をして、一緒にお茶を飲んで、一緒にお風呂に…」
「ち、ちょ、ちょっっと…い、いきなりお風呂で!?」
みるみる由比ヶ浜の耳が朱に染まる。
「おい雪ノ下…」
「邪魔をしないで八幡。私は事実を伝えたいのよ」
「は…はちまん!?」
由比ヶ浜は耳真っ赤のまま、酸欠の金魚のようにぱくぱくと口を開けている。
「一緒にお風呂に行って…彼の頭を洗ってあげたわ。それだけよ」
俺は、我慢できずに笑ってしまった。
「ふえっ、えっ…?」
唖然とする由比ヶ浜に、雪ノ下は告げる。
「由比ヶ浜さん、少々想像力が豊か過ぎるわ。比企谷くんは怪我人よ。両手を怪我した状態では、その…いかがわしい行為なんて出来ないことは解るわよね」
雪ノ下さんたら、自分も赤面したまま真っ赤な由比ヶ浜さんを諭すって。
「そ、そうなの?ヒッキー」
瞬発力を最大限に生かした振り向きで俺を見る。
「ああ、そうだ。久しぶりに人に頭を洗ってもらって気持ちよくなって、そのままソファーで眠りこけて、気がついたら夜が明けてた。ソファーで寝てしまったおかげで身体が痛い」
「あら、それは貴方がソファーの背もたれに足を乗せるような変な姿勢で寝ていたからだわ。よくあんな姿勢で眠れるものだわ」
「じゃ、じゃあさ、ホントのホントに何にも無かったの?」
「ああ、もちろ…」
そこで言葉が詰まった。
正確には何も無かった、訳ではない。雪ノ下もそれを思い出したらしく、顔から火が出そうなくらい赤面している。由比ヶ浜のジト目が怖い。
「あーー、やっぱ何かあったんだ~」
挙動不審。所謂キョドってしまう雪ノ下。
「あ、いや、その…ちょっとだけ」
ジト目に感情が上乗せされる。
「ちょっとだけ~?」
「…その…頬に、キスを…」
あまりの恥ずかしさに顔を覆う雪ノ下に、あまりの初心な発言に耳まで真っ赤に染める由比ヶ浜。
「な、なーんだ、ほっぺにチューか。そっかそっか」
「ほら見ろ、おまえが由比ヶ浜に意地悪なんかしようとするから、全部バラす羽目になっちまったじゃねぇか」
由比ヶ浜は安心したのか、力が抜けたようにその場にへたり込む。
「ははは…ゆきのんらしいや」
「ま、まあ、それも、今回の感謝の意味なのだけれども…」
「ま、そういうことだ」
「なら、ゆきのんはヒッキーにそういう気持ちは無いの?」
「も、勿論よ。こんな目から全身が腐っていくのを待つだけの男に、そんな訳ないわ」
そうかよ、俺はやがて全身腐るのかよ。じゃあその前に戸塚と、なんて馬鹿な妄想を始めたところで、由比ヶ浜は仕返しとばかりに爆弾を落としやがった。
「じゃあさヒッキー、あたしと…えっちしよ」
今回もお読みいただき、ありがとうございます。
第26話、いかがでしたか?
この物語はもうすぐラストを向かえる予定です。
もうちょっとだけ続くんじゃ。
ということで、また次回。