雨に濡れ落ちた花   作:エコー

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21 素直でない彼女と捻れた彼

 

21 素直でない彼女と捻れた彼

 

同日 奉仕部部室。

 

「…手、痛い?」

 息がかかりそうなくらいにぴったりと椅子を寄せて、心配そうに声をかけてくる由比ヶ浜。その手は、俺の名誉の負傷に巻かれた包帯を優しく撫でて労わる。

「ん、ああ。少しな」

 その様子を横目で見ていた雪ノ下は、ふっと笑みを零す。

「まったく、慣れないことをするからよ。あなたケンカなんてしたことないんでしょう」

「ま、俺は平和主義だからな」

 そこに的を射た毒舌が飛んでくる、はず。

「だってケンカには相手が必要ですものね。ぷっ、くっくっく…」

 ほら、きた。想定内だから悲しくないもん。つーか、まだ笑うのかおい。

「…ぼっちで悪かったな」

 

 何とか使える左手でバッグを開けようとするが上手くいかず、それを見かねた由比ヶ浜が代わりにバッグのファスナーを開けてくれた。

「お、サンキュ」

 まだ笑いで肩が揺れている雪ノ下は、冷めた紅茶を淹れ直す。

「はい。くっくっく…」

 俺は不機嫌な顔をして溜息をつき、包帯ぐるぐるの左手で紅茶の湯飲みを手に取ろうとする。

 カチャン

「痛っ!」

 湯飲みを持とうとした左手に痛みが走る。

 脊椎反射のように由比ヶ浜が近づく。さっきまで笑っていた雪ノ下も慌てた顔で椅子を鳴らす。

「大丈夫、ヒッキー!?」

「ああ、だいじょう…ぶ」

 二人の慌てふためく姿に、少々ばつが悪くなる。

 しかし困った。せっかく淹れて貰った紅茶が飲めない。などと思案していると、何故か由比ヶ浜はニコニコしながら俺の紅茶の湯呑みを持っている。

「はいヒッキー、あたしが飲ませてあげるね」

 不覚にも凄く可愛いと思ってしまった。それを察したのか赤面する由比ヶ浜が、湯気が立つ湯呑みを俺の口元に近づける。

 雪ノ下の冷たい視線が刺さる。

「あ、ああ…どうも」

 由比ヶ浜の持つ指に触れないように気をつけながら、湯飲みに口をつける。

「…熱っち!」

 やっぱり熱かった。だって淹れてもらったばっかりだもん。

「あ~ごめんごめん」

 再び雪ノ下が笑い始める。

「いい…冷めるまで待ってストローで飲む」

「あ、じゃあストロー購買でもらってくるね。ついでにお菓子も買ってくる」

 由比ヶ浜はてとてとと、髪のお団子とたわわに実った何かを揺らしながら走って部室を後にした。

 

 俺、比企谷八幡と雪ノ下雪乃。

 二人残された部室。

 由比ヶ浜は購買に行き、ここにはムードメーカーもゲームメーカーも不在。

 つまり、落ち着けない。なんかソワソワ、ムズムズ、モジモジなのだ。

 ちなみにさっきから背中が痒いのだが俺の両手は今アレなので掻けなくて、そういう意味でもモジモジなのである。

「あ、のよ」

「…何かしら」

 背中を掻いて欲しい、とはいえない。

「いや、大丈夫だったか?」

 今朝まで続いた事情聴取と平塚先生のお説教のせいで、今まで一番大事なことを確認できずにいた。

「…まったくあなたは」

 呆れた目をして俺を見る。

「自分が怪我しているときくらい、自分の心配をして置きなさい」

 雪ノ下の目が潤んでいる。それを直視すると赤面してしまいそうなのですぐに目を外す。

「るせぇ。大丈夫だったかって聞いてるんだよ。つーかおまえだって今日ぐらい休んでも…」

「あなたが登校しているのに、私が休める訳ないじゃない」

 憎まれ口を始めようとした俺の耳に目を潤ませた雪ノ下の言葉が飛び込んできて、俺は二の句を失った。

「…私は大丈夫よ。ありがとう、貴方のおかげだわ。それと、ごめんなさい。姉さんがあなたに依頼なんてしなければこんなことには…」

 温かい微笑。それは次第に曇っていく。

 陽乃さんに依頼されなければ、雪ノ下を助けに行くことすら出来なかった。俺は陽乃さんの先読みの恐ろしさを実感しながら、その実機会を与えてくれたことに感謝していた。

 その前にまず警察頼れ、って話だけど。

「え、えーと、その…怖かった、ろ?」

 恥ずかしかったせいか、避けるべき一言を放ってしまった。そんなの聞くまでも無く、怖かったに決まっている。

「怖かったのは途中までよ。貴方が来てくれてからは…全く怖くなかったわ」

 何かこう、甘ったるい、MAXコーヒーのような空気が漂い始めたと感じるのは俺だけだろうか。

「そっか。ならいい」

 その空気を払拭するように、いつものように努めてぶっきらぼうに答える。

「そうよ。濁った目をしたヒーローさん」

 そう呟いて、雪ノ下は頬杖を突き俺を見る。くすっと笑うその顔が堪らない。また空気が一段と甘くなった。

 気恥ずかしくなって目を逸らすと、雪ノ下は俯いて語り出す。

「…あなたには、たくさん迷惑をかけてしまったわ」

 鼻にかかった声色で話す雪ノ下の頭を撫でられないのが少し悔しい。きっと今なら高確率で雪ノ下をデレさせられるのに。今は手の怪我が恨めしかった。

「もういいって。無事だったんだ」

 ふっと顔を上げて、真っ直ぐな目で俺を見る。

「あなたは無事で済まなかったじゃない。あなたはそんな怪我を…」

 雪ノ下は立ち上がり、つい先程まで由比ヶ浜が座っていた席へ、俺のすぐ横へ来た。そして俺の両手に自身の両手を重ねる。あくまで優しく、怪我に障らないように。

「…痛む?」

「…どうってことねぇ」

 安っぽい強がりを吐く俺に雪ノ下の息が。

「嘘。痛いくせに」

 しばらく俺の手を撫でていた雪ノ下が、雫を落とす。

「…弱い手」

「だからうるせえっ…て!?」

 俺の目の前に、涙を流しながら俺を見つめる雪ノ下の顔があった。

「この手で、この傷ついた手で…私を守ってくれたのね」

 いつもの部室。いつもの空間。その筈なのに。

「殴って骨折なんて格好悪いけどな」

「それは謙遜よ。あなた、格好良かったもの」

 いつもより優しい視線。いつもよりも丸みと熱量を帯びた言葉。それだけで、たったそれだけで別世界に来てしまった気持ちになる。

「貴方の、貴方が来てくれたおかげで、私は全く怖く無くなったわ」

 互いの吐息がすれ違う距離。

「おい、顔が近いって…」

 俺の抵抗は、目の前の少女の、涙を従えた笑顔には無力だった。

「ありがとう。そして…」

 雪ノ下の唇が俺の顔のすぐ手前まで接近して震えている。吐息が熱く感じる。

 ほんの、あと5ミリメートル。

 

 




今回もお読みいただきありがとうございます
第21話、どうでしたか?
そういえばこの話にはラブコメ要素が無いな~と思い今回の話を書きました。

ではまた次回。


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