そこに駆けつけたのは。
では、どうぞ。
16 比企谷八幡の時間は終わらない
6月24日 火曜日 20時40分
痛え。
男のナイフが掠った左手が焼けてるみたいに熱い。だが俺、比企谷八幡のターンはまだ続く。
男を混乱に誘いそれを利用し隙を作って、雪ノ下を救出することには成功した。代償として少々手傷を負ったが、端から無傷で終わるとは考えていなかった。
俺にとっての持ち駒は、俺自身しか持ち合わせてはいないのだから、それを最大限まで有効利用するだけだ。
ここまでは、いわば織込み済みの状況。むしろあの刃渡りで切りつけられて、よく掠り傷程度で済んだものだと、相手のナイフの切れ味の悪さと自分の悪運を確認した。
ここからは時間稼ぎに徹する。証人になってもらう大事なギャラリーである二人、そして警察が到着するまで粘るだけだ。だがその間にやることがある。
「おまえ、狂ってやがるのか!?」
その声色から判断すると大分頭にきているようだが、薄暗い中でほんのり見える目の泳ぎ方から察するにまだ混乱は続いていると見える。
「は? 狂ってるのはお互い様だろ」
実際のところ俺は狂っていた。恐怖、痛覚、あらゆる感覚が麻痺してきていた。
目の前の男への怒りで。
「あんたはバカな復讐を考え、俺はそのバカなあんたを倒してヒーローになろうってんだ。知能レベルとしては同等だろ。ゴミ虫同士だ」
嘲笑まじりで言い放ち、男を挑発する。
「気をつけて比企谷くん!」
無事に倉庫の通用口に辿り着いた雪ノ下が叫ぶ。その横に…誰かいるのか。
「…おまえはちっと黙ってろよ、お嬢様」
「まんまと逃げられた人質に上から目線か。哀れだな、おい。ところであんた。よく俺のことを覚えていたな。実際すげぇよ。感謝すら覚えるね。なんせ同じクラスの大半が俺の存在を知らないんだぜ」
再び話題を変えて更に感情を撹拌する。そして、あんたの心の中のどろどろと凝り固まった黒いものを全て抉り出してやる。今日で全て終わらせてやる。
「…忘れねえさ。あの時…」
ぽつりと呟くように漏れ始めたその声は、次第に怒りの空気を纏い始める。
「あの時、おまえが飛び出して来なけりゃあ、おれはこんなに惨めになることもなかったのによ」
男が話しているのは恐らくは本音だろう。それを見る限り、多少の誤差は出たがどうやら俺の作戦はここまで順調らしい。
「それは違うな。惨めな現状の責任はあんた自身にある」
年下のガキからの断罪に、男の目は一瞬にして血走る。俺は更に重ねる。
「あんたが選択を重ねた結果さ。今のあんたの姿は、なるべくしてなった姿だ」
年下に説教されるとか、かなりムカつくことだろう。
「…うるせえ、うるせえっ!」
男は長尺のナイフを再び俺に向けて振ってきた。体を庇った手が熱くなる。
『やべ、また切られたっ! めっちゃくちゃ痛えぇ!』
痛みで叫びそうになるのを堪えて、奴に向けてへらへらと笑ってみせる。奴の歯軋りが此処まで聞こえてきそうだ。
「…ヒッキー!」
倉庫の通用口の方向から、聞きなれた台詞が聞こえた。目を遣ると雪ノ下は由比ヶ浜に抱かれるように支えられている。傍らには他の人影も見える。平塚先生か誰かだろう。
「あいつ…来ちまったのか」
由比ヶ浜や雪ノ下たちに怪我を悟られないように、血が流れ出している左掌をズボンのポケットに仕舞い込む。
「…さて、ギャラリーも集まったようだし」
言い終わらないうちに倉庫の大きな扉が左右に開かれ、車のライトが外から照らし出す。
その光の中に数名の人影が浮かぶ。本物の戦隊ヒーローのように。
「…ちっ、少し集まりすぎたな」
俺の予定では、ここに来るのは雪ノ下の姉の陽乃さんと平塚先生の二人だけだった筈だが。
「まあいい、そこのおまえらも見ておけ。俺がヒーローになる瞬間を、な」
駆けつけてくれたみんなに向けて、手を出すなという牽制も込めつつ敢えて中二っぽく、痛い奴の台詞を吐いてみせる。
「さて、あんたをやっつける前に…今回の事件の謎解きでもしておこうか」
ここからが本当のお仕事だ。チェンジ、探偵さんモード! なんちって。
…さすがに今のは寒かったな。あとで小町に慰めてもらおう。
そんなくだらないことを巡らせていると、ナイフを持った男が焦れた様にじゃりじゃりと靴を鳴らす。
「…もうおまえの話は飽きちまった。もう殺してやる」
お、だいぶ苛々してるな。その調子だよ犯人さん。
もっと怒れよ、俺に対して。
「気が短いな。そんなんじゃあんたの怨みは雪ノ下陽乃には届かないぜ」
最終目的を見抜かれて、硬直しアホ面丸出しの犯人。
「そうね。あんたの刃は、わたしには届かない。だって比企谷君がいるもん、ね」
「ね、姉さん!?」
ヘッドライトの逆光の中心で陽乃さんが笑っている。その横には葉山隼人の顔も見えた。
それだけじゃない。
よく見ると、戸部、戸塚、川…沙希、三浦、海老名、城廻先輩に、材木座。
それに…小町!?
つーか、これだけ人数いるのにボディーガードは連れて来なかったのかよ陽乃さん。
「ひゃっはろー、比企谷くん、雪乃ちゃん。安心して、都築さんは無事だから」
陽乃さんの言葉にあらためて振り返る。
よかった、いつも雪ノ下を送迎してくれていた運転手さんは無事だったんだ。
さて、ここからが本番。
平塚先生にアザレアの亡霊の正体を探るように依頼したのは雪乃の姉である雪ノ下陽乃であった。教え子に危険ことはさせられないと即座に断られるが、諦めが悪い陽乃は、その依頼を俺に個人的な頼みとして依頼してきた。
依頼内容は二つ。
一つは、当初の目的通り『アザレアの亡霊』の正体の調査。
そしてもう一つは、これは事件を調査している途中からだが…本人には内密で雪ノ下雪乃の身の安全を図ること、であった。勿論雪ノ下家のほうでも雪乃、陽乃の姉妹には警護をつけていたから、俺の役割はあくまで補助的なものだった。
そして、陽乃さんとの情報交換で浮かび上がったのが目の前の男。
こいつが、「アザレアの亡霊」だ。
今回もお読みいただきありがとうございます。
第16話、いかがでしたか?
今回のようなシーンを書いてみて、自分の文才の無さに呆れてしまいました。
頭の中に描いた状況がうまく文章で描写できない。
でも書きます。書かせてください。
ではまた次回。