雨に濡れ落ちた花   作:エコー

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今回は雪ノ下雪乃の視点から書いてます。

拉致された雪ノ下雪乃。
雪ノ下を救いに来た比企谷八幡。
事態はどう動くのか。

ではどうぞ。



15 彼女は再び闇の中に

 

15 彼女は再び闇の中に

 

6月24日 火曜日 19時59分

 

 真っ暗な倉庫の中に突然小さな明かりが灯る。空気中に埃が浮かんでいるのが見える。

 私、雪ノ下雪乃は何者か…いえ、ある男に拉致されて現在どこかの倉庫の中で手足を縛られていた。

 私を乗せた車は間違いなく家のものだった。つまりどこかのタイミングで奪ったのだ。

 だとすれば、いつも運転してくれていた都築さんは…

「都築さんは…無事なの?」

「は? こんな時まで他人の心配かよ。お嬢様には反吐が出るね」

「…あなたは…なぜこんなことを…」

 男は気持ちの悪い笑いをその醜い顔に浮かべながら私の言葉を遮る。

「そんな目で見ないでくださいよ…雪乃お嬢様」

 両手両足を縛られた私は、可能な限り平常心をかき集める。

「お嬢様なんて呼ばれる筋合いはないわ。あなたはもう当家とは関係の無い…」

 話を聞かずに男は私に歩み寄ってくる。男の蹴りが私の左二の腕にめり込んだ。あの時の痛みが鮮烈に甦る。

「はあぁ?」

 目の前で言葉を吐いた男の手が、先程蹴られた私の左腕を掴む。と同時に思いっ切り握られた。

「ぐうっ!」

 まるで骨まで砕かれそうな痛み。そこは以前襲われた時に殴られた箇所でもあった。

「あんたらにゃ無関係でも、こっちには関係あるんだよ」

 痛みを思い出した上腕に、靴の踵がぐりぐりと捻るように押し付けられる。

  『この男…狂ってる』

 私は思考を走らせた。

 とにかく此処から逃げなければ。それにはまず相手の動機を知り、逃げられるだけの隙を相手に作らせること。

「一体何の関係があるというのっ!」

 じっと男の目を見る。完全に我を忘れている目。性根が腐っている目。だからこそ隙は作れる。

「ははぁ、あんた何も知らないんだな」

 男は、腰の後ろにナイフを差している。

「な、何のことを言っているの?」

 男との会話にあわせたまま、私は相手を観察し、分析する。

 突如、男の腰からナイフ…いやそれよりも長いものが抜かれた。長さは暗くてよくわからないけれど、脇差くらいあるのかもしれない。

「じゃあ教えてあげますよ~雪乃お嬢様」

 黒く冷たい刃が私の頬に当てられた。

 

 ドンッ

 

 重く小さな音が倉庫内に僅かに響く。

 音の方向に目をやると、そこには中途半端に開いた通用扉と、誰かの影。まだ姿は見えない。この男の仲間、共犯者なのだろうか。

 男は自身の狂気染みた笑い声で、その音に、通用扉が開いたことに気づいていない。私は、敵かも知れないその影に、一縷の望みに縋った。

「助けて!」

 男は一瞬たじろいだが、すぐに卑屈な笑みを浮かべる。

「ああ~ん? 誰も助けなんか来ねえよ。正義のヒーローなんて居やしないのさ」

 

「…あぁ? どこにヒーローがいないって?」

 影は、聞き覚えのある、いかにも挑発するような声色で、私にナイフを向ける男に言を放つ。

 

「誰だよ、おまえ…」

 男は、鈍い光を宿す目を影の方へ向ける。

「あんた、俺の顔忘れたのかよ。二回も車で轢いておいて。そりゃ冷たいんじゃないの?」

 目の前の男とは違う種類の卑屈な声。けれども不思議と安心できる声色。

「…比企谷くんっ!」 

 暗闇のシルエットが近づいてきて、ランプの明かりに彼の顔が浮かび上がった時、一瞬、ほんの一瞬だけ彼が本物のヒーローに見えた。

「…なんだ、先週轢いてやったガキか。せっかくケガで済ませてやったのに。何の用だ」

 先週? 轢いた? 誰を?

「あなた。まさか比企谷くんも…」

 彼が右足を怪我をしていたのはそのせいなのだろう。申し訳なさとともに際限無く怒りがこみ上げてくる。この男は比企谷くんにまで――

 短時間の思考で文章を組み立て、ありったけの怒りを正論に乗せて男を罵倒しようとした瞬間。

 彼は私に掌を差し向け、それを制止する。

「な、何故…」

 比企谷くんが目配せをしてくる。相変わらず目は濁っているけれど纏う雰囲気はいつもとは全く違う。明らかに怒っている。

「まず確認だ。いつもの運転手…都築さんだっけ。あの人はどうした」

 初めて見る、彼の怒りの表情。

「お前も…雪乃お嬢様と同じで心優しいなぁ。ヒーロー気取りかよ」

 男の言葉に彼は一瞬だけ笑みを浮かべて、またしても彼は卑屈な顔を男に向ける。

「いや、あんたに同感だ。俺はヒーローじゃないし、どこにもヒーローなんていない」

 何を、言っているの? 私には彼が放つ言葉の意味が理解出来なかった。

「…は?」

 男も少々呆気に取られて比企谷くんを見ている。彼は話しながらこちらに近づいてくる。まるで公園を散歩するような気軽な足取りで。

「おい止まれ。人質が見えな…」

 彼は歩を止めない。足取りも変わらない。

「俺もさ、子供の頃はヒーローがいるって信じてたんだ」

 信じられないことに、この状況で彼は犯人である男を相手に語り始めた。

「お、おま…何を言って…」

 この理解不可能な状況下、明らかに男は動揺、混乱している。

 更に彼は歩を進めながら男に話しかける。

「まあ聞けよ。ぼっちの俺がこんだけ他人と喋ってんだ。貴重だろ?」

 こんなに怖い目に遭っているのに、思わず彼の言葉で少し笑ってしまった。

「…ぷっ」

 男が私を睨む。彼…比企谷くんは私に微かな笑みを向ける。私は彼の邪魔をしてしまったことを目で謝罪した。

「…てか、おまえどうやってここに…」

 男が彼、比企谷くんの方を向き直ったとき、彼はすでに男の目の前まで来ていた。

 空気が 固まった。

「いいから聞けよ。せっかくあんたの意見に賛同してやってるんだぜ。俺は」

 彼の表情がニヤニヤと、一層いやらしい笑顔に変わった途端。再び空気が弛緩した。

 この倉庫内の空間は、彼が掌握していた。彼らしい、いつものやり方。

 でも、何かが違う気がしたのも事実。

「比企谷…くん?」

 またしても彼の作ろうとした流れを止めてしまう。

 男はというと、訝しげに、けれどしっかりと比企谷くんの話に耳を傾けている。

「俺が小学生の頃、いじめられていても無視されていても周りは誰も助けてくれなかった。ヒーローなんていつまで経っても現れなかった」

 比企谷くん、此処にきてまで自虐なのね。あくまでも自分の方法を貫くつもり。

 今気がついたわ。

 これが『彼のターン』なのね。ものすごく恥ずかしい表現だけれど。私も随分と彼に感化されたのかしら。

「その時気づいたんだ。ヒーローなんかいない、ってな」

 彼は少し寂しそうに、しかし目線だけは決して男から離さずにいた。

「でもさ、世の中にヒーローがいないってのは、それはそれで夢が無い話だと思わねえか」

 彼が突然、男に同調を求めた。男の思考がますます混乱するのが視線の泳ぎ方から感じ取れる。

「お前! さっきから何を…」 

 比企谷くんは男の怒号を遮り、ごく自然に縛られている私の元へしゃがみ込んで、手のロープを解きにかかる。

「だからさっき決めた。俺がヒーローになる」

 彼の言葉で散々思考を掻き乱された男には、彼の行動への反応が出来ないようだった。

 その隙に私は自身を拘束する足のロープを解く。そして私の肩に手を置き耳元で「あいつが動いたらドアに走れ」と呟いた。

 しかしその時、私は気づいた。気づいてしまった。

 

 彼は…震えていた。

 怖いのだ、彼も。

 

 でも彼は決してそんなことを感じさせない。慇懃無礼で卑屈な態度を彼は崩さない。

「まずは、この美少女さんのヒーローにでもなろうか」

「ざけんなっ!」

 男は、彼に向けてナイフを持つ腕を払った。

「走れ!」

 私は彼の声に弾かれて一目散に駆けた。

 

    ☆     ☆     ☆    

 

 




今回もお読みいただきありがとうございます。
第15話、いかがでしたか。

つくづく表現力が乏しい。それに気づいてしまいました。
しかし、楽しいので書き続けます。

ではまた次回。

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