再び襲われる雪ノ下雪乃。
再び救えなかった比企谷八幡。
再び気づかない由比ヶ浜結衣。
では、どうぞ。
12 平生は音を立てて走り去る
6月24日 火曜日
雪ノ下雪乃が送迎付きで学校に復帰してから十日が経とうとしていた。
あの事件からはちょうど二週間。あれから雪ノ下に身の危険が及ぶような出来事は無く、表面上は平穏な日々を取り戻していた。
放課後の奉仕部部室。
本を閉じる音が響く。
「…さて、今日はこのくらいで終わりにしましょう」
「あ、ヒッキーゆきのん。今日あたし優美子たちとカラオケ寄ってくから、また明日ねー」
「おう」
「ええ。由比ヶ浜さん、また明日」
雪ノ下の登下校が送迎付きになったことで、由比ヶ浜と一緒に登下校する必要は無くなった。今までの由比ヶ浜の負担も大きかっただろうし、家の車の送迎なら安心だ。
それに、送迎の運転手さんの顔は把握してるし。
「ゆきのんも、まったねー」
「ええ、由比ヶ浜さん。また明日」
職員室に部室の鍵を返しに行く雪ノ下の後ろを歩く。
「おかしいわね、誰かに後をつけられている気がするのだけど」
「おい、ついにストーカー呼ばわりかよ」
「そんなことは言っていないわ、ストー谷くん」
「なんだよストーガヤって。いつもより切れが悪いぞ」
最近判ったことだが、雪ノ下の暴言の質は、本人のコンディションに左右される。今日はあまり調子が良くない様だ。
「じゃあ、もっと切れ味の鋭い言葉でいたぶってあげましょうか? マゾ谷くん」
「いやもう充分。お腹一杯だ。これ以上言われたら胸焼けしちまいそうだ」
くだらない会話だが、それが平穏である何よりの証だ。
校門の中には、すでに雪ノ下のお迎えの車が待機していた。普段忘れてるけど、やっぱこいつお嬢様なんだよな。
しかし今日はやけに丁寧だな。いつもは校門の外で待ってるのに。
「そういえば足は治ったのかしら?」
「あ、ああ。もう大丈夫…だ」
不意に話しかけられてキョドっちまった。決して振り向いた雪ノ下が可愛かったからではない。
「そう、ならいいわ。じゃあ比企谷くん。また明日」
「おう、また明日な。」
別れの挨拶を交わしつつ、車が待つ場所まで雪ノ下を送る。最近の日課だ。
運転手が後部座席のドアを閉める。その動作に違和感を感じる。
後ろの窓が開き、雪ノ下は笑みを浮かべて何かを俺に話そうとする。
その瞬間、運転手の横顔が見え、俺の記憶のページを捲らせる。
『あれ…あの運転手…!?』
奴だ!
「おい、雪ノ下! 降りろ!」
そう叫ぶのと同時に雪ノ下を乗せた車は急発進した。俺は閉まりかかった後部ドアの窓の隙間に慌てて手を挟み入れ、自分のスマホを車内に滑り込ませた。
俺は必死に車にしがみつくが、十数メートル引きずられて校門を出た所で剥がされた。
雪ノ下が再び襲われた瞬間だった。
俺はチャリを疾走させて家に帰り小町のスマホを奪う。
「ち、ちょっとおにいちゃんっ!」
「悪い小町、雪ノ下が攫われた」
すぐに陽乃さんに連絡。その後由比ヶ浜に電話をかける。
「くっ、つながらねぇ!」
「小町!スマホ借りとくぞ!」
俺は小町のスマホを片手に、自転車に飛び乗った。
☆ ☆ ☆
千葉市内。
国道14号線を暴走する一台の黒いリムジンがあった。その広い後部座席には私、雪ノ下雪乃がいた。
「あなた、何をするつもりなの。すぐに車を止めなさい」
私の制止にも耳を貸さず、男は鼻歌交じりで意気揚々とリムジンを走らせる。
「もう一度言うわ。今すぐ車を止めなさいっ…きゃあぁ!」
急ハンドルで前の車を追い越しまくる。
「あーうるせえガキだ。せっかく人が気分良く…」
「下ろして、お願い!」
男が耳を塞ぐような仕草をしてせせら笑う。
「…あーもうダメ、限界」
リムジンが急停止した。
雪ノ下はドアを開けようとする。が、開かない。
「チャイルドロックって知ってるかなぁ、雪乃ちゃん」
「…あなた!」
私が男の正体に気がついた瞬間、催涙スプレーを噴き付けられた。
「ごほっ…げほっ…」
涙で視界が妨げられ、咳でむせて助けを求めて叫ぶことも出来ない。
「…よし、そろそろいいだろ。ほんじゃ、出発~」
車内の換気を終えた男は、再び運転席に収まり、暴走を再開した。
『…誰か、助けて…比企谷くん、比企谷くん…助けて!』
☆ ☆ ☆
お読みいただきありがとうございます。
第12話、いかがだったでしょうか。
事件はいつも彼の目の前で、彼女の知らない所で起きています。
救えなかった苦しみと、知ることさえ出来なかった苦しみ。
どちらの苦しみがより強い後悔を残すのでしょうか。
ではまた次回