雨に濡れ落ちた花   作:エコー

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シリアスになりすぎて前書きが書けません。

なのでこのままで。

どうぞ。


10 彼は静かに決意する

10 彼は静かに決意する

 

 病室の中には、もう泣き声も叫び声も聞こえない。かわりに耳をくすぐるのは、多少荒さを残した雪ノ下の呼吸音と衣擦れの音だけであった。

 泣き疲れたのか叫び疲れたのか、それとも多少は安堵できたのか。

 俺の胸元に顔を擦り付け始めてから小一時間ほど経つが、強張っていた雪ノ下の身体からは力は抜けて、その身体ごとを俺に預けている。

 今や名残は、雪ノ下の背中から俺の掌へと伝わる熱と汗の湿り気だけだった。

 それでも俺はこの頼りない腕の中に雪ノ下を包みながら謝り続けることしか出来ない。

 もっとちゃんとガードするべきだった。そうしなかったから、守ってやれなかった。と。

「ごめんな、ごめんな…」

 雪ノ下の呼吸はもうだいぶ浅くなっていて、すると今度はしきりに首を振り出した。

「…いいえ、比企谷くんは悪くないわ。私を助けてくれたのだし」

 俺は抱き締める手を緩めて、長い髪に手櫛を通して流れに沿って梳かす。

「…あの時」

 心に傷を負った出来事。気丈な雪ノ下を此処まで弱らせ号泣せしめた出来事。

「そのことは云うな。な?」

 今回の事件は雪ノ下の中で深い傷になっていることは容易に推し量れる。それを口にさせたくなかった。口にすれば記憶が蘇る。

 それでも雪ノ下は、言葉を絞るように吐き出した。

「頭が…ぐるぐる回って、気が遠くなっていく時に…比企谷くんの声が聞こえたわ」

 頭の傷に触らないように、黒髪を撫でる。雪ノ下の溶けていくのが感触として実感出来る。

「…嬉しかった。来てくれて嬉しかったの。でも」

 そこまで搾り出して、再び雪ノ下の肩が小刻みに震え出す。

「意識が混濁してきて、このまま死んでしまうのかと思った」

「…」

 殴られた時、こいつはこいつなりに覚悟を決めようとしたのだろう。それが例え理不尽な、理由の解らない暴力によるものだとしても。

「死んだら、もう比企谷くんに会えなくなるのが…すごく怖かった」

 俺の服を握る弱々しい手から流れ込む悲壮な感情。

「ばかやろ」

 死を覚悟したときに俺を意識するなんて、とんでもないことだぞ。そんなことを口にするなんてそれはもう、アレと同義なんだぞ。

「馬鹿って…云ったわね」

 俺の服の背中を掴む手が緩んで雪ノ下がこちらを上目で睨む。が、俺の顔を見た瞬間、また顔を伏せてしまった。

「ずるいわ」

 今胸の中にいるのは、雪ノ下らしさとは程遠い雪ノ下雪乃。他者に厳しく、自分をも同様に律するのが「雪ノ下らしさ」なら、今俺の腕に抱かれている少女は誰なのだろう。

 この俺に、守り通せなかった俺に、まるで全幅の信頼を寄せているかのように身を預け、心の内を晒そうとする。

 これがあの雪ノ下雪乃なら、だとしたら俺は。

「あなた、そんな顔もするのね」

 俺はこの少女を。

「すごく、優しい…顔」

 雪ノ下は俺の胸に頬を擦るように深く埋めようとする。その可愛らしい仕草を見て俺は思考を止める。俺のことはどうでもいい。今はこいつを。

 儚くて、か細くて、ガラスの糸の様に脆い少女を。

 守る。

「くふぅ」

 なんだ今の。

 こいつ、こんな甘える子供みたいな仕草もするのな。

 意識して照れくさくなって、雪ノ下の背中を支えてベッドに寝かせる。このままこいつの体温を感じていたら離れられなくなりそうで。

 雪ノ下の頭を枕に乗せて、俺はベッドの横の椅子に移った。

「少し寝ろよ。疲れただろう」

 布団を掛けなおして休息と睡眠を促すと、布団の端から白く細い手が伸びて来た。無言のまま俺は雪ノ下の手を両手で包む。

 少し経つと、雪ノ下の目がまどろんできた。

「馬鹿っていったこと…」

 今にも眠りに落ちそうな声。

「退院し…たら、覚えておく…のね……」

 それきり雪ノ下は何も話さなくなり、少しすると寝息が聞こえ始めた。

 

 病室のドアが静かに開き、由比ヶ浜が戻ってきた。

「ヒッキー…ゆきのん、は?」

 雪ノ下の手を握る俺を見て、何故かムスッとしたが『しー』と言うと察してくれた。

「今…寝たところだ。由比ヶ浜、代わってくれ」

 由比ヶ浜に俺の場所を譲り、今度は由比ヶ浜が眠っている雪ノ下の手を握っている。雪ノ下を由比ヶ浜に任せた俺は、独り離れて椅子に腰掛けていた。

 

 倒れている雪ノ下を発見した時、その側にあったのは女性物の傘と、なぜかMAXコーヒーの缶。

 そして、一連の事件を象徴する赤いアザレアの花。

「…なぜMAXコーヒーがあの場所にあったんだろう」

 その思考は、雪ノ下の寝返りの音で消し飛んでしまう。

「ひきが、く…ゆいが…さ…」

 顔を見合わせる由比ヶ浜と俺。同時にぷっと噴いてしまう。

「…ヒッキー、聞いた?ゆきのんたら寝言であたし達の名前を呼んでるよ。子供みたい」

 由比ヶ浜がこちらに向ける満面の笑みには、再び涙が溢れていた。

「…ああ、おかしなヤツだな。まったく」

 そう応える俺も、涙を止められずにいた。

 

 面会時間をとうに過ぎた頃、俺たちは病室を後にした。由比ヶ浜は名残惜しそうにちらちらと後ろを振り返っていたが、頭をぽんぽんと撫でてやると、落ち着いた笑顔を向けてくれた。

 そして俺は、決意する。

 

 




お読みいただきありがとうございます。
第10話、いかがでしたか?
実はこの作品は、いろんな場面を練習として書くための物語なのですが、
書いていて辛くなります。
特に、由比ヶ浜結衣が可哀想で。

ではまた、次回

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