ベルの大冒険   作:通りすがりの中二病

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魔導書

――目を覚ましたのは、まだ朝陽すら昇っていない時だった。

ベルは重い意識と体を起こして、周囲を見渡す。

いつもよりもかなり早い時間に起床した様だが、寝不足感というのものはない。

どうやら睡眠はきちんと取れていた様だ。

 

(……そういえば、昨日はヘルメス様とお酒飲んだんだっけ……)

 

昨日知り合ったヘルメスと食事をして、酒をご馳走して貰った事を思い出す。

昨夜の酒場に入り始めた辺りからの記憶が虫食い状態だが、ヘルメスの肩を借りてこの宿まで帰ってきた事はおぼろげながら覚えている。

得物を外さずにベッドに寝転んでいる事から察するに、部屋に入った瞬間寝入ってしまったのだろう。

 

――何やら途轍もなく衝撃的な事を忘れてしまった様に思えるが、恐らく気のせいだろう。

 

そしてベルは身の回りの確認を行う。

 

(……部屋の鍵は…良かった、ちゃんと掛かってるし鍵と財布も手元にある……)

 

酔いつぶれて施錠を怠り、その結果身包み剥がされていたら泣くにも泣けなかっただろう。

愛用の得物はあり、軍資金もある、特に無くなっている物は無い。

その事に、ベルは安堵の息を吐く。

 

(……反省しよう、次からはちゃんと抑えて飲もう……)

 

その事を肝に銘じておく。もう一度寝直そうかとも思ったが、存外に目は冴えている。

窓の外を見れば朝陽こそは出ていないが、やや夜空も白くなりつつある。

軽く運動でもしていれば、直ぐに朝食時にでもなるだろう。

ベルは洗面台で軽く顔を洗い、得物を持って部屋から退出する。

 

「うーん、やっぱりまだ完治はしてないかなー?」

 

都市城壁の上、ベルは包帯を巻いた片手を見つめながら呟く。

今日中には治っていると思っていたのだが、どうやらそう上手くは行っていない様だ。

 

「もしかして、酔ってる時にこっちの手で無理しちゃったかな?」

 

ベルの昨夜の記憶は、酒を飲んだ辺りから曖昧…もっと言うと虫食い状態の様になっている。

酔った足で転倒した等の事が、もしかしたらあったのかもしれない。

となると、出来る事は自然と決まってくる。

 

「よっし、それなら昨日のおさらいだな」

 

ベルは準備運動・柔軟体操をして、体中の闘気を活性化させて練り上げる。

練った闘気を両足に集中させて、速度強化に回す。

 

(……昨日はいきなり全開状態でやって、大分失敗しちゃったからな……)

 

昨夜は試運転でありながら、ベルは全力に近い闘気を足に込めて訓練を行った。

その結果、速度は爆発的に上がったがそれの制御ができなかった。

自分の速度にベル自身が振り回され、転倒と衝突を繰り返し結果は散々だった。

 

(……力を抜くべき所は抜き、込めるべき所で込める…だったな……)

 

師の教えを反芻する。

やはり慣れない内は加減して行った方がいいだろう、反省は活かしてこそ意味があるものだ。

ベルの感覚で、まずは二割三割程度の闘気から慣らしてみる。

 

(……いきなり走るんじゃなくて、最初は早歩きくらいからにしておこう……)

 

先ずは歩行、次に走行、それができたら跳躍や方向転換、それが終われば剣技や体術との併用。

最終的には、『使う』という感覚が無くなる位に自然な動作の一部になるのが理想的だろう

今後のステップを頭に思い浮かべて、ベルは城壁の上で一人散歩を始めた。

 

 

 

 

 

 

 

迷宮都市オラリオにおいて、最も強いファミリアはどこか?

その質問において、常に名が上がる二つのファミリアがある。

『フレイヤ・ファミリア』と『ロキ・ファミリア』の二つである。

そしてその片割れであるロキ・ファミリアのホームである『黄昏の館』の中庭において、とある奇妙な光景が繰り返されていた。

 

「せりゃああああぁぁ!!!」

 

褐色の手刀が瓶を粉砕する。

 

「…セイッ!」

 

白い手刀が酒瓶を破壊する。

 

「てやぁ!!」

 

少女の手刀が硝子瓶を割る。

 

黄昏の館の中庭部において、三人の少女が素手で酒瓶を割るという中々に物騒な光景が繰り広げられていた。

割れた酒瓶の数は、周囲に散らばっている物を見るだけで軽く十本は超えている。

そしてこれを行った張本人こそが、ティオナ、アイズ、レフィーヤの三人である。

 

「ウガー! 何でスパっと切れないの!絶対私の方が速く腕を振ってるのに!!」

「…単純な速さだけじゃないのかも、キレと軽さ…かな?」

「でも、私は兎も角…お二人は明らかに昨日の人よりも、速さと切れがあると思いますよ?

…そう考えると、何かしらのスキルかマジックアイテムを使ったと思うんですけど?」

「でもさレフィーヤ。素面なら兎も角、昨日のあの男の子ってベロベロに酔ってたよ?

あんな状態じゃスキルもアイテムも碌に使えないだろうし、そういう素振りもなかったよ?」

「うーん、確かにそうですけど…アイズさんはどう思います?」

「…やっぱり、難しいと思う。仮に切れたとしても、素手でこんな風に破片一つ散らさずに切るのは無理だと思う」

 

アイズの言葉を聞いて、三人はアイズの手の中にあるソレに視線を向ける。

それは三人がこの奇妙な行動を取る切っ掛けになった物、昨夜酒場において白髪の少年が素手で切った酒瓶の片割れだった。

三人はあの騒ぎの後、こっそりとこの切れた酒瓶を回収しておいたのだ。

その切り口は真横から見れば完全に一直線であり、切り口周囲には硝子が欠けた様子もない。

 

仮に素手で切る事に成功したとしても、細かな破片が飛び散る事は回避できないだろう。

 

「…仮に何らかのスキルやアイテムで、手を鋼鉄の様に硬くしても鈍器になるだけ。

どんなに硬いハンマーやロッドであっても、それは刃物にはならない。だからこんな風に綺麗な切り口にはならない

仮に切れたとしても、さっきも言った様に絶対に破片は飛び散っちゃうと思う」

「実はナイフか何かで斬っていた…って事ですか?」

「でもそれだと、本気じゃなかったとはいえ私とアイズの目でも追いきれなかったって事だよね? それはそれで凄くない?」

「ぅ…確かに」

 

ティオナとアイズは両者共に『Lv.5』に属する第一級冒険者。

二人は常に最前線に立ち、下層・深層に出現する強大な魔物を幾度となく屠ってきた冒険者だ。

そんな二人の目ですら欺いたとすれば、それはそれで驚嘆すべき事だろう。

 

「でも実際、あの男の子は相当強いと思う。あのハンドスピードだけ見ても、Lv.2以下って事はないと思う」

「うーん…でも思い当たる情報が無いんだよねー。あの子多分、レフィーヤと同い年くらいでしょ?見た目も特徴がある子だったし、あの歳で上級冒険者になってれば、絶対に思い当たる名前が一つか二つありそうなんだけどなー」

「ヘルメス様のお連れって言ってましたよね?という事は、ヘルメス・ファミリアの団員という事でしょうか?」

「かなー?あそこってLv.2の団員は多いけど、Lv.3以上の団員って殆ど居なかったと思うよ?」

「それに、他のファミリアへの干渉は基本ご法度。もしもヘルメス・ファミリアの団員だったのなら、ヘルメス様はあの男の子を止めたと思う。ヘルメス様ならミア母さんのお店の事を良く知っているし、無理に止めなくても大丈夫って事は解っていたと思う」

 

犯罪紛いの行為やよほど悪質な行為、そんな事をしない限り他ファミリアへの干渉はしない…これがオラリオにある暗黙の了解である。

団員が起こしたトラブルはファミリアのトラブル、ファミリアのトラブルはそれ即ち主神のトラブル。

団員が勝手にした事、で済む事ではなく神同士がそのトラブルに対して対応する必要が出てくるからだ。

 

そして、それは『豊饒の女主人』の店主であるミアも熟知している。

ミアは元・上級冒険者。都市に存在する多くの冒険者及び第一級冒険者や主神と、面識と繋がりがある人物だ。

 

元・冒険者ゆえにその気性の荒さ、酒の席でのトラブルもミアは熟知している。

故にミアは店でのトラブルは火種の内に基本対処している。

ファミリアの強弱に関わらず、店でのトラブルの元になる冒険者達を『仲裁』する様は豪快そのものだ。

 

故に、店のファンは多くミアへの人望は厚い。

故に『豊饒の女主人』は、冒険者達の一種の『聖域』の様な扱いになっている。

例え酒の勢いで揉め事を起こしたとしても、それは大事になる前に仲裁が入るからだ。

 

「うーん。やっぱりどれだけ考えても、推測止まりですね」

「それは仕方ないと思う。仮に私達が正解に辿り着いても、相手がソレを教える訳はないし…そもそも、何所の誰かも分かっていない」

「でも気になるじゃん!ある意味、私の二つ名よりもそれっぽい事できてるんだよ!

ああん!もう!昨日名前だけでも聞いておけば良かったー!」

 

ちなみにこの後、中庭での出来事を聞いたとあるエルフがやってきて

『酒瓶を粗末に扱うな!』と、三人は盛大にお説教をされたのは別の話である。

 

 

 

 

 

 

 

『豊饒の女主人』の中庭にて、リューは木刀を振っていた。

冒険者時代から、リューは朝陽が昇るよりも早く起床し自己研鑽に励むのが日課になっていた。

それは冒険者を辞めて店で働く様になってからも変わる事無く、ダンジョンに行く事が無くなった分より一層鍛錬に力を入れる様になっていた。

『恩恵』の効果で基本アビリティが落ちる事はないが、やはり戦闘から離れていれば勘が鈍り、初手や初速に影響が出て実力は落ちる。

故にこうして最低限の実力は保てるように、リューは店の仕込が始まるまでの時間は鍛錬の時間に当てている。

 

「………」

 

リラックスする様に悠然と構えて、一呼吸入れると同時に木刀を振る。

ある時は速く鋭く、ある時強く激しく、ある時はしなやかに滑らかに、ある時は剣技の型にのっとり、木刀を振っていく。

体は十分に温まっているが、リューは更に心を静かに深く鎮めていく。

 

――そして、己の目の前に白髪の少年の姿を投影する。

 

自分の心から生まれたその少年も、自分と同じ様に得物を持って構える。

ショートソードとナイフの、小回り重視の近接型の構え。

 

少年が動く、その踏み込みに合わせて自分も動く。

少年の間合いに入らずに、自分の間合いに少年を入れる距離を保つ。

一度の接触の間に数合打ち合う。互いに速度重視の戦闘スタイル、ヒットアンドアウェイを繰り返し互いに機を伺う。

そしてリューが動く、少年が得物を振るタイミングに合わせて得物を振るい、その得物を大きく弾く。

 

その隙を見逃さない、大きく踏み込んで袈裟から打ち込み

――自分が後方に弾かれる姿を描いた。

 

「……やはり、身についた癖は中々消えるものではない、か」

 

反省する様にリューは呟き、イメージトレーニングを終える。

今までの自分は、その格好の隙を逃さずに数多の敵を討ち取ってきた。

自身の二つ名でもある『疾風』の速度、相手に僅かな隙さえ生まれればその相手に決定打を与える事ができた。

 

勝機を見逃さない、この方法が間違っている訳ではない。

ピンチはチャンスと言われる様に、チャンスは一転してピンチになる。

一昨日の様に一手が失すると、逆に自分が窮地に追い詰められる。

 

(……やはり、思ったよりも勘が鈍っている……)

 

現役時代の自分なら、あの時点で瞬時に二手・三手と行動に移れただろう。

それが出来なかったのは、やはりこの数年ダンジョンや実戦から遠ざかっている要因が大きい。

以前に、何度か店の同僚を誘って一緒に鍛錬を行った事があったのだが…残念ながら、二度目からは丁重に断られてしまった。

 

(……だが、今にして思えば…それは不幸中の幸いだった……)

 

もしもあの夜、自分があの少年を倒してしまったら…本当に取り返しのつかない過ちを犯してしまったかもしれない。

そうなっていれば、今頃自分は獄中にいる事だろう。

 

(……名前は確か、ベル・クラネル…さん、でしたか……)

 

昨夜、僅かな時間だけ同席した時の事を思い出す。

絵に描いた様に初心で、純朴な少年だった。

冒険者や賞金稼ぎの様な荒事をしているとはとても思えない、そんな少年だった。

あの夜の一件が無ければ、良い出会いがあったと思える程だ。

 

(……やはり、いつまでも黙っている訳にはいかない……)

 

誤解・勘違い、そんな言葉では到底許されない事を自分はしてしまったのだ。

ヘルメスの意見によって昨夜は有耶無耶になったが、やはりこのままでは良くない。

どちらにしろ、最低限のけじめをつけなくてはならないだろう。

 

そこまで考えてリューは仕込みの時間が迫っている事に気づき、手早く片付けをした後に店へと戻っていった。

 

 

 

 

 

「――フッ!ハァ!」

 

掛け声と共に両手の得物を振り脚を走らせる。

ベルが得物を振るうと、得物の刃が陽の光で煌いてベルの額から汗が飛沫となって飛ぶ。

既に昼時も大きく過ぎ、陽も高く昇っている。

ベルは朝の訓練後、朝食を済ませて宿のチェックアウトを済ませて宿を変えた。

今日まで泊まっていた宿よりも、市街地寄りの宿を見つけてチェックを済ませた。

その後は昼食を済ませて、また城壁の上にやってきた。

 

(……何となく、コツが分かってきた……)

 

体中に闘気を滾らせながら、ベルは思う。

 

(……結局、闘気は自分の力の一部。だったら普通に歩いたり走ったりするのと同じだ……)

 

踏み込む瞬間のその一瞬のみ、足の爪先に脚力と闘気を集中させる。

 

(……力を込めるのは、一瞬だけ。ほんの一瞬だけで良い、その一瞬に力を爆発させる!……)

 

基本は同じなのだ。

無闇矢鱈に力を込めても、無駄に体力を消費し体の負担も大きくなる。

ならば全力を込めるのは一瞬、より速く、より鋭く、力を集中させる。

 

(……今まで力の緩急の付け方が苦手だったけど、何でか知らないけど今日は妙にしっくりくる……)

 

ベルの中では既に朧気な記憶になっているが、昨日の酔っていた時の感覚は覚えている。

体力0の時とはまた違うもう一つの脱力状態、そこから瞬時に攻撃へと転じる流動的な闘気の活用。

 

ソレを、ベルの体がしっかりと覚えている。

 

そしてベルが大魔王に弟子入りし闘気の力を覚えて約六年、体の下地は出来上がっている。

だがそれはあくまで下地、一瞬だけとはいえ全力の闘気を完全制御しなくてはならない。

後はベルが実際にソレを正しく運用できるか、またソレを実戦レベルにまで引き上げられるかどうかだ。

 

(……完全に制御できる様になっても、一回二回で息切れになるんじゃ話にならない……)

 

闘気の流動を肩から腕へ、腕から肘へ、肘から手へ、手から得物へ

イメージとしては遠心力、力の流れと闘気の流れを完全に連動させる。

 

(……十回でも全然足りない、百回でも足りないかもしれない……)

 

力の連動と共に足が一瞬軋む、肘と肩が一瞬硬直する。

無茶な力を掛けて闘気と筋力のバランスが崩れれば、あっという間に自滅する。

 

(……今までと同じだ、少なくとも完全に動きの一部にしないと…実戦では使い物にならない……)

 

師匠と合流まで数日程度、それまでにどこまで体に馴染ませる事が出来るのか…そこに掛かってくる。

故にベルは一心不乱に得物を振るい、脚を奔らせる。

 

どれだけ時間が過ぎただろう?既に陽は西に傾き始め、空は朱色に染まりつつある。

だがベルは変わらず闘気を練り上げ、得物を振るい続けている。

荒い呼吸を整えつつ、流れる汗もそのままに、幾度も幾度も繰り返す。

 

明鏡止水の領域…とまでは行かないが、疲労こそは溜まっているが意識は澄み渡っていた。

その精神に雑念はなく、その意識に雑音はない

体力が無い現状において無駄な力みはなく、淀みなく滑らかに四肢が動いている。

リラックスする様に脱力した状態から、力み無く得物を振るう。

より集中し、より速く、より鋭く、得物を振るい続ける。

針の穴を通す様に集中し、風よりも速く、空を切り裂くように鋭く、剣を振るう。

 

 

――故に、その油断は致命的だった。

 

 

「…あ」

 

間の抜けた声が漏れる。

踏み込んだ足首から『グニ』と、嫌な感触が昇ってくる。

恐らく踏み込んだ床に窪みでもあったのだろう、そこに思いっきり踏み込めば足首に負担が集中する。

 

その瞬間、足への闘気の制御が綻んだ。

 

「ヤバっ!」

 

足首が曲がって体が横に流れる。体勢が崩れる。

普通なら精々転ぶ程度で済むだろうが、闘気で力と速度が増していた今はそのズレは致命的だった。

言ってしまえば、今のベルは暴れ馬から放り出された騎手の様なものだ。

 

頭から大きく体が傾き、横に弾かれた様に大きく体が投げ出される。

瞬時にベルは踏ん張りを利かせようとするが、その瞬間に足首から痛みが走りそのまま豪快に床上を転がる。

下手に力むよりも、勢いに任せて転がった方が良いとベルは判断したからだ。

体や手足に幾度か衝撃が走り、気づいた時にはベルは仰向けになって朱色の空を見上げていた。

 

「……うーん、失敗」

 

寝転がったまま呟く。

派手に転がったお陰で転倒のダメージこそは少ないが、ここに来て一気に疲労がベルの体から噴出してきた。

それに転倒の切っ掛けになった足の違和感、やはり無理に力が掛かったためか引き攣るような痛みが足首にある。

不幸中の幸い…という訳ではないが、両手に得物を持って転倒したのだがソレで付いた傷はなかった事だ。

 

(……陽が落ちきるまで、こうして休もうかな……)

 

体の疲労と火照りが徐々に抜けていくのを感じながら、ベルは呼吸を整えながらそんな風に考えて

 

 

「――随分と派手に転んだな、少年」

 

 

ベルの頭上から、そんな声が降って来た。

 

 

 

 

 

 

リヴェリア・リヨス・アールヴがその光景を見たのは、ただの偶然だった。

ファミリアの用事を済ませてホームに戻ろうとした時に、気まぐれでいつもとは違う道を通ってみようと思ったのだ。

彼女は所属するファミリアの副団長をしており、山積みの書類を相手にするデスクワークから部下や新人育成の為に実戦指導、大所帯故に生まれる人間関係に対するケアなど、多忙な毎日を送っていた。

 

そして彼女の人望、そんな彼女に対するファミリアの団員や主神の信頼は非常に大きかった。

 

王族としての生まれと教養もあって、彼女は団員一人一人と真摯に向き合い、厳しくも優しく団員達に接してきた。

真面目すぎる、堅物すぎる、そんな風に言われる事もあったが、そんな人柄も彼女の魅力と彼女を知る多くの人々は思うだろう。

彼女は団員から慕われ親しまれ敬われていた、故に彼女の周りにはいつも友や仲間、部下がいた。

それ故に、彼女には他者と比べて『一人でいる時間』というのが非常に少なかった。

 

別に彼女がその者達を疎ましく思っている訳ではない、自分を慕う者達を彼女は心から大切に思っている。

自分のファミリアも、団員も、主神も、ソレ等全てが彼女にとっての宝であり誇りであった。

しかしどんな聖人君子の様な者であっても、やはり一人の時間は欲しいものなのだ。

 

「まあ、この位の我侭なら許されるだろう」

 

誰に聞かせる訳でもなく呟く。

副団長としての責任、アクの強い団員同士の軋轢や衝突を防ぐための気遣いやフォロー。

『ママ』と悪戯っぽくからかってくる主神に、『ババア』と口汚く言う部下。

全く気にしていない…と言えば嘘になるだろう。

 

やはり、目に見えない所で溜まっている疲れもあるのだろう。

ただでさえ、遠征を前に皆が気を張っている時期だ。適度に息抜きやリラックスをするのも大切だ。

皆と集まり下らない会話をするのもいいが、やはり偶には一人物思いに浸りたくなるのが人情というものだ。

 

普段はあまり通らない、オラリオを一望できる道。

城壁からオラリオの街を見下ろして、空を見上げる。

思えばこの様な事をしたのも、随分と久しぶりな気がする。

 

「…ん?」

 

その時だった、彼女の視界の中に小さな影が映り込んだ。

緩やかなアーチを描く城壁沿いの50M程前方で、その白い影が豪快に転倒しそのまま路上に倒れこんだ。

 

「…アレは…大丈夫か?」

 

思わず呟く。

倒れこんだ影、体つきを見る限り少年だろう。

その白髪の少年は倒れたまま起き上がる素振りを見せない。

 

自分の見る限り頭を打ってはいなかったが、遠目で見てもかなりの勢いで転倒していた。

もしかしたら、起きるに起きれないのかもしれない。

そんな風に考えて、彼女はその少年にやや早足に歩み寄る。

 

癖毛が目立つ白髪、深紅の瞳、幼さが残る童顔。歳は十代半ばと言った所だろう。

服装は薄いブラウンのレザージャケットにダークブラウンのインナー、両手には白銀のナイフとショートソードが握られている。

少年の年頃と装備品を見る限り、恐らくは駆け出しの冒険者…と言った所だろう。

 

そして、彼女は少年の顔を見下ろせる位置までくる。

目立った外傷や出血等もなく、深紅の瞳はきちんと焦点が合っている。

その事を確認して、彼女は少し安堵して表情を緩めながら少年に声を掛けた。

 

「――随分と派手に転んだな、少年」

 

 

 

 

 

派手にこけたと思ったら、目の前に超がつく程の美女がいた。

自分でも何を言っているか分からないが、事実だからしょうがない。

ベルは突如目の前に現れたエルフの女性を見ながら、そんな風に思っていた。

 

翡翠色の長い髪、同じく翡翠色の瞳、優しさと鋭さを兼ね揃えた切れ長の目。

濡れているかの様に艶のある薄紅の唇、端正な顔質もあって絵画から飛び出た女神を思わす美しさだった。

正に絶世の美女、あの豊饒の女主人の店員達も見蕩れる程の美人揃いだが、この女性は桁違いの美女だ。

そしてそんな絶世の美女が、再びベルに声を掛ける。

 

「意識はしっかりしている様だな…どうだ、立てるか?」

「…ぁ、はい…大丈夫です」

 

そう言って。リヴェリアがベルに手を差し伸べる。

恐らく自力では起き上がれないと判断されたのだろう、実際の所自力で起き上がるのもかなりきつかったので、その手を借りようとしたのだが…。

 

(……待てよ、確かエルフの女性って……)

 

その瞬間、ベルはとある事を思い出す。

『エルフの女性は異性において、心から許した異性でなければ肌の接触を許さない』

エルフの女性程、貞操観念が強い種族はいない。

ベルはその事を思い出して、つい伸ばした手を止めてしまうが

 

「つまらない事は気にするな」

 

ベルの考えを察してかリヴェリアは小さく微笑んで、ベルの手を掴む。

白魚の様な指がベルの手をしっかり握って、そのまま引っ張ってベルの上体を起こす。

 

(……お、おかしい……)

 

そんな中、ベルは自身に対してとある異状を感じ取っていた。

 

(……こんな綺麗な人に手を握られたのに、あんまり緊張してないぞ?……)

 

昨晩のリューの一件において、自分は隣に座られただけで我を見失う程に緊張していた。

そして目の前の女性はそんなリューよりも美しく、また手を握られたにも関わらずそれほど緊張していない。

緊張するにはしているが、それは初対面の相手故に、或いは未知の強者との対面故に感じる程度のもの。

そしてそれ以上にどこか安心する様な、ホっとする様な、そんな心安らかになる様な、目の前のリヴェリアからはそんな不思議な印象を感じられた。

 

「ありがとうございます、お陰で助かりました」

「どういたしまして。それで、体の方は大丈夫かな?相当派手に転んだ様に見られたが?」

「あはは、恥ずかしい所を見られちゃいましたね。ですがご心配なく、お陰様で他に怪我はなさそうです」

「そうか、それは何よりだ。装備を見る限り、君も冒険者かな?鍛錬するのは感心だが、もう陽が落ちる。そろそろ切上げた方が良いぞ?」

 

そのリヴェリアの言葉に、ベルも『そうですね』と返して得物を鞘に収めて起き上がる。

次いで体中の埃を軽くはたいて、その女性に向き合って

 

「あの、一つお聞きしてもよろしいでしょうか?」

「フム、何かな?」

 

「――もしかして、お姉さんは冒険者の方ですか?」

 

確認する様に尋ねたベルの言葉。

その言葉を聞いて、リヴェリアはキョトンとした様子でベルを見つめて

 

 

次の瞬間、盛大に噴出した。

 

 

「っ!? あの、お姉さん?大丈夫ですか!?」

「ゥッ!ブっ!ぷっ…!!っ、くく…!…だ、っ大丈夫だ…!…くっく…だが、そうか…おねえさん…お姉さんか…っ!」

 

その突然の事態に、ベルは再度安否を気遣う様に声を掛けるが

リヴェリアは完全にベルから体ごと顔を背けて、肩を小刻みに震わせて、小さく噴出す音と何かを堪える様な、息苦しさを我慢している様な音が漏れ出ている。

そんな状態が数秒ほど続き、徐々にリヴェリアは落ち着きを取り戻し改めてベルと向き合う。

リヴェリアの頬は紅くなっており、うっすらと涙目になっている。

 

「…ウン、まあそうだな。もうお姉さんという歳でもないのだが…この場は、君の言葉を借りておこうかな」

 

そして数度咳を繰り返して、リヴェリアは喉の調子を取り戻して

 

「確かに私は、冒険者をしているお姉さんだ」

 

 

 

 

 

 

 

 

陽が南を大分過ぎた頃、バーンとヘスティアは商店街を歩いていた。

『ミアハ・ファミリア』との契約は、オラリオ商会の立会いの下に滞りなく正式に結ばれた。

両者に渡された契約内容を、バーンとミアハ・ナァーザは確認し互いのサインを明記した。

最後にバーンとミアハの握手を持って、契約完了となった。

その後、ミアハは早速作業の方に取り掛かりたいと申し出て、ミアハとナァーザとは商会で別れた。

そして現在に至る。

 

「はぁー、退屈だったなーもう。契約書作って貰ってサインするだけで終わりだと思ってたのに」

「安くない金が関わってくるからな、相応に時間が掛かるのは当然であろう?

両者間における認識の相違がないか、契約内容に違法がないか、等々の確認の場でもあるからな。

其方も詐欺被害に遭いたくなければ、あのナァーザという小娘の様にしっかりと確認し、少しでも不明瞭な点があれば直ぐに問い合わせる様にしておけ」

「凄かったよねー。目が血走って、ガンガンこっちに質問してたもんねー

…それに、バーンくんもそれ全部に懇切丁寧に説明してたもんねー。途中でイラついて舌打ちの一つでもするかと思ったけど、意外にバーンくんって付き合い良いんだね?」

「社会契約において、信頼関係を結ぶ程に重要な事はないからな。

信頼を築くには、些細な疑問や疑惑を解消しておく必要がある。たった一つの綻びから、組織が壊滅するというのも珍しい話ではないぞ?

ソレを考えればナァーザの行動も至極全うな物だ。それに神ミアハは少々人を信じすぎる気質の様だからな、あの二人はアレでバランスが取れている」

「んー、そういう物か。それでこの後はどうするの? ヘファイストスのとこに戻る?」

 

確認を取る様にヘスティアはバーンに尋ねる。

バーンはヘスティアの問いに、「いや」と顔を軽く横に振って

 

「その前に寄る所がある、『魔女の隠れ家』という店だ」

「魔女の隠れ家? あー、なんか聞いた事があるよ。確かヘファイストスの所の団員が魔法石を仕入れる時とかにその店の名前がちょくちょく出てきたな」

 

バーンの言葉に、ヘスティアは思い出した様に言葉を続ける。

魔法石とはその名の通り、魔導士が扱う杖やマジックアイテムの核に当たる部分だ。

魔力を高め魔法の威力を高めてくれる、魔術師しか作れない稀少品、オラリオにおいても扱っている店は数える程しか存在しない。

そんな場所にどうして?とヘスティアは疑問に思うが瞬時に答えに辿り着く。

 

「そういえば、バーンくんって魔法を使えるのに杖や魔法石を持っていないね。これから仕入れるつもりかい?だったらヘファイストスに頼んだ方が楽じゃない?」

「そちらは既に話は通してある。まあ、言ってしまえばただの興味よ。余も多少なりとも魔を扱う者だ、一度直に見ておきたいと思ってな」

「ふーん、なら僕も付き合うよ。行った事が無い店だし、ちょっと興味あるしね」

 

北西メインストリートを曲がった路地裏の奥深くに、地下への階段を下りるとその店はあった。

傷んだ木の扉、その扉を開けるとそこには文字通りの魔女の隠れ家あった。

室内は広く薄暗く、天井に吊るされている火の玉を模した魔力灯が室内を淡く照らしている。

 

店の中にある棚やショーウィンドウには、瓶詰めになった烏や蝙蝠に蠍や蛇。

店の奥では大きな黒鍋から赤黒い湯気が立ち上っていた。

それは正に、誰もが思い浮かべる魔女の隠れ家そのものだった。

 

「おやおや、いらっしゃい」

 

そしてカウンターの奥から、店の主である老婆がバーンとヘスティアに顔を向ける。

黒い三角帽子に黒いマントに黒いコート、首周りには怪しげな宝石を散りばめたネックレス。

長い白髪に皺だらけの顔、鉤鼻の鼻に皺枯れた声。

その店主の外見もまた、誰もが思い浮かべる『魔女』そのものだった。

 

バーンとヘスティアは店主に軽く会釈して、店の商品に目を向ける。

店に置かれている魔法石や杖のサンプル、マジックアイテムや儀式用アイテム等を興味深く品定めをしていき

ヘスティアはショーウィンドウにあるその本を見つけ、驚愕の声を上げた。

 

「んな!コレってもしかして魔導書(グリモア)かい!?」

「おや、お気づきになられましたか? 流石はお目が高い」

 

ヘスティアの驚いた形相を見て、店主の魔女は満足した様に笑う。

その言葉に釣られて、バーンもまた件の魔導書を見る。

 

「フム、これが噂に名高い『魔導書(グリモア)』か。現物を目にするのは余も初めてだ」

「僕も現物を見るのは久しぶりだけど、相変わらずぶっとんだ値段をしているな…1、10、100…ウワァーこれ1冊で一等地に豪邸が建てられそうなんだけど」

「そちらは競売の品となっております。もし購入を希望するのであれば、名前と金額を書いてこちらに提示を」

 

店主の言葉にヘスティアは「するか!」と即座に返すが、それも仕方の無い事だろう。

魔導書の値段は既に億に迫る額だ、現時点でこの額なら期日までに億超えするのは必至だろう。

 

そして何より、魔導書の価格としてそれは決して高い値段ではない。

 

魔導書、それは読んだ者に全てに例外なく魔法を強制的に発言させる『奇跡』が込められた貴重書の事だ。

最初に目を通した者だけ、という縛りこそあるものの読んだ者に等しく魔法の力を授ける本。

覚える魔法は魔導書によって千差万別だが、魔法使いとしての訓練や教養がなくても魔法を即座に習得できるのだ。

それは冒険者を初めとする戦闘を生業にする者からすれば、幾ら金を積んでも惜しくない一品だ。

 

「魔導書か、やはり魔道に身を置く者としては一度は読んでみたいが…流石に今の資金では無理があるな」

「ほほう。魔導書の中身に興味があると? でしたら使用済みの物で宜しければ、何冊かご用意できますが?」

「では是非お願いしたい」

 

バーンの答えを聞いて、店主は『ちょいとお待ちを』とカウンター奥の棚からソレを引っ張り出してカウンターに置く。

本と言うにはあまりにそれは大きかった。まるでスケッチブックを何冊も重ね上げて作った様なでかくて分厚い本だった。

表紙は厚めのハードカバータイプ、表紙の中心には魔の象徴の一つである五亡星のエンブレムが刻まれて、表紙全体にも奇妙な紋様が刻まれている。

 

バーンはソレを丁重に受け取り、目を通していく。

バーンが書物を読んでいる中、手持ち無沙汰となったヘスティアは店主の老婆に話しかけた。

 

「しっかし、良く使用済みの魔導書を手元に置いておくもんだね? 一回使えば場所を取るだけの、馬鹿でかいガラクタみたいなもんじゃないか?」

「まあ、確かにその通りでございますね可愛らしい神様。でもそんなガラクタでも、店の雰囲気造りに中々役立ってくれているものなのですよ。

それに冒険者なんていうクセのある人種と付き合っていくには、こういうハッタリや虚仮脅しが役に立つにものなんですよ」

「なるほどー、そういうものか。確かに使用済みでも、魔導書が置いてあるってだけ『ソレっぽい』感じがかなり出てるもんね」

「それにこんな物にも『コレクター』や『マニア』の様な連中がいましてね、そういう物好きな連中が欲しがったりするんですよ

寝酒を買う位の稼ぎにしかなりませんが、持ってて損はない物ですね」

 

ヘスティアと店主が会話している中、バーンは黙々と魔導書に目を通している。

流し読み等ではなく1ページ1ページに、しっかりと目を通して読み進めている。

そのバーンの様子を見て、店主は先の案を提案する。

 

「もし気に入ったのであれば、購入されていかれますかな? 1冊200ヴァリスでどうでしょう?」

「フム、そうだな。ちなみにコレ以外に使用済みの魔導書はあるかな?」

「そうですねー。カウンター奥に3冊、展示用が6冊、後は…確か物置に何冊か埃をかぶっている物があったと思います」

「…そうか」

 

バーンは小さく呟いて、パタンと魔導書を閉じる。

そして手に持った魔導書を改めてカウンターに置いて

 

「では、ソレ等全てを売って頂きたい。

それと他に使用済みの魔導書を売ってくれる者に心当たりがあれば、是非教えて頂きたい」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




一ヶ月半ぶりの更新です。
最近一話の文字数が一万超えが普通になっているので、分割投稿とかも考えたのですが
自分の中で「ココだ!」という部分まで描かないと、投稿できない気質の様なのでもうちょい不定期更新にお付き合い下さい。

それでは話は本編、作者またもやフラグ乱立。
先ずはベルくん。ベルくんは知識の上では、リヴェリアの事は知っています。
ロキ・ファミリアの副団長で、レベル6で『九魔姫』の二つ名を持っているエルフという事も知っています。
そして勿論、リヴェリアの御歳がXX歳という事も知っています。
ですが、現時点ではまだリヴェリアの事には気づいていません。

そして、我らがBBAことリヴェリア。本作に参戦です。
ベルくんのまさかお姉さん発言によりご満悦の様子。
多分リヴェリアは、社交辞令としてはこの手の言葉は聞き慣れていると思います。
でも今回のベルくんは素の感想ですので、リヴェリアもにっこり…という感じです。

そして、我らが大魔王のバーン様!
どうやらまた碌でもない事を思いついた様子、バーン様の方はいい加減ダンジョンに潜らせたいのでそっち方面に話は進んでいくと思います。
それでは次回に続きます。


追伸
この作品もなんだかんだで、連載から一年経ちました!ビバ一周年!
……果たして連載一年以上経つのに、未だダンジョンに潜らないダンまちSSは他にあっただろうか…。

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