22 月影 【後日談】
~ 一年後 ~
その夜、俺、比企谷八幡は市内のライブハウスに居た。
今日は総武高文化祭二日目。有志団体の打ち上げである。
今年の文化祭には、葉山隼人、三浦優美子、戸塚彩加、材木座義輝による有志バンドが参加した。俺はゼミがある為に見に行けないと葉山に伝えると、打ち上げには是非来いと半ば脅されてここに来たのだ。
重々しく毒々しい、朱で塗られた両開きの扉を開けると、そこは既に音の真っ只中だった。
スピーカーチェックなのか大音量で鳴り響く、歪んだギター。
その音を掻き分けて奥へと分け入る。
ステージの前まで行くと、ギターを鳴らす葉山の右手が止まる。
「よう比企谷、来てくれたのか」
てめぇが来いっていったんだろうが。しかも断れないように陽乃さん経由で。
「まあ、腐れ縁だからな。いろんな意味で」
適当に吐いた答えを、葉山も適当に流す。
ん? 遠くのほうから天使の気配がする。
「はちまーん、久しぶりっ。来てくれたんだねっ」
うん、俺の戸塚レーダーは未だ健在だな。
「今日はぼくも久しぶりにベース弾くんだよ。ちゃんと、見てて、ね」
勿論だ。戸塚の為なら俺は、俺は…
「おう、戸塚のワンマンショーなら最高なのにな」
「もうっ、はちまんったらっ」
よし、戸塚の頬を赤く染めたぞ。これでもう俺はいつ帰ってもいいな、うん。
「…ヒキオ、何赤い顔してんの?」
おお怖っ。三浦の美貌と怖さは大学生になってから益々磨きがかかってるな。
つーか三浦、ギター弾けたんだな。
「違うし。は、隼人が…あーしにはギターが似合うっていうから…ふんっ」
おお、可愛いじゃねぇかよ三浦さん。まるで恋する乙女に見えるぞ。
…おっと睨まれた。
この後夜祭に位置づけられた打ち上げの目玉は、文化祭に参加した有志バンドの演奏だ。ここに集まるほとんどは、葉山の演奏が目当てだ。
その証拠に、女子たちの人数が異様に多いし、必要以上に三浦がピリピリしてる。
実はこのバンドは、去年の文化祭のライブに味を占めた材木座と、それに同調した葉山が作ったバンドである。つまり、誠に遺憾ながら材木座のバンドなのだ。
「おー、ブタ将軍。ドラマー姿も様になってきたじゃねえか」
件の、見知った肉の塊に声をかけてやる。
「ヌフン、さもありなん。それもこれも愛しいマイハニーのお陰である。ヌフ」
「…気持ち悪さも健在のようで安心した」
そういえばこいつ、三年の時の文化祭で彼女が出来たんだよな。俺より先にリア充に成り下がりやがって。まあ、相手はこいつと同族だから許すけど。お似合いだぜ。
有志バンドのメンバーをひと通りいじり終わったことだし、そろそろ客席に行っておくか。
立ち見のフロア、客席に行くと既にかなりの人数が集まっており、その中には見知った顔もちらほらと混じっていた。
同じクラスだったらしき顔が散見できる。その後ろのほうは、総武高の在校生か。
あっちは、去年の文実委員長か。そして向こうには…一昨年の文実委員長がいた。
一昨年の文実委員長、相模は取り巻きの二人を左右にはべらせ、こちらを見ながら何かを話し笑っている。てか、あいつら卒業しても一緒かよ。
ま、仲がいいのは良いことだな、うん。その様子は多少イラつくがまあ捨て置こう。
「おお、比企谷。久しいな」
背後から声をかけてきたのは、学生ばかりのこの場所には不釣合いな美女。
「何言ってんですか平塚先生、先週もラーメン屋に拉致されたばかりじゃないですか」
「以前も言ったが、もうお前は生徒ではないんだ。友人として”静”と呼べ」
「はいはい、静さん」
平塚…静さんは、何というか、大人の魅力をこれでもかというくらいに見せびらかしている。特に胸の辺りの見え具合に大人の魅力が集中している。
簡単にいえば「胸元ざっくり」なのである。
そんなの在校生男子に見せちゃダメですよ。本気で静さんの貰い手が教え子になってしまう。
「はは、どうだね、仲良くやってるかね」
大人の格好をして、子供みたいにヘッドロックとかしないでください。割とマジで怒られるんですからね。でも柔らかいからいいか。
「先生…静さんも相変わらず意地が悪いですね。どうせあいつから聞いてるんでしょ」
そう。いつだって俺の情報は筒抜けだ。これは在校時からのことなのでもう慣れてしまった。要は俺がしっかりしていれば大丈夫なのだが、それが一番難しいのである。
曰く、人とは流されるものである。
「まあな。仲良くやってるなら結構結構…ん、今日は一人か?」
辺りを見回して静さんは小首を傾げる。
「ええ、今日は家の用事があるらしくて。遅れて来ると思います」
ヘッドロックを優しく解くと、そこには俺たちの教師だった平塚先生の顔があった。
「そうか。まあ、楽しんでいきたまえ。久しぶりの”仲間”をな」
颯爽と歩く、タイトスカートから伸びる足を眺めていると、気配を感じた。
「みーたーぞー」
はっ、殺気。
「なーに平塚先生といちゃいちゃしてんのさ」
なんだ小町かよ。おまえは今年の実行委員なんだから、もう少しこの場を仕切れよ。
「まったく、ごみいちゃんは…お姉ちゃんに怒られても知らないよ?」
それだけは、あいつに告げ口するのだけは勘弁してくれ。今日はいないから良いが、もしここにいたら間違いなく俺は重いペナルティを課せられてしまう。
壁に沿って並べられた円テーブルのひとつに目をやると、戸部たちの姿があった。
「おう、ヒキタニくんじゃん。久しぶり~」
相変わらずだな戸部。
「もう、何度言えばわかるかなぁ、ヒキタニくんじゃなくて、ヒキガヤくんだよ」
すっかりここは定番の二人だな。つーか海老名さんも大概「ヒキタニ」って呼んでたよな。
「よう、戸部も海老名さんも元気そうで何よりだ」
「ね、ね、久しぶりの”ハヤハチ”見たいなぁ」
海老名さんも相変わらずですね。てか久しぶりも何も、一度たりともありませんからね。
程なくして、立食パーティーの形式で後夜祭は幕を開けた。
すでにステージ上では葉山たちの演奏も始まっている。
三浦優美子は器用にギターを弾きながら歌い、時折葉山とアイコンタクトを交わして笑っている。
葉山はギターを弾きつつバンド全体のバランスを保ち、戸塚は楽しそうに低音を紡いでいる。
材木座は…ま、どうでもいいか。特筆すべき点はナシっ。
2曲ほど演奏が終わると、葉山がマイクを握る。
「総武高校文化祭の有志バンドによる後夜祭にお越しいただきありがとう。今日は高校時代を懐かしむ意味を込めて、懐かしい曲をお送りします」
聞こえてきたのは「十七歳の地図」
懐かしいなんてもんじゃないな。俺たちが生まれる前の、名曲だ。
まさにこの年齢になる年に、俺は平塚先生に奉仕部に放り込まれたんだ。
そこで、あいつら二人と出会えた。
思えば、俺の17歳は濃密だった。それまでの鬱屈とした生き方は、そこで音を立てて変わったんだ。
次の曲は「BAD FEELING」
これまたえらく古い曲だな。俺らのオヤジ達の世代向けだな。
だがこの曲は、今聴いてもカッコいい。
しかし葉山って、やっぱギター上手いな。
続いては、「ロビンソン」か。
この曲のドラムって難しいのに、ちゃんと微妙なモタりまでコピーしてやがる。材木座の癖に。
あんな奴でも彼女が出来ると変わるのかな。俺もそうだけど。
次の曲は「小さな恋のうた」
お、静さんが頭を抱えだした。そうか「知らない曲ゾーン」に入ってしまったか。大学生には懐かしくても大人には…だな。
おっ、このイントロは「Long Train Runnin'」だな。
あらら、静さんが俄然元気になってきたな。てかこの曲、1973年の曲だぞ。この人一体いくつだよ。でもカッコいいわ、この曲。ギターのリフなんか簡単なのにな。
これまた懐かしい「Sweet Memories」
ここで再び三浦優美子の出番か。
ん? おいおい、葉山が歌うのかよ。昔の女性アイドルの曲だぞ。
…へえ。男が歌うこの曲もなかなか良いな。その証拠にほら、静さんが歌に酔いしれて泣いちゃってるよ。三浦の目も潤んでるし。
大人の女性と涙って、すごく絵になるもんだな。
ステージのまん前では相模グループがしきりに葉山にアピールしてる。せっかくの名曲なのに。こいつら、どこまでいっても無粋なヤツラだな。
大人しく曲を聴け。今はそれが葉山たちとこの曲に対する礼儀だ。
ここで一旦演奏が終わったらしい。ステージから降りてきた葉山と三浦に心よりの賛辞の拍手が贈られる。
「ふう。優美子、ギター上手くなったな」
「ま、まあね、ざっとこんなもんだし。それよりあーしさ、ヒキオの歌聴いてみたいんだけど。去年見れなかったし」
そうか。こいつは去年の文化祭はステージ見てなかったのか。残念だったな、俺はもうステージには立たないと心に決めたのだよ。
俺の思惑を他所に、葉山は顎に手を当てて一考する。
やめろよ、やめろよおまえ。
「うん。比企谷、おまえも1曲どうだ?」
ぎやあああああああああ!
言いやがったあああああ!
「はあ? 俺はあれ以来ギターなんか触ってねぇぞ」
隅の方で相模グループの嘲笑が聞こえる。なにあいつできんの? って感じだ。
「文化祭のとき演った曲でいいさ」
「いいね。はちまん、やろう?」
と、戸塚からのお誘い、だど?
「わ、我も叩くぞ。八幡大菩薩への奉納太鼓のつもりでな」
何だよ、今から演歌でも演るのかよ。
つーか、もうお膳立ては出来てるんだな。もう断れないんだな。
「…わかった。じゃあ、アレでいいか」
「ひ、ひ、久しぶりのハヤハチ、キマシタワ~!」
海老名さんもブレないな…
アンコールの曲は俺たちのバンドの最後の曲。
「ずっと好きだった」
今思えば、かなり早い段階で好きになっていたのかも知れない。けれど、お互い不器用で、どこか間違っていて。
そのお陰で素敵な遠回りが出来たりして。
けれど、そのせいで何度も悲しい思いをさせたのかもな。つらい気持ちにさせたのかもな。
あの時――
お前が生徒会長に立候補するって聞いたときには正直驚いた。
今思えば、生徒会を奉仕部で占領するのも悪くなかったかな、なんて思うときもある。
卒業式の日。
おまえだけを呼び出したつもりが二人で来やがって。お陰で俺は証人立会いの告白をする羽目になって。
その後何故か三人でデートしたんだよな。
とにかく、俺はおまえら二人の友情が壊れなくて安心したけど。
同じ大学に通い始めて、学内で噂になったときには少し胆を冷やしたっけ。俺のせいでおまえが悪く見られるのだけは避けたかったけど、いつでもそ知らぬ顔で俺の横に居てくれたな。
それはすごく幸せで、すごく辛かった。
おまえに見合う男になりたいと本気で思い始めたのはその頃からだったな。
たまに三人で会うときは、以前の部室のような空気に自然となれたことが嬉しかったな。あいつは時々寂しそうな顔をするけど、おまえら二人が笑顔で話しているのを見ていると、俺も幸せになれたんだ。親友同士のおまえ達には日常なのかも知れないけどな。
演奏が終わる。
大歓声が沸き起こる中、隅の方で相模グループだけがアホ面で固まっている。
「やるじゃん、ヒキオ」
「ヒキタニくん、久々のハヤハチをありがとう。今夜は捗りそうだわ。ね、戸部くん」
各々がそれぞれに歓談する中。
ステージの正面、向かいの壁のほうから足音が聞こえる。
それは、聞きなれた二人の足音。
世界一素敵な俺の彼女と、その親友。
「比企谷くん」
「ヒッキー」
「お、おまえら、いつ来たんだよ」
ちょっとは心の準備をさせろよ。未だにおまえら二人が急に現れると、卒業の時の告白のシーンが甦るんだから。あの死ぬほど恥ずかしい瞬間が。
「あなたが演奏を始める少し前よ」
そうですか事前に教えていただけるとありがたいのですがダメですか。
「うん、またヒッキーのライブが見られるなんて思わなかった。カッコよかったよね、ゆきのん」
あなたも事前予告をしないタイプの人間ですかそうですか。
「そうね、誠に遺憾なのだけれど、か、格好良かったわ」
ま、まあ、褒められるのは嫌ではないな。
「うんうん、惚れ直したよヒッキー」
そういうこというなよ人前で。
「あら、私はいつでも惚れているわ。もうぞっこんよ」
表現が古いんだよおまえは。
「ははは、比企谷くんは相変わらずモテモテだな。どうだい、もう1曲」
「うるせぇよ。しかし俺の知ってる曲なんてそんなに」
「去年、演目の候補にあがった、あの曲がいいかな」
ベースを抱えた戸塚があっ、と声を上げる。
そうか、あの曲か。
「では、正真正銘今夜の最後の曲は―――」
了
お読みいただきありがとうございます。
この物語は前回で完結したのですが、少し書きたくなってしまいました。
今回の話は、八幡たちの卒業後の文化祭の打ち上げ。
物語の後日談という位置づけになります。
まあ、お目汚し程度にお読みいただけたら幸いです。