嘘から出た……   作:フチタカ

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しかして彼は壊れゆく

 コツコツ。

 革靴がコンクリートを叩き、夕焼け空に固い音が溶けていく。

 一歩、一歩。少しだけ重い足取り。

 僕は目的地に向けて歩みを進めていた。

 

 南さんとのデートの度に通る、通い慣れた道。

 園田さんに僕達の関係を疑われたあの日から丁度一ヶ月が経過していた。梅雨入りしてばかりの、じっとりとした空気が少し不快で。一応持って行きなさい、と持たされた折り畳み傘は余計にスクールバックを膨らませ、スペースを圧迫する。

 

 

 あれから僕達は何度かデートを重ねていた。

 

 皆と同じようにショッピングをして。

 皆と同じように少しお洒落なレストランに行って。

 皆と同じように遊園地に行って。

 皆と同じように手を繋ぎ。

 皆と同じように彼女を家まで送る。

 

 一つだけ違うのは、二人の心の距離。

 

 一生懸命僕の心に近づこうと微笑みかけてくれる彼女と、変わらず閉じた僕の意思。

 

 

 

――どうして僕なんかを? 僕なんか、嫌いになったほうが良いよ。

 

 

 

 何度問いかけただろうか。

 

 家の前で別れる度、目に涙を浮かべて手を振ってくれる南さん。

 楽しかったよ。また行こうね?

 そう言ってくれる僕の《嘘の》彼女。

 

 掛け値無しに良い娘だと思うんだ。僕なんかには勿体無い。高坂さんのような明るく皆を照らしだす太陽ではないけれど、柔らかく、いつの間にか傍に寄り添ってくれている月の光のような女の娘。

 

 

『ことりは知ってるから、貴方の素敵な所』

 

 

 そう言って、笑ってくれる。

 

――なんで?

 

――どうして?

 

 自問自答。

 僕には分からない。

 

 なぜなら、僕は変わってしまったのだ。そのことが自分だからこそよく分かる。

 彼女が好きだった僕はもう居ない。

 

 この関係を築く前は、自分を磨くことに一生懸命になっていた。高坂さんの隣に立ちたくて、懸命に出来る限りの事をしてきた。

 

 それは、前向きな努力。

 

 明るい未来を目指して、その足で前へと進む行為。

 きっと、南さんはそんな僕を好きになってくれたんだろう。

 

 でも、今は違う。

 

 ……僕は前に進んでいない。

 

 努力で得た力を嘘を補強する力へ変えた。南さんが好きでいてくれた僕という殻を身に纏い、その中でだんだんと腐りゆく身体。腐臭は外へ漏れ出ること無く己の鼻先で燻り嫌悪感を自分自身に抱かせる。

 

 僕は立ち止まってしまった。

 

 高坂さんに追いつくんじゃない。

 なんとか自分の元まで引きずり降ろそうと画策する――汚れた思考、擦れた手法。

 

 

 僕は僕が嫌いだ。

 嫌いで嫌いで堪らない。

 

 僅かに残る良心が叫ぶ。

 

――こんなこともう止めろ、これが本当にお前が求めたものなのか?

 

 何度も何度も繰り返された問答。だまれ、だまれ。

 その度に強く拳を握りこみ、唇を噛む。血管が浮き出し不自然に染まる掌、口の端に滲む血の色。止めろだって? ふざけたことを。僕はもう戻れない。僕たちはもう、引き返せない!

 

 やり方が間違っていようが、その結果が求めていたものと違おうが関係ない。

 僕たちはもう踏み出してしまったんだ、この足を。

 

 二人共、底なしの沼地に両足を深く突っ込んでしまった。もう、後戻りは出来ない。がむしゃらに、沈み込みそうになりながら、それでも進む先に新たな岸があると信じて藻掻くしか無いんだよ。

 じゃないと、今までしてきた身を削る行為が全て無駄になる。

 

 僕は歩みを止めないよ。

 

 例えその過程で南さんが不幸になろうとも。……僕は高坂さんが好きだから。

 それしか、無いから。

 

 

――だって。

 

 僕は自分に言い聞かせる。

 

 だって、嘘の彼女の幸せなんて、僕の知った事じゃない!

 あの娘だって僕と同じ穴のムジナだ。

 覚悟はできてるはずだ! 親友に嘘を吐いてまで、この関係を続けることを選んだ。そうまでして、僕が自分に靡かない事を知って尚、僕のそばにいる。

 僕のせいじゃない。

 

 これは、僕達共犯者二人の責任だ。

 

 何度も何度も繰り返した言い訳。

 そうでもしないと……僕は壊れてしまいそうで。

 

 

 

 

「……ごめん、南さん」

 

 

 

 

 小さく呟く。

 本当は分かってる。

 

 彼女は僕とは違う。純粋で、綺麗なままの共犯者――いや、被害者だ。

 同じじゃない。汚れてるのは僕。

 汚したのは……僕だ。

 

 

 それでも僕は――高坂さんが欲しい。

 

 

 暗い目で僕は前を向く。

 間違いを自覚して、それでもこの足を踏み出す。

 ただただ、太陽に焦がれて。

 

 

 

 

 それが恋と呼べるものなのか、僕にはもう分からなかった。

 

 

 

***

 

 

 ガラガラ。

 少し古びた、それでいてよく手入れされているらしい木製の引き戸が小気味良い音と共に開く。同時に店内に流れ込む風と、揺れる暖簾。大きく書かれた『穂むら』の三文字。

 

「いらっしゃいませー!」

 

 すぐに可憐な声が響いた。

 

 和菓子の並ぶショーウィンドウの向こうには中学生位の可愛らしい女の子が立っている。

 少し釣り目がちな目と短めの髪。珍しい男子高校生の客に興味を惹かれたのか、特に臆すること無くこちらに視線を向けてきた。案外物怖じしない性格なのかもしれない。目が合うとお辞儀を返してくれたあたり、礼儀正しい娘だとは思うけど。

 

 ……あんまり、高坂さんとは似てないな。

 

 そんなことを考えながら僕はゆっくりと彼女に近づいた。

 

「えっと、はじめまして。高坂……雪穂さん、だよね?」

「あっ、はい。そうですけど……」

「高坂さん……っと、あはは。君も高坂さんだから……そうだね、君のお姉さんの知り合いなんだ」

 

 出来るだけ柔和な表情で話しかける。

 ゆったりとした態度、そして柔らかい口調。

 

「あぁ、なるほど。はじめまして! お姉ちゃんなら確かさっき」

 

 雪穂さんは高坂さんの妹らしく元気良く挨拶を返してくれた。

 

 そして彼女は欠片の警戒心を抱くこと無く、自身の姉を探し始める。

 やっぱり。僕の身につけた表情や口調や雰囲気は初対面の年下の女の子に対しても効果てきめんらしい。

 

「あ、別に呼ばなくていいよ? 少し近くまで来たから寄っただけだから」

 

 止めるような仕草で僕は言う。

 

 これは半分本当。そして半分嘘。

 別に会えなくても良い。……僕が来たことが伝わればそれで。だから前半は本当。

 でも、それは偶然ではない。だから後半は嘘。

 

 

 なぜ、僕がここまで――高坂さんの家にまで来たか。

 

 

 僕は……焦ってるんだ。

 それが未だ何の進展も無いことからくる焦燥感なのか、それとも強く僕の心に襲いかかる罪悪感から……冷静さを失っているのか。今の僕には判断がつかない。

 

 でもそんな落ち着かない心持ちのまま、僕は行動を起こしていた。

 

 このまま何もせずただただ南さんの好意だけを身に受けていると、どこかおかしくなりそうで……。

 僕の中の何かが……壊れてしまいそうで。

 

「そうですか? でも、お姉ちゃんさっき帰ってきましたよ。今日は私が店番だけど、そろそろ閉店時間だし片付けくらいは手伝いに……」

 

 雪穂ちゃんが親切にも俺を引き留めようとしてくれたその時。

 

「あれ? どうしたの?」

 

 一瞬、僕の時間が止まる。

 

 そして、高坂さんが現れた。

 真っ白いエプロンを着崩して彼女は荷物を運んでいる。

 

「……高坂さん。こんばんは」

「こんばんは! どうしたの? 学校帰りかな。穂乃果も丁度さっき帰ってきたんだ! 君が穂むらに来てくれるのは初めて……だよねっ。あ、ちょっと待ってね、これ運んじゃわなきゃ」

「もう、お姉ちゃんったら。騒がしいよ?」

「えへへ、ごめんユッキー」

 

 彼女は照れたように笑う。

 どうしようもなく、胸が騒ぐ。

 

 変わらず魅力的な表情。輝く瞳。

 会う度に引き込まれる。会う度に、暗い覚悟を新たにさせられる。

 

 

――きっと、この娘が全ての元凶だ。

 

 

 少し幼さが残る言動も、それとはアンバランスに匂い立つ女性としての魅力も。

 そのどれもが愛おしく、同時に憎らしく。そして、僕は彼女のなにもかもを独り占めしたくなる。

 身の回りの人間全てに別け隔てなく与える、彼女の光。

 

 

 僕は、それが欲しい。

 僕だけに向いて欲しい。

 

 

 近づくと焦がされてしまうことを理解して尚、傍にいたいと願ってしまう魔性の魅力。それに焼かれる虫けらのような自分。

 

「ちょっと近くまで来たから寄っただけだよ。ここ、高坂さんの家だって聞いたから」

「そうなんだ~。よ、いしょっと」

 

 彼女は荷物を指定の場所に置くと、にこりと笑いながら駆け寄ってきてくれた。下から覗き込むように僕の目を真っ直ぐに見てくれる。いつもと同じ、その仕草。

 

 汚い僕も、腐った僕も。

 彼女の瞳に写った姿なら、もしかしたら好きなれるんじゃないかって。

 そんな事を思いながら目を合わせる。彼女の見透かすような鋭さのない、包み込むような柔らかい視線。

 

「一ヶ月ぶり、くらいだね?」

「うん、そうだね。……元気だった? 最近は雨も多いけど」

「大丈夫だよ! 雨の日は普段より早く家を出なきゃだから大変だけど……。海未ちゃんが朝練の日はゆっくり寝られるから!」

「あ、それ園田さんに伝えておこうかな

「わー! ダメだよー! 君だから話してるのに!」

 

 僕の冗談に可愛らしく乗っかってくれる高坂さん。

 本当に慌ててるのかな? 両手をぶんぶんと振って抗議してくる。

 

「冗談だよ。僕はチャリ通だからカッパなんだよ。学校指定されたものだからすっごくださくって……近隣の学校からはストレッチマンって言われてるんだ」

「あははっ。本当にそんなカッパなの?」

「今度見せてあげるよ」

「ホント? 見せて見せて」

「そのためには高坂さん早起きしなきゃだけど」

「わ。それは大変だ」

 

 弾む会話。

 自然に浮かぶ笑顔。

 どちらともなく零す笑い声。

 

 久しぶりの、二人きりの時間を楽しむ。

 

「あのー?」

 

 仲睦まじい僕達の様子を不思議に思ったのだろう。雪穂さんが声を掛けてきた。あらぬ疑いを持っているのかいたずらっぽく笑っている。

 

「おねーちゃん。楽しそうだね~。彼氏さんかな?」

「ゆ、ユッキー!? ち、違うよー。中学校のお友達で」

「へーぇ。今でも会いに来てくれるんだ。幸せものだね―」

 

 微笑ましい姉妹のやり取りを見守った。

 どうやら、高坂家は妹の方がヒエラルキー的に上位に属しているらしい。二つ下の妹にからかわれて慌てる高坂さんを見ていると自然に表情が緩む。本当に天真爛漫な女の娘だ。

 

 

 

「そうじゃなくて!ことりちゃんの彼氏さんなの」

 

 

 

 告げられる事実に、僕の身体がこの期に及んで凍りつく。

 こればかりはきっと……慣れるものじゃないんだろうな。

 今の台詞が高坂さんの口から出る瞬間。それが一番辛い。

 

「えぇ~~~~!?」

「こらっ、ユッキー。静かにしなさい!」

 

 文字通り飛び上がって驚いていた雪穂さんは慌てて僕のもとに駆け寄ってくる。

 姉とは正反対にクールなイメージが出来つつあったため少しだけ面食らってしまった。どうやら血は争えないらしい。

 

「こ、ことりさんの?」

「う、うん。まあね」

「へー。さすがことりさん、趣味いいなぁ」

 

 彼女は値踏みするように僕を見てふんふんと頷いてみせた。

 どうやらお眼鏡に叶ったらしい。

 

「チャラく無さそうだし、カッコいいし、優しそうだし……」

「そ、そんなこと無いよ」

「少し気弱な所もプラスですね!」

「あ、あはは、光栄だなー」

「どこでどんな風に出会ったんですか? もう、ことりさんも教えてえくれればいいのに!」

 

 流石に手放しにそう褒められると照れくさくなってしまう。

 僕は緩んだ頬が若干赤くなるのを感じて二・三歩後ろに下がってしまった。

 確かに、オシャレに気を使い始めてから多少は見れる姿になったとは思うけど、僕は高坂さんしか見てなかったから……あまり他の女の子の意見を気にしたことはない。

 そもそも、彼女意外と深く関わろうとは思わないし。

 

 チャラそうではないと言われたが、周りの女の子に興味が一切いかないという点ではあっているのかも。……優しいっていうのは間違いだけどね。

 

「もう、ユッキー。あんまり根掘り葉掘り聞いちゃダメだよ?」

「分かってるよー」

「それに、君も、ことりちゃんがいるんだからユッキーに照れちゃだめ!」

 

 少しだけムスッとした表情で彼女は僕に人差し指を向けた。

 流石にもうこのくらいのことで胸は疼かない。僕は曖昧な微笑みを返すだけに留める。

 

「そうだ、お姉ちゃん。折角だし上がって行って貰ったら?」

「へっ?」

「ことりさんの彼氏さんと私だって仲良くなりたいもん。店番終わったらお姉ちゃんの部屋に行くから」

 

 予想外の展開に僕は呆気にとられていると、僕の意思とは関係ない所で話が進んでいった。

 

「ゆ、ユッキー。流石にそれは……」

「まぁ、付き合ってもない男女がお互いの部屋で遊ぶのはダメだけど、ことりさんの彼氏さんなら大丈夫でしょ」

「そうかなー。うーん。そう言われたらそうかもっ」

 

――ちょっと待って。それは……。

 

 反射的に喉まで出かかった言葉を飲み込んで僕は考える。

 

 

 

 本当に止めるべきか?

 何のために僕はここに来た?

 

 

 

 それは、高坂さんに会いに来たという形を残すため。少しでも、高坂さんに僕の存在を認識して貰うため。一言二言でも話せたなら儲けもの。そう考えてここに来たはずだ。

 

 だとしたら、この状況は千載一遇のチャンス。

 高坂さんとの距離を詰める願ってもない機会だ。

 

「君はこれから用事とかないのかな?」

 

 問いかけられる。

 もちろん僕の返答は決まっていた。

 

 

 

 

「うん。僕も高坂さんと久しぶりに話がしたいな」

 

 

 

 

***

 

 

「ここだよ。どうぞ! えへへ、あんまり綺麗じゃないけど……」

 

 照れたように笑いながら彼女が誘導してくれた先は自分の部屋。

 当然来るのは初めてで、なぜか落ち着かずに辺りを見回す。やはり南さんのそれとは随分趣が違うようだ。

 あまり物が多くなく、裁縫道具や化粧類の類が綺麗に整理整頓されている僕の『彼女』の自室とは全く逆。全体的に明るい色でカーペット等統一されており、本棚には沢山の漫画がすこしまばらに置かれている。

 片付いていないわけではないけれど、どこか雑多な印象を受ける高坂さんらしい部屋だ。

 

「ホントだ。散らかってるね」

「もう。そこは綺麗だよって言うところだよ~」

「あはは。ごめんごめん」

「むぅ。ことりちゃんの彼氏だからって怒る時は怒るんだからね? はい。クッション」

「心得ておくよ。ありがとう」

 

 つん。と可愛らしく拗ねて見せながら彼女は僕の正面に腰を下ろした。

 掛けていたエプロンは下に置いてきたのか、ゆったりとしたTシャツに七分丈のパンツといったボーイッシュな格好に変わっていた。恐らく彼女の部屋着なのだろう、所々僅かに糸のほつれが見えた。

 袖口から覗く二の腕が眩しい。

 

 不意に走る邪な妄想。

 あの躰が僕のものになったら――。

 

 そして、同時に襲い来る自己嫌悪。

 

 何度も繰り返した妄想をあろうことか彼女の前でするなんて。

 一体、僕はどうしてしまったんだろう。

 

「……ね。どうかしたっ?」

「へ?」

「穂乃果のこと見てたから、どうかしたのかなって。も、もしかして服にお餅とかくっついてる? うわぁ、あれちゃんと取っておかないとすぐ固まっちゃうんだよ~」

 

 う。流石に凝視しすぎたかな。

 僕は慌てて顔をそむける。

 

 とはいえ、好きな娘の部屋に、本人と二人きりなのだ。どうしても視線はそちらに行ってしまうし、奪われもする。何も考えるなという方が無理な話だろう。

 

「ち、違うよ。ただ……」

「…………?」

 

 僕はなんと返したものかと逡巡する。

 

 すると。

 

 

 

 

 きょとん、とした表情で彼女は首を傾げてみせた。

 

 

 

 

 あどけないその表情。

 警戒心の欠片もない素直な仕草。

 

 

 

 さっきと同じ。

 

 いつもと同じ。

 

 ……これからも同じ。

 

 

 

 見慣れた表情。

 

「な……、そ……」

「え?」

 

 僕の口から声にならない声が漏れる。

 

 

 

 

――なんだ、それ。

 

 

 

 

 僕の中にドス黒い感情が渦巻いた。

 

 どうしてこの娘はこの状況で尚、そんな顔が出来るのだろうか? 男と二人きりで密室にいて、なぜ無警戒で要られる? 自分の身体をジロジロと見られてたんだぞ? なぜ気が付かない?

 

 それほどまでに、僕は眼中に無いのか。

 突然湧き上がる感情。

 

 僕はその時、なぜだか凄く――腹が立ったんだ。

 

 だから、僕は紡ぐ。

 

 

「高坂さんに、見惚れてたんだ」

 

 

 彼女を困らせる言葉を。

 その顔を、何としてでも変えたくて。

 

「え……?」

 

 ぽつりと零れる声。

 

 初めて、彼女の表情が固まった。嫌悪感でも拒絶の意思でもない。単純な疑問の色。今、なんて言われたんだろう。聞き間違いかな。それとも、冗談?

 

 正直な彼女だからこそ心の声は伝わってくる。

 僕は声色や表情の変化から相手の気持ちを読み取れる。間違いない。

 

 だから僕は、畳み掛けた。

 今までしてこなかった直接的なアプローチ。

 

 その顔を、僕だけが知るそれに変えたくて僕は言葉を紡ぐ。

 

 

 

――今、邪魔者(南ことり)はいない。

 

 

 

「高坂さん、凄く可愛くなったから」

 

 にこり、浮かべる笑顔。

 僕の技術。

 

「え……、あ、あはは……そうかな?」

「あ、ごめん……。びっくりさせちゃったかな……」

「えへへ、ちょっと……。でも、嬉しいな」

 

 高坂さんは困ったように、それでいて少し嬉しそうに笑った。頬は僅かに染まり、視線は泳ぐ。

 

 

 僕は、彼女の中で今、どんな存在として認識されているのだろう。

 

 

 そう、考えてみたことがある。

 僕はきっと彼女にとって本当に大切な友人の中の一人だ。

 僕は中学三年の時彼女と同じクラスになって、何度も何度も会話をした。その度に自分の事を伝えて、高坂さんの事を知って、お互いに互いを理解し合ったはずだ。その時間の積み重ねは無駄ではなかったと、そう思いたい。

 僕らの関係は『友達』だった。

 

 でも、南さんと交わした約束によってその関係は変わる。

 本来なら卒業式の日に僕との関係は『友達』から『親友の彼氏』に変化したはずだ。

 

 しかし、彼女は僕へと接する態度を変えなかった。

 この前は隣に南さんがいたせいで、少し距離感が掴めず困惑していたけれど、今日みたいに二人のときは前と同じように接してくれる。

 そこから分かることは一つ。

 

 

――きっと、彼女の中で僕との関係は変わっていない。

 

 

 今でも仲の良い『友達』のまま。

 

 それは彼女が幼いからなのだろう。

 男女の関係というものを、深く考えたことがないに違いない。

 

 だからこそ、僕は踏み込む。

 

 卑怯だって言われても構わない。

 もう、なりふり構ってなんか居られない!

 全部失うか、彼女を手に入れるのか。二つに一つだ。

 

 

 

「なんだか、高坂さんと二人きりだと緊張するよ」

 

 

 

 僕は本当の気持ちを利用して嘘をつく。

 真実でもって虚を生む。

 

 僕が彼女に抱く想いは本物だ。でも、今の言葉は汚い僕が紡ぐ嘘。それでも、声というものは発した人間の感情を相手へと伝える媒体で。

 僕の偽り無い心は素直に彼女へと届くだろう。

 

「そ、そう? どうしてだろうね? あ、あはは」

 

 朱を浮かべながら高坂さんは笑った。

 どう反応して良いのか分からないかのように無意味にクッションを抱き、ぎゅうと握りこむ。

 

 僕は強い手応えを感じていた。

 

 

 そろそろ……これくらいにしておいた方が良いか。

 

 

 その表情をみて僕はやっと溜飲がさがり、冷静な思考へと戻る。

 

「それにしても、色んな漫画があるんだね」

「う、うん! ユッキー……雪穂のも一緒に入れてる本棚だけどね」

「へぇ。少年漫画とかもあるんだ」

「そうだよ! そういえば前、持ってる漫画の話したよね。君も全巻揃えてるんだったっけ?」

「うん。面白いよね」

 

 いつもの話へと戻す。

 すると、彼女も次第にいつものペースに戻って行った。

 

――五分。

 今までと同じ漫画の話。

 

――十分。

 今までと同じ友達の話。

 

――十五分。

 今までと同じ家族の話、

 

「あはは! やっぱり君と話すのは楽しいね」

 

 僕は静かに頷いた。今日はこれでいい。

 今日はこれで……。

 

 しかし。

 

 

 

 

――二十分。

 今までと違う、南さんの話。

 

 

 

 

 彼女は何気なく零す。

 

 会話の流れなんて覚えちゃいない。

 何時もの通り高坂さんの出してくれた話題を面白く返していただけだろう。そして彼女も、いつもの様に自然に相槌を打っただけだろう。

 

 しかし、そのセリフがマズかった。

 

 

「ふふっ。面白いなっ。――ことりちゃんが羨ましい」

 

 

 僕のその言葉に対する反応は絶句だった。

 

「それは……」

 

 僕はゆっくりと前に体重を移す。小さな机を一つ挟んだ先に高坂さんの顔。僕は少しだけ強く、彼女の手を握った。華奢で、柔らかく、そして温かい手。

 

 

「それはどういう意味?」

 

 

 一気に脳内が沸騰し、冷静な判断を失う。

 捉えようによっては大きく意味が変わる言葉を紡がれて、僕は冷静さを失っていた。自制は聞かない。それほどまでに僕の精神は追い詰められていたし、同時に余裕もなくなっていた。

 無意識であろうとなかろうと、彼女が紡いだ言葉は僕の肯定だ。

 

 僕を彼氏とした南さんを羨む内容。

 

 

――それはつまり。

 

 

「い、痛いよ……、どうしたの?」

 

 困惑した声。

 少しだけ目に宿る怯えの色。

 

「どう……したの?」

「…………」

 

 僕はそんな彼女を目の当たりにしてやっと我に返った。

 ゆっくりと彼女の手を離し、力なく前に傾けていた身体を元に戻す。

 

「ごめん……」

「あ、うん。き、気にしてないよ? もしかしたら穂乃果が変なこと言っちゃたのかもしれないし……海未ちゃんにもよく怒られちゃうんだ。あはは……」

 

 優しい彼女のフォローの言葉。

 

「……」

「……」

 

 明るい部屋に暗い沈黙が満ちる。

 

 高坂さんは心配そうに僕の様子を伺っていた。

 理由も分からず詰め寄られて、それでも僕の事を理解しようとしてくれる。

 

 彼女の美点。彼女の輝き。

 

 でも、今の僕にとってはその優しさがどうしようもなく憎い。

 まだ可能性があるんだって思わせるその優しい瞳が!!

 

 いっそのこと嫌われてしまえば楽になるんじゃないか。

 

 

――今ここで襲ってしまえば。

 

 

 出来もしない事を考えて、想像して。罪悪感でボロボロになる心。

 そんな度胸があるなら正々堂々告白していただろう。傷つくことを恐れて、その結果他の誰かを傷つける事態になんて陥らなかったハズだ。

 

 

「穂乃果で良かったら相談にのるよ?」

 

 

 柔らかく響く高坂さんの声。

 

 意図せず拳に力がこもった。

 君に何を相談するって?

 相談したら解決してくれるのか?

 

 渦巻く苛立ちと八つ当たりでしかない感想を抱く。

 

「……高坂さん」

 

 叫びだしそうな自分自身を必死に押さえつけて、僕は絞りだすようにして彼女に向けて語りかける。とてもじゃないけれど高坂さんの目を見ることなんて出来ない。机の木目に視線を走らせながら強く膝に爪を立てた。

 

 

 なら、相談させて貰おうか。

 

 

 僕は――形振り構わず底なしの沼地を藻掻いて進む。

 

「お願いがあるんだ」

「…………?」

 

 僕は語りかける。

 優しい彼女に……囁きかけた。

 

 

 

 

 

 

 

 

「高坂さん、今度僕と二人きりで……」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 しかして彼は壊れゆく――了

 

 

 

 

 


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