学校はいい。幼年学校ということもあり、転生者組は子守を任されることが多いのだが、子供は可愛いし、何かを任されている時は充実しているものだ。
それにロリ母とペド父から離れていられるのも大きい。家にいると常識ってなんだっけと哲学的な問いかけをするぐらいに追い詰められる事があるのだ。
そんな訳で俺にとって学校とは聖域であり、唯一落ち着ける空間だったのである。……うん、すまない、過去形なんだ。
現在、俺はラディーネラボに拉致られています。
密室に巨乳美人と二人きりといえば、ご褒美のようにも感じられるが、実態は被験体と死神博士と言った関係である。本来の意味で腰が引けている。
「えっと……今日は現地語の勉強があったので、学校に戻りたいんですけど……」
迷宮都市では日本語以外にも、現地……というか迷宮都市外での公用語が使われている。もちろん俺にとって馴染みなどなく、幼年学校の授業ですら四苦八苦している状態なのだ。
逃げるための言い分でもあるが、結構まじなお願いだったりする。
「それならここにある学習装置を使うといい」
ラディーネさんが取り出したのは金色の細いサークレットだ。学習装置と聞いて、パッとゴテゴテしたヘルメットのようなものを思い浮かべたのだが、現実のほうが進んでいたようだ。しかし、学習装置とかファンタジー感は行方不明だ。いや今更か。
正直、勉強しなくてすむのなら、ものすごく興味はあるのだが……。
「人間で試したことが無いからな、丁度被験体が欲しかったんだ」
「地道に勉強します」
やめておこう。なんかこの装置が喋る家畜を作った元凶な気がする。
迷宮都市では喋る家畜が美味しい食肉になるために切磋琢磨しているのだが、小学校の職業見学がトラウマになっている人は地味に多い。
残念そうな顔をしているが、あっさりと学習装置を仕舞うあたり、本気で使うつもりはなかったんだろう。進学テスト時に被験体が確保できるから急いでないとかそういう理由ではない事を祈る。
「で、戻っても良いんですかね」
まず戻れないことは察しているが、足掻けるうちは足掻いておこう。
「いや、私の研究室に連れてきたのは迷宮都市の中でも上の方から指令が来たからだ。もちろん私個人としても興味がある話ではあるが、君に拒否権はないよ」
え? 思ってたよりでかい話になってないか? 上の方って……冒険者ギルドの最古参メンバー三人か、ダンジョンマスター。ああダンジョンマスターのパーティメンバーの可能性もあるか。そのぐらいしか思い浮かばないんだけど、どういう話になってるんだ?……人体実験の許可が出てるとかそういう事じゃないだろうな。
「もちろんご両親からも許可を得ている」
「ええー……」
自分の知らない所で、いつの間にかそんな話があったらしい。当事者なのに置いてけぼりにも程があるだろ。
「ふむ……ケンスケくんは、今自分が危険な状態にあるという事を理解しているかな?」
「危険? 認識阻害が効いてないっていう話ですよね? 知れないはずの情報を知ってしまったからには消させてもらうぞみたいな?」
「どこの悪役かね」
いや、なんか流行ってるようだったから。違うのか。認識阻害が効かなくて起きる危険なんて思いつくのはそれぐらいなんだけど。
「そもそもケンスケくんは、認識阻害とはなんだと思っているのかね」
「認識阻害とは? っていうと……情報を得る資格のある人とない人を分ける技術とか……そういう意味じゃないですよね」
「いや、そういう意味であっているよ。ただ一つ訂正するなら、認識阻害とは『技術』というよりは『システム』といったほうが実態に近い」
「んん? え? ちょ、ちょっと待ってください」
システムって、迷宮都市のって意味だよな。認識阻害の話なんだから統治形態とかそういう話じゃなく、もっと根本的な……。そう例えば、迷宮都市の『ゲーム的なシステム』とか。
「……え、俺レベルが上がらない可能性があるってことか?」
「もしくはレベルが上がっても身体機能に反映されないとか。可能性の話ではあるがね」
「なんてことだ……」
あまりな情報に思わず両手を地面について項垂れる。
冒険者にならないとはいえ、レベルを上げないのと、レベルが上がらないのとは雲泥の差だ。冒険者以外の人でも、トライアルダンジョンでレベルを上げたりしているのも鑑みれば、俺は一般人以下なのが確定してしまうという事でもある。
「まぁまだ可能性の話だ。もしかしたら全く問題が無いかもしれない」
……これって慰めてくれてるんですよね。あれだ、現金な話だが美人に慰められたら少し元気が出るよね。
それにラディーネさんのいうことももっともだ。まだレベル関係で不具合が出ると決まったわけじゃない。それに月初のバグ修正で治るかもしれない。
「そこで、君の体が実際の所がどうなっているのかを検証する為に人を呼んでいるんだ」
「どーもーダンジョンマスターこと杵築新吾です」
「え?」
出待ちしていたのかというほどにタイミングよく……というか出待ちしてたんだろうな。ダンジョンマスターという名乗りが本当なら、目の前にいる中肉中背のどこにでもいそうな日本人で、たったいま漫才師のように扉を開けて入ってきた彼がこの迷宮都市の中心人物ということになる。す、すごいあっさり出てきたぞ。
読んで知っていてはいたけど、本当に普通の日本人にしか見えないな。このファンタジー世界だと逆に違和感しかない。
「ん、やっぱり認識阻害が効いてないんだね。俺のこと見えちゃってるし」
「!」
ダンジョンマスターがそういうと、ラディーネさんが目を見開いた。認識阻害でさっきまで見えてなかったとか? 流石公式チートキャラ。
知識では知っていた、いや、知ったつもりになっていたけど、こうしてこの世界の一般常識を知ったあとだと非常識さがよく分かる。
「で、ケンスケくんは何で俺のこと知ってるのかな?」
……いやぁ。あの一瞬でソレを見抜いてくるのか。チートも大概にしろ。っていうか息しづらいんですけどこんな子供に叩きつけていいプレッシャーじゃないんじゃないですかね。まじ勘弁。
「迷宮都市で過ごしてる人間なら、ダンジョンマスターの事は聞いてますよ。……っ!」
原作知識については話す気がないので、とりあえず誤魔化そうとしてみたのだが、更にプレッシャーが強まった。一瞬だけど呼吸が詰まったぞ。この世界に生まれてから一番命の危機を感じてる気がする。
「街で、歩いてるのを、見かけたんで」
「嘘だね」
はい、嘘です。しかし洗いざらいぶちまける気もない。もう呼吸が難しくなってるが、それでもだ。
一番怖いのは、この原作知識がダンジョンマスターを絶望させる可能性があるという事だ。へーとかふーんとかで終われば良い。だけど、まだ1000階層にも行ってない状態のダンジョンマスターに、この話はできない。
だってさ、ダンジョンマスターが魂を擦り減らしてきた時間が、物語を盛り上げる為の要素だなんて言われたら、ふざけるなってもんだろう。万が一ダンジョンマスターがキレたら世界が滅びるレベルだ。
……しかし、ここまで敵意を向けられるのはなんだろうね。100階層より上の権限を持ってると思われてるとか? だから認識阻害が効かないんだとか、いやいやまさか。
ダンジョンマスターも俺が迷宮都市で生まれたことぐらい知ってるだろう。この人の事だから調べてるはずだ。それで転生者であることも知ってるだろうけど……転生者?
「俺……前世が日本人……ぐっ、で、あなたを見たことがあるんです……よ、ぷはぁ……! はぁはぁ、ゲホっ」
「……嘘はついてないね」
言い終わったら、プレッシャーが和らいだ。どうやら正解だったようだ。
嘘を許さないとか、そのぐらいのつもりでのプレッシャーだったのだろうか。もしかすると今のダンジョンマスターの発言から嘘を見破るスキルでも発動していて、そのプレッシャーなのかもしれない。
真相は不明だけど、この答えなら原作知識にも触れないし、嘘もついていない。
「問い詰めちゃって悪かったよ。そうか、前世は僕の知り合いだったのかな?」
「あー……こんな人がいるとか、名前は知ってましたけど、顔を見るのは初めてですね」
……いやー! この人逃がしてくれない気だわ! 目が笑ってないよ!
心の中で絶叫しながら、なんとか嘘ではない返答をする。三歳児に大人気なくないですかね!
「へー……」
「あ、あはは」
こわいよーこわいよー。どうしてこんなことに……。蛇に睨まれた蛙の気持ちを、今なら共感できる。
なんとか脱出できないかと、視界に入ったラディーネさんに視線を送ってみる。その視線に気づいてくれたラディーネさんが、任せろといった風に頷いてくれた。
「ダンジョンマスター、そろそろ」
「おっと、そうだった、ケンスケくんのシステム周りの検証だったね。わ、忘れてなんかないんだからねっ!」
「ツンデレ乙」
ツンデレ乙、ってラディーネさん、そういうテンプレ返答もしてくれるんですね。案外ノリいいな。しっかりフォローしてくれたあたり、落ち着いた大人って感じだ。
ラディーネさんが話を変えてくれたおかげで、とりあえずの窮地は脱した。問題の先延ばしにしかならないかもしれないけれど、まぁまた問いつめられたらその時はその時だ。
ラディーネさんに心の中で感謝していると、ダンジョンマスターがシステム周りの検証をすすめるためか、俺に視線を合わせる為に目の前にしゃがんで来た。
「じゃあダンジョン行こうか」
ケンスケはにげだした。
しかしまわりこまれてしまった。
「なんでダンジョンに行く話になるんだー!」
「ほら、実際にレベルあげたりスキル手に入れるなら、ダンジョンに行くのが手っ取り早いからさ」
いつの間にやら肩に担がれて、景色が高速で流れ始めている。……どう見てもダンジョンマスターは歩いてるし、俺も歩きの振動しか感じてないのにどうなってんだ。ラディーネさん置いてきてるし。
「いーやーだー! 誰か助けてー!」
「あはは、認識阻害がかかってるから無駄無駄無駄ぁ!」
「っていうかラディーネさん置いてきてますけど、良いんですか!?」
「まぁまぁ、折角の日本人同士なんだし水入らずで交流しようじゃないか」
あかん。何言っても止まりそうにない。
死んだ魚の目になった俺は、道中で「うごぉ」といううめき声と同時に、ダンジョンマスターの反対側の肩にハーフエルフの女児が増えたことに気付かなかった。
キャラ崩壊と設定破綻がとても心配。
次回、ダンジョン探索。やります。