東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、萃夢想天です。

今年の春季例大祭には蔓延していたはしか感染を畏れ不参加、
満を持しての秋季例大祭は直前でトラブルに遭い御流れに、というように
今年は本当に東方の作品に触れる機会が少なかった影響でしょうか。
頭の中で構成ができていても、文字に起こすことができずに試行錯誤を続けて
早十一月。読者の皆様には、多大なるご迷惑をおかけいたしました。

というわけで、ここで私は後に退けないよう宣言いたします。

今年中にこの作品の現在の章、~幻想『緑環紫録』~を終わらせます!
残すところあと数話ですので、他の連載作品を放り投げてひた走る所存です!
どうか皆様、最後までお付き合いくださいませ!


それでは半年ぶりに、どうぞ!





第九十話「緑の道、縁路の始点に通ず」

 

 

 

 

 

広く________________。

 

 

広く________________。

 

 

広く________________。

 

 

 

どこまでも続くその光景にはまるで終わりというものが存在しえないようで、ほんの少しと手を

伸ばしてみても薄ぼやけた視界の端までには遠く及ばない。ただただ広大な空間に浮かび漂う。

 

ふと、そこで彼は目を覚ました。不意に意識が覚醒した事で、彼の演算機構に多くの情報が堰を

切ったように流れ込んでいくが、その一つ一つを迅速に、しかし見落としなく適切に処理を行う。

 

現在のところ目立った破損個所はなく、また自己分析を並行して行い記憶領域にある情報の欠落

という重大な欠陥も見られないため、一先ず状況の把握に努めようと彼は状況の確認を開始した。

 

 

そこは何も無い空間である。

 

 

まさに何も無い。これは物質的な意味合いでのものであって、光源らしきものは幾つか確認が

できた。規則性を持たず風も無いのに風に揺られるような挙動で、周囲を明るく照らしている。

薄ぼやけた視界ではその程度の情報しか獲得できていないが、彼が体内に有する各センサー類も

反応を示さない事から、有機物及び無機物の存在が此処には無いという事実も証明されていた。

 

何処まで行っても『無』一色の空間で独り、顔を布で隠した緑髪の青年は正しく認識する。

 

 

「よし、成功した」

 

 

色彩の見受けられない空間を唯一彩る青年____________八雲 縁は人知れず胸を撫で下ろす。

 

彼はこの場所が何なのかを知っていた。厳密に言えば知っていたわけではなく、彼が自身の目で

見たのも初めてな此処を、何の為の場であるかという答え(・・)をしっかりと理解していたのだ。

 

重力は感じられず、風も流れる事はなく、ただそこに浮かび続けるだけの不可思議な空間こそ。

この場こそ、数時間前に縁自身が求めた場所であり、今なおそこへ向かっている最中であった。

 

 

「此処へ入ってどれほどの時が経ったのか…………だが、進まなくては」

 

 

誰に聞かせるわけでもなく、自分自身への指令のように言い聞かせる彼は視線を彷徨わせる。

 

どこもかしこも薄暗く、たまにやんわりと発光する光源ばかりを見かけるだけの空間の隅々を

見渡そうとするものの、やはり他と違った物など見当たらず、ただ広がるのみの空虚な場所だ。

彼の今の行いを例えるのなら、『真っ青な湖に落とした水晶玉を拾う』ようなものだろうか。

 

姿が見えないものを延々と探し続ける、と言い変えるべきか。とにかく苦行であることには

変わりなく、時の進み具合も正確に測れないこの場での活動は、精神への負担が非情に大きい。

果てがあるのかすらも分からない場所で孤立する彼は、ただ使命感だけを頼りに探し続ける。

 

 

「何処だ、いったい何処に居る」

 

 

焦燥を隠せない挙動で明るくも暗くもない非常識な空間を、掻き分けるように進み探索する。

浮かんでは消え、消えては浮かんでを繰り返す光源に接近し、目的の存在が確認できるまで

ひたすらに周囲を見回す。人の形をした兵器たる彼は、此処で何を探しているというのか。

 

 

答えは、自分自身(・・・・)である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ここで、八雲 縁という人物のこれまでの経緯を振り返る事としよう。

 

 

 

 

まず肝心なのは、この青年。

姓を八雲、名を縁と与えられた彼が、何者なのか。

 

彼は忘れ去られたものたちが流れ着く終着駅こと『幻想郷』と呼ばれる世界の住人となった、

人間の形をした機械。より厳密にいえば、中身を機械に改造された元人間、という存在だ。

 

外見は若草色で逆立った短髪に深みある青系統の古びた着物、といった古風な出で立ちだが、

顔は「縁」と書かれた布で覆い隠し、あまつさえ腰には朽ちかけの太刀を引っ提げている。

足の甲部分だけが露出したようなブーツもどきを履き、表情が見えぬ分怪しさも抜群な姿の

青年は、見た目のみならず彼自身が発する雰囲気もまたどこか機械的で独特なものである。

 

彼は元々この幻想郷にいた住人ではなく、外界と幻想郷とを隔てる博麗大結界の外側から

やって来た、いわゆる「外来人」と呼ばれる者の一人。他にも外来人は複数確認されていて、

しかしその多くは幻想郷に移住して定着し、それぞれが日々を悠々自適に謳歌している。

縁もまたその内の一人であるのだが、彼だけは他の者達とは大きく事情が異なっていた。

多くが外界で忘れ去られたか、大結界の綻びに乗じて飛び込んでくるかの二通りの方法で

幻想入りを果たすものであるのに対し、縁だけは幻想郷を管理する賢者に招かれているのだ。

 

彼を幻想郷へ招き入れた人物こそ、今の彼の主人である妖怪の賢者こと八雲 紫である。

 

幻想郷の繁栄と調和を責務とする妖怪の賢者たる彼女は、外の世界の何処かにいたという

青年をその身が有する『程度の能力』によって、忘れ去られし楽園へと引き込んだ。

これまでの彼の経歴の一切を抹消して、彼に新たな名を与え、衣服や顔を隠す布を授け、

さらには優雅に扇子を振るう彼女に似つかわしくない古びた太刀と小太刀を預けた。

 

以降、青年は与えられた八雲 縁を名乗りながら紫を主と仰ぎ、一身の忠誠を捧げると共に

彼女の命令を遂行するべく活動を開始する。ここまでが、八雲 縁の幻想郷での過去だ。

これより先は語るべくもない。紅き狩人を主の命令で迎え入れ、その成り行きを密かに

記録しながら見守っていた。吸血鬼一党の勢力に加わった時点まで、監視を続けていた。

 

紅き狩人が起こした『異変』の顛末を見届けた後、彼は主人の命令に従い博麗神社へと

赴く。何故そのタイミングだったのかというと、博麗の巫女と面識が全くない縁が突然に

神社へ現れ、「中を調べさせてほしい」と頼んだところで取り合ってもらえないと判断した

ためである。なので巫女である博麗 霊夢が異変解決に出払った隙を窺った次第であった。

 

紫から言伝られた内容は、「博麗神社に設置された“要石〟を調査せよ」との事。

実は博麗神社は一度倒壊させられており、その犯人である天人の比那名居(ひなない) 天子(てんし)が起こした

とある異変を解決した折、お詫びの意味を込めて神社の再建と件の要石を安置したという。

この要石はいわゆる霊石であり、地震の被害から免れるなどのかなり大規模な加護が石に

込められているらしいのだが、紫はただそれだけではないだろうと目を光らせていたのだ。

 

本来なら紫自身が赴き調査すべき問題なのだが、妖怪の賢者であり己の責務を果たそうと

する紫と、穢れなき高位の者たれとされる世界から放蕩する堕落者の天子は馬が合わない。

正反対ともいうべき両者は互いを毛嫌いしており、紫は自分が要石に不用意に近付く事で

天子に自身の思惑を悟らせてしまうのでは、と最大限に警戒を敷いていた。

故に彼女は自らの『道具』となった縁を要石の調査へと向かわせたのだった。

 

 

主人からの命により博麗神社へ向かった縁は、その場にいた伊吹 萃香や東風谷 早苗との

予期せぬ遭遇というアクシデントはあったものの、見事神社内の要石の調査を遂行する。

結果は、紫が危惧していたような妙な仕掛けや呪いの類は検知されず、本当に地割れ除けの

加護が付与されているだけの安全な霊石だったという、何ともあっけないものだった。

 

調査を終えた縁は主人に報告をしようとするが、合縁奇縁何とやら。早苗に連れていかれた

妖怪の山でひと悶着を起こし、挙句に謂れのない騒動に巻き込まれかけた所をどうにか

切り抜ける。その後、偶然出会った氷の妖精チルノと成り行きで【弾幕ごっこ】を開始。

幻想郷最弱と軽んじられていたチルノに敗北を喫し、体内の機械部品の一部が凍結した事で

機能を強制的に停止して倒れたところを、命蓮寺の門徒たちに発見され回収される。

 

この強制的な機能の停止状態がかなりの期間続き、その間の彼自身に記憶は一切ない。

凍り付いた彼の扱いに困った命蓮寺の村紗 水蜜とナズーリンの二人は、幻想郷でもその名が

知られた『香霖堂』という古具店に彼を押し付けることにした。店主の森近 霖之助は急に

持ち込まれた彼がほぼ機械で出来た人間であると知り、かつ道具としての彼の用途を知った

ためにナズーリンと共に、機械に強い河童の生息する妖怪の山へ彼を運び込んだ。

 

持ち込まれた縁に興味を抱いた河童の河城 にとりは見事に凍結の影響でエラーを起こした

機械部分を修繕し終えると同時に、突然現れた影のような存在に自身の影を奪われ気を失う。

直後に再起動を終えた縁は自分の状態と状況をすぐさま把握し、調査結果を報告することが

第一であると優先順位を決定してから、彼自身が有する『程度の能力』で主の元へ帰参した。

その際、にとりを取り込んだ謎の影が彼自身の影に飛び込んだ事に気付く者はいなかったが。

 

 

そしてここから、八雲 縁という存在が根底から揺らぎ始める事態が起こり始める。

 

主人である紫が住まう八雲邸へ戻り報告を済ませた縁は、そこでようやく自分の影の中に何か

異様な存在が身を潜めていることに気付く。どう対処したものかと思考を巡らせ、彼が有する

【全てを(つな)げる程度の能力】を応用して相手の存在を網羅しようとした瞬間、逆にその能力を

利用され内部に侵入される。以降、彼は自分に与えられた主人の道具という役割を放棄して

幻想郷の各地に出没。行く先々で力持つ存在と戦い、一人ずつ影に取り込んでいくのだった。

 

充分に影を取り込んだ縁はとある目的を果たすべく人里へ出現。その時偶然居合わせただけの

秦 こころと弾幕ごっこをする事となり、実力者相手に引けを取らない縁が予想外にも敗北。

縁を捜索していた紫とその式の藍も戦闘の気配を察知して現れ、同じく人里での弾幕ごっこを

見物しに来た霧雨 魔理沙に行方が知れなくなった神の一柱を探す早苗らが一堂に会した。

全員が縁を対象とした共闘態勢に移ろうとしたその時、彼が自ら幻想郷へ招き入れた少年が

新たに戦列に加わり、とある理由で縁を探していたのだと語り聞かされる。

 

その直後、縁の影に潜り込んでいた『ナニカ』が暴走状態となり、彼を止めようと息巻いていた

幻想郷の実力者たちのみならず、無関係の人里の人間たちにまで予期せぬ猛威を振るい始めた。

人里に住まう人間たちの影を片っ端から奪い、それだけに止まらず家屋などの影も奪いだした

ことで影の無くなった建物は倒壊し、わずかな合間に里は阿鼻叫喚の地獄絵図の様相を呈する。

この異常事態を引き起こした『ナニカ』はついに縁までも完全に取り込もうと暴走を続け、

それを逸早く察した紫が影の群れの中心から縁を奪還し、藍に全てを託してスキマへ消えた。

 

 

ここからは多くを語る必要もないだろう。

 

紫に救出されたはずの縁は何故か見覚えのない場所で意識を取り戻し、そこがかつて栄えていた

京の都、平安京であると知り、さらにはその時代に幼い頃の紫と未来の己自身の姿を見つける。

自分の知らぬ自分の存在と明らかに幼子の見た目をした主人を目撃した縁は、過去の世界へと

迷い込んでしまったのではと考え、存在を感知されない事を逆手に取り彼女らの後を追った。

 

妖怪の基準ではあったが微睡みを覚えるような緩やかな日常を送る様を見続けていた縁は、

ある日唐突に認識できないはずの自分に、その時代にいる未来の自分自身から語り掛けられる。

曰く、「今日この日、未来の己は死を迎えるのだ」と。急展開に次ぐ急展開、流石の縁も事態の

把握に時間を要したが、気を失う前まで主君を裏切っていた事実に苛まれて戸惑っていた。

 

縁は自分自身の肉体が機械で構成されていることを正しく理解し、主人である紫から道具として

重宝されているということも認識できていた。扱いに不満があったなどというわけもなく、

まして他の誰かに降ることなど考慮にすら値しない。では、何故彼は主の手を離れたのか。

その全ての答えの鍵は、彼の影の中へと潜り込んだ存在__________影アソビであった。

 

 

影アソビとは、端的に言えば「人の遊びの中に紛れ潜み、数を増やす妖怪」の一種である。

その中でもこの影のアソビは『影』にまつわる遊びに寄生する妖怪であり、その特性が影響した

為か自身を含めたありとあらゆる影に干渉する能力を会得し、自己を強化するべく力を揮った。

いや、自己を強化するという目的よりも、影アソビに取り込まれた無数の意思に導かれるままに

能力を活用した、という方が的を射ているのかもしれない。

 

この影アソビ自体は単なる矮小な妖怪なのだが、アソビが封印されていた付近は野良妖怪の

狩場のような場所になっていたらしく、人里から迷い出た人間の多くが其処で食い殺されていた。

大人もそうだが、何より年端もいかぬ幼子がその大半を占めていたのが、逆に仇と化したのか。

理不尽な死に直面した幼子たちの「帰りたい」という純真な想いと、「死にたくない」という

生物として至極真っ当な生存欲求とが混じり合い、強い呪いを帯びてアソビに力を与えてしまう。

封印されてはいたものの、あまりに多くの呪いが内にいたアソビを眠りから目覚めさせ、死体や

死にかけの体から影を奪い取り、怨念と懇願が内包された歪な存在へと変性してしまった。

 

子どもたちの「帰りたい」という願いと「死にたくない」という想い、それが影アソビに大きな

力を与えたことで封印を内側から壊して蘇った。蘇ってすぐ、アソビは付近で話をする声を捉え

足を向ける。そこにいたのは、銀色の髪を揺らす少年と、緑色の短髪を逆立てた青年だった。

ここで影アソビと縁が出会い、縁の持つ程度の能力を知り、その力を使えばアソビの中にいる

多くの子どもたちは願いが叶えられると喜び、以降彼の足取りを追うように幻想郷を闊歩する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ここまでが、物語として紡がれてきた『八雲 縁』という人物についてのすべてだ。

 

ではここから先は、幻想郷へ訪れるよりも前___________ただの人形であった彼を語ろう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 広大でありながら仄暗く、薄ら灯る光源を頼りに周囲を見回す縁は、ふと視線を一点に止める。

僅かな思考の中で逡巡した後に目撃したものが見間違いではないと結論付け、釘付けになっていた

視線の先へと進んでいき、そこにふわふわと浮かび漂っているものがある事を確認し、頷いた。

 

 

「間違いない。コレが私から失われていた、以前の『私』としての記録………いや、記憶か」

 

 

球体のように見えてはいるが、実際は物質としてそこに在るのではないと気付いた縁は、それが

この空間のどこかにあると主人から伝えられていたかつての自身の記憶ではないかと推察する。

自分か主たる紫に招かれて幻想郷へ足を踏み入れるより以前の、八雲 縁となる前の記憶。

今の自分は主人の為の物でありながら身勝手に使用者の手を離れ、主人が愛し見守る幻想の郷を

未曽有の大混乱へと陥れた罪深き者。決して心を抱いてはいけなかった、不安定な人形モドキ。

彼は己の活動を永久に停止する事で主人への贖罪と考え実行に移そうとしたのだが、手にしていた

小太刀で心臓を貫こうと刃を突き立てる寸前で阻止され、無様に生き恥を晒して此処へ来た。

 

主人が意のままに扱うべく存在していたはずの己が、己が身を委ねるべき主の手を独りでに離れる

ばかりか、多くの幻想が流れ着く最後の楽園たる幻想郷に予期せぬとはいえ実害を及ぼしている。

もはや自分が生存し活動を続けていても、主は楽園の管理者の一員としての立場を重んじなければ

ならない以上、どれだけ愛着を持つ道具であろうと、見せしめとして処断しなければならない。

過去の一端を見せられた縁にとっては、自惚れではなく本気で自分を失う事を主が恐れていると

理解している。罪の意識に苛まれていようと、主を心から心配している気持ちは嘘ではなく。

 

ここで縁は、紫の【スキマを操る程度の能力】と自身の能力を活用する策を思い至った。

 

策を実現させるために必要な事は、八雲 縁が失っている自身に関する記憶を取り戻す事。

そしてもう一つは、その取り戻した記憶と幻想郷に移り住んでから得た記憶の全てを譲渡する事。

まずは記憶を取り戻すことが先決であるとして、手に触れた記憶の塊らしきものへ意識を向けた。

 

 

「コレは____________________」

 

 

どろりとした液体がゆっくり流し込まれるような感覚を覚えながら、今まで自分の記憶中枢には

存在しなかった記録映像が徐々に浮かび上がる。そこに見えるのは、怪しげな雰囲気の小部屋。

 

何らかの台の上に載せられているのだろうか。こちらに顔を近づけて覗き込んでいる人物が居る

のだが、天井から吊るされている強い光が逆光となって輪郭がおぼろげに見える程度だ。

いやに耳下に響く粘着質な声色の男の声と、それに続くように狂気を孕んだ笑い声が聴覚を擽る。

 

 

『ヒヒヒ、しかし少佐殿。これからという時に、思わぬ収穫ですな』

 

『あぁ、まったくだ。降って湧いた様な幸運だ。これほどの幸運を味わったのは実に久しい。

第二次大戦中、閣下の命令で行っていた研究を知ったソ連軍に研究所ごと木っ端微塵にされて

なお、上半身のみで瓦礫の下から這いずり、泥を啜って救援を待っていた時以来だな』

 

『流石は少佐殿。並の軍人であれば死んでいる衝撃も、その皮下脂肪で耐えられたのですね』

 

『馬鹿を言え。コレは有事の際の貯蓄だ。この皮下貯蓄があればこその生還だったのだ』

 

 

どうやらこの時の自身の肉体は相当危険な状態だったようで、身体機能のほとんどがまともに

機能していないどころか、心拍すら停止しかけている。そんな中でも声のやりとりは続く。

 

 

『話が逸れたがドク、コレを生かして兵器運用させることは可能だな?』

 

『もちろんです。いつぞやの貴方のように、内側を丸ごと機械化しての延命処置を行います』

 

『ほう、私が誇る唯一無二の個性が被ってしまうのか。だが構わん。好きにやれ』

 

『感謝いたします。これだけの上質な肉体………どう弄ぼうか楽しみで仕方ありません』

 

 

強い光ではあってもしばらく浴びせられ続ければ視覚も慣れたのか、少しだけだが顔の輪郭や

ある程度の目鼻立ちが見て取れるようになってきた。けれど、重要なのは外見的情報ではない。

金髪の五分わけ髪で痩せこけているうえ異様にレンズが多い眼鏡をかけた色黒の男ともう一人、

前髪の全てを中央から左側へ寄せる髪型に健康的とは程遠く肥え太った色白の男が見えた。

その二人は一様に、どこか清廉でありながらも混沌たる狂気に染まったような笑みを浮かべる。

 

彼らの断片的な会話から推察するに、縁は此処で人体改造を施され機械化させられたのだろう。

実際にそう話しているし、視界の端には手術用とは異なる器具が幾つか用意されているのも

確認できた。これからこの体にあれらが入り込み、無作法に弄り回していくと思うと気が滅入る。

そう思って改造手術を待っていると、ふいに少佐と呼ばれていた男が寝かされている縁の頭の

上側、つまり視界に入らない頭部よりも上の方へ視線を向けながら、口を開き言葉を投げかけた。

 

 

『楽しみだ。実に、実に楽しみだ。君もそう思うだろう、Herr(ミスター)Gehirn(ブレイン)?』

 

『……………ドイツ語の言い回しは好きじゃない。呼ぶなら普通に名を呼べ、少佐』

 

『そいつは済まなかった。君は脳が好きだと言っていたから、気に入ってもらえるかと。

ん? いや、生きたまま脳を弄って悲鳴を上げさせるのが好き、だったか? いや、両方かね?』

 

『………僕の研究を嗤い、悪用しようとした奴らに後悔させる為にやっただけだ。他意はない』

 

『隠す必要はないとも。ルヴィク、君は私ととても似ている。私が戦争というものを自在に操る

楽団の指揮者ならば、君は人間の脳から全てを支配する劇団の指揮者であるのだろう』

 

『……………支配に興味は無い。僕は、僕の為にSTEMを完成させようとしている。それだけだ』

 

『謙遜かね? いや大いに結構。私は戦争が大好きだが、君は脳内に世界を作るのが好きなのか』

 

 

少佐が随分と饒舌に、愉快そうに話をするのとは対照的に、ルヴィクと呼ばれた人物からの

反応はいまいち芳しくないようだ。まるで地獄の窯の底から響いてくるような低音の声が続く。

 

 

『………とにかく、僕はそろそろ戻らせてもらう。得られるものは充分にあった』

 

『我々も感謝に尽きないよルヴィク。今ここに横たわっているコレこそが、生きる土地も時代も

異なる我々を巡り合わせてくれた! 信じられるかね? 時空の一部を結合させての邂逅だ!』

 

『………脳の研究を長く続けてきた僕にとっても未知の素材だ、出来れば手放したくなかったが。

今回のように対策も取れないままに時空を超えて過去と未来が繋がる事態なぞ、手に負えない』

 

『手に負えない代物を、君から見れば過去の時代に生きる我々相手に不法投棄する気かね?

だが我々にとっては垂涎物だ! この素体もだが、何より君と出会えた事が最大の有益なのだ!』

 

『………戦争屋、か。お前の脳内の快楽中枢は、この手で調べるまでもなく異常をきたしている』

 

『案ずるなルヴィク。脳内に描いた世界を現実と置き換えようとする君もまた、狂気の沙汰だ』

 

 

はっはっは、と分厚い頬肉を揺らしながら快活に笑う少佐。細々とした話し方で枯れ果てそうな

声を紡いでいたルヴィクは、どうやらこの部屋を出ていくらしく、靴音がゆっくりと遠ざかる。

そのまま靴音は止まることなく進んでいき、やがて完全に聞こえない距離まで離れてしまった。

彼がいなくなるのを待っていたのか、またも粘着質な声色(ドクとやらの声と思われる)が響く。

 

 

『少佐殿、よろしいので? 彼の話していたことが真実であれば、少佐殿の願望が叶うのでは?』

 

『…………確かに、あのルヴィクが言っていた通り、脳内に戦場を思い描けばそれが現実の世界へ

置き換わる装置を使用したならば、私は無限にありとあらゆる戦争行為を堪能できるだろう』

 

『では、何故?』

 

『分からんのか? 血も涙も流せない、絶頂すら解放できない身となった私でも心は未だ人間。

そう、人間なのだ。私は戦争が好きで、戦争が好きで、戦争が大好きなだけの人間であるのだ。

身も心も怪物であったのなら、妄想と現実の狭間のような空間の戦場で盛るのも吝かではないが

あくまで私は人間でありたいのだよ。妄想の中の戦場で果て続ける、それは自慰と何が違う?』

 

『ああ、成程。少佐殿は生を謳歌しようとしておられるのですね? 人間として』

 

『そうとも。〝奴〟は死の中で踊り続けている怪物。私は人として〝奴〟に勝ちたいのだ』

 

『大好きな、戦争で?』

 

『そうだとも。私が愛してやまない戦争で。あの懐かしの戦場で。怪物を討ち果たす夢を見る。

夢とは覚めて消えゆくもの。妄想とは似て非なるものだ。夢は妄想と違い、叶えられる』

 

『楽しみですな』

 

『実に楽しみだ。さぁドク、そこの素体を完璧に仕上げろ。伊達男(トバルカイン)が〝奴〟を足止めしている

僅かな時間で、それを完璧な兵器にしてみせろ。決定打を打つのはシュレディンガー少尉だが

何事も保険というのは必要だろう? 私が夕飯の牛ステーキを食べ終わるまでに頼んだぞ』

 

『お任せください少佐殿。しかし、先程「小腹が空いた」とハクセを食べられたばかりでは?』

 

『何度も言ったろう? デブは一食でも抜こうものなら、たちまち餓死する生き物だと』

 

 

二人の男の笑い声と共に光が強まっていき、そこから先は何も見えず感じもしない静寂が続く。

やがてその光景を外側から鑑賞していた(・・・・・・・・・・)縁は、今の記録映像が自身の記憶領域へ保存された事を

確認すると、先程まで視ていた自分自身の過去の状況を俯瞰した立場で冷静に考察する。

 

 

「映像が浮かぶ不可思議な球に触れてからしばらく、私は『この私』と『あの場に居た私』の

二つの視点を同時に閲覧していた、のか? 察するに私の体がこうなった元凶のようだったが」

 

 

防犯カメラの映像を見るように記憶を閲覧していた自分と、映像の中の一人物としての視点で

映像を直接体験していた自分との線引きがあやふやになりかけたが、答えの一端を縁は掴んだ。

 

 

「あの二人組が使用していた言語はドイツ語だったが、手術台の上に居た私の死角に立っていた

白いフード付きコートを着ていた男のドイツ語には妙な訛りがあった。英語圏の人間なのか?」

 

 

記憶の中で自分を機械兵器へ転用しようとしていた二人の口調と、白フードの男の口調がやけに

目立つ違いがある事に気付いた縁だったが、本当に注目すべき言葉があった事に焦点を当てる。

 

 

「少佐と呼ばれた男の言っていた、『時空の一部を結合させた邂逅』という言葉を額面通りに

受け取るのなら。この時点での私は、今の私にも困難な時空間の長距離結合を成功させた事に

他ならない。逆説的に考えると、かつての私にできたことが現在は不可能になっている、のか」

 

 

彼の言葉の通り、先程の映像記憶を見る限りでは実際に行ったのだろう事が分かる。大きく異なる

二つ以上の時間と空間を結び付けて留めるという荒業をやってのけ、そしてドイツ軍人と思しき

先の二人組に改造された結果なのかどうかまでは不明だが、それ以降能力の上限が下降している。

縁が主人と出会う前の自分自身を見つけ出す、との前提条件はクリアできているのだが、閲覧した

映像記憶の時間の己と出会ったところで改造処置を施された後では、基本スペックは変わらない。

であれば、必然的にこの時間よりもさらに前。この少佐とルヴィクという男たちを自身の能力で

引き合わせてしまうよりも以前の時間に居る自分を見つけ出さなくてはならない、ということだ。

 

能力が暴走したのか上限が想像の範疇を超えているのか、これほどの長距離間の結合を自意識が

無い状態で行えた機械化前の能力が異常なのか。予想はつけども予測はまるで追いつかない。

そして再び仄暗い薄明の空間の中を当てもなく捜索し始めてしばらく、縁はついに辿り着いた。

 

 

「コレで間違いない。ああ、私自身も初めて見る。これが、生前の私ということか」

 

 

僅かな光に照らされながら浮かぶ記憶の球を眺め、縁はこれこそが探していたものと確信する。

 

 

そこに映り込んでいるのは、どこか遠い世界の片隅。誰の気にも留まらない程の小さな戦場。

時折視界の端を飛ぶマズルフラッシュと硝煙が、未だ以て終わりの兆しの見えない鉄の雨降る

異界の現実を陰鬱と物語る。それはきっとどこにでもあった、外の世界の何処かの紛争地帯。

 

土埃と血飛沫が絶え間なく噴き上がるその場所で一人、明らかに異質なモノが立っていた。

 

数々の傷を体に刻みながらも歩みを止めず、鉄火飛び交う渦中においてその瞳に光は無く。

雄叫びを上げながら果敢に挑む味方も、唸り声を発して迫る敵を撃ち抜く相手も意に介さず。

少年と呼べるようになり始めた頃の肉体ではあまりに重たい銃火器を携え、彷徨う一人の子。

 

 

「これが、彼が____________私の原点か」

 

 




いかがだったでしょうか?

ハーメルンさんのサイトで原稿の途中保存が出来るようになってから、
昔みたいに「保存できないから再起動で消える前に書き切らねば!」という
ある種の締め切りに追われるような焦りが消えたせいか、執筆が遅れますね。

さて、前書きにも書いた通り、この作品を連続更新して現在の章をとにかく
年内に終わらせるという目標を立てました。この目標を達成しない、できない
などという甘えた戯言は一切口にしないと誓います。これは決意表明です!

どうか連載開始からこの作品を楽しんでいただいている読者の皆々様方、
作者共々走り続けるこの作品を応援していただけますよう、お願いいたします!


それでは次回、東方紅緑譚


第九十壱話「緑の道、我思う故に我在り」


ご意見ご感想、並びに質問など大募集しております!

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