東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、冬の寒さに胃腸の働きが芳しくない萃夢想天です。
自室の冷暖房にはあまり頼りたくないが、しかし寒さに勝てず……。

実は先日から、この作品の全話数とタイトル一覧での話数の違いが
気になっていたのですが、改めて見たら壱話分だけずれていました。
まさか十七話が二つあったなんて………それに今まで気づけなかったなんて(恥
速攻修正いたしましたが、ここまで羞恥に染まったのは久々ですよ。


さて、思えば随分と長くなってしまった紅夜の【魔人死臨】の章ですが、
いよいよ以て終わりが見えてまいりました。残すところあと数話予定です。
もちろん予想外に長引く可能性もありますが、近々第三章完結となります。
次は縁のルートか………彼視点でのストーリーを描いたのがかなり前なので、
もしかしたらそちらでもグダる可能性がありますが、ご容赦ください!


長くなってすみません。本編に移りましょう!


それでは、どうぞ!





第六十伍話「紅き夜、想い想われる日(前編)」

 

 

 

 

 

たった一か月程度の時間を過ごしただけでも、随分と懐かしさを感じる一面の赤色。

窓やその他の一部分くらいしか赤以外の色がないこの場所に、僕はまた帰ってきてしまった。

 

ここは霧深いの湖に建てられた、吸血鬼が実権を握る洋館の一階にあるホール。

視線を向ける先には赤以外の色が見受けられない場所に、館の住人たちが集まっている。

館の当主姉妹はもちろん、大図書館から滅多に出てこない魔女やその使い魔兼司書も、

目も冴えるような色合いをしたこの館を守るためにある門番も、主君に使えるメイド長も。

 

そしてこの場にいる者は、僕を除けば誰しもがその顔に喜びからくる笑みを浮かべていた。

 

 

「紅夜さぁーーん‼ 良がった! 本当によがっだでずぅ‼」

 

「こあさん………涙で顔がすごいことになってますよ……」

 

「紅夜さんが帰ってくるって、信じで、待っでまじだ………!」

 

その中でただ一人、笑みよりも際立った感情に表情を支配された人もいたりしたけど、

概ね元気そうで何よりだと思った。それにしても、体裁を取り繕おうとすら思わないほど、

形振り構わず僕の事を心配して泣きじゃくっているこあさんは、天使としか考えられない。

両側頭部の小さな黒い羽根をピコピコと動かしつつ泣く彼女を尻目に、声をかけられる。

 

 

「何はともあれ、ちゃんと帰ってこれて何よりね。おかえりなさい、紅夜」

 

「パチュリーさん………」

 

 

こあさんの震える肩を優しく撫でながら、パチュリーさんが僕を迎え入れてくれた。

普段は図書館にこもりっきりの彼女までもが出張ってきていることに驚きを隠せないが、

現にこうして目の前にいらっしゃるのだから何とも言えず、ただただ頭が下がる思いだった。

面と向かって優しい言葉を投げかけられたのはいつ以来だろうか、そんなことを考えながら

上位者である彼女を待たせるわけにもいかないので、とりあえず返事だけは返そうと口を開く。

 

 

「あ、ハイ。ただいま戻りました、パチュリーさん」

 

「…………ねぇ紅夜、あなたは」

 

やや礼節を欠いた返事ではあったものの、一応の形式は守って彼女へ軽く頭を下げる。

すると彼女は、喉元に何か引っかかったような物言いで僕に質問を投げかけようとしていたが、

それはさらに横合いから入れられてきた甲高い声によって妨げられることとなった。

 

 

「何ですって⁉ フラン………もう一度、何があったか話してごらんなさい?」

 

「え? だから、霊夢のお家で水汲みとかお掃除とか、ご飯の準備も手伝ったのよ!

とっても楽しかったし、霊夢もたくさん褒めてくれたからやり方も覚えたの!」

 

「こ、ここ、この高貴なる夜の眷属である吸血鬼に、霊夢は家事を押し付けたの⁉」

 

「?」

 

「信じられないわ‼ おのれ博麗の巫女、まさかこんな遠回しに恥をかかせにくるなんて!

いいことフラン? もう絶対にそんな事しちゃダメよ、いいわね? 絶対にだからね!」

 

「なんで?」

 

「なんでもよ!」

 

 

ホールの中央で、再会を喜び合っていた主君たち、もといレミリア様とフランお嬢様とが

激しく言い争っていた。とは言うものの、口論と言うほど深刻なものではなさそうだし、

何よりあの状況を見るに、ただレミリア様がヒステリックを起こしただけだから、問題ない。

未だに甲高い悲鳴と続く説教がホール内で反響するも、御二人は気付く気配すらなかった。

仮にもしレミリア様が気付いたとして、今更体裁を取り繕っても手遅れだろう。

 

そんな不謹慎な事を考えつつ、仲睦まじい姉妹のやり取りをホールの真ん中で見ていたら、

ふと中央にいる彼女らをまるで『邪魔立てするな』と言わんばかりの視線で射貫く人がいた。

 

 

「………‥あ、あの、パチュリーさん?」

 

「むぅ…………なに?」

 

「い、いえ。それよりさっき僕に何か言おうとしていませんでしたか?」

 

「………何でもない。忘れて」

 

「え、でも」

 

「忘れなさい。いいわね?」

 

自身の友であるレミリア様とフランお嬢様とのやり取りを見て何を思ったのか分からないけど、

急に不機嫌になってしまったパチュリーさんは、まだ少し涙を流すこあさんを連れ立って、

一言「図書館に戻ってる」とぶっきらぼうに告げてホールを出ていかれてしまわれた。

まぁおそらく、お二人によって僕への話を出すタイミングを崩されたことに腹を立てたから

機嫌を損ねたのだろうけど、そこまでいくと何を言おうとしていらっしゃったのか気になる。

でも忘れろと言われた以上、今のところは僕も藪を突いて蛇を出そうとは思わないでおこう。

どちらにしても、結局後ほどパチュリーさんには、個人的に頼みたいこともあったから、

聞くんだったらその時にしてもいいしね。

 

去りゆく二人の背中を見送ると、間髪入れずにレミリア様が僕のもとへとやって来た。

 

 

「さて、ようやく帰ってきたのね。ここより居心地の良い家でも見つけたのかしら?」

 

 

そして次いで口にされたのは、遠回しな皮肉だった。

きっと六日もの間中、フランお嬢様を御屋敷の外へ出した僕への当てつけのつもりだろう。

ただ一応補足しておくと、僕が率先してお嬢様を外へ出したわけじゃないし、その事はいくら

レミリア様といえども理解なさっているはずだ。それでも、姉として心配していた故なのか。

 

 

(姉としての心配、か。そういえばさっき、姉さんが「おかえりなさい」って言ったような)

 

「ちょっと、黙ってるってことは本当にそんなところ見つけたってこと?」

 

「あ、え? ああ、そのような事はございません。ここが僕にとって一番の住処です」

 

「……取って付けたような言葉ね」

 

「御戯れを」

 

 

30cm以上はある身長差のせいで、どうしても激しくなる視線の傾斜に懐かしさを感じながら、

フランお嬢様の姉君であるレミリア様の、姉としての一面に先ほどの一瞬の事を思い出す。

しかしその記憶は、僕を訝しみ始めた館の主人からの詰問への対処で掻き消されてしまったが。

シニカルな微笑を浮かべた僕は、改めて紅魔館へ、僕の新しい居場所に戻ってきたと痛感する。

主君の姉君も、その妹である我が主君も、今はもう去ってしまった魔女に司書悪魔も、

館の門を守る門番も、そして館の主人である絶対者に仕えるメイド、つまり僕の姉も一様に、

変わってはいなかった。人ならざるものでありながら、人らしさを捨てた人よりも優しかった。

今でも僕の中に湧く恩義の念は消えてはいない。むしろ、より一層強まったと言ってもいい。

 

そう信じてやまないほどに、僕はもうこの場所を『帰る場所』として認識してしまっているのだ。

 

「紅夜?」

 

「ハイ、フランお嬢様」

 

「んふふー、紅夜ぁ!」

 

「おっと。いけませんよお嬢様、急に抱きついてこられては」

 

「えー…………分かったわ。でも、ずっと会えなくて寂しかった分だけ、ね?」

 

「………かしこまりました」

 

「ん♪」

 

 

視界を埋め尽くすほどの赤に内から沸き起こる何かを感じていると、レミリア様の横に

いらっしゃったはずのフランお嬢様が、何を思ったのかいきなり僕に抱きついてきた。

もちろんそれを拒めるはずもなく、無邪気な笑顔と共に伝わる温もりを胸一杯に抱き寄せる。

ただ、お嬢様もこの数日間で見違えるほどに成長なされたと思う。主に立ち振る舞いとかが。

 

前までであれば、今のやり取りをしても妥協も了承もせずに駄々をこねてしまわれるだけ

だったというのに、今はどうだろうか。了承し、妥協しているその姿は、まるで別人に思える。

きっとお嬢様も、僕が見ていないこの数日の間に紅魔館の外での出会いを経て変わられたのだ。

幼さを内包したままの自分ではいられないと、自分で気づき、自分で変わろうとするほどに。

長い時を経ても変わらなかった彼女の心を動かしたのは、自惚れる気は無いが間違いなく僕だ。

一人の人間として、一人の従者として、一人の男として、495年も自らの時間を止めていた

吸血鬼の少女の心を動かすことができた。この一つの事実は、純粋に僕の頬をほころばせる。

 

ギュッと首に回された小さい腕をそのままに、僕は主人を抱きつつレミリア様に向き直り、

自分よりも妹に優先されていることへの拙い嫉妬の視線をぶつけられる中、真剣に語りだす。

 

 

「レミリア様、実はご相談………というより、お願いしたいことがございます」

 

「お願い? 長期休暇をくれたやったばかりなのに、まだ何か欲しがる気?」

 

「お、御戯れを、レミリア様。此度の休暇はあまりにも多忙過ぎまして………」

 

「分かってるわよ。それで、お願いっていうのは?」

 

 

自分の感情を隠すように腕を組みながら尋ねるレミリア様に、懇願の意を込めて応える。

 

 

「こちらにいる文さんに、どうかこの紅魔館への滞在をしばしお許し願えませんでしょうか」

 

「鴉天狗を? 私色に染まったこの館に? 一体何の冗談よ」

 

僕がレミリア様にお願いしたかったこととは、行き場を失くした文さんの仮の居住地の事。

いくら人間の常識に当てはまらない妖怪である彼女でも、雨風しのげるものの無い場所で

夜を過ごしたくはないだろうし、あくまで個人的な意見だが、彼女にはそうさせたくなかった。

想いを伝え、それを受け止めてくれた彼女は今、故郷とも言うべき天狗の里から追放処分を

言い渡されているような状況にいて、その間の二週間をどう過ごすかをまだ聞いていない。

もしかしたら余計なお節介だったかとも思ったけど、僕がそうしたいと思ったから実行した。

 

ただ、僕の言葉に痛烈な皮肉を交えて返したレミリア様の顔色は、拒絶を表していた。

それも当然だろう。いきなり使用人が主人に、客を泊めてやりたいと言われれば普通なら

気分を害することにつながるだろうし、仰ぎ仕える身でありながらなんと不遜かと罰せられても

おかしくはない。それでも、想いを自覚した今の僕に、彼女を見過ごすことはできなかった。

 

「冗談ではございません。執事風情の、身の程をわきまえぬ我が儘にございます」

 

「………お前が何かを欲するのは、姉に続いて二つ目ね」

 

「ハイ。レミリア様、どうか」

 

「気になるわね。異変の際に利用したソレを、どうして今更?」

 

再び館の主に食い下がって願い求めると、今度は先程より直接的な皮肉を込めて戻ってきた。

けれど先程とは、明らかに拒絶の色が薄まっている。ひょっとしたら、いけるかもしれない。

レミリア様には異変を起こす前に、文さんを利用する旨を伝えていたため、よりその部分が

気になっているのだろうけど、ここに戻る前にその話で一悶着あったことを思い出してしまい、

ほんの一瞬だけ背後にいる文さんが気まずそうに顔を伏せた。やはりまだそのことが、彼女の

心には重たくのしかかっているに違いない。自分のしたこととはいえ、どう答えるべきか。

答えに迷った僕はしばらく考え込み、この状況で最も安全性のある解答を導き出そうと思案し、

結局結論は一つしかないと悟り、自身の遥か下へと視線を向け直して、厳かに口を開く。

 

 

「それについては、少々込み入った事情がございまして」

 

「事情? いいわ、言ってみなさい」

 

「ありがとうございます。では」

 

 

____________執事説明中

 

 

「ということでございます」

 

「………それで、そこの天狗をここに泊めてやりたいわけね?」

 

「ハイ。一従者が愚考を御静聴下さり、感謝の極みにございます」

 

 

この紅魔館の最高位者から説明の許可を得て、僕はこれまでに起きた事情を全て語り尽くした。

流石に妖怪の山で起きた事は文さんの名誉に関わるから控えたけど、それ以外の面倒な事情は

余すことなく説明し、最後に従者としての礼を失せぬように感謝の意を付け加えて締める。

僕の話を聞き終えるまでに、現在抱っこの状態で僕にくっついているフランお嬢様だけでなく、

何故か後ろにいる美鈴さんや姉さんまでもが、驚愕に近い感情によって表情を変えていた。

お嬢様や美鈴さんが表情を変えたのは、ここ数日で起きたことへの関心からだと思うけれど、

どうして姉さんまでもがそんな風な態度をとったのかは分からなかった。本当に分からない。

でも、ここに戻ってきてからの姉さんの様子が明らかにおかしいのは流石に感じ取れてはいた。

今まで僕に対して無関心どころか敵意まで見せていたのに、門を越えて玄関に足を踏み入れた時、

微かな声だったけれど「おかえりなさい」と呟いたのを、僕は確かに耳にしていた。

僕が魔人に肉体を支配され、そこから行方をくらましてしていた数日の間に、何が起きたのか。

そこまでは分かる訳がない。ただ、姉さんの中にあった僕への警戒心が嘘のように消えていて、

それなのに僕へ視線を送り続けることは止めない、そんな姉さんの姿に不信感を抱いてしまう。

世界でただ一人の姉を疑うなんて最低だとは分かっていても、ここまで豹変されてしまうと

どうしても落ち着かないし、身近な人の態度が急変したら、誰でも疑惑の目を向けるとはずだ。

今も目を見開いたまま身体をわなわなと震わせているのを肩越しに見つめ、疑念を強める。

 

背後の二人の反応に注意を向けていると、交渉相手のレミリア様が咳払いを挟んで語りだした。

 

 

「んっんん! それで、新聞記者に我が館の部屋を貸してやれないか、だったわね?」

 

「え、あ、ハイ。食事などの面倒は僕が一人で見ますので、お部屋の方をどうか」

 

「………お前がそこまで気にかけるのは面白そうだけど、やっぱりダメよ」

 

「なっ!」

 

 

わざわざ僕の注意を向けさせる行為に幼さを感じなくもなかったが、その後から続いた言葉に、

若干の期待を上乗せしていた分だけの絶望が鋭く突き刺さるのを感じた。

 

一体何がいけなかったのか、どこでどう間違えたのか、それ以前に文さんとの確執がそれほどに

深いものだったのか。浮かんでは消えていく疑問の渦に思考する力を削がれている僕に、

呆れたようなため息を一つ吐いたレミリア様が、一呼吸おいてから本当の答えを口にする。

 

 

「私はね、この館の全ての所有権が私にあるものと思っているの。違うかしら?」

 

「い、いえ。そのような事はございません」

 

「でしょう? この血の滴るような紅い館の全ては、この私が支配下においている。

その中で、館に暮らす住人たちには、それぞれの場所の所有権を貸し与えているつもりよ」

 

「……と、おっしゃいますと?」

 

「大図書館そのものと、そこにある本はパチュリーに所有権を与えているわ。それと同じで、

紅魔館玄関から門外に至るまでの空間を美鈴に、従者のお前たちにはそれぞれの自室を

与え、その所有権を委ねている。所有権がある以上、その場所は所有者の好きにできる」

 

 

唐突にこの紅魔館の権利の話をしだした主に、どういう事なのかと疑問を投げかける視線を

送ると、「結論を急ぎ過ぎるなんて、待ての出来ない仔犬ね」と嘆いてから話を続けられた。

 

 

「つまり、私がこの館で好きに出来ないのは、住人に割り振ったそれぞれの所有する場所のみ。

それ以外は全て私の直轄地だから、そこに私の望む色を持たぬ者は踏み入らせたくないのよ」

 

「………なるほど、そういう事でしたか」

「やっと理解したのね。そう、私が言っているのは、私の所有する場にそこの天狗を入れさせる

ことは許可できないということ。けれどこの館には、私の権力の及ばない場所がいくつかある。

もしもそこに天狗が入り込んだとしても、その場所の所有権が私に無い限り、口を出すことが

出来なくなるわね。ああ困ったわ、もしもとんでもない物好きが、私の手の及ばないところへ

天狗を招き入れてしまったら、私にはどうすることも出来ないじゃない。ああ、困ったわ」

 

「…………感謝いたします、レミリア様」

 

「さぁ、何のことかしら?」

 

 

やたらと長い説明口調で、遠回しに限定的ならば文さんの入居を許可すると伝えられた。

素直じゃない言い方に思わず笑みがこぼれ、主の深い慈悲と御心に感謝の念を表して口にすると、

自分は何も知らないとばかりにとぼけ始める。本当に素直じゃない方だ。自分はアレで完璧に

誤魔化しが効いていると思っていらっしゃるようだが、どう見てもバレバレな態度でしかない。

拒否も肯定もない微妙な許可を得られた僕は、もう充分だと自主的に抱擁を解いてしまわれた

フランお嬢様に礼を一つしてから、後ろにいた文さんを連れ立って自室まで足を運んだ。

 

 

「ここが、紅夜さんのお部屋ですか………」

 

「ええ。久しぶりに帰ってきましたが、相変わらず殺風景なところですねぇ」

 

「それにしては嬉しそうな声色ですが?」

 

「そりゃあ、自分の帰るべき所に帰れたんですから」

 

「…………そう、ですよね」

 

 

それまでは何の感銘を受けなかった部屋に、着いて早々懐かしさを全身で感じている中で、

妙にそわそわした感じで入室してきた文さんは、僕と交わした言葉に過剰に反応してしまった。

 

失態だ。彼女はついさっき、自分の故郷とも言うべき天狗の里から、追い出されたばかりなのに。

何を呑気に「帰るべき場所」だとのたまったのか、ほんの数秒前の僕を殴り飛ばしてやりたい。

しかし、ここで彼女に謝罪したとしても優しい彼女のことだ、きっと僕に罪悪感を感じさせない

ために強がるか、逆に向こうが謝ってきて堂々巡りになるだろう。それは流石に時間の無駄だ。

 

とにかく今は日も暮れて、そろそろお嬢様たちの夕食をお出しする時間になる。

これからフランお嬢様につかなければならず、その間は文さんを一人にしなければならないが、

僕の自室にいる限りは問題にならないと、先程レミリア様が御丁寧に解説してくださったので

安心して留守を任せられる。掛けられた時計を見やりつつ、クローゼットから着替えを取り出す。

 

 

「うん、やっぱり替えの執事服を何着か繕っておいて正解だった」

 

 

ズラリと並んでいるのは、無駄を一切省いた機能性重視の黒い燕尾服(お手製)たちだ。

ちなみに今僕が着ているのは、地底で記憶を失っていた際に僕を保護してくださっていた妖怪、

もう一人の主とも呼べるさとり様が用意してくれた、至って普通の浅木色に染まった和服。

この幻想郷では珍しくはないようなソレを、黒一色しかないクローゼットへと丁寧にしまい込み、

代わりに何着もある同一の服を厳選し、寝る時も変わらず着用する燕尾服を素早く着込む。

 

 

「あ、あの、その、紅夜さん?」

 

「ん? どうかしましたか?」

 

「どうかしたって、えっと…………き、着替え」

 

「着替え?」

 

「わ、私、まだ、いるんですが………」

 

「________あ」

 

 

ところがそこへ、部屋の入り口付近でまだもじもじしていた文さんから待ったがかけられた。

随分と顔を赤らめて、なおかつか細い声だったので気付くのに遅れたけど、これは非常にマズイ。

今は着ていた和服を脱ぎ去り、新たな燕尾服に袖を通そうとしている直前で止まっているが、

現状だと何も隠せてはいない状態、有体に言ってしまえば丸裸も同然の姿になってしまっている。

 

自分一人なら何の問題もないけど、今は違う。しかも、お相手は傷心中とはいえ想い人だ。

意識してやったことではないとはいえ、あまりに恥ずかしすぎる。中々に羞恥心を抉られた。

そのあと僕は彼女に詫びを入れて、時間を言い訳にして自室に彼女を一人残して立ち去った。

場面的に見ればどちらが悪いとも言えなかったけど、軽率だったと言われれば僕に非がある。

結局その後はお嬢様方につきながらの夕食を取り、いなくなった日数分甘えると宣言なされた

僕の主人に連れられて地下牢へと向かい、ようやく自室に帰れたのは、翌朝の4時過ぎだった。

 

 

「あれ、文さん? まだ起きていたんですか?」

 

「あっ………紅夜さん。ええ、あまりよく眠れなくて」

 

「そう、ですか」

 

 

寝ているだろうと思って静かに扉を開けたのに、室内に目を向けると彼女がこちらを見たまま、

元々室内に置かれていた椅子(当然ながら赤)に座り込んでいた。本人はあくまで寝付けなかった

と言ってはいるものの、他者の様子を観察するという点では記者の彼女にも僕は劣っていない。

表情を作る顔の筋肉にあからさまな疲労が見られるし、先程から声のトーンが沈み気味になって

いるのがハッキリと分かる。簡単に言えば、文さんは眠いのを我慢して起きていたということだ。

そしてそれが何故なのかなどと、わざわざ本人に問いかけるような無神経さを僕は有していない。

 

 

「僕のベッド、寝具なら使ってくださっても良かったんですが」

 

「えっ⁉ いやでも、それは流石に」

 

「遠慮なさらなくても。今の貴女は僕の客人、床で雑魚寝などさせるもてなしがありましょうか」

 

「わ、私はそれでも構わないんですけど…………その、本当にいいんですか?」

 

「どうぞお構いなく。僕はやろうと思えば立って寝ることもできますから」

 

 

客として招いている相手に、それも想い人に何のもてなしも無いままなんて、従者の名折れだ。

僕の言葉に若干安心したのか、眠気を隠しきれなくなり、僕の前で軽いあくびを漏らしている。

普段の彼女からは想像もつかないほど無防備な姿に、僕の中にあるはずのない庇護欲のような

感情が掻き立てられるのを感じ、すぐにでも彼女を休ませてあげようとさらに話を進める。

 

 

「ですから文さん、僕の寝具でよろしければ遠慮なくお使いください」

 

「………紅夜さんは、今日は、というか昨日から一睡もしてませんよね?」

 

「ええ、まぁ。ですがお気遣いなく、たかだか一日くらい寝なくてもいい身体ですから」

 

「………………あの、紅夜さん。い、一緒に、どうですか?」

 

「一緒に、とは? え、まさか、一緒に寝るってことですか?」

 

ところが、ベッドにおぼつかない足取りで向かう文さんが、恥ずかしそうに提案してきた。

彼女の提案が僕の返した通りの意味なら、それは流石にヤバい。主に僕の精神面的な意味で。

 

いかに僕が吸血鬼の執事で改造人間であるとしても、素体が人間である事に変わりはない。

つまり肉体を維持し続けるという点では、人間の内に湧く『三大欲求』も残されている。

世間一般的に言われているソレは、食欲、睡眠欲、そして残る一つは、性的欲求だ。

人間である以上、種の保存の法則に則って子孫を残そうとする本能が作用し、三大欲求の

一つとして人の生き方に加わってくる。問題は、その欲求は他の二つと違うということ。

 

食欲は、生物として必要不可欠な要素を外部から取り入れようとして、食物を欲する。

睡眠欲は、生物としての活動に支障をきたさないように機能を低下させ、休ませる。

ただし性的欲求は、生物として単一個体では解消できず、(つがい)となる相手が必要になる。

文さんにその気は無いのだろうけど、一応男である僕にその提案は呑み込めない。

 

「そ、それはいくらなんでも………」

 

「だ、ダメ、ですか?」

 

「_____________」

 

 

男である僕に、その提案は、呑み込め、ない……………。

 

 

「せっかくですから…………ね、紅夜さん」

 

 

呑み込めない…………その提案は、男の僕には………………。

 

 

「………私のこと、愛してくれて、いるんですよね……?」

 

「あ___________」

 

 

結論から言って、その時の僕はきっとそれまでの経緯から察するに、疲れてたんだろう。

彼女の言葉を最後に聞き届けてからの記憶はない。おそらく極度の疲労が原因だと思う。

 

「紅夜さん…………んっ」

 

 

意識が睡魔に蝕まれる中で垣間見たのは、想いを伝えた愛しい人の、笑顔だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

翌日、というよりも睡眠行動に移ってから四時間後、僕はパッと目を覚まして起きた。

やはり従者としての一日の流れが身についているようで、紅魔館内の仕事をする時間に

なると自動的に目覚めるシステムが体内で出来上がっている。心の底から従者なんだな、僕。

同じベッドの中には、この館に一時的に招いている文さんがいて、安らかな寝息を立てている。

眠る前の記憶が少々あやふやなのが気になるけど、見た感じでは互いに服は乱れていないし、

特に問題は無いだろうと楽観的に自己解決させる。というより、これ以上考えると色々マズイ。

寝起きでやや火照っている身体を冷ますため、部屋から出てどこかで気分転換しようと決めた

僕は、音を立てないよう細心の注意を払いつつ行動し、無音のまま部屋を出て廊下を歩いた。

時刻は午前八時過ぎ。妖精メイドたちが出勤して、館内の雑務をこなし始める時間帯だ。

そう思って周囲を見れば、ちらほらとメイド服を着た小さな妖精がせっせと動き回っているのが

見えて、余計に懐かしさを感じさせる。そんな中でふと、ここにいるはずのない人と出会った。

 

 

「美鈴さん? 今はもう門番の仕事を始めてる時間ですよね?」

 

「あ、紅夜君! いやー、ちょうど良かった」

 

 

館内の廊下を歩いて向かって来たのは、もう外の門で番をしているはずの美鈴さんだった。

何故この時間にこんなところをうろついているのかを問おうと声をかけたはずなのに、

当の彼女からはまるで僕を探していたかのような口振りの言葉が返ってきた。

唐突過ぎるその返事に戸惑い、ここにいる理由を尋ねた質問を上書きする。

 

 

「ちょうど良かった、とは?」

 

「いや、紅夜君がこうして戻ってきたんだし、久々に組み手でもどうかなーって」

 

「組み手、ですか」

 

「そーです! 今から久々に、一緒に汗を流しませんか?」

 

 

僕からの追加の質問への彼女の答えは、単なる稽古のお誘いだった。

稽古と言うよりは実戦形式の組み手だけれど、この際そこまで細かい違いは気にしない。

これから特にすることも無いし、時間もある。それに朝特有の肉体の火照りを鎮めるのに、

武芸は精神統一を兼ねるのでちょうどいいため、彼女からのお誘いに乗ることにした。

 

 

「いいですよ。ですが久々で身体がなまってると思いますから、お手柔らかに」

 

「任せてください! かつての紅夜君と同じ場所に到達するまで、帰しませんから!」

 

「………それはこれから、みっちりしごくと言ってるのと同じですよね?」

「アイヤー、バレちゃいましたか」

 

 

右拳をコツンと軽く頭に当てる仕草をする美鈴さんに、僕は思わず微笑みを向ける。

こういう優しいやり取りも久しぶりだ。いつも何かとギリギリな状態のままだったから、

日常的ともとれるような暖かい時間を何時ぶりかに体験して、微笑がこぼれ出た。

組み手の対戦をすることに決まり、僕は踵を返して外に戻る美鈴さんの後に続く。

いつ見ても彼女の背中は、女性という割にはいい意味で広く、大きく、頼もしかった。

 

「___________よし」

 

 

そんな考えに気を取られていたせいか、彼女の漏らした呟きを、ちゃんと聞き取れなかった。

 

 






いかがだったでしょうか?

本当はもう少し美鈴の話を引っ張って書くつもりだったんですが、
PCの機嫌を損ねそうだったので、申し訳ありませんが次回へ持ち越しです。

いやぁ、ようやく文にヒロインらしいことをさせられた(達成感)
どことなく「コレジャナイ」感があるものの、概ね良しとしましょう!


それでは次回、東方紅緑譚


第六十六話「紅き夜、想い想われる日(後編)」


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