東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、「さすおに」にハマってしまった萃夢想天です。
どこにでもある俺TUEEEかと思っていたら、俺SUGEEだったなんて。

先週は更新できず、申し訳ありませんでした。
自分が出る仕事が入っていたの気付いてたんですけど、先々週にそれを
知らせておくのを忘れていまして………御迷惑をおかけいたしました。

ですから、休んだ分はしっかりと取り返します!


今回は少し短めになる予定です。


それでは、どうぞ!





第六十四話「紅き夜、束の間の休息」

 

 

 

射命丸さんを牢獄から救出してから、大体三十分ほど経過した。

僕と彼女は現在、妖怪の山で包囲網を敷いていた天狗たちから逃れ、山とは逆側に位置する

小さな森の入口へと場所を移していた。ちなみに僕はもう、紅い霧の効果を消している。

 

一応の危機を乗り越えた僕らは、改めて向き合い、互いの視線を交錯させた。

 

 

「……………紅夜さん、あの」

 

「えっ? あ、何でしょうか?」

 

「あの、その………ありがとうございました」

 

 

すると不意に射命丸さんが、落ち着かないような態度で感謝の句を述べ始めた。

もちろん、その感謝が何に関してなのかが分からないほど、僕は鈍くはない。

ただ、面と向かって言われると相手が相手だけに照れてしまうし、こちらも落ち着かない。

それとこういう場合は普通、相手からの感謝の気持ちを受け取るべきだということも頭の中では

理解できていたんだけど、今の僕はどうしてもそういう心の余裕を持つことができなかった。

 

「いえ、僕は大したことは」

 

「け、謙遜しないでください! たった一人で妖怪の山に乗り込んできて、天狗の一団を相手に

傷一つ負わないどころか傷一つ付けずに事を済ませるなんて、並大抵ではありませんよ!」

 

「………自分が、並の人間でない事は自覚してますよ」

 

「あっ………」

 

 

射命丸さんが次々に僕を持ち上げようとする言葉を口にするたび、僕の心は反比例して暗くなる。

別に僕が卑屈だからってわけじゃないし、彼女が何かしたというわけでもない。

でも、そういった暗い部分が僕の意思に反して、彼女の言葉を逆の意味で捉えて皮肉を返した。

違う。僕はこんな事を言いたいんじゃない。やっと救えた彼女に、暗い顔をしてほしくないのに。

 

僕の心の中に広がっていく感情が、意思を司る僕自身に反抗して思ってもないことを口走る。

 

 

「確かに、はるか格上の天狗の集団を相手に無傷で生還する人間は、普通じゃありませんよね。

むしろそんな奴が、人間を名乗っていいはずがない。そいつはただの、化け物ですから」

 

「そ、そんなつもりじゃ………ごめんなさい」

 

「ッ‼」

 

 

苛立ちにも似た感情が僕の意識を乗っ取り、悲しませたくない人を僕の言葉で悲しませる。

ついには彼女が責任感や罪悪感を感じて、頭を下げて謝ってしまう。そうじゃないんだよ!

「謝らないでください‼」

 

 

とうとう耐え切れなくなり、僕は自分でも驚くほどの声量で怒号を発する。

痛ましいほどの沈黙が二人の間に流れ、しばらく無言の空気が漂うことになった。

ただ、結果的にはその微妙な間のおかげで少し冷静になれたため、良かったと言うべきか。

一度小さく息を吐いてから大きく息を吸って、もう一度射命丸さんに向き直った。

 

 

「………貴女が謝ることなんて一つもありません。貴女は、何も悪くないんですから。

謝るのは僕の方です。申し訳ありませんでした、八つ当たりのような真似事をしてしまって」

 

「八つ当たり、ですか?」

 

「ハイ。何故だか急に、不安になっていたようで………本当に自分でもよく分からないんです。

でも心の中がモヤモヤしてしまって、どうしようもなくて」

 

「紅夜さん………」

 

「変ですよね、貴女を助け出せたのに。それで不安になるなんて」

 

 

心情を吐露しきってから、彼女に向けて愛想笑いを浮かべるものの、ぎこちなくなってしまった。

取材で多くの表情を見て回っている彼女であれば、今の表情が作りものであることくらいは、

すぐに分かってしまうことだろう。それに僕は「急に不安になった」と言ったが、一応の原因の

把握はできている。と言うより、これが原因で間違いないだろうと確信していた。

 

 

(射命丸さんを助け出せたことは、素直に喜ばしいことのはずなのに……………)

 

 

彼女を謂れのない罪から一時的にでも救い出せたことは、紛れもなく喜ばしいことだ。

けど、それを手放しで喜べなくなってしまった理由もまた、今の僕にはあるのだった。

 

 

(彼女を救い出すことが、僕と"彼"との一時的な休戦協定の内容)

 

 

心に重りでものしかかったような、実際には起こりえないはずの感覚に頭を悩ませる。

 

"彼"と言うのは、僕の内側に勝手に入ってきた魔人のことだ。その彼との、仮初の協力関係が

契約内容の履行によって終わりを迎え、またも肉体を奪い合う本来の図に戻ってしまった。

もちろんそのことに不満などあるわけがない。元々僕が持ち掛けた契約だ、恐れるわけがない。

 

そう、ついさっきまで、自分の体を失うかもしれない可能性なんて、怖くもなかったのに。

 

 

(初めてだ…………全身を改造されていたあの日々より、『怖い』と思うことがあるなんて)

 

 

自分の体から、自分の意識が無くなる。そしてその代わりに、誰かが僕の体を好きに使う。

今まで思っても見なかったことに現実味がなかったからか、それともまた別の理由からなのか、

とにかく今の僕は自分の体を魔人に奪われてしまうことを、自分を失くすことを恐れていた。

射命丸さんを助け出そうと必死で、彼女を助け出した後のことなんて良く考えてもいなかった。

そして助け出すことができて、その後の事を考えなくちゃいけなくなってしまって。

僕が僕でいられる可能性はただ一つ、魔人との決闘に勝利して、彼を僕の支配下に置くこと。

 

出来る出来ないは問題じゃない。本当に問題なのは、この体を魔人に奪われた時のことだ。

 

せっかく助けた射命丸さんは、山を去る間際に天魔と言う天狗界の頂点ともいえる人からの

条件として提示された、妖怪の山を揺るがす騒動の真犯人逮捕を達成できずに牢へ逆戻り。

もしかしたら、あの下卑た連中によって今度こそ、辱めから逃げられないかもしれない。

そして紅魔館のみんなは、僕の体を手に入れた魔人によって、何をされるか想像もつかない。

少なくとも僕が死んだ直後にこの体を使って暴れ始めたということは、パチュリーさんはおろか

他の館の住人までも相手取ったということに他ならない。つまり、それだけ彼は強いんだ。

 

怖くてたまらない。

僕が忠誠を誓った方々が、手も足も出ず、足止めすら成し得ずに負け越した相手とこれから、

一対一で自分の存在を賭けて戦わなければならないなんて、怖くてたまらなくなる。

 

 

(嫌だ、消えたくない。また死ぬなんて嫌だ。怖い、怖い。まだ、生きていたい………!)

 

 

気が付くと僕は、顔面いっぱいに脂汗をにじませて、両手をギュッと握りしめて立っていた。

無意味に全身を強張らせて、しきりに小さな呼吸を繰り返して、目を見開き続けている姿は、

完全に怯え切った負け犬の形相だった。でも、そんな醜態を晒すほどに、僕は恐怖していた。

そしてその姿は当然ながら、対面していた射命丸さんに一部始終を見られることとなる。

 

 

「こ、紅夜さん? もしかしてまだ、体が万全じゃないんですか?」

 

こんな状況に居てもまだ、彼女は僕なんかの体の方を心配してくれている。

自身を騙して心を弄んだ相手である僕の事を、本気で気にかけてくれている彼女の優しさが、

今は何よりも心強く、そして残酷な凶器になった。

 

 

「いえ、お気になさらず」

 

「気にしますよ! やっぱり紅夜さん、生き返っても体は元のままなんですね⁉」

 

「………骨の異常も内臓の修復もされていますし、前より幾分かはマシですよ」

 

「そういう事を言ってるんじゃありません!」

 

 

すると今度は、逆に射命丸さんが声を荒げることになり、先の逆で僕が押し黙る。

身長差のせいで今の彼女の表情はうかがえないものの、少なくとも本気で僕の体の事を

心配してくれていることは伝わった。そして次に紡がれた言葉に、目を見開かされる。

 

 

「私を、私の事を愛していると言ってくれた人が目の前で苦しんでいるのに、

気にしない女がいると思いますか⁉ 紅夜さんは、私がそんな薄情な女に見えるんですか⁉」

 

「い、いえ、そんな…………」

 

「紅夜さんが今何を思って苦しんでいるのか、私には分かりません。正直お手上げです。

ですがそれでも、何かしてあげたいと思うのはおかしいですか⁉」

 

「射命丸、さん………」

 

 

徐々に激しくなる語調につられて上を向いた彼女の顔には、悲哀がこもっていた。

それも単なる悲哀ではなく、ただ純粋に相手の事を想い、憂いたことで生じた悲哀だった。

その双眸からは小さいながらも無色透明な水滴が滴り、緩やかに頬を伝い始めている。

悲しみからきているであろうその涙は、本来の感情のものとはかけ離れた美しさを感じた。

数秒間、僕は彼女の何とも言えないその表情に見惚れていて、声すら出せなくなっていた。

でもそれが功を奏したようで、先ほどまで心の中に充満していた不安や怖れと言った感情は

ほとんど霧散していき、恐怖心に心を支配されかけた先ほどよりかは、冷静になれた。

 

再び彼女と僕の視線が交錯し合い、その先に居る互いが言葉を交わす。

 

 

「文、でいいですよ」

 

「え………それは」

 

「文でいいです、紅夜さん」

 

「…………文、さん」

 

彼女の口から発せられたのは、その名を呼ぶこと。僕にとってそれは、赦すことと同義に思えた。

当然ながら赦すのは彼女であって、赦されるのが僕だ。けど、それを受け取ることは(はばか)れる。

今まで彼女にしてきたことを考えれば、どんな処断を下されようと文句を言える立場じゃないし、

望まれるのならどのような罰だって受け入れられる。だから、赦されるなんてあってはならない。

 

僕自身が、赦されることを望んでいない_________と、そう思っていたのに。

 

 

「………紅夜さん、泣いて、いるんですか?」

 

 

彼女の潤んだ瞳の中に映りこんだのは、彼女の目の前にいる僕の、あまりにも情けない泣き顔。

少なくとも、好意を抱いている相手には見せたくないと断言できる、そんなぐしゃぐしゃな顔。

 

自分が涙を流していることに気づいて、慌てて両の瞳から零れ落ちる滴を拭い去ろうとして

手を動かした直後、そうはさせないとばかりに眼前の彼女が腕を塞ぐように覆いかぶさってきた。

突然の行動に今以上に慌てる僕を見上げて、彼女はまだ少し赤みの残る瞳を真っ直ぐに向ける。

視界に映る全てがあふれる涙でぼやける中、何故だか眼下にいる彼女の姿はハッキリと映った。

 

 

「すみ、ません………ぼく、どうか、したみたいで………」

 

「……いいんですよ、紅夜さん。泣ける時には泣いた方がいいんです」

 

「あやさん…………」

 

「泣いてください。私しかいない今なら、思う存分に」

 

「でも、ぼくは、あなたに」

 

「………私の前に居るのは、私の事を愛してくれている一人の殿方だけでしょう?

過去がどうであれ、前世がどうであれ、私は気にしません。今この時の愛を、受け入れます」

 

「ああ………ああぁあ!」

 

 

彼女の_________文さんのその言葉を最後に、僕の中に残っていた"しこり"は消え失せた。

恥ずかしげもなく、臆面もなく、僕はただひたすらに、内からあふれる衝動に身を委ねる。

その結果、双眸からは無限に零れ落ちる涙が、喉からは張り裂けんばかりの音が漏れ出てきた。

きっと今の僕は、誰にも見せられるような姿ではないだろう。目も、鼻も、頬も、全てが熱い。

生まれ落ちた赤子のように泣き喚き続けた僕は、そこからしばらくの間、意識を失っていた。

 

 

「んっ………んぅ」

 

 

最後に、ほんの少し熱を帯びた唇に、同じくらいの熱を持った何かが、確かに触れたのを感じて。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

東から昇っていた日が、西の山々の連なる輪郭へと沈み始めた。

幻想郷に生きるものであれば誰しもが知る、人の時間の終わりを告げる黄昏の光を、

帰るべき場所である紅魔館に向かうその途中で、仕えるべき主の妹君と共に魅入る。

煌びやかな金色の髪を右側頭部へ一総にまとめたその方から、声をかけられた。

 

 

「きれいね、咲夜」

 

「ハイ、とても」

 

 

緩やかに山脈の裏側へと沈みゆく光源を、私、十六夜 咲夜は真っ直ぐに見つめている。

そして私の隣には、私の主君のレミリアお嬢様の妹で、私の大切な人の主人でもある、

フランドール様が同じように金色と橙色が溶け合った黄昏をご覧になっていた。

 

妹様は、数日前まで行方不明になっておられたのだけど、昨日の夕方に霊夢と出会い、

博麗神社で居候させていると暗に伝えられたので、こうして翌日に私がお出迎えに

足を運んだ。そして今は、その帰り道で、二人そろって夕焼けに目を奪われていた。

 

「妹様、そろそろ戻りましょう。お嬢様が心配されています」

 

「うん………分かったわ。行こう、咲夜」

 

 

けれどそれもほんの数秒程度の事で、光を目に焼き付けた妹様と私は、止めていた足を

再び前へと動かす。目的地である紅魔館までは、あとわずかといった距離だ。

仕える主君の妹である彼女より前に出るわけにもいかず、私は二歩半ほど後ろから追従

するような歩き方を心がけて、一人で歩くより時間をかけて道のりを歩み続ける。

 

(妹様もお戻りくださった…………あとは、あの子さえ戻ってきてくれたら)

 

 

主人が帰りを心待ちにしている妹様がいるのに、私は全く別の事しか頭になかった。

それは当然、私の弟、十六夜 紅夜のこと。最近の私は、彼のことしか考えられない。

朝起きたらまず彼を想い、幻想郷のどこかにいると自分に言い聞かせて一日を始める。

館のお掃除の時も、使われた衣服の洗濯の時も、主人方のお食事を作る時でさえも、

私の中には常にあの子がいる。いや、あの子を考えないと何も手がつかなくなっていた。

考えれば考えるほど、弟に会えないことが苦痛に感じられ、胸が張り裂けそうになる。

近くに居た時は事情が事情とは言え、あれだけ邪険に扱っておいて、居なくなった途端に彼を

求めてやまなくなってしまう。本当に私の心は、私という人間は、どこまで身勝手なのだろう。

加えて言えば、彼は今目の前にいらっしゃる妹様の執事。つまり、妹様の所有物なのだ。

彼をそばに置いておけるのは、妹様のみ。彼を近くに感じられるのは、この方のみ。

そう考えると、妹様が羨ましくてたまらなくなる。私も、あの子のそばにずっと居たいのに。

 

 

「ねぇ咲夜」

 

「っ! は、はい、何でしょうか?」

 

 

弟の事を考えていたところに、邪魔が、もとい妹様からの御声がかけられた。

それにしても、私は何という思い違いをしていたのだろう。妹様を、邪魔だなどと考えるとは。

あの子のそばにいつでも居られる権利があると考えると、確かに羨ましいことこの上ない。

でもそれはあくまで主従関係にあるからであって、何も"そういう"間柄じゃないのだから。

 

 

(私、何考えてるんだろう。あの子の事を考えてると、まともな思考になれない)

 

「ねぇ、咲夜ってば!」

 

「あっ………? あっ、ハイ!」

 

「どうしたの咲夜、何か変よ?」

 

「も、申し訳ございません」

 

「変な咲夜。ホラ、帰ろ!」

 

「は、はい。かしこまりました………」

 

 

気付くと私の足が止まっていて、妹様が振り返って私の事を気にかけてくださっていた。

お嬢様であれば、こちらから気付くような言い回しでおっしゃられるのに、妹様は対照的に

御自分から指摘なされる。従者としては失格だけれど、その御厚意が今はありがたかった。

 

妹様に促された私は、またご指摘を受けないようにするために少しだけ早足で歩きだした。

そして今度は、なるべく無心になるように妹様を視界から積極的に遠ざけるようにもした。

だってそうしないと、私の中にまたあの醜い感情が巣食ってしまいそうになるから。

わざとではないにしろ、そうした行動のせいで妹様の歩調を少々急かすような歩き方に

なってしまったことを恥じ入りつつ、それでも内心に渦巻く気持ちを抑えて館へ向かう。

 

 

「すっごく久しぶりに感じるわ!」

 

「え、ええ。妹様は六日もおられなかったのですから、そのお気持ちは当然かと」

 

「そんなにお外に出てたんだ………あのね、いっぱい楽しいことがあったのよ!」

 

「それは何よりでございます。なら是非、そのお話はお嬢様に語ってあげてください」

 

「お姉様に?」

 

「ハイ。大層御心を痛めておられましたし、安心させるためにもどうか」

 

 

私の気持ちなどお構いなしに、妹様がこの数日中に起きた出来事を楽しかったと語る。

その御顔は晴れやかで、495年間も地下牢に幽閉されて気が触れてしまった狂気の吸血鬼

などとは、とても思えないほどだった。加えて、ただ無邪気なだけでなく、それまでには

無かった『他人への配慮』とも取れる優しさを兼ね備えておいでになっている。

たった六日間解放されただけなのに、それだけで見違えるほど御成長なされた妹様の姿は、

あたかも姉であるレミリアお嬢様を彷彿とさせる気高さが垣間見えるほど凛々しくなっている。

 

「うーーん………分かったわ。それじゃあ早くお姉様に____________アレ?」

 

後ろ姿だけで数日前との違いを見せつける妹様のその足が、唐突に停止した。

目的地の紅魔館は確かに目と鼻の先だけれど、まだ館の玄関へ至る門にまでは到着していない。

だというのに何故、妹様は足をお止めになられたのか。気になった私は視線を先へと移す。

 

そして、言葉を失った。

 

 

「あ、咲夜さん! 妹様! ホラ、帰ってきましたよ‼」

 

門前に居る美鈴がやたらと騒ぎ立てているけれど、今の私はそんなものを気にしていられない。

そんなことよりも、美鈴の目の前に立っている銀髪の青年(・・・・・)の後ろ姿の方が気になっていた。

私とよく似た透き通るような色白の肌に、これも私とよく似た、白銀に輝く鋭い短髪。

着用している服に違いはあれど、スッと一直線に伸びた背筋や足を揃えた立ち方は見覚えがある。

否、アレは間違いない。間違いなく、彼は、あの子は、目の前に居る!

 

 

「こう、や………?」

 

私が結論に辿り着いた直後に、私の眼下に居らっしゃる妹様も同じ結論に至っていたようで、

その小さな瞳を限界まで見開き、口をパクパクとはしたなく開閉させている。私と同様にだ。

再び視線を前方へと戻すと、やはり彼はそこにいた。血よりも赤い館の門前に、確かに彼はいる。

不意に、美鈴の前に立っていた青年がこちらへ振り返り、後ろからでは見えなかった顔を見せた。

 

 

「こうや、紅夜なの?」

 

「________フランお嬢様、お久しゅうございます」

 

「紅夜、本当に………本当に紅夜なのね⁉」

 

「ハイ。貴女の下僕、十六夜 紅夜。再び御仕えするべく帰参いたしました」

 

その顔を見た瞬間、その声を聴いた瞬間、妹様は駆け足で彼のもとへと向かって行かれた。

すさまじい速度で走る妹様は、彼の胸めがけて跳躍し、両手を広げて待つ彼へと飛び込んだ。

 

 

「紅夜ぁ! 紅夜ぁ‼」

 

「お嬢様………申し訳ありませんでした」

 

「良かった……良かったよぉ…………紅夜ぁ」

 

激しい身長差の中で互いを抱き合う二人は、傍から見れば救い出された姫と白銀の騎士の様で、

とても絵になる光景を生み出している。肖像画に描き上げれば、素晴らしい一枚となるだろう。

けど、そんな二人の姿を見て私が真っ先に思ったのは、とても醜く汚い、『嫉妬(せつなさ)』だった。

私も紅夜に、弟に抱き着きたい。彼をこの両腕で掻き抱いて、思いの丈を吐き出したい。

私も紅夜に、弟に抱き締められたい。彼の両腕に掻き抱かれて、その温もりに溺れたい。

 

抱いてはいけない感情だと知りながらも、私の中に滾々と湧き出るこの感情は止まらない。

忠誠を捧げる御方の一人でありながらも、私の中でまだ渦巻き続ける感情に変わりはない。

 

紅夜、私を見て。私だけを見て。

貴方に見てほしい、貴方だけに見てほしい。

抱き締めたい、抱き締められたい。

愛されたい、愛したい。

 

自分でも抑えが効かなくなりつつある気持ちが複雑に絡み合い、それは態度に表れる。

 

「………妹様、レミリアお嬢様の血族にしては、少々はしたないかと」

 

「咲夜………?」

 

「すぐにお離れください。妹様、お嬢様がお待ちになっておられます」

 

「で、でも、紅夜が」

 

「戻ってきたのですからいつでも会えます。今はお嬢様を御優先ください」

 

考えるよりも先に脳が言葉を選択し、口がそれを一切の淀みも躊躇もなく言い切った。

見方によっては不敬にもあたるであろう態度に、流石の美鈴も少し顔をしかめている。

でも本当に顔をしかめたくなっているのは、私だ。本当に自分という人間に嫌気がさす。

自分があの子と一緒に居られないからって、どうして妹様の再会を邪魔することができようか。

もはや八つ当たりですらない。こんなものは、どこまでも穢く汚れきった独占欲に等しい。

最低だ。何度も何度も消そうとしているのに、内側にある黒い感情は鳴りを潜めようとせず、

かえって私の心の機微に敏感に反応して、抑え込もうとしている感情に拍車をかける。

しかも本当に嫌になるのは、忠を尽くす方への不敬よりも、あの子に嫌われたらどうしようと

いう考えが真っ先に浮かぶことだ。これでは本当に、私はただの私欲にまみれた薄汚い女だ。

 

自己嫌悪に浸り、表情を歪めると、それまで黙っていた美鈴がやけに外れた声を発した。

 

 

「え、えーと! とにかく今は紅夜君が戻ってきたことを歓迎しましょうよ!」

 

「そうね! 紅夜が戻ってきたことも、お姉様に教えてあげなくちゃ!」

「そうと決まったら妹様、急ぎましょう!」

 

 

調子の外れたような掛け声で場の空気を壊した美鈴は、私と目を合わせてそっとウィンクした。

その仕草から、今の行動は私を気遣ってのものだと理解できた。余計なお節介よ、ありがとう。

美鈴の提案を受けて、妹様と紅夜、それと何故か一緒に居る鴉天狗の文もうなずいた。

 

「うん! 行こう、紅夜!」

 

「ハイ、お嬢様。あ、あの、文さんもよろしければ……」

「…………では、お言葉に甘えて」

 

「それでは開門! 咲夜さーん、ホラ早くー!」

 

美鈴が門を開け放ち、紅魔館の玄関へ向けて私を含めた五人がそれぞれの歩幅で歩きだす。

無言のままに歩く中で、妹様と紅夜だけは、互いを見つめたままで微笑み合っていた。

そんな二人を後ろから見つめ、また心の隅が痛む錯覚を味わい、私は視線を斜め下へ移し、

誰にもこの醜い感情を悟らせないようにした。

美鈴先導のもと、五人の短い旅は終わり、紅魔館本館の木製の扉が音を立てて開かれる。

 

見慣れていたはずのロビーに彼が足を踏み入れた途端、小さく声を漏らした。

 

 

「_______ただいま」

 

 

きっと誰にも聞こえていないつもりだっただろう声量の呟きを、少なくとも私は捉えていた。

妹様はお嬢様を探しに歩き出していたし、美鈴と文は何やら訳知り顔で頷き合っていたから、

あの子の言葉を聞き取れていたのは実質、この場では私だけになる。私だけが、聞いていた。

 

今しか、ない。

 

そう悟った私は、先ほどの彼の呟きと同じほどの声量に落とした返事を口にする。

 

 

「_______おかえり」

 

 

私に聞こえていたのだから、彼にも聞こえているのはむしろ当然だろう。

驚いたように顔をこちらへ向けてきた彼に対して、鼓動が高まり心が弾けそうになるのを

実感しつつ、今度は声をあえて落とすようなことをせずに、真っ直ぐ彼を見つめて応える。

 

 

「おかえりなさい」

 

 

ずっと、ずっと言えなかった一言が、ずっと言いたかった人へ、届いた。

 

 




いかがだったでしょうか?

二週間ぶりの執筆だったので、元から無かった文章力がまぁ
見るも無残な状態に………サンタさんに文才を所望したいこの頃(泣)

今回はずっと前から私が書きたかった回になりました!
ま、まあ少々形は変わってしまいましたが、ほとんど原型通りです!
紅夜がやっと自分の居場所に帰ることが出来てなによりです。

紅夜が意識を失ってから文が何をしたか、皆様のご想像にお任せします(確信


それでは次回、東方紅緑譚


第六十四話「紅き夜、想い想われる日(前編)」


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