東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、先日「君の名は。」を観た萃夢想天です。
友人(ホモと厨二病)に誘われて観ましたが、超大作でやんしたね。

他の友人や後輩が「良かったー」とか「また観たーい」とか、
オウムみたいに同じことを繰り返すばかりだったんで、そんな風には
なりたくないと思ってましたが、実際観てみると気持ちがよく分かります。

もう一回観たーい!

次は彼女と観に行きたいですね!(彼女いませんけど)


それでは、どうぞ!




第六十壱話「紅き夜、愛と罪のジレンマ」

 

 

 

 

 

神妖の住まう霊験あらたかなるその山は、昨日までとは違う喧噪に荒れ狂っていた。

 

山頂付近に社を構える二柱と呼ばれる神々と、それらに仕える現人神となった巫女の他に、

妖怪の山と呼ばれるその場所には様々な物の怪が暮らし、幻想の日々を生きている。

厳格に生きる山の修験者こと天狗や、時代に流れに乗る変わり種こと河童を皮切りに、

神の属種である厄神と実りと滅びを司る秋の姉妹神など、あまりに多岐に渡るのだ。

しかしそれら山に生きる全てのモノが、これまどとは違った『何か』に気づいていた。

 

静かで閑散とした樹林を、縫うようにして駆け巡るのは先に挙げた天狗の一族。

そんな妖怪の一団が血眼になって追っているのは、皮肉にもたった一人の人間の少年だった。

 

 

「いたぞ! あそこだ!」

 

「なんとすばしっこい(わっぱ)だ! どれだけ追っても指もかすらんぞ!」

 

「狼狽えるな‼ 所詮は人間の小童だ、我ら天狗の誇りと掟にかけて捕らえるのだ‼」

 

「「承知‼」」

 

 

背に生えた黒塗りの翼で空を駆けるのは、妖怪の山に住まう天狗の一種である鴉天狗で、

全身から生える銀に近い白の長毛を揺らすのは、同じく天狗の一種の白狼天狗であった。

普段は反目し、上役の命令でのみ顔を突き合わせる程度の親睦しかない彼らが、こうして

編隊を組んで行動を共にしているのも、また一人の人間の少年が原因だった。

 

 

「囲め囲め!」

 

「空には鴉のが、陸には我ら白狼がおる! 小童如きにゃ逃げられまいて!」

 

「油断するな、白狼の! いくら童とて、訳の分からぬ能力を持つ人間ぞ!」

 

彼らが一丸となって追い続けているのは、くどいようだがたった一人の人間の少年だ。

縄張りである妖怪の山で、なおかつ空と陸の両面から追跡している天狗たちにとっては、

さほど苦労するような相手ではない。だがそれは、相手が普通の人間だった場合である。

妖術や仙術の類を操る彼ら天狗を以てして、「訳が分からぬ」と言わしめる能力を持つ人間、

全身を高濃度の紅い霧製の甲冑で包んだ十六夜 紅夜は、背後を気にしつつ逃げ続ける。

 

しかしいくら能力があるといえど、元々の圧倒的な物量差が覆ることなどありえない。

普通なら無理だと誰もが匙を投げるはずだろう。けれど、ここは幻想が暮らす隠れ郷だ。

妖怪の山の至る所から無限に思えるほど湧き出る天狗を前に、逃走者は嘲るように笑った。

 

 

「気まぐれに蟻の巣を突いた気分ですよ。わらわらとよくもまぁ」

 

『空飛ぶ羽虫に走る蛆虫ってかァ? ハッハー! 潰し甲斐があるなァ‼』

 

 

紅色をした濃霧の鎧に覆われ、くぐもった笑い声を上げるその人物は、山を駆け抜ける。

そのたなびく彩色に吸い寄せられるような形で、鴉天狗と白狼天狗の部隊が追いかけるが、

彼我の距離は一向に縮まることはなかった。だが決して、距離が離れる事も無かったが、

大人数で移動しているからか、天狗の中でその事に気付く者は誰一人いなかった。

 

やがて山の中でも開けた場所に突き当たり、天狗たちはすぐさま包囲陣を敷いて固まり、

中心に侵入者である霧をまとう少年を据えて、じりじりと迫るように間隔を狭めていく。

一歩ずつ、一尺ずつ、一寸ずつ。さながら牛歩の如き歩みであったが、それは天狗たちの

彼への警戒心の表れだからだろう。決して陣形を崩す愚を犯す者は部隊の中にはいなかった。

 

 

「追い詰めた! 王手をかけたぞ!」

 

「馬鹿者が。これは将棋でも盤上の出来事でもない、目の前の敵を見ておけ!」

 

「見れば見るほど怪しい輩ぞ。紅色の霧が鎧のようになっておるわ」

 

「されど気配で分かる。そこにおる者は、紛う事なき人間ぞ!」

 

 

口々にものを言い合う天狗たちを尻目に、鎧を着た侵入者は冷静にそれらを見つめていた。

 

「________空に七、陸に九………いや、木の陰にあと四か」

 

『占めて二十か! 準備運動にゃちょうどいいかもなァ‼』

 

「やり過ぎるなよ。と、言いたかったけど、作戦変更」

 

『アぁ?』

 

 

追手の数を逃げながら数えていた彼らは、天狗たちに追い込まれたように装って、

実際は自分達が戦うのにちょうどいいスペースを探し回っていたのだ。

妖怪の山は樹齢が軽く二百を超える木々が乱立する林の海のため、大仰に立ち回れない。

そこで侵入者は、大勢の天狗の力を発揮させず、自分の得意な白兵戦に持ち込めるような

地形へと追手を誘導していたのだが、もちろん追手側はそんな事に気付けるはずもない。

 

侵入者の視線の先には、殺気に満ち満ちた眼をギラつかせる白狼天狗と鴉天狗の群れ。

手にはそれぞれ、白い楕円形の楯と身の丈ほどの腹広い大剣や、錫杖も持ちやって、

ジリジリと包囲網を狭め始めている。最も距離が近い天狗で、もう10メートルもない。

遂に慎重であることに限界が来たのか、接近した白狼天狗の一人が侵入者へ斬りかかる。

 

 

「貴様かッ‼ 貴様が、我ら白狼の誇りを踏みにじりおった愚物かぁッ‼」

 

柄を砕きそうなほど強く握りしめた右手で、そこから真っ直ぐに伸びる大剣を振りかざし、

迫る包囲網に対して何ら行動を起こさない侵入者への、天誅と言わんばかりに叫んだ天狗。

周囲の同胞はその行動を咎めようとする者もいれば、それに乗じて手を加えんとする者も

いたが、先行して斬りかかっていった白狼天狗だけは、それが正しいと信じていた。

白狼天狗の中では年端もいかなかった娘ら三人、未だに意識を取り戻さずに横たわっている。

目の前にいる紅い霧をまとう人間がその下手人ならば、彼らが取るべき行動は報復のみ。

 

(許せん‼ たかが人間風情が、我ら山に生きる誉れある一族の名に泥を塗るなどッ‼)

 

 

怒りに燃えるとは、まさにこの事だろう。持ち前の身体能力を活かし、大の大人数人分の

距離を一息で詰め切り、この日のためにと磨き上げてきた剣と太刀筋を、鋭く振り下ろす。

 

 

「去ねッ‼ 血飛沫を上げて三途を渡れぇ‼」

 

 

空気ごとまとわりついている霧を切断するが如く、鋼色の刀身が袈裟斬りの道筋を辿る。

見事に標的を捉えた刃は、侵入者を覆っていた霧と同じ色の体液をその身から溢れ出させ、

ドサリと力なく倒れる音を響かせた。鋼に紅を彩った刀身を、悦に浸りながら見つめる。

 

 

「これが白狼の剣! これぞ白狼の牙! 人の子よ、あの世で己が罪を悔いろ‼」

 

 

ふつふつと湧き上がる愉悦に全身を浸らせ、同族の汚名を雪いだ天狗は高笑いを上げた。

 

「__________罪なら、もう悔いてますよ」

 

しかし、その高らかな笑いを嘲笑するように聞こえてきたのは、先程倒れた人間の声。

人よりも優れた五感を持つ彼らはすぐさま、声のしてきた方向を特定しようと見回すが、

どうしてか場所の見当をつけることが出来ないでいた。まるで、妨害されているように。

 

声が響いた十数秒後、侵入者を斬った白狼天狗はそこで、斃した者の姿を視認できた。

 

 

「な、馬鹿、な………」

 

「白狼の! これはどういう事だ‼」

 

「ち、違う! 俺は確かにあの小童を、霧がかった人間の喉笛をこの剣で!」

「ならば答えよ‼ おのれの前に倒れた、その白狼天狗は誰だ(・・・・・・・・・)‼」

 

 

それまで侵入者を覆っていた紅い霧が突如霧散し、晴れた視界に血まみれの同族が映る。

敵を切り伏せた白狼天狗が答えるまでもなく、その場の状況が雄弁に語っていた。

 

敵ではなく、味方を斬ったのだと。

 

 

しかし同じく、その場の誰もが理解に苦しんだ。何故仲間である同族を斬り捨てたか、ではない。

何故倒れている仲間を、ついさっきまで"侵入者"と認識していたのか、だ。

 

 

(なんだ、何が起きている? これはどういう事だ!)

 

 

自身の右手に持つ剣にこびり付いた血を見つめ、それが誰のものかを今一度確認する。

足元には剣による傷で血塗れとなった同胞の身体がある、つまりは、そういうことだ。

だが問題は、何故敵と味方が入れ替わっているのか。何故自分が味方を斬ったのかである。

仲間意識の強い天狗の一族が、同胞を手にかけるはずがない。罪人や反逆者であるならば

話は別だが、この状況はそうではない。敵を囲い込み、そこに自身が斬りかかっただけだ。

それがどうしてこのような結果になるのか。仲間の血で己が剣を穢すことになったのか。

激しい自問自答に苛まれ始めた白狼天狗は、意識の外側で起きている出来事から目を逸らす(・・・・・)

 

仲間を斬った彼の周囲では、再び現れた侵入者と同胞が戦闘を繰り広げているのに。

 

 

「この童、一体どこから現れた⁉」

 

「鴉どもは何をしておったのだ! 空の哨戒ならば、居場所も掴めただろうに‼」

 

「追及は後にしろ! 今は侵入者の相手が先___________だ?」

 

 

動揺と混乱が渦巻いている白狼天狗の部隊が、突然姿を見せた侵入者に敵意を向ける。

先程と変わらない紅い霧の鎧をまとう風貌、山では目立つその姿を見紛うはずがない。

今度こそ逃がすまいと躍起になる彼らは、剣と楯を構えてもう一度陣形を組み直すが、

視線を仲間の方へと向けて、ふと戻すと侵入者が消えていた。再び、消えたのだ。

 

目の前で標的が消えたことに驚く白狼天狗たちだが、流石に二度目なら動揺は小さく、

すぐさま上空で待機している鴉天狗の部隊に、侵入者を見つけるよう指示を飛ばした。

同じ視点から見て見つからなくとも、全てを視界に収められる上からならば容易いと

口を弓なりに曲げてほくそ笑む。指示を出して数秒後、鴉天狗の一人が敵を発見した。

 

「そこかッ‼」

 

 

上空からの指示を受け、白狼天狗の部隊長を務める者が横薙ぎに大剣を振るった。

鴉天狗からの指示では、部隊長のすぐ横に迫っていたという。ならば迎撃は容易だ。

背後からの奇襲を仕掛けたのだろうと部隊長は考え、カウンターの要領で敵を引き付け、

右手に持つ剣の射程範囲内に収めた瞬間に振るったのだ。そして、切っ先が肉を断つ。

 

 

「なッ_____________お前は‼」

 

 

だが、部隊長の剣が断ち切ったのは、同じ白狼天狗部隊の同胞の胸部だった。

目の前の現実に困惑する部隊長はその直後、腹部に燃えるような熱さと痛みを感じる。

 

 

「な、何故⁉」

 

「どう、して………?」

 

 

部隊長が胸を切り裂いた同胞の剣が、同じように部隊長の腹部を切り裂いていたのだ。

さながら相打ちになった剣士二人は、仲間同士で剣を向け合ったという事実に驚愕する。

嘘であってほしいとばかりに周囲へ視線を向けるも、周りの同胞も同じような表情のまま

固まって動けないでいるようだった。つまり部隊長の行いも、仲間の行いも等しく現実。

 

腹部から伝わってくる痛烈な感覚に顔を歪ませながらも、部隊長は思考を巡らせる。

 

 

(何がどうなっている‼ 何故私は仲間を、部下を‼)

 

 

ジンジンと、あるいはズキズキと。迫りくる感覚は徐々に大きく尖っていく。

絶え間なく続く痛覚に思考を掻き混ぜられながら、部隊長は何が起きたかを考える。

 

 

(鴉天狗が敵を見つけたと私の後ろを指さし、指示通りに剣を振るえば私の部下がいた)

 

冷静に考えれば、そんな事はありえない。だが実際にそれが起こってしまっている。

部隊長は次第に薄れていく思考の海の中で、考えたくはない可能性に流れ着いた。

 

 

(裏切ったのか、鴉どもは! これまで共に山を管理した白狼(われら)を、謀ったのか‼)

 

 

平静な精神状態であれば失笑に伏していただろう考えを、今回だけは捨てられなかった。

現状を鑑みればそれしか考えられない、妖怪の山を切り盛りしてきた同じ天狗の名を持つ

白狼天狗を、鴉天狗たちが見捨てたという考えに至って、部隊長は憤慨し、激怒した。

「がはッ‼」

 

「ん⁉」

 

 

心の中で鴉天狗を裏切り者をした部隊長の聴覚に、その恨みの対象の悲鳴が届いた。

何事かと目を向けてみると、視線の先には先程の裏切りよりもありえない光景が広がっていた。

 

「見つけたぞ小童! 儂の剣で死にさらせぃ‼」

 

「おのれ、人間風情が‼ ここで討ち取る‼」

 

「霧でできた面妖な鎧ごと、貴様の臓腑を切り裂いてやろう‼」

 

「妹の友が目覚めんのは、貴様のせいか! 答えてみろ、人間‼」

 

 

部隊長の目の前には、同じ白い毛並みの同胞に剣先を向ける仲間の姿が映りこんだ。

 

皆一様に眼を血走らせ、口々に罵詈雑言を吐き捨て、荒々しく闘気を奮い立たせている。

執拗に同胞を睨み付けるその両の瞳には、地獄の業火すら焦がすであろう憎しみが宿り、

せっかく組み直した陣形をあっさりと瓦解させながら、互いに剣を交えていた。

仲間同士での斬り合い。この現象に対して、身に覚えのありすぎる部隊長は恐れを抱いた。

 

 

(違う、鴉のも裏切ったのではなく、そう見えていた(・・・・・・・)のではなかろうか)

 

仲間が敵に見える。仲間を敵と認識する。敵に向ける感情を、仲間へと向けてしまう。

 

(まさか_____________あの小僧の能力(チカラ)か⁉)

 

「大正解」

 

 

息も絶え絶えに辿り着いた答えに対して、部隊長の頭上から賞賛の言葉が贈られる。

裂かれた腹部の傷を押さえつけつつ、捻るようにして体の向きを変えた彼が見たのは、

色の薄れて煤けたような紅ではなく、仲間が上げたような血飛沫の如き紅蓮に色付く鎧を

まとって、中空に立ちつくす侵入者の姿があった。その不遜たる振る舞いに毒づく事すら

ままならない部隊長は、人間の語った正答の意を示す言葉に問いかける。

 

 

「正解とは、本当にそういうチカラがあるのか、童!」

 

「ええ。僕には皆さんの言う『程度の能力』がありましてね。それの応用です」

 

「ぐっ………応用、だと⁉」

 

「はい。僕の『方向を操る程度の能力』は、なにも物体の方向を操るだけではないんですよ」

 

 

呼吸の度に血糊を吐き漏らす部隊長を上から見下ろし、侵入者は得意気に語りだした。

 

彼の持つ、造り出された恐るべき能力の真価を。

 

 

「僕の能力は、物質の方向も操れますが、"精神の方向性"も操れるんですよ」

 

 

侵入者_____________十六夜 紅夜の『方向を操る程度の能力』とは。

 

その文字通りの能力によって、物質の"今ある位置(方向)"を変化させられるのだ。

遠くに離れた物の今ある方向を変化させ、自分の目の前へと変化させて手繰り寄せたり、

逆に手元にある物を手の届かない遥か先まで瞬時に、方向を変えて送り出せたりもする。

分かりやすく言えば、矢印の向きを変えると、それそのものの向きも変えられるという事だ。

右方向へと投じたナイフの"方向"を左へと変えれば、ナイフは左方向へ飛んでいく。

静止した物体の現存する"方向"を自分へ向ければ、その物体が自分のもとに送られる。

 

彼の持つ能力とは、このようなチカラなのだ。

しかし今回彼が使ったのは、物質の"方向"に対しての変動ではない。

対象の精神の"方向"へと干渉し、働きかけるというチカラを使った。

 

例えば今回の場合、この能力を持つ彼は侵入者で、それを追うのは複数の天狗たち。

彼は孤立無援で、なおかつ紅い霧の鎧で目を惹きやすい。つまり、印象に残りやすい姿だ。

対して天狗たちは仲間意識の塊のようなところがあり、同じ装束を羽織り、武器も携えている。

自分と同じような格好をした者は同胞であり、目立つ紅い霧をまとう人物は倒すべき敵という

認識図が容易に出来上がるわけだが、そこに侵入者の能力が立ち入る隙間を生み出した。

 

同じ格好をした者は味方。これは当たり前の事で、わざわざ意識するほどの事でもない。

では紅い霧の鎧をまとう者。山の中では目立つ格好をしていて、すぐに敵と判別がつく。

仲間に対して敵意など向ける筈がない。殺気や敵意を向けるのは、紅い霧をまとう者だけだ。

 

ならばもし、もしもだ。その向けるべき殺意や敵意の"方向"を、味方に向けさせられたら?

 

「殺気を向け、敵意を向けられ、滞空している紅い霧に近い者を自然に敵と認識してしまう」

 

頭上で教え子を諭す教育者のように、優しい口調で語る侵入者を部隊長は見つめ続ける。

しかしその瞳に宿る感情は徐々に、先程のような強い敵意ではなく、信頼に変わっていった。

まるで待ち望んでいた増援が来たかのような、安心して緩み始めたその顔と両の瞳には、

天狗一族が血眼になって追っている敵など、どこにも映りこんではいなかった。

 

 

「君も既に、僕に対して敵意は"向いて"いない。僕がその敵意の"方向"を変えたからね」

 

「あ………うぐっ、な、何を言ってるんだ? それより早く、早く皆の手当てを」

 

「手当、ね。それよりも、例の侵入者はどこへいったか知りませんか?」

 

「あ、ああ。あの小童か………済まん、場の混乱に乗じて逃げられてしまったようだ」

 

「そうですか」

 

 

つまらなそうに返した『増援』に、部隊長は若干の憤りを感じるが、それどころではないと

持ち直して辺りを見回し、自分たちに同士討ちを演じさせた『侵入者』を探し始める。

部隊長の視線は次々と、目まぐるしく動き出す。陸に、木々に、空に、再び陸に。

それでも敵の姿はどこにも映りこむことはなく、部隊長は激しい怒りと屈辱に打ち震えた。

 

 

「クソ、おのれ人間め‼ 我ら山の天狗の顔に泥を塗るあまりか、姿まで消しおって!」

 

「………ちなみに、侵入者の風貌は?」

 

「む? 侵入者は確か、紅い…………あ、紅い色をした、何かで……」

「紅い? 紅い何かでも持っていましたか? 例えば、紅い剣か何かを」

 

「剣、剣か………。もしや剣かもしれぬ、いや、きっとそうだ(・・・・・・)!」

 

「…………思考の誘導も可能、か」

 

「な、何か言ったか?」

 

「いえ、何も」

 

 

溢れ出る腹部の傷からの血を気にしながら、部隊長は懸命に侵入者を思い出そうと悶える。

だがどういうわけか、ついさっきまで相対していたはずの敵の姿が、鮮明に思い出せない。

むしろ、思考に霧か靄でもかかったしまったかのように、漠然としか記憶に残らなかった。

見上げると『増援』が何か納得したように頷いているが、部隊長には何のことか分からず、

とにかく今は負傷した者の手当てと、消えた『侵入者』の追跡を優先させようと進言する。

 

 

其方(そなた)どこの誰かは(・・・・・・)知らぬが(・・・・)、すぐに手当と彼奴の追跡を!」

 

「その必要はないでしょう」

 

「なっ! 正気か⁉」

 

「ええ。追う必要も、手当てする必要もありません」

 

 

ところが『増援』は部隊長の進言を真っ向から切り捨て、手当ても追跡も不要と断言した。

これには流石に黙っていられるはずもなく、傷が開くのも構わずに部隊長が食い下がろうと

口を開きかけた瞬間、彼はようやく違和感に気付いた。頭上の存在が語った言葉の違和感に。

 

追跡が必要ないというのは、まだ分かる。他の部隊に任せればいいという事だろう。

ではもう一つの、手当てする必要がないというのは、一体どういう事だろうか。

 

部隊長が抱いた不可思議な疑問に、『増援』が答える。

 

 

「何故かって? それはもちろん___________追われたら困るからです」

 

 

そう言い放ち、『増援』は不敵に笑みを浮かべる。

しかし部隊長には彼の言葉の意味がまるで理解できないでいた。

 

 

「な、何故追われたら困るんだ? 侵入者は追わなければ………うぐぅ!」

 

「困るんですよ、色々と。それよりも僕は君から、もっと多くの情報が欲しい」

 

「じ、情報……? 何の事だ?」

 

「そうですねぇ、例えば、今監禁されている捕虜…………射命丸の居場所とか」

 

 

傷がもたらす痛みに耐えながら、部隊長は『増援』の尋ねてきた問いの答えを探す。

彼は部隊を率いるだけの立場があるため、今回の侵入者騒ぎの折に近づけてはならない

場所も聞き及んではいたのだ。そのことだろうと考え、部隊長は『増援』に解を教える。

 

 

「その者はこの前の裁判で判決を受け、監拷舎まで更迭されたと聞いたが」

 

「監拷舎、ですか。それはどうも、助かりましたよ」

 

「何の役に立てたかは分からぬが、一刻も早く奴を追わねば!」

 

 

頭上の中空で静止したままの『増援』に、何度目かの追跡の進軍をする。

これまでの説得もあってか、やっと頷いてくれた『増援』に、部隊長は顔をほころばせた。

 

「………ええ、そうですね。では他の部隊と合流して、『北へ逃げた侵入者』を

追ってください。その時、特徴でもある紅い剣のことも忘れずに伝えるんですよ?」

 

「ふっ、ぐはッ! あ、ああ、分かった。信頼できるお前(・・・・・・・)の言葉、必ず伝えよう」

 

 

立ち上がろうとして開いてしまった傷口から血が溢れ、部隊長の装束に赤い染みを作るが、

本人はその事を一切気にする素振りを見せず、ただ『増援』の言葉を知らせようと動く。

ヨロヨロと持ち直した部隊長は中空にいるままの『増援』を背に、他の部隊がいるだろう

方向に見当をつけて、痛みが迸る腹部を押さえながら合流すべく駆け出していった。

走り去っていく白狼天狗を冷徹に見やりつつ、『侵入者』は淡々と状況を語る。

 

 

「さて、これで向こう側に嘘の情報が流れるから、少しの間だけ時間を稼げただろう。

射命丸さんの居場所も分かった。このままそこへ乗り込む、手を貸せ」

 

『回りくどいことしやがって。あのまま戦えば良かったじゃねぇかよ』

 

「無駄な戦闘は避けたい。彼らは天狗だ、どんな奥の手があっても不思議じゃない」

 

『ビビりやがったのか?』

 

「慎重なだけだよ、考える脳がスカスカな君と違って」

 

『テメェ‼』

 

 

真紅色の霧状の鎧の内側で、一人漫才でもするように自問自答する侵入者は、

既に背中も見えなくなるほど遠くへ行った白狼天狗を見送り、自身も動き出す。

彼の視線の先にあるのは、天狗たちが集い暮らす、文字通りの隠れ里。

 

 

「待っていてください、射命丸さん」

 

 

真紅の鎧をまとう騎士が、木々生い茂る山道を踏み抜き、駈け上がっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

知性ある生き物は、自身に降りかかる絶望に対して、とある選択を迫られる。

 

一つは抗う事。どんな苦痛も逆境も乗り越えようと、必死に足掻く決意を示す事。

そしてもう一つの選択肢は、諦める事。

 

「……………」

それは今まさにこの私、射命丸 が選び終えた選択肢でもあった。

 

 

「文___________さん」

「………あら、椛」

 

 

観念した、というより諦観の極みともいうべき精神状態の私に、声が掛けられた。

顔を上げてその声の主を探ってみれば、なんてことはない、ただの知り合いがいただけだ。

 

白狼天狗の犬走 椛。私の同期で、山の哨戒で、私をこの牢屋へ放り込んだ張本人。

 

現に彼女の手によって嵌められた手枷が、私の両手首から先に重くのしかかっている。

その上、脱走でも警戒されていたのか、ご丁寧に山の巫女印の札が張られていた。

いくら私が下手人だからって、ここまでしますかね。信用されてないってこと、よね。

 

一層重たくなった気分に区切りをつけ、溜息を一つ吐き出してから椛に向き直る。

 

 

「何か用かしら? それとも、自分が捕まえた私に手柄でも自慢しに来た?」

 

「ッ!」

 

「昇格おめでとう。それで? どれくらい偉くなったの?」

 

「………皮肉を言わないでくださいッ‼」

 

 

一言二言口をきいただけで怒鳴られた。いや、今のは流石に話の内容が悪かったか。

独房を独房たらしめている分厚い鉄柵を掴んで、椛がその中にいる私に抗議してくる。

でも私だって皮肉で言ったわけじゃないし、別に彼女を責めてるわけでもない。

その事を伝えようと、気分同様に重たげになっている口を開いてゆっくりと語る。

 

 

「皮肉なんかじゃないわ。私はもう出れないし、どうせ碌な知り合いもいない。

だったらせめて、あんたの立身出世くらいは祝ってやろうと思っただけよ」

 

「………充分、皮肉じゃないですか」

 

「そう感じるのは、あんたに後ろめたさがあるからじゃないの? 私は無いわよ。

あんたに捕まっても怒りだって湧いてこない………もう、全部どうでもいいの」

 

「どうでもいいって、自分の命もですか⁉」

 

 

自分の事のように感情を露にする椛を見上げて、私は微かに笑みをこぼした。

 

私に命が惜しくないのか、ですって?

 

 

「________命なんて、惜しいに決まってるじゃない」

 

 

吐き捨てるように呟く。当然よ、命が要らないわけがない。

すると私の言葉に絶句しかけた椛が、ほんの少しだけ明るい顔になって続けてくる。

 

 

「だ、だったら、ここから出ましょうよ! こんなところにいたら本当に」

 

「死ぬかもしれないって? だから、どうでもいいって言ってるでしょ」

 

「い、今あの人が! 『はたて』さんが文さんの無実を証明しようとしてます!

珍しく家から出て、色んなところを飛び回って証拠を集めて、助けようとしてます!」

 

「はたてが?」

 

 

続けて椛の口から出てきた言葉に、私は素直に驚かされた。

あのはたてが、私を? 常識的に考えたら絶対にありえないことだけど、

もしかしたら本当にそうかもしれない。引きこもりのはたてが、私の為に。

 

 

「信じ難い冗談ね」

 

「冗談でも嘘でもありません。本当です! だから、文さん!」

 

「だったらはたてをここに連れてきなさい。そしたら考えてあげる」

 

「え、はたてさんをですか? で、でもあの人は………」

 

「私に会いたくないんでしょ? やっぱりね」

 

 

不自然にどもる椛の反応からして、私の予想はおおよそ間違ってないと確信する。

 

はたては、あの子は私に会いたくないはずだ。何故なら、彼女は私の好敵手だから。

新聞を書いて出版しようと決めた時も、あの子は私と張り合って同じ道を選んだ。

ネタを探し回って幻想郷を駆け巡っている時、彼女は自室にこもってネタを集めていた。

身体で新聞を書く私と、能力で新聞を書く彼女。良くも悪くも、対照的な存在だった。

常に互いを意識し合い、牽制し合い、磨き合ってきた。あの子は、乗り越えるべき壁で

ありながら、切磋琢磨し合う竹馬の友と呼べる人物だった。故に、分かりやすい。

あの子はここには来ない。来たらきっと、私を見て怒鳴り散らし、泣いてしまうからだ。

 

この前の新聞の発行部数では、私が勝った。だからきっと、次は負けまいとしている。

でもその前に私が裁かれて新聞が書けなくなれば、間違いなく勝ち逃げだと思われる。

 

良くも悪くも、分かりやすい子なのよね、アイツも。

 

 

「会いたくないわけじゃないと思います。あの人は、そんな人じゃ」

 

「へー、だったら何よ。あの子が私に会いたくない理由ってのは」

「それは………」

 

「それは?」

「か、顔向けできないんじゃないかって、思うんです」

 

「顔向け?」

 

色々と考えを巡らせていると、不意に椛がはたてが来れない理由を語りだした。

でも、顔向けできないってのはどういうこと? あの子が体裁を気にするクチじゃないのは

山に暮らす天狗なら誰だって知ってる。そも、体裁を気にしてたら引きこもれる訳がない。

だったらどんな理由があるのかと考え始めると、椛が先に答え合わせをしだした。

 

 

「は、はい。はたてさん、前に書いた新聞のことであなたに謝りたがってました」

「前に書いた新聞____________あ」

 

 

椛の話を聞いて真っ先に思い出したのは、人里にも売られていたあの子の花菓子念報の一面。

その内容は、私とある人物との熱愛関係を疑うような、そういう系統のものだった。

あの時は本当に腹が立ったわ。しかもよりによって、そのご本人のいる前でその事を知った

ということが、何よりも腹が立つ。全く、あの人に嫌な風に思われたらどうしてくれようか。

 

 

「…………全然、ダメじゃない」

 

「え?」

 

 

そこまで思考が行き着いてから、ふと我に返って自虐の言葉をポツリと漏らす。

檻の向こう側にいる椛には聞こえなかったようで、聞き返すような返事が返ってきた。

 

でも、どうして私というヤツはここまで往生際が悪いんだろう。

もうあの人の事は諦めたのに。あの人の事は、諦めなきゃ、いけないのに。

 

 

「あや、さん? なんで、泣いてるんですか?」

 

 

おそるおそるといった感じに椛が呟き、そこで初めて私が涙を流していることに気付いた。

慌てて手枷ごと両手を目元へもっていき、こぼれ落ちていく滴を拭い去ろうと苦闘するも、

次から次へと溢れ出てきて止まらない。滾々と湧く泉のように、涙が止まらなかった。

 

もうとっくに枯れ果てたはずの涙が、止まらない。

もうとっくに捨て去ったはずの愛が、終わらない。

 

忘れようとすればするほど、私の中で、あの人の姿がよりハッキリと浮かび上がる。

最後に見たあの人の姿は、とてもやつれていて弱弱しく、触れれば壊れそうだった。

そんな姿になってまで彼が語ったのは、彼が仕えている主人たちへの感謝の気持ちと、

もう一つは___________私への懺悔だった。

 

 

「文さん? 文さん⁉」

 

「きこえ、てるわよ。だいじょうぶだがら"!」

 

 

心配そうな椛の声に対して、気丈に振る舞おうと声を張るけれど、その声が震えてしまい、

結局は何かをこらえようと必死になっている私を忠実に表現するだけに終わってしまった。

数多くの取材で表情を作り変えることを覚えた私が、なんたる無様を曝したものだろうか。

決して自分の弱さを見せずに、孤高であり続けたこの射命丸 文が、なんてざまだろうか。

それでも涙が()まることを()めてくれず、より椛を不安にさせてしまうことになった。

 

 

「文さん、何が起きたのか話してください。もう、もう五日ですよ⁉」

「…………べつに、なんでもないったら」

 

「何も無いのに、そんな悲しい顔するはずないでしょう!」

 

「…………悲しい、か」

 

 

珍しく食い下がる椛の剣幕に、私の弱り切った心は案外早く折れてしまった。

でも実際、私は誰でもいいからこの心の内を聞いてほしかったのかもしれない。

 

そう考えると、一番信頼のおけるこの子が聞き手で良かったと安心できる。

 

 

「なら、聞いてもらおうかしら」

 

「い、いいんですか?」

 

「あんたが話せって言ったんじゃない。それとも何? 聞きたくない?」

 

「き、聞きます! 聞かせてください!」

 

 

いちいち慌てふためく動作をする椛を、危なっかしいと思いながら見つめる。

もしも、私がこの天狗社会から表向きに抹殺されたら、この子はどうするだろうか。

 

私の死の真相を掴もうと、躍起になって探そうとするだろうか。

それとも私の死を刑罰と割り切って、上役の命令に服従するのだろうか。

 

私としてはそのどちらの道も、椛に歩んでほしくない。

 

「それで、何があったんですか?」

 

 

話を今か今かと待ち望む彼女の姿に、一度嫌な思考を中断させる。

今考えても仕方ないことだし、私が考えても仕方のないことだ。

だったらせめて、ここからの数瞬は私のわがままに付き合わせてやろう。

椛が未だに掴んだままの檻の方へ近づき、私は心にため込んだ『ある出来事』を語った。

 

 

あの日、十六夜 紅夜を永遠亭まで運んだ時に彼から語られた、悲しい真実を。

 

 







いかがだったでしょうか?

今更ながら、私の作品は一貫してストーリーが進行しませんね!
いえ、一人一人に焦点を合わせる事が多くなったというべきでしょうか?
とにかく、このままではもう一年かかるかも………気が重たいや(白目

これからも日々邁進、増えつつある読者の皆様のご声援やご期待に
応えられる作品作りを第一に考え、頑張っていきたいと思っております!


それでは次回、東方紅緑譚


第六十壱話「紅き夜、君の為の誓い」

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