東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、最近発売された「デッドプール」を即座に購入して
五回以上は見直し続けている"俺ちゃん"こと萃夢想天です。

デップー面白いですね。日本語吹き替えだと日本語字幕と違って、
声優さんの感情のこもった台詞と日本独特の豊かな表現が合わさって
何倍にもなった面白さを感じられました。要するにオススメって事です。

いつも私事が多くなってしまってすみません。

さて、今回からはようやく主人公が登場します。
かつてこれほどに主役の出ないSSがあっただろうか…………。
今話は前回の翌日から始まります。時系列修正って難しいです。


それと今更ですが、私は非常に外部からの影響を受けやすい人間です。
なので、今回も同様に「デッドプール」の影響が多段に含まれています。
それでも読みながらチミチャンガを食べられる方は、先へお進みください。


それでは、どうぞ!





第六十話「紅き夜、妖怪の山を駆ける」

 

 

 

 

四方を囲む無骨な岩肌にもそろそろ見飽きてきた頃、ようやく頭上に小さな光が見え始めた。

徐々に大きくなっていくその光へ向かって、"僕ら"と身にまとう紅い霧が突き進んでいく。

その速度は先程から変わらず速く、過ぎ去っていく岩の壁が幾何学的模様に見えるほどだ。

 

距離はおよそあと、100メートル。現在進行形で距離は縮まる。あと90メートル。

 

暗色と苔のかすかな緑色しか見ていなかった視界に、不純物のない清水のような青が染み込み、

光あふれる『地上』がもうすぐそこまで迫ってきていることを明確に伝えてくる。

あと指折りで秒数を数えれば、そこから先はもう硬くて冷たい岩の壁紙とは無縁の世界だ。

 

10、9、8、7、6____________

 

瞳があまりの明るさにまぶしさを訴え始めるけど、心の内に湧き出る喜びが勝り、瞳の上下に

ある瞼を閉じることを許さない。実に何日ぶりの陽の光だろうか、そう考えると感慨深い。

もう手を伸ばせばその先は、僕らが今までいた地底世界ではない。いるべき場所、帰る場所だ。

 

 

5、4、3、2、1__________________

 

 

指折りで秒読みを終えたのと同時に、紅い霧に全身を覆っている僕の身体が、日光を浴びた。

 

 

やぁ、どうも久しぶりですね。僕の事覚えてますか? え、覚えてませんか?

いやだなぁ、僕ですよ僕。十六夜 咲夜の弟の、十六夜 紅夜ですよ。

 

 

暗く湿り、それでいて明るく活気に満ちた地底世界から一転、僕らは地上へと帰還した。

生い茂る若草に木々。柔らかで温かい日差し。広大な世界を吹き抜ける、優しいそよ風。

地底には無かった全ての『地上』が、紅色の鎧を装着している僕らを出迎えているようだ。

 

 

『ハッ、詩人気取りか間抜け面』

 

 

一瞬で爽快な気分が瓦解した。

 

「本当に厄介な奴だね君は。地底に置き忘れてくればよかったよ」

 

『抜かせクソガキ。さっさとやることやって決着つけんぞ」

 

「はいはい。分かったから、それまでは大人しく協力してくれよ?」

 

『ああ。俺様にその身体よこすまで、せいぜいくたばってくれるなよ』

 

「僕と決着つける前に君が死ななきゃいいけどね」

 

『やっぱくたばれクソガキが』

 

 

約六日ぶりの地上世界への帰還を台無しにした人物と、色々台無しな会話を繰り広げる。

今僕と会話していたのは、僕の肉体に宿ってしまった魔人の魂、らしい。

実際に話しているから実在はしているんだろうけど、たまにその存在を疑ってしまう。

いわゆる"もう一人の僕"状態になっているのかもしれないと、内心で冷や汗を流したり

したけど、こうして意見が180度を振り切って540度真逆だからそれはないと安心できた。

それにしても、こうして見ると地上はこんなにも眩しくて美しい世界だったんだなぁ。

今までの僕はこうして、景色を楽しむ余裕なんて無かったから、新鮮に感じられる。

 

しかし、実際今も眼前に広がる風景を楽しんでいる余裕は、無い。

 

 

「一刻も早く、射命丸さんを助け出さないと……」

 

 

そう、僕が地底世界からここまでやって来たのには、明確な理由があっての事だった。

 

十六夜 紅夜という人物が死を迎えたその日、その少し前まで故人と共にいた鴉天狗の

射命丸 文が、謂れの無い罪で天狗社会の法に基づき囚われの身とされてしまったのだという。

その間僕は、内側にいる魔人と紆余曲折を経た結果として自身の記憶を失っていたので、

何も知ることが出来なかったのだ。しかしそれも、一日前に事なきを得たのだが。

 

一度死んだ僕は、死後に自分の肉体を使われて重ねられた罪を清算するため、特例として

蘇ることを許されたのだが、結局はその機会すらも棒に振ってしまったという訳なのだ。

記憶を失くして五日ほど経った日、『忘』と名付けられた僕の前に蘇りを許可した人物が

現れたのだ。地獄の法の番人である、閻魔大王こと四季 映姫 ヤマザナドゥさんが。

そこからは早かった。記憶を取り戻し、罪の再清算の機会を得て、地上へと帰還した。

 

そして時系列は、晴れて今ここに戻って来た。

 

 

「場所は妖怪の山、か。でもどこに囚われてるのかが分からないんだよなぁ」

 

 

僕が死ぬ間際に犯した、最後の罪。それは、射命丸さんをずっと騙していたことだ。

彼女を騙した挙句、その彼女に心を奪われそうになっていた。本末転倒もいいところだね。

その罪を清算するため、まずは無実の罪で捕らえられた彼女を救い出す必要がある訳だが、

救助する方法も考えていないし、そもそも彼女の現在位置すら僕は知らない。

本格的にお手上げかとも思ったけど、正直に言えばここで悩んでいる時間も惜しいのだ。

 

 

『もし裁判が終わって刑が執行されるのなら、今日の午後辺りになるでしょうか』

 

 

地底で記憶を取り戻した僕に、四季さんはそう告げた。

 

午後ってことはつまり、太陽が東から若干西寄りの位置にある時間帯ってわけだね。

そこでお空を見上げてみよう。何が見えるかって? 頭の上に太陽が見える。

何も無い向こうの空がおそらく北だとすれば、反対側のアッチは南だね、うん。

つまりどういうことかって? そういうことだよ。

 

 

「時間が無い…………本格的にマズイね」

 

『オイ』

 

「なに? 僕は今君にかまってる暇は」

 

『時間がねぇんだろ? だったらさっさと行きゃいいだろ』

 

 

どうすることも出来ない現状に歯噛みしていると、急に魔人が愚行を立案しだした。

さっさと行く。つまりは無策で妖怪の山の中へと突っ込めということか。君は馬鹿か。

元から人間の立ち入りを厳しく取り締まっている妖怪の霊山へ無策で乗り込むなど、

手の込んだ自殺でしかない。わざわざ駅で切符を買って、乗らずに線路へダイブする

自殺志願者と同じような思考だ。人間の身体は脆い。肉体的にも、精神的にも。

だからってわざわざ殺してもらうために行くことはないだろう。僕は二度も死にたくない。

次々と愚案を否定する理由を考えていると、それが筒抜けな魔人は呆れるように語った。

 

 

『場所も分からねぇ、時間もねぇ。だったら行くしかねぇだろうが』

 

まさしくバカの典型ともいうような言葉に、それでも僕は納得せざるを得なかった。

確かに、魔人の言う通り時間も無いし位置情報も無い。なら、しらみつぶししかない。

相手がどれだけいるのか分からないし、状況がどうなっているかすらも不明のままだ。

 

それでも僕は、ただ彼女に対して罪を償いたい。だったら、やるしかない。

 

 

「………はぁ、ソレしかないみたいだね」

 

『分かったらさっさと行くぞオラ』

 

「落ち着いてよ、三日間断食を強要された豚じゃないんだから」

 

『何なら今ここで決着つけるか、あァ⁉』

 

「ほら、どーどー。ゆっくり深呼吸してー、そのまま口を閉じてー」

 

『死にたいんだったらそう言えよクソガキが。二度手間だろうが』

 

「やっぱり深呼吸中止。君の息はドブネズミのゲロみたいな匂いがしそう」

 

『殺すぞクソガキ‼』

 

 

ただその前に、僕よりも頭が悪い魔人に納得させられたのは、僕のプライドが許さない。

溜まった鬱憤を吐き出させてもらおうかな。それくらいの権利主張は認められるはずだ。

 

 

「さて、お遊びはここまでだ。僕に協力しろ」

 

『気が変わったって言ったらどーする?』

 

 

気分を切り替えて進もうとした直後、魔人が駄々をこねてきた。

 

 

「体内の血流の方向を逆転させて爆裂するって言ったらどーする?」

 

『…………ケッ! クソが‼』

 

 

すぐに必殺の脅し文句で黙らせる。魔人が欲しいのは、僕の器としての"完全な"身体だ。

それを木っ端微塵にするぞって言われたら、下手に出るしかなくなる。

 

 

「ありがとう。さ、ここで言い争っても始まらない。行こうか」

 

『言いだしたのはテメェだろうが』

 

「多少目立っちゃうのはこの際仕方ない。ほら、力貸してよ」

 

『聞けよクソが‼』

 

 

魔人を言いくるめていざ出発、といったところで、僕自身には空を飛ぶ力などない。

改造人間と言ったって、背中に羽が生えてるわけでも、飛行能力があるわけでもない。

まぁ僕の『方向を操る程度の能力』で、重力の方向を操れば出来ないことはないけども、

それは飛行というよりも落下に近い。速度を上げる事も調節することも出来ないのだ。

だから不本意だけど、この魔人に頼るしかない。コイツは僕の肉体と魂を同化させて、

人間とはかけ離れた器に変えたとはいえ、単独での飛行を可能にしたのだから。

 

 

「君に体を貸すのは忍びないけど、これはあくまで一時的な物だからね。

いつでも奪い返せるということをお忘れなく。それじゃ、頼んだよ」

 

『チッ! あー分かったよ、全開で行くぞオラァ‼』

 

 

もはや街中でタクシーを拾うのと同じ感覚で、内側に潜む魔人を移動手段に使える

ようになってしまった自分に、驚きの感情すらも感じなくなっている。

何か行動を起こせば反発しようとするし、行動しなければしないで喚きだすような存在に、

いつの間にか慣れてしまったのかもしれない。なんだろう、器として融合してるからかな。

とにかく僕は一旦魔人に身体を預け、入れ替わるように精神の内側で彼の動向を見守った。

 

 

『んで、どっちだ?』

 

「あっち」

 

『アッチじゃわかんねぇだろうが!』

 

「向こう」

 

『向こうで分かる訳ねぇだろうが‼』

 

 

同じ一つの身体で言い争いが再び勃発し、紅い霧をまとった僕らは一路、妖怪の山へ向かう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「…………ハァ」

 

 

一人の少女が、その身長に見合った幼さを感じさせる唇からため息を漏らす。

しかしその仕草は幼さとはかけ離れ、どこか気品と気苦労を感じさせるものがあった。

 

 

「……………ハァ」

 

 

二度目のため息を吐き出すも、その少女の顔色は優れない。ここ数日はずっとこうだ。

 

 

「フラン………無事でいるといいんだけど」

 

 

どこを見回しても視界のほぼ全てを真紅に染める部屋で、その部屋の主人がか細く呟く。

少女の名はレミリア・スカーレット、霧の湖に浮かぶ紅魔館の主人である、吸血鬼だ。

 

彼女が二度も深々とため息を吐いたのには理由がある。それは彼女の、ただ一人の妹の事。

495年もの歳月を地下牢に封じ込めていた張本人である自分が、今更館の外へ出たことに

不安を感じるなど偽善だ、と内心で客観的に判断しながらも、それでも親心は消えない。

 

 

「ハァ…………もう、五日よ?」

 

 

レミリアの妹、フランドールが彼女の執事を探しに館の外へ消えて、五日が経過したのだ。

この紅魔館を建設してから今日という日まで、館に属する者がこれほどまでに長い間、

館を離れるなんてことは一度も無かった。故に、今のレミリアの心境は押して然るべきだろう。

 

万物を創世せしめる神、それすらも破壊することが出来るレミリアの妹の能力。

開いた右手が閉じられた時、彼女の前にあるモノは有象無象の区別無くこの世から壊れ去る。

あの悪魔すら恐れる能力が開花したから封じたのか。開花する前から封じていたのか。

長過ぎる時間の壁が、レミリアに思い出すことをためらわせる。今更思い返してどうする、と。

仮に妹を地下牢へ封じたことが誤りだったとして、過ぎていった時間はもう元には戻らない。

妹との間に、知らず知らずの内に深く根付いた溝は、決して塞がることは無いのだろう。

 

それでも、だとしても、姉として妹を想わずにはいられないのだ。

 

 

「もう帰ってきてもいい頃でしょ? 帰ってきたらどう?」

 

 

そこに妹がいて、自分の話を聞いているかのような物言いを、一人きりの部屋で口にする。

半ば自暴自棄になりかけてもいたが、最後の一線は彼女の異常なまでの誇りが守り抜いた。

しかしやはり、妹からの返事は無い。その事実に目線を窓から紅い床に伏せ、三度目の息を吐く。

 

 

所変わって、ここはレミリアがため息を吐く紅魔館にある、魔女の住むヴワル大図書館。

そこにはいつもと変わらず、たった二人だけの住人が無数にある分厚い本と暮らしている。

だが彼女らもまた、当主のレミリアと同じように、その表情は浮かないものになっていた。

特に魔女のパチュリー・ノーレッジは、明らかに落ち込んでいるような雰囲気を見せていた。

 

 

「あ、あの、パチュリー様…………紅茶をお持ちしました」

 

「………………」

 

「ぱ、パチュリー様?」

 

「…………そこ、置いといて」

 

「は、ハイ!」

 

 

おそるおそるといった感じでかけられた小悪魔の声に、彼女の召喚主であるパチュリーが

反応を示したのは少し遅れてからだった。間違いなく、普段の彼女ではありえない状態だ。

しかしそれを指摘する小悪魔ではない。相手は自分の召喚主であり、最強の魔女なのだから。

けれどそれはあくまで実力的な問題の視点だ。小悪魔が気を使った理由は、別の問題にある。

 

最強の魔女である主人が、幾日も時間を費やして作った魔法を、失敗に終わらせてしまった。

 

普段の小悪魔なら鼻で笑っていただろうその問題は、しかして彼女自身も当事者だったが故に

否定しきれるものではなくなっていた。そう、見たのだ。主人の魔法が失敗したその瞬間を。

約三週間ほど前にこの館へやって来て、住民となり、館の主の妹君の世話役を仰せつかるほどの

力を証明して見せた、一人の人間の少年。その彼を死から蘇らせるための、強大な転生魔法。

大図書館の主と館の主の二人がそろって執り行われた大魔術。その結果が、失敗。

小悪魔は知っていた。目の前で落胆の色を隠せない召喚主が、酷く悲しんでいることを。

 

 

(パチュリー様は紅夜さんに、何か特別な思いを抱いていたようですし、私も………)

 

 

小悪魔がその大きめの胸部を、祈るように組んだ手でざわつく心を戒めるために押さえつける。

彼女たちはその目で見た。あの日の夜、この大図書館で、十六夜 紅夜という少年が死んだのを。

そして彼女たちは見た。転生儀式の失敗によって呼び出された魔人が、彼の身体を奪うのを。

人ではないモノに変わってしまった彼の姿を思い出すだけで、小悪魔の心は波紋を起こす。

 

初めて館に来た時、自分を人質にした彼が。徐々に打ち解けてゆく内に、笑うようになった彼が。

異変を決起した際に、血反吐を吐きながら抗った彼が。自分の知らぬ所で、息を引き取った彼が。

自分たちの目の前で異形へと変わり、状況を理解せぬままに夜の闇へと消えた彼の事を思い出す。

 

気付けば小悪魔の両瞳の端には、大粒の涙が溢れていた。

 

 

(紅夜さん…………どうか、どうか無事でいてください………‼)

 

 

人が何かを望み、祈るのは神に対してだが、悪魔が祈る場合は、何に対してなのだろうか。

本棚に囲まれた狭いスペースで、泣くのをこらえている小悪魔をチラリと見やったパチュリーは、

ふとそんな下らないことに思考の何割かを一瞬だけ割いて、再び陰鬱な表情へと追いやられる。

薄紫をベースに、紫色のストライプが入った服装に身を包む彼女が考えるのは、やはり小悪魔と

同じで、この館のメイド長、十六夜 咲夜の義弟であるたった一人の人間の少年についてだった。

 

魔女として長きに渡り研究を重ね、持ち得る知識の全てを活用して編み出した、魔人転生の儀。

しかしその行いの結果は、燦々たるものだった。成功すると信じて疑っていなかったのに、

まさかこんなところでしくじるとは考えてもみなかったのだ。それほどまでに、安堵していた。

 

彼が、十六夜 紅夜が帰ってくるのだと確信した時、パチュリーは心底安堵してしまっていた。

 

 

(いくらレミィの膨大な魔力があったといっても、術式の主体は魔女(わたし)だったのに………)

 

 

油断、慢心、侮り、驕り、軽薄、迂闊。言葉など探さなくともいくらでも出てくるというのに、

彼を救い出す方法は見つからなかった。倒錯の果てにようやく辿り着いた答えに従い、術式を

日夜構築し続け、魔力を注ぎ込み、友人であるレミリアに助力を願って足りない分の魔力供給を

補ってもらった。そこまでしなければ成し遂げられなかった。そして、その挙句が失敗。

 

同じ紅魔館の住民は皆、パチュリーのせいではないと言った。しかし、彼女自身が許せないのだ。

 

魔女である自分が、膨大な数の魔法と魔術を研究し続けてきた自分が、何たるざまか。

五大元素を操るだけでなく、二つ増やした七大元素を魔法に応用さえできる最強の魔女の自分が、

人間一人を二人がかりで復活させられなかっただけでなく、召喚したモノに反旗を翻されるなど。

もはや魔女の面汚しと言われても反論のしようが無いほど、今回の失敗は大きかった。

 

 

(ごめんなさい、レミィ。妹様も、小悪魔も、美鈴も…………咲夜も)

 

 

紅魔館にいる全ての住人に謝罪の意を述べようとしても、彼女らはそれを受け取らなかった。

友人であるレミリアは当然だ。彼よりも、彼を探して消えた妹の方が心配なのだから。

一緒に図書館にいる小悪魔は、先程見た通りだ。一日一回は彼を思い出し、そして泣きだす。

門番の美鈴は普段は顔を突き合わせないが、昨日会ったときは拍子抜けするほど上機嫌だった。

そして最後に、外の世界で一緒だったことを思い出した咲夜。彼女にはもう、かける言葉も無い。

自分が知る十六夜 咲夜とは、『瀟洒』という言葉を人として具現化させたような人物なのだ。

そんな彼女が狼狽し、取り乱し、あまつさえ泣くとは思ってもみなかった。素直に驚いた。

しかし実際、紅夜の姿が消えてからというもの、咲夜は紅魔館にいる時間がほぼ無くなっている。

もちろん、弟を探すためだということは分かっている。だが、それでも見つからないらしい。

毎日朝早くに館を出立し、夜も深まり月が西に傾きだした頃にようやく帰ってくることが、

日常茶飯事となっていた。その間、仕える主人であるレミリアにするはずの奉仕を怠ってまで。

 

(何もかも、変わってしまった。紅夜が、一人の人間がいなくなっただけで)

 

 

彼が来る前の紅魔館は、良くも悪くも平常だった。何もかも、上手く回っていた。

いや、違う。彼が来るまでこの紅魔館は、一つ一つの歯車が噛み合わず、回ってすらなかった。

たった三週間という短い期間でも、これだけ環境が目まぐるしく変化していったのは、

他ならぬ彼と言う存在が、一つ一つの歯車の溝を埋めていってくれたからだろう。

 

 

(もうこの紅魔館は、いえ、ここにいる誰もが、あなたがいないとダメになってるのね)

 

 

認めたくはない。たった一人の人間なんかに、数百年生きた魔女が、骨抜きにされるなんて。

それだけならまだ笑い話で済む。けれど事は紅魔館全域に及ぶ。ここに住む、全てのモノに。

 

500年を生きる赤より紅い吸血鬼も、495年の牢獄を生きた狂気渦巻く破壊の吸血鬼も、

決して砕けぬ意思を持つ眠れる妖怪も、召喚された小悪魔も、ソレを呼び出した魔女も。

 

およそ人間などには手に負えないはずのモノ達が、こぞって彼を中心に動いている。

 

 

(なんて滑稽なのかしら。でも、それを悪くないと思っている自分がいる)

 

 

ここ最近、思い出すのは彼と一緒にいた記憶ばかり。それも、ほとんど二人きりのものだ。

一番最初に彼に興味を持った、土砂降りの雨の夜。共に魔導書を開き読んだ、遅めの朝。

彼の死期が近いことを知り、覚悟を決めた半月の夜。そこまで思い出し、ため息を一つ。

 

彼が消えてからというもの、この館の住人はそれぞれ何らかの異常をきたしている。

別に彼が何かしたからというわけではない。かといって、原因でないこともないだろう。

 

様々な種族の女性に好かれ、愛された彼の事を、魔女である自分は、どう思っているのか。

 

 

(見え透いた禅問答ね。私は魔術の深淵を極めることしか興味が無い、そのはずだわ)

 

 

同義であるということは、イコールと言うことだ。しかしイコールとは、確定でもある。

今回に限って言えば、パチュリーは自分で言った言葉を自分で、不確定(ノットイコール)だと確信していた。

 

彼には生きていてほしかった。ずっと本を教えてあげたかった。死んでほしくなかった。

 

魔女にあるはずのない"心"が、パチュリー・ノーレッジとしての"心"が騒ぎ立てる。

 

 

(…………見え透いた、ね。私自身の答えに自信が持てないのに?)

 

 

これ以上はもう耐えられないと悟り、パチュリーはまた深く大きなため息を吐く。

まるでそうしなければ、内側に溜まったもので膨れ上がって爆ぜてしまうかのように。

 

「…………ん?」

 

 

ため息を吐けば、自然と視線は下方向へと向けられる。今回はそれが幸いしたようだ。

 

 

「コレは、あの異変の時の魔導書?」

 

そう言ってパチュリーが拾い上げようとしたのは、もはや懐かしさすら感じるものだった。

少し前にレミリアが紅夜を迎え入れるために引き起こした、紅魔館主犯の新たな異変で

特別にこしらえた、十六夜 紅夜のためだけの一等専用品(ワンオフ)と呼べる紅い魔導書だ。

この魔導書は他の物よりも若干薄く作られている。理由は単純、中の魔法が弱いから。

込められているのは、紅色に染まった高濃度の霧を放出し、特定の人物に魔術の発動権利を

委ねるというものだった。損得勘定で数えれば、ソレは間違いなく"損"でしかない。

 

今この場にあってもパチュリークラスの魔術師では使う気すら起こらない、そんな代物。

 

だが、それがページ半ばで開かれ、描かれている魔法陣が魔術に反応していたらどうか。

 

 

「なんで、術式が発動しているの……? 一体誰がこんなものに_____________」

 

 

そこまで言葉が出かかり、以降パチュリーの声帯は声を出すことを中止した。

そして目の前で起きていることを再確認し、魔女としてその現象を観測し、確証を得る。

 

たった一人のために作られた、自分以外は小悪魔しか知らないような、無価値な魔導書。

制作者自身も存在を忘れかけるようなものを、好き好んで使う無関係な者がいるだろうか。

否だ。その答えは断じて否だとパチュリーは考える。そしてその先の事も。

 

 

「そう。コレを使わざるを得ない状況にいるのね。紅夜、あなたはまだ」

 

 

_________戦っているのね。

 

 

確信を以て、それでいて飲み込まれたその言葉は、パチュリーの笑みの中に消えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

僕が前にここを訪れた時は、能力を使ってあっさりと侵入することが出来た。

『方向を操る程度の能力』によって、山中を警戒している妖怪たちの目線の方向をずらしつつ、

騒ぎにならないように気を付けながら、射命丸さんの自宅へと向かい、辿り着いたのだ。

 

しかし今回は、桁が違った。

 

 

『あのうじゃうじゃいやがンのが、全部天狗って連中か?』

「………だろうね」

 

 

真紅の霧をまとった僕らの視覚が捉えたのは、そこに変わらずそびえ立っている妖怪の山、

ではなく、山の至る所を哨戒している無数の天狗の姿だった。

 

魔人が主導権を握る器として強化された肉体が、異常なまでに感覚を強化しているらしく、

これほどまでに離れた場所からでも、山の中を歩く白い毛並みの天狗を見つけられた。

中には射命丸さんと同じような翼をもつ鴉天狗も見受けられる。コレは明らかに異常だ。

 

 

「_________警戒を強化している?」

 

『あァ?』

 

 

数瞬の思考が導き出した答えは、射命丸さんの処罰を行うための警戒網の強化。

僕の表層意識となっている魔人が不可解そうな声を上げるも、それを務めて無視する。

 

しかし妙だ。射命丸さんへの判決が終わり、いざ処刑と言うのならばまだ分かる。

でも、どうしてこれほどまでの警戒が必要なのかが分からない。この警備は厚過ぎだ。

 

「どうしてそこまでするんだ? いくらなんでもおかしいぞ」

 

『その何とかって女が逃げ出したんじゃねぇか?』

「射命丸さんが? でも、いやそんな…………」

 

 

過剰ともいえる警戒の仕方に躊躇していると、魔人が射命丸さんを暗に原因としてきた。

コイツの言いたいことは分かる。彼女が脱走を企てた結果、二度目をさせないためにと

警戒網を厳重にしたのではないか、ということだろう。でも、本当にそうだろうか。

疑問はいくつか残る。けど僕が最も不可解に感じているのは、彼ら哨戒の陣形の方だ。

もし魔人の言う通りだとしたら、彼らは山の内側に戦力を多く投入するはずだ。

逃がさないための陣形だというのなら、まず標的の付近を数で押し固めるだろう。

しかし僕が見たところ、哨戒の数は山を下るにつれて増している。つまり、逆だ。

 

 

「山へ何者かが侵入することを警戒しての布陣………?」

 

『バレてんのか?』

 

「それはない。と、思いたいよね」

 

『どっちなんだよ!』

 

「どっちがいい?」

 

『死ねよクソガキ』

 

「どうもありがとう」

 

もはや手慣れた一連の会話を一旦終わらせ、改めて魔人の視力で山中を確認する。

確かに山の下側の方が人影が多い。逃がさないためなら最も外縁に数を配置するのは

愚策でしかない。そんな馬鹿をやらかすほど、天狗は頭の悪い種族ではなさそうだけど。

 

でも、哨戒をしているのが逃がさないためではなく入れさせないためだとするなら。

 

 

「そこから目標の位置を割り出せる!」

 

 

大事なものは大切にしまい、多くの安全の中に隠す。知性ある生き物の行動原理だ。

それを紐解いていけば、逆算的に彼らの目的である射命丸さんの居場所が分かるはず。

当然そこには多くの天狗がいるだろう。そして彼らは、人間を遥かにしのぐ力を持つ。

 

 

『ま、人間を遥かにしのぐってんなら、俺様も負けちゃいねぇがなぁ』

 

 

そう。その点に関していえば、たった今僕らと彼らの戦力の差は限りなく等しくなった。

人を超える速度? こっちは魔人が中にいるんだぞ?

人を超える妖術? 魔法が使える魔人と張り合うか?

人を超える感覚? 魔人が来る前に限界値(オーバースペック)なのに?

 

率直に言おう。今の僕は、天狗如きに負ける気がしない。

 

 

「さ、行こうか」

『おう。テメェのせいで溜まったモン、アイツらにぶちかましてやらァ!』

 

「なんて酷い言い草だよ」

 

『クソくらえ、間抜け面‼』

 

 

もはや恒例になりつつある彼とのフレンドリーな会話を交え、一歩目を踏み出す。

そこから真紅の鎧を構築し、全身を覆い隠すと、魔人の力で中空へと浮かぶ。

 

完全に隠れる場所の無い空の真ん中で、赤よりも紅い人影が姿を現した。

 

当然妖怪の山の天狗たちはいきり立ち、そろって僕らへと警戒の目を向け始める。

武器を手に、視線を尖らせ、口の端を笑みではない感情の迸りに任せ歪めきり。

 

一言で言うならば、臨戦態勢だ。それにこの数相手だ、まず逃げられないだろう。

でも逃げる必要なんて無いし、そもそも逃げる選択肢なんて僕には最初から無い。

 

 

「どのくらいかな? 敵の数は」

『知るかよ。全部ぶっ殺しゃいいだろうが』

 

「…………いや、殺すのはダメだ」

 

『ハァ⁉』

 

 

でも、殺すのかと問われれば答えは否だ。そもそも、僕の目的は侵略じゃない。

鴉天狗と白狼天狗の両陣営を抹殺することでもない。これは僕の罪の清算の為だ。

射命丸さんを騙したことで既に罪を犯している。これ以上、罪を重くはできない。

それに僕はこの幻想郷に来て決めたんだ、自分の為だけに力は使わないって。

 

 

『コレはテメェの為じゃねぇのかよ』

 

低く笑いながら呟かれた魔人の言葉に、一瞬苛立ちながらもその言葉を肯定する。

これは僕が犯した罪を償う為だけの行動だ。だから、それは僕だけの為になるから、

僕が立てた誓いに反する行いになる。でも、それは今回これっきりだけだ。

人の命と一緒だ、二度目は無い。

 

 

『確かにな』

 

「とにかく、やることは一つだ」

『殺すな、女を奪え、今んとこ二つだな』

 

「…………じゃあ三つ目だ」

 

『チッ、まだ増やすのかよ』

 

「ああ、三つ目は____________本気でいこう」

 

 

魔人の笑い声に近い音程の宣言を口にした僕は、紅い鎧の下で眼を吊り上げる。

肉体の主導権を持っている魔人は、数瞬置いた後で高らかに笑いだし、頷いた。

 

 

『俺様に本気を出させりゃ、皆殺しだぜ‼』

 

「本気で、誰も、殺すな」

 

『面倒くせぇな‼ もーいい、行くぞオラァ‼』

「ああ、いこう」

 

 

最大限の警戒を向け続けている天狗たちに視線を向け、深紅の騎士は駆け出した。

 

 






いかがだったでしょうか?

そう言えば、この作品もUAが10000を突破していました!
おーめーでーとー!(某プリン伯爵風)

さて、今回からは紅夜の章のラストに向けて突っ走りますよ。
予定では後日談を含めて、あと4、5話ほどで終わらせるつもりです。
衝撃の展開に、誰もが驚愕する‼(作者自身も)


それでは次回、東方紅緑譚


第六十話「紅き夜、愛と罪のジレンマ」


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【追伸】
UAってのは、読者数って事でいいんでしょうか? 教えてください

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