東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、咳で窒息死しかけている萃夢想天です。
参りましたねマジで、呼吸の回数と咳の回数がほぼ同じなんて。
ご飯食べてる途中で突発的に出てきた日には、食卓が地獄絵図ですわ。

私的な拷問はさておき、先週は投稿できませんでした。
理由は、文章のイメージが固まってなかったからです。
ぶっちゃけ今もまだ固まってませんが、今回はキチンと書きます。


それでは、どうぞ!





第伍十四話「紅き夜、深紅の騎士は何処」

 

 

 

 

陽の光は届かない地底に築かれた、火よりも明るい都の一角。

地底都市のどこからでも目につく洋館『地霊殿』より少し離れた、小川に架かる橋の上。

大地の底であっても変わらず流るるその水のせせらぎが、遠くの喧騒に混じって聞こえる。

川の水音も地底の音頭も、今の僕にとっては雑音にすらも値しないけれど。

 

 

「………………」

 

 

現在地霊殿へと続く街道の脇にあるこの橋の上にいるのは、僕ともう一人だけ。

いや、厳密に言うのなら僕と彼女と、僕の中にいるもう一人で三人になるのか。

 

『オイ、クソガキ』

 

意識を自分の内側へ向けた途端、人数にカウントした僕の中にいる人物が悪態をついてきた。

 

(何かな? やっぱりカウントから外してほしいのかな?)

 

『違ェよクソが。チッ、そのクソ生意気な言い回し。テメェ元に戻りやがったな?』

 

(…………おかげさまでね)

 

 

心の内側に住み着いたもう一人の住人、自称魔人の彼が僕こと十六夜 紅夜に雑言を浴びせる。

しかし僕も僕で相手にするのはどうも子供っぽいと密かに感じつつも、言葉を返した。

その反応から魔人は僕が僕に戻ったことを確信したようで、一気に態度を険悪にさせてきた。

もちろん魔人の態度に腹は立ったけど、それ以上に僕は眼前の状況の打開に手を焼いている。

 

「あの、どうしたんですか? 急に黙り込んだりして」

 

「…………………」

 

 

改めて状況を確認しよう。現在地は旧都の端の小川に架かる橋の上、そこには僕ともう一人。

言葉にすると何ともないように思えてくるけど、実際は僕以外のもう一人が問題なわけで。

 

そのもう一人こそ、先程から無言で僕を睨みつけてくる『四季 映姫』さんなのだ。

地獄で死者の魂を公正に裁く閻魔大王の肩書を持つ彼女が、一体なぜここにいるのか。

無論それもまた、さっき彼女があることを口にした時点で僕にも察しがついていた。

 

 

「やはりどうにもなりませんか、四季さん」

 

「ええ、なりません。貴方は既に罪を犯していながら償いの機会を与えられています。

なのにその機会を棒に振り、あまつさえ自らの過去という罪を忘れ去るところだった」

 

「……………重々、承知しています」

 

「承知しているだけでは済みません。今回ばかりは弁解も挽回もなりませんよ」

 

 

小さな橋の上で僕と四季さんの視線がぶつかり合い、互いの意思を貫き通そうとする。

けれど彼女の言葉は正当性が通じていて、僕には余計な口を挟む隙すらも見当たらない。

確かに僕は四季さんからチャンスを与えてもらったし、それを無に帰してしまったのも

事実なのだが、僕は自分から忘れようとして自身の記憶を忘れ去ったわけではないのだ。

それをまるで僕が罪の責任から逃れるためにわざとやったとでも言うような物言いに、

少しだけ腹が立った。苛立ったと言ってもいい。そこから彼女の言葉は続いた。

 

 

「今回の騒動の発端はそもそも、紅魔館の吸血鬼とその親しき魔女の魔術にあります。

これももちろん彼女らの罪になりますが、一番重い罪は貴方に科せられるのですよ?」

 

「…………僕に? なぜです?」

 

「当然でしょう。貴方の罪は、外の世界に居た頃からずっと積み重ねられています。

自分の手をどれだけ他人の血で染め上げてきたか、それまで忘れたとは言わせませんよ」

 

「流石にそこまでは」

 

「とにかく、肉体を魔人に奪われたこと自体は不慮の事故になるかと思いますが、

それでもその事実に変わりはなく、また魔人を召喚したという罪にも変わりはありません」

 

毅然とした態度で直立したままサラサラと弁論を始める四季さん。その口調は重々しい。

しかし何故だろうか。彼女は閻魔大王という死した者の魂の善悪を量り、裁く法の執行官。

無論僕も一応は死人だからそこにカウントされるのは当然としても、何か腑に落ちない。

どうしてなんだろうか。彼女の話には正当性以外の要素は何一つないと言うのに。

 

四季さんの話を聞いていると、僕はふとそんな思考に呑まれ始めた。

罪の意識。その言葉は僕にとって無縁ではなく、彼女が言うように数多くの罪を重ねてきた

僕にはまるで、自分自身の暗い過去を再認識させられる呪いみたいに感じられた。

外の世界で姉さんと生き別れ、やっと彼女に会えたと思いきや既に別人になっていて。

彼女の弟に再びなるべく自分自身を手に入れ、ようやく念願叶えたと思えば限界を迎えて。

僕の人生というやつは本当に、どこまでも恵まれずにいたものだったな。

 

 

「_________ょと! 聞いていますか⁉」

 

「あ…………ああ、すみません」

 

 

いつの間にか僕は自分への自問自答に没頭していたようで、四季さんの声で正気に戻れた。

とはいうものの、僕への視線がより一層厳しくなった彼女はさらに口調を荒げ始める。

自分の話を蔑ろにされたことへの怒りが大きくなったのか、四季さんは眉根をしかめていた。

こうして彼女の状態を客観的に観察できている分、僕はまだ本当に反省してはいないのだろう

と自己分析してみたものの、そこに答えなど帰ってくるはずも無い。

そういえばついさっきまでうるさかった魔人の声が聞こえなくなっていることに気付いて、

どうかしたのだろうかと意識を割いた直後、僕の聴覚が四季さんの不満げな言葉を捉えた。

 

 

「全く、これだから何度言っても善行を積もうともしない人間は………地獄行き確定ですね」

 

 

四季さんの口から出たこの言葉は、僕にとってはただの愚痴混じりの正論にしか聞こえない。

しかし今の発言を聞いた瞬間、それまでの彼女の話の内容を思い出し、心がざわついた。

地獄行きが、確定だと?

 

閻魔大王から直接告げられる事実上の死後の世界での厳罰通告に、僕はわずかに息を呑む。

でも僕自身は大して気にはしない。けれど、今までの話の流れだと、どうなる?

 

 

「それはどういう意味ですか……………」

 

「ん?」

 

 

思わず口から疑を尋ねる言葉が漏れ出てしまったが、この際手間が省けた。

僕の言葉を聞いて首をかしげている四季さんに、僕はもう一度ハッキリと言葉を紡いだ。

 

 

「それはどういう意味かって聞いてるんです」

 

「どういう意味とは?」

 

「地獄行きが確定という話ですよ」

 

「………まさか貴方、今更地獄行きは嫌だとか見苦しく言い逃れをしようなどとは」

 

「思ってません、微塵も。僕の事じゃない。これだからってのはどういう意味だ」

 

「は? あ、貴方いったい何を?」

 

「"これだから"ってことは、僕以外にも地獄行きを言い渡した人間がいるってことか⁉」

 

 

目の前の僕よりも身長の低い少女を思わせる姿をした閻魔大王に問いただす。

相手の瞳は真っ直ぐに僕を射抜いている。退くわけにはいかず、僕もそれを返した。

僕が感じたのは彼女がこうして今の僕に対してのように、その可能性のある人間には

『地獄行き確定だ』と言って回っているんじゃないか、という懸念だった。

そして僕の問いを受けた四季さんは一切動じることなく、その問いに首肯した。

 

 

「はい、言っています。それがその人の為なのですから」

 

 

彼女のこの言葉を聞いた瞬間、僕は感じていた違和感の正体に気付いた。

 

そうか、そうだったのか。

この人は、四季さんは、人間の性質をまるで理解しちゃいないんだ。

 

 

「悪行を重ね、罪を知らず知らずの内に犯し続けている人間に対しては宣告してます。

『このままでいれば貴方は必ず地獄へ落ちます』とね。それが何か?」

 

先ほどの問いに答えた彼女は続けてそう語り、僕にその是非を尋ねてきた。

でも、もういい。もう充分だ。彼女は人間そのものを理解できていないから。

僕の心の内はそれまで考えていたことを全て捨て、代わりに怒りで煮えたぎっていた。

両手を握り締めて拳を作り、わなわなと震わせて湧き出す激情を抑え込もうとする。

自然とその反応が表情にも浮き出てしまい、四季さんが気付くほど顕著に表れていた。

今まで内心で考えようとしていた事の全てを振り切り、僕の口が言葉を紡ぎ始める。

 

 

「何か、じゃねぇよ。四季さん、貴女それがどういう意味か理解して言ってますか?」

 

「…………? 何を言っているんですか?」

 

「質問に答えろ‼ 貴女は今の発言の意味を理解してるのか、してないのか‼」

「ッ! あ、貴方はまたそうして罪を重ねて! 罪の意識を感じないのですか⁉」

「罪の意識だと? 貴女こそ本当に何も理解してないんですね‼」

 

 

地底の街道のその脇の小さな川に架かる橋、その上で僕は怒りのままに声を荒げる。

その矛先は目の前に居る地獄の閻魔大王である四季 映姫さん。

彼女の話を聞いてどこか違和感を感じていたのだが、ようやく分かった。

 

四季さんは、人の心の仕組みを知らない。

 

打って変わって激しい口調で責める僕を変だと思ったのか、四季さんが黙り込む。

あるいは僕がまた罪を自ら重くしていると小言を言っているのだろうか。

しかし今の僕にはどうでもいいことだ。肝心なのは、彼女に気付かせることだから。

再び僕は言葉を口にする。四季さんの、致命的な間違いを。

 

 

「いきなり現れた閻魔大王に、『地獄行きは確定』だと言われてみろ!

その人間は普通どういう行動に出ると思う⁉ それくらい分かるだろ‼」

 

「何をいきなり………自らの過ちを認め、悔い改め、善行を積み直すに決まってます」

 

「そんな訳が無いだろうが‼」

 

 

自分よりも身長が低いため、どうしても上からの目線になってしまうが関係ない。

四季さんは、彼女は本当に何も分かっていないのだから。だから感じていないんだ。

閻魔である自分が知らずに重ねている、罪に。

 

怒号を飛ばした僕は人の心を伝えようと決心する。人の心の、汚れた仕組みを。

 

 

「閻魔大王から『地獄行きは確定』なんて言われる人間は大抵がこう考えるはずだ!

『どうせ地獄行きが決まってるんなら、今更何をしてももう遅い』と‼」

 

「そ、そんなこと」

 

「ある。人間はそういう心を持つ奴がほとんどだ。醜い生き物なんだよ。

自分が罪を犯しているという自覚なんてない奴の方が圧倒的に多いんだから。

自覚していても、それをわざわざ改善しようと考える人間は、そうはいない」

 

「そ、そうです。だから私が出向いてそうならないように忠告を」

 

「それが間違ってるって言ってんだ‼ なんで分からないんだ⁉」

 

「っ⁉」

 

「地獄の権化とも言える貴女が地獄行きを宣告したら、人間はまず諦めます。

その後そうならないように善行を積むか、開き直って悪に染まるかを選択するんです。

貴女は何を勘違いしてるか知りませんが、多くの人は開き直る方を選びますよ!」

 

物分かりが悪い生徒に教師が懇切丁寧に解説するように、僕も四季さんに教える。

人間って生き物は困難や障害にぶつかった時、そのほとんどが挫折して諦めを選ぶ。

何故なら、苦労すると知りつつなおも立ち向かうより、諦める方が簡単だからだ。

『地獄行きは確定』と言われたら、『だったらいっそ』と思うのが大半の答えだろう。

 

仮に十年後に死ぬと知ったら、普通人間はどういう行動を取るだろうか。

残りの十年間全てを他人の為に捧げて一切我欲の無い生活を送れると考えるか?

人間なら、十年しか『生きられないなら』と開き直り、自分のしたいことをするはずだ。

四季さんは人のこういった心の在り方を理解していない。だから無自覚に言えるんだ。

 

地獄行きは確定だ(おまえにもうみらいはない)』と。

 

人間の一般論を語り、四季さんに人の醜い部分の仕組みをどうにか理解させようとする。

しかし彼女はどうも納得がいかないようで、未だに何か言いたげな顔をしていた。

本当に何も分かっていないんだ。そも理解をする気があるんだろうか。

気になった僕はさらに彼女に対して質問をすることにした。

 

 

「では聞きますが、貴女は極楽へ行ける者にも同じように伝えていますか?」

 

「…………ええ、伝えています。このまま善行を積み続けなさい、と」

 

僕からの問いに少々顔をしかめさせながらも、彼女はハッキリと答えた。

そしてそれを聞いた瞬間、僕は四季さんに対して明らかな失望と苛立ちを感じた。

確かに僕の胸の中に浮き上がったその感情は、僕が幻想郷に来て初めて味わうものだった。

 

 

「なるほど、よく分かりました。四季さん、貴女は最悪だ」

 

「なっ、いきなり何を!」

 

「これまでの質問への回答で分かったんです。貴女は人間への害悪でしかないと」

 

 

これほどまでに怒りを露にするのは本当に何時振りだろうか、僕にも思い出せない。

少なくとも幻想郷に来てからここまで怒りを覚えたことは一度も無かったはずだ、と

そこまで考えた直後に、僕の思考は赤と黒の奔流に呑まれていった。

思考がおぼつかなくなった状態のまま、僕は四季さんへ言葉をぶつけるように語る。

 

 

「貴女は人間をまるで理解していない。だから自分でも気付いてないんでしょう。

自分の口にした一言のせいで、一体どれだけの人間を地獄へ誘ってきたのかを‼」

 

「何を世迷言を! 閻魔大王である私が人間の何を理解していないと⁉」

 

「そこだよ、その人間を見下した物言いが何よりの証拠さ‼」

 

「な、何を」

 

「さっき僕が言ったように人は醜く、貴女が思っているように愚かな生き物だ。

何度だって過ちを繰り返すし、何度だって罪を重ねて悔い改めようとしない」

 

「………そうです。人間は何度も同じ過ちを繰り返し、罪を重ね続けます。

だからこそ、そうならないために閻魔である私が釘を刺しておかねば」

 

「そこが間違いだと何故気付かない⁉」

 

「間違、い?」

 

「そうだ! 何故閻魔大王である貴女が生きた人間の罪(・・・・・・・)に口を出そうとする⁉」

 

「な、何故って、それは私が閻魔大王で…………」

 

「閻魔大王の仕事はどのようなものか、死神の小町さんに少しだけお聞きしましたよ。

ですが彼女は一言も、『生きた人間の犯した罪を裁く』なんて言ってませんでした」

 

徐々に激しくなっていく互いの口調に合わせるように、感情も昂っていく。

でもここで冷静さを欠いたら意味が無い。僕はあくまで人間で、相手は閻魔大王だ。

そこの線引きはしっかりしておかなければダメだ。でないと、話も通じなくなる。

頭を冷やそうとして少し間を置き、その後に四季さんに核心を突く一言を浴びせた。

僕の言葉を聞いた四季さんはすぐにハッとした表情に変わり、目が泳ぎ始めた。

わずかに息を呑むことを聞いた僕は、そこから今度は諭すように丁寧に語り始める。

 

 

「この世の生あるものは皆、完全ではなく不平等です。それはご存知でしょう?

だからこそ人間も妖怪も間違えることはあるし、罪を犯すこともある。

でも、罪を犯したらそれで終わりというわけじゃなく、れっきとした法を取り締まる

機関も組織もありますし、罪を償う方法もあるんです」

 

「…………………」

 

「人は間違いの中で何が間違いなのかを見つけ、正す工夫を凝らしてきました。

だからこそ人は人を保護し、縛り、罰するための法を作り上げたのです。

それを何故貴女が、地獄の法の番人がわざわざ出張って口を挟むんですか?」

 

「で、ですから私は、これ以上人が罪を重ねて地獄へ来ないようにと忠告を」

 

「それが貴女の思い上がりなんですよ」

 

「思い上がり、ですって⁉」

 

「ええ、思い上がりです。傲慢と言ってもいいかもしれませんね。

貴女は長い間勘違いをしてきたせいで僕の言葉にも信心が置けないようですが、

これだけはハッキリと言っておきます」

 

 

ここまでいってから僕は息を吐き、物腰を柔らかくしていた状態を止めて背筋を

伸ばして張り詰め、揺るがない絶対の意思の下で四季さんに告げた。

 

 

「貴女は死者の生前の行いが、善か悪かを見定めて裁くのが本来の姿なのです。

決して、人間の罪を裁くことは出来ませんよ。人を裁き許せるのは、人だけです」

 

「……………………」

 

 

ずっと胸の奥底で溜まっていたものがスッと消えていくのを感じながら、

僕は感じていた違和感を拭い切れた事と考えていた事を伝えられた達成感に酔いしれていた。

人を裁くことができるのは人だけ、自分で言ったこの言葉に嘘偽りは無い。

自らが間違いを繰り返してそれに気付き、止められるのは同じ人間であって閻魔大王ではない。

例え地獄の法の番人であっても、生命ある世界で長きに渡って定められ続けてきた人の法に

干渉することはできないはずだし、生きた人間の犯した罪を裁き、悔い改めさせる権利も無い。

四季さんは今までずっと地獄で魂を裁いてきたから、先入観に囚われてしまったのだろうか。

おそらく最初は、人が繰り返す過ちをどうにか止めようとしただけなのかもしれないが、

あまりにも罪を重ね続ける人間を見て辟易し、寛容する心が憔悴してしまったのかもしれない。

 

ただこれからは彼女も変わってくれると願いたい。

だからこそ僕は四季さんに、もう一言だけ伝えておきたかった。

 

 

「人を裁けるのは人だけです。ですが、罪を裁けるのは四季さん、貴女だけです」

 

「あ…………」

 

僕の言葉を聞いて俯いてしまっていた彼女が、今度は顔を上げて僕を真っ直ぐ見つめてきた。

変わらず橋の上にいるけれど、最初の時と構図自体はまるっきり変わってないかも。

けど四季さんの僕を見つめる視線は完全に変わっている。敵意も無ければ害意もない。

その瞳に揺らめいていたのは微かに小さな感情の集まりで、何がどうなのかは分からなかった。

でも多分、四季さんがこれ以上『罪を重ねる』事は無くなるだろうと何となく思う。

閻魔大王である自分の本来の形と姿を、きっと思い出してくれたはずだろうから。

 

しかし随分と長く彼女と話し込んでしまった気がする。三十分近く経った気もするけど。

僕もここまで感情を露にしたのは久々だな、本当に何時振りなのか分からないほどだ。

 

「…………………」

 

 

目の前に居る四季さんは僕が話し終えてからずっと、何も反応を起こさない。

しばらくお互いに黙っていると、僕を見つめたままの彼女がおもむろに口を開いた。

 

 

「貴方は、このままでは地獄行き確定です」

 

「…………?」

 

 

四季さんは相変わらず僕から視線を逸らさずにそう呟いた。

あれだけいってもまだ彼女には伝わっていなかったのか、と一瞬思ってしまったけれど、

彼女の瞳が最初に同じ言葉を口にしていた時とは明らかに違うと気付き、考え直した。

僕から何の反応も返ってこないことを良しとしたのか、彼女は話を続ける。

 

 

「ですからどうか、一つでも多く善行を積んでそれを覆してください」

 

「………………はい」

 

「これで、いいでしょうか?」

 

解いた問題の答えを教師に尋ねる生徒のような口ぶりの四季さんは、少々恥ずかしそうだった。

そんな彼女の姿と言葉を僕は素直に受け止めて、目を閉じて笑顔を作って首を縦に振った。

すると四季さんは満足したような表情になって軽く息を吐き、もう一度僕に語り掛けてきた。

 

 

「十六夜 紅夜、貴方は人の身でありながら魔人を宿すという罪をその身に受けました。

ですがその魔人を封印する手立ては失敗し、貴方も記憶を失い、より罪を助長させました。

これ以上の累積を見過ごす訳にはまいりません」

 

「はい」

 

「……………では、貴方に最後の、本当に最後の機会を与えます」

 

「…………え?」

 

 

四季さんの話を聞いて、今度こそ僕は地獄とやらに連行されて罪を償わされるのだろうと覚悟

していたのに、彼女の口からはもう一度だけチャンスを与えるという慈悲の言葉が出てきた。

閻魔大王という立場にいる上にさっきまでの状態から鑑みても不自然極まりない彼女の言動を

不審に思ったことが見抜かれ、四季さんは若干目を細めながら理由を説明してくれた。

 

 

「貴方が言ったことではありませんか」

「え、え?」

 

「言いましたよね? 『何度も過ちを繰り返す』と。そして私は貴方に気付かされました。

閻魔であろうと、人に償いの機会を選んで与えるというのはおかしな話ではないのかと。

人が間違いを繰り返すなら、その都度償いをさせて罪を清算させるべきではないのかとね」

 

「……………………」

 

「私の仕事は人を導くことではなく、死した魂の罪を裁き、輪廻転生へと送り出すこと。

いつしか私は自らが閻魔であることにのさばって、罪ある者を更生させることこそが

本懐であるのだと錯覚していたようです。貴方が言っていた私自身の罪の意識ですね?」

 

「罪に塗れた人間である僕が言うのも、おこがましい限りですけどね」

 

「いえ、貴方に諭されていなければ私は自らの罪に気付くことは無かったかもしれません。

知らず知らずの内に私は人の心の弱さを忘れ、人の心の脆さを見誤っていたのですから」

 

「でも貴女はそれに気付けた。なら貴女もきっと、変われますよ」

「…………変わる必要はありません。そもそも私が、変わってはいけなかったのです。

私は是非曲庁からなる地獄の法の番人、閻魔大王。地獄の法の規範となるこの私が変わって

しまったら、誰が法の下に罪を犯した魂たちを裁けるというのでしょうか」

 

 

そう語った四季さんは、この橋の上で出会った時よりもさらに毅然としているように見えた。

彼女自身も気付いていなかっただけで、本当は心のどこかで罪の意識を感じていたのでは

ないだろうかと思えてくる。その証拠に、今の彼女は憑き物が落ちたように晴れやかだった。

自分の失態に気付いて変わった、というより本来の自分を取り戻したとでもいうのだろうか。

とにかく再び眼に光を灯した四季さんは、改めて僕が償うための機会について語りだした。

 

 

「さて、個人的な話はここまでです。今から貴方に最後の償いの機会を与えます。

貴方が三途の川に来る前に犯した罪の一つを、自らの手によって清算してきなさい」

 

「僕が犯した罪を、ですか。多過ぎて数え切れませんね」

 

「うそぶいても構いませんが、貴方はこの罪に対して激しい後悔を抱いていますね?」

 

「………何の事でしょうか?」

 

「貴方が犯した生前最後の罪___________それは、射命丸 文を騙した事です」

 

「ッ‼」

 

 

まさかこんなところで彼女の名前を聞くことになるとは思いもよらなかった。

射命丸さん、か。記憶を取り戻した今ならハッキリと思い出すことができる。

僕の寿命が尽きかけ、永遠亭という診療所に運び込まれたあの最期の瞬間を。

別れ際に吐血して意識を失った僕を永遠亭まで運んでくれた射命丸さんに、僕はどうしても

死んでしまう前に伝えようと、彼女を騙していた事を掠れた声で必死に語った。

結果として彼女は、僕の前から無言で姿を消してしまったのだけれど。

 

 

「…………流石閻魔大王と、言うべきでしょうかね? そんな事まで知っているなんて」

 

「裁くべき魂の罪を知らずに、善悪を量ることができましょうか?」

「失礼しました。ですが、今更彼女に謝ったところで許されるとは……………」

 

四季さんというか、閻魔大王のスペックに驚かされたけれど今は重要じゃない。

問題は僕が彼女を騙した事を彼女に謝ったところで、どうにもならないってことだ。

謝る気が無いと言うわけではない。これが罪への償いだと言うなら、土下座でも何でもしよう。

でも肝心なのは僕の誠意ではなく、謝っても許されることじゃないってことが問題なんだ。

僕がその事に頭を抱えて悩み始めると、四季さんは神妙な顔になって厳かに語りだす。

 

 

「現在射命丸 文は、妖怪の山の牢獄で囚われの身となっています」

 

「えっ⁉」

 

 

四季さんの言葉に自分の耳を疑った。射命丸さんが、投獄された?

 

 

「さて、どうしますか?」

 

「…………は? どうしますか、というのはどういう意味ですか?」

 

 

彼女の安否と情報の正否が気になりだした僕に、四季さんは淡々とした口調で尋ねる。

しかしその言葉の意味が分からずにオウムのように同じ言葉を聞き返してしまう。

僕の顔を見た四季さんは打って変わって安らかな表情になって、優しく尋ねてきた。

 

 

「貴方が騙した射命丸 文は今投獄され、天狗内での裁判にかけられている状態です。

そんな現状の彼女に対して、貴方はどうしたいのですか? 何をしたいのですか?」

 

「何かって、そんないきなり!」

 

「時間はありません。彼女が投獄されてから既に四日経っています。

もし裁判が終わって刑が執行されるのなら、今日の午後辺りになるでしょうか」

 

「なっ⁉」

 

「償いの機会は、刻一刻と失われていきます。さぁ、どうしますか?」

 

「……………………」

 

 

優しい表情のまま、四季さんは何か含みのあるような言い回しで話を終えた。

でもいくら僕でもここまで言われれば彼女が伝えたいことの大まかな部分は分かる。

何だかんだで、四季さんも人が悪いよね。

 

 

「全ては貴方の自由意思ですが、最後にこれだけは言っておきましょう」

 

「…………何です?」

 

「新たに得た生、十六夜 紅夜の名に恥じぬ生き方を選びなさい」

 

話は終わったとばかりに僕の横を通り過ぎようとする四季さんが背後で立ち止まり、

最後の最後で僕に応援とも後押しともとれるような言葉を残してから橋を渡った。

僕の後ろからはまだ彼女の靴音が聞こえてくるけど、振り返る必要は無い。

そしてこれ以上、僕はこの地底に居られない。僕には、帰るべき場所があるから。

 

少しずつ聞こえ始めた小川のせせらぎと遠くから聞こえる喧騒に笑みを浮かべ、

僕はまだ近くに居るであろう四季さんに、声を大にして言い残した事を伝える。

 

 

「四季さん、お願いがあります」

 

「…………………」

 

 

彼女からの返事は返ってこない。それでも、確かに足音はすぐ後ろで止まっていた。

僕は四季さんが聞いていることを確信して、より大きくした声で頼んだ。

 

 

「この地底で僕を救ってくれた恩人、さとり様に、お伝え願えますか?」

「…………………」

 

「…………『お世話になりました。また逢う日まで』と」

 

「……………確かに」

 

 

最後に小さく了承の意を込めた一言を残して、今度こそ四季さんは立ち去った。

背後の気配が消えたことを感じつつ、僕は二回ほど深呼吸して真上を見上げる。

 

視線の先にあるのは、暗く黒く、果てしなく続く岩盤の空のみ。

青くも白くも紅くもならず、ただただ無骨なままの変わり映えの無い地殻のそれは、

ここ数日の間で見慣れてしまった僕の中に確かにある、わずかな時間の記憶にある

ものと完全に一致していて、この地底で僕が生きていた記憶の存在を認識させる。

この暗く固い空のはるか上には、まだあの素晴らしい世界があるのだろうか。

その素晴らしい世界では、忠誠を誓ったあの方々は僕を待っていてくれているだろうか。

わずかに心細くなった僕は、自分の弱さを打ち消すために()に語り掛ける。

 

 

(やぁ、お待たせ。意外と大人しくできるんだね、驚いたよ)

 

『ハッ‼ あのままあの女に捕まりたくなかっただけだ』

 

意識を自分の内側へと向ける感覚に慣れ始めたと感じた直後、あの乱暴な声が響いてきた。

粗雑な口調で荒々しい感情を即座に向けてくる彼に、僕は反抗せずに語らおうと試みる。

 

 

(…………何でもいいよ。とにかく、これから少しの間だけ手を貸してほしい)

 

『手を貸すだと? ハハッ‼ 何のメリットも無しにか? ふざけんな‼』

 

魔人の予想通りの答えに、僕は待っていたと言うように言葉を紡いだ。

 

 

(射命丸さんを助けるまでの間だけだ。それが終われば改めて君と決着をつけよう)

 

『ほォ…………で、具体的にどーすんだ?』

 

(君と僕で一対一、決闘をする)

 

誘いの言葉に乗ってきた魔人が、またしても読み通りの言葉を口に出してきた。

具体性の提示を尋ねる彼の言葉の後に一拍置き、そこからさらに続ける。

 

 

(君が勝てば___________この身体をくれてやる)

 

『‼』

 

 

魔人の態度が豹変したのを感じ、もう一押しするために最後の賭けに出る。

 

 

(君が勝てば僕の身体を好きに使って好き放題に暴れればいい。

でも、当然賭けだから君にもリスクは負ってもらうぞ)

 

『…………お前が勝ったら?』

 

(お前の力を全て、僕の為に使わせてもらう)

 

この発言は僕にとっても正真正銘の賭けになる。

もしデメリットに魔人が手を引けば、この話は無かったことになってしまう。

でももし彼がメリットを優先させてこの賭けに乗れば。そうなることを願うしかない。

 

わずかな逡巡の後、静かになった魔人がようやく答えを出した。

 

 

『乗ってやるぜ、テメェの案に』

 

(本当かい? 後になって反故も不履行も無しだからね?)

『ハッ、上等だ! テメェこそ俺に負けてから嫌だとかぬかすなよ‼』

(……………契約成立、かな)

 

『悪魔じゃなく魔人(オレサマ)に魂を売る人間がいるたぁ驚きだ! 楽しませてもらうぜェ‼』

 

 

粗雑な笑い声を上げて意識の底に消えていった彼を感じ、僕は再び上を向く。

魔人との取引は完全に賭けだし、最悪の場合は僕の意識が消される場合もある。

それでも今は彼の力を借りるしか方法が無い。でなければ、何もできないから。

 

岩盤の空を見上げつつ周囲を見回すと、目的の場所を発見した。

僕が地底で暮らしていた時の記憶の中で聞いていた、地底と地上をつなぐ大穴を。

 

 

「あそこから来たんなら、あそこから出ていくのが筋でしょうか」

 

 

地底都市の明かりが煌々と照らす岩盤の空にわずかに見える大穴をその視界に収め、

僕は自分の持つ能力をフルに活用してそこから地上へ出ようと考え、実行に移した。

まずは僕の能力である『方向を操る程度の能力』で瞬間移動のようにして目的地へと

近付いていき、その空虚な大穴の近辺まで辿り着いてから意識を集中させた。

 

 

(では早速、手を貸してもらいましょうか?)

『肩慣らしついでに、お前の身体でどれだけ魔力を出せるか試しておくか‼』

 

(それは重畳です。では、行きましょうか!)

 

 

内側に居る魔人に魔力を分け与えてもらい、かつて僕が起こした【異変】で使用した

スペルカードを、僕自身が持つ最強にして最後のスペルを呼び起こして発動する。

 

 

「狩人【CRIMSON NIGHT】‼」

 

 

ラストスペルを発動した直後、僕の周囲には血よりも鮮やかな紅い霧が集まり出し、

ものの数秒で完璧に僕の身体を包み込んで弾幕の射出準備を完了する。

でもこのままではただの弾幕ごっこのラストスペルでしかない。ここからだ本番だ。

先ほどよりもさらに意識を集約させて、紅い霧を能力と魔力による補助で操作する。

ただ能動的で漂いつつ内側に集まるだけだった紅い霧の塊が少しずつ形を変えていき、

地底の大穴の真下に、スペルと同じ名を持つ深紅騎士(クリムゾンナイト)が姿を現した。

 

 

「はぁっ‼」

 

 

霧で生成された紅蓮の鎧の中から大穴を見上げ、騎士の姿のまま跳躍する。

そのまま能力と魔力を複合させた方向操作で、速度を上げながら大穴の中を飛ぶ。

少しずつ大きくなっていく地上からの光に目を細めつつ、さらに速度を上げて飛行する。

 

 

そして、僕は幻想郷の青空の下へと舞い戻った。

 

 

 







いかがだったでしょうか?
久々に書いたらここまで長くなるとは予想外でした。

映姫様や閻魔大王様の人の罪に関するロジックは、私の大好物なんですよね。
思えば倫理学や心理学の話に興味関心が昔からあったんですよ、ええ。
人は罪を犯すがゆえに人であり、間違わぬものは人ではなく神である。
この学術論はすごく気に入ってます。人の過ちを肯定する主張ですからね。

アレ? 私ってこんな哲学的キャラじゃなかったはずなんだけどな(白目


それでは次回、東方紅緑譚


第五十四話「禁忌の妹、博麗神社参拝」


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