東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どうも皆様、2016年も半年が過ぎてしまいましたね。
時間が経つのが早過ぎやしないかと今更憤りを感じている萃夢想天です。

前回は日曜日にまで波及させてしまいましたが、今回はマジです。
キチンと土曜日の夜までには投稿いたします。

それと昨日気付いたのですが、ノーマルな牛丼って美味しいですね。


それでは、どうぞ!




第伍十壱話「名も無き夜、新しい人生」

 

 

 

 

僕は、一体何者なんだろうか。

 

 

古明地 さとりと名乗った少女が部屋を出てすぐに眠くなった僕は睡魔に身を委ね眠り、

次に目を覚ました時に真っ先に思い立ったのが、無くした記憶についてと自分の事だった。

 

むしろ気にならない方がおかしいと思う。だって自分が誰なのかわからないんだよ?

必死に自分の名前とか自分の知っていることを思い出そうとしても、何も思い出せない。

僕を快眠へと導いたベッドの上で一人悶々と考え続けること数分後、誰かが部屋にやってきた。

 

「おや、起きてたんだね。気分はどうだい?」

 

「え、あ、あの…………誰?」

 

ノックも無しに部屋の扉を開けてきて僕に容態を訪ねてきたのは、またも女の子だった。

しかもさっきのさとりとかいう子と同じくらいに可愛いけれど少し年上な雰囲気を持つ人で、

初対面の僕に向かってかなり気軽に話しかけてきた。多分、あの子のお姉さんなのかな。

 

 

「あたいかい? あたいは火炎………まあ呼びやすい『お燐』でいいよ」

 

「お、おりん?」

 

「そうさ、あたいはお燐だよ。よろしくにゃん」

 

 

何故か自分の名を本名で語らずに愛称で名乗ったお燐さんはさながら招き猫のような

ポーズをとって、右手を可愛らしく猫っぽい仕草でクイクイと動かしてみせた。

しかも頭部には黒い猫耳が、腰のあたりからは二股に分かれた黒い猫しっぽがそれぞれ

生物独特の柔軟な動き方をしてピクピクと震えていた。

パッと見た感じだと作り物には見えないけど、まさか本物じゃないよね。

なんて考えているとお燐さんが僕の顔をじろじろとのぞき込んできた。

 

 

「あの、何ですか?」

 

「ん~? 別に何でもないよ。さ、早く起きて支度して!」

 

「え? 支度? 支度って何ですか?」

 

「後で説明したげるからまずは急いだ急いだ!」

 

「え、あ、あの!」

 

 

顔をのぞき込んでいたお燐さんがいきなりベッドのシーツを引き剥がして僕を床に落とし、

どこに隠し持っていたのか不明な僕用の着替えを置いて着替えてついて来いとだけ言って

部屋から出ていってしまった。言動といい見た目といい、本当に猫みたいな人だな。

とか思ってないでさっさと着替えてしまおう。今の僕にはどうせ何もやることが無いんだし。

 

考えを即座に切り替えて置かれていた服に着替え、ベッドの上で自分について思い悩んで

いたことなど頭の隅の方へと追いやって部屋から出ていったお燐さんの後を追いかける。

 

 

…………僕は物事の切り替えが早い人間なのかもしれないと、手がかりを一つ掴んで。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元いた部屋から出てしばらく歩くこと五分ほど、僕の前を歩くお燐さんが立ち止まった。

彼女の視線が向いているであろう先を後ろから覗いてみると、そこには大きな扉があった。

この先に誰かがいるのは間違いないだろうけど、一体これから何が起こるのか想像もつかない。

落ち着きなく視線をあちらこちらに向けてオドオドしていると、お燐さんが声をかけてきた。

 

「ここから先は君だけだよ、行っといで!」

 

「あ、あの、何がどうなって」

 

「だーから、行けば分かるって! ほら男だろ、行った行った!」

 

ニヤニヤといった感じの笑顔のお燐さんはいつの間にか僕の後ろに回り込んでいて、

両手で勢いよくドンッと背中を突き飛ばされてしまい、転ぶように目の前の扉にぶつかった。

両開きの扉が開くとともに中へと突入した僕は突き飛ばされた勢いのまま床に吸い込まれるように

倒れ、受け身も取れずにぶつけた胸部への鈍い痛みにうめき声を上げる。

 

「…………随分と威勢の良い入室ね」

 

いきなりの出来事にもかかわらず冷静なままの声に顔を向けると、そこにさとりがいた。

彼女は何やら厚めの本を読んでいたようで、視線をそちらに向けたまま僕に声をかけたらしい。

 

「ええ、大方合っているわ」

 

「………また、心を読んだの?」

 

本を読む手を止めずにただコクリとうなずいたさとりはページをめくって視線を動かす。

しかし、お燐さんに連れてこられたのに僕をほったらかしにして本を読み続けるなんて

そんなに面白い本なのかな。それとも、僕の事に興味が無いのかも。

 

 

「あなたの面白さの基準が分からないけど、私にとっては面白い内容の本よ。

ついでに言えば、あなた自身については興味があるか無いかで言えばある方ね」

 

 

考え付いたことを本を読み続けながら即座に答えたさとり。

淡々とした口調で、しかも本人はいたって真顔だから本心なのかどうかも分からない。

それにしても、心を読めるってのは本当にすごい力なんだなぁ。

 

 

「…………すごい力、ね」

 

 

僕の考えていることに何かを感じたのか、さとりはようやく本を読む手を止めてこちらへ

視線を向けてきちんと話し相手と会話をする状態になってからまた話し始めた。

 

 

「本当にそう思うの?」

 

 

彼女の口から次いで出てきた言葉は、僕の発言の真偽を問うようなものだった。

何か思うことでもあるのか、さとりの表情はさっきよりも少し真剣みを帯びているように

見えてきた。僕は観察眼が鋭い人間だったのかもしれない、新しい手掛かり発見だね。

 

「…………………」

 

 

なんて考えていると、さとりの視線が一気に冷めた感じになり始めた。

こうして今も考えていることを読んでいるのだとすると、本当にすごい力だよな。

さて、この考えも読まれているんだろうし、さっさと言い切るとしますか。

 

 

「僕は他人の心を読むことがすごいことだとは思う。

でも同時に、とても悲しくて辛い力でもあるんだと思ってる」

 

「……………どうしてそう思うの?」

 

 

ほんの少しだけ表情をゆるませたように見えるさとりから更なる追及が来た。

僕はただ聞かれた通りの感想を述べようと思ったけど、今彼女が求めている返答は

そういった普遍的なものではなく、理由とかそういった感じの物だろうと思えた。

こうして考えてることもどうせ筒抜けなんだ、ハッキリしっかり言ってしまおう。

まっすぐ僕も見つめてくるさとりに、僕は問いの答えを出した。

 

 

「だって人は誰かに隠し事をして、それを守ろうとするから知恵を絞るんだよ?

考えてる事とか心を読まれちゃうんなら、相手に何もさせないのと同じだよ」

 

「…………………」

 

「隠し事とか嘘を守ろうと必死になって人間は知恵を振り絞るから進化するんだ。

心を読んで先読みして、相手をそれ以上先へ行かせないなんて、悲し過ぎるよ」

 

自分自身でも意外に思うほどに言葉がポンポンと飛び出していった。

もしかしたら僕は口が達者な人間だったのかもしれない。新しい手掛かり発見だ。

そう考えていることも向こうにはバレてるんだろうと思ってさとりに視線を

向けてみると、先程までの冷静な雰囲気が若干薄れて攻撃的な表情になっていた。

 

「なぜ、ですか」

 

「え?」

 

「なぜそんなことが言えるの⁉ 何を以て悲しいと言い切れるのよ‼」

 

 

心を読めると淡々と言い放った少女が見せるとは思えない、激しい怒りの感情。

その全てが僕に対して向けられていると気付き、底知れぬ恐怖に身震いする。

まるで人間じゃない恐ろしいものと対峙しているかのような、そんな感じがするのに

僕の両足は先程の位置から一歩たりとも動こうとはしていなかった。

かなり肝の据わった人間だったのかもしれないけど、今はそんなのどうだっていい。

 

今は、さとりの思いに答えなきゃいけない気がした。

 

 

「だって相手と同じじゃないって、『独り(ちがう)』って、さみしいじゃないか」

 

「……………………」

 

「"みんな違ってみんないい"って言葉があるらしいけど、そんなの妄言だよ。

他人とは違う個性があるのは素晴らしいことだけど、相手と違う分だけ分かり合うことが

難しくなるってことじゃないかって、僕はそう思うんだ」

 

「…………だからあなたは、私が悲しいと?」

 

「心を読む力を持つ君が、僕には悲しそうに見える。

それでも僕は、心を読む力そのものを否定はしない」

 

「……………なぜ?」

 

「さっきも言ったよね、他人とは違う個性があるのは素晴らしいことだって」

 

 

ほんの少し前まで心を読まれて考えていることを先読みされていた僕が、心を読める

さとりに一方的に言い放つ展開なんて考えてもいなかったけど、効果はあったみたいだ。

うなだれてしまったさとりの顔は前髪で隠れてよく見えないけれど、さっきのような激しい

怒りとかの感情は見受けられないし、何より雰囲気が本を読んでいた時の彼女に戻っていた。

でも雰囲気とか感情とか、そういうあいまいなものを観察する能力に長けているなぁ、僕。

自分の記憶を取り戻したいとは思ってるけど、昔の僕は何をしていたのか気になってくる。

そう思っているうちにさとりが座っていた椅子から立ち上がって僕の前に歩いてきて言った。

 

 

「いきなり怒鳴ってごめんなさい。すごく、珍しい言い方だったから驚いたの」

 

「珍しい? まぁいいよ、僕は気にしてないし。それよりお燐さんに連れてこられたけど、

僕はどうしたらいいの? というか、ここはどこなんだよ」

 

「………そうね、まずはそのあたりから説明しましょうか。その方が思い出すかもしれないし」

 

「うん、お願い」

 

 

_____________少女説明中

 

 

「と、いった具合かしら」

 

「…………なるほど」

 

 

さとりからこの場所、ひいてはこの世界のことを大体聞き終えて大きなため息をつく。

だって信じられる? ここが不思議な異世界で、彼女が本当に人間じゃなかっただなんてさ。

しかもこのお屋敷は『幻想郷』という世界の地下にある忌み者たちの追われ里である地底に

建てられた『地霊殿(ちれいでん)』という、さとりが管理し支配している場所だったなんて。

いきなりの急展開に文字通り開いた口が塞がらない状態になってしまった僕を見つめるさとりは

その反応には見飽きたとでも言いたげな表情になって僕が落ち着くのを待ってくれた。

 

さとりの放った衝撃の数々にやっと気持ちの整理がついた僕にさとりが再度話しかけてくる。

 

 

「どう? 少しは何か思い出せた?」

 

「…………いや、全く。でも幻想郷とか妖怪とか、どこかで聞いた感じはあったよ」

 

「そう。なら意外と早くこの状況に慣れることができるかもしれないわね」

 

「だといいけど」

 

「…………あなた、記憶も名前も無いなら居場所も無いんじゃない?」

 

「えっ?」

 

「あなたの居るべき所、帰るべき場所。何か覚えていることはある?」

 

「僕が帰る場所、帰る場所……………」

 

 

さとりの言った帰る場所というキーワードを口にしながら必死に記憶を探り当てようとすると、

突然全身が痺れるような感覚に襲われ、少しフラフラとよろめきながらその場に倒れた。

その後も寄せては引く波のように痛みが繰り返しやってきて、その度に僕は苦悶の声を漏らす。

 

「どうしたの?」

 

「い、痛い………すごく! 全身が、全身が痛いんだ‼」

 

どこかぼやけて聞こえるようなさとりの声に答えながらも必死に襲ってくる痛みに耐え続ける。

そうしていくうちに頭の中にぼやけたイメージが浮かび上がってきて、そして消えてしまった。

僕の頭に浮かんできたイメージが消えるのと同時に痛みも引いていき、立ち上がった僕はさとりに

今見たものの事を伝えた。

 

 

「さとり、僕は今何かを見た。多分、大きな湖みたいな場所が見えた」

 

「大きな、湖?」

 

「うん。ハッキリと見えたわけじゃないけど、多分湖だと思う。それかすごく大きな池」

 

「……………そう、少し記憶が戻ったのかしら」

 

「そうなの、かな? でもすごく痛かったよ、記憶を思い出す度にこうなるのは勘弁だね」

 

 

まだ少しズキズキと痛みが奔る頭を押さえながらゆっくりと立ち上がりつつ軽口を叩く。

もしかしたら僕はこんな痛みすら日常茶飯事な人間だったのだろうか、そんな手掛かりは嫌だな。

なんて考えているとさとりが僕の方を見ながら語り掛けてきた。

 

 

「記憶を思い出すまでは、ここに居ていいわ」

 

「え?」

 

「あなたが記憶を取り戻すまではここにおいてあげる。でも寝床と食事を提供する以上は

しっかりとそれに見合った分だけ働いてもらうからそのつもりで。いいかしら?」

 

「そ、それはもう。願ってもないよ」

 

 

さとりからの意外な申し出に疑うことなく即座に飛びついた僕に彼女は微笑んでくれた。

常に冷淡な真顔のさとりが見せたほんの一瞬の微笑みは、僕の心臓をわずかに高鳴らせた。

確かに元々の素材が素晴らしい美少女なのは認めるけど、コレがギャップってヤツなのかな。

それともまさか、僕はいわゆるロリコンと呼ばれる人種だったのかも。それは絶対に嫌だな。

 

 

「ロリコン? それは何かしら」

 

 

読まれちゃまずいタイミングで心を読まれた。

 

彼女からの問いかけについての返しを考えようとして我に返り、心を無にする。

流石に外見上ロリに当てはまる彼女に『幼女趣味』であるロリコンの意味を教えたりとか、

最悪彼女の前で心の中で考えただけでも死につながる可能性がある______________あ。

 

 

「なるほど。幼い少女と書いて幼女、上手いこと言うのね」

 

「あ、えと、その」

 

「大事なことは忘れているのにそんな下らないことだけは覚えているのね。

案外、自分の事もほとんど変わらないくらい下らない人間だったのかも」

 

「あぅ……………」

 

 

うかつに物事を考えただけでこの有り様だ、本当に心を読む力はすごい力だよ。

しかし彼女の言っていることにも一理ある。でも一理あるだけで納得したわけじゃない。

二人でそのまま見つめ合っているとまた僕の心の中を読んだらしいさとりが口を開き、

今後の僕の面倒についてをいろいろと提示してくれた。

 

 

「まずはそうね、あなたの新しい名前が必要かしら。名無しは不便だもの」

 

「まぁ、確かに」

 

「ここで働く以上は私の命令は絶対。というわけで今日からは『(ぼう)』と名乗りなさい」

 

「え、ぼ、忘?」

 

「一度全てを忘れたあなたにはお似合いの名前でしょう? それにもしもあなたの過去が

忘れ去られるべきものだったとすれば、きっとその時にこの名前が役に立つでしょうから」

 

「…………なんかしっくりこないけど、まぁいいや。分かったよ、さとり」

 

「それからもう一つ。ここで暮らす間は私を"さとり様"と敬称を付けて呼ぶように」

 

「え?」

 

「理由はあなたの世話係に任せるから分からないことがあれば何でも聞くといいわ。

それじゃあこれから記憶が戻るまでの間よろしく、忘」

 

 

言いたいことを言い切ったように満足げなさとり、もといさとり様は再び椅子に腰を下ろして

閉じていた本を開いてそのページに視線を向け始めた。もう話すことは無いらしい。

 

こうして僕は忘となり、摩訶不思議な世界での人生をリスタートさせたのだった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

__________さとり様に拾われて、忘と名付けられてから今日で五日目。

 

この幻想郷と言う特異な世界にも、地底という不明瞭な現状にも大方慣れてきだした。

最初は地霊殿の掃除や物置の整理とかだけだったけどすぐに片付け終えてしまったからと

新しい仕事をドンドン増やされていき、今ではお使いまで仕事の内に入ってしまっていた。

もしかしてというか、多分僕は自慢じゃないけど相当器用な人間だったに違いない。

でも地霊殿の外は言葉にすると"人外の魔境"といった感じの化け物の巣窟になっていて、

最初は道行くほとんどの怪物たちから稀有なものを見る目でじろじろと見つめられていた。

 

「それは仕方ないよ、ここらじゃ普通の人間なんてのは滅多にいないからね」

 

気になって僕の世話係として色々と世話を焼いてくれたお燐さんに聞いたところ、そう言われた。

確かにあの時さとり様は地底の事を良く言っていなかった気もしたけど、意味がやっと分かった。

 

提灯や灯篭などの灯し火が照明になって、地底に沸き立つ嫌われ者の集う都市を賑やかに彩る。

しかしその眩しい限りの光の下を歩くのは、明らかに人とは異なる異形の者共ばかり。

道中で向けられる視線には好奇なものや敵意に近いものまで幅広くあり、それら全てが僕に

対してのものだと気付く度に恐ろしくなって身震いしてしまう。

それでも僕はこの地底も捨てたものじゃないと思えるようになってきている。

その理由は、今僕が向かっている仕事場にある。

 

 

「どうも、地霊殿の遣いです! ご注文の品をお届けに上がりました!」

 

「「おう、待ってたぜ」」

 

大きな声で名乗りながら店の名が描かれた暖簾(のれん) をくぐった僕を待っていたのは、地底でも多くの

異形たちに愛されている居酒屋を経営している異形の店主、午頭(ごず)馬頭(めず)の二人だった。

僕はこの二人が注文したある品物を届けるというお使いの仕事をこなしている最中だったわけで、

開店前の準備をしている二人に、先程から背負っていた風呂敷をほどいて中にあるものを手渡す。

 

 

「はい、ご注文通りの硫黄です」

 

「「これよ、これこれ」」

 

僕が彼らに手渡したのは、風呂敷から出した途端に異常な臭気を放ち始めた硫黄という鉱物。

鼻をつまんでも臭ってきそうな悪臭だというのに、店主の二人は顔色一つ変えやしない。

というより彼らはそれぞれ馬の頭と牛の頭をしているから顔色も何も見分けがつかないんだけど、

それでも匂いについては何も言及せずに嬉しそうに僕の手から硫黄の塊を受け取った。

 

「そ、それ、何に使うんですか?」

 

「「ん? これか? これはな、酒の下地付けに使うのよ」」

「そーなんれすか…………」

 

「「呑んでみるか? 美味いぞ!」」

 

「遠慮しときまふ………」

 

 

午頭馬頭の二人からの酒の勧めを丁重にお断り。仕事中だし、それに何より臭いが酷い。

こんな状況で何か飲み食いする気なんて起きないし、起きてものどを通らなそうだし。

とにかくお使いも無事に終えたことだし、すぐにここから立ち去るとしよう。

代金をいただいた僕は広げた風呂敷をまた結わえて背中に背負い、お辞儀をしてから立ち去ろうと

お店の横開きの扉に手をかけたその時、開けようとした扉が独りでに開き始めた。

驚いて扉から手を放して後ずさると、扉の向こう側から綺麗な金髪の大きな女性が現れた。

 

 

「お? おお、なんだいボウズ。お前も呑みに来たのか? そうだろ?」

「あ、どうも。ご無沙汰してます、勇儀さん」

 

「よせやい堅苦しい。酒の席じゃ無礼講だ、鬼も妖怪も幽霊も人も、種族なんざ関係ないよ!」

 

よっこいせ、と店への出入りに身をかがめてやって来たのは、地底に暮らすものなら誰だって

その名を知る有名にして破格の存在、鬼の四天王が一人、星熊 勇儀さんだった。

普段から酒を呑んでいるだけあってどんな状況であっても彼女がいる場は酒の席になるらしい、

そう頭の隅で考えつつも僕はまだ仕事が残っているからこのまま捉まると割とマジでやばくなる。

前にここへ初めて来たときは夕方で酒盛りが始まっていたために酌をやらされ、彼女以外の全員が

呑み潰れるまで延々と宴が繰り広げられたのだ。今回もまた二日酔いで帰るのだけは避けねば。

どうにかして彼女の誘いを断れないかと考えていると、勇儀さんの背後から誰かが声をかけた。

 

 

「ゴメンよ勇儀さん、そこのはまださとり様に仰せつかった仕事が向こうで残ってんのさ。

今回は私がお酌の汲み相手になったげるからさ~、見逃してほしいにゃん。ダメ?」

 

「お燐さん!」

 

 

勇儀さんの背後からいつもの細目の笑顔を見せたお燐さんは、そのまま勇儀さんをお店の中に

誘導して出入口を開けてくれた。よく分からないけど、逃げるなら今がチャンスだ。

 

 

「そ、それじゃ僕はこのあたりで!」

 

 

開け放たれた扉に突撃する勢いで走り出してお店を後にした僕はそのまましばらく走り続けて、

地底の街道を数km行ったところで走るのを止めて歩き出し、地霊殿への帰路に着こうとした。

 

『ンだぁ? またあそこに帰る気なのかクソガキよぉ』

 

 

すると突然自分の内側から聞こえてくるような声が聞こえ、驚いて辺りを見回してしまった。

しかし実際には誰も居らず、本当に自分の中から声が響いているのだとようやく認識出来た。

いきなり僕をクソガキ呼ばわりしたこの声に僕は聞き覚えがあった。

 

 

「ねぇ、またなの? 仕方ないじゃんか、他に行くとこないんだし」

 

『だからってよぉ、なんであそこなんだぁ? その辺のボロっちい小屋でいいだろうが』

 

「流石にあんなところで生活できるほど僕はタフじゃないよ、君ならいけそうだけど」

 

『おォ‼ それは俺様に身体を寄越すって意味か⁉ そうだよなぁ‼』

 

「違うよ。大体君は本当に何なのさ」

 

 

僕の内側から響いてくるこの声を最初に聞いたのは僕の世話係がお燐さんだと知った次の日で、

地霊殿の廊下の窓拭きをしている途中に突然怒鳴り声が聞こえたから本当に驚いた。

その後も僕が一人になったときは毎回決まって声が聞こえるようになってきて、それが幻聴とか

思い込みによるものではないと最近になってようやく受け入れることが出来るようになった。

 

『チッ! 俺様をここまでコケにしておいて都合良く記憶を忘れるたぁ、イイ度胸してなぁ』

 

「そんなに怒られても僕は何も覚えてないし、君が誰かも分からないし知らないんだから」

 

『俺様は魔人だ‼ 何度言わせりゃ気が済むんだクソガキが‼』

 

「ハイハイ、うるさいから静かにしててよ。次はえっと…………」

 

『オイ、無視してんじゃねぇぞ‼ 聞いてんのか⁉』

 

 

受け入れることが出来たと言っても、それは決して認められるというわけでもない。

現に僕はガンガンと響いてくる内側からの怒鳴り声にも耳を貸さずに地霊殿へ真っ直ぐに

向かっている。この手の相手は逆に一切相手にしなければ案外どうにかなるものなのだ。

もしかしたら昔の僕は毎日毎日この声に悩まされていたのかもしれない。というかそうだろう。

それに理由はどうしてか分からないけど、地霊殿の中に入るとこの声はピタリと止む。

まぁ僕が一人になった瞬間ギャーギャーわめきだすんだけど、それ以外では大人しくなる。

このまま地霊殿まで我慢すればしばらくは静かになるだろうと思って我慢し、僕は歩を進めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

忘が立ち去った居酒屋で、二人の店主とは違う二人の女性が言葉を交わしていた。

 

一人はこの店に用事があってやって来たという鬼の頭こと、星熊 勇儀。

もう一人は先程逃げた忘の世話係に任命されたさとりのペットこと、火焔猫 燐。

 

二人は店の奥の相席で酒を注がれた枡を手にしつつ、ある事について語らっていた。

 

 

「_________それで、あのボウズの様子はどうだい?」

 

「どうもこうも、全くの論外だよ。警戒する気も起こさせやしないさ」

 

「そうかい。そいつはもしかするとめでたい事かもしれないねぇ」

 

「本当におめでたいのかにゃ~?」

 

勇儀とお燐の二人が酒の席で語っているのは、忘についての事だった。

忘の前では本性の片鱗すら見せなかった二人が真剣な顔つきで話を続ける。

 

 

「そうさ。あの魔人とかいう奴…………というよりあの人間の子供の方かね。

奴はかつて地獄の奥底に収められていたはずの秘宝と同じ力を宿していた。

アレはそう易々(やすやす)と使っていい力じゃない。管理されるべきとんでもない力さ。

その力をあの子供の体の中から感じたんだ、これは只事なんかじゃあないね」

 

「ふーん。それであの時必死になって倒そうとしたわけかにゃ?」

 

「鬼にしてはみっともなかったとでも言いたいのかい? そりゃ必死にもなるさ。

この世に地獄の力の根源を持ち出されたんだ、しかも何ともないただの子供に。

そりゃいくら私が鬼だからって言っても侮るべき相手じゃないと思ったんだよ」

 

「……………仮にも鬼の頭領が警戒する力の宿主、ねぇ」

 

「ああ。でもまさか私の【三歩必殺】を喰らって記憶まで吹っ飛んじまうとは」

 

「誤算だったねぇ。記憶がありゃ今頃さとり様の御力でどうにでも出来たのに」

 

「それについては私が悪い。この通りだ」

 

 

五日前にこの地底旧都にやって来た謎の男。魔人と名乗るその男と激闘を繰り広げた

勇儀は自身の繰り出した渾身の一撃によってそれを撃破することに成功したものの、

魔人が乗っ取っていた人間の子供にその一撃の影響が強く残り、自分に関する記憶が

ごっそりと無くなってしまったことについてを姿勢を正してから頭を深く下げて詫びた。

鬼の頭の謝罪の意味を理解しているお燐は何も言わずに酒を呑んで話を続ける。

 

 

「誰が悪いってもんでもないよ。さとり様もそうおっしゃっていたし」

 

「これはけじめだ。私がしでかしたことに対する責任だ」

 

「でも勇儀さんが戦ってなければ今頃この旧都は地獄の力で、ってことになるけど?」

「……………つまり、お咎め無しってわけかい」

 

「罪を犯したわけじゃなし、誰が死んだわけでもなし。結果で見れば文句無しにゃ」

 

「………………」

 

 

暗に『謝罪はいらない、頭を上げてほしい』と告げているお燐の言葉に勘付いた勇儀は

すっと頭を元の位置に戻して自分の前に置かれた一升枡を掴んで中の酒をかっ喰らう。

空になった枡をどんと机に置いてから、勇儀は掠れそうな声で物悲し気に呟いた。

 

「死人なら、出たさ」

「ん~?」

「死人なら出しちまったさ。私がこの手で、あの人間の子供を」

 

「え、え~っと、どうしてそうなるのかねぇ」

 

勇儀の物言いに対して苦笑いを浮かべるお燐は、勇儀の言葉の意味を尋ねた。

お燐からの問いかけに、勇儀は一層重たげな雰囲気になって答える。

 

 

「自分の記憶が無いってことはつまり、過去が無いってことになる。

過去の無い人間なんていやしない。存在そのものが無い(・・・・・・・・・)ってことだからね。

私はこの拳であの子供から記憶を、過去を奪っちまったんだ。殺しちまったんだよ」

 

「…………考えすぎだと思うけどねぇ、元気だよ?」

 

「今は、な。けど前はどうだったか知ってるか? 知らないよな、お前も私も。

昔のあの子を知ってる奴が誰もいなかったらどうする? あの子はたった独りだ」

 

「子供がいるんだから、親だって…………」

「身内が一人もいない奴なんざ幻想郷には探せばいくらでもいるさ。

あの子供もその中の一人なら、私はあの子を殺した責任をどう取ればいい⁉」

 

「…………もしそうだとして、どうするつもりなのさ?」

 

「………もしもあの子の記憶が戻らなきゃ、私があの子供の親代わりになる」

 

 

衝撃の発言にお燐は思わず猫目を限界近く見開いて目の前の勇儀を凝視する。

最初は冗談か何かかと思ったものの、彼女ら鬼はそういった嘘や虚偽を心底嫌う為、

それらの頭領である彼女の言葉もまた嘘などではないと理解した。

だが理解はしたものの、それで納得がいくわけではない。

お燐は勇儀の持つ空っぽの枡に酒を並々と注ぎ足し、呑むように促した。

 

 

「…………?」

 

「鬼が人間に関わっても、碌な事にはならないんじゃないかい?」

「……………それが私への戒めに、あの子供への償いになるんならいいさ」

 

「まだ記憶が戻らないって決まったわけじゃないからねぇ」

 

「だと、いいんだが」

 

 

まだ何か引っかかっているような言い回しをする勇儀を見てお燐は枡を見つめる。

並々と注がれた透明な液体は枡の底の木目を映してゆらゆらと揺れ動いていた。

今の勇儀の心はこの枡の中の酒のように激しくせめぎ合って零れ落ちそうになって

いるのだと考えたお燐は、勇儀の前で枡の中の酒を一気飲みして再び注ぎ直す。

いきなり豪胆に呑み始めた自分を見て驚く勇儀に、お燐は酔いが回った口調で語る。

 

「ここにいる連中はみ~んな一緒さ。どいつもこいつも嫌な思いをたくさんしたから

こんな穴ぐらみたいな地面の下でもぐらみたいに毎日飲み明かしてんのさ!

勇儀さんだってそうなんだろぅ? ならとっとと酔って呑んで笑い飛ばすに限るよ!」

 

「……………はは、鬼の私に呑めってかい?」

 

「にゃにゃ~ん!」

 

「酒を勧められて断るなんざ鬼の名折れよ‼ いいかい、今日はとことん付き合いな‼」

「望むところさ!」

 

 

盛り上がったところで互いが互いの枡の中に酒を注ぎ込み、一気に(あお)って嚥下する。

のどをスルッと酒が通り、程よい辛みと苦みが二人の舌の上を通り過ぎて旨みを残す。

どちらが先に呑み潰れるかの競い合い、すぐに開店前の店に人が集まって宴と化していく。

 

そう、これでいい。これでいいのだ。地底ってのはこうでなきゃいけない。

どこよりも暗くどこよりも深い地の底で、どこよりも明るく底抜けに楽しい世界を。

それこそがこの地底に追いやられた爪弾き者たちの守る唯一にして絶対の規則であり生き方。

間違っているとか間違っていないとか、何が正しくて何が正しくないのかは問題じゃない。

 

『今』を、この世界の誰よりも楽しく騒いで生きる。

『昔』を、この世界の誰よりも惨めに生きた自分達が。

 

二人騒ぎ、二人酔い耽る。

別に今夜が特別だからではなく、ここでは毎日がこうなのだ。

だからこうして今日も騒ぐ。懐かしく忌まわしいかつての過去を忘れるために。

今日も今日とて幻想郷の地底からは、楽し気な酒盛りの音が絶えることはない。

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?


言い忘れていましたが、前回の最後の文章に不都合が生じたので編集し直しました。

『さとりお嬢様』→『さとり様』
大した違いではありませんが、一応ご報告させていただきます。

今回は本当にキャラのセリフの言い回しに苦労した回でした。
さとり様もお燐もキャラがつかめなくて非常に苦労いたしました、はい。


それでは次回、東方紅緑譚


第五十壱話「禁忌の妹、太陽の咲く花畑」

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