東方紅緑譚   作:萃夢想天

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どーも皆さん、萃夢想天です。
新生活の急激な変化に慣れず、日々疲れが溜まっております。
そしてまたしても言い訳になってしまうのですが、
この作品の投稿が安定してくるみたいなことを前回に言いましたが
どうやらそれがまた覆りそうです。すみません。
出来る限り定期的な投稿を心がけていきますのでどうか、
これからも応援のほどよろしくお願いします!


それでは、どーぞ!


第四十参話「瀟洒な従者、愛してると言わせて」

 

 

 

 

幻想郷の一角に自生する、異常なまでの速度で生長し続ける竹の密林のその最奥部。

そこには、かつて終わらない夜の世界に幻想郷の住人もろとも閉じ込めてしまおうと

画策し、自らの追手からの隠れ蓑としようとした『月からの逃亡者』の暮らす家屋がある。

その名もまさしく『永遠亭』という、幻想郷に一つしかない進んだ技術を持つ診療所だ。

 

永遠亭はその立地上の条件から普段から出入りする人間は驚くほど少なく、

また人が入っても際限なく生え続ける竹林の影響で自然の迷宮と化してしまっていて、

竹林の構造に慣れた『藤原 妹紅』という人物の案内が無ければ大抵は道に迷うこととなる。

しかしその立地には好都合な点もいくつか存在していた。

一つは先も言った通り、永遠亭の住人の大半は月から逃亡してきた者であるが為に

追手や使者からの追跡の目を逃れるために見つかりにくい場所を選んだと言う理由もある。

 

加えてもう一つの利点、それは__________『人の死を遠ざけるため』だった。

例えば幻想郷で非常に感染力の強い病原菌が流行してしまって里に住む人間たちの間で

既に何人も感染者が出てしまい、このまま放置すればいずれ全住人が感染して死滅する

未来が遅かれ早かれ訪れてしまうとしよう。

その場合に先程触れたもう一つの利点と言うのが有効になってくる、というのも、

助かる見込みが無い感染者は片っ端から永遠亭に送り出してしまえば解決するからだ。

人里からかなりの距離がある永遠亭であれば滅多に里の人間は近付かないし近寄れない。

加えて永遠亭に住まう薬剤師と麗しの姫君に至っては朽ちることない不老不死の躰を持つ。

だからこそ里の人々にとっても、その二つの利点はあって然るべきなのだ。

 

そして今回もまた、違った意味でそのもう一つの利点が役立ったと言うべきか。

 

「こちらの彼があなたの弟、と言う立場の身内の遺体になります」

 

竹林に住まう薬剤師、『八意 永琳』が業務上の連絡として彼女の最愛の人の死を告げる。

簡素な掛布団と敷布団の間に挟まれ、顔に白い布をかけられて微動だにしない自身の弟の

変わり果ててしまった姿を見せられた少女________十六夜 咲夜は息をのむ。

永遠亭の入り口に辿り着いた咲夜はそのままどうしても一歩が踏み出せずにいたのだが、

そこに普段は外に出ることの無い元月の姫君たる『蓬莱山 輝夜』が咲夜の前に姿を見せ、

様々な葛藤を心中で続けていた彼女の心に対して端的に、かつ直球的な言葉を投げかけた。

 

『_________もう死んじゃったわよ、あの人間もどき』

 

 

たった一つの言葉。

それだけで咲夜の傷付いていた心はガラス細工を落としたように粉々に砕けた。

即座に否定しようとした咲夜だったが、当の輝夜は彼女の反応を見た直後につまらなそうな

表情を浮かべ、興味を失くしたように「着いて来なさい」とだけ言い放って向きを変え、

元いた永遠亭へと踵を返して戻っていき、咲夜はそれに着いて行ったのだった。

輝夜の後を着いて行った先で永琳に声をかけられ別の部屋へと案内されていき、今に至る。

 

 

「聞く必要も無いと思うけれど、本人に間違いは無いわね?」

 

 

少し濁った色合いの長い銀髪を三つ編みにして後ろへ流したような髪型の永琳が文字通り

髪をかき上げるようにしながら隣に座らせた咲夜に対して問いかけるが、反応が無い。

もう一度末尾の部分だけを繰り返し尋ねてみたが、それでも彼女からの返答は来なかった。

半ば分かっていたようにうなだれながら溜め息をつく永琳の真横に座っている当の咲夜は、

瞳が力無く細まって光を失い、既に半分ほど意識を失いかけていた。

それでも何とかまともに機能する人としての部分が冷静に現状に対して答えを導き出す。

 

 

(___________紅夜は、死んだ。死んだの?)

 

 

まともに機能するとは言っても確実に普段の冷静沈着な彼女からはかけ離れていて、

茫然自失といった有様になっている彼女は虚ろな二つの眼孔で眼下の弟を見下ろす。

自分と同じように肌は綺麗で色白めいていて、光を反射するように鋭い銀髪も同じく

仰向けで寝かされている為に重力に従って毛先が彼の眉や目の両脇にしな垂れている。

真一文字に閉ざされた彼の二つの瞳は、咲夜の光を失った双眸とは二度とぶつかり合う事も

無く、ただただ咲夜の一方的な視線を送るだけとなってしまった。

 

 

(___________あぁ、死んでる。紅夜はもう、死んでる)

 

 

もはや彼の身体に触れる必要もないほどに、彼の死は感じ取れてしまった。

近しい人の死。それが記憶を思い出された咲夜にとっては、唯一残った恐怖であり、

今の咲夜にとっても、一番認めたくない現実であり事実でもあった。

途端に両目の端に大粒の涙が浮かび、やがて喉の奥から熱い嗚咽がこみ上げてくる。

咲夜は必死に人前で弱みを見せないようにと耐えるが、それも長くは持たなかった。

 

「あ、あぁ……………ああ、ああぁぁぁあぁ‼」

 

 

口内まで押し寄せる怒涛の如き慟哭が咲夜の必死の懇願を裏切って流れ出し、

それほど時間を置かずに(せき)を切って溢れた悲痛の涙が滝のように押し寄せる。

人の目もはばからず、咲夜はまさに子供のように大きな声を上げて泣き出した。

今、この時、この場所に、咲夜は自分が世界でたった一人孤独になってしまったのだと

実感しつつ、今度は自分自身の救いようの無い卑しさに対して懺悔するように詫び始めた。

 

 

「ごめん、な、さい………………ごめんなさい、ごめんなさいっ‼」

 

 

まるで幼子に戻ってしまったかのように何度も稚拙に言葉を紡ぐ咲夜。

彼女自身もおそらく、何に対して謝罪をしているのかは把握しきれてはいないだろう。

腕や肩は小刻みに嗚咽と共に震え、両目からこぼれる涙を拭うことすら出来ていない。

そんな状態の彼女を客観的に見つめている永琳はただ密かにそう思っていた。

風にざわめく竹林の奥に、一人の少女の悲しげな物語が幕を閉じようとしていた。

 

しかし、彼女の、ひいては彼の物語はまだ、終わってなどいない。

「__________あら? 随分と可愛らしい泣き顔ね、咲夜」

 

 

不意に、本当に唐突に、長身の竹や葉に遮られた月光を背に、彼女は現れた。

 

ピンクの混ざった白色のドレスに、腰のあたりで結わえられた巨大な深紅のリボン。

頭に被った独特な形状のナイトキャップから覗く、薄い水色のウェーブがかった髪。

ほっそりとした幼子の体躯に、不釣り合いなほど巨大に広がるコウモリの如き両翼。

燃え盛る紅蓮のような真紅(ルビー)の瞳に、弓なりに曲げた唇から突き出た大きく鋭い犬歯。

 

永遠亭の開け放たれた和風の一室に音もなくやってきたのは、

今なお泣き崩れている咲夜が仕える夜の支配者こと、『レミリア・スカーレット』だった。

 

レミリアは空中に浮いたままの姿勢で座り込む咲夜の顔をうかがって微笑み、

横にいた永琳に対してまさしく夜の支配者たる憮然とした態度で語り掛ける。

 

 

「さて、事前の予約も無しに訪問したことについては詫びさせてもらうわ。

暗黒の夜空に輝ける月からの使者様、そしてその中心であった貴き姫君様にもね」

 

「…………これはご丁寧にどうも。それで?

月の光に充てられた羽虫でもあるまいし、こんな所に夜の眷属である

吸血鬼の当主様がいったい何の用があるのかしら?」

 

「ふふ、やはり月の使者といっても乗るクチなのね。

まあそれはそれとして、私がここへ来た理由だったかしら?

簡単なことよ。そこにいる私の可愛い(さくや)仔犬(こうや)を預かりに来たの」

 

「あら、意外ね。

あなた達妖怪は人間を食料か何かだとしか考えていないのかと思ったら、

案外と人の情のようなものを向けるほどの思考回路があったのね」

 

「言ってくれるわね。でも、さほど間違ってもいないわ。

私は吸血鬼、夜の世界を統べるという宿命の下に生まれた高貴なる一族。

そんな私からしたら人間なんて短い時の中を生きる小動物のようなものよ」

 

「だったら…………」

 

「けれど、そこが妖怪風情と吸血鬼との歴然たる差なの。

少なくとも食す、眠る、種を残す程度の事しか考えられない矮小な妖怪と違って

我々は花を愛で、音を奏で、夜に輝く月や星の光を美しいと賛美出来るのよ。

さらに言えば、私たちは人間に小動物に向ける程度の愛情を向けられるってわけ」

 

「…………なるほどね」

 

「ご理解いただけたかしら、月の使者様?」

 

傍若無人とも取れる態度で部屋の中に入ってきたレミリアと会話した永琳は、

しばらく彼女の言葉を自身の右に出る者のいないほど優秀な頭脳で噛み砕いて

意味を紐解き、やがて答えが出たのかわざとらしく溜め息をついて再び口を開いた。

 

 

「ええ、理解出来たわ。納得は出来ないけどね。

それで彼女はまだしも、そこの少年の遺体を持ち帰ってどうするの?

お得意の人肉料理のフルコースにでも使うのかしら?」

 

「ふふっ、月の出身とは思えないほど妖怪よりの考え方をするのね。

確かに人肉のステーキや絞った血液のワイン割りでも楽しめそうだけど、

この仔犬の身体だけは遠慮しておくわ。だって薬漬けで不味そうだもの(・・・・・・・・・・・)

 

「あなた、この子の身体の事を………?」

 

「当然じゃない。私を誰だと思っているの?

運命すらも私の前に(ひざまず)く、骸の上に君臨する夜の女王よ?」

 

「それはそれは結構なことだわ。

その夜の女王とやらは人の遺体を使って何を仕出かすつもりか知らないけれど

一人の医療分野に携わる者として、一つだけ忠告をしておいてあげる」

 

レミリアとのある種高度なレベルでの口喧嘩の最中にも見え隠れしていた

敵意を今度は隠さずに前面に押し出して、永琳は真紅の瞳を見据えて告げる。

 

 

「あなた程の知能が有るのなら、識っておくべきよ。

___________『遺体の(もてあそ)び』は、最も"怒りを買う"行為だとね」

 

「…………そうね。怯えることを知らない私の肝に、刻んでおくわ」

 

「怯えることは生き物にとって必要最低限の危険信号よ。

それが無いってことは、生命体として重大な欠点なのよ?」

 

「年月を重ねると、こう理屈っぽくなっていけないわね。

もう500年もの時間を経た私でもまだ理想を語れるわ」

 

「あら、干からびて死にたいならハッキリそう言えばいいのに。

太陽が無くても全身の水分を奪って死に至らしめる薬なら安く売るわよ?」

 

「…………せっかくだけれど、遠慮させてもらうわ。

吸血鬼は『流れる水』が苦手なの。"自分の身体から"流れ出る水分を含めてね」

 

「へえ、意外と素直ね」

 

「まだやる事がたくさんあるからね」

 

 

ほとんど見えないほどだがこめかみに青筋を幾本も浮だ立せながらも

危なげな会話を終えた両者はそのまま距離を取り、永琳は立ち上がって部屋を去り、

レミリアは先程よりはほんの少しだけ涙が収まり始めた咲夜の隣に腰掛ける。

青く煌めく瞳を潤ませ涙で真っ赤に腫れ上がってしまった、美しいとは言えない

状況の彼女の顔を眺め、レミリアは幼い顔立ちを妖艶に歪ませた。

 

 

「いい顔よ、咲夜。思えばお前の泣き顔なんて初めて見るのかもしれないわ」

 

「…………お嬢、様?」

 

「何?」

 

「お嬢様は、紅夜の身体の、事を…………ご存知だったの、ですか?」

 

「…………ええ、知っていたわ。

それをお前に言わなかったことが腹立たしいの?」

 

「い、いえ。そのようなことは」

 

「そう、ならいいのだけれど」

 

 

咲夜が言葉を詰まらせてしまい、再び二人の間に沈黙が訪れる。

部屋の開け放たれた窓から吹き込む風が二人の短い髪を撫で上げていくが、

そんなものに構うことなく咲夜は紅夜を、レミリアは咲夜を見つめていた。

しばらく経って部屋に永琳が戻って来て二人に紙を突き付けた。

そこには遺体の受取人としての証明やら何やらといった様々な面倒な手順の

詰め込まれた書類だったのだが、珍しくレミリアは小言一つも漏らさず了承して

紙に直筆で自分の名前を書き記し、正当な手順を踏んで紅夜の遺体を引き取った。

 

 

「さあ、これでもうここにいる必要は無くなったわね。

早くしなさい咲夜、表に美鈴を待たせているんだから」

 

「えっ、あの、美鈴が何故?」

 

「…………誰があの子の身体を持って帰れるのよ。

私は出来るには出来るけど、流石に大きすぎて面倒だったから代わりに」

 

「そういうこと、でしたか」

 

「そうよ、だから早く支度なさい」

 

「は、はい」

 

既に涙は止まっていた咲夜は自身の主人からの命令に即座に頷いて立ち上がり、

重く冷たい弟の亡骸を優しく、大切に抱き上げて部屋を後にする。

途中で何度も閉ざされた紅夜の瞳に視線が吸い込まれそうになったがどうにか堪え、

来た時の三倍近い時間をかけてようやく永遠亭の玄関で待つ美鈴の下まで辿り着いた。

彼女と紅夜の遺体を見た美鈴は、何も言わずにただ黙って背負っていた棺を差し出し、

咲夜もまたそれに黙って首を縦に振って抱きしめていた弟の亡骸をそこに収めた。

 

 

「____________ごめんなさい」

 

 

湧き上がってくる無数の負の感情の奔流を感じつつ、咲夜は紅夜に対して呟いた。

たった一言だけだったが、そこには幾つもの意味が込められていた。

一つは、自身が少年に勝手に希望を見出し、勝手に絶望して見捨てたこと。

一つは、この幻想郷で再び再会出来たにも関わらず、彼を蔑ろにしたこと。

一つは、やっと彼を思い出せたのに、その死に目に間に合わなかったこと。

 

それら全てが混じり合い、せめぎ合い、咲夜の涙腺を刺激する。

しかしそんな彼女の中の葛藤などいざ知らずにレミリアは永遠亭から出立し、

紅夜の遺体を棺に収容した美鈴もまた彼女の後に続いて歩き出そうとしていた。

咲夜も急いで二人の後を追うような形で永遠亭を後にし、葉と夜風がぶつかって

ざわめき続ける迷いの竹林へと一歩を踏み出した。

身長も歩幅も大きく異なる前の二人に出遅れた咲夜は目尻に浮かんだ大粒の涙を

拭って追いつこうとするが、代わりに美鈴が速度を落として彼女の横に並んだ。

どうかしたのかと咲夜が尋ねようとする前に、美鈴は小声で囁きかける。

 

 

「咲夜さん、紅夜君なら大丈夫ですよ」

 

「えっ?」

 

「紅夜君は確かに死んじゃいましたけど、それはしょうがなかったんです」

 

「しょうがないって、何?」

 

「ああいえ、死んでも構わないって意味じゃないですよ?

彼が死んでしまうのはお嬢様の見た運命通りで、変えようがなかったんですって」

 

「だから、悲しむことは無いってこと?

分かっていたことだから泣くことも無いってわけ?」

 

「いやー、その、説明が難しいんですけど……………とにかく!」

 

 

美鈴の言い回しの悪さに弟の死への悲しみが怒りへと方向を変える。

若干涙声混じりの咲夜の言葉に冷や汗を流しつつ、美鈴は意気込んで続けた。

 

 

「今お嬢様とパチュリー様が共同で構築なされている強大な魔法陣による

儀式が成功すれば、紅夜君を生き返らせることが出来るそうなんですよ!」

「えっ⁉」

 

「あ、でもどういう魔術なのかまでは分かりませんよ。専門外ですし。

だけどお嬢様は必ず成功するし、させてみせると仰っていましたよ」

 

「紅夜が…………生き返る」

 

 

弱々しく呟いた咲夜の視線は自然と美鈴の背負っている漆黒の棺に向けられる。

固く閉ざされた重たげなソレは、運んでいる美鈴の歩調に合わせて左右に揺れて

中に人の遺体が有るとは到底思えないほど無機質な雰囲気をまとっている。

 

けれどその箱の中に、確かに彼はいる。

分厚い漆塗りの棺の蓋越しにでも、彼の存在を確認出来る。

今はもう冷たく、生命の鼓動も血脈の躍動も感じられない体になってしまっても

彼がそこにいることだけは確かに分かる。

 

もしも彼が、生き返るのなら。

棺の蓋のように固く閉ざされた瞳が再び見開かれる事があるのなら。

醜く薄汚い自分のような女を「姉さん」と最期まで呼び、慕ってくれた彼の口が

もう一度開かれ、また自分の名を呼んでくれるのなら。

 

 

「…………何だってするわ。美鈴、私は」

 

「言わなくても分かってますよ。帰ったら早速お手伝いをお願いします」

 

「ええ、任せて」

 

 

その為になら、今度こそどんな事でもしてみせよう。

百人の人間の血が必要だと言うのなら、里の人間を百人殺して血を搾り取ろう。

千匹の妖精の羽が必要だと言うのなら、泣いて許しを請おうとも引き千切ろう。

一万の妖怪の(はらわた)が必要だと言うのなら、この身がどうなろうと手に入れよう。

それら全てが、彼の命と等価ならば、必ずや成し遂げよう。

もう二度とあの子を裏切らない。見捨てない。死なせない。

外の世界で見捨ててしまった彼を、幻想の世界で見殺しにしてしまった彼を、救う。

他ならぬ彼の「姉」である、自分が。

 

人知れず意気込む咲夜の瞳に爛々と、ドス黒い漆黒の決意が炎のように揺らめく。

そんな状態の咲夜を背にしながら迷いの竹林を抜けたレミリアが夜空を見上げて

白と黄色の絶妙なバランスで降り注ぐ月の光を浴びながら配下の二人に呟いた。

 

 

「さてと、本当に大変なのはここからよねぇ…………」

 

「どうかされましたか、お嬢様?」

 

「どうかしたも何も、今言ったでしょう。

私たちが本当に大変になるのはここからなのよ」

 

「あー、確かに。お嬢様もパチュリー様と一緒に魔法陣の構築をした影響で

一時的に同程度の魔力を消費しなきゃいけなくなるんでしたよね?」

 

「その程度なら大した事にはならないから問題外だけど、

私が気にかけているのは寧ろ…………フランの方よ」

 

「あー、なるほど」

 

「どう説明してもあの子は絶対に癇癪(かんしゃく)を起こすだろうし、

そうなったらどうやっても止められる気がしないのよね」

 

「ま、まー…………その時はその時ってことで?」

 

「楽観的にもほどがあるわよ美鈴。

はぁ、今からもう帰るのが憂鬱だわ」

 

 

美しい夜空の真下で小さな溜め息が一つ漏れ出る。

小さな吸血鬼とそれを笑って支える大柄な妖怪の女性の二人の少し後ろで、

銀糸の如き三つ編みを揺らしながら歩く、時間を操る少女は顔を上げた。

彼女の視界一面に広がるのは広大なまでの眩い星々で彩られた純黒色の世界。

今までと変わらずあったその景色の壮大さに初めて気付いたように目を見張り、

形容しきれない感情の急変に戸惑いつつも、その少女は確かに思った。

 

 

(この素晴らしい風景も何もかも、紅夜は全てを見たわけじゃない。

ならもしあの子が生き返ったら、この世界のいいところをたくさん見せてあげよう。

美味しい食べ物をいっぱい作って食べさせてあげて、笑顔にしてあげよう。

私の知る人物を紹介して、あの子にもたくさんの友達をつくってもらおう。

私なんてどうなってもいい、代わりに紅夜をせめて人らしく生かしてあげよう)

 

 

かつて弟となった少年に身勝手にすがり、身勝手に見捨てた少女は繰り返す。

またしても前の世界と同じように身勝手に自身の罪の意識を清算しようと、

彼に尽くすことであたかも罪滅ぼしをしているかのように身勝手に考えている。

もしそれらが本当だとしても、今の咲夜にはこうすることしか出来ない。

ただ祈り、懺悔し、悔い改めるだけでは何かが足りない。何かが満たされない。

そこまで考えた咲夜はふと思考を止め、同時に歩みまでも止める。

数秒間ほど彼女の世界は音を失くし、色を消し、まさしく『世界が止まって』いた。

やがて先程までの思考を一旦隅に追いやり、新たに浮かんだ疑問を考察する。

その疑問に対しての解答は、明晰かつ優秀な彼女の頭脳からすれば単純な事だった。

 

咲夜の中で欠けていたもの_____________それはまさしく、"愛"

 

(私はかつてあの子に出会って勝手に"愛"を語って自分の下に手繰り寄せて、

自分の求めるものとは違う、足りないと判断してまた勝手に"愛"を捨てた。

そしてあの子がこの世界に来てようやく見つけた"愛"を私は無下に否定して、

最期まで"愛"に飢えていたあの子に再び"愛"を感じてしまっている)

 

 

あまりにも傲慢で、あまりにも自己中心的で、あまりにも複雑な。

言葉にするには表現力が足りていない咲夜は自嘲気味にうっすらと微笑む。

そのまま夜空を見上げていた顔を正面に向け、それなりの距離を離されてしまった

主人と同僚の後を乾ききることなく流れる涙を拭いながら大きく一歩を踏み出す。

永遠亭を出る時とは違い、その一歩は力強く、輝ける朝日の如き決意に満ちていた。

吸血鬼の主人と妖怪の門番と人間の従者、そして死んでしまった改造人間の執事。

てんでバラバラな種族の彼女らを一本の線で結んでいるのは、やはり彼だった。

 

 

「待っていて紅夜、あともう少しの辛抱だからね。

今度こそ、姉さんがあなたを助けてあげるからね」

 

 

一度自ら手放した手を再び掴み取ろうとする強欲。

しかし、人は強欲でなければ長い歴史の中で急激な進化などは出来なかった。

間違いの歴史を積み重ねてきたからこそ、人は大きく発展してこれたのだから。

けれどこの少女に於いては、その絶対的な法則などで縛ることは出来ない。

時が無慈悲に過ぎると言うなら、いくらでも時間を止めることが出来るのだ。

そんなデタラメな彼女は、終わってしまった時間に沈んだ彼に対して密かに呟く。

 

 

「今までが全部悪い夢だったの。そう、だからすぐに目が覚める。

どんな儀式でもこの際この子が生き返るのなら何でもいい。

とにかく、今一番重要なのは目の前に迫っている『儀式』とやらのみ。

それが終わったら、全てが夢として終わったら、二人で暮らしましょう」

 

 

両手をグッと握りしめ、自分の胸の前に持ってきて腕で抱きしめる。

それはまるで腕の中に我が子を抱いて眠りにつこうとする聖母のようだったと

周囲に誰かがいれば賛美していただろうが、今現在は三人で夜道を歩くのみ。

 

「だからお願い…………姉さんに、愛してると言わせて」

 

 

何度か目になる自分自身が自覚している『身勝手な』懇願を、

咲夜は紅魔館に帰るまで主人のレミリアにも美鈴にも気付かれずに続けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そしてようやく、紅夜は新たな居場所である紅魔館へと帰還した。

 

 

 

 

 

 






いかがだったでしょうか?
今回は諸事情により少し短めになってしまいました。

そして重ね重ね申し訳ないのですが、
来週は家を空けるので投稿が出来ません。
大変申し訳ございません、このような作者で(^U^)

あとタグの「毎週土曜未明更新」ですが、
未明の更新は難しくなってきそうなので変更して、
「毎週土曜更新」とさせていただきます。
勝手ばかりで申し訳ありませんが、応援してくれれば幸いです。

それとまたいつでもご意見ご感想は承ります!


それでは次回、東方紅緑譚


第四十参話「禁忌の妹、あの日の約束」

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