東方紅緑譚   作:萃夢想天

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皆様、新年明けましておめでとうございます。
今年もより一層の感謝と共に執筆していく所存でございます。

それと私のこの作品に置いて、「結(つな)がる」という表現や言葉を
多用していますが、この文字は存在しない、いわゆる造語です。
なのでそれを承知の上で閲覧ください。
(実はこの言葉を発端に一悶着あったので)


堅苦しい挨拶はここまでにして、今年も萃夢想天の作品をお楽しみください。

それでは、どうぞ!


第参十四話「緑の道、巡り結がる」

 

空中にフワリと佇むのは、虹色よりも濃く玉響(たまゆら)に輝いている法巻を纏った女性。

それを見上げるようにして地に足をつけているのは、新月の夜を凝縮したような体表の『影』。

互いは互いを見つめ、睨み、その力量を言葉にしないまま把握していた。

 

 

「……………色即是空、空即是色。自浄合切、輾転」

 

 

目を閉じて両手を合わせて体の内に眠る力を呼び起こす女性。

体の周囲で輝いていた法巻からは文字の帯のようなものが飛び出し、体に巻き付いて消える。

すると次の瞬間、女性が目を見開くと同時に空気が破裂したように盛大な音と共に衝撃波を生む。

 

「幾世の年月を越え、数多の受難を超え、我は開眼せるに至れり」

 

 

吸った空気を吐くだけで、その空間が浄化されていくような神々しさを湛える女性。

そんな女性と対峙している漆黒の影は、無言のままその体躯を不規則にデタラメに動かす。

 

ほんの二年ほど前にこの幻想郷に現れた信仰勢力の一つ、命蓮寺一派。

その勢力の中心には『人も妖怪も神も仏も全て同じ』という極論を携えた一人の尼公がいた。

彼女は今の時代に生きる人間では無く、ある理由の為に"外法"と呼ばれる禁忌に手を染めて

人という種の限界を遥かに超えた時の中を生きることが出来る術を手に入れた僧侶だった。

しかし幻想郷に来てからはかつて自分が捨てる事の出来なかった情念と持ち前の懐の深さが

幸いして、建立した命蓮寺の住職という立場に身を置いて日々を過ごすようになっていた。

 

その女性こそが、『(ひじり) 白蓮(びゃくれん)』である。

 

煌びやかな金色と艶やかな紫色が絶妙な割合で混ざったグラデーションの入ったロングウェーブ。

ガラス細工のように透き通った濁りの無い黄金色の瞳に、幼くも可憐にも見え得る美麗な顔立ち。

黒を基調とした布地の下に純白の衣服を着て、ゴスロリ的な印象を抱かせるドレスを羽織る。

身長は見た目から判断する年齢の女性からしたら高めで、異性の目を引きやすい体格をしている。

人とそうでないものを調和を保ったまま融合させたかのような、「人ならざる美」の体現。

普段は健やかな子を慈しむ母の如き表情を浮かべる彼女が、眉を上げて怒りを露わにしている。

釣り上がった眼が射貫くのは、眼下に見下ろす怪しく不気味で醜悪で、強大な妖気の塊。

そんな相手を前に、聖は大きく息を吸い込んでから一気に急降下して拳を叩き込んだ。

 

 

「南無三‼‼」

 

 

常日頃から里の人間やケガをした妖怪の面倒を見ている彼女からはあまりにかけ離れた一撃。

地面に半球状の窪みを生み出し、周囲に敷き詰められていた丸石を砕きながら撒き散らす。

自分の住んでいる場所であるにも関わらず、一切容赦の無い正確無比な攻撃。

しかし拳は直立したまま蠢く影では無く、その下に伸びている自らの影に向けられていた。

 

 

「これであなたはもう、私を連れてはいけませんね(・・・・・・・・・・・・)

 

 

小さくも勝ち誇ったように呟いた彼女の言葉に、影は苛立ったのか初めて動きを見せた。

生き物のものとは思えないほどほっそりとした両腕をダラリと脱力させ、地面につける。

するとその腕____________から伸びた無数の影が地面を伝って聖の足元に向かっていく。

拳を引いた聖は自らの元に向かってくる影を確認し、すぐさま上空に飛び上がって滞空する。

 

 

『……………………………………………』

 

 

感情を見抜けない、というより眼以外の部分があるのか不明な頭部をもたげて影は聖を睨む。

上空に滞空した聖は横目で村紗と響子が自分を慕う尼入道によって本堂へと運び込まれて行く

のを目視してから、先程よりかは少し穏やかな顔つきになって影に話しかける。

 

 

「私の名は聖、この命蓮寺という寺で住職をしている者です。

まずはここで起こったこと、響子ちゃんと村紗についての事をお聞かせください」

 

『……………………………………………』

 

 

聖からの問いかけに影は答えない。

しかし言葉を発さない代わりに、ゆらゆらと怪しく揺れる影が激しく波打つ。

その動きをどう解釈したのか、聖は少しずつ高度を下げて影と目線を合わせる。

途端に地面から影が聖を突き刺すように飛び出るが、無数のソレを指で掴んで止める。

影にも驚くという感情があるのか、身体をビクリと震わせて何とか逃れようと試みる。

だが見かけによらない力でガッシリと掴まれているのか、聖の手は影を放さなかった。

 

 

「私は何があったのかを聞いているだけなのです。

襲う謂れも襲われる謂れもありませんが、この行動を見る限り二人を行動不能にしたのは

あなた……………いえ、あなたの性質が今回の原因というべきでしょうか」

 

 

地面からわずかに浮いた位置で聖は影に憐憫の視線を向ける。

聖の言葉を理解しているのか、彼女の言葉を聞いた直後から俯いてピタリと停止した。

影が動きを止めたのを反省と捉えたのか、聖はそのまま影を見据えて言葉をつなげる。

 

 

「雲のかかっていない真昼時、必然的に『影』は自らの背後に来るように伸びます。

ですがあなたの影は常に私のいる方向に向かって伸びている……………これは摩訶不思議」

 

『……………………………………………』

 

「この幻想郷において太陽は月ほどの力を持ってはいませんが、それでも陽の(もと)

人も妖怪もそれら以外の全てに、平等に光を与えたもう物に例外などあるはずがない。

だというのにあなたにはそれが適応されない、つまり陽の力を覆すほどの力を持って

いながら………………………自我が限りなく薄いのは、相反しています」

 

『……………………………………………』

 

 

聖が話している間も、影は微動だにしない。

わずかに浮いている聖の足元を見て、動かずに、俯いて。

ようやく影の沈黙に違和感を感じたのか、聖が耳を澄ませる。

するとやはり、風に乗って微かに、だが確実に声が聞こえてきた。

 

 

『…………み………………っつ……………よ…………っつ…………』

 

 

聞こえてきた数を数える声に聖は焦りを覚える。

しかし後ろから迫ってくる頼もしい気配を感じて静かに目を閉じた。

その瞬間、聖の背後にある命蓮寺の本堂の中から薄い桃色の雲が拳となって突き出される。

迫り来る拳を避けたのか、聖の聴覚には数を数える微かな声は聞こえてこなくなった。

 

 

「ご苦労でした雲山、それに一輪も」

 

「!!」

 

「ここからは我々に任せてお下がりを、(あね)さん」

 

 

本堂から木造の廊下を歩いて、一人の女性とそれを包み込む雲の妖怪が現れた。

 

遮る物の無い晴天の如く晴れやかな空色の長髪に、同じく透き通るような水色の瞳。

しかしそれらを覆い隠すように頭から被っているのは、尼を思わせる濃紺の頭巾。

肌色がかった白い長袖の上着に、白と青色が程よく縫い合わされたスカートを着用し

灰色のニーソックスに黒色のブーツ状の靴を履きこなしている。

 

流麗でありながら質素な佇まいの彼女は、『雲居 一輪(いちりん)』という名の妖怪。

 

そんな彼女を上から抱きかかえるかのようにして浮いているのは、さながら小型の入道雲。

ただし上空に浮かぶそれらとの大きな違いは、薄い桃色であることと、人の形をしていること。

長い時間自らの肉体を鍛え続けた修験者のような、筋骨隆々の上半身を(かたど)っている。

人でいう顔の部分は、頑固一徹を表したかの如き禿げ頭に口ひげの老齢の好爺のように見える。

 

彼の名は『雲山(うんざん)』。一輪によって使役されている入道という妖怪。

 

 

二人は聖の前に降り立ちながら、村紗と響子を気遣うように語る。

 

 

「姐さん、村紗は無事なようだけど響子は目を覚まさない。

多分封印の妖術か何かだとは思うけど、私じゃ何もしてやれないからさ。

早く二人の元へ行ってあげてください。ここは私が抑えますから!」

 

「一輪……………分かりました。雲山、一輪を頼みますよ」

 

「!!」

 

閉じていた目を開いて振り返り、本堂へと姿を消した聖を背中で見送った二人は

眼前でフラフラと挙動不審な動きを繰り返す立体的な影を前に好戦的な笑みを見せる。

一輪は懐から太陽の輝きを照り返す金色の輪を取り出し、雲山は両拳を握って構えた。

 

 

「さぁて雲山、この相手に弾幕ごっこは通じると思う?」

 

「……………」

 

「『通用せんだろうな』、ね。確かに溢れ出る妖気はありえない量だけど」

 

「……………」

 

「え? 『妖気だけではない。もっと歪んだ力も漏れておる』ですって?」

 

「!!」

 

 

一輪が翻訳した言葉に薄桃色の雲の頭部が二度しっかりと上下する。

信頼の出来る相棒からの忠告を聞いて、一層警戒心を底上げする一輪。

そんな二人を眺めていた影は突如としてビクンと大きく跳ね、辺りを見回し始める。

挙動不審な相手の不可解な行動に疑問を抱いた一輪は、声を潜めて雲山と会話する。

 

 

「ねえ雲山、今言った歪んだ力って何のこと?」

 

「……………」

 

「『(わし)にもよくは分からん』 ってことはただの勘?」

 

「……………」

 

「『勘は勘じゃが、直感の方が正しい』………………つまり?」

 

「!!」

 

「『妖怪の範疇を超えた力』、か。当たり障りの無い言葉だけど説得力はあるわ」

 

 

雲山の言葉を聞いて、一輪は眼前の敵に対する評価をさらに上げた。

ところが影の視線はしばらくキョロキョロした後で一点で留まり、その方角を凝視する。

やがて陽の光に溶けるかのように地面へと沈み、平面の影となって境内から消えた。

あまりに拍子抜けする展開に、一輪も雲山も目を丸くして互いに見つめ合う。

気まずい沈黙を打ち破るように一輪が話しかける。

 

 

「えっと、これは………………つまりどういうこと?」

 

「??」

 

「『儂が知るか』って、そりゃそうよね」

 

「……………」

 

「『山彦と船長が心配じゃのう』…………そうだ、村紗!」

 

 

雲山の呟きを聞いて顔色を変えた一輪は慌てて本堂へと走っていく。

だが雲山は独り境内に残って先程の妖怪が戻ってこないかどうかの警戒にあたった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

一方の一輪は気が気ではなかった。

響子は彼女らが暮らす命蓮寺が主体で起こした異変の後で入門した妖怪だったが、

村紗は共に、文字通りの地獄を生きてきた旧知の中であったために不安も大きい。

逸る気持ちを必死で抑えながら、二人を運び込んだ本堂へと急ぎ足で向かった。

 

 

「姐さん! 村紗と響子の具合は⁉」

 

 

本堂の襖を勢いよく開いて入ってきた一輪に、聖は困ったような表情で語りかける。

 

 

「ああ一輪、今しがた私の魔法で体の異常を確かめたところです。

しばらく二人とも安静にしておきたいので、あまり大きな音を立てないようにしなさい」

 

「あ、ああハイ。すみません姐さん………」

 

自分の事しか考えていなかった一輪は素直に頭を下げ、今度は慎重に襖を閉じる。

そのまま音を立てるのを最小限にしながら聖の横に座って、二人の容態を尋ねた。

 

 

「それで姐さん、二人はどんな具合ですか?」

 

 

一輪からの問いかけに、先程とは別の困った表情で聖は話し始める。

 

 

「それが………………私の魔法を使ってみても響子ちゃんは目覚めませんでした」

 

「そうですか………………でしたら村紗は? 村紗は無事なんでしょうか?」

 

「無事、とは言い切れませんね。しかし出来る限りの事はします」

 

 

普段の彼女とは違う、歯切れの悪い返事を聞いて一輪はさらに不安を募る。

そんな一輪を見かねて聖は話題を変えようと向きなおって真面目な口調で話しかける。

 

 

「それよりも一輪、あの妖怪はどうしたのです?」

 

「え、あの影みたいなのなら急に周囲を見回し始めたと思ったら途端に消えて…………」

 

「消えた? それは成仏のように薄れて消えたのではなく?」

 

「ハイ、地面に水が浸透するようにして消えていきました」

 

「そうですか………………そうですか」

 

「姐さん?」

 

 

一輪の話を聞いた聖はまるで全てを理解したかのように頷いて口を閉ざす。

話をした一輪は訳が分からずに聖に問いかける。

聖は彼女の問いかけに対してわずかに口ごもるも、やがてゆっくりと語り始めた。

 

 

「一輪、私の能力は知っていますね?」

 

「ええ? そりゃもちろん。『魔法を使う程度の能力』ですよね?」

 

 

問いかけに応えた一輪の言葉に、聖は無言で頷く。

 

 

命蓮寺の尼僧、聖 白蓮の能力は『魔法を使う程度の能力』。

しかしこの幻想郷には、同じ能力を持つ者が一人存在する。

『普通の魔法使い』こと、霧雨 魔理沙だ。

だが彼女と聖の持つ能力には、実は明確な違いがある。

魔理沙はたゆまぬ努力や他人から得た技術や技を応用することで魔法を使えるようになった

魔法使いなのだが、聖は"外法"という呪いや禁法などに手を染めて人間を超えた『超人』に

なることで魔法を使えるようになった魔法使いなのだ。

 

事実、魔理沙は弾幕などを主体とした魔法を得意としてはいるが

聖はその逆で肉体強化などの魔法関連を得意としている。

魔法で肉体の性能を極限まで増幅させて、身体能力を向上させる根っからの武闘派が聖だ。

だが魔理沙の魔法とは違って、肉体強化や精神活性の魔法を他者にもかける事が出来る。

それが聖の程度の能力の強みの一つでもある。

 

ちなみに聖の質問に答えた一輪の持つ程度の能力は『入道を使う程度の能力』という。

彼女は元々人間だったようだが、紆余曲折を経て仙人に成り損ねて妖怪にさせられてしまった。

その過程で身に付けた能力のようだが、雲山という入道との関係は未だ不明である。

また妖怪となった彼女を救いの道に引き上げたのが聖であり、以後彼女を慕って命蓮寺で尼を

するようになったのはまた別のお話。

 

 

一輪の回答に頷いた聖は、そのまま話を続ける。

 

 

「そうです。その魔法の一つである『精神活性』の部類のものを使ったのですが

村紗だけが反応して響子ちゃんには効果が発揮されなかったのです」

 

「つまり?」

 

「妖術や封印の類では無く、精神か魂を抜き取られた(・・・・・・・・・・・)状態にあるようです」

 

 

聖の出した答えに一輪は絶句する。

見開かれた目を正面から見つめ返しながら、聖はその結論に至った経緯を話し始めた。

 

 

「何故そう考えたのか。これにはきちんとした理由があります。

まず初めに、一輪。あなたは村紗が最後に言った言葉を覚えていますか?」

 

「えっと……………確か『影を盗られる』とかどうとか」

 

「ええ、その通りです。村紗の言葉は確かにそうでした。

ではコレがどういう意味を持っているか分かりますか?」

 

「影を盗られる、ですか?」

 

 

自分の顎にほっそりとした綺麗な指をあてて考え始める一輪。

しばらくそうして考えても結論が出なかったのか、分かりませんと素直に答えた。

一輪の返事を聞いた聖は姿勢を正して言葉の意味を語り出す。

 

 

「影を盗られるということは、己の半身を奪われることと同義なのです。

一輪、あなたは陰陽(おんみょう)道や陰陽術の事はよく知っているでしょう?

陰陽道の基本は『陰』と『陽』、二つの事象への理解と性質の把握、及び応用です」

 

「い、一応知ってはいますけどそこまで踏み込んだ事柄は………………」

 

「だと思いました。なのでその辺りは、かいつまんで要約するとしましょう。

まずは『(よう)』について、これは読んで字の如く『太陽』を表しています。

ですがこの字には『表』という意味や、『人の表面』、つまり肉体の事を示す表現も

あるのですよ」

 

「それと確か書かれた道本によっては『男性』を意味しているとも聞きました」

 

「それも正解です。今からの話には関係が無かったので省きましたが、勤勉ですね。

話を戻しますが、陽とは逆の『(いん)』にはまさしく『闇夜』を表す解釈が

いくつもあります。そして陽と同じく『裏』や『人の内面』、つまり精神を示す

表現もまたあるのです」

 

「これも先ほどの逆で、『女性』の意もありましたね」

 

「ええ。陰陽道には『対極に座すものを尊び、敬い、畏れ、調伏せよ』との教えが

残されているのですが、これは人間だけでなく妖怪にとっても重要な規範となりました」

 

聖の話し出した陰陽道の解説を聞いた一輪は、その部分に疑問が生まれた。

陰陽道は本来、聖が言ったように魔を払い妖を侍る為に作られた人の業の結晶。

なのにそれが害となる妖怪にとって重要な規範とはいったいどういったことなのか。

一輪が疑問を尋ねる前に、聖がその答えを口にした。

 

 

「妖怪とは本来、人の畏れ無くしては生きられぬモノなのです。

しかし陰陽道が栄えた当時はまだ良かったのですが、彼らの術に応用が効くようになって

しまった後の時代においては、妖怪は怨霊や魔物と同様に扱われてしまったのですよ」

 

「…………それに何か問題が?」

 

「妖は人の畏れを、霊は人の思念を、魔は人の生命をそれぞれ糧とするのですよ?

それらと混じり合う事は無く、同じ存在として払われてしまっては元も子もない」

 

「あ、確かに」

 

「されど人と共栄することが出来なかったのは、やはり当時の風潮が大きいですね。

しかし中には力のある陰陽師に調伏され、仕えることで力を得た妖怪もまたいるのです」

 

「確か槧儸童子(ふだらどうじ)とか、骸鬼童子(むくろぎどうじ)とかでしたか」

 

「その通り。畏れを求める妖を人に畏れられるモノが打ち倒すことによって得られるもの。

それは、人の手では届かぬ力を奮って人の手におえぬ妖を倒すという事実への畏れ。

これが彼ら妖怪から移ろったモノたちの生きる術の一つでした」

 

「なるほど………」

 

 

聖の語った言葉を聞いた一輪は心底納得し、何度も頷く。

自らも妖怪に転じた存在として苦難を生きてきた以上は他人事とは思えなかったし、

何より尊敬する聖の説法を聴くことが出来るという小さな喜びもまたそこにはあった。

しかし、ここからが本題だと聖が呟いて話はより深刻になっていく。

 

 

「ですが彼らとは違ったやり方で人の世に溶け込んだ妖怪もいたのです。

八百万の神でありながら妖怪として道具にとり憑く、『付喪神』などのように」

 

「では、さっきのアレもその類いでしょうか?」

 

「いいえ、それは絶対に違います」

 

一輪の挙げた付喪神という答えを、聖は確固たる意志を以って否定する。

聖の即答に驚いた一輪に言い聞かせるように聖が話を続ける。

 

 

「先程も言ったように、妖怪にとっても陰陽道は重要になりました。

陽は肉体であり陰は精神、付喪神にはとり憑いた道具という陽があります。

ですがあの影にはそれが無かった……………文字通りに陰のみの存在でした」

 

「へぇ…………あの時間でよくぞそこまで」

 

「それは今は置いておきましょう。

話を戻しますが、モノとは違う方法で人の世に紛れた妖怪もいました。

『付喪神』などとは違う方法……………………それは『アソビ』です」

 

「え、遊び?」

 

 

予想していたよりも平和そうな言葉が出てきたことに驚く一輪。

聖は一輪の口から出た言葉が恐らく間違いであることに気付いて訂正する。

 

 

「遊ぶことの『遊び』ではなく、妖怪の『アソビ』です」

 

「え? えっと、つまりは?」

 

「そうですね…………………あなたの口から出た『遊び』も間違ってはいません。

しかし私の言っている『アソビ』というのは謂わば、『遊びに化けた妖怪』の事です」

 

「あ、遊びに化ける?」

 

「ええ。ではこれも例えを使って説明しましょう。

里の子供たちもよくやる『鬼ごっこ』の事は流石に知っていますよね?」

 

「まあそれくらいは。数人のうちの一人が鬼になって誰かを捕まえる。

そうして捕まえられた子供が鬼になって、交代して遊ぶってヤツですよね」

 

「それが『遊び』の鬼ごっこです。

ですが私の言う『アソビ』の鬼ごっこはとても恐ろしいのです」

 

 

少し話し疲れたのか一呼吸おく聖。

その間一輪は心配そうな目で村紗と響子を見つめるが、二人とも動く気配が無い。

一輪の心に大きな不安が押し寄せる直前に、聖が言葉を句切って話を再開した。

 

 

「『アソビ』の鬼ごっこは誰かが鬼になるまでは黙って子供たちの中に紛れていて、

誰かが鬼と入れ替わった瞬間に、入れ替わる前の鬼役の子供の心に乗り移ります。

そうして自分の種を蒔いて、鬼ごっこが終わった途端に発芽し始めるのです」

 

「その、鬼ごっこの『アソビ』が発芽するとどうなるんですか?」

 

「…………発芽した芽は子供たちの心を(むしば)み、やがて喰らい尽くすと今度は

肉体そのものを喰らい始め、最後にはその子供を『アソビ』にしてしまいます」

 

「え? 『アソビ』って実体があるんですか? 伝承とかじゃなく?」

 

「ええ、実体はありますよ。ただ、『アソビ』となったらそれ以外の行動を

しなくなる。つまり、鬼ごっこに紛れて自分を増やすことしか出来なくなります。

自分が何者であったのか、どんな両親がいたのか、何を感じていたのかなどの感情も

分からなくなってしまうのです」

 

「……………そうか。『遊び』は子供が行うものだから、陰陽師やら大人やらの目には

留まりにくいし、感情が多感な時期の子供は妖怪にとってはうってつけの………………」

 

一輪が気付いて口にした言葉に聖もまた同意する。

驚き、恐れるのと同時に一輪の心には納得の感情が浮かび出た。

自分も妖怪である以上、畏れは絶えず必要になってくるが自分は尼として信仰を

集めることによってそれを補っている。それはこの寺に住むほとんどがそうだ。

そのまま目線を聖に戻して話の続きを待つ。

 

 

「子供たちの『遊び』の中に潜み、巣食う『アソビ』たち。

今日やってきたあのモノは、おそらくその中の最たるモノだったのでしょう」

 

「最たるモノ、ですか」

人を捨て、人を超えた聖ですら身構える相手と対峙した事実を一輪は今になって噛み締めた。

すると襖のわずかな隙間から、薄い桃色の雲が音も無く入り込んで一輪の周囲に滞空する。

やがて普段の形に戻った雲山に、一輪は労いの言葉をかけた。

 

「警備ご苦労様。何か異常はあった?」

 

「……………」

 

「『特に無かった』、か。まあお疲れ様ね、お茶でも飲む?」

 

 

一輪からの労いの言葉を受けた雲山は人当たりの良い笑顔を浮かべる。

雲山を纏わせた一輪を見て、聖は先程の話を雲山にも要約して話した。

話を聞き終わった雲山が今回の影の正体について心当たりがあることを思い出したようで、

しきりに一輪に話しかけ始めた。

 

 

「!!」

 

「え?『思い出した、ソイツは危険だ‼』って、さっきのヤツの事?」

 

「雲山、あなたはあの妖怪の事を知っているのですか?」

 

「!!」

 

「『思い出したんだ、和尚の話を聞いてたら‼』、だそうです」

 

「………………あなたのその慌てよう、よほどの事ではありませんね?」

 

「!!」

 

「『急がんと間に合わなくなる』? どういう事よ雲山」

 

薄い桃色の顔を怒りで赤く染めながら恐怖で青白くするという芸当をしながら、

雲山は聖と一輪に事態は一刻を争う事だと懸命に伝える。

 

 

「!!」

 

「『急げ! このままだと山彦が死ぬ‼』って、え⁉」

 

「雲山、落ち着いて話をしてください。

響子ちゃんの事ですよね? 一体何が起こっているのですか?」

 

「!!」

 

「『和尚の話を聞いて思い出した。船長の言っていた言葉は本当だ』」

 

「!!」

 

「『船長は和尚が助けたが、その山彦の方は完全に影を盗られている!』」

 

翻訳された雲山の言葉を聞いた二人は倒れたまま意識の無い響子に目を向ける。

すると雲山の言ったとおりに、彼女の体にあるはずの影がどこにも見えなかった。

一輪は初めて見る異常な光景に驚くが、聖は逆に冷静な表情で雲山を見つめる。

 

 

「雲山、おそらく今あなたと私は同じ結論に至っていると思います。

私はかつてこのような状態に陥った人を見たことがあるのです。

今回もまたそれと同じだというのであれば、どれほどの猶予があると思いますか?」

 

「……………」

 

「『もって五日、長くても一週間』って、そんな!」

 

「やはり、そうなってしまいますか……………」

 

「あ、姐さん! 一体どういう事なんですか⁉」

 

「…………一輪、この事をすぐに命蓮寺の皆と人里の皆さんにお伝えしなさい。

いいですか、今から私の言う言葉をよく聞いてしっかりと覚えるのですよ」

 

雲山の残酷な発言を聞いた直後から、聖のまなざしは鋭くなっていた。

自らの求める結果を成す為であれば、どのような犠牲を払っても構わないという覚悟の眼。

いつの間にか握られていた拳には無意識に力が入り、見ている者を威圧するほど。

立ち上がった聖を心配そうな目で見つめる一輪に、聖は重々しく告げた。

 

「響子ちゃんの影を奪ったのは、『影写しのアソビ』でしょう。

アレは危険です。すぐに奪われた影を取り返しに行きます。

もしかしたら、私の手には負えないかもしれないません………………。

人里への警告を終えたら、あなたは博麗神社へ行って巫女を呼び出してください」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

南の空高く光で大地を照らし続けていた太陽は、今はもう西に傾いている。

数えるのも億劫になるほど乱立した樹木そびえる妖怪の山の滝の裏。

そこにはつい先ほど二人の天狗と密約を交わした河童と数え方が不明の存在がいた。

滝の裏に私設の工房を構えている河童___________河城 にとりは浮かれていた。

ある日突然自分の元に自分の欲しかったものが勝手にやって来たら、浮かれても仕方ない。

だがそれはにとりの予想を遥かに超えて優秀で、精巧で、有能で、完璧だった。

 

 

______________。

 

 

にとりは自分に与えられたチャンスを活かそうと工房においてある様々な機械やら工具を

そこら中からかき集めて自分の求める技術を抱えた彼のそばに無作為に置いていた。

浮かれていたせいか、これから得られる技術に思いを馳せていたのか、彼女は気付かなかった。

 

______________?

 

 

まるで手術台のような台座の上で、彼は目覚めかけていた。

氷漬けにされて自ら機能を停止させていた彼の頭脳が、今目覚めようとしていた。

ゆっくりと機能を復元させ、自らの肉体に活動再開の命令を下す。

 

 

______________!

 

 

指を動かせ、成功。しかし物を握るほどの回復はしていない。

足を動かせ、失敗。徐々に感覚が戻り始めている。

首を動かせ、成功。ゆっくりとだが周囲を確認することに成功。

能力を発動、失敗。視覚と聴覚の結合が未完成。

 

 

______________ぁ

 

 

現状の把握、不明。未確認の場所である為、現在位置の特定が不可。

自身の把握、成功。各箇所に不具合はあるが、活動再開は可能。

能力の発動、失敗。触覚と聴覚は徐々に復元。しかし空間の結合は演算能力の低下により不可。

 

______________あぁ

 

能力の発動、失敗。聴覚はほぼ覚醒。視覚、嗅覚に不具合が発生。

 

 

______________めろ!

 

 

能力の発動、失敗。触覚及び視覚の復元を再起動。演算処理装置復元の優先度を低下。

 

 

______________こいつには手を出すな!

 

 

能力の発動、失敗。視覚、触覚の起動を確認。次いで演算処理装置の復元を開始。

 

 

______________なん、だ…………からだが、うご、かな

 

 

能力の発動、失敗。空間結合の演算処理装置の復元率、56%から上昇中。

 

 

______________く、そ、なんなんだ、おまえ…………

 

 

能力の発動、失敗。空間結合の演算処理装置の復元率、77%から上昇中。

 

 

______________あや、もみ、じ……………みん、な

 

 

能力の発動、失敗。空間結合の演算処理装置の復元率、91%完了。活動を再開。

 

 

______________。

 

 

能力の発動、成功。通常時と比較した場合より貧弱だが、空間結合の成功を確認。

 

 

______________。

 

 

全身の機能の回復を確認。覚醒し、任務を再開します。

 

 

 

 

「…………ここは?」

 

 

見知らぬ空間の見知らぬ場所で、縁は目を覚ました。

状況を把握するためにも一先ず起き上がろうとして失敗してしまう。

まるで今まで全身が氷漬けにでもされていたかのように、体がうまく動かない。

 

「どういう、事だ?」

 

 

現状が理解できない、自分はいつの間にここに来たのか。

自分の中にある最後の記録を読み直しても、命蓮寺参道でチルノと弾幕ごっこをしたことしか

記録されておらす、そこからの記録が途絶えてしまっていた。

 

 

「訳が、分からない…………」

 

 

台座の上で横になったまま首だけを動かして周囲の状況を確認する。

すると視界の端で水色の髪の少女が音を立てて倒れるのを目視した。

少女が倒れた先には小汚い床を見つめたまま突っ立っている『影』がいて、それと目があった。

自分は動けない上に現状が把握出来ない。だが間違いなく危険な状況に居るのは確かだろう。

直感的にそう理解した縁は、未だにうまく動かない身体で『影』に話しかける。

 

 

「お、まえ……………は?」

 

 

縁の言葉には答えずに、ゆっくりと近くまでやってくる『影』。

やがて自分を見降ろす場所ほど近くにきたソレを見て、初めて眼があることに気付いた。

新月の夜を凝縮したかのような漆黒の顔面に浮かぶ、丸く輝くおぞましい双眸。

その二つが自分を見下ろしているのに、不思議と縁は動けるようになっていた。

 

 

「おまえは、なにものだ?」

 

『………………………………』

 

 

『影』はまたしても縁の問いかけに応えない。

だが何故か縁の顔の部分を見つめて、一向に動こうとしない。

体が動かせるようになった縁は立ち上がって、今の現状を把握しようとする。

 

 

「ここは、どこだ?」

 

『………………………………』

 

「話せないのか?」

 

『………………………………』

 

 

言葉に反応するわけでもなく、『影』は縁の顔を見つめ続ける。

当の縁はそれを気にするでもなく、ゆっくりと出口と思われる場所へ歩き始めた。

しかし上手く歩けないのか、途中で何度も転びそうになる。

 

「身体が、まだ、上手く動かない………」

 

 

愚痴を漏らすように言葉を吐き出した縁だったが、ふと突然身体が軽くなるのを感じた。

急に動きやすくなって驚いたが、その驚きを表に出さずに歩きながら出口に辿り着いた。

縁の予想通りにそこは出口だったようで、小気味良い音を立てて鉄製の扉が開いた。

そこでふと後ろを振り返ってみたが、先程までいた影はどこにも見当たらなかった。

 

 

「私に気付かれずに移動できる、のか」

 

 

今度は素直に驚きを表に出して縁が呟く。

そのまま道伝いに歩いていくと、滝の裏に出てきた。

どうやらここは妖怪の山の一部であるらしいことを、縁はここで初めて把握した。

その場で能力を発動して空間を(つな)げられることを再確認した縁は、迷うことなく結げた。

右手で空間をゆっくりと薙ぎ、裂け目を作ってそこに入り込む。

 

 

「随分時間が経っているようだな。紫様にご迷惑をかけていなければいいが」

 

 

自分の中に芽生えた不安を一言呟いてから、空間の裂け目を通り抜ける。

妖怪の山にある滝の前に作られたそれが、独りでにゆっくりと元に戻っていく。

だが、空間の裂け目が完全に消えてなくなる瞬間、そこに入り込んだモノがあった。

黒く、大きな、新月の夜を凝縮したかのような漆黒の『何か』が。

しかしその事に気付くものはいなかった。

 

八雲 縁の影に、『何か』が入り込んだのを見たものは、いなかった。

 

 

 

 

 

~幻想『緑道結記』~ ______________完







本当は昨日投稿しようと思っていたんです、ホントです‼
まあケガの功名とでも言いますか、時間が取れたので結果オーライ?


そして今回で縁のパートが終了いたします。
長かった、そして長かった。
しかしまだ、謎が残されたままになっています。
次回から始まる紅夜パートが終わったら、再び縁となります。
どうかそれまで御付き合い下さいませ。


それでは次回、東方紅緑譚


~幻想『魔人死臨』~

第参十四話「紅き夜、思い残して」

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